書評
お預かりできません、見知らぬお人のものは
吉田喜重著/蓮實重彦編『吉田喜重 変貌の倫理』(青土社、2007年)

加藤幹郎

 映画作家が文章をものするとき、ふたつの範例があるように思われる。ひとつは映画作家が映画批評家となる場合である。それは同業者の作品を批評することによって映画史を刷新する作品を寿ぎ、慣習的な映画の見方を変革する文章である。ゴダールや松本俊夫や青山真治がそうである。ふたつめは映画作家が自省家となる場合である。それは同業者の作品を批評するよりも、むしろみずからの来し方を反芻し、自己に沈潜することによって他者に向かおうとする文章である。吉田喜重がそうである。もっとも、ふたつの範例はヴェクトルが違うだけで、その強度と効果は同一のものであろう。
 吉田喜重が自省家となるとき、七〇年代に革新的な映画作品を陸続と発表し、今日にいたるまで、その作品の強度が衰えを知らないこの映画作家の、その創造の秘密を垣間見る思いがする。
 たとえば「お預かりできません、見知らぬお人のものは」という比較的短い文章が本書に収められている。終戦も近いある夏の夜、吉田少年は父親に呼び起こされ、B29の編隊が接近中だと告げられる。吉田少年は福井市内の生家に父親を残し、深更、自転車で母親の疎開先に向かう。しかし「かすかな爆音とともに、不意に前方の空に紫色の閃光が走り、照明弾が炸裂」し、吉田少年は「目もくらむ明るさにつつまれ」、その場で「自転車から飛びおり」てしまう。ふと気づくとそこに「白い着物をきた女の人がたたずんでおり、あたかも夜空に花火でも見上げるように、さらに落下してくる照明弾を眺めて」いる。吉田少年は自分でも訳がわからぬまま、白い着物姿の女性に「自転車を預かってください」とお願いする。すると女性は落ち着きはらった声で「お預かりできません、見知らぬお人のものは」と答える。それで自転車をその場に捨てるようにして、少年は生家の方に取って返す。はたせるかな生家周辺は焼夷弾の海である。猛火に追われながら、少年が無事逃げおおせたのは、「見知らぬ女性の、あくまで他人を他人として扱おうとする、そのものの言いようが、私自身をわれに返らせた」からであろうと吉田喜重は述懐する。
 この奇妙な逸話はまるで映画のように記述されている。映像的、音響的要素が濃厚で、わたしたちは映画を見るように、この文章を読むことができる。そして少年が女性とかわした会話は不思議な現実感をあたえる。あたりに照明弾が降りそそぐなかで「自転車を預かってください」と懇願する少年は、気が動転している一方で、冷静に事態に対処しているようにも見えるし、それに対して「自転車を預かろうとしない」女性は、その冷静な判断ともの言いが逆に、その場の状況にひどくふさわしくないような気がする。しかし、この場違いの印象の突出こそ、このような非常事態下では、もっともありそうなことのようにも思われる。少年時代の記憶を紡ぎ出そうとする事後的行為においては、なおさらそうであろう。
 ここに二〇本ほどの長篇物語映画と一〇〇本ほどの短篇ドキュメンタリー映画を撮ってきた吉田喜重の創造の秘密の一端が明かされているように思える。彼の映画のなかでは物語=虚構とドキュメンタリー=現実的なものとの区分は重要ではない、と言うよりも、むしろ両者の区分は本質的に不可能である。吉田喜重の最良の映画のなかでは「現実らしさ」はあえて回避されるが、同時に「嘘のような話」のなかに現実的なものが顔を覗かせるのもまた拒まれない。人間が、あらかじめそのなかに囲繞されている「現実」について、なにかしら証言しようとすれば、それはいきおいドキュメンタリーであると同時に物語であるほかはない。そのような基本的了解のもとに、戦後日本を代表する映画作家、吉田喜重の仕事がある。

(本稿は『週刊読書人』2007年3月2日号に掲載された拙文の改訂版である。)