bplist00�_WebMainResource� ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/hirai-article-2011-sample.htmlPO�G CineMagaziNet! no.15 平井克尚『PRC期エドガー・G・ウルマー『まわり道』(1945)』

PRC期エドガー・G・ウルマー『まわり道』(1945)
分裂病的航海としての旅、
過剰なスクリーン・プロセスがもたらす別のリアリティー



平井 克尚

      「彼の旅は分裂病的航海であり、(・・・)「波間に漂うわずかばかりの木片」に乗った航海である」[1](ドゥルーズ=ガタリ)

      「低予算の条件のもと案出されたイメージがまさに普遍的な反響を見い出しえた」[2](G・ドゥルーズ)

0. はじめに
 2003年に出版されたシュテファン・グリッセマンによる初めてのモノグラフにより[3]、エドガー・ウルマーの全体像が知られることになる。これまで「B級映画の帝王the king of the B’s」として知られることの多かったウルマーであるが、断片的にしか知られていなかったそれ以外の様々な映画的遍歴が、全体像のもと照らし出されることになる。つまり「B級映画の帝王」としてのウルマー以外にも、イディッシュ映画をはじめとするマイノリティ映画を製作していたことなどが一部シネフィル以外にも広く知られることになるのである。ここではウルマーが「B級映画の帝王」と呼ばれるにあたってその映画が製作されたB級映画製作会社PRCの映画を考察したい。なかでもそのようなPRC期の『まわり道Detour』(1945)を取り上げたい。この映画の可能性はどこにあるのか。今までにもB級映画さらにはこの映画は上にも触れられたように様々な側面から論じられてきた。1973年にはDon Miller によるB Movies が出版され[4]、幾つかのB級映画製作会社とその作品が概括的にではあるが包括的に捉えられることになる。1975年にはCharles Flynn と Todd McCarthyによりB級映画を巡る画期的なアンソロジーKings of the Bs が出版され[5]、さらに詳細にB級映画あるいは個々の作品について論じられることになる。さらに引き続き1981年にはRobin Cross によるThe big book of B movies, or, How low was my budget が出版され[6]、これまでの成果をふまえB級映画により明確な輪郭が与えられることになる。そして2008年にいたってはNoah Isenbergにより、これまで他の映画と論じられたり短いエッセイ的批評でしか触れられることのなかったこの映画『まわり道』を包括的に紹介する著書Detourが出版される。これらは、本論でも随時触れられることになるであろう。本論では、これまでなされてきたこの映画をめぐる歴史的言説をふまえ、この映画において過剰なまでに使用されているリア・プロジェクションのもたらす特異な効果に着目する。それは、この映画の製作における過酷な単純さにもかかわらず結果的に見出されるフィルム・テクスチュアの大胆な繊細さの折り畳まれた一つの襞を見ることになるであろう(この映画の製作における過酷な単純さと結果的に見出されるフィルム・テクスチュアの大胆な繊細さは別稿において見る)。第1節では、この映画におけるスクリーン・プロセスを使用したシーンを実際に取り上げる。第2節では、この映画におけるスクリーン・プロセスの過剰な使用がもたらす別のリアリティーを見る。第3節では、この映画の特異なスクリーン空間と旅の諸相を具体的に見る。

1. スクリーン・プロセスを使用した運転席のシーン
 この映画『まわり道』にはスクリーン・プロセス(リア・プロジェクション)を利用してのシーンが全編に渡って見られる。リア・プロジェクションはカメラとスクリーンの背後に置かれたプロジェクターを連動させ、カメラが一コマ撮影するのと正確に同時にそのプロジェクターからも同様に一コマ投影するというものであるが、その際スクリーンの前に置かれた実物大模型の車に乗った俳優たちが彼らの背後に置かれた半透明のスクリーンに反射しないような仕方で照明され、そのスクリーンのみにプロジェクターから映写される。また運動をシミュレーションするために実物大模型の車がスプリングにより支えられる。例えば、数限りないハリウッドにおけるタクシー内の乗車シーンは、1932年に導入されたリア・プロジェクションによりこのような仕方で撮影される[7]。そしてこのようなスクリーン・プロセスを利用したシーンが、この映画にあって実に長い時間にわたってなされる。なかでもその長いシーンの一つは、(a)主人公の男ロバーツと道中死んでしまう連れの男ハスケルとによるものである。そのシーンは、草もまばらな荒地が広がる郊外の昼間のシーン(図1, 16:41)とネオンの光や街灯の明かりも飛び込んでくることのない、あたりの暗くなった夜のシーン(図2, 17:36)とから構成される。さらにもう一つの長いシーンは、(b)主人公の男ロバーツと最後に死んでしまうことになる女ヴェラとによるものである。そのシーンは、街の中心から遠く離れた場所を思わせる背景が広がるシーン(図3, 33:29)とLAの街中を背景とするシーン(図4, 49:17)とから構成される。そしてこのシーンに見られる背景がまさにリア・プロジェクションによるものなのであるが、それがただでさえ短いこの映画のほとんどを満たしているかの印象を与えることになる[8]。このことからこの映画はスクリーン・プロセスを使っての運転席映画とでも呼ばれうるものとなる[9]。  
 さて、この(版の)映画全体の持続時間は65分であるが、実際にスクリーン・プロセスを使って撮影されたシーンの持続時間はどれぐらいあるのであろうか?スクリーン・プロセスを利用した、主人公の男の移動する車でのシーンを取り上げてみると次のようなものとなる(ただしセットとはいえ静止している車上でのものはここに算入しない。また回想の夢の中で一瞬移動する車でのシーンが挿入されるがそれもここには算入しない)。

 

開始時刻-終了時刻

シーン

持続時間

1.

2:02-2:17 

Renoのダイナーまでのタクシーでの移動[10]

(15s)

2.

14:23-14:28

一般の人物とのヒッチハイク

(5s)

3.

14:31-14:36 

トラック運転手とのヒッチハイク

(5s)

4.

15:36-15:46

ハスケルとのヒッチハイク 1

(10s)

5.

15:53-20:04

ハスケルとのヒッチハイク 2 

(4m11s)

6.

21:20-21:54

ハスケルとのヒッチハイク 3

(34s)

7.

22:28-22:56

ハスケルとのヒッチハイク 4

(28s)

8.

26:48-27:09

車での一人旅 1 

(21s)

9.

27:58-28:08

車での一人旅 2

(10s)

10.

31:27-31:36

車での一人旅 3

(9s)

11.

32:43-35:48 

ヴェラを乗せての旅 1

(3m5s)

12.

36:09-39:44

ヴェラを乗せての旅 2 

(3m35s)

13.

49:15-50:07 

ヴェラを乗せての移動 1 

(52s)

14.

52:14-52:42

ヴェラを乗せての移動 2

(28s)

 実際に計ってみると14分28秒がスクリーン・プロセスを使っての移動する車上でのシーンであることがわかる。これはある種驚きである。なぜかというとスクリーン・プロセスによるシーンが見るものを深く捉えているがゆえに、もっと多くの時間がそれに割かれているかのようであるが、実はそうでもないことがうかがえるからである。しかし物理的時間においてはそれほど使われているわけでもないスクリーン・プロセスが、なぜにこれほどまでに見る者に深く浸透しているのであろうか。
 ところで1945年に製作されたこの映画『まわり道』で、このようにスクリーン・プロセスが利用されているわけであるが、翻ってスクリーン・プロセスを使わない撮影といったことも可能であることは推測しうることである。実際この時期他方でロケーション・リアリズム的な様式が見られ始め、映画史において画期的なものともされることになっているのである(たとえば、J・ダッシンによる『裸の町The Naked City』(1948)がそれである)。ロケーション・リアリズムの様式において製作されたものにおいては、実際に特定される場所がそこに映し出される。つまりそこでは通常感じられるのに近い何らかのリアリティーが生じる。しかしそれに対してスクリーン・プロセスにはその種のリアリティーが希薄となる。ではスクリーン・プロセスが利用されることでリアリティーが希薄になるのかと言えばそうではない。スクリーン・プロセスを使用することにおいては或るリアリティーが失われるかもしれないが、それとは異質の別のリアリティーがそこに生まれることになる[11]。フロント・プロジェクション、リア・プロジェクションを使用することにおいては、空間的変化から時間が生成するのではなく、「背景が変化」し、「空間が時間から生まれる」ことになる。

2. フロント・プロジェクション、リア・プロジェクションの可能性、旅のアレゴリー、留まりつつなされる運動
 この映画が製作されてから数十年後、長い間「映画について語ることは運動について語ることだとする前提」[12]から人は出発してきたとH・J・ジーバーベルクは仮説を立てる。そしてこの発言を受けて、人は動くイメージや動くカメラやモンタージュについて語ってきたとG・ドゥルーズは言う[13]。なるほどジーバーベルクの映画の最も大きな視覚的要因の一つが何であったかと言えば、『ヒトラー Hitler - ein Film aus Deutschland』(1977)などの作品からもうかがえるようにフロント・プロジェクション、リア・プロジェクションの効果的使用であった。例えば視覚的空間を構成する要素は登場人物やフロント・プロジェクションを使用しての映像などであるが、登場人物はフロント・プロジェクションを使用してのその映像と切り離されているにもかかわらずこの視覚的空間を構成するという実験がなされている。そして「映画の初期にはまだフロント・プロジェクションやリア・プロジェクションといった別のものがあったことが忘れられている」[14]として、ジーバーベルクによりオルタナティヴが探られることになる[15]
 さてこの映画『まわり道』のスクリーン・プロセスを利用してのシーンは平板と言えばあまりにも平板とも言いうる。しかしこのようなセットを、上述の観点に加えて、さらに伝記的事実として幾つもの国境を越えることになったウルマーの旅のアレゴリーとして読み、ウルマー自身がそこに生きることになったものとして読むのであれば、その様相も違ったものとなってくるかと思われる。後述されることにもなるが、このスクリーン・プロセスによるシーンを含むこの映画には様々に言及がなされることにより襞が刻まれ、その折り畳まれた襞は重ねられ厚みを増す。言及をなす者も、そのフィルム・テクストの強度に応じて自らを相互に挟み込んでいこうとすることにより、映画内の(=という)旅を強いられる。そしてこのことはこの旅に新たな様相を付加することにもなる。すなわち、「もっとも平面的な映像でも、知らず知らずのうちにひだを刻まれ、地層を形成し、厚みのある帯域をつくりあげる」ことになる[16]。そしてその結果、この映画に批評を加える「批評家」も「映像のなかを旅することを余儀なくされる」。そして、その「旅はついに〈代補〉の力を獲得し、管理とは無関係な旅」ともなってくる。映画以外の旅がすべてテレビを通じて得られる旅を確認する旅のようなものであるにすぎないのであれば、映画こそがまさに「絶対の旅」となる。
 あらためてウルマーによるこの映画における過剰なまでのスクリーン・プロセスの使用に立ち返りたい[17]。仮にかつてはスクリーン・プロセスの効果を発展させる時間的余裕はなかったとして、しかし遡行的に現在から振り返れば、ウルマーはこの効果を発展させる作業に図らずも実験的に取り組んでいたと考えうる。ここには空間から時間が生まれるのではなく、時間から空間が生まれるといった事態への変容が見られ、別のリアリティーが生まれる。このスクリーン・プロセスの使用において、車内の主人公の男女のこれから向かっていく運命が先へと進行しているという様相が、独自の不気味なリズムを刻む。独自なとは、例えば彼、彼女らは投影されるスクリーンの前に固定されたコンヴァーティブルの車の座席という同じ場所にこのように留まっているにも関わらず、映画内の時間を運動をしながら生きていることである。しかもリズムといったものが、「スタイルから(・・・)制約とのぶつかりあいのなかでつくりあげられるスタイルから生まれる」[18]のであってみれば、ここにみられるリズムは、低予算の過酷な制約が強いる条件を抜き去って何かを模倣してとってつけて得られるようなものではない。したがってこのリズムはリメイクといったかたちで、後に模倣しようとしても模倣しえるものでもない。

3. 特異なスクリーン空間と旅
(ⅰ) 無力さと運命

 さて、ここでの主人公の男は、あたかも旅が自らの暗殺者であることに同意するかのように、自らの「アイデンティティと意志を破壊し、死で終わるだけの旅行に乗り出す」[19]かのようである。その意味で、この主人公の男は何かしら死を希求しているかのようでもある。旅の途上、この男は「理解もコントロールもしえない一連の不合理な経験」に見舞われ、そういったことにただ受動的に反応し、まるで「無力な囚人」[20]であるかのように転がり落ちて行く。主人公の男はあたかも「夢の中にいるもののように無力に漂っている」かのようでもある[21]。そしてこの旅において「遍在する運命が、彼を絶滅させることになる予想外のまわり道を、結局ヒーローの意志に押しつける」[22]。そしてこの主人公の男の無力さから、この映画はウルマーの「運命に膝を折った礼拝」とも解釈され、ここに真のウルマー的な「不条理感」も見出されることにもなる。しかもこのような情動をもたらす際、カメラは「正確な感情表現の道具」に変えられ、そのような情動空間を支える。そして、「スクリーン空間」は「痙攣」するほどに「抽象化」され、「そこに現れる光、影、フォーム、運動の独自の身振りを提示することにより、感情の強度を増す」[23]
(ⅱ)抽象的なスクリーン空間
 たとえばここで言われる「抽象性」は、この映画において場所に関しての具体的な指標となるものが極めて希薄であることにも呼応している。つまりこの映画における旅行の部分は「地理的具体性や目的性」を拒否している。たとえば、カメラが地図上を西にパンして行き、それに歩く主人公の男の足のショットがオーヴァーラップするシーンがある(図5, 14:25)。その際、彼がいる「場所を示す矢印標識や道路地図」も映らない。どの方向に向かうのかといった矢印なども示されない。「シカゴを過ぎたある場所(実際にはオクラホマということになっている)から、地図はもう映らなくなり、主人公の空間的足取りを示すこの抽象的指標すら省かれてしまう」。そして「旅は彼を地図にないノーマンズ・ランド」へと導くことになる[24]
 さらにこの「抽象」的な「スクリーン空間」は奇妙なものでもある。たとえば主人公の男がNYのクラブからLAにいる恋人に電話をかけるシークエンスがある。それは次のようなショット群から構成される。(a)NYのクラブの電話ボックス内の主人公のショット(図6, 12:36)、(b)LAのクラブの恋人のショット(図7, 13:35)、そして(c)電話交換手たちが仕事をしている交換室のショット(図8, 13:02、このショットはB級映画に特徴的なストック・ショットである)である。通常の古典的ハリウッド映画においては、たとえばH・ホークスの『赤ちゃん教育』においてケーリー・グラントとキャサリン・ヘップバーンとの電話のやり取りは彼、彼女のショットが交互に示され、彼、彼女のショットの際にそれぞれに話し声が被せられるといったものである。ところがこの映画『まわり道』のこのシーンでわれわれが耳にするのは、彼、彼女らの会話のやりとりではなく主人公の男の声のみであり、恋人である彼女の声はその姿は目にされるが聞かれることはない。われわれはあたかも主人公の男のヴォイス・オーヴァーを聞かされるのと同質的に、このシーンでの会話のやりとりを聞かされることになるのである。この箇所は後に「トリュフォーのようなリリシズム」のシークエンスともされるものであるが[25]、それは同時にとても痛々しいものである[26]
(ⅲ)遍歴のアレゴリカルな読解
 抽象的なスクリーン空間がもたらすこの奇妙さをどう考えればいいのか。ここでもたとえばこの奇妙な空間を、実際にウルマーが辿った遍歴をアレゴリカルに読むことも可能である[27]。なるほど生身の身体を持ったウルマーはチェコ、オーストリア、ドイツ、アメリカ、イタリアなどと様々に実際の国境を越える。もちろん現実の地理的な距離を踏査したからといって、必ずしも自分自身に対して相対的な非領域化が行われるのかと言えばそういうわけではないし、伝記的事実の水準での非領域化がなされたからといって、フィルム・テクスト上での非領域化が必ずしもなされるとは限らないかもしれないが、実際にウルマーが辿った遍歴をアレゴリカルに読むことは可能であろう。果たしてこの映画の主人公の男がなす旅はどうであろうか。ここでもこの映画『まわり道』の製作における弱点とも言える状況(過酷なまでの低予算が強いてくる製作上の諸条件)が強度を秘めた肯定的なものへと転じることになる。つまりこの映画に見られる旅の運動は、先にも若干触れたが、投影されたスクリーンの前に固定されたコンヴァーティブルの車の座席上で実際に動いてもいないのに、映画内においてあたかも動いているかのような旅の運動である。ここでの旅はそもそもスクリーン・プロセスにより可能とされる「動かないまま、その場で行われる旅」であり、「強度においてでなければ体験されたり理解されることのできないものである(強度の境界線を踏み越えること)」。そしてこのことは次のことと連関する。
(ⅳ)倒錯的なロード・ムーヴィー
 この映画『まわり道』はある種のロード・ムーヴィーである。というのもわれわれは主人公の男が運転する車の背後にハイウェイなど道路の映像を随時目にすることができるからである。しかし、主人公の男らが走行するその道路は、途中主人公の男が女をガソリン・スタンド近くで同乗させるシーンなどがロケーション撮影でなされたりしてはいるが(図9, 32:32)、その他はほとんど全てスクリーン・プロセスによるものである。したがってこの映画は至る所道路=ロードに溢れたロード・ムーヴィーであるにもかかわらず、実際にそこに吹いている風、そこに照り付けている日差しなどと共にその道路をわれわれは感じることのできないロード・ムーヴィーといった、極めて倒錯的な様相を呈すものである[28]。しかもそれに加えてスクリーン・プロセスによって与えられる風景はと言えば、およそ爽快さを感じさせるようなものとは対極に位置するものであり、それは陰鬱さを伴った「空虚で、非物質的な荒地」[29]や「砂漠」[30]である。しかもそれはこの映画の主人公の男の心象風景[31] や全体的な調子ともなっている「侘しさbleakness」[32] に呼応するものとなる。
(ⅴ)分裂病的航海
 さて主人公の男の表情には、何か大きなものに抑圧されているかのように、「汗、無精髭、羞恥、怒り」などといったものが見られる[33]。しかも主人公のこの男であるが、他の主要な登場人物同様、決まった居所を持つわけでもない[34]、社会のマイノリティのように思える。男はあたかも「余白の世界」に生きる者であるかのようである[35]。さらにそれに加えてその「余白の世界」に生きることを助長するかのように、彼は途中偶発的に死んでしまった男の<分身>を生きることを強いられ、自らの同一性に揺らぎを与えられ続ける。つまり自分が自分であるというアイデンティティに何重にもずれを与えられ続ける[36]。ここからすると、あたかも主人公のこの男の「旅は、(・・・)分裂病的航海であり、それは「まだたがいにぶつかり合い、たがいに押しのけ合っている波間の僅かばかりの木片」に乗った航海である」[37]かのようである。この旅はどこにもない場所、何もない誰もいない世界の旅のようである。彼の旅はまるで「意味のない世界で漂っているという感じ」[38]である。しかも、このどこにもない場所、何もない誰もいない世界の旅とは、裏を返せば、それはいたるところに可能である「匿名の場所」の旅となろう。そしてこの映画の演出空間が、場所と場所とを繋ぐ、間にある「パサージュ」となる[39]。たしかにこのような奇妙な空間においては、通常感じられるリアリティーは欠落するであろう。しかし同時に別のリアリティーの感触を強いられることになる。そしてそのような感触を可能にしているのが、これまで見てきたようにまさにこの映画における他ならぬスクリーン・プロセスの使用なのである。
 しかしこの映画に見られるこのようなスクリーン・プロセスもカラーの到来により時代遅れのものとなってしまう。というのもカラー撮影は被写体を照明するのに非常に多くの光を必要とするものであり、そのことは背後から映写された映像を消してしまう傾向が強かったからである。さらにカラー映像はより多くの視覚情報を提供するものであり、そのことは前景と背景とを一致させることを非常に困難なものとした。そのためその後リア・プロジェクションの機能を果たす技術が開発されていくこととなり、スクリーン・プロセスは廃れていくことになる[40]。このようにスクリーン・プロセスは極めて歴史的な産物なのであり、歴史的に規定されたこのようなスクリーン・プロセスがこの映画では徹底的に使われているのである。

4. おわりに
 なるほどリア・プロジェクションを使ってのこれらのシーンは、あまりにも貧相で幼稚な機材や未熟な技術ゆえの産物と思えもする。そこからすればこの作品はとても「作品」と呼びうるようなものではないのかもしれない。製作条件などをはじめ、この映画にまつわる数々の「貧しさ」ゆえに、この映画『まわり道』は一般に否定的な評価の様相で言及されてもきた。しかしそのことが逆に、「まるで、弾くたびに、その作品は一人の人のためにだけ、それを演奏する人のためにだけ書かれたかのよう」[41]にも感じさせる。であれば逆に、この映画に対してなされる否定的な評価こそ、肯定的に捉え返さなければならない。製作諸条件が強いてくるこのような過酷な「貧しさ」はフィルム・テクスト上の「大胆な繊細さ」へと変容させられうる。鑑賞されるべき「作品」としてではなく、それに接続し、自らの変容の契機を促す装置としてウルマーの映画を考えているのがゴダールであろう。かつてゴダールは自作の『アルファヴィル Arufaviru』(1965)を振り返り、この映画に出てくる「アルファ60」という名の「アルファヴィル」という都市の機能を管理しているコンピューターが実際のスーパー・コンピューターを使って撮ったのではなく、3ドルで買えるフィリップス社の小さな扇風機を使い、それに下から照明をあてて撮られたちゃちな張りぼてのようなものであることを述べたことがあるが、このような姿勢もウルマーのB級精神に連なろうとするものであろう[42]。なるほど余儀なく強いられてなされたことにもやがて時代のほうが追いつき、時代に追いつかれたそれらは、誰しもが使いうるよう手法化され鑑賞することのできるものとされてしまうであろう。そこに見られる、かつては余儀なく強いられて製作されたちゃちなセット、技術的なミスなどにしても、それらしくヴェールを施されて過酷さとは程遠い微温的なものとなってしまうであろう[43]
 さらにウルマーによるこの映画『まわり道』で目にすることができる、たとえば今言及しているスクリーン・プロセスを利用してのシーンに見られる運転席にしても、一見通俗的に見えるものである。しかしそのような「通俗性」は厳しい条件下にあって数々の驚くべき映画を製作してきたウルマーの稀有な姿勢につきまとう避けがたい身振りである(この稀有な姿勢は「独身者」的とも呼びうる姿勢であり、「おそらく独身者には・・・弱点がある。・・・通俗性、・・・」[44]とされるものである)。
 この映画『まわり道』では、主人公の男が恋心を寄せていた女性がハリウッドでスターになることを望むなどといったことを行動に移したことから歯車が狂いだす。物語りは軋んだ音を発して回転しながら先へと進む。そしてこのことはこの映画をアレゴリカルに読むことを誘発してくる。なるほどこの時期ウルマーはハリウッドにいる。しかしスター俳優の出演する絢爛豪華とも言いうる映画の製作にあたるビッグ・スタジオに所属しているわけではない。ウルマーはそれとは全く異質な「貧窮通り」と呼ばれもする場所にあるB級映画製作会社PRCで映画の製作にあたっている。かつてビッグ・スタジオ(ユニヴァーサル、ただしセミ・メイジャーであるが)で製作をしたこともあり、その後オファーを提示されることもあるほどにはその映画的力量は十二分なものであった。しかしウルマーはさしあたり「ハリウッドの寄せ集め機械」にはなりたくなかったと言い、ビッグ・スタジオでの製作を拒むことになる。しかしそんな彼を絶えずビッグ・スタジオで製作するという、ある種の通俗的とも言いうる欲望が襲う。一方でハリウッドのビッグ・スタジオで働きたくないとするウルマーがいる。しかし他方でビッグ・スタジオで働くことになりそうなことを喜ぶかのような言葉を発するウルマーがいる[45]。しかし一見矛盾するそのような姿勢は稀有なあり方の証左以外の何ものでもないであろう。それは信じがたい条件下で信じがたいやり方で映画を製作し続けることを可能にしてきた稀有なあり方が強いてくる弱点であり、寿がれるべき「通俗性」であろう。
 PRC製作によるこの映画『まわり道』であるが、1945年11月30日に合衆国で、翌1946年10月には英国で劇場公開される。中期ウルマーの映画製作を支えてきたB級映画製作会社PRCも、合衆国での公開直後の12月にはイーグル・ライオンのスタジオへと変更を余儀なくされる。1945年にHer Sisters SecretThe Wife of Monte CristoがPRCのスタジオの下に製作されているが、この2作品をもってウルマーのPRC時代は終焉を迎えることになるのである。

[1]Gilles Deleuze, Félix Guattari, Kafka : pour une litterature mineure, Paris : Editions de Minuit, 1975, p.129 ; dt.: Gilles Deleuze, Félix Guattari, Kafka : für eine kleine Literatur; aus dem Französischen übers. von Burkhart Kroeber. 1. Aufl. Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1976, S.98.  
[2]Gilles Deleuze, Cinéma 1, L'image-mouvement, Les Editions de Minuit, 1983, p. 223; dt.: Gilles Deleuze, Das Bewegungs-Bild; übersetzt von Ulrich Christians und Ulrike Bokelmann. 1. Aufl. Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1989, S. 220.
[3]Stefan Grissemann, Mann im Schatten. Der Filmemacher Edgar G. Ulmer, Zsolnay-Verlag, 2003.
[4]Don Miller, B Movies, New York, 1973.
[5]Charles Flynn and Todd McCarthy, Kings of the Bs : working within the Hollywood system : an anthology of film history and criticism,1st ed. New York : E. P. Dutton, 1975.
[6]Robin Cross,The big book of B movies, or, How low was my budget, New York : St. Martin's Press, c1981.
[7]James Monaco, How to read a film : the art, technology, language, history, and theory of film and media ; with 36 diagrams by David Lindroth, New York : Oxford University Press, 1977, p.108(岩本憲児他訳『映画の教科書:どのように映画を読むか』フィルムアート社、1983)
[8]通常の古典的ハリウッド映画においては、たとえばH・ホークスの『赤ちゃん教育 Bringing Up Baby』(1938)においてケーリー・グラントとキャサリン・ヘップバーンとが彼女が飼っている豹を乗せて車で移動するシーンがあるが、ここでは標準的な使い方がなされている。車での移動(車内のショットにスクリーン・プロセスが利用される)⇒車の衝突⇒車での移動(スクリーン・プロセス)⇒スーパーでの買い物⇒車での移動(スクリーン・プロセス)⇒到着した家で⇒・・・。
[9]そしてこのようなスクリーン・プロセスを利用しての運転席をフロント・ガラス越しにとらえたシーンを眼にすると、J=L・ゴダールによる『気狂いピエロ Pierrot le Fou』(1965)を思い出さずにはいられないかもしれない。J・P・ベルモンドが運転する車が夜の街を走り抜けて行く。この運転席のシーンにおいて利用されているのが、スクリーン・プロセスである。ただこのカラー映画作品『気狂いピエロ』にあってはフロント・ガラスを色とりどりのネオンの色彩が映り行くところが、ウルマーのこの作品『まわり道』とは異なっているが、ゴダールのその映画にあってもしばしの持続をもってこの運転席のシーンが続けられる。
[10]このシーンは元々の脚本にはない。Martin Goldsmith, Detour, scenario, vol. 3 no. 2, p.134.
[11]ドゥルーズにより、フロント・プロジェクション、リア・プロジェクションは「運動イメージ」のかわりに強烈な「時間イメージ」をもたらすことになるとされるものである。
[12]Syberberg, numéro spécial des Cahiers du cinéma, février 1980, p.86 zit., Gilles Deleuze, Cinéma 2, L'image-Temps, Les Editions de Minuit, 1985, p.345 ; dt.: Gilles Deleuze, Das Zeit-Bild; übersetzt von Klaus Englert. 1. Aufl. Frankfurt am Main : Suhrkamp, 1991, S.427(『シネマ2』、宇野邦一他訳、法政大学出版局、2006、(85-86)ページ).
[13]Deleuze, op. cit., p.345 ; dt.: a. a. O., S.427(前掲書、(85)ページ).
[14]Syberberg, numéro spécial des Cahiers du cinéma, p.86 zit., Deleuze, op. cit., p.345 ; dt.: a. a. O., S.427(前掲書、(85-86)ページ).
[15]ドゥルーズが「別の力能」とするものである。Deleuze, op. cit., p.345 ; dt.: a. a. O., S.338(前掲書、363ページ)そして、「イメージ」にはもう一つのタイプがあり、それは、「ゆるやかな、管理可能な運動」をもたらすことによって、「運動のシステム(またはヒトラー-映画作家のシステム)のうちに矛盾を引き起こすことができる」のだと。Deleuze, op. cit., p.345 ; dt.: a. a. O., S.429(前掲書、(85-86)ページ).
[16]Gilles Deleuze, Pourparlers, Editions de Minuit, 1990, p.111; dt.: Gilles Deleuze, Unterhandlung 1973-1990, Suhrkamp, 1993, S.116-117(『記号と事件』、宮林寛訳、河出書房新社、1992、135ページ). ようするにこれは「映像によって保存される美とか思考」だということになる。なぜ「保存」がおこなわれるのかというと、「美も思考も映像のなかにしかないし、そもそも映像によってつくられたもの」であるからに他ならない。
[17]この映画における「過剰さ」に着目するものとして以下を参照。加藤幹郎、『表象と批評』、岩波書店、2010、57-97ページ.
[18]Jean-Luc Godard, Introduction a une véritable Histoire du Cinéma,Tome1, collection Ça /Cinéma, Éditions Albatros, Paris, 1980( 『ゴダール/ 映画史Ⅰ』、奥村昭夫訳、筑摩書房、1982、46ページ).
[19]John Belton, Cinema Stylistics, Metuchen, N.J.: Scarecrow Press, 1983, p.162.
[20]John Belton, op. cit., p141. また、このような主人公の様相から、そこにマゾヒズム性を見て議論するものとしては以下。Frank Krutnik, In a Lonely Street: Film Noir, Genre, Masculinity, London: Routledge, 1991, p.85, 127.
[21]John Belton, op. cit., p.164f. さらには以下。Reynold Humphries, Masculinity and Masochism in Detour in: Edgar G. Ulmer Detour on Poverty Row , edited by Gary D. Rhodes, Lexington Books, 2008, pp.165-178.
[22]Jacques Lourcelles, Dictionnaire du cinema, tome 3 : les films, Poche, juillet 1999. p.401.
[23]Myron Meisel, Edgar G. Ulmer; the Primacy of the Visual, Kings of the Bs, p.148. またここで言われる「光、影、フォーム、運動の独自の身振り」が監督ウルマー自身の魂を規定しているともされる。同じくこの映画における「抽象」的な世界に触れるものとして以下。Stefan Grissemann, a. a. O., S.221.
[24]John Belton, Film Noir's Knights of the Road. http://www.brightlightsfilm.com/54/noirknights.htm in Dana Polan, Power and paranoia : history, narrative, and the American cinema, 1940-1950, New York : Columbia University Press, 1986. p.271.
[25]Richard Combs, Edgar G. Ulmer and PRC: A Detour down Poverty Row, Monthly Film Bulletin, vol. 49 no. 582, July 1982, p.146.
[26]したがってそこに見られる男女のコミュニケーションについては、「コミュニケーションの痛切さ」とも言われる。
[27]この映画に見られる旅をこの映画が実際に製作される数年前になされたウルマー自身のNYからLAへの伝記的な旅になぞらえるものとして以下。Charles Tesson, Detour de Edgar G. Ulmer. in: Cahiers du Cinema 436, 1990, p.436.
[28]Michael Henry Wilson, Edgar G. Ulmer: "Let there be Light!", in Divini Apparizioni: Edgar G. Ulmer, Joseph Losey, Leonid Trauberg, Milan: Transeuropa, 1999, p.253.
[29]Dana Polan, California through the Lens of Hollywood, in Stephanie Barron et al. (eds), Reading California: Art, Image, and Identity, 1900-2000, Berkeley: University of California Press, 2000, p.139.
[30]Jonathan F. Bell, Shadows in the Hinterland: Rural Noir in: Mark Lamster(ed.), Architecture and Film, New York: Princeton Architectural Press, 2000, p.224.
[31]したがってたとえばこの映画における全てのことは主人公の男の「精神的不安の投影」ともされる。Hugh S. Manon, See Spot: The Parametric Film Noirs of Edgar G. Ulmer in: Edgar G. Ulmer Detour on Poverty Row, edited by Gary D. Rhodes, Lexington Books, 2008, p.114. Frank Krutnik, op. cit., pp.152-157.
[32]この映画を特徴付ける際に様々な論稿により用いられる言葉であるが、この映画を真のフィルム・ノワールにしているのが、ライティング、フレーミング、霧などといったものではなく、この「侘しくもロマンティックな感受性」とするものとしては以下。Hossein Amini, Hearts of Darkness, Sight & Sound, vol. 6 no. 10, October 1996, p.61. またこの映画のスタイルにおける「ミニマリスティックな侘しさ」が「希望なき様相」をうつしているとするものとして以下。Jack Shadoian, Dreams and Dead Ends: The American Gangster Film, Oxford: Oxford University Press, 2003, p.25.
[33]Greil Marcus, The Shape of Things to come: Prophecy and the American Voice, London: Faber and Faber, 2006, p.133.
[34]Andrew Britton, Detour, Ian Cameron (ed.), The Movie Book of Film Noir, New York: Continuum, 1993, p.182.
[35]James Naremore, More than night : film noir in its contexts, Berkeley : University of California Press, 1998, p.149.
[36]「アイデンティー」を含めて全てのものの喪失を見るものとして以下。Paul Buhle and Dave Wagner, Radical Hollywood, New York: The New Press, 2002, p.331.
[37]Deleuze, Guattari, op. cit., pp.129; dt.: a. a. O., S.98. 主人公の男の悪夢は従来は「パラノイア的」とされてきたものである。Spencer Selby, Detour(1945), Dark city: the film noir, Jefferson, N.C.: McFarland, 1984, p.29. フィルム・ノワールのジャンルにあって、その登場人物に「精神病理学的動機」が与えられ、これがしばしば何らかの仕方で「邪悪」なものであり、「精神病者」のものとして認識されることに関しては以下。Elizabeth Cowie, Film Noir and Women, Shades of Noir: A Reader, ed. Joan Copjec, London/New York: Verso, 1993, p.126.
[38]Gallagher, Tag, "All Lost in Wonder: Edgar G. Ulmer",
http://www.latrobe.edu.au/screeningthepast/firstrelease/fr0301/tgafr12a.htm
[39]Stefan Grissemann, a. a. O., S.222.
[40] James Monaco, op. cit., p.108.
[41]Roland Barthes, L'obvie et l'obtus , Collection "Tel quel"; . Essais critiques ; 3, Paris : Seuil, 1982 (『第三の意味:映像と演劇と音楽と』、沢崎浩平訳、みすず書房、1998、228ページ).
[42]ゴダールはここで、確かに自分の撮影所をもって時間も十分に与えられた環境で仕事ができることは理想であるが、自分には許されてこなかったと言う。ゴダールに許されてきたことと言えば、「自分の車庫のすみや仕事場のすみで仕事をすることを余儀なくされて」きたことである。Jean-Luc Godard, op. cit.(前掲書、168ページ).
[43]Walter Benjamin, Gesammelte Schriften Ⅱ・2, herausgegeben von Rolf Tiedemann und Hermann Schweppenhaeuser, Suhrkamp Verlag Frankfurt am Main, 1977, S.683-701.
[44]Deleuze, Guattari, op. cit., p.129 ; dt.: a. a. O., S.98.
[45]1941年7月1日付のハリウッドからニューヨークの妻シャーリーに宛てられた手紙では、パラマウントとの契約を喜ぶ旨のことが記されている。Unpublished letter of 1 July 1941, Edgar G. Ulmer to Shirley Ulmer, Edgar G. Ulmer Collection, Margaret Herrick Library, Academy of Motion Picture Arts and Sciences, Beverly Hills, Calif. zit., Stefan Grissemann, a. a. O., S.157.

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