デイヴィッド・リンチ『ブルー・ベルベット』小論
――ポスト古典期におけるマニエリスム映画の誕生

河原大輔

1.ポスト古典的ハリウッド映画とは

「乱痴気騒ギノアトデ何ヲナサルオツモリデスカ」
――ジャン・ボードリヤール『アメリカ』[1]

 
 本稿はデイヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』Blue Velvet(1986年)を分析し、古典期以降――「ポスト古典期」――の映画文法について考察する。映画のポスト古典期とはなにか。古典期の終わりと言えば、産業的には1981年の『天国の門』Heaven’s Gate(マイケル・チミノ)の興行的失敗とユナイテッド・アーティスト社の倒産が、ハリウッドを強力に支えていた撮影所システムの崩壊と古典期の終わりを決定づけた出来事として記憶されているだろう。しかしそれはあくまで最終的な結果であって、ハリウッドの崩壊は早ければ50年代に始まり60年代後半には完全に崩壊していたと考えるのが妥当である。
 
ハリウッドでは1969年の場当たり的な大作主義、冒険主義により深刻な経営危機に見舞われ、1970年代以降、産業構造の大きな変化を余儀なくされた。トマス・シャッツはその変化を大きく三つに分けて説明している。[2]

(1)ブロックバスター映画、ハイ・コンセプト映画
 テレビを中心とする関連メディアでの大規模な広告とそれが周到に準備された上でなされる一斉上映によって短期間で一気に収益をあげる映画。ヴィデオの登場により、以前のロード・ショーから二番館へ、二番館から三番館へという興業形態が機能不全に陥ったことが原因となった。この戦術がスムーズに運ぶように、大衆にとってわかりやすく、簡潔で、しかも適度に話題性のある、凝縮されたアイディアが重用されるようになった。1975年の『ジョーズ』Jaws(スティーヴン・スピルバーグ)がその最初の映画とされている。
(2)Aクラスのスター映画
 俳優の特定のスター・イメージを目立たせる映画。例えば、ジム・キャリーやロビン・ウィリアムズの喜劇能力を前面に押し出す映画が挙げられる。スターの映画に対する権限が増大し、映画製作費の数割を占めるほどの主演俳優の出演料の高騰、エージェント業の発展を招くこととなった。
(3)インディペンデント映画出身の活躍
 
垂直統合されたスタジオ・システムの崩壊はインディペンデント系の制作会社の映画界への進出を可能にした。製作、配給、上映をすべて担っていたメジャー・スタジオは配給に専念し、インディペンデント系の製作会社に下請けを出すというような形態が出現し始めた。また下請けの小規模な製作会社であったミラマックスやニューライン・シネマが大ヒット作の製作、自主配給により大成長を遂げることで、メジャーとインディペンデントの境界が曖昧になった。そうした状況の中で、スタジオ出身とは限らない、インディペンデントの映画作家が活躍する場が与えられることとなった。

 1976年に本格的に活動を始めるリンチは、まさにこの三番目の特徴として挙げられた、インディペンデント映画から主流ハリウッド映画へとその活躍の場を広げて行った映画監督の代表的な存在であるといえる。また本稿ではリンチ作品の様式的特徴である古典作品の模倣や初期映画的伝統への回帰等をポスト古典的ハリウッド映画の様式的特徴として定義することを試みる。
 かつて古典期以降のハリウッド映画とは、例えば、クリント・イーストウッド、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、ジム・ジャームッシュ等の映画であるという考えは確かにあった。[3] しかしわれわれは、21世紀を迎えた現在、徹底したつぎはぎ性に彩られ、ミラマックスによる大規模予算映画というポスト古典期の産業構造を典型的に示す『キル・ビル』Kill Bill (2003〜04年、クエンティン・タランティーノ)が世界中で爆発的に受け入れられるのを目の当たりにすることとなった。製作形態からキャノンに対してとる態度に至るまで、あらゆるレヴェルにおいて主流/周縁の境界を欠いたこの映画の登場と、かつて賞賛された「反時代的な作家」たちが――イーストウッド等少数の例外を除いて――ほとんど沈黙、停滞しているという事実は、必然的に1960年代以降のハリウッド映画史の見直しを要求する。その見直しの過程においてわれわれはリンチやブライアン・デ・パルマ、ポール・ヴァーホーヴェン等の作家たちに特徴的な古典作品への自己言及的態度を古典期以降のハリウッド映画を特徴付ける要素として再検討する必要がある。[4]それゆえにリンチは映画においてパロディをもっとも先駆的に実践した作家として――つまりはポスト古典的の様式的特徴を明確に示す作家として――われわれのもとに召喚されるのである。

2.マニエリストとしてのリンチ

 ラカン派精神分析学者スラヴォイ・ジジェクはその著書『快楽の転移』においてリンチ映画の諸特徴を19世紀中ごろから活躍したラファエル前派[5]になぞらえて解説している。ジジェクは、ルネサンスの遠近法による立体感から平面に支配された中世の世界観への移動にリンチ映画との共通点を見出している。[6]ジジェクが提示するルネサンスに対するラファエル前派という図式はハリウッド映画史における古典期とリンチとの距離、つまり「クラシック(古典期)」との距離を考察するとき極めて興味深い。この図式にのっとればルネサンスに対するラファエル前派を古典的ハリウッド映画に対するリンチの立場に読み替えることでリンチを擁護、肯定することが出来る。つまりはペーター・ビュルガーがいうところの「制度『芸術』」の対立項として存在するアヴァンギャルドの一形態として。もしくはノエル・バーチの言う古典的ハリウッド映画が構築した「制度的表象モード(Institutional Mode of Representation)」に対する周縁からの抵抗として。しかしながら筆者の見るところ、これだけでは古典作品との類似という常々指摘されるリンチの様式的特徴を見落としてしまう。そこでリンチ映画を考察する上で、ジジェクに倣い、重要な芸術形態を導入してみたいと思う。それは16世紀のマニエリスムである。
 
マニエリスムは盛期ルネッサンス以降の人体の非合理的なねじれや非遠近法的で平面的な画法を特徴とする16世紀のイタリア美術を指す。若桑みどりによればマニエリスムに特徴的なのはデカダンスの意識であり、ミケランジェロによってすべての美は達成されたという認識から出発したマニエリストには伝統的なアヴァンギャルド芸術が持っていたような伝統を排し、全く独自の着想をもった作品を生み出そうとする態度が欠落していたとされる。彼らが行ったのはルネッサンスが遺贈した膨大な規範(キャノン)との戯れであった。若桑はマニエリストの様式的特徴は「何にもまして自己同一性の喪失、作品の『つぎはぎ』性にある」と指摘して以下のように述べている。

[どこを切っても彼自身であるような、自然発生的で独自で固有の個性は、それだけでもうマニエリストではない。自然なもののすべてがマニエリストに反する。(中略)ことばを広く用いるなら、レディ・メイドのものから成り立っているすべての芸術は、マニエリスムである。既成の「カノン」を下じきにしていない芸術、自然発生的にひとつの個性から流れ出した芸術は、決してこれをマニエリスムとは呼ばない。最高の美が、すでに果たされてしまった、と人々が思ったとき、すべてのマニエリスムがはじまる。][7]

 規範を基にして人体の比例や遠近法にねじれやひねりを加える彼らのスタイルは、その模倣的な表現方法から「マンネリズム」という語を生んだようにオリジナリティが欠如しているとして批判された。こうした都市国家の成立とルネサンスの誕生を支えてきた普遍的なキリスト教的世界観の崩壊が生み出したマニエリスムの問題は、国民国家の成立と古典的ハリウッド映画を支えてきたモダニズム運動の危機に直面する20世紀後半のリンチにも見られる現象ではないだろうか。つまりマニエリストにとってミケランジェロが果たした役割が、リンチを始めとするポスト古典期の映画作家たちにとってアルフレッド・ヒッチコックやオ−ソン・ウェルズといった古典期の偉大な作家たちが果たした役割と相似関係にあるのだ。ミケランジェロが「マニエリストの父であり、先駆者であると同時に、最大のマニエリストの一人である」[8]のと同様に、ヒッチコックは、加藤幹郎が指摘するように、映画史における偉大なる古典期の作家であると同時にポスト古典期への橋渡し役を果たした過渡期的な作家である。[9]
 
しかしながらマニエリストが「ミケランジェロの模倣者たちが絵画を殺した」と非難されたのと同様に、これらポスト古典期の作家たちは「映画は死んだ」と嘆かれる時代の芸術としてすこぶる評判が悪かったようである。例えば映画批評家の蓮實重彦は、古典期のパロディと物語から視覚性の優位へという撮影所崩壊以降の、そして古典期以降のハリウッド映画の特徴を正確に描写してみせたが、彼に言わせれば「最良の作家とは、瞳だけに働きかけるイメージのスペクタクル化の全盛期に、その風潮になじめず、物語の簡潔さに貢献するショットの可能性を確信しつつ、 たん なる ハリウッド 映画 パロディ 異なる 語り方を発見した人たち」であり「オーソン・ウェルズ的な反時代性の系譜を体現するもの」に他ならなかった。[10]またデイヴィッド・ボードウェルの手にかかれば、例えばクエンティン・タランティーノですら「ビデオ・レンタルのカウンター席の後ろからフィルム・ノワールとジャン=リュック・ゴダールの作品を、様式的な前進と評価して注視した」存在となり、作家は映画史における様式発展の年表の中に位置づけられることを要請される。[11]
 
こうした映画史叙述からは軽視されてきた感のある古典期以降の模倣者たちを20世紀映画史の中に再標定する方法論をわれわれは持ち合わせているだろうか。彼らの映画を考察する理論枠とははたして存在しうるのだろうか。20世紀のマニエリストたちと仮に名づけるとして、彼らの意識についてポストモダン理論家のフレドリック・ジェイムソンは「唯一の自我や個人の同一性、ユニークな人格や個別性といった概念」と結びついたモダニストの美意識からの変化だとして、以下のように指摘する。

[われわれは、七〇年あるいは八〇年にわたる古典的モダニズムそれ自体のもつ、巨大な重圧も考慮に入れなければならない。現代の作家や芸術家がもはや新しいスタイルや世界を発明できないであろうということには、次のようなもうひとつの理由がある。かれらは、すでに発明し尽くしたのである。残っているのは限られた組み合わせだけである。その中でもっともユニークないくつかの組み合わせは、すでに考え出されてしまったのである。][12]

 
かつて制度的表象モードに対する抵抗というモダニズム的実践を起動させてきた主流/周縁の弁証法的二項対立の解消(反時代的態度の終焉)が生んだ戦略、手法が、ポストモダン・パロディ(ジェイムソンは「パスティーシュ」と名づけた)とよばれるものであった。
 
20年代のモダニズム運動と連動して形成された撮影所システム下で生産される古典的ハリウッド映画が、60年代後半のシステムの崩壊とともに危機に直面したときに登場してきた映画監督の一人であるリンチの映画観も上のように説明されるだろう。リンチの真に特異な点は、例えばロビン・ウッドがヒッチコックについて論じた書物Hitchcock’s Films Revisitedの中で「評価基準」という短い一節の中でヒッチコックとリンチの相違について述べているように、リンチにおいてはもはや「リンチはヒッチコックを超えた」などという批評の不可能性であり、クローゼットのシーンを取り上げてそのシーンの技術的達成の高さから「近い内にリンチはヒッチコックやブニュエルに匹敵するような映画をつくるだろう」ということができないということである。[13]
 
したがってリンチをハリウッドにおいて古典的映画文法を初めて打ち破った前衛的革命者であるなどと指摘することは本論においてあまり有意義でない。またリンチはデンマークの映画作家集団ドグマがアンチ・ハリウッドを掲げて映画作りに励むほど、古典的ハリウッド映画から、そしてそれが生み出した巨匠たちからいささかも自由でない。彼の製作態度とは、ヒッチコック等の偉大なる古典作品にねじれを加え奇抜な(ビザールな)作品にすることであり、彼の「奇抜さ」とは独自性、想像力のオリジナリティとは結びつかないものである。[14]リンチの映画作りは、マニエリスムの用語をかりれば、「規則の中の自由」から成り立っているものである。つまり「もっとも古典主義的な言語でもっとも非古典的な構文をつくり出し、もっとも自然らしい語りくちであり得ないものの話をする。そして時には、もっともありふれた、型にはまった形態を用いて何ぴとも作ったことのない独自の世界をつくって見せる」[15]ことにリンチは賭けていると言ってよいと思う。したがってリンチはヒッチコックのように偉大ではない。リンチには、ヒッチコックにあったような制度的表象モードに対する反抗的態度が欠けており、古典との無邪気で過剰な一体感だけが一見したところ彼の作品を特徴付けているかのようにみえる。
 しかし、それではリンチというひとりの映画作家はたんなる古典映画の模倣者にすぎないのであろうか。『ブルー・ベルベット』はヒッチコックの『疑惑の影』Shadow of a Doubt(1943年)をカラーでヴィヴィッドかつ非現実的に表現し直しただけなのだろうか。確かにパロディ、パスティーシュと呼ばれるものが「死せるスタイルを真似ること、空想上の美術館の中に陳列されたスタイルの仮面を通し、その声を借りて話すことに尽きる」[16]ものである以上、その答えの半分はイエスである。しかしながら、上の質問にイエスと答えるだけでは到底不十分である。われわれはリンチの何が新しいのかを問わなければならないはずである。問題なのは、古典期の模倣に見えながら――また模倣であるにもかかわらず――なぜわれわれはリンチの作品を新しいと感じるのかということである。そのように問わなければわれわれは16世紀マニエリストが被った不幸を繰り返すことになるだろう。そのためにもここで若桑によるマニエリスムの教訓を引いておきたいと思う。

[問題は、かれらが他人のことばでなにを語ったか、ということである。なぜ「つぎはぎ」をしたのかということである。彼らは「つぎはぎ」や「人真似」をしたが、それらが基の組織をぬけてまったく本来の意味を失ってしまう「別の」関連のなかにそれらを組み込んだ。この「別の」関連がはたして何なのか、そのことについて私はながい間苦しんで考えた。そして私は、彼らが、「自然」模倣の語彙を、そして自然ではないものを表現するために用いて行くその「ずれ」を見出したのである。][17]

 ポスト古典的ハリウッド映画たるリンチ映画の考察において、われわれはこの「ずれ」を見つける作業に従事しなければならないだろう。そこには必然的にリンチの映画がもつ新しさがあるはずである。ポストモダン・パロディが生む「ずれ」に積極的に価値を見出そうとするのはリンダ・ハッチオンである。ハッチオンは模倣や引用とパロディの違いを強調し、パロディは「対象作品と一体化するが、機能としてはむしろ対照作品からの分離あるいは対照をめざすもの」であり、それはつまり「批評的距離をもった反復」であると定義する。またパロディがもつ「保守的反復と革命的差異の間に引き裂かれた両面性」をパロディの二重コード化として以下のように説明する。[18]

 [アイロニックな表象の形式として、パロディは政治的には二重のコードを持っている。つまり、みずからパロディ化するところのものを合法化すると同時にそれを破壊するのである。この種の正当化された違反こそが、ポストモダニズム全般の政治的矛盾のための好都合な手段ともなるものなのだ。パロディは芸術としての芸術を顕在化させる自己照射的技法として使うこともできるが、しかし同時にそれは、その審美的な過去、あるいはむしろその社会的過去とさえ逃れがたく結びついた芸術をも顕在化させる。パロディのアイロニックな反復によって提示されるのは、現代文化のイデオロギー的合法化の手段についてのある種の自己意識の内面化された徴候でもある。ある表象が合法化され正当化されるのはどのようにして行われるのか。そしてまたそれは他のどのような表象を犠牲にすることによってなされるのか。パロディはそのようなプロセスの歴史を探求する方法を与えてくれる。][19]

 
もしそうだとすれば、われわれはこれからその保守的反復と革命的差異のそれぞれを確認しなければならないだろう。そして『ブルー・ベルベット』がその差異から自らを歴史化しようとする試み(またはその失敗)であるのならば、議論は必然的にこの映画が属する歴史、つまり映画史へと目をむけることになるであろう。よって次節においては『ブルー・ベルベット』が――本稿ではそのオープニングを例にとって――古典的ハリウッド映画のみならず初期映画のイメージと戯れながら映画史における自らの位置を座標化する過程が明らかになるだろう。

3.古典規則の転倒またはその予告

 ロビン・ウッドも指摘するように、『ブルー・ベルベット』はローアングルから撮影された善良かつ守護者のような家父長的形象とともにスモールタウンを物語内に導入することで古典作品『疑惑の影』に言及しそれとの一体感を強調する。[20]
 
しかし古典との一体感を強調するこの映画における規則の転倒は、映画のオープニングによってすでに予告されていたのかもしれない。ローラ・マルヴィが定式化した能動的な視線の統率者としての男性と去勢コンプレックスの象徴としての女性というフロイト的枠組みがこのオープニングにおける母親によって転倒されていると考えることはできないだろうか。つまりオープニングで導入された家のリヴィング・ルームにおいてテレビを見ている母親と彼女が見ているテレビに映る拳銃のクロース・アップのショット/カウンターショット[21]は、「去勢された女性の映像のみが男根(ファルス)に意味と秩序を与えることができる」[22]というマルヴィの記述をそのまま転倒させていると仮定してみたい。すなわちこの映画においては男根の映像のみが女性に意味と秩序を与えるよう機能していると。象徴的な存在であるのだから男根の映像というのは語義矛盾を引き起こしてしまうだろう。言い換えれば、つまり、『ブルー・ベルベット』においては意味を失った男根の映像、ただの肉としてのペニスもしくはそのメタファーの映像が女性の主体性の構築に貢献するよう機能するのではないか。テレビに映る拳銃を持った男と(のちに母親が続きを見ていることで明らかになる。)彼が階段を上る映像は、この映画のクライマックス――変装したフランクがドロシーのアパートで、拳銃を持ち階段を上ってジェフリーを追い詰める場面――を予告している。こうした映像の予示作用自体は古典的ハリウッド映画ですでに用いられていた技法でありとりたてて珍しい現象ではないとしても、ここではその予示作用をもたらすイメージを見る主体が女性であるということに注目したいと思う。すなわち「自由にステージを操り、そこで空間的錯覚によってつくられた彼の視線を分節化し、またアクションを創り出す」[23]のは「彼」つまり男性ヒーローではなく女性なのである。このようなリンチの意識はのちの監督作『ワイルド・アット・ハート』(Wild at Heart、1990年)における映画内のすべての出来事を統御しているかのような魔女(この魔女は憂鬱に陥ったヒロインの母親を象徴するものである)の手が水晶球をかざすショットにも見られるものである。
 
こうした母親の導入はあまりに短く簡潔に行われるため一見したところその重要性には気づきにくい。既にウッドが述べているように、『ブルー・ベルベット』は『疑惑の影』に言及することで古典的形式を意識しているため、古典的物語映画の読みに従えば父親に物語の進行を期待するのが常識的な解釈であろう。[24]また映画のタイトルともなったボビー・ヴィントンの同名の曲は「彼女は青いベルベットを着ていた/ベルベットよりも青い彼女の瞳/5月よりも温かい彼女のやわらかな吐息/愛はぼくらのものだった She wore blue velvet/ Bluer than velvet were her eyes/ Warmer than May her tender sighs/ Love was ours」と歌っているように、女性の視線の源である「彼女の瞳 her eyes」はベルベットと並置されることで「もの」と化し、愛の歌い主である男性のフェティシズムの対象であることが強調されている(実際、後のシーンにおいてドロシーのベルベットはフランクのフェティシズムを喚起する)。オープニングにおける母親の姿は、庭で水を撒く父親の映像とともに「ベルベットより青い彼女の瞳」とヴィントンが歌い終わったまさにその直後に導入されるため、この姿だけをとって彼女がこの物語における視線の統率者であるなどと強弁することを難しくしている。また、真っ白な垣根と色鮮やかな花、さんさんと降り注ぐ太陽、緑の芝生、典型的な郊外住宅といった連続して並置されるスモールタウンの映像の中で、この母親の姿とテレビの映像もそうしたステレオタイプ的で無意味な映像の羅列の一部であると看做される可能性が高い。つまり「夫は外で庭仕事、妻はお家で家事仕事」といった郊外家庭の典型的なジェンダー・ロールにのっとった女性像と50年代のB級テレビ映画として。おそらくリンチも意図的にこうしたステレオタイプを利用しているのだろう。[25]しかし、ハイパーリアリティとも呼ばれるであろうつぎはぎの映像の羅列の中で唯一視線を提示しているのが前述の母親とテレビ画面のショット群なのである。言い換えるとこのショット群は、ひとつのショットの意味単位が完結することなく次のショットへと移行し、後続のショットによって前のショットの意味が完結するというショット間の連続性――「このテレビの画面は先ほどの母親が見ていたものであった」ということを示す――を示している。[26] (これに対する反論として水の出が悪いことをいぶかしがる父親のショットとねじれたホースのクロース・アップを挙げてそれがショット/カウンターショットであるとの主張が予想される。しかし父親が二度もホースを振り上げるのはそれがねじれていることを知らない証拠であるだろうし、またホースがねじれていたことが「原因」で父親は発作を起こす「結果」となったわけではないのだ。[27])消防車のパレードや水撒き行為のように見世物(スペクタクル)化されることもなく、かといって性的魅力(エロティシズム)を発揮するわけでもない、ただひたすら「見られることto-be-looked-at-ness」から遠く離れ、ソファの上でコーヒーを口に運ぶ以外ほとんど動くことなくテレビを見るこの母親の映像は、古典的枠組みから言えばもっとも凡庸であり、まったく無価値な映像だと看做される。さらに50年代の保守的な家族観を復古的によみがえらせているものとして、母親の描写が女性差別的であると批判することもできるだろう。確かにこの指摘は半ば正しい。しかしここで重要なことはリンチという作家個人の女性嫌悪ではなく、マルヴィが描き出したような古典的ハリウッド映画という制度そのものが孕む本質的な女性嫌悪である。リンチがここで鮮やかに描き出していることは、女性が差別的に描かれていると主張するとき、重要なのはその描写の内容そのものではなく、古典的規則にのっとって見たときに初めてその描写が差別的であると看做されうるのだという事実である。言い換えれば制度を参照枠として初めてそうした主張が初めて可能になるのである。
 
繰り返すが、『ブルー・ベルベット』において物語を推し進める視線の統率者は女性である。これがこのオープニングにおけるもっとも重要なリンチのメッセージだ。しかしここで注意しなければならないのは、筆者は母親がテレビを見たからのちの不吉なクライマックスが起ったのだと主張しているわけではないということである。またそれは映画作家の理性によって統御、組織化された予示と現示とは大きく異なっている。それはすでに述べたように無意味で凡庸なステレオタイプの映像の一部――50年代イメージのクリップ集の一部――としてわれわれに提示されるのである。

4.アトラクションとしての男性身体

 さらにこのオープニングにおいてリンチは、ヒッチコックとは別に、もう一人の映画史における偉大なる巨人に言及する。それがリュミエールである。ヒッチコックが古典的ハリウッド映画の父であるならば、いわば映画そのものの父であるリュミエールに言及することでこのオープニングは映画史をめぐる寓話となる。最初に画面上に現れる男性身体によってもそれは明白である。最初の男性身体は、消防車に乗ってそこからカメラに向かってにこやかに手を振る消防夫である。この消防夫が古典的ハリウッド映画における身体表象と異なっていることは、彼がカメラに向けて視線を投げかけていることによってすぐにわかる。ここですでに良く知られた事実を繰り返しておくと、古典的ハリウッド映画の成立、つまりスペクタクルと物語が分離し視線と対象が生まれ、それぞれが性的意味を帯びていく過程において、ショット/カウンターショットはもっとも支配的かつ重要な技法であった。[28]そのショット/カウンターショットによって獲得された画面の三次元的立体感を崩壊させないために、俳優がカメラを直接見ることは原則的に禁じられていたのである。つまりこのカメラを見つめ、スクリーンの向こう側から観客に直接接触しようとする消防夫は、古典的規則に反している存在であることがわかるだろう。またこうして画面内の人物がカメラに目を向けるという現象は、すでに多く指摘されているように、古典期以前の初期映画の大きな特徴であった。トム・ガニングはその有名な初期映画論においてこうした物語映画に先立つ映画を物語の論理的な統一性とは区別された映像快楽そのものに奉仕するもの、「映画を一連の視覚的ショックとして認識する」ものであったと定義し、それらの映画を「アトラクション(注意喚起)の映画」と呼び、その特徴をこう指摘する。

[注意喚起の映画は、物語のアクションや登場人物の心理への感情移入に巻き込まれるよりも、観客の興味を占めている映画のイメージを高度に意識的に認識することを強く求めている。観客は架空の世界やそのドラマにわれを忘れるのではなく、見るという行為および好奇心とその満足の興奮を意識したままでいる。(中略)その演技スタイルとは、俳優がカメラに向かってうなずいたり身振りを見せる(中略)というもので、あるいは見世物の説明者が観客に光景を見せるといった例である。この映画は観客に呼びかけ、観客を引き付けており、人目を引く行為を強調している。][29]

 
さらにそれだけではなく、映画史元年とされる1895年の一年前の1894年にはすでにエディスン社による消防夫の活躍を描いたキネト・スコープ作品『火事からの救出シーン』(Fire Rescue Scene、ウィリアム・ディクスン)が存在していたと映画史家ジョルジュ・サドゥールは記している。またリュミエールも翌年にはすでに≪消防夫≫シリーズと題した四本の映画を撮影し、翌1896年には『リヨンの消防隊』が撮影されていることを考えると、いかに火事やその救出、消防車の出動がアトラクション(注意喚起、呼び物、見世物)の映画としてのこの時期の映画と極めて相性がよかったかがわかるだろう。その後もこれらの映画にヒントを得て、『火事だ!』(Fire!、ジェームズ・ウィリアムソン、1901年)、『アメリカ消防夫の生活』(Life of an American Fireman、エドウィン・S・ポーター、1903年)といった火災と救出を複数ショットによって描く映画が作られたのだからその流行は一時的なものではなかったのである。[30]『リヨンの消防隊』は消防士が活躍することも無く、ただ消防車が走るところをリュミエールのもっとも有名や映画のひとつであろう『ラ・シオタ駅への列車の到着』(Arrivie d’un train a La Ciota、1895年)と同じアングル(侵入してくる方向は逆)で撮影されたものであり、『ブルー・ベルベット』の消防車のショットを想起させる、単一ショットの映画である。この作品によってわかることは、この時期の映画にとっては、消防車の走る姿さえあればそれだけで十分な呼び物となったということである。つまり消防車の走行は行列や行進などのパレードと同じだけの集客価値を持っていたのだ。[31]そうしたパレード的な祝祭性は『ブルー・ベルベット』のオープニングの消防車に如実に表現されている。このショットがスロー・モーションで表現されていることからも明らかなようにこの消防車はいささかの緊迫感も目的も持ちあわせていない(どこかへ行くことも何かをしにいく必要も無く、ただ巡回するだけだ)。こうしてこのオープニングの消防夫のショットはアングル、素材、人物どれをとってもまさに初期映画の寓意、または映画史の始まりの寓話と呼びたくなるほど、観客に呼びかける人物と消防車の組み合わせというもっともスペクタクル化された映像であると理解できるだろう。
 
話を、もう一つの男性身体である父親に移そう。この父親は映画史元年においてもっとも成功を収めた映画である同じくリュミエールの『水をかけられた撒水夫』(Arroseur et arrose、1895年)が霊感源であると考えるのが妥当であろう。[32]内容は以下のようなものだ。「少年が道を通りがかるとホースで水を撒く撒水夫を見かける。少年はホースを足で踏めば撒水夫が驚くに違いないと思いいたずらを始める。突然水が出なくなり不思議に思った撒水夫がホースをのぞいたところで少年は足を離し、撒水夫は突然出てきた水にたいそう驚く。少年の仕業だとわかった撒水夫は怒って少年を追いかける。」サドゥールはこの映画を「劇的筋立てを含んだ最初のもの」[33]であるとし、小松弘は「一八九五年のルイ・リュミエールが試みた映画のフィクション化のひとつ」[34]であると説明している。こう解釈するとこの映画がのちの物語映画の先駆のように思われてしまうかもしれない。しかし小松は後の物語映画とこの寸劇とは大きく異なると主張する。彼は寸劇が一分間という時間に従属している点および物語的な始まりと終わりが欠けていることを挙げて両者の区別をはかり、「寸劇は物語性にではなく、むしろ映画が風景や出来事を記録する性質の下に留まっており、映画のプリミティブな構造それ自体に従属している。」とまとめる。[35]
 
こうして『ブルー・ベルベット』は再び映画史開始直後のリュミエールの映画『水をかけられた撒水夫』に言及することで、父親の身体を消防夫同様スペクタクル化された映像として表現する。それはガニングが示したような物語化とはいまだかけ離れた、いかなる同一化も不可能な純粋映像快楽としてのアトラクションである。
 
初期映画におけるショットの意味形成について小松は以下のように指摘する。

[とりわけ初期の映画において現代の観客が見出すのは、曖昧なアクションの意味、シュチュエーションの不明、登場人物の同一化不可能などである。これらの観客は想像によってのみ、個々に意味化される。つまり意味は観客によって付与される。単数ショットの映画では、こうした欠性によって特徴化された意味は、観客が個々に意味を付与し得る限りにおいて多義的であり、古典的システムに従う後の時代の映画にある単一方向への物語の線分の明解さよりも意味的に錯綜しており、見る者(現代の観客)は意味付与行為によって単一ショット内の決定的な意味を明らかにしなければならない。古いフィルムを同一化することに頭を悩ませている映画史家の仕事に見られるように、現在断片としてのみ残されている多くのフィルムは、意味のこの未決状態を端的に示している。(中略)意味が付与されなければ、映像対象は、中立的な何か不明なもの、未決の状態のままであり続ける。ショットに決定的な意味が欠落し、想像的なものの場所が優勢であること、すなわちショットの欠性は、プリミティブな構造から引き継いだ映画の基本的性質のひとつであり、特に物語化の傾向を強めてはいてもショット数が少ない初期の複数ショット映画の場合にはこの性質が強く現れている。][36]

 こうした複数の意味づけを可能にする未決状態という、小松によって端的に説明された初期映画のショット観が、パロディにおける「意味の空白」と少なからず類似していることは指摘できるし、映像の外面的なリアリズムに対する驚きというよりもそれが幻想であるとわかった上でもたらされる映画という装置そのものに対する驚き、現実性の錯覚[37]を志向する傾向はのちの監督作『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive、2001年)においてもあからさまに宣言されていたことである。[38]こうした初期の映画観がリンチに少なからず影響を与えていると考えることで、われわれはひとまずここでオープニングの解釈を結論付けることができるかもしれない。まず、このオープニングは男性身体に典型的に見られるように、上で述べたような初期映画的なショット観によって成り立っている。さらに最後の昆虫がうごめく拡大鏡的なショットへとカメラが移動したように、醜悪さをも含めた、観客の見る快楽に訴える一連のスペクタクル化した映像をつなぎ合わせることにより、この映画は物語の論理的な統一性、シニフィアンとシニフィエの記号論的な二項対立を旨とする「閉じた」古典的ハリウッド映画とは距離を置いた、視覚性優位の、意味の限定されない、より「開かれた」映画へと推移している、と。[39]
 
以上の議論は一定の説得力を持ちえているように思えるし、『ブルー・ベルベット』の読解において、また古典映画との比較においても非常に有意であることは確かだ。つまり以上のような指摘を通じて、この映画が古典期の延長としてとらえられると同時に、潜伏していた初期映画的伝統を呼び起こしたものとしてとらえることができる。しかしこれでは男性身体の初期映画的な特徴を指摘することで、このオープニング、ひいては『ブルー・ベルベット』が初期映画的な世界観を身にまとった映画であり、だから古典的ハリウッド映画とは違った映画であると定義することで議論がそのまま収束してしまいかねないだろう。[40]そうした解釈のみではポスト古典的ハリウッド映画の本質を言い当てたことには到底ならないし、それは有名なクローゼットのシーンのみを取り上げて、この映画が極めて古典的な映画であると主張するのと同じくらい不十分であると筆者には思われる。
 
われわれはここで、それではなぜ視覚性優位の映像の羅列の中に母親の視線が導入されるのかという問題に立ち戻らなければならない。このショットは初期映画的観点から見ても古典的規則から見ても異質である。彼女はソファに腰掛けコーヒーを口に運ぶ以外ほとんど動かず、カメラに手を振るわけでもなければパントマイムのように激しく身体を痙攣させもしない。彼女はスペクタクル化されてもいなければ性愛的対象でもない、つまりどちらにも分類不可能なただの凡庸な姿態である。それを究極的な女性蔑視であると片付けるのは易しい。しかし、繰り返すが、彼女には「視線」があるのだ。このオープニングにおいてこの母親のイメージが少なからず『ブルー・ベルベット』にとって重要であるとすれば、それは凡庸でありながら、同時に彼女が物語アクションを生み出す視線を伴った主体であるというその両義性にあると言える。そしてその身体の両義性は『ブルー・ベルベット』の身体表象の特徴を決定づける要素でもある。そうした両義的な身体性をオープニングにおいて――非常にわかりにくい形で――すでに発揮しているという点において、この母親のイメージは注目に値するのである。
 
それでは、この不安定で両義的な存在をわれわれはどのように考えればよいのだろうか。この『ブルー・ベルベット』が初期映画でもなく、古典映画でもない「ポスト古典的ハリウッド映画」であるとわれわれが考えるのであれば、なぜ父親は水を撒いているときに、そして母親がテレビを見ているときに発作によって倒れなければならなかったのかと問うことからはじめようと思う。なぜ彼は消防夫のように地上の楽園たるスモールタウンで幸福な生活を送りつづけることを許されず、『ブルー・ベルベット』は突然、暴力的にそのオープニングに終止符を打たなければならなかったのであろうか。

5.父の崩墜または古典期の終わり

 父親の卒中により息子がスモールタウンへと帰ってくるというプロット上の共通点を挙げて『ブルー・ベルベット』はフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』(It’s a Wonderful Life、1946年)を模倣したのだと指摘することはあまりにも易しい。それよりも重要なのは、すでに述べたようにプロットの類似も含めて古典的な装いをしたこの映画の中に極めて初期映画的な身体が投入されたときに何が起るかということである。
 
このオープニングにおいて男性登場人物は純粋快楽映像としてスペクタクル化され、もはや古典的ハリウッド映画における視線の担い手ではない。この物語を進行させるために必要とされるのは、先述したように、父親ではなく母親である。したがって父親の発作が母親の視線が導入された直後に起ったのは必然であるように思える。物語アクションの創造主を取り違えた、つまり古典的な規則にのっとって家庭のヒーローたる父親を中心に物語が進むであろうことを無意識に期待する観客はすぐさまその期待を裏切られ、突如身体をねじらせて発作を起こしてしまう父親を目撃することになる。父親の痙攣がおぞましくもあり、それが同時にコミカルであるように見えるとすればそれは父親のパントマイムのような身体の動きが物語とその因果関係とは隔絶されたスペクタクルであるからに他ならない。父親の発作を引き起こすのは、ジェイムソンの言う「ダーウィン的な全自然の凶暴性という、よりサイエンス・フィクション的な地平内」における凶暴性を帯びた「神の行為」[41]である。つまり男性が物語映画における神として持ちえていた全能感の喪失、言い換えれば男性主体が失った「見る」という行為が持つ権力の失効とその暴力性の跳ね返りであるのだと考えられる。
 
またこのオープニングには寓話のレヴェルにおいて、ジェイムソンが言うポストモダン社会における歴史性の消滅を見ることもできるだろう。それは同年に製作された『サムシング・ワイルド』(Something Wild、ジョナサン・デミ)とともに「二重の徴候」、「非歴史性」と彼が指摘するものによって以下のように説明される。

[こうして、これらの映画は二重の徴候――集合的無意識が、自らが属す現在がどう
いうものであるのかを確かめようと試みる過程にあるところを示すと同時に、その試みがうまくいかないところ――その試みは、過去の様々なステレオタイプの再結合へと自らを縮小されるように見える――ところを示す――として読むことができる。(中略)マルクスが口にしていた、あの力を与えてくれる仮装パーティー的自己欺瞞――過去の偉大な時の衣服を身にまとうこと――でさえも、歴史が非歴史的である時期にあってはもはや使えないのである。世代の組み合わせコンビナトワールは、深刻な歴史性を目の前にした瞬間に役に立たなくなってしまい、その場所にそれとは大分異なった「ポストモダニズム」という自己認識が入ってしまった。][42]

6.まとめ

 オープニングにおける男女の身体表象について、女性が視線の統率者として、男性が同一化不可能な見世物としての映像として、それぞれが初期映画的特質、古典的規則のどちらにもそぐわない形に差異化され、その不適合性が突発的な暴力へとつながっていったのではないか、ということを確認した。父親の崩墜は、映画史という俎上における歴史化の失敗の寓話、つまり初期映画的な男性身体が古典的規則との間にきたす齟齬、拒否反応の結果とは考えられないか。マルヴィの言葉を借りて言い換えれば、この父親の発作は初期映画的な男性身体を古典的物語様式に移植した結果であり、「男性の身体像は性的対象化の及ぼす負担に堪えきれない」[43]ために引き起こされた合併症でもあるのだ。『ブルー・ベルベット』はこの父親の身体像によって映画史元年から古典的ハリウッド映画へと縦断し、さらにはその身体にねじれを加えて崩壊させることで、まさにその身体同様、危機の時代の芸術すなわちポスト古典期としての現在、映画史におけるマニエリスム期を宣言する。(父親の身体の「ねじれ」――およびそれに付随するホースの「ねじれ」――はまさにミケランジェロがルネサンス古典主義の理想的完成とされる均衡と調和と統一のダヴィデ像から不自然なほどの歪曲やかがみを伴った身体像の制作へと移行していく歴史的過程を見ているかのようである。[44])男性が視線の統率者たる主体となることもなく、初期映画の身体を肉体化しようと試みながらも、その身体がもろくも崩れさったように、この男性身体は、もはやいかなる時代の仮面もまとうことができないのである。[45]

 そしてその肉体化の失敗とは、初期映画回帰でもなく古典期の延長でもない、そのどちらにも属しようと試みながらも属し得ない――リュミエールもヒッチコックも同一平面上に並置される――新たな映画史観の誕生でもある。愛の象徴たる鳥が羽ばたく青空から生垣で囲まれた庭と泉(撒水)によってできた愛の庭たる永遠のユートピアへと至る垂直的で安定したティルト・ショットによってそのヒエラルキー構造をなぞっていたカメラが、その終わりには芝の上に倒れた父親から無数の強欲な昆虫が混沌と重なりあうアナーキーなショットへと水平的に移動していってみせたように、映画史は普遍的規則を提供してくれた“父親”たる古典期の終焉を迎えたのだということをリンチはここで暗示しているのだといえるだろう。


(本稿は京都大学大学院人間・環境学研究科に提出された2005年度修士論文の一部を改訂したものである。)

[1] ジャン・ボードリヤール(田中正人訳)『アメリカ』(法政大学出版局、1988年)、50頁。
[2] Thomas Schatz, “The New Hollywood” in Jim Collins, Hilary Radner, Ava Pleacher Cllins ed., Film Theory Goes to the Movies (Routledge, 1993), pp. 8-36.なおハイコンセプトについてはJustin Wyatt, High Concept: Movies and Marketing in Hollywood (University of Texas Press, 1994)を参照。
[3] そうした議論にもっとも影響力のあったものとして蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』(筑摩書房、1993年)をあげることができるだろう。
[4] その他にも初期のスティーブン・スピルバーグ、ジョン・ウォーターズ、ウッディ・アレン等をあげることができるだろう。筆者はリンチの他にヴァーホーヴェン、ウォーターズの作品についても論じたが本稿では割愛せざるを得なかった。
[5] ラファエル前派とは、ラファエルによって完成されたアカデミックな規範が19世紀ヴィクトリア朝において形骸化していることへの反発として登場した芸術家集団である。美術学校で過去の名作をひたすら模写することに辟易していたミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ガブリエル・ロセッティらを中心とする芸術家たちは、1848年ロンドンにおいて「ラファエル前派兄弟団」を結し、形骸化した規範を排しラファエル以前の芸術家たちが持っていた自然に対する素直なまなざしを厳格な決まりを自らに課すことで取り戻そうと主張した。チャールズ・ディケンズがラファエル前派の台頭に対して1851年にタイムズ紙に投稿した厳しい批判が彼らの特徴を、皮肉にも、正確にとらえている。「彼らの信念は、遠近法と光と影の法則の完全無視、様式美への反発、主題の不細工な特徴や、些細な歪みまで含めた醜悪さへの異常なまでのこだわりである。」ローランス・デ・カール、村上尚子訳『ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち』(創元社、2001年)、103頁。初期のラファエル前派の特徴は徹底した細部にこだわるリアリズムと合理的秩序のもとになりたつ遠近法を排除した平面的な画法、サー・ウォルター・スコットに代表される歴史小説の流行を社会的バックグラウンドにした中世ゴシック様式への懐古、聖書や文学的主題、当時問題となっていた売春などの社会問題への関心などがあげられる。
[6] スラヴォイ・ジジェク、松浦俊輔他訳『快楽の転移』(青土社、1996年)、185-188頁。
[7] 若桑みどり『マニエリスム芸術論』(筑摩書房、1994年)、20頁。
[8] 若桑、27頁。
[9] 加藤幹郎『ヒッチコック「裏窓」ミステリの映画学』(みすず書房、2005年)100~102頁。加藤はハリウッド映画史における古典期からポスト古典期への移行を、映画における外見と内実の合致から乖離へと移行する運動として提示し、それはとりわけ1954年のヒッチコック作品『裏窓』によって既に準備され、1960年の『サイコ』Psychoによって決定的となることで現代期(ポスト古典期)が始動したと主張する。加藤の映画史分類に特徴的なのは、1954年頃から59年頃をポスト古典期への過渡期と設定することで、ヒッチコックを古典期とポスト古典期の両方にまたがる巨人として描き出す点にある。さらに加藤は、『サイコ』以降を古典期とポスト古典期の「並行期」と設定することで暴力的な史的分断を回避し、より漸進的な映画史を記述する。この議論を踏まえると、ヒッチコックの遺作となった『ヒッチコックのファミリー・プロット』Family Plotが作られた1976年に『イレイザーヘッド』Eraserheadでデビューするリンチには「古典期以降の」かつ「ポスト古典作家としてのヒッチコック以降の」映画とは何かという二重の巨大な重圧、命題がのしかかることとなる。こうした大きな力が、ヒッチコック以降、映画におけるパロディの表面化を引き起こす要因となったと考えることができるのではないだろうか。そして60年以降の映画史を、後期ヒッチコック活動時期からその後のリンチ、そして21世紀のタランティーノへと系譜をたどることでポスト古典的ハリウッド映画の視覚性の表面化を段階的に確認できるのではないだろうか。
[10] 蓮實重彦『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』(筑摩書房、1993年)、181頁。
[11] デイヴィッド・ボードウェル、小町眞之訳『映画の様式』(鼎書房、2003年)、10〜11頁。
[12] フレドリック・ジェイムソン「ポストモダニズムと消費社会」ハル・フォスター編、室井尚他訳『反美学』(勁草書房、1987年)、208頁。
[13] Robin Wood, Hitchcock’s Films Revisited Revised edition (Columbia UP, 1989), pp. 42-49.
[14]またマニエリスムの製作態度とは、古典が生み出したたったひとつの自然化された表象方法に対して、無限の不自然な方法を提示することにもある。例えば『ブルー・ベルベット』における死体の表象をみればそのことがよくわかるだろう。もちろん例外などいくらでも挙げることができるであろうが、古典における「自然化された」死体とは、横たわり、障害物がない限り地面に対して水平にその身体を配置されるものである。死んだ人間の肉体は重力に逆らう筋力を失うのだから、それはリアリズム的観点から考えても妥当な方法であった。また撮影するうえで本物の死体を用いるわけにはいかず、映画における死体とは生きた俳優が演じなければならないのだから、死体の表象は必然的に生きた人間の表象との明確な区別を必要とする。その意味において、死体が水平に横たわること(より初歩的なものでいえば目を閉じること、微動だにしないことを付け加えることができる)は、垂直に立つ生きた人間との判別を可能にする方法であるといえるだろう。(恐怖映画などにおいて誰かが死んでいると思って近づくと実は生きていた、という観客を驚かせる手法はこの死者と生者の表象方法の差異を利用したものといえる。)『ブルー・ベルベット』はそうした自然化された方法に対して不自然な死体を提示する。映画終盤においてジェフリーが発見する死体のひとつは立ち上がり、もうひとつの死体は椅子に腰掛け、腕を天井方向に折り曲げていることがわかる。つまりこの映画における死体は重力に逆らい――古典における死体がその肉体をもって画面に水平のラインを作るのに対し――、画面に垂直のラインを形成するのである。さらに、この二つの死体はともに目を開き、画面左の死体にいたってはゆらゆらと身体を前後にゆさぶり、指や口元はかすかにではあるが動いているように見える。(あげくの果てにこの死体は突如腕を跳ね上げて観客を驚かせることになる。これは死者と生者の差異の逆利用であるといえる。)それゆえ、これらの死体は一見生きているように見えるのである。『ブルー・ベルベット』における驚きとは死んでいると思った者が生きている驚きではなく、生きていると思った者が死んでいるという驚きである。こうして『ブルー・ベルベット』は古典における死体の表象方法(死体は横たわる、目を閉じる、動かないなど)に徹底的に背を向けることで死者と生者との境界線すら曖昧にしてみせる。ポスト古典期のサスペンス映画『シックス・センス』The Sixth Sense(M・ナイト・シャマラン、1999年)では境界が完全に消滅している。『ブルー・ベルベット』が観客に与える驚きについては加藤幹郎『映画のメロドラマ的想像力』(フィルムアート社、1988年)に詳しい。
[15] 若桑、28頁。
[16] ジェイムソン、208頁。
[17] 若桑、21頁。
[18] リンダ・ハッチオン、辻麻子訳『パロディの理論』(未来社、1993年)、81-82頁。
[19] リンダ・ハッチオン、川口喬一訳『ポストモダニズムの政治学』(法政大学出版局、1991年)、159頁。
[20] Wood, pp.42‐49.
[21] ショット/カウンターショットはショット・切り返しショットとも呼ばれる二者の会話を交互に撮影する標準的な技法。一方の当事者の視点からのショット、あるいはその俳優/女優の肩越しのショットが、もう一方の当事者の同様のショットによりインター・カットされる。広義には切り返しと同一視されるが、ここでは一方の当事者の視点からのショットとその当事者が見たもののショットによるインター・カットと限定的に定義して使用する。
[22] ローラ・マルヴィ、斎藤綾子訳「視覚的快楽と物語映画」、斉藤綾子他編『「新」映画理論集成 第一巻』(フィルム・アート社、1998年)、126頁。
[23] マルヴィ、134頁。
[24] Wood, p. 44.
[25] マーサ・P・ノチムソンが初期映画的な消防夫や父親のイメージのスペクタクル性を指摘しながらも、このオープニングのパロディ、パスティーシュ的な性格を否定しているのは不思議である。彼女はこのオープニングは「むしろこれらは一般的な社会生活形態が社会的に構築されていることを強調する表現である。面白いことにわれわれはこれらの形態がまるでリアルなものだと信じているのである。それはまるで、バフチンの言葉を借りれば、『フットライトやパフォーマーと観客との間の区別のない仮装行列』のようなものである。こうした矛盾の可視性は平板で浅い文化形態よりも現実へのより強い欲望を生むのだ。」と主張する。なるほどその通りである。しかしながらノチムソンが決定的に見逃しているのは「平板で浅い文化形態矛盾」の暴露とその「矛盾の可視性」はすでに40年も前にヒッチコックが『疑惑の影』で明らかにしていたということである。筆者はパロディによって彼女が指摘するような内容そのものではなく、映画というメディアそのものへと視線を向けさせることで、その制度としての映画の持つ矛盾を可視化させるのがリンチの手法であると考える。その有効な手段がパロディなのであり、そうした性格があることは否定できないだろう。Martha P. Nochimson, The passion of David Lynch: Wild at Heart in Hollywood ( University of Texas Press ), p. 105.
[26] このことについては小松弘が欠性の補充という観点から上手く説明しているが次節に譲りたい。
[27] また同様に、家の遠景ショットと庭でそれに続く水を撒く父親のフル・ショットが挙げられるかもしれない。この二つのショットは連続性を持ってはいるが、非人称的なカメラの視点であり決して性的な意味を帯びることの無いショットである。
[28] 「二者の会話を交互に撮影する標準的な技法。一方の当事者からのショット、あるいはその俳優/女優の肩越しのショットが、もう一方の当事者の同様のショットによりインター・カットされる。(中略)二人の両方、あるいは一方と、観客との同一化を強化するために用いられる。」スティーブ・ジェラード、バリー・キース・グランド、ジム・ヒリヤー、杉野健太郎他監訳『フィルム・スタディーズ事典』(フィルムアート社、2004年)、171頁。よって先述したショット/カウンターショットも広義には切り返しの一種であると考えられる。なお古典的ハリウッド映画における切り返し編集の重要性については加藤幹郎『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』(筑摩書房、2005年)、7-9頁に詳しい。
[29] トム・ガニング、濱口幸一訳「驚きの美学 初期映画と軽々と信じ込む(ことのない)観客」斉藤綾子他編『「新」映画理論集成 第一巻』(フィルム・アート社、1998年)、108頁。
[30] ジョルジュ・サドゥール、村山匡一郎他訳『世界映画全史2 映画の発明――初期の見世物1895−1897』(国書刊行会、1993年)を参照。
[31] 『火事だ!』と『アメリカ消防夫の生活』にもそれぞれ消防車の出動と走行を示すショットが含まれ、『アメリカ消防夫の生活』においては走行を示すショットが複数化することで救出場所までの距離感、サスペンスの増幅が見られるようになっている。こうした変化については小松弘『起源の映画』(青土社、1991年)、118頁を参照。
[32] この『水をかけられた撒水夫』には複数のヴァージョンがあり、筆者が見たのは二つのヴァージョンである。ヴァージョン間の差異として画面の奥行きが挙げられるがここでは問わずにおく。
[33] サドゥール、108頁。
[34] 小松、85頁。
[35] 小松、193頁。また小松は映画の物語性の始まりをタブローの形式の展開にあると定義している。
[36] 小松、104-109頁。
[37] 小林秀雄はディズニーの映画論において、映画におけるリアリズムの議論を展開する。彼は、モーパッサンを援用しながら、真のリアリズムとは作家の想像力によって得られる真実であるとし、それをイリュージョンと呼ぶ。イリュージョンとは「万人に共通な真実とは逆の道」を「歩いて得た真実」であり、それは「嘘だからイリュージョンなのではない。合理的な構造を持った真実とは別種の真実」であると彼は述べる。小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』(新潮社、1962年)、325-326頁。リンチを例えばそれ以前のニュー・シネマのリアリズムと区別する用語があるとすれば、この小林の言うイリュージョニズムであろう。ハリウッド映画のリアリティと小林の議論については岡崎乾二郎が以下でコンパクトな解説を行っている。岡崎乾二郎「ドアはいつも開いている。」『現代思想 総特集ハリウッド映画』(青土社、2003年)、25-39頁。
[38] この映画において、主人公の女性二人が入っていった劇場内で司会の男は次のように言う。「バンドはいません。けれども演奏は聞こえます・・・・・・それはすべて録音されたものです。すべては幻想(イリュージョン)です」と。そうして宣言されたにもかかわらず、ステージで歌っている[ように見える、しかもスペイン語で]女性歌手の歌を聴いて二人は感動し、涙を流すのである。主人公の二人が感動しているのはステージ上の歌手が「本当に」歌っているからでも、歌詞が「本当に」感動的だと理解されたからでもない。彼女たちがリアルだと感じたものはこのような合理的な真実からはかけ離れた真実、想像力が喚起するリアリティ――すなわちイリュージョン――である。こうしてこのシーンではステージの女性歌手と観客席の主人公たちとの間でショット/カウンターショットが展開されながらもショットの欠性は補充されず、合理的、統一的な意味形成に失敗してみせる。
[39] 実際、アトラクションの映画として人気を博したジャンルは「チーズのダニ、蜘蛛、ミジンコの拡大像を見せていた」とガニングが指摘している。ガニング、前掲書、111頁。
[40] 初期映画の諸特徴がポスト古典期に再登場したとする議論としてはAnne Friedberg, Window Shopping: Cinema and the Postmodern (University of California Press, 1993)を参照。
[41] Jameson, p. 294.
[42] Jameson, p. 296.
[43] マルヴィ、132頁。
[44] ミケランジェロの身体像については若桑、196頁を参照。
[45] しばしばポストモダニズムの特徴として挙げられる歴史意識の欠如は『ブルー・ベルベット』と『疑惑の影』の差異からも説明される。つまり、『疑惑の影』に存在して『ブルー・ベルベット』に存在しないものは何か。それは『疑惑の影』における姪のチャーリーの妹と弟である。それに対して『ブルー・ベルベット』のジェフリーは一人っ子である。この差異は何を意味するのか。二人の妹と弟はそれぞれ読書による知識の獲得と数字への異常なこだわりを見せる人物として登場しているが、妹が熱心に読んでいるのが19世紀に流行したサー・ウォルター・スコットの中世歴史小説『アイヴァンホー』であり、弟の興味が「薬屋から家まで何歩かかるか」といったことや、自分の祖父の写真を見て「1888年だって。53年も昔だね」というセリフに見られるように数字、より厳密に言うと距離化(distancization)にあるということは重要である。ジェイムソンも19世紀の歴史意識の一例としてスコットの歴史小説を挙げているが、過去を現在との関係から距離化できず50年代のステレオタイプなイメージとの無邪気な戯れを行う『ブルー・ベルベット』の歴史意識の欠如が、主人公が一人っ子であるということ、妹弟の不在からも説明されるのではないだろうか。