運命《線》上に踊る男と女
マキノ雅弘『いれずみ半太郎』分析



羽鳥 隆英

再読を軽んずる人は、到る所で、同じ物語を読まざるを得ない。
     ロラン・バルト[1]

1.落下の回避
 
花街からの帰るさ、酔い醒ましに夜風に当たろうとでもしてか、小田原を流れる川端をそぞろに歩く大川橋蔵の博打打ち、その目の前で、折しも丘さとみの宿場女郎が物憂げに突堤の上を川中へと進んでいる(図1)。男は女に声を掛け、突堤の上をその手を引いて川端まで連れ戻し、身投げを思い止まらせる。すでにお互いを見知っていた二人はここで偶然の再会を遂げ、物語もまたメロドラマ的な至上の愛への階梯を一段あがることになる。
 マキノ雅弘監督『いれずみ半太郎』(1963年)は忘れられた映画である。実際、黒澤明監督『用心棒』(1961年)と『椿三十郎』(1962年)とを経て、いわゆる集団抗争時代劇が台頭しつつあった日本映画界において、大川橋蔵主演の股旅映画など古色蒼然と映ったことであろう、封切り当時の『キネマ旬報』はこの作品の批評記事を掲載してはいない。翻って今日でも、映画批評家・山根貞男の論考などを数少ない例外として、[2]『いれずみ半太郎』への言及は稀である。このように黙殺されてきた映画に初めて/再び光を当てるには、言うまでもなく、映画言説共同体の関心を惹き得る正当な理由がなければならないが、ここではまず以下のように記しておきたい。すなわち、本稿が『いれずみ半太郎』を映画的テクスト分析の俎上に載せなければならないのは、上述の博打打ちと宿場女郎との邂逅の場面において、丘さとみのヒロインが川中へと落下することがないからなのである。
 周知のように、『いれずみ半太郎』の原作となった長谷川伸の戯曲『 刺青奇偶 ( いれずみちょうはん ) 』(1932年)は、長谷川が映画監督・稲垣浩に回顧したところによれば、ハリウッド映画『紐育の波止場』(1928年)からの影響を受けた作品である。[3]そして、『刺青奇偶』においても『紐育の波止場』においても、男と女の馴初めの場面ではヒロインが水中へと身を投じている。[4]にもかかわらず、『いれずみ半太郎』における丘さとみだけが蹌踉と突堤の上を歩きながらも決して川中に落下することがないというのは、いささか奇妙ではなかろうか。
 この出来事の奇妙さはまた別の角度からも指摘することができる。[5]そもそも映画とは《水で書かれた物語》である。演劇という先行媒体の臍の緒を断ち切れずにいた初期映画が、にもかかわらず映画であり得たとすれば、その一因には、映画が《天下三大不如意》にも数えられる水の運動をまさに水の運動自体として表象し得たことがある。事例を日本に探してみても、現存するほとんど最古の劇映画『尾上松之助の忠臣蔵』(1910年‐1917年)では、歌舞伎的な書割を背景とする場面が散見されるなかで、吉良邸討入に後続する川端の殺陣場面は実際に川端で撮影され、斬られ役は水飛沫と共に水中へ落下している。無論、忠臣蔵の本家である歌舞伎の世界にも《本水》と呼ばれる外連が存在するが、それが外連であること自体に却って演劇と水との相性の悪さが露呈していると言えるだろう。実際、東京・歌舞伎座で歌舞伎俳優(六世尾上菊五郎/十五世市村羽左衛門ら)によって初演された演劇版『刺青奇偶』においてもヒロインの落下自体を直接表象することは回避されているのだから(註[4]参照)、『いれずみ半太郎』での丘さとみは、『尾上松之助の忠臣蔵』における斬られ役同様、やはり水飛沫をあげて川へ身を翻すべきではなかったか。
 こうした問題提起に対して、撮影所(東映京都)体制との函数において消極的な答えを出すことも可能ではあろう。すなわち、丘さとみが水中に落下する場面を撮影するために必要な美術や衣装の余裕がプログラム・ピクチュアの一編に過ぎない『いれずみ半太郎』には許容されていないために落下が回避された、というような結論である。無論、それが綿密な調査に基づいているのであれば、このような結論もまた誤謬とは言えない。しかしそれでは丘さとみの落下の回避がはらむ積極的な意味を理解できない。それが本稿の主張である。すなわち、本稿の結論を先取りすれば、丘さとみの落下の回避を映画的《事件》として生きることによって、『いれずみ半太郎』だけではなく、残念ながらこれまで看過されてきたメロドラマ映画作家・マキノ雅弘の繊細さをも再/発見できるはずなのである。

2.なぜに半太郎、江戸を売る
 
『いれずみ半太郎』は江戸のとある賭場の場面から幕を開ける。大川橋蔵扮する半太郎は丁半博打の運が向かず、この賭場で大枚十両もの借金を拵えた挙句、これを踏み倒して土地の破落戸たちと大立回りを演じ、[6]最愛の母親を一人残して江戸を離れることになる。
 この導入の場面について、我々は少なくとも二つの事柄を記憶しておかねばならない。その第一は、賭場の様子を示した一連のタイトル・バックにおいても、あるいは賭場での諍いから逃れた半太郎が大江戸の夜を駆け抜けるショットにおいても(図2)、キャメラか被写体のいずれかがほぼ一貫して右手から左手に展開している事実である。実際、この演出上の選択は『いれずみ半太郎』をめぐる言わば地政学的な理由において合理的である。
 ここで物語の展開を先取りすれば、『いれずみ半太郎』とは《前門の虎、後門の狼》の喩えの通り、江戸と小田原のそれぞれを縄張りとする二組の悪玉の博徒と同時に敵対する羽目に陥った主人公たち――大川橋蔵の半太郎と丘さとみのお仲――が、両地点を結んだ東海道の上をひたすら右往左往する映画である。そうであるならば、江戸を逃れて東海道を西へと落ち延びる半太郎(このことは後続する場面、すなわち半太郎とお仲とが初めて出会う場面の舞台が小田原に設定されていることから遡及的に推察される)の逃走が左手を指向するということは、時代劇映画の地政学に精通した観客にとって意味深長となる。すなわち、半太郎をめぐる左手への運動は、例えば古地図の上に記された《線》としての東海道を江戸から西に向けて辿るときの眼球運動と、観客の感覚のうちで正確に共振するのである(この眼球運動は内出好吉監督『薩摩飛脚』[1951年]のタイトル・バックではキャメラの運動として再現されている)。[7]実際、第4節で詳述するように、『いれずみ半太郎』にあっては江戸と小田原を結んだ《線》としての東海道が物語論的に重要な機能を果たすことになるのだから、この《線》に対する観客の注意をあらかじめ高めるという観点において、導入部に見られるキャメラ/被写体の左方向への展開は合理的なのである。
 半太郎が江戸を逃れる過程で注目すべき第二の点は、やはり彼をめぐる運動に関連している。前述のように、半太郎が賭場で諍いを起こし、地回りを振り切って母親の住む長屋へ戻り、裏窓を抜けて姿を晦ますまで、キャメラ/被写体はほぼ一貫して左方向への運動を基調としている。この一貫性に加えて、半太郎が大江戸の夜を駆ける姿を俯瞰で捉えたショットでは(図2)、市川崑監督『雪之丞変化』(1963年)のとあるショット(映画の開始から約77分後)ほどではないにせよ、屋根瓦の計算された配置が視線を誘導することとも相まって、観客は彼をめぐる運動の軌跡を連続した《線》として認識することになる。
 このような半太郎の《線》的動性と対比されるのが、夏川静枝扮する彼の母親の静性である。長屋に戻った半太郎に「お逃げ」と諭す彼女は、事態の切迫にもかかわらず、部屋の中心に座を占めて動かない。それゆえ半太郎は画面右側の表戸から左側の裏窓へと母親の真横に軌跡を描いて逃走することになり、現れた地回りもまた、彼女を文字通り/映像通りに踏み付けにして半太郎を追うことになる。このとき、縫物を抱えて俯く母親の姿がまたしても俯瞰で捉えられる(図3)。その様子はやはり俯瞰で示された半太郎(図2)の動性との対比において、まさに静的と呼ぶにふさわしい。半太郎の動的身体が賭場から長屋まで描いてきた《線》上の《点》に静止する母親。その姿が何とはなしに観客に不吉な印象を与えるとすれば(実際、物語後半では彼女の孤独死が示唆される)、『いれずみ半太郎』における《点》と《線》の主題系は果たして今後いかなる展開を示すのだろうか。

3.垂直運動という句点
 溶暗/溶明が古典的ハリウッド映画の作法に従って新しい場面の開始を告げ知らせる。「それから三年」と「相州小田原」という二枚の字幕が時間と場所とを同定する。江戸の場面では非常に脆弱な印象を与えていた半太郎の、いまでは自信に満ちた身ごなしや言葉遣い、さらには整えられた身形などが、[8]やはり三年間という時間の経過を表現している。
 このとき半太郎は、踏み倒して逃げた江戸の借金を清算して堂々と母親の元に戻るための十両をすでに整え、小田原で草鞋を脱いでいた進藤英太郎の貸元に別れを告げる決意をしている。半太郎に目を掛ける貸元は彼のために惜別の酒宴を開き、その帰途に彼は本稿冒頭で述べたヒロインの身投げに遭遇する。上述のように、ここでの彼女は川中へと身を翻すことをしない。しかし、その映画的テクストにおける積極的な理由を解き明かすほどには、いまだ我々の議論は成熟していないだろう。むしろここで今後の補助線として確認すべきは、『いれずみ半太郎』の取りあえずの起源とされる『紐育の波止場』において、間接的であれ(註[4]参照)、ヒロインのB・カンプスンが海中に落下している事実である。
 一見して理解できるように、『紐育の波止場』は主役の火夫に扮するG・バンクロフトをめぐって生起する上昇/下降の主題系によって、言わば句点を打たれた映画的テクストである。そして、この主題は七つの海を股に掛けてきた船員が放浪生活に読点を打つことになる《上陸第一歩》の物語と共鳴して、[9]『紐育の波止場』を繊細な映画的テクストに仕上げると同時に、主役の男女がメロドラマ的に遭遇する場面でのB・カンプスンの落下を合理化する結果ともなっている。以下、この点についていささか詳細に分析してみよう。
 クレジット・タイトルに続き、G・バンクロフトの乗り組む船が《紐育の波止場》へと滑り込む様子が水平移動で捉えられると、さらに続くショットでは、今度は錨が海中へと吸い込まれていく様子が俯瞰で描出される(下降1)。このとき映画的テクストは、やや構造主義的な言回しをすれば、水平/垂直という主題を二項対立的に示し、そのそれぞれに放浪と定住とを象徴させていると言えるだろう。荒くれた船員たちを待ち受ける港町の酒場ではすでに乱痴気騒ぎが始まっており、そこではキャメラの滑らかな前進/後退運動が人々の酩酊と饒舌とを的確に映像に翻訳している。バンクロフトもまた縄梯子を伝って船から陸におり(下降2)、折しも海中へ身を投じた酒場女のヒロインを救うために自身も海に飛び込み(下降3)、無事に彼女を助けて再び陸へと戻ってくる(上昇1)。彼はヒロインを肩に抱えたまま酒場の階段をあがり(上昇2)、彼女を二階の寝室に運び込む。
 やがてヒロインは正気に返り、自分を助けた男と初めて言葉を交わす。このとき、二人がメロドラマ的な至上の愛への階梯を踏み出したことを祝福するかのように、海に入って濡れ鼠となった男の絞る布からは威勢よく水が滴り落ちる(下降4)。酒場に向かった男は、そこで酒樽を頭上に掲げて零れ落ちる酒を浴びるように飲む(下降5)。女も酒場に戻り、二人は惹かれ合う。男は一段高い酒場の一隅にあがり(上昇3)、結婚を宣言する。
 夜が明ける。男は二階にある女の部屋を抜け出し、彼女を一人残して再び七つの海へと繰り出そうとしている。そのころヒロインの周囲では、彼女の朋輩の夫であり、かつまたバンクロフトの上役でもある男が発砲され、彼女に嫌疑が向けられている。バンクロフトは彼女の窮地を救うために再び二階へ戻り(上昇4)、まさにその上昇運動を通じて彼女との再会を果たす。朋輩が発砲を自供したためにヒロインは無事解放され、男と女は暫時語り合う。男は女を残して去り、彼を乗せた船はそのまま出港する。しかし、ヒロインに対する情愛に後ろ髪を引かれた男は単身海中へ飛び込み(下降6)、港町まで泳ぎ帰る。折しもヒロインは、身投げの際に濡れた着物の代りにと男から貰った衣類が盗品であったため、裁判に掛けられている。裁判所に現れた男は窃盗を自白し、獄舎に引かれてゆく。二月の服役期間、男の帰りを必ず待つと女が誓うところで『紐育の波止場』は幕をおろす。
 このように、映画的テクスト『紐育の波止場』はG・バンクロフトをめぐる垂直運動の主題系によって句点を打たれ、その度に男女のメロドラマ的な愛が進展するという仕掛けを備えている。それゆえ、二人の運命が初めて交錯する身投げの場面においても、やはりバンクロフトの周囲には上昇または下降運動が生起しなければならないはずである。この場合、それを達成するのはバンクロフト自身が見せる海中への飛び込みである(下降3)。そうであるならば、バンクロフトをして落下運動へと身を任せしめた原因であるところのB・カンプスンもまた、『いれずみ半太郎』の丘さとみのように突堤の上を歩くだけではなく、実際に海に身を躍らせねばならないというのは理の当然であろう。言い換えれば、『紐育の波止場』における物語と主題の同期を維持し、そのことを通じて映画的テクストに首尾一貫性を付与するために、ヒロインは否応なしに落下しなければならないのである。
 このように『紐育の波止場』におけるヒロインの落下を主題論的に説明したとき、当然問われるべき疑問が浮上する。すなわち、『いれずみ半太郎』におけるヒロインの落下の回避もまた主題論的に解釈できるのではないかとの疑問である。お仲を身投げから助けた半太郎は、彼女を女衒の魔手から解放すべく、江戸に戻るためには是非とも必要な十両を賭けて小田原の貸元に博打を挑み、却ってこれに敗れてしまう。万策尽きて旅立つ半太郎と、彼を追って小田原を抜け出すお仲。[10]この二人の運命が東海道上でいま一度交錯するとき、我々はこの疑問に対する答えをおぼろげながらも思い描き始めることになるだろう。

4.東海道、または《線》上の物語
 
溶暗/溶明が再び新しい場面の開始を観客に告げ知らせる。相模湾に見立てられた海景を右手に望みながら江戸への重い歩みを進める半太郎、その彼を追って、小田原の貸元と女衒の魔手を辛うじて逃れ得たお仲が駆けてくる。二人は再会し、それと明示はされないものの、半太郎はお仲の真心に強く惹かれることになる。こうした一連の過程において、東海道に見立てられた街道の《線》の白さが画面を対角的に横切り、その《線》上に主役の男女が佇むという構図の超ロング・ショットが(図4)、前後合わせて二回提示される。
 次なる場面の舞台はやはり東海道の宿場町・平塚である。半太郎とお仲は旅籠の一室に入り、来し方と行く末を語り合っている。一方、彼らの部屋から窓越しに往来を望めば、小田原の貸元に従う悪漢一味が二人を追って平塚入りする姿を早くも認めることができる。
 この二つの場面は『いれずみ半太郎』における物語論的な転回点をなしている。実際、このメロドラマ映画の今後の展開を規定する、言うなれば遊戯の規則が、いままさに確立しつつある。すでに述べたように、この映画は《前門の虎、後門の狼》の喩え通りに腹背に敵を受けた男女の道行の物語である。いまや半太郎は江戸に残してきた母親と再会し、お仲と所帯を持って堅気に暮らすことを夢見ており、その夢をお仲にも仄めかしている。そしてそのためには、小田原の貸元の意を受けた悪漢一味の追跡を逃れつつ、江戸の貸元に返すための十両を再度整えなければならない。二人がこの目標を無事達成した暁には、『いれずみ半太郎』というメロドラマ映画は彼らの勝利に終わる。反対に、彼らが江戸へ辿り着く以前に悪漢一味がその居場所を突き止めた場合には、半太郎は命を落とし、お仲も再び苦界へ身を沈めるという敗北が待ち受けていることだろう。勝利か敗北か。これが上映時間の約三分の一を費やして確立された『いれずみ半太郎』という遊戯の規則である。
 こうした遊戯の規則を確認すること自体は、しかしながら、そもそもメロドラマの要諦が「妥協を受け入れることのない対立項としての善悪の闘争」にあることに鑑みれば、[11]本稿にとって重要ではない。むしろここで注目すべきは、そのような遊戯の規則を時代劇映画というジャンルの枠内で成立させている、言うなればトポスの固有性についてである。
 そのトポスとは無論、東海道である。実際、一世紀を超える旧劇=時代劇映画の歴史を通じて、東海道は一貫して興味深いトポスであり続けた。いま思い付くままに事例を列挙してみても、伊藤大輔監督『御誂治郎吉格子』(1931年)、山本嘉次郎監督『エノケンのちゃっきり金太』(1937年)、さらには第2節で言及した内出好吉監督『薩摩飛脚』などというように、東海道を多少なりとも舞台にした時代劇映画は枚挙に暇がない。しかし、これらの作例における東海道が非常に抽象化されていることも事実である。実際、時代劇映画における東海道とは、しばしば宿場と宿場との間に事後的に想像されるそれに過ぎず(例えば『御誂治郎吉格子』の流麗な導入部)、仮に街道自体が画面に登場する場合でも(例えば図4)、登場人物がそこで周囲の風景と交感し、挙句に街道を外れていくような空間的な広がりがあらかじめ排除されている点では、それは言わば《線》としての東海道である場合が大半である。つまり、どれほど波瀾万丈の物語がそこで展開されようとも、登場人物に許されているのがこの《線》上における可動性(追いつ追われつ)に過ぎないという点で、時代劇映画における東海道とは非常に強力な引力を備えたトポスなのである。
 東海道というトポスのこうした特性を念頭に置いたとき、我々は『いれずみ半太郎』の遊戯の規則を以下のように個別化する必要に迫られよう。すなわち、『いれずみ半太郎』とは江戸=小田原間を結んだ東海道という《線》(それは図4に提示された画面を斜めに横切る街道の白さを梃子にして、時代劇映画的な想像力を駆使することで初めて現出する《線》である)の上を主役の男女/悪漢の一味という二組が追いつ追われつする道中双六であり、前者が江戸に《あがる》まで後者の追跡を避け得れば(可動性を維持できれば)前者の勝利、逆に前者が後者の身柄を確保できれば(可動性を喪失できれば)後者の勝利となるのである。マキノ雅弘が正博時代に監督した『運命線上に躍る人々』(1930年)を借りれば、『いれずみ半太郎』とは運命《線》上に踊る[12]男と女のメロドラマなのである。
 こうして『いれずみ半太郎』を《線》上の物語と解釈したとき、我々はそれが第2節で確認した半太郎とその母親の身体と正確に共鳴している事実に驚かされる。実際、導入部で江戸を逃れつつある(可動性を維持している)半太郎の身体運動が《線》を想起させた一方で(図2)、いかなる運動も拒否して悪漢に踏み付けにされる母親の身体は半太郎の《線》の上に静止する不吉な《点》として表象されていた(図3)。これはまさに《線》上の物語としての『いれずみ半太郎』の遊戯の規則が早々と主題論的に先取りされていたということである。つまり、御園生涼子が小津安二郎監督『その夜の妻』(1930年)劈頭の無宿を解釈するときと同様、[13]大川橋蔵と夏川静枝の身振りとは映画全編の換喩なのであり、事ほど左様に『いれずみ半太郎』とは繊細な映画的テクストなのである。次節では《線》上の物語と《線》上の主題の相関関係についてさらに詳しく分析することにしよう。

5.虎口/安寧/末期
 
前述のように、半太郎とお仲はいま平塚の旅籠に同宿している。しかしお仲は半太郎を慕うがゆえに、彼にこれ以上の重荷を背負わせることが心苦しい。お仲は半太郎の留守中に追手の眼前に姿を現し、恋人を残して小田原に戻ろうとする。このとき、事情を察した半太郎が駆け付けて追手との立回りになる間、お仲が街道脇の竹林を一散に駆け抜ける姿が(図5)、映画作家・マキノ雅弘の署名とも呼ぶべき《パン繋ぎ》[14]の手法で示される。
 実際、『血煙高田馬場』(1937年)の阪東妻三郎が見せるあまりにも有名な疾走の陰に隠れてはいるものの、マキノ雅弘作品における《パン繋ぎ》の被写体とはしばしば女性、それも男性中心主義の抑圧下で精神の危機に立たされたヒロインたちである。『婦系図』前後編(1942年)での芸者(山田五十鈴)が自分を恩師(古川緑波)の命令で捨てた恋人(長谷川一夫)の旅立ちを駅舎で陰ながら見送る場面、『肉体の門』(1947年)での少女(月丘千秋)が与太者(田端義夫)に貞操を奪われて街中を走る場面などがすぐにも想起される(マキノはTV版『刺青奇偶』の同じ場面でも《パン繋ぎ》を用いている)。その意味では《パン繋ぎ》とは本来メロドラマのための手法である。実際、『血煙高田馬場』での《パン繋ぎ》が「永遠に現在進行形の運動[中略]運動下にある運動」[15]を提示するのとは対照的に、女性たちの疾走はメロドラマ的な情動に満ちている。それはフィルムの裁断を通じてヒロインの身体を裁断し、メロドラマに特有の「身体の表現主義的な美学」[16]の等価物を実現するのである。さらに言えば、ヒロインを被写体とする《パン繋ぎ》がしばしば明暗の対照を強調した照明設計を伴うのも(『続清水港』[1940年]、『肉体の門』、『いれずみ半太郎』)、メロドラマと表現主義との親和性を考慮すれば当然であろう。
 このように『いれずみ半太郎』は《パン繋ぎ》を通じてヒロイン・お仲の精神の危機を表現するのであるが、さらに驚くべきことは、それが《線》上の物語としての『いれずみ半太郎』と主題論的にも呼応している事実である。実際、これまで強調されてこなかった事柄であるが、《パン繋ぎ》にあっては一定方向への運動を示したショットが反復される過程で各ショットの持続時間が段階的に短くなる傾向がある。これは『いれずみ半太郎』にも該当する。すなわち、竹林を一直線に駆け抜けるお仲を示した最初の数ショットでは彼女が画面の左手から右手へと一定の距離を走破する直線運動が視認できるのに対して、中途からは彼女の顔が明滅する様子がわずかに知覚できるのみとなるのである。そして、この事実に我々は《線》上の物語と《線》上の主題との連携振りを見なければならない。すなわち、悪漢に追われる半太郎とお仲はいままさに遊戯に敗北しつつあるが(東海道という《線》上で可動性を失いつつあるが)、これと共振するように、お仲が画面左手から右手に《線》上を走破する自由も次第に限定されて(《パン繋ぎ》の過程で各ショットの持続時間が徐々に短縮されて)、最終的に彼女はほとんど静止状態に置かれるのである。言い換えれば、『いれずみ半太郎』における《パン繋ぎ》はお仲の精神の危機を表象するメロドラマ的な手法であると同時に、物語と主題との連動の一翼をも担っているのである。
 平塚に辛くも虎口を脱した半太郎とお仲は幸運にも神奈川近在のとある居酒屋の二階に匿われる。折しも祭礼の夜、「わしが見た目じゃあいつら[追手一味]が悪いに決まっている」と断定し、メロドラマ的な「美徳の記号」[17]の識別能力を高らかに誇示する老婆を筆頭に、善良な村人たちに囲まれて束の間の安息を得た二人は、彼らの厚意に報いるために得意の三味線と唄を披露する。一方、追手一味は阿部九州男扮する神奈川の貸元・鮫の政五郎に助太刀を要請し、二人の身柄を押えるための網の目をさらに狭めようとしている。
 長谷川伸文学に通じた観客であれば、映画化に際しての創作である、主役の男女が唄と三味線を披露するこの場面において、彼の股旅芝居の代表作『沓掛時次郎』(1928年)のある場面を想起しよう。それは主人公が小諸の追分節を流す「中仙道熊谷宿裏通り」[18]の場面である。無論、ここから長谷川伸文学と時代劇映画の相関史におけるマニエリスム期の萌芽という問題機制に議論を接続することもできるだろうが、それでは本稿の守備範囲を大きく逸脱してしまう。それよりもいま確認すべきは、居酒屋に匿われたお仲の見せるふとした仕草のうちに、彼女の心底からの安らぎが見事に託されているという事実である。
 我々がその仕草を目にするのは、居酒屋の二階に身を落ち着けたお仲が三味線を爪弾くときである。二階から漏れてくる音色に半太郎とお仲のいずれの撥捌きかを争って思わず向きになる階下の亭主夫婦。その高声に気付いて三味線を横たえたお仲が指先でそっと弦を撫でている(図6)。ここに我々は《線》上の主題の変奏を見るのである。実際、相模湾に臨む街道筋で再会して以来(図4)、お仲と半太郎が心の安寧を得た時間はほぼ皆無であったろう。このことは竹林での乱闘場面で段階的に《線》上の可動性を喪失せざるを得なかったお仲の身体が如実に例証している。そのお仲の指先が、純朴な村人に囲まれ、今夜は三味線の弦という《線》上をたとえ僅かでも往還し、キャメラも彼女の運動に干渉することなく遠景に引いたままでそれを見ている。つまりここでも、男女が追手を逃れて東海道=《線》上の可動性を取り戻すという物語と、ヒロインの指先がかすかに三味線の弦=《線》上を往還するという主題とが、さりげなくも正確に共鳴し合っているのである。
 もっとも、ここでの安寧は仮初でしかない。翌日、神奈川宿を突破しようとした半太郎とお仲は、悪漢一味の厳重な警戒の前に危うく立往生となるところを、偶然にも半太郎の旧友・初造(長門裕之)の手に助けられ、彼の元に匿われることになる。長旅での労苦が原因で病の床に伏すお仲。恋人に重荷を背負わした自分をひたすら責める彼女に対して、半太郎は終生変わらぬ真心を針先に込めて、左の二の腕に「おなか」という刺青を入れる。
 長谷川伸の原作を大幅に改変したこの刺青の場面は、確かにいささか感傷的に過ぎると言えるかもしれない。しかし同時に、我々がこれまで寄り添ってきた《線》上の主題系を念頭に置いた場合、この場面もまた合理的に設計されていることが理解できるはずである。
 この場面における《線》とは無論、半太郎の左腕である。彼が彫り終えた刺青を見せるべく病床のお仲の前に左腕を差し出すとき(図7)、「おなか」という記号は文字通り/映像通り《線》上に静止している。映画冒頭での夏川静枝の身体以来(図3)、あるいは中盤でメロドラマの遊戯の規則が確立されて以来、《線》上に静止することが常に不吉な主題であり続けたとすれば、ここで半太郎が「おなか」と刺青を入れることは、二人には自殺行為にも等しいと言えよう。物語論的に見れば、お仲の死期が近いとの医者の見立てを聞いた半太郎が彼女への赤心を示すべく刺青を彫る。しかし主題論的に見れば、むしろ半太郎が「おなか」という記号を《線》上に静止させたために、彼女は絶命するのである。
 ただ一目、お仲に江戸を見せたいばかりに、神奈川の貸元の賭場に乗り込んでいかさま博打まで働いた半太郎。その甲斐なくお仲は死を迎える(東海道という《線》上の《点》[神奈川]で可動性を喪失する)。賭場で半太郎を見掛けた三下の注進を受けて追手一味が死の床に現れる。半太郎はお仲を虐げた女衒を手始めに、悪漢たちを次々と斬り伏せる。

6.影と足跡
 
これまでの議論を整理しよう。本稿が着目したのは、東海道という《線》上を右往左往する二組の人間たち(半太郎とお仲/悪漢の一味)の物語と、その要所で示される《線》上の主題との連携である。実際、竹林での場面のように、半太郎が追手に囲まれて東海道=《線》上に亡骸を晒しつつあるときは、お仲が《線》上を走破する自由も《パン繋ぎ》によって制限され、彼らが善良な村人と一緒に安息の一夜を迎えるときには、お仲の指先が三味線の弦=《線》上を滑る自由も回復される。そして「おなか」という刺青が半太郎の腕=《線》上に静止するとき、彼女自身も東海道=《線》上に永遠に静止するのである。
 こうして議論を進めてきた我々にとって、本稿を始めるそもそもの契機となった問い、すなわち『いれずみ半太郎』の丘さとみはなぜ川中に落下しないのか、はもはや疑問ではないだろう。なぜなら彼女の落下の回避もまた《線》上の物語=主題間の同期の変奏例と解釈できるからである。実際、投身の場面でのお仲は、決して短くはない突堤=《線》上を川中へと歩みを進め(図1)、様子に気付いた半太郎に手を引かれて、今度は川端へと《線》上を戻りゆく。その往還運動の自由度は、例えば彼女の指先が三味線の弦=《線》上を滑るときの遠慮勝ちな振幅に比べて圧倒的である(図6)。一方、物語に目を転じても、主役二人と悪漢一味の間で戦われるべき東海道=《線》上の遊戯は、いまはまだその規則さえ完全に成立していない。そうであるならば、お仲が突堤の上で可動性を謳歌するという《線》上の主題と、半太郎の東海道における可動性が制限されていないという物語(または前=物語)とが、ここでも正確に同期していると言えるだろう。言い換えれば、『紐育の波止場』におけるB・カンプスンの身投げがG・バンクロフトの下降運動を誘発して物語=主題間の連動を維持するためであったように、『いれずみ半太郎』の丘さとみも《線》上の物語=主題間の同期のためには落下を回避しなければならなかったのである。
 本節を閉じる前に、『いれずみ半太郎』全編を総括する浜辺の場面を見ておこう。それは以下の場面である。すなわち、女衒たちを斬った半太郎は、初造夫婦に見送られ、お仲を埋葬すべくその亡骸を抱えて一人歩みを進める(図8)。[19]この場面が太陽の低い位置にある時間(脚本では「暁暗」の頃合、[20]丘さとみの回想では「夕方」[21])に設定されているのは合理的である。なぜなら、そのために半太郎とお仲は、ここにおいてなお《線》上の存在となり得るからである。実際、ここで二人の背後には《線》(=初造夫婦の影と半太郎の足跡)が伸びており、正面にも《線》(=低い位置からの太陽光を受けてできた半太郎の長い影)が伸びている。こうして実現された《線》上を半太郎に抱えられて進むお仲。その様子は、あたかも彼女が《線》上の可動性をいま一度回復したかのようである。
 この場面が『いれずみ半太郎』の終幕にふさわしいとすれば、それはこれまで一貫して維持されてきた《線》上の物語=主題間の同期が破綻をきたすからである。実際、物語論的に見た場合、主役の男女はすでにお仲の死をもって《線》上の遊戯には敗北している。それにもかかわらず、彼らはいま《線》上を緩やかに前進している。こうした《線》上の可動性が本来は半太郎とお仲の勝利に直結していなければならないだけに(実際、周囲の文脈を捨象すれば、ここでの彼らの歩みが悪漢一味を倒して江戸に凱旋する男女のそれであっても何ら不思議はない)、却って彼らの敗北が逆説的に強調される結末となっている。

7.終わりに
 
前節までの議論を通じて、本稿は映画的テクスト『いれずみ半太郎』におけるヒロインの落下の回避(および『紐育の波止場』におけるヒロインの落下の実現)を主題論の方法で説明してきた。実際、丘さとみの落下の回避は東映京都撮影所の内情に由来するのかもしれない。しかし、落下の回避を映画的な《事件》としてあえて生きることが『いれずみ半太郎』の魅力の再/発見に帰結する限りにおいて、本稿の解釈こそがより説得的である。
 こうした結論を踏まえて、最後に自省的に強調しなければならないことがある。それは映画作家・マキノ雅弘の大胆かつ細心な演出振りである。実際、《線》上の物語と《線》上の主題との連動(およびその破綻)が正確無比になされているという点では彼の演出は細心であり、同時にそれがさりげない日常性のうちに成就しているという点で彼の演出は大胆である(《線》としての突堤も三味線も左腕も全て物語に従属している)。そして、このような同期を可能にする美術(突堤)、編集(映画作家・マキノ雅弘の署名であり、同時にメロドラマ的な手法でもある《パン繋ぎ》)、小道具(三味線)などの組織的な活用が、多くの場合、脚本家による指定の深化を通じて実現されているのだとすれば(例えば脚本ではお仲が投身自殺を図る場面は「川岸」と描写されるのみであり、[22]突堤の存在は明記されていない)、これまでその《映画渡世》の荒唐無稽さに魅惑されるあまりに荒唐無稽な映画作家だと速断されてきたマキノ雅弘の全く異なる芸術的特質(彼の署名入りの映画的テクストの肌理の緻密さ)を直視することにこそ、今後の映画研究の課題があると言えるだろう。そして、マキノの繊細で緻密なメロドラマ映画作家としての側面を我々が十全に勘案したときに、初めて彼の荒唐無稽さの実際もまた十全に理解できるに違いない。



[1]ロラン・バルト『S/Z』、沢崎浩平訳(みすず書房、1973年)、19頁。
[2]山根貞男『マキノ雅弘 ― 映画という祭り』(新潮社、2008年)、138頁‐141頁。
[3]稲垣浩「長谷川先生に学ぶ」、『長谷川伸全集』付録月報No. 9(朝日新聞社、1971年)、2頁。なお、長谷川伸自身も随筆で『刺青奇偶』の創作秘話を明かしているが(長谷川伸『材料ぶくろ』、『長谷川伸全集』第11巻[朝日新聞社、1972年]、303頁‐310頁、369頁‐370頁)、『紐育の波止場』との影響関係には言及していない。
[4]ただし後述のように、『刺青奇偶』におけるヒロインの身投げは聴覚的要素を通じて暗示されるのみである。脚本の該当箇所は長谷川伸『刺青奇偶』、『長谷川伸全集』第16巻(朝日新聞社、1972年)、104頁。また第3節で触れるように、やはり『紐育の波止場』のヒロインの落下も直接描出はされない。彼女が岸壁から身を翻す様子を映した海面が提示され、続いてその海面に波紋が広がることで示唆されるのみである。
[5]以下の映画と水をめぐる議論はDai Vaughan, “Let There Be Lumière,” For Documentary: Twelve Essays (Berkeley: University of California Press, 1999) 1-8.の考察から示唆を得た。
[6]しばしば「ごろつき」と仮名を振られる「破落戸」とは股旅映画を考察するに際して示唆に富む言葉である。なぜなら、『いれずみ半太郎』冒頭で半太郎と母親の住まう長屋の表戸を破壊した地回りたちの身振りが例証するように、股旅映画における悪玉とは大概において戸口を蹴破る人間であり、また善玉とは戸口における礼節を弁えた人間だからである。この事実は西部劇映画における戸口の主題系(例えば『捜索者』[1956年]の高名な結尾)などとの比較を通じて、さらに検討する必要があるだろう。
[7]もっとも物語世界内での西上を左へ、東下を右への運動で表象する規則は『いれずみ半太郎』全編を通じて順守されてはいない。例えば東海道を小田原から江戸へ向かう半太郎にお仲が追いすがる場面では左方向への運動が基調である。しかしこの場合、相模湾に見立てられた海が背景に存在するために(図4)、観客はこの海を手掛かりに、半太郎とお仲を、江戸と小田原と結んだ《線》上に正確に配置できることになる。
[8]股旅映画において身形を整えることと博徒として成熟することとは同義である。これは股旅映画の後継者とも呼ぶべき任侠映画にも継承された(サブ)ジャンルの規則であり、マキノ雅弘作品であれば『昭和残侠伝・死んで貰います』(1970年)の冒頭がすぐにも想起される。もっとも股旅映画では身形を整えることが必ずしも推奨されるわけではない。無精髭をむさ苦しく伸ばすこととヒロインへの愛情告白がほぼ等号で結ばれる佐伯清監督『沓掛時次郎』(1954年)などの作品が、この点を例証している。
[9]1932年6月の『刺青奇偶』の初演に先立って『紐育の波止場』を翻案した現代劇映画『上陸第一歩』(島津保次郎監督、1932年)については以下を参照のこと。田中眞澄『上陸第一歩』解説、『キネマの世紀』(松竹映像本部映像渉外室、1995年)、47頁。
[10]第1節では丘さとみの落下の回避が撮影所(東映京都)体制下の映画製作事情に由来する可能性を必ずしも否定しなかった。しかし、お仲が小田原から逃走するこの場面で、彼女に突き飛ばされた多々良純の女衒が確実に水中へ落下しているのであれば、身投げの場面における丘さとみ(あるいはその代役)が実際に川中に落下する演出を採用することも不可能ではなかったはずである。換言すれば、『いれずみ半太郎』における丘さとみの落下の回避には演出上の積極的な理由がなければならないのである。
[11]Peter Brooks, The Melodramatic Imagination (1976; New Haven : Yale UP, 1995) 36.
[12]ここで「躍る」を「踊る」と換言したのは、マキノ雅弘が《踊り》(撮影現場の符丁で、監督が俳優に対して「仕ぐさせりふを実演」する演出方法のこと)を得意とした事実を勘案し(竹中労『聞書アラカン一代』[白川書院、1976年]、110頁)、彼に演技の指導を受けた男と女(大川橋蔵と丘さとみ)をより適切に形容するためである。
[13]御園生涼子「サスペンスと越境 ― 『その夜の妻』における都市空間の変容と文化の移動」、『表象文化論研究』第5号(2006年)、124頁‐125頁。
[14]《パン繋ぎ》とは映画学者・加藤幹郎の術語で「水平運動する被写体を同方向に短いパン[中略]で追ったショットを複数回」接続する編集技法である(加藤幹郎「殺陣の構造と歴史」、京都映画祭実行委員会編『時代劇映画とは何か』[人文書院、1997年]、173頁)。なお、丘さとみは竹林場面の撮影がパンではなく移動で処理されたことを示唆しているが(さとみ倶楽部編『丘さとみ』[ワイズ出版、1998年]、152頁)、各ショットの持続時間が短いため、その実際を映像からのみ判断するのは困難である。いずれにせよ、本稿において重要なのは疾走するお仲を示した各ショットの持続時間が次第に短くなる傾向にある点であるから、『血煙高田馬場』などとの比較を可能にするためにも、竹林の場面に登場する技法を《パン繋ぎ》と呼ぶことにする。
[15]加藤、173頁。
[16]Brooks x.
[17]Brooks 24.
[18]長谷川伸『沓掛時次郎』、『長谷川伸全集』第15巻(朝日新聞社、1971年)、第二幕。
[19]埋葬や墓参は股旅映画の常数とも呼ぶべき主題である。そして西部劇映画でも「臨終および平原や辺境の共同墓地における埋葬の儀式は数多く」描写されてきたとすれば(Philip French, Westerns: Aspects of a Movie Genre [1973; Manchester: Carcanet Press, 2005] 74.)、註6の戸口の主題と同様、ここでも比較映画研究の視座が要請されよう。
[20]『いれずみ半太郎』台本(東映、1962年)、神戸映画資料館所蔵、E21。
[21]さとみ倶楽部、149頁。
[22]『いれずみ半太郎』台本、A23。


関連映画一覧
  • 『いれずみ半太郎』、東映製作、1963年、上映(第6回京都映画祭、2008年10月11日)/VHS(東映、2002年)。
  • 『刺青奇偶』、NETほか製作、1973年3月14日、北浦寛之所蔵。
  • 『エノケンのちゃっきり金太』、PCL製作、1937年、放映(NHK衛星第二、2004年10月11日)。
  • 『御誂治郎吉格子』、日活製作、1931年、DVD(Digital Meme、2008年)。
  • 『尾上松之助の忠臣蔵』、横田商会ほか製作、1910年‐1917年、放映(NHK衛星第二、1999年12月13日)。
  • 『婦系図』前後編、東宝製作、1942年、VHS(東宝、発売年不明)。
  • 『沓掛時次郎』、日活製作、1954年、放映(NHK衛星第二、2004年2月16日)。
  • 『薩摩飛脚』、松竹製作、1951年、VHS(松竹、1992年)。
  • 『昭和残侠伝・死んで貰います』、東映製作、1970年、上映(第6回京都映画祭、2008年10月12日)。
  • 『捜索者(The Searchers)』、Warner Bros. Picturesほか製作、1956年、DVD(Warner Home Video、2004年)。
  • 『続清水港(『清水港代参夢道中』)』、日活製作、1940年、上映(第6回京都映画祭、2008年10月9日)。
  • 『血煙高田馬場(『決闘高田の馬場』)』、日活製作、1937年、上映(第6回京都映画祭、2008年10月9日)。
  • 『肉体の門』、吉本映画ほか製作、1948年、上映(第6回京都映画祭、2008年10月12日/神戸映画資料館、2009年4月18日)。
  • 『紐育の波止場(The Docks of New York)』、Paramount Pictures製作、1928年、VHS(ジュネス企画、1993年)。
  • 『雪之丞変化』、大映製作、1963年、DVD(角川、2006年)。

付記
 本稿は科学研究費補助金(20・3569)の助成を得た研究成果の一部である。TV版『刺青奇偶』の鑑賞に際しては北浦寛之(日本学術振興会特別研究員)の協力を得た。