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加藤泰研究序説 ――奥行きを利用した映画の演出について |
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北浦寛之 |
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0.はじめに
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加藤泰はいくつかの特徴的なキャメラのスタイルを活用し映画を撮った、映画史的に見ても稀有な映画作家といえる。彼のキャメラは、低く(ローアングル)、動かず(フィックス)、途切れない(長廻し)。1941年の記録映画『潜水艦』から81年の『ざ・鬼太鼓座』までの46作品で[1]、加藤泰は自身のキャメラのスタイルを駆使した妥協を許さない映画製作を実践していった。ただ、彼の徹底した映画作りが製作の予算と時間の超過を招き[2]、そのうえ興行的にもいまひとつだったので、彼と会社との関係は必ずしも良好というわけではなかった。しかしそうした商業的な枠を越え映画の美学的見地から述べるなら、彼の映画は同時代の大きな変化に動じない独自のスタイルによって貫かれ、われわれに映画的想像力の豊穣さを見せてくれる。本稿ではその大きな変化によって生じた困難と加藤泰はどう対峙し、どのように卓越した演出を実践していったのかということを論じていく。 |
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1.ワイドスクリーン時代の奥行き | ||
1‐1.困難なパン・フォーカス | ||
周知のとおりオーソン・ウェルズ、グレッグ・トーランドのコンビが1941年の『市民ケーン』で見せた革新的な技術パン・フォーカスは[13]、前景から後景まですべての面で鮮明な映像を浮かべるもので、多くの映画製作者に衝撃を与えた。『市民ケーン』におけるパン・フォーカスの場面は長廻し、フィックスで撮影されていたが、ウィリアム・ワイラーは奥行きのある演出を編集のなかで[14]、オットー・プレミンジャーはキャメラの運動とともに[15]、自らの作家性に変えて実践していった。 |
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1‐2.横幅を生かした演出 | ||
もしスコープ映画で鮮明な映像によって奥行きの深い演出を試みる監督がいたならば、その監督は大抵の場合前景をミディアム・ショット以上に大きくとらえることはしなかった。前景がキャメラから離れるほど、潜在的な奥行きが増すと言われている[22]。ただ、そうした技術的な制約に縛られないで奥行きを表現し、縦の構図による演出を多くの監督たちは実践していく。その代表的な手法が横の空間を利用した演出である。映画はワイドスクリーンになって、横は拡大したが縦は減少した。しかし、その横は縦を新たに生成する。 |
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1‐3.踏襲的な演出 | ||
スクリーンがワイドになって頻繁に目撃されるようになったクロースアップ。それが「縦の構図」において利用されてきたのは前述したとおりだ。その一方で、スタンダード時代から実践されてきた奥行きを利用した演出もワイドスクリーンのなかで継承されていく。『花と龍』で山下耕作が見せた、人物の配列による奥行きの創造も継承された演出の一つであり、なかでも、前景の人物が後景の人物を覆い隠してしまう手法は、そこに何らかのサスペンスや緊張を喚起し、ワイドスクリーンになっても多くの監督が好んで使った。 |
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2.加藤泰の縦の構図 | ||
2‐1.雛壇的構図 | ||
ローアングル、フィックス、長廻しの監督でもある加藤泰。そのなかでも、鈴木則文が言うように加藤演出の基調と位置付けることができる「縦の構図」とはいかなるものなのか。彼のスコープ作品を見る前に、加藤泰が満州で四本の記録映画を撮ったあと、実質的な監督デビューを果たした1951年の『剣難女難・女心流転の巻』という時代劇映画を見てみよう。まだスタンダード映画である本作品では先にあげたローアングルやフィックスといったスタイルは顕著に見られないものの、縦の構図は物語の重要な場面で効果的に機能している。 |
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2‐2.男に背を向ける女たち | ||
ひとまず話を『剣難女難』に戻して、雛壇的構図が活用されていた場面について付言すると、あの場面で更に注目すべきことは、土手の上と下にそれぞれ別れている主人公新九郎とヒロイン千浪が各自、横移動を繰り返し、決して交わろうとしないということである。それはタイトルの「女難」が意味する通り、新九郎は女に振り回され、二人の想いがなかなか交わらないことを示唆している。加藤泰は言う。「二人の人間、それは男と女です。僕は、自分はどんな映画が作れるのか、いや作ろうとするのかを、語り、僕のテーマは何かを考え初めた時から、どんな大チャンバラ映画、大活劇映画、大ヤクザ映画の仕事にぶつかっても、そこに、僕の二人の人間を見つけ出し、その二人を見つづける作業に執着して来たと言へる様です[38]」。そう、加藤泰はデビュー作において、自身の想いを土手の上部と下部に分割された縦の構図のなかで具現していた。そして加藤泰の主題「男と女」は加藤泰がスコープ映画で撮るようになってから、縦の構図のなかでより印象的に表象される。その代表的な例が、「男に背を向ける女」である。 |
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2‐3.襖の向こうの掟 | ||
縦の構図と男女の関係は、男に背を向ける女という文脈のなかだけで語り尽くせるわけではない。 |
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2‐4.前景と後景の齟齬 | ||
男に背を向ける女に見られる「男の視線」や、忠太郎とおはまの再会に見られる「使用人の視線」など、加藤泰は縦の構図のなかで、登場人物の視線を利用して劇的な演出を行ってきた。こうした縦の構図における登場人物の視線は男と女の文脈から離れても物語上重要な役割を果たす。 |
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3.まとめ | ||
パン・フォーカスが困難になったスコープ映画で、多くの監督は焦点の問題に関係なく、奥行きを利用した演出を実践していった。代表的な演出のなかでまずあげられるのが、スコープ映画になって新規に見られるようになった「大きな前景」である。その大きな前景は後景との遠近感を出すのに有効であり、同時に人物の表情によってその人物の心理を表現するのにも適していた。また、スタンダード時代に用いられてきた「人や物の重なり」や「フレーム内フレーム」といった演出もスコープ映画で観客に奥行きを想像させるのに欠かせない演出だった。人、物の重なりはサスペンスや緊張を観客に喚起させ、フレーム内フレームはそのなかにおさまった何かに観客の視線を導く役割も担っていた。つまり、以上の三つの演出(大きな前景、人や物の重なり、フレーム内フレーム)は、ただ単に奥行きを創造するだけでなく、物語を効果的に語るのにも機能していたのである。 |
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註 | ||
[1]46作品という数値は『剣難女難』二部作を『剣難女難・女心流転の巻』と『剣難女難・剣光流星の巻』を別けて数えたものである。また加藤泰の遺作について、『ざ・鬼太鼓座』は『炎のごとく』の前にクランクインし、クランクアップされたが、完成したのは『炎のごとく』の後になるので、『ざ・鬼太鼓座』を遺作とする。 |