映画学と映画批評、その歴史的展望 ――加藤幹郎インタヴュー |
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(聞き手)大迫優一 |
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ミュートとしてのメロドラマ
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----映画雑誌『イメージフォーラム』に加藤さんのダゲレオ出版評論賞受賞作が掲載されてから去年(2006年)でちょうど25年が経ちました。そして今年(2007年)は、加藤さんが50歳をむかえられる年です。この節目に過去四半世紀をふりかえって、映画批評と映画学にいったい何が起きたのかお聞きしたいと思います。 |
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マイナー映画作家とは何か | ||
----さきほどメロドラマとは、ふだんまともに相手にされない弱者の吐く弱音に耳を傾けることだというお話がありましたが、加藤さんのお仕事のなかには直接メロドラマに言及しない著書のなかにも、広義のマイノリティ問題が取り上げられることが多いと思います。吉田秀和賞を受賞された『映画とは何か』(2001年)における黒人劇場専門映画作家としてのオスカー・ミショー論やインディアン(ネイティヴ・アメリカン)映画の作り手としてのD・W・グリフィス論や亡命映画作家としてのフリッツ・ラング論などがそうですし、なかにはマイナー映画作家としてのヒッチコックという評言すらあったと思います。それにしてもヒッチコックほどの巨匠がはたしてどのようにマイナー映画作家となるのでしょうか。 |
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映画批評と映画学の融合 | ||
----さきほど加藤さんは、映画批評家は作品から出発するが、映画学者といえども、もろもろの議論と検証ののちには作品にもどってゆかねばならないと言われました。この問題は『映画 視線のポリティクス』(1996年)で顔を覗かせたのち、本格的に主題化されるのは御著書『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』(2004年)においてだと思いますが、そのへんについては御自身どのようにお考えでしょうか。 |
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映画を「見ること」と「読むこと」 | ||
----御著書を読ませていただいての率直な感想は、まさに目から鱗が落ちる思いと言うか、非常な爽快感に襲われました。一種、酩酊感と言ってもいいと思います。それまで『ブレードランナー』についてもやもやしていたものが、すっかり見通しが開けたという感じでした。もちろん作品論としてだけではなく、ハリウッド映画史論としても学ぶところ大でした。映画というものの魅力をあますところなく堪能することができました。映画の美とシステムについての、これは大変にダイナミックな本だということになります。 |
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日本映画学会と日本映像学会 | ||
----日本映画学会や日本映像学会の活動については、いかがですか。 |
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京都映画祭 | ||
----いやはや、たいへんなことです。弱者の声を代弁して権威主義者に異議申し立てをするというのは、いかにも加藤さんらしいことだと思います。ところで京都映画祭についてはいかがですか。 |
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新作映画あるいはRoger Rabbit Redux | ||
----最近、御覧になった映画でおもしろいものはありましたか。 ともかく誰から頼まれたわけでもないのに、映画批評から映画学へ(またその逆)の橋渡しをしてきたことが、わたしの過去四半世紀の仕事だったと言えば仕事と言えるわけで、それは厄介なことではありましたが、いわば恩寵のごとき時間だったわけです。そして一世紀の半分を生き終えて、いまはリダックスした気持ちです。トリプルR(Roger Rabbit Redux 帰ってきたロジャー・ラビット)と言いたい気分ですね。 |
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なぜ映画について書くのか | ||
----加藤さんの最初の映像の記憶は何でしょうか。 |
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2007年4月5日 京都大学大学院加藤幹郎研究室にて |
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加藤幹郎の著訳書 |
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