Mr. Kunio Kato in the Land of Bolsheviks

――加藤久仁生アニメーション映画監督、ロシアを初訪問

 アナスタシア・フィオードロワ

 冷戦時代のソ連は「アメリカを追い抜き追い越す」ことを国民のスローガンとしていたが、ソ連が崩壊して20年近く経った今も、そのスローガンはロシアに生き続けている。2009年6月、私はアニメーション映画作家、加藤久仁生監督のロシア訪問に通訳として同行したのだが、その際ロシアの映画人やメディアは、加藤監督の第1作『つみきのいえ』(2008)に先に映画賞を与えたのがアメリカではなくロシアだったことをしきりに強調していたのである。もっともロシアが先だったと言っても、その差は大したものではない。『つみきのいえ』がアカデミー賞を受賞したのは2009年の2月で、それがロシア、サンクト・ペテルブルグの“Message to Man”国際ドキュメンタリー・短編・アニメーション映画祭で表彰されたのは2008年の6月であった。
 今回、加藤監督がロシアを訪問することになったのは、去年『つみきのいえ』が“Message to Man”の最優秀アニメーション賞を受賞したにもかかわらず、監督自身が授賞式に出席できなかったためである。ちなみに監督に渡されるはずであった表彰状や賞品を、昨年の映画祭の閉会式で監督の代わりに受け取ったのは、“Message to Man”でインターナショナル・コンペティションの審査員を務めていた私であった。映画祭の運営スタッフの中で唯一日本語が話せたというそれだけの理由でステージに立つことができ、おまけに表彰までされてしまったのだから、それは実に幸運なことであった。
 翌年アカデミー賞を受賞することになる映画監督の代わりに、ちょっとした理由で一大学生をステージに上げてしまうことからも分かるとおり、“Message to Man”国際ドキュメンタリー・短編・アニメーション映画祭は良く言えば大らかな、悪く言えば場当たり的なところの見られるイベントである。来年20周年を迎えるこの映画祭は、もともとドキュメンタリー映画のみを審査する国際映画祭として、ペレストロイカの民主的な時代思潮を受けてソ連崩壊間際の1988年に創設された。当初は、世界各地から発せられるメッセージを、ドキュメンタリー映画を通してソビエト市民に自由に伝えることを目的としていたが、1994年からはアニメーション映画や短編劇映画も映画祭の新たな審査ジャンルに付け加えられた。またインターナショナル・コンペティション以外にも、ロシア映画だけを集めた「ロシアへの窓」というコンペティションが設けられており、ロシア国内の若手映画作家にとって自らの作品を上映する貴重な機会となっている。
 映画祭が始まって以来理事長を務めているのは、70歳となった今でも現役のドキュメンタリー映画作家として活躍しているミハイル・セルゲエヴィッチ・リトヴャコフである。「映画祭を創設したときに、ロシア最大の航空会社アエロフロートを始め多くの企業を映画祭のスポンサーにすることができたのは、自分の名前と父称が、映画祭創設当時ソ連の総書記であったミハイル・セルゲエヴィッチ・ゴルバチョフと同じものだったからだ。」そうした冗談をいつも口にしているリトヴャコフ監督は、愛らしい外見と憎めない性格を兼ね備えた、“Message to Man”映画祭のシンボル的な存在である。加藤監督のサンクト・ペテルブルグ訪問を祝して日本総領事館で開かれたディナーでの席でも、リトヴャコフ監督は日本とロシアの精神性の一致を熱心に訴え、総領事館の職員達から盛大な拍手を受けていた。領事館で27年間働いてきたというロシア人スタッフが「官邸でこれほど心のこもったレセプションは初めてだ」と述べるほど、それは感動的なスピーチであった。
 さて加藤監督は、ロシアでの滞在中、日本総領事館以外にも数多くのラジオ局やテレビ局、新聞社などを訪れた。映画祭の時の記者会見でもそうだったが、いつも最初に聞かれるのはハリウッドでの体験について、それからロシアやサンクト・ペテルブルグの街の印象についてであった。一方、アニメーションや日本映画に詳しい記者からは、日本のアニメーションについての質問も投げかけられた。その中でも特に印象的だったのは、ロシアでも人気のある『新世紀エヴァンゲリオン』等のアニメ作品と加藤監督作品のジャンル上の差異、アメリカのアニメーション会社に対する日本のアニメーション会社の競争意識の有無、そしてアニメーションにおける暴力シーンの是非についての質問であった。
 また、加藤監督に影響を与えたロシアのアニメーション作家は誰かという質問に対しては、監督は一貫してユーリー・ノルシュテインの名を挙げていた。ノルシュテイン監督は『霧につつまれたハリネズミ』 Yozhik v tumane(1975)や『話の話』 Skazka skazok(1979)といった切り絵をベースとした作品で知られるロシアのアニメーション映画作家である。今回のロシア滞在中、私たちはそのノルシュテイン監督のスタジオを実際に見学する機会に恵まれた。(ノルシュテイン監督はすでに何度も日本を訪れているので、加藤監督はこれまでにも日本ではノルシュテイン監督と対面する機会があったが、とはいえモスクワ南部にあるノルシュテイン監督のスタジオを実際に見学するのは今回が初めてであった。)赤レンガの建物の1階と2階にあるそのスタジオの中に入ると、そこはとても暗く、また驚くほど狭かった。しかも、いたるところに絵のスケッチが乱雑に積まれているので、実際に歩き回ることのできる通路の幅は1メートルにも及ばない。そればかりか、そこを楽しそうに走り回っている2匹の雑種犬が、そのスタジオの雑然としたありさまを一層強調していた。
 もうすぐ70歳というノルシュテイン監督は、半ズボンに素足という若々しい姿で私たちを出迎え、映写機などスタジオにある諸機材の機能や、これからの仕事の計画について詳しく話してくれた。スタジオが散らかっているのは、今年と来年に日本で開催される展示会のために、スケッチを準備しているからだという。また1980年から製作を続けているニコライ・ゴーゴリ原作の『外套』については、まだまだ完成にはほど遠いとのことだった。充実した時間があっという間に過ぎ、スタジオを去らねばならない時間が近づくと、加藤監督はロシアで発売されたばかりのノルシュテイン監督の作品図鑑2巻を、自分と恩師のために一揃いずつ買い求めた。とても嬉しそうな表情を浮かべながら。
 ノルシュテインのスタジオを後にすると、私たちはその日に開催される予定であったモスクワ国際映画祭の開会式に参加するために、モスクワのメイン・ストリート、トヴェルスカヤ通りに向かった。モスクワ映画祭の開会式は毎年赤の広場から徒歩5分のところにあるプーシキン劇場で開かれる。1959年に創設され、すでに50年の歴史を持つモスクワ国際映画祭は、海外でもっとも注目されているロシアの映画祭だということもあって、その開催は毎年ロシアで大きな話題となる。ところで、数多く存在するロシアの映画祭の中でも、国際映画製作者連盟(FIAPF)の公認国際映画祭として登録されているのは、今回加藤監督をロシアに招待した“Message to Man”映画祭とこのモスクワ国際映画祭である。ただし、両者の雰囲気は随分と異なる。リトヴャコフ監督率いる“Message to Man”国際ドキュメンタリー・短編・アニメーション映画祭が簡素でくつろいだ雰囲気なのとは対照的に、ニキータ・ミハルコフ監督が理事長を務めるモスクワ国際映画祭は、オープニング・セレモニーもゲスト達の姿も非常に豪華で派手である。映画館の入り口にはもちろんレッドカーペットが用意されている。また会場のあるプーシキン広場周辺では、100人近くの警察官が映画スターやその他有名人の安全を守るためにパトロールを行っており、招待券を持っていない人物は当然ながら会場に立ち入ることができない。ドレス・コードのチェックも厳しく、ハンチング帽にスニーカーというカジュアルな格好で会場を訪れた加藤監督は一旦はボディー・ガードに入場を断られてしまい、何とか入場させてもらうには監督が今年のアカデミー賞受賞者であることを何度も訴えねばならなかった。
 さて贅沢なフリー・ドリンクと豪華キャスト揃いのオープニング・セレモニーを思う存分に楽しんだ私たちは、それから今年のモスクワ国際映画祭にノミネートされていた15作品の内の1つ、イワン雷帝とモスクワ大司教フィリップの関係を物語ったパーヴェル・ルンギン監督の歴史映画『ツァーリ』Tsar(2009)を鑑賞した後、北の都サンクト・ペテルブルグに戻った。ペテルブルグでは、『つみきのいえ』の特別上映会と“Message to Man”映画祭の閉会式、そしてもう1つのスタジオ見学が加藤監督を待っていた。そのスタジオとは、ミェーリニッツァ・アニメーション“Melnitsa Animation”(Melnitsaはロシア語で水車を意味する)のことであり、今年のアカデミー賞で加藤監督と同じ短編アニメーション部門にノミネートされていたロシアの『ラバトリー・ラブストーリー』Lavatory Love Story(2009)の監督、コンスタンチン・ブロンジットが所属するスタジオである。加藤監督とブロンジット監督は、今年のハリウッド滞在時に、ピクサーやディズニーなどアメリカの大手アニメーション制作会社の見学を含む2週間近くのノミネート監督専用ツアーに一緒に参加しており、また年齢も比較的近いこともあって非常に仲が良い。だからこそ、ブロンジット監督は加藤監督がロシア訪問に際して、ミェーリニッツァ・アニメーションの見学ツアーや、ペテルブルグ郊外の宮殿観光などを企画していてくれたのである。2人のアニメーション映画作家はお互いにとって母語ではない英語で会話をしていたが、時にはジェスチャーも交えた2人のたどたどしい会話は、しかし不思議と親密で内容も濃く、見ていてどことなく心打たれるものがあった。
 ロシア最大のアニメーション・スタジオだけあって、ミェーリニッツァ・アニメーションの規模の大きさは圧倒的であった。実際、4階建ての巨大な建物(そこにはかつてソ連の国営科学製作所が置かれていた)を貸切で使用している当スタジオには、実に200人を超える従業員が勤めている。また、ミェーリニッツァ・アニメーションに所属するアニメーターの制作の領域自体も、CMアニメーション、劇場用の長編アニメーション映画、テレビ用のアニメーション番組、さらには短編実験アニメーションに至るまで、驚くほど多岐に渡っている。ブロンジット監督自身、上述した全ての制作領域に関わっており、そればかりか時にはアニメーションの声優も務めるなど、多忙な日々をこのスタジオで送っているそうである。ところでミェーリニッツァ・アニメーションには、高額ゆえにロシアではまだ珍しいドルビーの録音システム機材が整備されているが、これはスタジオにとって貴重な収入源の1つとなっている。ロシア国内外のアニメーション・スタジオからサウンド収録の依頼が多数集まるからである。もちろんミェーリニッツァ・アニメーション制作のアニメーション作品自体もスタジオにとって大きな収入源である。とりわけ3人の歴史的英雄についてのロシア民話に基づくコメディ・タッチの長編アニメーション3部作『アリョーシャ・ポポーヴィッチ』Alosha Popovich(2004)、『ドブルィーニャ・ニキーティッチ』Dobrynya Nikitych(2006)、『イリヤ・ムーロメッツ』Illya Muromets(2007)はめざましい興行成績を収めた。またヴィルヘルム・ハウフの童話をベースに制作された『鼻の小人』Little Longnose(2003)はドイツで劇場公開されるなど、ロシア国外でも注目を集めた。
 メディアの取材や記者会見、スタジオ見学などに追われた一週間が経つのは早く、気付いた頃にはもう“Message to Man”映画祭の閉会式が行なわれていた。インターナショナル・コンペティションの審査員を務めていた去年とは違って、通訳として映画祭に参加した今年はコンペティション作品を見る機会は殆どなかったが、とはいえアカデミー賞受賞者の初めてのロシア訪問に立ち会えたことは、私にとって掛け替えのない貴重な経験であったと思う。日本への帰国を目前にして加藤監督は、ロシアで一番印象的だったのは白夜とペテルブルグの街を深く潜る地下鉄、それに街全体の暗くミステリアスな雰囲気だと語っていたが、監督の将来の作品に、ペテルブルグやモスクワの町並みから受けたインスピレーションが少しでも活かされるならば、ロシア案内人を務めた私としてはこれに勝る喜びはない。

附記
 
日本で公開されていない作品のタイトルは原題を字義的に翻訳した。

[Back to the top of this page]