日本映画の活性化に向けての政策提言

――独立系映画の製作・配給のための支援環境作り

須川 まり

0.はじめに
 
2006年、邦画の興行収入が洋画の興行収入を21年ぶりに上回り、日本映画産業の好調が数字によって示された。この功績には、「製作委員会」と呼ばれる映画製作の仕組みとシネマコンプレックス型の興行形態が関与していると言われている。しかし、翌年2007年の興行収入では、洋画が邦画を上回る形に戻っており、日本の映画産業はまだまだ不安定な状態にある。製作委員会やシネマコンプレックスのお陰で、昨今の映画産業の現状は安定しているかに思われたが、観客動員数は10年前と比べて増加したものの、斜陽時代と呼ばれ始めた1970年代を下回ったままである。本稿は、この日本映画産業の表と裏のギャップに注目し、映画産業の組織形態とその仕組みを調査したものである。問題点として挙げられるのは、大規模映画と中小規模映画との格差の広がり、日本の映像コンテンツ産業政策の立ち遅れである。独立系映画と大手映画会社やテレビ局が関わる映画の間に製作規模の格差ができるのは、つぎ込む費用の差を考えれば仕方がない。しかし、興行形態の変化により、中小規模映画を提供する場所が失われつつあることは問題視すべきである。なぜなら、日本映画の画一化に繋がる恐れがあるからである。
 現在、アニメーションを筆頭に北野武監督作品など、海外での日本の映像コンテンツに対する評価は高い。しかし、日本の映画会社は映画をビジネス的に捉えすぎており、その作品が生まれてくる現場については軽視しがちである。映画は商品であると同時に芸術でもあるため、必ずしもコストをかければ優れたものになる訳ではない。映画のビジネス的・芸術的評価は、宣伝、時代や地域の観客の嗜好、作り手の感性など、様々な要素に左右され、その基準は曖昧である。そのため、低コストで面白い作品が生まれることもあれば、豪華な舞台セットや有名な俳優を起用しても作品がヒットしないこともある。あるいは、日本ではヒットしなくても海外で高い評価を受け、逆輸入されて思わぬ収穫になる場合もある。また、海外進出を視野に入れるのであれば、日本の観客とはまったく異なる観客の嗜好も想定しなければならない。そのため、ヒット数を上げるには作品の種類を増やすことが先決であり、そうした多様な作品を生み出せる作り手を養成できるような、より良い映画的環境を提供する必要がある。それゆえ、製作と興行の形態の変革によって映画作品が画一化しつつある事態は問題であり、この点こそ、本稿が映画産業に対して特に疑問視している部分である。
 昨今の著作権ビジネスにおいて、コンテンツ力は国家全体に大きな利益をもたらす可能性を秘めている。だからこそ、画一的製作環境を採用する大規模映画だけが市場を独占するのではなく、将来、海外市場で化ける可能性を秘めている中小規模映画(後ほど、この定義について考察する)が大規模映画と共存できるようにそれらを保護し、発展させていくべきだと主張したい。要するに、日本映画の多種多様性を守ることが必要なのである。
 現在、日本のアニメーションの海外でのブーム、海賊版の氾濫、インターネット上での映画の違法配信の増加等から、日本政府も映像コンテンツの保護に積極的に動き始めている。その政策方針を含め、国際競争力を発揮できるような日本映画の製作環境について考察したい。特に、画一化されつつある製作委員会方式のブロックバスター映画ではなく、潜在能力を秘めている中小規模映画の環境の改善に注目し、日本映画の多様性の保持について、映画産業というマクロな視点から調査したい。本稿では、日本の商業主義の志向を変えることを軸に置くのではなく、その志向に適した映画ファンドを今後の可能性として論じている。

1.日本の映画産業の現状

1-1.映画産業の形態と歴史
 
映画業界は、主に「製作」、「配給」、「興行」の3つの部門から構成されている。最近では、新たに4つ目の部門、すなわち著作権やコラボレーション・ビジネスに関与する「2次利用」が加わり、映画産業の新たな収入源となっている。まずは、各部門の関係性について説明する(図1)。
 「製作」[1]とは、企画を基に「映画」という商品を作る部門である。一方、「配給」は、映画の買い付け、宣伝、上映先の決定などを行う映画の卸業者の部門であり、商品のイメージを決定するという重要な役割を担っている。また「興行」は、映画を上映する「劇場」という不動産を運営する不動産業と、「映画」という商品(サービス商品)を販売する、映画の小売・サービス業者の部門である。そして「2次利用」は、DVD販売、放映権販売、リメイク権、タイアップなどの映画の著作権を利用し派生(スピンオフ)させたビジネス分野である。この部門は、インターネット上での違法動画配信や海賊版の発売などの問題も抱えているが、今後めざましい発展を遂げることが期待されている [2]
 日本映画の最盛期は1957年からの数年間で、当時の映画産業は松竹、東宝、東映、大映、日活の5社体制と呼ばれており、映画会社はそれぞれ自社で製作、配給、興行を一貫して行っていた[3]。そして、当時は現在とは異なり、俳優はアメリカのスタジオ・システム[4]同様に専属契約を結んでおり、それゆえ他社映画への出演が禁止されていた。作品完成後、映画はまず直営、系列の劇場で上映された後、営業を通じて2番館、3番館に流された。当時、配給のみを商売とするのは外国映画の輸入会社だけで、現在のように配給部門に特化しようとする意識はほとんどなかった。
 さて近年に入ると、大手映画会社は自社製作作品を減らし、さらには製作、配給、興行の各部門の仕事を一手に引き受けるのではなく、それぞれの仕事を別会社に任せることが多くなった。このことはある重大な問題を引き起こした。製作費を負担しながらも、劇場の利益から配給手数料などを差し引いた後のわずかな利益を収入とする製作会社に、あらゆるリスクが集中するようになったのである。1社で3部門を包括していた時代には、同社の興行部門の収入によって、製作部門のリスクを分散させることができた[5]。しかし、それぞれの部門が切り離されている現在の状況下においては、企業内で収支のバランスが取れないため、部門ごとのリスクの大きさに落差が生じている。つまり、興行は最もリスクが小さく、続いて、配給、製作の順にリスクが大きくなるのである[6]。(図 1)で示したように、製作部門には、興行収入から配給、興行にかかった費用を除いた後の利益のみが戻るだけで、よほど作品がヒットしない限り、利益よりも製作費の方がかかることが多い[7]。また、このように各部門が独立した結果、製作のみを担っている企業、あるいは若手クリエイター達の製作環境は、大変厳しいものとなっている。

1-2.製作環境日本の映画産業の現状
 
第1節で、製作部門は最も大きな財政的リスクを抱えていると述べた。配給、興行部門を主に請け負う映画会社が、製作部門を切り離す理由もそこにある。事実、2006年に大手邦画3社(東宝、松竹、東映)が自社資本だけで製作した作品は、松竹の『釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!』(2006年)の1作品のみである[8]
 しかし、そのような状況下にも関わらず、最近テレビ局主体の製作映画が増えている。これまでの議論を踏まえると、とても不思議に思われるが、そこには見事な仕組みが隠されている。映画のクレジッド・タイトルで「○○製作委員会」の表示をご覧になったことがないだろうか。最近、この製作委員会の参加メンバーに、フジテレビや日本テレビなどの大手テレビ局の名前が並んでいることが多い。この製作委員会という組織を組むことで、テレビ局がリスクの大きい映画製作に乗り出すことが可能となっているのである。

1-3.製作委員会とは何か
 
1990年代頃から登場した製作委員会は、映画会社、テレビ局、広告代理店、出版社、芸能プロダクション、ビデオ(DVD)メーカーなどの企業が資金を出し合い、映画の著作権を共有し、出資比率に応じて利益を分配する製作形態である。著作権を各社が分担して保有することで、それぞれの会社が、各々のビジネス分野で映画を利用してコラボレーションさせている。それによって、露出を増やし、相乗効果を生むことを狙っている[9]。言い換えれば、製作委員会とは、あらゆるメディア媒体でその映画を宣伝することにより、観客動員数増加を目指すキャンペーンを目的とした映画ビジネス形態である。現在、全国公開規模の邦画の大半が、この製作委員会方式で製作されている。それでは、具体的な映画を取り上げてその仕組みについて説明しよう。(図2)

1-3-1.『いま、会いにゆきます』製作委員会(興行収入48億円)
 
『いま、会いにゆきます』製作委員会の参加メンバーはTBS(テレビ局)、東宝(映画会社)、博報堂DYメディアパートナーズ(広告代理店)、小学館(出版社)、S・D・P(芸能プロダクション)、MBS(テレビ局)である。TBSは、映画公開後、TVドラマ版『いま、会いにゆきます』を放映している[10]。各社の分担を概説しておこう。東宝が担当しているのは、主に配給部門であるが、それだけではない。東宝はTOHOシネマズという劇場運営会社に100%出資しているため、興行部門も担っていると推測できる。博報堂DYメディアパートナーズは広告代理店であるため、映画の宣伝を担う。小学館は原作の『いま、会いにゆきます』(2004)を出版した。S・D・P(スターダスト・ピクチャーズ)は中谷美紀、柴咲コウなどが所属する大手芸能プロダクションのスターダストのグループ会社である。主演の竹内結子はこのスターダストに所属している。MBSはTBSの系列局である。このように製作委員会は、各社の得意とする分野でビジネスを展開して利益を得ると共に、メディアでの映画作品の露出を増やし、興行収入の底上げを目指す新しい映画製作形態である。つまり、製作委員会という名前でありながら、製作だけではなく、配給、興行、2次利用全ての部門を担っている、暫定的な組織なのである。ここで興味深いのは、TBSがドラマ版の放映権を持つのは当然だが、ドラマ版の主演が女優のミムラである点だ。ミムラは、映画版主演の竹内結子と同じ芸能プロダクション、スターダストに所属している。このことより、スターダストはドラマの主演にも、自社の女優であるミムラを起用する契約を製作委員会で結んでいたものと考えられる。

1-3-2.製作委員会の問題点
 
最近の邦画は、オリジナル企画ではなく、人気漫画や人気小説を原作に採用する場合が多い。すでに人気が確立されている書籍の映画化の場合、原作のファン層を映画にも取り込められることが期待できるからである。大きな資金が動く映画の場合、確実に興行収入を得るために、すでに確立している人気にあやかることは、商業上、妥当なことである。それゆえ、上記の具体例のように原作を所有する出版社が製作委員会のメンバーとして参加する機会も増えている。その他、資金運用に関心のある商社や映画関連グッズの販売を狙うおもちゃ会社など、あらゆる業界の企業が製作委員会に積極的に参加している。
 このように製作委員会に様々な企業が参加し、各企業が少しずつ製作費を出し合うことで、映画製作に伴う多大なリスクを少なからず軽減できる。ところで、製作委員会への参加目的は、リスク軽減や興行収入にかかる出資比率による利益だけではない。実は、現在コンテンツ市場と切っても切り離せない、著作権を使ったビジネスが最も大きな目的だと思われる。製作委員会が大々的に打つ映画キャンペーンでは、書店に原作本が並び、雑誌に映画出演者の顔が載り、テレビに出演者がゲストとして出演し、大手映画会社のシネコンで全国上映される。さらに、そのブームに乗ってドラマ化され、ドラマに映画版主演が所属する芸能プロダクションの役者が大役で出演することも多い。携帯電話とインターネットの普及により、メディア全体の売れ行きが下降しつつある中で、製作委員会のキャンペーンは、ブランド志向の日本人に対して、一時的なブランド感覚を植え付けることにより、確実な収入を見込もうとしている。実際に、全体のスクリーン数に対する邦画のシェアも増えており、映画は斜陽産業であるという否定的なイメージの払拭に貢献している。
 しかし、一方で、この暫定的組織形態は一部の企業で、邦画を独占しているようにも見える。確かに、テレビ局主体の製作委員会方式による映画の興行成績は何十億単位で、日本映画業界を盛り上げた要因の一つである。その功績は認めるべきだ。しかし、多くの企業が企画段階から参加し合議制で決まる企画に沿って進められる製作委員会が、今後の日本のコンテンツ力を高め、海外でも評価されるような作品をどんどん生み出すとは考えにくい。なぜなら、コンテンツ力は製作規模だけでは、判断できないものだからである。大金をかけて豪華な俳優と舞台セットを揃えることでヒットする場合もあれば、小規模製作で、国内のヒットはおろか上映もされていない作品が、海外の映画祭で受賞する場合もある。例えば、柴田剛監督の『おそいひと』(2005年)[11]は、2005年に東京フィルメックスでプレミア上映されたものの、身体障害者という難しいテーマを題材にしたため、日本での公開が難航していたが、海外の映画祭で評価され、2007年にようやく日本に逆輸入する形で公開された。
 現在、テレビ局は様々な面で苦境に立たされている。ドラマを含め視聴率が全体的に下降気味であり、それに伴い、広告費の確保が以前よりも難航しているのである。そのような状況下にあるテレビ局が主体となり、同じ製作環境(製作委員会)の邦画ばかりが上映されると、いずれ大規模予算でCGフル活用優先作品に偏っていた、ハリウッド映画のように飽きられてしまう危険性も否定できない。また、テレビ局が関わらない独立系映画は、テレビ局主体の製作委員会方式の映画よりもメディアでの宣伝費(テレビ放映料等)が余計にかかる。もし同時期に当局の作品があれば、露出スペースを確保できず、隅に追いやられる可能性も高い。もちろん、シネコンを抱える大手映画会社の配給ではない場合、上映場所の確保も難航するだろう。宣伝規模に関わらず、上映場所の確保においても、大手企業による製作映画(ブロックバスター映画)と独立系映画との格差はますます拡大してゆく傾向にある。実質上、独立系作品の居場所を狭めている製作委員会は、一時的なトラストあるいは独占とも考えられるのである。そしてその傾向は現在、ますます強まっている。
 映画業界が斜陽産業と呼ばれていた時代、作り手の思い入れの強すぎる、独りよがりな映画が観客を劇場から遠ざけているのだ、という非難があった。最近では、常に観客の目線を考えているテレビ局、広告代理店が映画を企画し始めたため、一般受けしない表現は解消され、テレビを鑑賞していた人々がどんどん劇場に足を運ぶようになり、斜陽産業のイメージを払拭することができた。こうして、映画市場が安定した現在、日本の映画業界は新しい著作権ビジネスに積極的に取り組みながら、国内向けのビジネス(製作委員会)に成功している。しかしながら、今後、海外市場を視野に入れる場合、同じ製作環境下で、堅実さばかりを重視している映画が、国際競争に勝てるかどうかは、疑問だと言わざるをえない。それに対して本稿は、日本の映画産業の稼ぎ頭である製作委員会方式の映画と、国際市場で日本映画の存在を確実なものにする独立系映画との共存が日本映画産業の発展に繋がると考えている。まずは今後も継続するであろう、製作委員会のあるべき姿について、具体例と共に考察する。
 1997年以降、フジテレビは毎年夏に生放送番組の27時間テレビを放映している。2007年には、公開が近かった映画『西遊記』(2007年)を主題にして番組を構成した[12]。本作はフジテレビ主導製作の映画だったため、フジテレビは、テレビ視聴者に映画を覚えてもらえるような、映画の世界観を前面に押し出した番組作りをしたのである。また、27時間テレビが放映される前にも、本作主演の香取慎吾が、映画のキャラクターに変装して、製作委員会に参加していない他局の番組に出演するということがあった。SMAPという人気アイドルグループに所属する香取は、映画に関係なく出演を求める局が多かったため、映画の宣伝も兼ねた、他局での出演も実現できたのだろう。現在、以前の各テレビ局の閉鎖性から考えられない、上記のような系列局を超えた相互企画が増加しているが、この傾向は今後ますます強まるものと思われる。
 邦画で興行収入が10億円超えれば大成功とされる中、本作は41億円の興行収入をたたき出した。しかしながら、宣伝の熱の入れ方[13]や27時間テレビのメイン企画でもなかった同時期の『HERO』(2007年)の興行成績(表1)が78億円だったことを踏まえると、宣伝を意識しすぎた27時間テレビは大成功だったとは言い難いだろう。この事例を見ても、宣伝費用を上げたからと言って、必ずしも興行収入が比例して伸びる訳ではないことが分かる。とはいえ、41億円という功績なので、テレビを利用して莫大な宣伝費用をかければ、一定以上の興行成績をあげられることも、また確かだと言ってよい。つまり、テレビ局による宣伝量の違いが、中小規模映画との格差をさらに広げるのである。
 さて、このように製作委員会方式が映画産業全体の景気回復をもたらしていることは事実だが、そのことだけで邦画人気の復活を説明することはできない。例えば、様々な業界(テレビ、広告など)から若手クリエイターが映画業界に進出し、企画自体が盛り上がりを見せていることも、見逃してはならないであろう。しかし、特に重要なのは、映画を公開する劇場の変化である。これから説明するシネマコンプレックス、略してシネコンこそが、恐らくは製作委員会以上に、最近の映画産業の復興に貢献しているのである。

1-4.シネマコンプレックス

1-4-1.シネマコンプレックスとは何か?
 
シネマコンプレックスは、近年もっとも高い人気を集めている映画の興行形態である。団体によって多少定義が異なるが、社団法人日本映画製作者連盟によると、シネマコンプレックスとは、同一運営組織が同一所在地に5スクリーン以上集積して名称の統一性(1、2、3…、A、B、C…、等)をもって運営している映画館を抽出したものである[14]
 1980年代初頭、アメリカで、シネコンの原形であるマルティプレックス(複合映画館)が建設され始めた。当時、アメリカ人の自家用車所有比率が増加していたことを背景に、マルティプレックスは、交通網が発達したアメリカ都市近郊のショッピング・モール内で展開した。それは、以前の、田舎から自動車で都市の映画館でまで赴き映画を観るというのとは、まったく異なる映画鑑賞のスタイルを生み出し、好評を得た[15]。実際、マルティコンプレックスは、テレビの影響で落ち込んでいた観客動員数を取り戻すのに貢献した。この成功を受け、日本の映画産業はマルティプレックスをシネコンとして導入した。1993年に登場したワーナー・マイカル・シネマズ海老名[16]がシネコン第1号である。さらに1992年に改訂された大規模小売店舗法による規制緩和によって、以後、外資系シネコンが急激に増えていった。このことから、日本のシネコンは、外資系企業が流行させたものだと言われている[17]

1-4-2.シネマコンプレックスの利点
 
シネコンは、1室のコントロールルームから、各スクリーンに次々とフィルムを送り出すシステムを持つ複合型映画館である。そして、チケット売り場を1つに統合し、アメリカ同様にショッピングセンターに併設していることが多い。このような特徴を持つシネコンには、以下のような利点がある。
 (1)シネコンの大半はショッピングセンターに併設されているため、映画を観た後で買い物をしたり、買い物をしたついでに映画を見たりといった相乗効果をもたらす[18]
 (2)チケット売場、ポップコーン売店、映写室をまとめることにより、少ない人件費で運営できる[19]
 
(3)スクリーン数が多いため、観客動員数の多い作品は複数のスクリーンに分けて上映する。不人気の作品は1日の上映回数を減らす、あるいは打ち切るなどして経済的に効率よく映画を観せることができる。この上映形態をフリーブロッキング形式と呼ぶ(この詳細は本節第3項を参照されたい)[20]
 
(4)シネコンは、全国チェーンを作っていることが多いため、単館で上映されていた作品も、シネコンでの上映が決まれば、一気に全国公開される機会を得ることができる [21]
 (5)人気作品は複数のスクリーンで、時間をずらして上映することにより、開始時間を確認せずに人気作品を見に来た観客も取り込みやすくなる。
 (6)シネコンはスクリーン数が多く、それに比例して座席数も多いため、別枠でサービス付きの座席を提供することもできる。サービスの差別化によって顧客を確保する戦略である。例えば、一部地域のTOHOシネマズ(シネコン)では、一般席とは別に「プレミアスクリーン」と呼ばれるリクライニング付きの快適な座席を一般席より高い価格で提供している。
 これら6つの利点を踏まえると、シネコンは経費削減ができるうえに、最近の観客のニーズにも合った、理想的な上映システムだと言うことができよう。このように、鑑賞環境が快適であり、買い物ついでに立ち寄ることができるシネコンは、観客に物質的な満足をもたらしている。別の見方をすれば、これは世界的にも高額と言われている日本の映画の入場料金[22]を、サービスという付加価値をつけることにより正当化しようとする試みだとも言える。
 さて、このように観客にとっては最適の鑑賞環境であるシネコンだが、実際の成果は必ずしも芳しくない。映画館全体の入場者数(図3)は30年前と比べ、ほとんど変化していないのである。つまり、ある一定の固定客を、増え続けている映画館同士で奪い合いをしているにすぎないとも言えるのである。また、ショッピング・モールとの併設は、実のところ、かえって映画を観ることに対する人々の欲求を薄めているのかもしれない。(1)、(5)の項目のように、人々は何気なく買い物に来たついでに、映画館に立ち寄り、そして自分の予定と好みに合った映画があれば鑑賞する。だとすれば、人々が選ぶ映画は無難な作品(宣伝などで露出が多い作品や原作が人気の作品)に偏ってしまうのではないだろうか。そしてそれは、長い目で見れば映画作品全体の質の低下をもたらしかねない大きな問題である。
 また、劇場公開して1年以内に、大半のブロックバスターは手頃な価格のDVDレンタルが開始されるため、わざわざ劇場に足を運ぶ必要性が薄れたことも、付言しておきたい。実際に、2004年から2008年にかけてDVDレンタルの市場規模は約3倍に膨れ上がっている[23]

2.現状から見えた問題

2-1.コンテンツ力とは何か?
 
図4図5[24]を見ると、日本映画の興行成績が、シネコンの増加と共に右肩上がりに上昇しており、製作委員会とシネコンが日本映画の復興に大いに貢献していることが窺える。しかしながら、大手テレビ局が関わる製作委員会でなければ確実な興行成績を収められないのだろうか。あるいは、製作委員会の経済面以外の貢献は何だろうか。もし、今後、「邦画=大手テレビ局主体の企画映画」という状況が一般化したならば、将来的な日本映画のコンテンツ力が維持されるとは考えにくい。なぜなら、製作委員会は資金調達手段と興行成績を安定させた一方で、外部産業企業による企画参画を増やしたからである。製作委員会方式映画の企画は、参加企業の合議制によって決められる場合が多い。そのため、映像を専門としないビジネス志向の企業によって、大衆向けで堅実性を重視した作品ばかりが製作される恐れが生じている。また、著作権ビジネスにより、コンテンツ力(ソフト・パワーの一部)が国力に転換すると言われている。
 1990年頃、ハーバード大学ケネディースクール学院長のジョセフ・S・ナイが、「ソフト・パワー」という概念を唱えた。ソフト・パワーとは、強制や報酬ではなく、魅力によって自分自身の望む結果を勝ち得る能力である。それ以前、アメリカを含む諸国では戦力を表すハード・パワーが行使されていたが、それはいくつかの国家からの反感を得る結果となった。他方、ソフト・パワーは、文化、政治的価値観、外交政策を基盤としており、これらを利用して他国からの共感を獲得する能力である。文化には、文学、美術、高等教育などのエリート対象とする高級文化と、大衆の娯楽である大衆文化が含まれ、区別して考えられている[25]。研究者の多くは大衆文化のみをソフト・パワーとして論じているようだが、ナイは、どちらかというと高級文化を重視しているように思われる。例えば、大衆受けの良い日本のポケモンが直接、有利な外交に繋がるとは思えないからである。
 ソフト・パワーの発揮には多くの人々の賛同が必要であり、それゆえ他者同士の文化がある程度まで似ていることが大切である。国内では、合議制の製作委員会がその力を発揮することができた。一方、国際市場を視野に入れるのであれば、日本映画の海外での評価を日本全体で意識しなければならない。なぜなら、ナイの理論上、相互理解がなければ、ソフト・パワーの効果は発揮されにくいからである。いくら、海外での評価が良くても、国内でそのことを認識しなければ一方通行の評価で完結してしまう。
 日本映画が、ソフト・パワーの効果を最大限に発揮できない要因として、海外の映画祭で評価された作品が日本国内で敬遠される傾向が挙げられるかもしれない。海外で評価を受ける作品の大半が製作費の捻出が困難な中小規模作品である。また、映画祭への出品だけではなく、他国との共同製作映画による交流も増えている。例えば、第60回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した河?直美監督の『殯の森』(2007年)は、フランス国籍映画に認定されたため、フランスの助成金を製作費に回すことができた。この作品の共同製作の目的は、実のところ交流や利益というよりも、リスクヘッジだった[26]
 ちなみに2008年にソフト・パワーを最大限に発揮したのは、第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した、製作委員会方式の『おくりびと』(2008年)だった。アカデミー賞受賞後の2009年2月28日、3月1日の映画観客動員数(興行通信社調べ)で、公開25週目にしてようやく1位を獲得し、最終的には興行収入60億円を記録した。この事例からも、海外での評価(特に知名度の高いアカデミー賞)が、いかに国内での興行成績に影響を与えるかが窺える。
 ハード・パワーを持たない日本には、それだけに一層、ソフト・パワーになりえる作品の産出が必要である。ソフト・パワーを得るには、海外の映画祭で芸術的に評価されなければいけない。そのためには、紋切り型を避けた、新鮮で多様な作品を作り続けねばならない。そのためにも作家性が表れやすい独立系映画を大切にしていくべきである。
 上記のような理由から、本稿では、独立系映画(小規模製作でありながら海外評価を得ている作品、若手クリエイター作品)の保護の可能性を中心に、将来的な視野を考えた日本映画産業の活性化について考察する。次節では、最近の成功例を挙げて考察する。

2-2.一貫経営に近い組織形態
 
第1章では、大手映画会社がリスクのかかる製作部門を手放し、興行に力を入れていることを述べた。しかし、実際には、製作委員会という名前を使い、数社で製作、配給、興行の一貫経営を行っている。製作委員会では、企画を含むビジネス展開全てに、合議制を採用し、作品ごとに一時的なトラストを組んでいる[27]。配給会社は、合議制での進行に弊害を感じるかもしれないが、製作のリスクが大いに減り、宣伝活動がしやすくなった利点を考えると、好都合なポジションに位置していると言える。
 1948年、アメリカでは独占禁止法に触れるとして、最高裁はパラマウントに対して、一貫経営禁止の判断を下した。この判決により、パラマウントを含むビッグ5(ワーナー・ブラザーズ、MGM、20世紀フォックス、RKO)は、製作・配給の権利は保持したものの、映画館の所有権を手放すことを承諾する同意判決に従うことになった。また、これ以降、ブロックブッキング(あらかじめ公開の初日と最終日が決まっている上映方法)も禁止された。このようにアメリカでは半世紀前に法的な規制が敷かれたが、一方、日本の経済産業省は、一貫経営禁止の立法化は現在に至るまで考えてないようである[28]
 一部の映画会社の興行網が大きすぎる場合、直営の映画館が自社関連作品を上映する機会を増やすため、番組編成に偏りが生まれ、他社作品は行き場を失ってしまう恐れがある。最終的には、少数の映画会社が市場を独占することになりかねない。こうした状況を受けて、東宝は2008年3月1日より、自社の興行部を分社化し、6社に分かれていた東宝系の興行網をTOHOシネマズに吸収させている[29]。この統合によって、既存館とシネコンとの融合、意思決定機能の一元化による迅速な判断が可能になった。また、既存館の整理・再編成のために、採算性の低い映画館を切り捨て(TOHOシネマズ高槻の資産譲渡、大阪北区の直営館1、2、3を閉館など)、経済的効率化を目指しているようだ。スクリーン数が国内トップの東宝なら、近辺で経営している単館系劇場とシネコンで、上映する作品のジャンルを増やすことも可能である。都市周辺に2館以上所有していない映画会社は、少しでも採算をとろうとして、同じメイジャー系作品を取りそろえるか、自社作品を上映する傾向にある。しかしながら、東宝のように都市周辺に複数の劇場を所有していれば、単館では、劇場の雰囲気に合ったアート系・独立系作品を上映し、シネコンでは大手企業による製作作品を流すような差別化戦略も行うことができる。TOHOシネマズの出資金100%が東宝である点と、採算性の低い映画館を閉鎖している点を踏まえると、さらなる独占市場の可能性も秘めており、今後の動向が気になる所である[30]
 映画館は現在、シネコンの急激な増加により飽和状態になっているにも関わらず、新規参入はまだ多い。新規参入を防止することは、映画産業の風通しを悪くする恐れがあるので(独占市場化にも繋がる)実行すべきではない。しかし、同じブロックバスター映画の上映機会が増やすための新規参入の場合、作品の多種多様性を奪ってしまうという危険性がある。
 同じ作品を上映する劇場が近辺に集中すると、観客は各スクリーンに分散してしまう。つまり、スクリーン当たりの興行収入が減るということである。実際に、スクリーン当たりの興行収入はここ10年間下降している。興行収入を増やすために、普段、映画鑑賞しない観客(無難な作品を選びがちな観客)を引き寄せようと、ブロックバスター映画の上映機会を増やし、さらに観客が分散するという悪循環に陥っているのである。過剰なシネコンの増加は、大規模映画に占有されるプログラム編成と、観客の分散だけを残す恐れがある。実際、シネコンの増加とともに、スクリーン数が急激に増加する一方で、観客数はそれほど伸びておらず、スクリーンごとの観客数も年々減少している[31]

3.映像コンテンツ産業政策
 
シネコンの登場によって、観客の嗜好がますます平板化する中、個性的な独立系作品の観客を増加させるためには、その種の映画に対する関心を高めるしかない。しかし、日本では映画支援制度が他国と比べて劣っており、特に、政府の介入がこの分野に必要である。第1章と第2章では日本の映画業界の現状と課題について述べたが、これに続く第3章では今後どのような文化政策を取り組めばいいのかを考察していきたい。まずは、日本の文化政策の現状と成功をおさめている他国の文化政策とを比較する。
 (1)対象:独立系映画(映像コンテンツ)
 
本稿の定義は以下のように定める。
 (a) 映像コンテンツ:劇場で公開される映画(劇映画、短編映画)。
 (b) 独立系映画:大手映画配給会社(東宝、松竹、東映)、テレビ局(キー局)が主たる製作委員会のメンバーとなっていない作品(製作委員会を用いずに製作された場合、上記の大手映画会社の作品も含む)という条件を満たした、若手クリエイターによる作品、アニメーション映画以外の邦画全般。
 (2)目的:独立系映画のシェアを広げる方法の考察
 (3)課題
 (a) 著作権を製作会社に有利な形で保有することができ、またリスクも低減できる資金調達方法とは?:経済部門
 (b) 映像コンテンツ(映画)に対する関心を高める政策とは?:行政部門

3-1.民間側からの映像コンテンツ政策
 
日本映画業界を、民間機関、NPOなどの中間機関、公的機関(政府、自治体)に分けると、圧倒的に民間機関の権限が強い。この不均衡なパワー・バランスを改善するためには、民間機関自体の変革を促さなければいけない。特に、作家性を尊重する製作環境づくりとして、注目されているのが後述する「映画ファンド」である。まずは映画ファンドの具体的な成功例と失敗例から、製作環境の打開策を考察する。

3-2.映画ファンドとは何か?
 
製作委員会方式の映画は、前述したように(第1章第3節)、製作委員会の参加メンバーが資金を出し合い、著作権を共有する。そして、企画内容や各社の得意分野でのビジネス展開を合議制で決め、利益を出資比率によって分配する。一方、映画ファンドは、リターン目的の投資家達から製作費を捻出する形態であり、製作担当者、資金担当者がはっきりと分かれている。また、合議制ではないため、企画への横槍も少なく、製作に集中しやすい。しかし、資金面の映画ファンドの組み方や戦略(上映時期や作品の企画内容も関係するが、ここでは含まない)を間違えると、大きな失敗に繋がる可能性も高い。

3-2-1.『SHINOBI』ファンド(製作・配給・宣伝:松竹)
 
『SHINOBI』ファンドは、松竹が個人投資家を中心に公募した映画ファンドで、一時期マスコミでも話題になった。2004年11月から募集を始め、1口10万円という小額の出資に加え、主演がオダギリジョーと仲間由紀恵、主題歌が浜崎あゆみと、豪華な顔ぶれだった。それにも関わらず、2005年2月までに集められた資金は約半額の5億220万円にとどまった。さらに興行収入は、14.1億円と元本保証となる20億円には届かない結果となり元本割れとなった。(個人投資家の元本割れリスクに配慮して、元本90%、60%確保の2種類を用意されていた。ちなみに、60%確保タイプの方がハイリスク・ハイターンである[32]。)レンタル・セルDVD、ビデオの売り上げも目標の15億円には届かず、6−7割の10億円弱に終わっている[33]
 敗因は、同時期に上映されたライバル作品に興行収入20億円超えの大作が多かったことと、映画のエンドクレジット、DVDに名前を載せる特典付きという「夢を買える!」の松竹の売り文句だけでは、通用しなかったことの2点が挙げられる。映画ファンドは、通常のビジネス商品のファンドとは異なり、芸術作品・娯楽商品を対象としているので、ヒットの確率は計りにくく、おのずとリスクが高くなる。しかしながら、このファンドでは、元本60%確保タイプのハイリスクハイリターン側に投資する人達の方が多かった。このことから、リスクよりも映画に投資したいと思う人達が少なからずいるということ、そして映画ファンド自体には大きな可能性が秘められていることが分かった[34]。映画に対する愛情はリスクの高さに勝り得るのである。とはいえ全体として人数が集まらなかったことに変わりはなく、この手法の難しさを窺わせる。

3-2-2.『フラガール』の成功(製作・配給・興行:シネカノン)
 
2006年度の日本アカデミー賞を総なめにした『フラガール』(2006年)は、興行成績もさることながら独立系配給会社の作品としては、異例の興行収入15億円をたたき出した。その内訳は、製作費3億円、P&A費(宣伝広告等にかかる費用)3億に対して、興行収入15億円、レンタル・セルDVD約4億円、テレビ放映権約1億円である。興行収入だけで製作費を取り戻すのが難しい中で、P&A費も回収できたのは、単館系映画では異例の快挙である[35]

3-2-3.シネカノン・ファンド第1号とは?
 
シネカノン・ファンド第1号は、映画製作・配給会社のシネカノンによって2006年4月から運用を開始され、日本過去最高級の資金である45億円以上を集めた映画ファンドである。このファンドでは、シネカノンが約2年間にわたって製作する映画作品と、海外からの買い付けの合計20タイトルを運用対象とした。大手証券会社の日興コーディアル証券がファンドの販売を担当し、約1ヶ月強の販売期間に、1口=2000万円で募集をかけた。その主な投資家は富裕層の個人投資家達であった[36]
 シネカノン・ファンド第1号は、リスクが高すぎるからという理由から、『SHINOBI』(2005年)のような1作品だけのファンドを避け、いくつかの作品をセットにしてファンド化した。シネカノンは、2年間で製作・買い付けする作品の費用、P&A費の合計金額で募集し、作品名、出演者、製作費、P&A費など(宣伝戦略や業界のルール上、公にできない項目以外全て)を投資家の判断材料として情報公開した。そして、ファンドを販売する大手証券会社を決める際、通常は下手に出て営業回りをするが、入札方式を採用した。このファンドを提案した、『「フラガール」を支えた映画ファンドのスゴい仕組み』の著者である岩崎明彦は、前職でM&A(企業の売り買い)を経験しており、このファンドの成功には、金融の知識が深い岩崎の活躍が大きく関係している[37]。岩崎はリスクとリターンを考え、1作品のファンドではなく、「ミドルリスク・ミドルリターン」と岩崎が呼ぶ、ポートフォリオ型を適用した。ポートフォリオ型ファンドとは、様々な銘柄に投資する形式のファンドである[38]
 2004年12月に施行された改正信託業法によって、映画の著作権、特許権などの知的財産権を信託することができるようになり、本ファンドでは著作権信託を取り入れている。これにより、シネカノンが万一倒産して他社に差し押さえられも、著作権は信託され安全に保管されている状態になっており、それが完全に失われることはない。シネカノンは、信託受益権(映画の著作権からあがってくる収益を受ける権利であり、株券のようなもの)をファンドに譲渡し、譲渡代金として45億円が入ってくる形をとっている。さらに、完成リスク(予算内、スケジュール内に作品が完成されないリスク)も投資家に負わせない形をとっており、投資家保護が充分行き渡っている[39]
 2007年7月までにファンド化された約10作品が公開され、そのなかで『フラガール』(2006年)とケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(2006年)がヒットしており、言ってみれば打率は2割といった所である[40]。この結果を見ても、映画ビジネスはやはりリスクが大きく、そのリスクを分散させるためには、ポートフォリオ型映画ファンドが適していることが分かる。

3-3.製作委員会と映画ファンドの相違点
 
最近、製作委員会には下請け的立場で参加している製作会社が、自社で映画ファンドを持つことに積極的になっている[41]。製作会社は、製作委員会では、映画製作のみを行い、著作権は製作委員会の参加メンバーに保有されることが多い。また、面白い企画を考えても資金不足なため、断念することも多い。あるいは大手企業(テレビ局等)が出資すると、それらの企業が企画の権利を持って行くことが多く、製作会社は不利な立場を抜け出しにくい状況にいる。さらに、下請けの場合、製作した映画がヒットしても利益の還元(成功報酬)を受けられないことが多い。おそらく、出資者ではないため、ヒットとは無関係の契約を結んでいるものと推測される。このように、不利な立場から抜け出す手段として、映画ファンドによる資金調達が利用されている。その利点は、投資者に企画内容の舵を取られないこと、著作権の保有ができ、ヒットした際には利益の還元が行われることである[42]
 著作権を参加企業で共有する製作委員会は、ビジネス展開もほぼ合議制で決めている。そのため、リメイクのオファーなどの海外展開のチャンスが来ても、全ての企業が納得してから交渉するため、時間と手間がかかる。というのも、著作権の最高責任者が定まっていないことが多く、その所在を明確にする作業と全員の承諾を要するからである[43]。ブームの回転が早くなっている昨今では、このような契約の手間のせいで企画が流れることもある。また、製作委員会に参加する企業が倒産した場合、著作権を運用するには、再度契約し直す必要性が生まれる。
 資金面で安定感があることが支持される製作委員会だが、権利を共有する分、作品が完成できずに終わったり、トラブルに巻き込まれた際の保証金や訴訟もまた、全員の責任になる。そのため、責任が無限に続くという問題も抱えている。他方で、匿名組合方式の製作委員会も存在する。この場合、パトロンと呼ばれる篤志家が匿名で出資するため、万が一訴訟問題がおきても賠償金を払う責任を負わない[44]。しかし、匿名組合方式の製作委員会も、合議制であることには変わりない。このように製作委員会の合議制は、外部からのビジネスチャンスには適さない。
 以上のように、現在主流となっている製作委員会は、資金調達の確実性と共に合議制で決められた以外のビジネス展開に疎い点も併せ持つが、あらゆる企業と協力することで大規模な宣伝やイベントがしやすいため、ブロックバスター映画に適した形態である。大手テレビ局による製作委員会は、常に視聴者を意識した企画や、合議制で説得しやすい人気原作本の映画化や万人受けを狙う。宣伝の媒体も表現方法もテレビ視聴者を対象に狙っているため、大衆が納得する内容を作るには、映像のプロアマ混合した製作委員会での合議制は適している。
 一方、独立系映画には、作家性が守られやすいファンド式の方が適している。特に、リスクを分散できるポートフォリオ型映画ファンドが望ましい。独立系映画のファンドの採用は、製作委員会のように大衆娯楽の企画にはめ込む必要はなく、作家性を貫くことが、ブロックバスター映画との差別化に繋がる。また、映画ファンドをもっと多くの人が認識することで、資産運用が海外と比べて少ない日本に潜在する、投資家を呼び起こせるかもしれない。変革によるリスクはあるが、金融業界に映画業界が進出することで、国内の映画製作に対する考え方も多様化するだろう。
 投資家が多く存在すれば、資金も集めやすく、ファンド式が採用しやすくなるため、様々な映画のビジネス展開の可能性も膨らむ。こうした映画ビジネスの多様化は、各映画会社がそれぞれの独自性を生み出すのに貢献するであろう。また、数十作品単位でファンドを組めば、大衆受けは厳しくとも、海外で評価される可能性のある個性的な作品の上映機会が増えるかもしれない。もちろん、ファンドにすることで映画会社は投資者に対して責任感を負い続けることになるが、ブロックバスターとの製作費の違いを考慮すると、独立系映画にとってファンド式が望ましい方法の一つであることは間違いない。
 今後、ビジネス展開が進むにつれ、金融知識のある映画業界者、あるいは映画知識のある金融関係者が投資家と映画会社の間を取り持つ必要性が生じる。逆に言えば、映像コンテンツは現在、金融関係者にとっても大きなビジネスになりうるのである[45]
 映画ファンドは、日本人の映像コンテンツビジネスに対する関心を高める絶好のチャンスかもしれない。シネコンの便利さ故に、映画をテレビとほとんど同一視する観客や企業が増えつつある中、映画を企業のプロデュース能力で分析する投資家が増えるのは興味深いことかもしれない。ともあれ何よりも、映画ファンドを通して、映画への関心が高まり、1970年代の単館系映画ブームの時のように[46]、多種多様な映画の上映機会が増えることに期待したい。

4.政府による映像コンテンツ政策
 
2004年5月、知的財産権立国推進を目指して、コンテンツ推進法(「コンテンツ創造、保護及び活用の促進に関する法律」)が成立した。日本政府がようやく、映画映像・ゲーム・アニメなどの知的財産権に関わるコンテンツの巨大な波及効果に目に向けるようになったのである[47]。現在、日本の文化政策を、文化庁が取り仕切り、一方で、経済発展の観点から経済産業省がコンテンツ産業に力を入れている。しかし、両者で映像コンテンツ産業に対する志向や価値観が異なり、政策の方向性に食い違いが生じているため、日本における映像産業の方向性は宙ぶらりん状態になっている。

4-1.各国の文化政策
 
最近では、皮肉にも誰が主導して政策を実行するかによって、国民の芸術に対する価値観やその国家の芸術をめぐる状況が左右される。逆に言えば、映像政策はその国の芸術に対する価値観を反映していると考えられる。
 代表的な国の事例を紹介すると、フランスと韓国は公的機関、アメリカは民間機関・個人、イギリスは公的機関と民間機関の間に立つ中間機関(NPOなど)が主導権を握っている。特に、フランスでは文化・コミュニケーション省が中心となって、芸術に力を入れており、文化予算も群を抜いて高い。アメリカでは、中間機関である全米芸術基金(National Endowment for the Arts)も存在するが、各州・自治体が積極的に芸術支援政策に取り組んでいる。しかし、連邦政府が実権を握って、体系的に文化政策の立案と施策を行っているというよりも、民間の活力を引き出すことに重点を置いている。イギリスでは、公的機関として文化・メディア・スポーツ省が設立されているが、中間機関であるアーツ・カウンシルの役割の方が大きい[48]

4-2.映像コンテンツ産業の領域
 
各国の映画に対する姿勢は以下のようになる[49]
 (1)文化・芸術志向:フランス
 (2)産業・ビジネス志向:アメリカ
 (3)産業・ビジネス志向と文化・芸術志向=社会・エンパワーメント志向:イギリス
 (4)産業・ビジネス志向(文化・芸術志向の切り離し):日本
 (5)産業・ビジネス志向から文化・芸術志向へ転化:韓国

4-3.社会・エンパワーメントとは何か?
 
社会・エンパワーメント志向の場合、社会的課題とその解決・予防のための基盤整理、ならびにこうした目的のための多様な公共非営利団体の利用・活用、そしてこれらを通じた持続可能なコミュニティ育成を行う。具体的には、教育、訓練、雇用、技術・研究開発、健康、心理・癒し、都市・地域済生、観光・イベント、知的財産権等の権利管理、建築・遺産、多様性・社会的一体性(包括)、ソーシャルキャピタル、政治、外交、ブランドイメージ、コンテンツ力など[50]、幅広い分野に渡って、生活に関わるものが挙げられる。
 日本では、産業・ビジネス的側面を経済産業省が、文化・芸術的側面を文化庁が支援している。そして、第3の社会・エンパワーメント的側面を持つ省庁は日本には存在しないが、定義上、厚生労働省が適当する。このように、日本では、各省庁で別志向の政策が行われているため、全体的な統一性がない。
 唯一、社会・エンパワーメント側面を持つイギリスの映像政策庁との交流を図っている日本だが、しかし日本には社会・エンパワーメント的志向は根付きにくい。なぜなら、日本では、映像コンテンツ産業をほとんど規制せずに、自由市場の下に置いているからである。そのため、配給・興行会社と放送局による産業・市場支配が続いてきた。日本で映画の興行規模に対する法規制がないのは、日本の映像コンテンツ産業において、営利市場主義が当然のこととされてきたからだと推測される。また他方で、文化庁を含め、映画を芸術的に扱い支援する団体が存在したものの、それらは偏った映像作家群や一部のマニア的諸活動団として捉えられ、趣味の領域に押し込められた経緯もある。ビジネス志向と国策的芸術支援志向がうまく融合した社会・エンパワーメント志向は、両者が全く交わらない日本では理解されにくい。

4-4.フランスの文化政策
 
第2次世界大戦時のフランスでは、政府によって製作割当制および助成金が導入された。この製作割当制には、政府の認可済みプロジェクトに対する財政援助が盛り込まれていた。確かに、この政策は一方でフランス映画業界の収益性を保障したものの、他方で検閲と規制によって映画製作者の自立性を奪い、肝心の映画作品のクオリティを低下させることとなった [51]。このように、過度の保護は映画作品のクオリティを落とすことにつながりかねないので注意が必要である。
 フランス政府は戦後も規制と助成金制度を維持し、それらを管理していた組織をフランス国立映画センター(Center National de la Cinematographie、略称CNC)に改組した。そして、フランス当局は、アメリカと割当制度協定について交渉し、参入規制を堅持した。さらに、映画製作促進のための経済的インセンティブを設けた。そして1960年代には、入場料から税金を徴収し、それを特定の映画製作プロジェクトに関わるフランス映画製作者へ再配分する制度を設けた。さらに、1980年代には、ある一定割合以上フランス映画をテレビで放送することを義務づけた。なお、この種の制度はその後ヨーロッパ全域で導入されている[52]

4-4-1.CNCとは?
 
フランスでは、映画産業に対して、非常に大きな支援システムを設けている。それが前述した文化省の直属機関、CNCである。
 支援項目は以下の通りである[53]
 (1) 映画の製作・配給・興行に対する選択助成および自動助成。
 (2) 人材育成、映画祭の実現、潜在的視聴衆に対する情報提供、国際的な販売促進、技術的産業の支援。
 簡単に述べると、CNCは劇場・テレビ局に税金などの義務を課して映画産業資金を収集し、その資金を新人監督の製作費などにまわす役割を果たしている。つまり、映画産業を民間の力で支えられるように、政府の主導によって産官学の連携を図っているのである。
 CNCは第2次世界大戦直後の1946年に文化省の直轄機関として設立された。当初は戦争により荒廃した映画産業の復興にあたっていたが、その後、フランス映画の司令塔的役割を果たすようになった。このCNCの財政基盤を支えているのは、上述した映画・映像(テレビ)産業界からの拠出金である。映画入場料金(フランス映画、外国映画の区別なく)の11%、テレビ局(国営を含む)の総売り上げの5.5%、ビデオの総売り上げの2%を徴収し、年間予算は26億2200万フラン(2001年、約440億円)にまで上る。いずれも法による強制がかかっているため、遅延や滞納の心配はほとんどない。なお年間予算の約60%がテレビ局からの拠出金であり、この数字からテレビ局への依存が強いことが一目で分かる。また、テレビ局は年間約1500本の映画を放映し、その放映権料は26億4200万フラン(約450億円)に上る。具体的には、地上波局は総売り上げの3%、ケーブルテレビのカナル・プリュス(映画とスポーツに力を入れており、日本のWOWOWのような存在)は20%の上納が法的に義務づけられている。テレビ局は、放映権獲得のため、プリ・バイ(放映権先買い)と映画の共同製作を行う。フランス映画もまた、製作費の約60%をテレビ局との共同製作により確保している。要するにフランス映画にとって、テレビ局は切っても切れない存在なのである。また、フランスでは、新作映画の放映優先順位が決められており、公開から12〜18ヶ月後にカナル・プリュスが、30ヶ月後に地上波局が当該作品を放映できることになっている[54]
 この環境作りには政府が主導していることから、フランス映画業界では政府の権限が一番強い。しかし、映画会社もテレビ局もこのシステムを産業全体で支えているという意識が強いため、それらはCNCを産業から切り離して考えてはおらず、むしろそれを映画産業の重要な部門と考えている。日本の映画産業界はフランスのそれとは大きく体質を異にしており、その日本の映画産業界がフランスのような産官のバランスを取ろうとすれば、とてつもない労力がかかってしまうだろう。ただし、大幅な組織改革が必然の映画産業支援システムではなく、テレビの放送割当制度であれば、比較的容易に導入することができるかもしれない。放送割当制度とは、ある一定の映画放映時間を取り決め義務化する制度である。番組編成で映画枠を増やすだけなので、日本でも比較的実現しやすく、邦画への関心を高めるのにも貢献するであろう。ただし、その際は、テレビ局参加の製作委員会作品が市場を独占してしまわないような規制を必ず設けなければならない。

4-4-2.日本映画の放送規則
 
最近のブロックバスター映画は、シリーズ化されたり、スピンオフが製作されることが多い。さらには、続編公開直前に、観客動員を増やすために、前作がテレビ放映されることも少なくない。それが極端に行われた事例がある。日本テレビが関わる『デスノート』(2006年)の続編『デスノート the Last name』(2006年)が公開される前に、前作の『デスノート』(2006年)がテレビ放映され、その時期が早すぎるとフジテレビから抗議の声が上がったのである。日本では「映画は半年後にビデオ、DVDとして発売され、1年後に地上波放送される」という、業界内での暗黙のルールが存在する。それにも関わらず、日本テレビは2006年6月公開の映画『デスノート』の前編を11月公開の後編の宣伝も兼ねて放映した。その行動に対し、フジテレビは「売り上げ優先の商業主義に走ってめちゃくちゃになるので、各社がかたくなに守ってきました」と主張している[55]。フジテレビの主張によると、このルールを破ることは、テレビ放映と劇場公開との期間を短くすることを意味しており、フジテレビはそれによって興行成績が下がることを懸念しているのである。実際、この放映禁止期間に関するルールは、映画の興行成績を安定させ、また一部(テレビ局が深く関与している作品)の作品だけが独占的に認知されることを防止してきた。ところが日本テレビはそのルールを違反したのである。この問題が生じたことから、これまで明確な規制がほとんどなかった日本映画業界に、なんらかの規制や義務を制定する必要性が高まっている。

4-5.アメリカの文化政策
 
伝統的にアメリカでは政府、特に連邦政府の持つ機能を制限しようとする傾向が見られる。また富裕層が築いた富を寄付という形で社会へ還元することは当然のことと考えられている。実際、芸術の振興・保護として、歴史的にカーネギーやメロンなどの資産家が美術品の収集、美術館、コンサートホールなどの創設、芸術家への経済援助を行ってきた。つまりアメリカでは、個人や民間団体による芸術の援助活動がすでに定着しているのである。その一方で、文化面での連邦政府の役割は、あくまで間接的なものにとどまっている。例えば、寄付などを奨励、助長するための優遇措置などを取るといった具合である。事実、連邦政府には文化行政担当の省庁が置かれていない。すでに示唆しように、アメリカの文化活動の大部分は民間からの寄付によって支えられているからである。アメリカの非営利団体「American Association of Fundraising Counsel」の推計によると、1999年度の民間寄付の総額はアメリカのGDPの約2.1%、1902億ドル(19兆4,004億円)である。寄付の内訳は、その約8割が個人、約1割が財団となっている。そのうち、芸術文化への寄付は、全体の5.8%の110.7億ドル(1兆1,291億円)である。また、これらの寄付を奨励・助成するために、支援される芸術団体と、芸術に寄付をする財団、企業及び個人の双方に各種の税制上の特例措置が講じられており、非営利芸術団体は原則として法人所得税、固定資産税、売上税などが免除されている[56]。ひるがえって、日本における非営利団体(NPI)への寄付総額は名目GDPの0.11%の5307億円(50億ドル)である。国連推奨の国際非営利組織(ICNPO)分類における「文化・レクリエーション」部門への寄付金は、全体の21.8%の1157億円であり、部門別では最も高い割合である[57]。日本では寄付をする場合、文化面を支援する傾向が見られる。日米で比較すると、GDPの割合では日本の方が勝るが、金額面では圧倒的に、アメリカの方が大きい。 このようにアメリカでは、民間の力を引き出すために、寄付に税制上の優遇措置を設け、民間機関や個人による芸術団体への寄付を促進している。各国でも寄付税制の措置は採用されているが、特にキリスト教の奉仕精神が強い人が多いアメリカだからこそ、寄付が成功しやすいのであろう。逆に映画ファンドでも「利回り追求型タイプ[58]」が最も多い日本には、アメリカのようなボランティア精神に依存した政策は適用しにくいと思われる。

4-6.イギリスの文化政策
 
2000年、イギリスの映像政策庁(UK Film Council)が、様々な文化振興団体を統合して設立された[59]。同庁はイギリス映像産業振興政策の基本に「主要目的とプライオリティ」を掲げ、「6つの戦略原理」を述べている。そこでは経済的・文化的目標にとどまらず、多様性及び社会性一体性という社会的目標にも焦点を当てている[60]
 舞台芸術・美術の振興においては、芸術協議会(Arts Council)が中心的な役割を果たしている。芸術協議会は、1946年にロイヤル・チャーターによって設立された。本機関は芸術に対する政府援助資金の中心的な配分機関として、オーケストラや劇団などの芸術文化団体を補助しており、芸術団体の発展、芸術鑑賞の機会の増進、政府・地方機関などへの助言・協力などを行っている。また本機関は、国民宝くじの収益金配分のうち、芸術文化に関する応募案件を審査し、助成活動を行っている。この宝くじにおける収益は大きく、従来の芸術協議会による助成金とほぼ同規模である。
 一方、映画については、英国映画協会がその振興に当たっている。この協会は映画の芸術性の向上と国民への普及を目的として1933年に設立された。具体的には、映画のフィルムの保存、施設の運営、国立映画館の設置・運営、映画の製作・配給、地域映画館の建設、映画情報の収集・提供などを行っている。また、1971年に設立された国立映画テレビ学校が芸術図書館庁と映画テレビ産業からの共同の援助を受けて、映画・テレビ関係の人材養成に尽力している[61]

4-7.韓国の映画振興 ―第5回文化庁全国映画祭コンベンション―
 
2008年10月23日に東京で開催された、第5回文化庁全国映画祭コンベンション[62]のプログラムの一つとして、韓国の映画振興の現状についての講演が行われた。その際の討議の内容を踏まえながら、現在の韓国の映画振興について論じる。
 2008年度開催された、文化庁主催のコンベンションは、映画をコミュニティとして位置づけ、どのような発展性があるかを論じる場であった。これはあくまでも筆者の印象だが、このコンベンションではコミュニティを、映画を通した街づくり、観客と映画の交流の場として位置づけているようであった。また、このコンベンションの企画者は新たに映画を利用したコミュニティを設けるための工夫や手法を模索している様子だった。
 文化庁は上記のように、映画をプロダクトではなく、コミュニティ、芸術として捉えている。本稿では、文化庁に近い視点から、ソフト・パワーになりえるような、質の高い映画作品を取り巻く環境について述べてきた。一方、経済産業省は、映画を音楽やテレビなどの「コンテンツ(ソフト)」の一種として扱い、グローバル化しつつある著作権ビジネスに備えている印象である。どちらの方向性も必要だが、現在の映画産業形態を継続することは、作品の質を維持するという点において危機感を感じる。隣国である韓国にも同様の危機感は広まっているようであり、実際韓国では、アート系映画のスクリーン占有率を増やすための支援が始まっている。今回のコンベンションでは、韓国映像振興会(KOFIC)のパク・ヒョジン氏が現在の映画産業と支援形態について講演を行った。
 韓国では、これまで述べてきた日本の映画産業の場合と同様に、外資系会社がシネコンに参入したことによってスクリーン数が一気に上昇した一方で、単館系映画館が閉館に追い込まれ、アート系映画の上映機会が大幅に減少した。特に地方の映画館が受けた打撃は甚大であった。都市に比べて元々の劇場数も少なかったため、現在、地方の映画ファンは、アート系映画をほとんど鑑賞できない事態にまで陥っている。それは、もともと存在するアート系の映画ファンを根絶やしかねない状態を意味している。もっとも韓国では、同様の危機を抱える日本とは違って、この事態に対する問題意識が非常に強く、現状を打破しようとする取り組みがすでに数多く行われている。
 まず、アート専門映画館を新たに建造し、さらには一部のシネコンをアート専門館に変容させる取り組みが行われている。なお韓国では、アート系映画、独立系映画、ドキュメンタリー映画を合わせて「多様性映画」と総称しており、日本のようにそれらを「マイナー映画」と呼ぶことは決してない。それは商業規模をマイナー、小さいとマイナスに思われることを嫌っていることの表れであり、そこに並々ならぬ意気込みが感じられる。
 さて、KOFICが2003年から実施しているアートプラス・シネマ・ネットワークには2008年(当時)30館が参加し、ある程度安定して、多様な映画の上映スペースを確保している。しかし、参加者は一部の商業映画館にとどまり、地域格差の点は解消されなかったため、KOFICはさらに公共施設などが映画を上映できるように支援すべきだと考え、2008年からはネクストプラス・ネットワークを引いた。このネットワークは、これまで個々に上映してきた作品を共同配給になるように統合し、そうすることで地域間の文化格差を埋めることを目指している。具体的には巡回映画館事業を実施し、要望のあった地方に出向いての映画上映を行っている。実際、その利用者数は年々増加している。さらに、KOFICはワークショップや討論会などの人材育成にも力を入れ始めている。
 以上のことからも窺えるように、地方からの上映要望が多い点が韓国と日本の観客で特に異なっている。2001年、韓国の観客の声から生まれた「ワラナゴを見ようキャンペーン」は、興行不振で短期の上映で終了してしまった作品の頭文字4文字を合わせて「ワラナゴ」と呼び、もう一度作品を見ようと映画業界人や観客が自発的に動いたことで、実現した。このような観客の積極的姿勢は、現在の日本の観客にはあまり見受けられない。もっとも日本でも、アニメーションに関しては積極的な観客が多数付いている。そしてアニメーションと映画が全く異なるメディアではない以上、そうした観客が独立系、アート系の映画によって映画の良さを再確認する可能性も確かに残されている。
 現在、テレビ、レンタル、動画配信などの普及によって、映画を見る場所はますます映画館に限定されなくなっている。また、インターネットの普及によって、パソコン、テレビを通した双方コミュニケーションが可能になり、観客が一方通行の受信者から発信者にもなりえる新しいメディアのあり方が生まれたことも、従来の映画館での鑑賞が衰退した要因の一つである。
 では、こうした状況下において、現代の日本の観客が自発的に映画を鑑賞できる上映スペースとはどうようなものだろうか。今回のコンベンションでは、街づくりと映画館の良好な関係についての議論は残念ながらまだ模索段階にあるようであり、発言者が映画館、シネコンを中心街に建て足腰の弱い恒例の方々が気軽に足を運べるようにしたいと結ぶにとどまっていた。確かに地域にはそれぞれ個性があり、それはそこに住む人々でしか分からないものであるが、可能であれば、どのような形態の映画館(上映環境)が地方に適しているかなど、具体的な劇場形態についての議論があれば良かったと思う。実際、映画に対する価値観は国家ごとに異なるばかりでなく、各国の地域ごとにも異なる。日本においても、映画が誕生してから約一世紀の間、それぞれの地域で独自の映画文化が育まれてきた。映画を鑑賞する空間が多様化した現在、周辺地域の個性を踏まえて、映画館の位置づけとその環境について、これまで以上に熟考してゆくことが必要であろう。また、京都のように撮影所を所有する地域では、上映環境のみならず、作る側、見る側、そして、将来の人材確保も含めたネットワークについても再考察せねばならないであろう。
 韓国は日本よりも映画の支援意識が高まっているが、製作側の話は今回のコンベンションでは議題に上げられなかった。興行の改革も必要だが、日本に適した、製作、配給、興行のネットワークづくりについても考えていかなければいけない。現在、製作委員会を除き、一貫経営をする映画会社はほとんど存在しないため、製作、配給、興行部門が分割されている。それにより、部門ごとで格差が生じ、各部門が対等に連携できずにいる。韓国の場合、観客の意識が高かったからこそ、部門同士がうまく繋がり、それによって上記のような中規模な映画支援が進んでいる。しかし、一方で日本の観客は関心が薄いため、観客の自発性に頼れば、興行の変革は遠のいてしまう。だからこそ、観客の意識を高められるようなネットワークの土台を構造的に作り、外部環境の変化から意識変革を目指すべきである。この数十年間、観客を取り巻くメディア環境(ハード)が、映画館から、テレビ、インターネット、携帯電話へと変化し、それと共に、観客のメディアに対する意識も変わっていった。映画による街づくりを進めている日本は、街ごとのネットワークが徐々に広がっているとも考えられる。地方から市場開拓することは、地方分権に改革された新しい日本に適した手法であり、映画産業全体にとっても大きな利益をもたらすはずである。

4-8.NPOによる地域活性化のための取り組み
 
1990年「映像産業の拠点を大阪に!」のスローガンで始まったアートポリス大阪協議会[63]は、バブル崩壊で巨額の債務を負った大阪を映像産業によって、その苦境を打破するために設立された。アートポリス大阪協議会は、イギリスの映像政策を参考にして、BOSプロジェクト(プサン(韓国)/大阪間で若手映像クリエイターを交換するプロジェクト)、イギリス映画協会(BFI:British Film Institute)の教育実践(中学・高校のカリキュラム開発)、Danishシステム(映画ビジネスへのエンゼル型投資)などを行っている。とはいえ、設立からまだ日が浅いため、その成功の是非についてはまだ結論を出すことはできない。
 また、横浜でも自治体主催で、映像文化都市を目指した、横浜市・映像コンテンツ製作企業等立地促進助成制度や東京芸術大学との官学連携の人材育成が行われている[64]。地方交付税の廃止によって、各地方自治体は自力運営を余儀なくされるようになった。そうした中、今後、映像コンテンツの利用によって地域活性化を進める地方自治体は増えていくだろう。例えば、日本初アカデミー賞外国語部門を受賞した『おくりびと』(2008年)のロケ地である山形県酒田市では「NPO法人 酒田ロケーションボックス(平成19年12月12日設立)」を立て、ロケーション撮影の情報公開などで映像業界と交流し、地域活性化に奮闘している。山形新聞の2009年5月16日付オンライン記事によると、ロケ地の1つ、酒田市日吉町2丁目の旧割烹(かっぽう)小幡の入館者が3万人を突破した。ちなみに、一般開放されたのは同年の4月10日なので、驚くべきことにこれはたった約1ヶ月間の入館者数である[65]

5.日本映画の“真”の活性化に向けて
 
映画業界を調べていくうちに、3つの改善すべきポイントが浮かび上がってきた。

5-1.一貫経営による独占市場化の防止
 
日本では大手映画会社の権限が強いため、独立系映画を製作する場合、企画力を維持したまま製作できる環境づくりに努めなければいけない。その手段として、本稿ではポートフォリオ型の映画ファンドを提案した。しかし、映画が完成しても、上映先を確保しなければ作品は世間に公表できない。そのため、現在、確実に上映先を確保しようと、東宝、松竹だけではなく、大手3社以外の角川映画、シネカノンなどの映画会社も自社製作作品を流すために、シネコン開発に取り組んでいる。これらの映画会社は大手の東宝、ワーナーに比べて、はるかに確保できるスクリーン数が少ないため、独立系作品を流す貴重なスペースを確保するために、この一貫経営は許容されるべきであろう。もちろん、興行のみを運営する映画館の設立増加が一番理想的である。なぜなら、各映画館が単なる施設環境によってではなく、それぞれの上映プログラムによって他の映画館との差別化を図ることこそが、映画作品の多様化につながるからである[66]。ともあれ、シネコンの数は今後も増え続けるであろうが、似通ったサービスでは、生き残りは厳しい。したがって、費用のかかるハード面(劇場設備)の改革ではなく、ポイント制などのサービス改革が今後、増えていくことが予測できる。
 産業・ビジネス志向の強い日本では、ソフト面の改革や興行の規制を実施することは難しいため、義務や法律によって独占市場化を食い止めることはできない。経済産業省が、ブロックブッキングは独占禁止法に触れないという考えを持っている以上、個々の力で大手映画会社による興行の隙間に入り込まなければいけない。
 これまで独立系映画が個々の力を発揮する手段を模索してきた。そのなかで、映画ファンドやシネコン以外の上映場所の確保が重要であるということを明らかにした。とはいえ現状は厳しい。例えば、2008年の第5回文化庁全国映画祭コンベンションでは、地域活性化のために地方都市に映画館を増設することは議論されていたものの、それらをアート系の映画館にしようという意見はほとんど見られなかった。独自の歴史を持つ古い建物が取り壊され、均一なシネコンのみが至る所に建設される、そうした事態が広まらないことを、本稿は切に願っている。

5-2.産官学の連携
 
アメリカのような産業・ビジネス志向の国でも、ボランティア精神が強く、映画産業を重視していれば、国民自身が中間的立場を取り、映画会社のパワー・バランスをうまく取ることができる。しかし、キリスト教的ボランティア精神が根付いていない日本人に、ボランティア精神を押しつけてもその力を発揮できる訳がない。ただし、日本人にボランティア精神が決して欠けている訳ではない。最近の街づくり改革で地域活性化をもたらしたのは、ほとんどNPOやその地域に住む住民である。また、様々な映画団体もボランティア活動を行っている。例えば、特定非営利活動法人映像産業振興機構VIPOが人材育成や製作支援などを行っている[67]。目的は何であれ、危機感を感じ、実際に行動に移す人々の手でしか、変革は起こせない。したがって、観光振興を望む地方自治体とその地域の住民と映画を結びつけようとする文化庁の政策は妥当である。さらに、経済産業省が映画産業を成長産業であるIT業界と結びつけるのも、それらが若く活気のある人々が集まる業界であるゆえだろう。どちらの政策方針も、改革目的の点では理解できる内容である。
 人気はあるものの人手不足と呼ばれる映画業界では、人材育成は将来の資源となるため、きわめて重要である。産学連携の教育が注目されている中で、地域に密着した教育は就職者や永住者を増やす有効な手段となるだろう。学校が設立されれば、多くの学生がその地域に住むことになり、結果として街が活気づけられるのである。さらに、産学連携で参加した地元企業に学生が就職するというネットワークを組むことができる。特に、エンタテイメントを扱う映画会社への就職希望者は多く、企業と学生との間の誤解や格差を解消しながら、両者を結びつけることは一挙両得である。地方にも映画関連会社と映画学校が存在すれば、東京にわざわざ上京する学生の数も抑えられ、地域活性化に結びつく。京都では、立命館大学の映像学部が、東映京都撮影所や松竹との産学連携教育を遂行し始めている。映画史初期から存在した、撮影所での人材育成(スタジオ・システム)が1970年代初頭、映画産業の衰退と共に解体されたことが、その一因であろう。スタジオ・システムとは、超高倍率の入社試験をくぐりぬけた若いエリート学生たちが、撮影所で現場監督の助手となり、手足を使って映画製作を覚えていくというものであった。しかし、それが無くなったことで、独学や専門学校だけで映画製作を学んできた学生と撮影所との間にしばしば行き違いが生じるようになり、改めて、撮影所と映画専攻の学生とを結びつけるための場が見直されるようになった。それが産学連携のプロジェクトである。
 もちろん人材育成も大切だが、観客の動員についても考えなければいけない。ここ10年以上観客動員数は平行線のままなので、新規の観客を映画館に呼ぶことが映画業界の最重要課題になるだろう。まず、潜在的観客である子供に狙いを定め、小さい頃から映画に親しみを感じさせることが大切である。上述したように、映画を学べる場所を確保し、卒業後の進路先である製作・興行環境を改善することで、人材確保と新規観客の可能性が膨らむであろう。例えば近年、高校生3人割引や50歳以上の夫婦割引(片方が50歳以上であれば可)などのサービスが広がっているが、しかし意外なことに子供の親に対する割引は設定されていない。子供が劇場で鑑賞する際、親が同伴することが多いにも関わらずである。もし、親子割引などの制度も導入されれば、これまで映画に関心の薄かった親が子供を連れて映画鑑賞する機会が増えるかもしれない。今後、近い将来重要な観客層を形成するであろう子供達を積極的に映画館に呼び込む戦略を考えていかなければならない。
 子供の関心を高めるには、映画鑑賞を盛り込んだ教育カリキュラムを設けることは言うまでもなく、実際に撮影している現場に触れさせることも大切である。東宝が他社に撮影現場を貸すビジネスを行っているが、スタジオ脇に試写会やイベントを行うスペースを確保したり、撮影現場の見学やキャメラやフィルムを体験できる博物館を建てたり、また映画関連の教育施設を設置することはできないだろうか。それによって、親子で楽しめ、かつ映画に関心を持たせることができるかもしれない。実際、アメリカのユニヴァーサル・スタジオでは、撮影現場を見学できる場がアトラクションの一部として用意されており、人気を集めている。例えば、工夫を凝らした教育兼娯楽施設を撮影所に併設することによって、子供達と映画製作を学ぶ学生を交流させてはどうであろうか。そうすることによって、子供達に映画業界を身近に感じさせることができるかもしれない。また、日本のアニメーションが海外で注目されている点から言えば、ソフト・パワーとなる海外への政策アピールや人材育成は、海外への製作委託の防止にもつながるだろう。
 また、近年流行しているフィルム・コミッションの制度によって、各地域でのロケーション撮影の機会が増えれば、地域住民の映画への関心が高まっていくだろう。フィルム・コミッションとは、映画、テレビドラマ、CMなどのあらゆるジャンルのロケーション撮影を誘致し、その撮影をスムーズに進める非営利公的機関を指す。現在、AFCI(国際FC協会)に加盟しているFCだけでも、世界41カ国に307の団体が存在する。それらの多くが国や州・市など自治体等に組織されており、国内ばかりでなく国際的なロケーションの誘致・支援活動の窓口として、地域の経済・観光振興、文化振興において大きな成果を上げている[68]。このようにフィルム・コミッションは、住んでいる街を言わば映画都市に変貌させることによって、地域活性化を成功させているのである。ただし、観光振興ばかりに努力を向けるのではなくのではなく、子供に対する映画教育、地元の映画産業の改革を含めて考えなければ、映画都市への変貌は表面的なものにとどまるであろう。また当然ながら、むやみなイベントの開催やロケーション撮影の敢行によって、その地域に住む人々の生活に支障が生じるようなことがあれば、映画都市としての位置づけを長期的に維持することは難しいだろう。

5-3.外側からの改革の必要性
 
ここまで述べてきたことからも明らかなように、映画は私たちの生活に根ざしたものである。社会・エンパワーメント志向のイギリスを参考にすべきだと言われるのは、日本でも映画が私たちの生活を覆っているにも関わらず、それに対する認識が広まらないまま、映画を取り巻くビジネス的な環境だけが大きく変化しているため、そこに住んでいる私たちが映画産業から排除され取り残された状態にあるからである。
 ここ最近の司法試験のように、合格者が増加したものの、試験合格後の受け皿が浅いために、これまで以上に法律関係者を圧迫するという状況にならないよう注意すべきである。すなわち、映画にとっての受け皿である上映場所を確保するために、政府が映画館の新規参入を妨げる要因を取り除く、何らかの規制を設けるべきである。一見したところこれは実現が難しいように映るかもしれないが、フランスのようにこの規制が実際に成功している例もあるので、政府が映画産業とうまく関わることは決して不可能なこととは言えない。そもそも製作委員会もシネコンも、映画会社自身が発案したビジネスモデルではなく、外部からの提案である。前述したように、製作委員会方式の映画製作はテレビ局によって主流となったのである。そして、シネコンも外資系企業によって開発されてきたのである。さらには映画ファンドの成功も金融関係者によるものであった。いずれも外部からの働きかけによる産業変革である。
 現在の日本映画業界には内側からではなく、外側からの改革が必要である。従来型のブロックブッキング形式はいまだに見直されておらず、それどころか現在では、大手3社以外の映画会社までもが一貫経営に動き出している。人材不足の映画業界では業界内で所属団体を頻繁に移動する人が多いと聞くが、そのせいであろうか、映画業界では業界全体での仲間意識が非常に強く、変革を恐れる保守的な傾向があるようである。だからこそ、権限がないに等しい政府が規制をかけようとしても、圧倒的な映画会社からの反対意見によって、そうした規制が実現しないのであろう。映画業界がこれまで築き上げてきた旧来の価値観を打破し、新しい風を吹かせるためには、様々な人材を引き込めるようなしっかりとした人材育成と、他業界との融合が鍵となるであろう。
 各企業や個人を映画ファンドに参加させるためにも、まずは情報を伝える側からの変革が大切である。しかし、テレビ局を含め、テレビ局とのつながりのある日本の新聞社や製作委員会のメンバーである大手出版社側からのアプローチは期待できない。例えば、教育やフリーの立場にいる映画評論家達が、映像作品全般を扱うショッピングサイトなどと手を組んで、信頼性の高い映画批評サイトを運営するというのはどうだろうか。ショッピングサイト側は情報の信頼性をこれまで以上に高めることができるし、一方の評論家側は自分の意見をさらに多くの人々に広めることができるであろう。また、フィルム・コミッションや、本稿では詳述することのできなかったイベント的な要素の強い映画祭も、映画の関心を高める方法として考慮していくべきである。
 そして、個人が自発的に映画に対する関心を深めるには、やはり映画ファンドへの参加を促すのが商業主義の映画業界にとっても好都合だろう。もっとも、損得に関わるため、安易に金額が大きい作品や豪華キャストだからといった視点で人々が投資を決断しないことは、『SHINOBI』ファンドの例からも明らかである。しかし、投資者がファンドを通じて作品の将来性や興行成績の良し悪しをこれまで以上に強く意識するようになり、さらには映画に対する独自の意見を育むようになれば、それは自ずと映画の多様化につながると思われる。
 日本映画産業の改革に必要なのは、確立された環境を組織的に規制によって変えることではなく、新しい形態やサービスを導入し、そのことを通じて業界内の慣習を徐々に変化させることである。それこそが日本の志向に適した方法だと言えるだろう。

附記
 
本稿は同志社大学政策学部に2007年度に提出された卒業論文を改稿したものである。


[1]製作と制作の違いについて補足しておこう。書物によって、製作と制作の定義が異なるが、本稿では浜野保樹の定義で論じている(浜野保樹『表現のビジネス コンテント製作論』[東京大学出版会、2003年]、17-18頁)。
 「製作」とは、映画の企画開発を行い、人と資金を集めて作品を作り、できた作品を商品として宣伝、セールスするという、一連のビジネス過程である。英語では、produceにあたる。一方、「制作」とは「製作」で企画開発された後の作品を作る工程、あるいは、金額提示された作品作りを請負、納品するまでの工程を指す。英語では、directにあたる。最近の日本映画は、製作委員会(第1章を参照)方式映画が主流なため、作品を請負う製作会社は後者の場合が多い。本稿でも大まかには製作を英語のproduceの意味で、制作をdirectの意味で用いている。ただし、浜野による「製作」の定義は、配給を上映先の決定のみとするが、本稿では、宣伝も含めて配給と定義する。
[2] 図1の用語を説明すると、配給契約は配給規模、宣伝費の決定することであり、関連して2次使用の販売予測、資金調達等も行う。劇場決定は、宣伝部の方針、作品のカラーに合う劇場を選択することである。また、各部門の取り分の計算は以下のようになる。
 ・製作の取り分=(配給収入−宣伝費−配給手数料)×出資比率、(映画料=配給収入)
 ・配給の取り分=映画料、(興行収入の約50%)
 ・興行の取り分=興行収入−映画料、(興行収入=入場料の金額)
 より詳しくは、キネマ旬報映画総合研究所『映画プロデュースの基礎知識』(キネマ旬報社、2005年)、 28-30頁を参照されたい。
[3]同上、8-9頁。
[4]ルイス・ジアネッティ『映画技法のリテラシー 映像の法則』(フィルムアート社、2003年)、271頁。
[5]キネマ旬報映画総合研究所(2005)、10頁。
[6]2次利用部門は、比較的リスクが小さいと考えている。その理由は、2次利用は興行成績から、ある程度DVDの売れ行きが予測しやすく、大きな失敗に繋がりにくいからである。
[7] キネマ旬報映画総合研究所(2005)、10、42頁。
[8]斉藤守彦『日本映画、崩壊 邦画バブルはこうして終わる』(ダイヤモンド社、2007年)、74頁。
[9]同上、74-78頁。
[10] 日本映画データベース『いま、会いにゆきます』(2007年10月30参照)
<http://www.jmdb.ne.jp/2004/eb004140.htm>。
[11]『おそいひと』公式サイト(2009年2月10日参照)
<http://osoihito.jp/>。
[12]フジテレビ 公式サイト(2009年2月28日参照)
<http://www.fujitv.co.jp/b_hp/27h2007/index.html>、
<http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/07-207.html>、
<http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/07-223.html>、
<www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2008/08-205.html>。
 「FNS27時間テレビ みんな なまか だっ ウッキー!ハッピー!西遊記!」(2007年7月29日[土]19時〜7月29日[日]21時15分放送) 2007年度の瞬間最高視聴率は22.7%、平均視聴率は12.4%(関東地区限定)だった。芸人の明石家さんま司会の2008年度の成績(瞬間最高視聴率26.7%、平均視聴率は13.8%で歴代2位(ただし2001年以降)と比較すると、良くも悪くもない印象の数字である。
[13]2007年、北野武監督と松本人志監督がカンヌ映画祭に招待された。そして、それとは無関係に、公開間近の映画の主演である、木村拓哉(『HERO』)と香取慎吾(『西遊記』)がカンヌに訪れていた。木村と香取は映画祭には招待されておらず、あくまでも映画の宣伝が目的である。その4人を特集した番組内容が下記サイトにまとめられている。当時、カンヌ映画祭と無関係な2人の訪問について、多くのメディアは好意的に報道した。そのため、カンヌ映画祭の仕組みを知らない視聴者に、全員がカンヌ映画祭から招待を受け、彼らの主演作品も世界的に評価を受けたと誤解を招いた恐れがある。
テレビ朝日 SmaSTATION!! 公式ページ 
<http://www.tv-asahi.co.jp/ss/247/special/top.html>。
nikkansports.com 「キムタクと香取がカンヌで主演作PR」(2009年3月17日参照)
<http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/p-et-tp1-20070521-201884.html>。
[14]社団法人日本映画製作者連盟公式サイト「社団法人日本映画製作者連盟の定義」(2007年9月17日参照)
<http://www.eiren.org/toukei/screen.html>。
[15]加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書、2006年)、161-162頁。
[16]キネマ旬報映画総合研究所(2005)、22頁。
 一部では1980年に誕生した複合映画館「小牧コロナ会館」(現・小牧コロナワールド)が日本初のシネコンだと言われているが、この映画館は映連(社団法人映画製作)のシネコンの定義に完全には合致していないため、厳密にはワーナー・マイカル・シネマズ海老名が第1号とされている。
[17]斉藤(2007)、54-58頁。
[18]同上、161-162頁。
[19]浜野(2003)、164-165頁。
[20]同上、164頁。
[21] キネマ旬報映画総合研究所(2005)、79-80、106-112、138頁。同書に『ピンポン』など具体的作品の例も書かれている。
[22]村上世彰、小川典文『日本映画産業最前線』(角川書店、1999年)、43-45頁。
 1997年度の東京と他の先進国の映画鑑賞料(国家全体の興行収入を鑑賞数で割ったもの)を比較すると、日本が1番高く、シンガポールの3.17倍、パリの1.9倍、ニューヨークの1.76倍である。一方、ビデオレンタルソフト料は、他国とほぼ変わらず、香港の1.31倍、パリの0.83倍、ニューヨークの0.91倍と、むしろ、他国を下回る料金である。10年以上前のデータではあるが、これを踏まえると、劇場で鑑賞するより、レンタルを選択する観客が増えたのは、仕方ないことだと言えよう。
[23]小林光『キネ旬総研白書 映画ビジネスデータブック 〈2009-2010〉』(キネマ旬報社、2009年)、26頁。
[24]キネマ旬報映画総合研究所(2005)、11-12頁。
[25]ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー』(日本経済新聞出版社、2004年)、10-15、26、27、34頁。
[26]小林光『日本映画の国際ビジネス〜世界に勝つために知っておきたいコト〜』(キネマ旬報社、2009年)、33-40頁。
[27]斉藤(2007)、77-78頁。
[28]同上、204頁。
[29]同上、228頁。
[30]同上、229頁。
[31]小林(2009)、12頁。
[32]アイザワ証券「忍−SHINOBIファンド匿名組合」 (2007年11月10日参照)
<http://www.aizawabtc.com/TopMenu/shinobi.html#sub>(現在閉鎖)。
キネマ旬報映画総合研究所(2005)、127-129頁。
キネマ旬報DB「忍 SHINOBI−」(2009年3月24日参照)
<http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=36748>。
[33]Money Life 片山正二「特集・コラム [映画ファンド]」(2007年11月3日参照)
<http://money0.quick.co.jp/column/topics/moviefunds/17.html>(現在閉鎖)。
[34]同上。
[35]岩崎明彦『「フラガール」を支えた映画ファンドのスゴい仕組み』(角川SSコミュニケーションズ、2007年)、36頁、43-45頁、51-54頁。
[36]同上、65頁。
[37]同上、68-72頁。
[38]同上、72-73頁。
[39]同上、72-73頁。
[40]同上、86頁。金融庁「信託受益権について」(2009年3月24日参照)
<http://www.fsa.go.jp/policy/shintaku/index.html>。
[41]同上、102-103頁。
[42]同上、94-96頁。
[43]同上、79-83頁。
[44]同上、83-84頁。
[45]同上、93頁、123-126頁。
[46]キネマ旬報映画総合研究所(2005)、20-23頁。
[47]大阪デジタルコンテンツファンド 公式サイト(2007年11月3日参照)
<http://www.odcf.jp/index.html>。
[48]立岡浩「映像コンテンツ産業の社会経営政策と公共非営利セクター」『映像コンテンツ産業の政策と経営』山崎茂雄・立岡浩編(翔泳社、2006年)、102-103頁。
[49]同上。
[50]立岡(2006)、102頁。
[51] クサビエ・グレフ「文化産業政策 映画と書籍」『フランスの文化政策 芸術作品の創造と文化的実践』(垣内恵美子監訳)(水曜社、2007年)、225頁。
[52]同上、225-226頁。
[53]中川洋吉『生き残るフランス映画 映画振興と助成制度』(星雲社、2003年)、10-19頁。
[54]同上、40-53頁。
[55]2006年12月26日 掲載 「映画「デスノート」をめぐってフジが日テレに激怒」日刊ゲンダイ(2007年11月3日参照)
<http://gendai.net/?m=view&c=010&no=18728>。
[56]日本、文部科学省「平成12年度我が国の文教施策 第1部第4章 海外の文化行政」PDFファイル、122-125頁、(2009年3月29日参照)
<http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad200001/hpad200001_2_113.html>。
[57]日本、内閣府「非営利サテライト勘定に関する調査研究について」PDFファイル、7頁、
<http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/sateraito/071102/hieiri-gaiyou.pdf>。
 NPIとは、以下の5項目を満たしている組織を指す。1.組織であること、2.営利を目的とせず利益を分配しないこと、3.制度的に政府から独立していること、4.自己統括的であること、5.非強制的であること。
[58]岩崎(2007)、91-92頁。
 投資家のタイプ
 (1)篤志家タイプとは、文化産業の発展に貢献したいという思いから投資するパトロンのようなタイプを指す。事業成功者や大金取得者が社会貢献の一種として行うことが多い。こうした人々は、元本割れが起こっても自分の資金によって映画が製作されたというだけで満足する。アメリカでは、こういった思考の持ち主が多いため、上記の政策が成功するのだと思われる。
 (2)ファン層タイプとは、映画やアニメの熱狂的ファンであり、応援したいという思いから投資するタイプを指す。投資単位はリスクをかけずに1口1−5万円など小口の資金投資をすることが多い。アイドルファンドはこの層を狙っている。
 (3)利回り追求型タイプとは、あくまでも投資による運用益を目的とし、しっかり計算して投資判断を行うタイプを指す。日本では、このタイプが多いようだ。ファン層タイプに向けて宣伝した『SHINOBI』ファンドの失敗とポートフォリオ型の『シネカノン・ファンド第1号』の成功からみても妥当だろう。
[59]内山隆「イギリスの映画振興政策」『映像コンテンツ産業論』(丸善、2002年)、146頁。
[60]立岡(2007)、78頁。
[61]日本文部科学省「平成12年度我が国の文教施策 第1部第4章 海外の文化行政」PDFファイル、121頁。(2007年11月25日ダウンロード)同文(2009年3月29日参照)
<http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad200001/hpad200001_2_109.html>、
日本文部科学省「平成12年度我が国の文教施策 第1部第4章 海外の文化行政」122-125頁、(2009年3月29日参照)
<http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad200001/hpad200001_2_113.html>。
[62](財)国際文化交流推進協会「第21回 東京国際映画祭協賛企画 文化庁映画週間 第5回 文化庁 全国映画祭コンベンション『住みたい街、行きたい映画館〜コミュニティ、文化、映画について考える〜』」(2008年10月31日参照)
<http://www.acejapan.or.jp/film/commoncontents/conference/tiff/05th_convention.html>(現在閉鎖)。
[63]アートポリス大阪協会公式サイト(2009年4月28日参照)
<http://www.artpolis-osaka.net/article1.html>。
[64]横浜市「映像文化都市」(2007年11月29日参照)
<http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/kaikou/souzou/project/cultural/>。
[65]山形県酒田市「NPO法人 酒田ロケーションボックス」(2009年3月29日参照)
<http://www.sakata-lb.com/index.html>。
撮影協力に連名有り。今作は、ロケハン側からロケ地の要請があったと見られる。
[66]京都の四条烏丸にある「京都シネマ」は、3スクリーン保有し、シネコンではなく単館系で、独自の企画や番組編成を持つのが特徴であり、その点が好評を得ている。2003年に閉館した「京都朝日シネマ」のオープンにも携わった、神谷雅子氏が代表を務めるアート系単館映画館である。京都シネマの詳細は、株式会社 如月社 公式サイト(2009年3月29日参照)
<http://www.kisaragisha.co.jp/>、
ならびに神谷雅子『映画館ほど素敵な商売はない』(かもがわ出版、2007年)を参照されたい。
[67]映像産業振興機構VIPO( Visual Industry Promotion Organization)は、わが国の映画、放送番組、アニメーション、ゲーム、音楽等を国際競争力ある産業とし、映像コンテンツ産業の発展を通じて日本経済の活性化に寄与することを目的とするNPO法人である。
公式サイト(2007年10月20日参照)
<http://www.vipo.or.jp/ja/>。
[68]全国フィルム・コミッション連絡協議会 公式サイト(2009年3月29日参照)
<http://www.film-com.jp/index.html>(現在閉鎖)。

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