bplist00�_WebMainResource_WebSubresources� ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/kanbe-article-2011-sample.htmlPOX� CineMagaziNet! no.15 押田友太「反戦から鎮魂へ」

反戦から鎮魂へ

黒木和雄「戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作」における戦争反対への可能性


押田 友太

はじめに
 本稿は日本の映画作家である黒木和雄(1930-2006)の戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作をテクスト分析することで反戦映画の可能性の一端を明らかにするものであるが、まずは前提として彼が実際に経験した戦争体験を議論の俎上に載せる必要がある。というのも、黒木のその体験にこそ、今後彼が製作していく作品の基調低音となるものが存在するからである。黒木の戦争体験を元に映画化された戦争鎮魂歌(レクイエム)の一つである『美しい夏キリシマ』(2002)にも立ち現われているように黒木は終戦間際の1945年5月に学徒動員先の航空機工場にてB-29の爆撃に遭難し、その爆撃に同級生が巻き込まれるも、頭部に重傷を負う友人を助けることができずに逃げ出してしまうという辛い戦時中の体験を抱いている。後に10名前後が死亡したことがわかるのだが、目の前で同級生を失ってしまった喪失感と逃げることしかできなかった自責の念が黒木のその後の人生に浮遊し、トラウマとなって黒木を苛み続けるのである。
 このような後悔と懺悔の観念を反映するかのように彼の晩年の作品は戦争に言及したものが多く散見される。その中でも本稿で論ずる対象である戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作は彼の戦争に対する忌避感が浮き彫りとなり、その思いを反映するような演出的特徴によって彼の戦争への嫌悪感が見事に塗り込められていると言っても過言ではない。特に、戦場を具体的には描写せず、登場人物たちの日常に即した戦時下のリアリズムを再現する手法は感傷的なあるいはスペクタクルと化した反戦映画とは大きく区別されるべき作品群である。
 もちろん、日常から戦争を捉えた映画が全くなかったかというとそれは誤りである。銃後の人々を描くことで、戦争へと巻き込まれていく様相を非日常な戦場とは別の文脈から捉えようとする映画は数多く存在している。特に、日本において反戦を扱った映画は『わが青春に悔いなし』(黒澤明 1946)などのGHQ主導によるアイデア映画から『また逢う日まで』(今井正 1950)、『二十四の瞳』(木下恵介 1954)、『ビルマの竪琴』(市川崑 1956)、『人間の條件』(小林正樹 1959-61)等まで、日本の映画黄金期を支えたジャンルであり、戦場を描かかずに反戦を訴える映画は別段珍しいわけではない[1]
 ただし、全てではないまでも多くの作品があくまで悲しみの眼差しをもった被害者的な側面を拭いきれないものが多く、とりわけ、本土空襲や原子爆弾という悲劇を経験した日本にとってはその傾向は強いものと言えよう。無論、戦争という悲惨な状況を伝える上で悲劇を強調することは間違いとは言えない。けれども、真に戦争回避を願うなら、声高に戦争反対を主張するだけではなく戦争とは何かを具体的に考えることが必要とされるのではないだろうか。言い換えれば、過去の戦争を悲惨の一言で片づけてしまうような被害者的映画では戦争とはいかなるものであるかを不問に付してしまい、戦争の真相そのものを隠蔽してしまいかねない。本稿では以上の認識をもって戦争反対映画の可能性を探る一環として黒木の戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作を論じたいのである。
 本稿の構成は以下のようになる。まずは、黒木の戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作を論ずる上で反戦映画とは何かを整理する。次に反戦映画と観客の非同一化という問題を効果的に利用することで戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作がいかに戦争反対を訴えかける作品群となっているかを考察する。即ち、戦争鎮魂歌(レクイエム)の二作品である『TOMORROW/明日』(1988)『父と暮らせば』(2004)をやや技法的な側面から分析し、どのような演出的特徴があるかを例証した上で、その意図を検討する。最終的には観客に主体性を求めるという演出的意図を炙り出し、その意図と映像面を照応するために今度は主題論的な観点から『美しい夏キリシマ』を分析していくという流れを取る。

反戦映画とは何か
 はじめに、戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作と数多の一般的な反戦映画との偏差を同定するためにも反戦映画とは何かということを整理しておくことは有用である。反戦映画の目的はもちろん、反戦思想を観客たちに植え付けることであるが、このような認識はある種のアポリアを創出することにもなる。というのも、一方向的にメッセージを発するという点では、反戦映画の両極に位置する戦意昂揚映画とも明確な線引きは困難であり、思想を観客に強要すればするほど、それは相互作用的な関係性を破棄し、思想操作的な意味合いを持つプロパガンダとさえ成りうるからである。実際、戦意昂揚映画は観客に向けた一方的メッセージを伝達する国家のイデオロギー装置[2]の代弁をする。大多数の観客を平等に映像と音の相互作用に巻き込む映画の性質を上手く利用した大戦中の各国の戦意昂揚政策は戦争遂行の大義名分を分りやすく観客に刷り込むことで機能する。
 『我々はなぜ戦うのか』Why We Fight(フランク・キャプラ 1942〜45)というスローガンの下、戦争の意義を過去から順序立てて未来へと戦争遂行の正当性を投げ掛ける映画が実在するように[3] 、戦意昂揚映画は戦場の映像とフィクションの映像を編集し、巧みに観客のイデオロギー操作を行う。戦争の複雑な要因は単純な善悪二元論に回収され、観客の同一化を容易にしたと言えるだろう。反戦という思想を強要する映画にも同様のことが確認される。特に戦争を描きながら悲劇を強要する映画などは構造上、戦意昂揚映画と類似しているとさえ言うことができる。銃後における人々の受難を描いた被害者的映画、とりわけ、原子爆弾という殺戮兵器を強調した日本におけるヒバクシャ映画はその側面を主導し、「唯一の被爆国」[4]という誤ったイデオロギーを観客へと半強制的に浸透させる。戦意昂揚映画との領域の曖昧さが立ち現われる瞬間である。
 そもそも映画と戦争という関係性はヴィリリオ[5]が指摘したように映画草創期からの長い縁である。戦いにおける惨状を嫌悪するような映画は初期映画にもしばしば見受けられる普遍的なメッセージなのだ。特に第一次世界大戦という長期の殲滅戦を経験したのちに多くの人類に去来したであろう厭戦ムードはそれ以後の戦争を嫌悪するような映画製作を実現させるに至る。『ビッグ・パレード』The Big Parade(キング・ヴィダー 1925)[6]や『西部戦線異状なし』All Quiet On The Western Front(ルイス・マイルストン 1930)などの残酷な戦場の実態を活写する反戦的な映画は戦争そのものが如何に耐えがたいものかという点を露わにしている[7]。戦場の悲惨な状況を描写することが反戦的な思想に貢献するという見解は第一次大戦中の各国が味方軍の具体的な死体の撮影や辛い戦場を丁寧に描写することを報道規制によって禁止[8]したことでも窺い知ることができる。例えば第二次大戦中の戦意昂揚映画である『バターンを奪回せよ』Back to Bataan(エドワード・ドミトリク 1944)などにおいても死体のリアルな描写や戦場の残虐さは極力省かれ、日本軍という姿の見えない敵軍にジョン・ウェイン演じる英雄的人物たちが立ち向かうという短絡的なストーリーを基軸にしている。あたかも初期の西部劇[9]のような善悪二元論によって単純な英雄的物語に書き換えられ、残虐描写を意図的に排斥しているのだ[10]
 しかしながらここで興味深いのは戦意昂揚映画における残酷描写の回避が政府にとって思うほどの役割を演じることはなかったという点である[11]。また、他の先行研究においても指摘されているように第二次世界大戦中に観客を戦場へと動員するのに大きく寄与したものは戦意昂揚の戦争映画ではなく、他ならぬ戦中ミュージカル映画である[12]。同じようなことは日本においても参照することができるだろう。『ハワイマレー沖海戦』(山本嘉次郎 1942)などを例外として、多くの国策映画はヒットすることなく、国民はエノケンや嵐寛寿郎が主役の娯楽映画を中心に鑑賞していたのである[13]。また、『あの旗を撃て』(阿部豊 1944)のようなわかりやすいプロパガンダを見て画面通りにうけとる安直な観客を想定することは難しい。たとえ亀井文夫による『戦ふ兵隊』(1939)や田坂具隆『五人の斥候兵』(1938)などの戦場の辛さを中心にした映画が上映禁止になっていたとしても国民が『あの旗を撃て』に実際の戦場をみていたとは考えにくい。もちろん戦争参加は映画からでは捉えられない複合的な理由が絡まり合っているため、一概には言及不可能であるが、ここで重要なのは戦場を残虐に描くことが戦意昂揚と反戦の分岐点ではないということである。
 戦場を具体的に描かない銃後の人々を中心に描く映画においても同じである。日本の敗戦におけるGHQの統制に支障をきたさないために日本の独立後、大量に製作された作品は戦争に対する嫌悪感を謳いあげ、殊更に被害者描写を際立たせる。『二十四の瞳』(木下恵介 1954)や『ひめゆりの塔』(今井正 1953)などは戦争という障害を乗り越えてゆく様をメロドラマ風に構成し、観客の悲壮感を煽る。また、ヒバクシャ映画[14]などは独立プロ制作による『原爆の子』(新藤兼人 1950)から『ひろしま』(関川秀雄 1953)、あるいは『黒い雨』(今村昌平 1989)のように惨状を描くことで観客に悲惨な状況を再確認させるものである。例えば『黒い雨』においては主人公の高丸矢須子(田中好子)は原爆症に犯され、目を背けたくなるほどの衰弱ぶりを披露する。誰しもが同情し憐みの眼差しを向けないではおれないが、このような被害者的側面を前面に押し出すことが果たして戦争嫌悪に繋がるかどうかは甚だ疑問である。というのも、このような作品は登場人物たちに感情移入することが前提となってはいるが、現前で展開される物語はあくまでも自身に直接降りかかる問題ではない。映画とは元来、通常では経験できないものを疑似的に体感するものであり、たとえ辛く悲惨な状況を伝えたところで、それをそのまま現実のものとして受容することなどおよそ不可能なことである。
 残虐な戦場を描く戦争映画であるベトナム戦争映画[15]をはじめ、『プライベート・ライアン』Saving Private Ryan(スティーブン・スピルバーグ 1998)[16]、『硫黄島からの手紙』Letters from Iwojima(クリント・イーストウッド 2006)でも映画は常に主人公や登場人物に感情移入しながら物語を鑑賞する。戦場シーンを観客は登場人物として生きる。当然、同一化を試みるわけではあるが、あくまで物語として観客席の安全な位置から鑑賞するわけであり、身体に危害が及ぶわけではない[17]。そこでの戦闘はスクリーンの出来事であり、映画のコンテクストから捉えた最終的なクライマックスであり、あくまでスペクタクルであろう。言うなれば、製作者の意図通りに観客は操作されるわけではない。とりわけ、同一化を積極的に奨励する古典的要素を持つ映画などは、映像の意味作用を十全に理解する理想的観客を想定しなければならない[18]。アーロン・ジェローがポール・ヴィリリオの理論に対して「観客の受容による異なる効果の可能性を排除」[19]していることを非難しているように、映像の意味作用は一枚岩ではないのだ。ロラン・バルトはかつて映画における第三の意味[20]を指摘したことがあるが、そのような指摘のみにとどまらず、映画そのものを一元的に捉えることは不可能であることを忘れてはいけない。もしそのようなものがあるなら映画を語ることはおそらく無意味であろうし、映画作品に潜む様々な意味効果を探る快楽を抹消してしまうようなものである。本稿における試みもまた映画の解釈を多様化する視点を提供することにあるのだから。ゆえに、反戦映画における残酷な戦闘シーンが存在することが反戦的思想を助長させるなど欺瞞であると言えるかもしれない。
 以上のように反戦映画を定義することはいかに容易ではないかが理解できるであろう。だが、反戦映画という戦争映画の下位ジャンルに一定の方向性を付与するのならば、戦争をいづれにしても嫌悪するということである。戦争は絶対悪なのであり、そのことにいささかの疑念も抱かないのであれば、その発生を映画が阻止できることを信じて映画をつくることなのである。その目的を達成するためにも反戦映画とは何かを常に問い続けることは重要ではないか。我々が本稿で明らかにしたいのはこのような可能性の一端を探る手立てとして黒木和雄は一つの着眼点となるのではないだろうかということである。黒木は上記で指摘したような同一化を阻む映画的な意味作用を日常的な描写を通して逆に効果的に利用することで戦争反対を訴えようとした一例である。まずは、このような試みを実践している戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作の内、一作目である『TOMORROW/明日』と三作目である『父と暮らせば』を中心にそれぞれ技法的な側面から考察をくわえてみよう。

市井への眼差し
 戦争鎮魂歌(レクイエム)第一作である『TOMORROW/明日』にテクスト分析を施していく前にまず、この作品が制作されるまでの経緯を少し詳しくみておきたい。というのも第一作目にこそそれ以後に続けられる形式的な反復の萌芽が見え隠れするからである。『TOMORROW/明日』は、日米合作で企画されていた『大いなるダニューブ』という仮題の戦争映画が頓挫し、その際に黒木が行っていたロケーション・ハンティングが功を奏して制作されたポーランドとの合作番組『かよこ桜の咲く日』(1985)に触発されて制作が開始されたものである[21]。『かよこ桜の咲く日』はポーランド人の女子大生が長崎の原爆を知るために被害にあった人々の証言を通して探求していくというセミ・ドキュメンタリー形式を採っている。ポーランドの女子学生に長崎に縁の深いコルベ神父(アウシュビッツで毒殺)を研究しているという設定を与え、その彼女が実際の被爆/被曝者たちの証言を聞き、ホロコーストと原爆との共通点を見出していくのだ。
 『かよこ桜の咲く日』の製作を終えた2年後、黒木は井上光晴の小説『明日』に着想を得て『TOMORROW/明日』に取り掛かる。『かよこ桜の咲く日』に影響を受けたためか、原子爆弾投下による阿鼻叫喚を描くのではなく、投下される前日に生きる市井の生活を中心に物語を展開させる。丁寧に当時を再現し、言葉や街並みに至るまで違和感がないほどの生活空間が表象されている。このような傾向は戦争鎮魂歌(レクイエム)二作目の『美しい夏キリシマ』や三作目の『父と暮らせば』にも踏襲されており、宮崎や広島と舞台を異にしながらも描写の中心となるのは地域に生きる庶民の生活風景である。人間を数字に還元してしまうような鳥瞰的な視点ではなく、市井の目線からみた人間ひとりひとりへと眼差しを向け続けている。なるほど、戦争の被害は個人に即して千差万別であり、数多くのヴァリエーションの一つ一つを紡ぎださない限りは全体的な戦争という表面上の理解に留まり、詳細を取り逃がしてしまうことにさえなりかねない。『かよこ桜の咲く日』という被爆/被曝者たちそれぞれの証言をもとに構成された作品の経験が、戦争という実態をあくまでミニマムな視点として捉える戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作に連綿と受け継がれる手法の契機となったのは間違いない。では、戦争鎮魂歌(レクイエム)第一作である『TOMORROW/明日』を例にどのように市井の生活空間が捉えられているかをみていくことにしよう。

同一化を促さないフィクション
 『TOMORROW/明日』は「人間は父や母のように霧のごとくに消されてしまってよいのだろうか」という長崎の証言からの一節で幕を開ける。その後、タイトルクレジットと共に1945年8月8日長崎という字幕が表示され、暑さを象徴するかのような教会の揺らめくショットが映し出される。予めに提示される字幕によって、この物語が最終的にはどのような結末を迎えるかを観客は冒頭から認識することになる。日時を強調する演出は後の婚姻の場面においても再び登場する。物語の中心となる三浦家の三女・照子(仙道敦子)が前日のままで放置されている日捲りカレンダーを見つけ、7日と書かれた紙面を力いっぱい破り取るのである。破り取られた紙面の後ろから8日の日付を表示したカレンダーが画面を覆う。さらに字幕による提示は最終的にもう一度、強調されることになる。原子爆弾投下後に爆発の熱線の映像をフリーズ・フレームによって提示しながら、画面の真ん中に1945年8月9日11時02分という字幕が現れる。年月、時間、場所を何度も示すことでこの作品に描かれる物語が歴史という大きな枠内での物語であるということ、そして、その特定の年月、時間、場所を伝達されることで観客は歴史的事実を想起し、現前で展開される物語の状況は儚くも脆く崩れ去る運命にあることを確認せざるを得ない。そのような構成は冒頭に続くシーンに緊迫感を与え、たとえ何気ない場面であっても見逃すことはできないように作用する。もちろん、物語自体は映画的な創作であり、画面上に映るいかなる人物もフィクションである。だが、歴史的な事実を字幕として伝えることで物語世界内では登場人物に生気が与えられ、そうでありながらも<いま・ここ>にはいないという取り返しのつかない感情が観客の胸に押し寄せるのである。黒木が提示している鎮魂歌という主題がここで露わになる。登場人物はもはやこの世にはいない。原子爆弾によって殺戮された実際の人々と同じように怒りや悲しみを表現することなどできない。そのような認識を抱いたうえで観客は登場人物たちのもはや取り戻されることのない一回的な日常を傍観することになる。「死」を避けられない彼/彼女らの最後の姿を温かく見守るまさにレクイエムとなるだろう。
 むろん物語に「死」が漂っている以上、「死」の反対概念である「生」もまた描かれることになる。タイトルクレジットの後から展開するのは物語の中心となる三浦家の次女・ヤエ(南果歩)と製鉄所の工員、中川庄治(佐野四郎)の婚姻披露宴である。戦時中の暗鬱とした雰囲気の中で質素ながらも幸せな若い男女の新しい生活を予期させるような場面が展開される。当時の貧窮した状況を伝えるように周りには隣近所に住む子供たちが恨めしそうに披露宴用の食事を見つめる。その子供たちの視線を遮るかのように襖を閉め、暑いさなかに密室での披露宴を行うさまは戦時中という非日常の空間を否が応でも意識させる。ただし、そのような特異な状況のなかでも婚姻の場面において漂うのは暗さではなく、明日を担うものたちの明るい未来である。また、明るい未来を予期させるのは新しい夫婦の誕生だけではない。三浦家の長女・ツル子(桃井かおり)が出産する新しい生命の誕生にもそれは示唆的である。彼女の出産によっていそいそとばたつく三浦家の騒動とそれを乗り越えた出産後の安堵感は「生」がいや増す微笑ましい場面である。
 しかしながら、このような婚姻、出産というおそらく日常にとって最も幸せな瞬間に立ち会っているにもかかわらず、観客はある種の違和感を覚えるに違いない。なぜなら、二つの「生」を描く場面はいささか唐突な印象を与えるからである。言うなれば、幸せの結末にまで至る道程が示されておらず、登場人物たちの幸せな感情に同化することはできないからである。古典的な映画は観客に感情移入を促すための数々の技法を発明してきたが、この作品にはそれがほとんど欠落していることがわかる。全編に渡ってフラッシュバック(回想)が行われておらず、登場人物たちがなぜこのような状況にあるのか映像で説明されることはない。台詞でいくつか説明されることはあっても具体的な描写を挿入することはない。いわば、この作品は常に現在進行形で進んでおり、過去に戻ることを拒否している。また、ヴォイスオーヴァーなどの人物の心情を観客に訴える手法も使われていない。登場人物たちが何を考え、どのように思ったのかを詳細に伝えることはないのである。
 キャメラもまた同じである。全編に渡ってロング・ショットが多用されており、周りの風景と同化するような人物配置が登場人物の詳細な表情を明らかにしない。例えば、婚姻披露宴の場面においても新郎、新婦は画面の一番奥に並列に配置され、その前景の両端に向かい合って座する登場人物たちが描かれる。特定の人物に同一化を促すようなショットではなく、ディープ・フォーカスを利用することで家族全体の風景を捉えている。彼/彼女らが話す場合においてもキャメラは人物たちから一定の距離をおいて離れ、話す表情を詳細に捉えることはない。それはこの場面において主役であるはずの新郎、新婦においても同様の扱いであり、キャメラは誰の視点を固持することもなく、客観的にそれぞれの人物の姿形を羅列していく。ここで本作の冒頭へと遡ってみても類似の傾向が継続して見られることが確認できるだろう。タイトルクレジットに後続するシーンは三浦家の一番年下の少年・進(大熊敏志)が蝉を木に登って採集しているところから始まり、長女・ツル子と三浦家の母親・ツイ(馬渕晴子)、月形半平太を演じ、子供たちと共に遊んでいる男性…と幾人もの登場人物が順不同に並べられている。三浦家の面々の間には市井に生きる人々や長崎の空、戦時下を感じさせる「撃ちてや止まむ」の朽ち果てたポスターが列挙され、映画の導入部としては散漫な印象を与えずにはおかない。およそ主人公と呼び得る人物などを定めるようにはショットが連なってはいないのである。しかし、だからといってこの作品には登場人物たちのクロースアップやコンティニュイティ・エディティングなどの感情移入を緩やかに促す視点編集がないのかというとそれは誤りである。
 実際のところ、どのような映画にも散見されるクロースアップを使った切り返しの会話場面は新婚である①次女・三浦ヤエと中川庄治②三女・三浦昭子と出征を控えた青年③俘虜収容所に軍属として勤務する石原継夫(黒田アーサー)と娼婦という三組を中心に行われている。彼/彼女らの会話は劇中に挿入されている映画内映画である小津安二郎の『父ありき』(1942)の切り返し場面と同じように視線のリレーを通して会話を紡いでいく。次女・三浦ヤエと中川庄治の初夜のシーンでは視点編集による切り返しの会話が行われ、酒を酌み交わしながら新しい夫婦生活を言祝ぐように初々しい二人のぎこちない会話から幸せが滲み出る。あるいは、三女・三浦照子と出征を控えた青年との逢瀬のシーンにおいては劇中、唯一の移動ショットが用いられ、躍動感が溢れる若者たちの逢引が生き生きと描かれる。切り返しショットは戦争によって引き裂かれる男女の最後の会話を丁寧に観客へと伝達し、とりわけ、三浦照子の顔に徐々にズームインする三段階のショットサイズ変更などは、滑らかなクロースアップとは違う明確な意思を感じさせる技巧的なキャメラワークとなっている。また、石原継夫と娼婦の会話においても俘虜収容所での俘虜の死を悼む彼を慰めるように娼婦との切り返しの会話が紡がれていく。
 確かに、このような場面が観客に感情移入を促すシーンとして作用していると指摘することは可能であろう。というのも登場人物の台詞に寄り添うような視点編集によって、観客がその人物の主張に同化するような演出がなされているからである。だが、驚くべきことに彼/彼女らの主張や言動は物語に何の機能も果たさない。佐藤忠男の言葉を借りるなら「……事実と事実を因果関係で結び、その底にある対立や抗争を明らかにしようとする作劇はいっさいない」[22]のである。たとえ感情移入を果たしたとしても物語は特定の登場人物の言動に収斂していくものではないし、俘虜収容所にて勤務する石原継夫が俘虜の扱い方の是正を求めて日本人の加害者的側面を打ち出したところで、彼の思想が物語の展開に寄与することはない。それはキャメラの動きにも顕著に表れている。彼が発する台詞をキャメラはクロースアップで捉えながら、次の瞬間、キャメラはロング・ショットに切り替わり石原から離れてしまう。三女・三浦昭子が赤紙によって召集された恋人に悲しみを訴えかけようとも、キャメラは最終的には彼女から離れた視点を採用する。どれだけキャメラが近づこうとも、登場人物たちの心情をつぶさに感じ取ることはできないし、もし感じ取ったとしてもキャメラはそれ以上特定の個人に立ち入ることはないため、個人の感情が全編に渡って貫かれることなどない。悲劇的な指向性を切り詰めることで感傷的に登場人物たちに感情移入できないように演出されており、観客は徹底的に傍観者たることしかできないのである。言わば、この作品に登場する三浦家以外の登場人物、即ち、強制連行された朝鮮人、収容所にいるアメリカ、オランダ、インドネシア兵、そして、月形半平太を真似ながら子供たちと戯れる男性などから特権的立場を取るものなどいないのである。この作品に描かれる対象すべてが平等に消え去る運命を共にしているのだ。
 物語は最後、原子爆弾の投下によって締めくくられる。今まで積み重ねられてきた物語はすべて無に還り、登場人物たちの日常はフレームと共に断絶する。崩壊も苦しみも悲しみも何もかも描かれることなく、映画は終わる。感情移入することができない理由がまたここで認識できるだろう。登場人物たちが原子爆弾によってどういった経験を被ったかは感情移入できるようなものではないし、彼/彼女らが経験した艱難辛苦は映画を鑑賞しただけで、共感できようはずもない。登場人物たちは映画が始まる瞬間からもうすでにこの世にはいない存在である。冒頭の字幕がそれを如実に伝えていたはずである。劇中に表されている物干し台や長崎に生きる市井の人々と同じように全て消え去ってしまっているのである。彼/彼女らは何を訴えることも批判することもできない。原爆が投下されることなど知らぬうちにこの世から消えたのである。観客は登場人物たちの遺影を見守るかのようにただ傍観することしかできない。加藤幹郎がブレードランナーを例にとりながら観客の盲目性と無力性を述べているように我々ができることはただ彼らが死ぬのを見守るだけだったのである[23]。黒木なりの長崎に対する死者たちへの鎮魂だといえるだろう。

リアリティを拒絶する
 このような我々観客が感情移入することを拒む作風は戦争鎮魂歌(レクイエム)の第三作目である『父と暮らせば』にさらに顕著である。『父と暮らせば』は井上ひさしが率いる劇団こまつ座で上演していた劇作を翻案したものである。ただここで興味を惹くのは劇作を映画用に翻案しながらも、全編に渡って繰り広げられるのは演劇空間そのものを再現した世界であるということだ。ジョナス・メカス『永倉(ザ・ブリッグ)』The Brig(1964)など演劇そのものを記録した作品は存在するが、映画的に舞台を再現するとなるとなかなかそうあるものではない。もちろん、演劇の上演のように常に全体を見通すような、いわゆる初期映画のようなエスタブリッシング・ショットのみで全編が占められるということはないが、登場人物は福吉美津枝(宮沢りえ)、福吉竹造(原田芳雄)、木下正(浅野忠信)と主に三人だけであり、また、ほとんどが同じ屋内でのシーンで占められているため、場面をリアリスティックに再現した映画作品とは差異を感じざるを得ないだろう。この時点で既に現実から遠く離れた演劇的空間の再現は映画的な描写に馴致している我々観客を困惑させずにはおかないが、この作品にはさらに特徴的な場面が挿入されている。
 具体的にそのシーンを考察していく前に議論を進めていくうえで、『父と暮らせば』がいかなる物語であるかざっとまとめておこう。舞台は原子爆弾が投下された広島から三年後の世界である。福吉美津枝は原子爆弾に被爆しながらも奇跡的に助かり、毎日を暮している。ただし、黒木自身の経験を反映しているかのように生きていることに対して申し訳ないという思いを常に抱き、自身の幸せを享受することを殊更に拒否している。そのために密かに恋心を抱いている原爆調査員の木下正の告白を素直に受け止めることができない。彼女を心配して父親、福吉竹造は彼女の応援団長として現れるが、彼は既にこの世の人ではない。以上が大まかな物語の背景であるが、幽霊が現れるというファンタジックな内容であるにも拘らず、幽霊である福吉竹造は何も非人間的な側面を持っていない。時折、超越的な視点で福吉美津枝の行動を理解することはあっても、それ以外は何ら普通の人と変わらない行動をしている。一見、幽霊であることを忘れてしまうほど福吉美津枝の反応も普段通りである。二人の流暢な会話を通して滲み出る人柄は松竹ホームドラマを彷彿とさせるような朗らかな日常描写であり、幽霊であるという設定を除けば父親と娘という普遍的な親子の葛藤劇である。実際、本作は『TOMORROW/明日』とは違ってより古典的な映画技法に則った作品であることは強調しておかなければならない。
 さて、福吉美津枝が帰宅する場面から今作は始まるが、雷鳴がとどろく中、彼女は急いで家屋に逃げ込む。キャメラは彼女の全体を捉えることなく足元を映し出し、既にこの作品が演劇的な技法とは隔絶した映画であるということを意識させる。彼女は原子爆弾が投下されて以後、音と光という形式的な類似から雷を異様に恐れている。彼女のその恐れは足が絡み合うような滑走によって暗示され、悲鳴を上げる姿を記録することで伝えられる。キャメラは彼女を空間的に縦横無尽に捉え続ける。そんな彼女に突然押入れから声をかけるものが現れる。彼女の死んだ父親、福吉竹造である。福吉美津枝はそれほど驚きもせずに父親と日常的にみられるような会話を始める。雷が急に嫌いになったこと、隣近所に住む人たちの近況など他愛のない会話がゆっくりと繰り返されていく。通常の会話とは違う方言が積極的に使用されていることも見逃せない側面である。思えば『TOMORROW/明日』をはじめ戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作はすべて方言が使用されているが、長崎、宮崎、広島弁というどこか趣のある方言によって日常会話にはよりいっそう生き生きとした人間性とその言葉から溢れでる独特のリズムが産出される。黒木は自身の演出論においてあまり演出をしないことで有名だが、方言に対しては非常に厳しいことで知られる[24]。方言を利用することは日常描写が主な戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作に一定のリアリズムを与え、登場人物たちに土着性を加味することに成功していると言えよう。
 この会話を捉えるのが『TOMORROW/明日』でも組んでいた鈴木達夫のキャメラだ。切り返しを用いるばかりでなく、演劇との差異を図るかのように空間的に二人の会話をとらえていく。二人の周囲をキャメラがゆっくりと旋回し、演劇ならば見えることのない役者の両左右の顔や背後、そしてクロースアップによって表情を情感豊かに記録する。『TOMORROW/明日』のように登場人物からキャメラは必要以上に離れることなく、視線のリレーをセオリー通りに守っていると言ってよいだろう。実際、黒木によれば今作は小津や成瀬といった往年のホームドラマに影響を受け、その手法を利用したとしている[25]。親子の会話はまさに切り返しによって往復し、台詞を丁寧に伝達するような演出がなされている。また、本作においては他の二作では用いられていないフラッシュバック(回想)による人物たちの心情説明が使用されている。特に、三人目の登場人物である木下正はおよそフラッシュバックの場面においてしか登場せず(ラストだけ違うが)、我々は常に福吉美津枝の記憶から木下を見ることになる。例えば、木下正が初登場する場面。木下正は福吉美津枝が勤める図書館に原爆資料の所在を尋ねる。福吉美津枝と木下正のやり取りは福吉美津枝と福吉竹造の会話へと被せられ、この会話がヴォイスオーヴァーであったことが観客に知らされる。また木下正と福吉美津枝の場面は、ほとんどが屋内のシーンで占められている本作品では異例なロケーション撮影が行われているため、屋内/屋外のコントラストが彼女の心情をより抒情的に際立たせる効果を生んでいる。
 このように本作は『TOMORROW/明日』とは趣向が異なる感情移入を促す装置が多用されていることがわかる。だとすれば観客は福吉美津枝の心情に同化しながら彼女がおかれた状況を想像し、その過酷な心境を共感するはずである。しかし、実際には必ずしもそうはならない。我々は本稿において、黒木和雄における同化を促さない演出法に注目してきた。こうした演出法は本作品でも至るところで見られる。感情移入の装置に敏感な理想的な観客であればあるほど、同一化を拒否する演出とのその共存ぶりは奇異に映るであろう。ではその事例を実際に見てみよう。福吉美津枝が紙芝居の練習をしているとき不意に現れた福吉竹造が彼女にお手本としてエプロン劇場なるものを披露し始める。画面は竹造の全体を捉えたショットサイズに切り替わり、固定ショットによって彼を捉える。照明は突然スポットライトになり、観客に向かって独白を始めるのだ。彼が語る内容は我々観客に向けたものであるだけでなく、福吉美津枝にも向けたものであるため正確に言うと独白ではない。また、独白の途中に挿入される原子爆弾投下の映像はCGによって再現された、つまり、米軍によって撮影されたものではない映像が使用され、有名な青茶けた光ではないどす黒くて埃っぽい原爆雲が広島の空に立ち上る[26]。このようなことからわかるのは完全に物語から離脱したシークェンスではなく、物語の流れに沿って挿入されたものであるということである。演劇畑出身の原田が演じることで語り口は力強く、その高ぶる感情に引き寄せられるかのようにキャメラも彼へとズームインしていく。「広島の一寸法師」と名付けられた作り話によって、とげとげしい原爆瓦や熱線によって捻じ曲げられた試験管が自然に提示されていく。このシーンは具体的な惨状を微細に表象することによって得られる想像の限界を軽々と飛び越え、観客一人一人の脳裏に描き出される原爆投下後の地獄絵図を無尽蔵に増大させる。原子爆弾によって被爆し命を落としたという設定を採用することによって、原爆を実際に体験した本人から観客に届けられる心の叫びは想像以上にショッキングである。このような唐突にはじまる独白は「異化効果」を生み出し、観客から同一化を拒否するように作用していると言い換えることができる。今まで積み上げられてきた同一化の技法は消失し、感情移入してきた理想的な観客を深淵へと放り投げる。福吉竹造はキャメラの前で演技しているにすぎないという突き放したような「異化」によって、観客は同一化する人物を一人失ってしまうのである。だが、理想的な観客はまだ、主人公である福吉美津枝の存在によって救われる。彼女が福吉竹造の独白ののちも彼に話しかける姿によって彼女が依然、物語の空間にいることを感じ取るからだ。だが、この救いもラストによって崩壊する。
 この作品の終幕は福吉美津枝と福吉竹造が暮らしていた場所をゆっくりと提示するものであるが、福吉美津枝が放つ最後の台詞ののち、彼女のいる地点から上方にキャメラがティルトすると彼女たちが過ごしていた家屋には屋根がないことに気づく。また、この屋根を象る円形の骨組みは広島・原爆を象徴する原爆ドームであることに多くが気づくはずである。キャメラは再びロング・ショットによって原爆ドームを遠景から写し、理想的な観客はその下にある(はずの)福吉美津枝たちの家屋を探すが、キャメラには廃墟となった骨組みだけが映し出され、彼女たちが今まで過ごしていた家屋そのものが消失している。つまり、空間的に整合性がないのである。その後、キャメラは滑らかにクロースアップして近辺に咲いている二組の白い花を捉える。畢竟、登場人物たちは果たしてどこにいたのだろうか。多くの観客の胸に去来するこのような疑問は回答が与えられることはない。福吉美津枝も福吉竹造も木下正もすべては物語のなかでの想像だったのだろうか。この不可解な演出によって黒木は観客の同一化を拒絶するのである。要するに『父と暮らせば』は感情移入に依存する被害者的作品ではなく、「歴史を過去化することで、虚のリアリズムとして」[27]我々観客に一歩距離を置くことを静かに要求している作品だと考えられる。

意図的な傍観者としての視点
 ここまでの議論をまとめておこう。われわれは黒木の戦争鎮魂歌(レクイエム)の二作品を見ながら観客への同一化を拒否する演出について考察してきた。観客は登場人物に同一化できないためにそれぞれの人物を一個人として傍観することを強いられる。被爆という経験を主観的には経験できない我々は単にその経験に感傷的に没入するのではなく、その問題から距離を取ることを要求されるのだ。悲劇として被害者的な側面を受容する映画とは一線を画すると言っても差し支えないだろう。
 だが、黒木の真意は、傍観者になれと観客に求めることではない。というのも、ドキュメンタリー作家である土本典昭(1928-2008)を評した論文を発表する際に、現実を見守るだけの自然主義リアリズムを批判するような言動が垣間見られるからだ。「…単に目に見えるものとしてだけ外側に存在するものではなく、目に見えない内的現実のひずみと重ね合わされるとき現実は異常なまでにその深部を露呈する」[28]という主張は単に現実を客観的に見つめ事実を再構成する自然主義のリアリズムより一歩進んだ手法を採用していた土本を評価しながら、自身の演出的な思想を反映していると捉えることができるだろう。つまり、傍観者となるだけではない意図的なものが隠されているのである。この言動を考察するために映画作家フレデリック・ワイズマンと比較してみよう。

主体性への志向
 フレデリック・ワイズマン(1930〜)はその極度な曖昧性を作品に反映する映画作家として著名である。彼の作品は観察(オブザベーション)映画(シネマ)と呼ばれるように被写体を客観的に写し取ることを主としている。例えば、出世作『チチカットフォーリーズ』Titicut Follies(1967)においてはインタータイトルやナレーション、音楽など我々観客を作品に誘引していくような手法が選択されておらず、登場人物たちの日常的な会話が記録されていくのみである。観客を方向付けるものがないために、監督が何を意図してこの作品を制作しているのかは判然とはしない。もちろん、精神病院という社会的に特殊な環境を題材にしていることは無視することができない要因ではあるものの、被写体に同化することや共感することはなかなか容易なことではない。我々観客はワイズマンが切り取る状況をただ注視して見守るだけである。いわば傍観者になることが求められているのである。
 ここで映画におけるリアリズムの問題に注目してみよう。アンドレ・バザンが『写真映像の存在論』[29]で示したのは従来のモンタージュ技法を駆使した映画ではなく、写真の客観性を時間的に完成させた現実を自然に捉えることができる映画の特質である。あるいはパースの記号論を取り出してみれば、そこにあるのは映画のインデックス(痕跡)性としての特質である。二つの挙げられた特質に共通するのは映画を現実世界の写絵として捉える視点だ。だが、どれだけ現実を客観的に映し出そうとも、監督の意図は常に存在し、自然主義的なリアリズムがどれほど困難かは数多くの映画作家たちが挑戦し、挫折してきた部分である。客観的に映し出そうとするその狙いによってさえも、監督の演出とイデオロギーは事実、存在してしまうからである[30]
 その点はワイズマン自身でもそうである。彼は観察映画を標榜しながらも映画的技法の最たるものであるモンタージュを非常に重視する。撮影に際してはさしたるアポイントメントや打ち合わせを行わないにも関わらず、編集作業に労力をかけて彼が意図する現実を再構成してしまう。一見すると何も意図していないような日常会話さえも監督の抱くイデオロギーが介入したものなのである。ではなぜ、日常に見せかけるような、あるいは、監督の意図を正確に伝達しない両義的な曖昧性を取るのか。先んじて結論に達してしまうならば、彼が意図するその曖昧性こそが意図だということである。監督が一元的に主張するのではなく、観客一人一人に主体的に社会を読み解く機会を与えることがワイズマンの目指している方向性だと言えるのではないだろうか。彼が映し出す現実はもしかすると事実でないかもしれないし、また、実際に事実であるかもしれない。劇中で話されるメッセージを観客それぞれが個別に解釈することで社会の問題を多角的な側面から考察し、自身の問題として受け止める。何度も反芻して主体的に問題を取り返すのである[31]。ワイズマンと黒木の意図は部分的ながら類似点が見られる。
 我々は前述の考察から黒木の二作品が観客側に同一化を要求するよりもむしろ、傍観者たることを要求するという側面をみてきたわけだが、ワイズマンの議論を黒木の作品にも応用してみると興味深いことが見えてくる。黒木の二作品は客観的にフィクションの物語を展開していくが、驚くべきことに配役はリアリズムに富んだものではない。ロベール・ブレッソンやロベルト・ロッセリーニなどは現実をより現実らしく捉えるために素人俳優を積極的に用いたが、黒木の場合はそうではない。『TOMORROW/明日』の長女・三浦ツル子役である桃井かおりをはじめ、『父と暮らせば』の福吉美津枝役、宮沢りえなど有名俳優が積極的に用いられていることがわかる。客観的な眼差しを向けながらも演じている人物は世間に認知されているプロの俳優人ばかりなのである。ここに黒木の意図が見え隠れする。土本論のところで黒木が主張していたように黒木は現実を客観的に見つめることよりもその客観的に見つめることを通して内的な現実を曝け出すことを目指していたことがわかる。言うなれば、傍観者たることを観客に指し示しながら、映画の内的な側面であるフィクションという側面を周縁におこうとはしない。黒木はおしつけがましい演出を好まなかったが、構成を客観的な作風で構築しながらも出演俳優を有名俳優で固めることで観客側にフィクションであることを強く主張するのである。このような曖昧な演出を施すことで一種の「異化作用」がここでも湧き起っていることがわかる。この「異化」が行われることにより、観客は黒木の意図を押し付けられることなく主体的に考えることが可能となる。ワイズマンが意図しているような作用がここに生まれると言っても良いだろう。
 実際、このような現実と虚の境界が互いに侵犯されるような作風は戦争鎮魂歌(レクイエム)以外にもみることができる。『原子力戦争』(1978)においては福島第一原発で起こった放射能漏れ隠蔽を解き明かそうとする主人公の男性(原田芳雄)が、直接、実在する原子力発電所へと足を踏み入れる。そのシーンを挟む前後のシークェンスはフィクショナルな劇映画にも関わらず、突然ハンディカメラのようなブレの映像を採用し始める。おそらく、原子力発電所へはアポイントを取らず、ゲリラ撮影を敢行したのであろう。現場の慌ただしい様子や撮影を拒否する関係者たちの困惑の表情がそれを如実に語っている。キャメラを何度も関係者たちの手が遮断し、カットを割らないシークェンス・ショットが切迫した状況を伝達する。音声も原田の声を遮るような関係者の高揚した怒声と撮影禁止の指導が混交し、混乱の様相を呈していることがわかる。当然、フィクショナルな作品なので実際には放射能漏洩など起こってはいないのだが(真実のほどは不明であるが)、その緊迫した現実の状況を挿入することであたかも事故発生を隠蔽しているかのように疑似的に錯覚を起こさせるのである。原田は役を演じ続け、フィクションのなかに現実が迷い込む。虚実の領域が互いに侵犯され合うことで、作品の真偽のほどがいよいよ認識できなくなるのだ。しかも、作中で放射能漏洩の真実が明らかにされることはない。一つの回答を示さないことで作品の真相は観客へと委ねられる。曖昧で、もしかすると過剰に観客へと依拠しようとする黒木の演出は全てが成功とは言えないものの、観客が主体性を取り戻し、提示された問題を考察する余地を授ける。
 このように観客に主体性を求める演出を考察してみると黒木のある思いが垣間見られるように考えられる。その感情とはつまり、戦争に対する黒木自身の不安感、危機感である。彼はこれらの感情を克服するために主体性を求める演出を企図したのではないだろうか。逆に言うと、黒木が危惧する戦争とはまさに主体性を消失させることで同調を強制する国家的なイデオロギー操作であると言い換えても良いだろう。ここがまさに黒木の戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作の主眼となるメッセージではないだろうか。『TOMORROW/明日』や『父と暮らせば』が感情移入を積極的に促さない傍観者という視点を供給することで、主体性回復の可能性を秘めた能動的な観客を求めていることでもわかるように、黒木は戦争の要因を主体性の喪失によるものと捉えているのであろう。実際、戦争鎮魂歌(レクイエム)第二作目の『美しい夏キリシマ』には主体的に考えないために流されていく登場人物たちが戦争の起因として描かれている。黒木のこのような考えを例証するために我々はここから前述の二作品における技法的な分析から手法を変えて、主題論的な分析によって三部作の最後の一つである『美しい夏キリシマ』を考察してみたい。なぜなら、そうすることによって二作品とは違う黒木の真意となる位相が究明できるからである。黒木の真意を上手く説明できるような二点の主題、即ち、蝶と絵画というモチーフを中心にこの作品を考察することで、黒木が意図した戦争反対映画の真意が反戦とは違う鎮魂へと移行していくさまを明らかにしていきたい。

黒木の戦争観
 戦争鎮魂歌(レクイエム)第二作目である『美しい夏キリシマ』は前述したほかの二作品との相違をその内実に抱え込んでいる作品である。本編では誰一人命を落とすことがなく、『TOMORROW/明日』と同じような字幕が表示されようとも歴史的事実からすべて登場人物がこの世にはいないことを知らせる『TOMORROW/明日』とは違って、登場人物の死は曖昧にされたままである。また『TOMORROW/明日』と『父と暮らせば』に挟まれる形での本作の位置づけは他の作品のように原作ものの翻案ではなく、黒木自身の半自伝的な要素を持つ自己言及的なものとなっている。このことから本作においてはより自身のメッセージ性が浮き彫りとなった精緻な眼差しを垣間見ることになるだろう。実際、細部に張り巡らされた主題から黒木の戦争観なるものを特に見ることができる。
 『美しい夏キリシマ』はおよそ戦時中の暗い世情とは相いれないような太陽が燦々と輝く快晴の空の下、霧島連峰を遠くに望む美しい田園地帯が舞台である。事実上、この地に雨が降り注ぐのは天皇の終戦勅令ののち一度だけである。登場人物の男性によって雨が降っていないことが告げられるほど、この作品には雨が降らない(その代わりに、彼が話すように南方の戦場は雨ばかり降り注いでいる)。このような朗らかな夏の毎日が日常と違うのは、田園地帯を行き交う米軍のグラマン艦隊である。彼らは悠々と編隊を組み田園地帯を飛び交っている。空襲を行うこともなく、また、劇中に登場する誰もがその飛行編隊をみても動じないことがいかに不自然なことか理解できるだろう。つまり、非日常が常態化している日常なのである。飛行編隊の下には本土決戦を控え、軍事訓練をしている日本兵の生き残りたちが描かれる。青々とした天候の下で、敵国の視察にも怯えず、かつ攻撃目標とはされていないところにもはや日本の敗北を読み取ることができるし、見方によっては滑稽にさえ思えるかもしれない。黒木が本作で描く美しすぎる景観は田村正毅のキャメラによってより一層高められ、本作に通底する主体性を持たない流れに呑まれる日本人という特質をさらに強調する主題の導入とさえなるだろう。

アカボシウスバシロ蝶というモチーフ
 海を背にした蝶の舞から本作は始まるが、以後も幾度となく反復される蝶の揺らめく姿形が本作にとって重要な役割を担わされていることは注目に値する。主人公であり、黒木和雄をモデルにした少年、日高康夫(柄本佑)が、地主である自身の家に奉公する女中の弟から追いかけられ失神させられた後に目を覚ます場面においてこの蝶の名前がはじめて口に出される。アカボシウスバシロ蝶と発せられたこの蝶はこの地に元々生息していたのではなく、海を渡ってきたことが冒頭の海を背にした場面から理解することができるだろう。この蝶から黒木の第一作目の『飛べない沈黙』(1966)に登場する蝶を連想することはあながち誤りとは言えないが、本稿で注目したいのは、そのような作品横断的なものではなく蝶というモチーフそのものが如何に本作に有機的な意味を齎しているかを検討することである。というのも、雄大な霧島連峰を背後に田園風景を捉えているにも関わらず、他の昆虫が映りこまず、特権的に区別され、意図的に表象されたこの蝶は明らかにこの作品の主題を握っているといって差し支えないからである。果たしてその主題とは何か。先んじて答えを出してかまわないなら、この昆虫が表しているのは主人公、日高康夫を通した登場人物たちの両価的感情を反映しているということである。
 冒頭の海の背景から連なり康夫の前まで蝶が舞う場面をはじめとして、この作品には都合8回蝶が登場する場面が挿入されている(3回目と7回目はそれぞれ机に飾られたもの、絵に描かれたもの)。ほとんどが日高康夫の場面の前後に挟まれており、彼を見守るように蝶はひらひらと彼の周りを飛び回っているのだ。それは特に、日高康夫が自身の問題に向き合いながらも明確な答えが踏み出せぬまま悶々と考えを煮詰まらせる場面において見出すことができる。揺ら揺らと一定の動きに留まらず、小刻みに上下運動を繰り返すさまは、彼の心の動きを表すかのように不安定だ。映画は被写体の運動により情動を表現する媒体であるから、この蝶のインサートは単なる印象表現に留まるものではないだろう。いくつか例を取り出してみよう。4回目のシーンにおいて女中の宮脇なつ(小田エリカ)が日高康夫による自転車訓練の指導中に湖沼に落ち、衣服を乾かすために二人で会話する場面である。二人の会話は日高康夫の部屋に飾ってあったカラヴァッジョの《キリストの埋葬》に纏わる逸話から(ちなみにこの絵については後述するが)、次第にその逸話を日高康夫に話してくれた死んだ友人へと移行していく。死んだ友人の話になると日高康夫はうなだれ、行き場のない不安定な気持ちを埋め合わせるかのようにその友人が死んでしまったことをなつに伝えながら小石を水面へと放り投げる。この後続の場面に蝶が舞うシーンが挿入されている。あるいは、5回目に蝶が登場する場面において、自分が見捨ててしまった同級生の妹に謝罪しながらも拒否される場面からディゾルヴして本編開始直後と同じアングルの日高康夫の前に蝶が舞うシーンに移り変わる。日高康夫は直接言葉には表さないが、気持ちの揺らぎからどうしようもない感情に悩むさまが蝶を通して代弁されているといえるだろう[32]
 ただ、驚くべきことにこの揺らめく蝶というモチーフは日高康夫だけに留まるものではない。終盤近くで玉音放送がラジオを通して流れるとき、蝶はこれまでの不安定な動きとは違い、軒下で休息しているように描かれている。この場面においてのみ前後のシークェンスには康夫が直接描かれてはいない。これは何を表しているのだろうか。おそらく戦争が終わりを告げることで周囲の人々は安心感を取り戻したようにやっと自己を正当化できるようになったと考えられはしないだろうか。実際、この作品に登場する人物は自分の行動に正しい評価を与えることができない人物ばかりである。本土決戦が迫っているからと言って竹やりで訓練する女性義勇軍や塹壕を掘って訓練する兵隊たちは、米軍が本当に攻めてくるかさえ正確に認識していない。建前は毅然とした態度であっても酔いつぶれると米軍が上陸してくる位置を把握していない中尉(甲本雅浩)や平生は憮然とした態度で康夫を叱責しながら、満州国を理想郷と誤って認識し康夫の両親を危険な目に合わせてしまっている康夫の祖父、日高重徳(原田芳雄)など登場人物は自分の信念が正しいかどうか、自信がない。あるいは夫が戦死したものと誤認したために一等兵と姦通してしまう宮脇なつの母、宮脇イネ(石田えり)は主体を失いつつある自身を「恐ろしいものになることが気持ちいい」と形容しさえする。
 田村正毅が捉えるキャメラにおいても登場人物たちは自信を喪失するかのようにクロースアップで捉えられることは少なく、比較的ロング・ショットが多用されている。彼らは戦争という特異な状況で信じるものがわからないまま、日常を無為に過ごしている。まるで自身で考えることを辞めてしまったかのように、周囲の環境に依存しているのである。それが、玉音放送という天皇の勅令によって拠り所を取り戻す。このような無批判とも取れる登場人物たちの主体性の喪失を蝶というモチーフを用いて描き出すことで、黒木は戦争の真相を暴こうとする。何も戦場という特殊な状況を描写するのではなく、戦時下の日常生活を丹念に描き出すことで日常に潜伏する戦争を捉えようとするのだ。彼ら/彼女らの揺らめく心情が蝶という表象に色濃く反映され、両価的な感情に揺れる人々を我々に客観視させる。蝶の揺らめく感情という主題は今作に一貫するものであるが、それをより鮮明にするために以下からは、もう一つの重要なモチーフであるカラヴァッジョの《キリストの埋葬》が表す意味と連関させながらみていこう。

神がかり的なものへの傾倒
 神は細部に宿るとするならば日高康夫の自宅に飾り付けられているカラヴァッジョの《キリストの埋葬》はその典型例である。日高康夫がこの絵を飾るのは友人が死亡した償いからであるが、この絵画において重要なのはこの絵画が描いている対象、即ち、イエス・キリストに纏わる登場人物たちの距離感である。この距離感を描くことで黒木は自身の戦争観をこの作品に反映させ、通奏低音として戦時下の日常にいかに戦争が忍び込んでいるかを描いているのである。この絵が描いているキリストに対して具体的に言及するのは、日高康夫、宮脇なつ、そして出征を控えた青年の事実上3人である。まずは、女中の宮脇なつがキリストに対して抱いている心情を考察してみよう。宮脇なつは康夫に部屋に飾っているキリストの絵について訊ねる。以下の台詞に注目してみたい。宮脇なつはキリストを指しながら「こん人は偉かとですか…天皇陛下よりも」と日高康夫に訊ねる。日高康夫は「どげんかね、西洋人にとってはそうやろな。」と答えるが、宮脇なつはこの返答に対してキリストは神さまかと訊ね康夫の肯定によって納得する。だが、宮脇なつは神さまであるキリストが「みすぼらしか」人であることを疑問に思い再び日高康夫に問いかける。日高康夫はキリストがみすぼらしい恰好をしている理由を問われ、悪いことをしたわけではなく、世界中の罪をすべて背負って処刑され墓に埋葬されたからだと言うが、その答えに関して宮脇なつは「こん人は無実なん…無実じゃっとに処刑されたん?…革命じゃな。」と口に出す。彼女の言葉を否定する日高康夫であるが、この革命という台詞は一種示唆的である。以前の場面において、宮脇なつは女中の先輩である藤本はる(中島ひろ子)にロシア革命でニコライ一族が皆殺しにされたことを教えられ革命という言葉を知る。宮脇なつは藤本はるに「じゃあ、日本で革命ち言うたら、天皇陛下を殺すようなもん?」と問うが、藤本はるは「天皇陛下は神さまじゃってねぇ。殺そうにも恐れ多して殺しきらんじゃろ。」と答え、宮脇なつが「そっか」と小さい声で頷くのである。
 ここで気付くのは、宮脇なつは神さまであるキリストとロシア皇帝であるニコライを同一視し、なおかつ天皇に対しては神さまであるのに処刑されたキリストと区別をつけようとはしていないということである。言うなれば、周囲の人たちが特権的に扱う天皇という存在を素直に信用していないということである。その後、先ほど蝶のモチーフのところで指摘した日高康夫が宮脇なつに《キリストの埋葬》に纏わる逸話を話す場面においてもわかるが、彼女は義勇軍に参加し、神風が吹くと言い張り、竹やりで訓練しているが、実際は神がかり的なものを信じてはいない。彼女がキリストに対して話す内容はその距離感を如実に表しているからこそ、口に出すことのできる台詞である。というのも最終的に日高康夫が神がかり的なものに陥り、墓穴を掘って死への欲望へと傾倒していく際、その狂気から救い出そうとするのは紛れもなく彼女だからである。だが、重要なのは彼女は周囲の態度に疑念を抱きながらも決して口に出さず、口を合わせるように同調し流されたままであるということだ。
 それに対して日高康夫は前半にかけてはキリストの逸話について宮脇なつに冷静に説明しているように啓蒙的な立場を取り、宗教から一定の距離感を保っている。それを裏付ける場面は次の台詞で明らかだ。日高康夫が特攻を控えた叔母の婚約者でもある青年(以下、青年)と会話する場面。青年は康夫にキリストの埋葬の絵を見やり以下のように言及する。「西洋人はどうしてこんな宗教を信じるのかな。こいつは三日後には生き返るんだよ。まったく非科学的じゃないか。」それに対して日高康夫は「天皇陛下万歳ちゅうて、敵の空母めがけて突っ込んでいくのも非科学的ち思います。」と返答する。日高康夫から発せられたこの台詞に黒木なりの戦争観を伺うことができる。黒木は、西洋の宗教と日本の戦争を同列に扱うことで戦争がいかなるものかを語っているように考えられる。黒木のモデルである日高康夫は宗教から一定の距離を保っているのと同様に戦争一辺倒の現実から一歩退き、相対的に現実の戦争を見つめ、自己を保っている。
 しかしながら、特質すべきはいかにこのような日高康夫が日常に潜む戦争に身を捧げていくかということである。日高康夫はさらに「どうして生きている人が神さまになられるんですか」と青年に問い詰めるが、彼は上手く答えることができない。その代わりに青年は「(《キリストの埋葬》を見やって)僕はこの絵を美しいと思う。この感情がどこから来るのかが僕には不思議なんだ。美しい花がある。その花を美しいと感じてしまうのはなぜなんだと思う?美しいものが美しいと思える根拠を誰も答えることができない。だからそれと同じに神聖なものもなぜそれが神聖なのか上手く答えられないんだよ。でもね、聖なるものはあるんだ。天皇陛下のためであれ、この人(キリストの絵を指し)のためであれ人は太古の昔から聖なるもののために戦ってきたんだと僕は思う。」と日高康夫に諭す。ここでもう一人の人物である青年のキリストに対する立場に触れておこう。ここでの彼のキリストに対する立場は非常に矛盾したものでありながら、戦争に従事していった当時の大多数の人間を反映しているように考えられる。戦争をする、即ち、特攻をするという大義名分を棚に上げて自省せず、周りの意見に同調した状態で戦争を自己正当化する。それが西洋の宗教と対比されることで、日本人が戦争へと邁進していく手立てとなっているのである。青年の立場は黒木の戦争観を如実に表していると考えても良いだろう。
 話を日高康夫に戻そう。青年の台詞をほとんど無言で聞き取る日高康夫は、その言葉を嘲笑うわけでも、反論するわけでもなく、曖昧な表情で佇む姿がミディアム・クロースアップで写し取られる。青年の言葉を聞いたのち再び日高康夫は、空襲で死んだ友人の妹を訪れるが、そこで彼は死んだ友人の妹に兄の仇を取ってくれという言葉を投げかけられる。懺悔の念に苛まれている日高康夫はその言葉に思い立ったかのようにとつぜん墓穴を掘りはじめ、穴に閉じこもり、そこで自身が死ぬことで奇跡が起こると狂信するようになるのである。無論、この行動は彼が部屋に飾っていた《キリストの埋葬》に霊感を受けての行動であり、宗教的なものに対して距離をおいていた日高康夫がそこへ傾倒していく過程を投影したものである。上記の台詞にも言い表されているように今作では宗教に傾倒していくことは類似の構造を持つ戦争にも加担していくことである。彼の行動は理解しがたいものであるが、戦争という非日常の中で揺れる信念を正当化するために何かを信ずることしか出来なくなっているのである。
 ここでその気持ちを代弁しているのが蝶である。とはいえ、不安定な蝶ではなく安定的なもの、即ち、彼の気持ちが安定していることを示唆するものである。ただし、彼の気持ちが安定感を取り戻しているのは、あくまで疑似的であることが理解される。なぜなら、ここで登場する蝶は先ほども指摘したように7回目に登場する絵に描かれた蝶であり、彼が自分で掘り起こした穴の中でその絵を掲げているだけだからである。つまり、絵である蝶を挿入することで日高康夫の気持ちは安定を繕った虚偽的なものであることが示され、また、絵という非現実的なものによって安定感を得ようとする日高康夫の信念の揺らめきを表しているとも言えよう[33]
 このような観念的な発想はまさにラストシーンにおいて開花する。日高康夫は終戦によって駐留してきたアメリカ兵の軍列に対して竹やりで突撃を敢行するのである。懺悔/罪の意識を解消するというただ一点によって彼は現実を自己判断することから目を逸らし、神がかり的なものに盲従することで気持ちの整理をつけようとする。結局、その突撃は成就することなくアメリカ兵にいとも簡単に竹やりを放り投げられるが、この突撃こそが黒木による戦争の内的現実というものを端的に表しているのではないだろうか。戦時下の日本人は何も本気で神がかり的なものを信用していたわけではなく、疑いをもっていながらもその疑いを現前化することを不問にし、自己を透明化することによってがむしゃらに戦争へと突き進んでいく。このことが誰彼かまわず突っ込むことで神風が起こり勝利を得るという日本の特攻にも通ずる理念となっているのではないか。
 彼は最後米軍に対して竹やりを振り上げながら併走し「殺せ」を連呼するが、このシーンにおける康夫を正面(バスト・ショット)から捉えたトラッキング・ショットによって、彼のどうしようもない気持ちが発散されるかのようにいきいきと捉えられ、水平移動することによって彼の行き場のない気持ちが平行線的に辿られている。交わることのない/解決することのない彼の気持ちはアメリカ兵が宙に向かって放つ一発の空砲によって潰える。彼の狂気は疑似的に死を迎え、再び正気を取り戻す。それを裏付けるように後続する蝶のインサートは再び小刻みに上下運動をはじめるのだ。両価的な感情に揺すぶられることによって誰もが戦争を嫌悪しているけれど止めることができなかった自信の喪失とその喪失を埋めあわせる役目としての神秘的なものへの傾倒。黒木は日高康夫の突撃を描くことによって主体性を喪失することが戦争の起因となることを伝え、真摯な眼差しでその危機感を訴えようとしているのである。このメッセージを蝶と絵画という二つのモチーフに託すことで我々観客は客観的に登場人物たちを見つめることが可能となり、主体的にこの意図を読み解くことができるようになると言えるだろう。反戦を声高に訴えるのではなく、彼らを温かく見守る鎮魂という三部作に共通する主題に黒木の戦争反対映画は移行しているのである。

終わりに
 以上のように我々は黒木の戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作を検討することで、日常から戦争を描き出す黒木の戦略を窺うことができた。何の変哲もない我々の日常に近い描写を「異化」することで、日常を客観視することを可能にし、主体性を失うことへの危機感をあらわにしていること、そして、その描写を通して「見えない戦争」を具現化しようとしていることが確認されたのではないだろうか。このような黒木の神経症的な戦争への危惧は主体性を失いつつある現代の我々へと警告を発していると捉えることができるかもしれない[34]。我々は本当に日常を主体的に過ごすことができているのだろうか。毎日、頻繁に流れる情報を鵜呑みにせず、自分の信念を抱いて錯綜する世の中を渡り歩いていくことができているのだろうか。なにより、戦争鎮魂歌(レクイエム)三部作に登場する人々を過去のものとして嗤うことが今、本当にできるのだろうか。黒木が我々に問い掛けるメッセージは現代に生きる人々に重くのしかかる。

 それは戦場を描くことでも、感傷に訴えることでもない、単なる日常風景を描くことによって見えてくる日常に埋没する内的な危機感なのである。このことが反戦とは違う鎮魂の意味であろう。黒木のこのような手法を考察することで、反戦映画の可能性の一端が多少なりとも示せたのではないだろうか。もちろん、本稿はあくまでひとつの可能性を提示したまでのことであり、反戦を映画で描くことは今後、何度でも問い続けていかなければならない問題である。その意味で、まだまだ考察すべき対象は無数にあるだろう[35]。その問いかけは完全に回答が示されるわけでも、示されるべきでもないのだから。


[1]奥村賢「戦争/欲望/表象」『映画と戦争 撮る欲望/見る欲望』森話社、2009年、21頁。
[2]加藤幹郎は「プロパガンダとは定義上、受け手が知りたいことではなく、送り手が知らせたいことだけを伝える一方向のコミュニケーションであり、真実の伝達よりもむしろ真実の捏造に関心がある。」(加藤『映画 視線のポリティクス――古典的ハリウッド映画の戦い』筑摩書房、1996年、86~87頁。)とし、国策映画の大多数の題名が一人称、二人称であることを通して三人称である敵を排除するという巧妙な共犯関係が結ばれていることを指摘している。また、イデオロギー装置の詳細についてはルイ・アルチュセール『再生産について イデオロギーと国家のイデオロギー装置』(西川長夫ほか訳、平凡社、2005年。)を参照のこと。
[3]Doherty, Thomas. PROJECTIONS OF WAR ( Columbia University Press, 1993), p. 72-73.
[4]奥田によれば「唯一の被爆国/被爆国民」という言い回しは「平和と経済成長」という「大きな物語」を実行する日本において原爆被害が歪曲化されていくナショナルという集合的記憶の付与の過程である(奥田博子『原爆の記憶 ヒロシマ/ナガサキの思想』慶応義塾大学出版会、2010年、180頁。)。
[5]ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』石井直志、千葉文夫訳、平凡社、1999年。また、キットラーも以下のように述べている。「撮影カメラの歴史はかくして自動武器の歴史と重なり合うことになる。」(フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』石光泰夫、石光輝子訳、筑摩書房、1999年、199頁。)
[6]ただし『ビッグ・パレード』はブルックスにならうならば明確なメロドラマである。ブルックスが「メロドラマは…衝突と戦いを繰り返し述べ、邪悪の脅威と効果的、かつ明確な道徳観の最終的な勝利を何度も演じる」(Brooks, Peter.  The Melodramatic Imagination: Balzac, Henry James, Melodrama, and the Mode of Excess [NY: Columbia  University Press, 1985], p. 15.)と述べているように『ビック・パレード』は戦闘シーンの残虐性を盛り込みながらも最終的には米軍とフランス人が愛を成就させる戦争メロドラマ的な側面を持ち合わせている。
[7]Doherty, p. 92-94.
[8]藤崎康によると第一次大戦に参加していたフランス、イギリス、ドイツなどは前線で撮影された戦争の真実を隠蔽するために検閲を行い、「士気の低下を招く不名誉な死者や負傷者の映像」を規制していた。また、太平洋戦争時の日本においても、戦場における死体映像は国策的な理由からタブー視され忌避の対象となった。ただし、フランク・キャプラ製作総指揮『我々はなぜ戦うのか』の一編アナトール・リトヴァク『日中戦争』において日本軍独自による南京虐殺の場面(ピーター・B・ハーイ『帝国の銀幕』名古屋大学出版、1995年、91頁。を参照)が挿入されていることから、撮影班たちのタブーを犯してまでも記録したいという欲望が喚起されたことを指摘している(藤崎『戦争の映画史 恐怖と快楽のフィルム学』朝日新聞出版、2008年、48~64頁。)。
[9]シャッツによれば初期の西部劇は歴史の真実を犠牲にしながら、西部を飼いならし、市民化するという神話として発展し始めた。そこでは英雄的な主人公が活躍し、単純な善悪二元論が罷り取っている(Schatz, Thomas. Hollywood Genres [NY: RANDAM HOUSE, 1981], p. 45-46.)。
[10]藤崎によるとアメリカの報道規制はベトナム戦争の敗北以後のこととされているが(前掲書 藤崎、58頁。)、当国の第二次大戦中の戦意昂揚映画には味方の具体的な死体が描かれることは比較的少ない。
[11]Doherty, p. 8.
[12]笹川慶子「痛みなき動員へのいざない」『従軍のポリティクス』青弓社、2004年。
[13]『ハワイマレー沖海戦』は封切興行で114万7千円の興行収入をあげており、これは戦時中第一位の興行収入である。(古川隆久『戦時下の日本映画』古川弘文館、2003年、177頁。)しかし、それ以後は国策映画ではない非一般映画が人気を集め、例えば1944年上半期の各劇場封切興行の入場者指数(平均値100)は、29本の映画作品中、非一般用は3本で121.04に対し、一般用は26本で88.5となっており国策映画の不人気ぶりが伺える(古川 前掲書 202頁。)。
[14]ヒバクシャとカタカナ表記しているのは実際に一次被爆した(爆撃を受けた)被爆者と放射能により内部被曝したものたちを総称する。ヒバクシャ映画を体系的に論じたものにミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ――日本映画における広島・長崎と核のイメージ』(柴崎昭則、和波雅子訳、現代書館、1999年。)がある。
[15]伊藤は戦争映画における暴力映像の比較研究をすることでベトナム戦争以後の戦争映画に暴力部分が多いこと、犠牲者や被害者をより具体的な苦痛や出血を多く描出していることをつきとめている(伊藤安代「戦争映画における暴力映像の比較研究」『東京家政大学研究紀要』 第49集[1]、2009年、89~92頁。)。
[16]「プライベート・ライアン」のスペクタクル性については加藤幹郎「歴史と物語 スペクタクル映画作家スピルバーグ」(『表象と批評 映画・アニメーション・漫画』岩波書店、2010年。)を参照のこと。
[17]Doherty, p. 2.
[18]加藤による「「理想的な観客」とは一本のフィルムの肌理、テクストの織り合わせの稠密性、その「すべて」を蕩尽しようとする観客のことである。」(加藤幹郎『映画とは何か』みすず書房、2001年、5頁。)
[19]アーロン・ジェロー「戦ふ観客 大東亜共栄圏の日本映画と受容の問題」『現代思想』2002年7月号、138頁。ここでジェローは満州国の観客が日本の戦意昂揚映画を鑑賞して正反対の意味を形成していたかもしれないという点も同時に挙げている。同じような指摘はルース・ベネディクト『定訳 菊と刀-日本文化の型-』(長谷川松治訳、社会思想社、1967年、223頁。)にも見られる。
[20]ロラン・バルト『ロラン・バルト映画論集』諸田和治訳、筑摩書房、1998年、16~17頁。
[21]黒木和雄『私の戦争』岩波書店、2004年、101~103頁。
[22]佐藤忠男『黒木和雄とその時代』現代書館、2006年、158頁。
[23]加藤『「ブレードランナー」論序説』筑摩書房、2004年、172頁。原文ではロイが死に至る場面をデッカードがヴォイスオーヴァーで以下のように語る。「わたしにできることはただ彼が死ぬのを見守ることだけだった」。
[24]川上皓市、日向寺太郎、渡辺浩「黒木和雄監督が戦争の映画を撮り続けた理由」『キネマ旬報』2006年、8月下旬号、132~133頁。
[25]黒木和雄「『父と暮らせば』の演出を語る」『シネフロント』2004年、7月号、8頁。
[26]黒木の発言では被爆者たちが絵の具やクレヨン、色えんぴつで描いたスケッチを参考にしている。同上、12頁。
[27]馬場広信「悲劇を「記憶」として語り継ぐ意思を示すスター映画」『キネマ旬報』2004年、8月上旬、118頁。
[28]黒木和雄「土本典昭論」『映画評論』1966年、6月号、137頁。
[29]アンドレ・バザン『映画とは何かⅡ 映像言語の問題』小海永二訳、美術出版社、1970年、23頁。
[30]現実をフレームで切り取ることは、往々にして見せたくないものをフレーム外に追放することである(長門洋平「沈黙するモダンガール」『日本映画は生きている』第2巻、岩波書店、2010年、202頁。)。
[31]ワイズマンの議論に関しては佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平 下』凱風社、2004年。『ドキュメンタリーの修辞学』凱風社、2006年。を参考にした。
[32]康夫が通う鍼灸院でも康夫のお灸の煙だけがゆらゆらとしていることが述べられている。
[33]補足としてなぜ本作にカラヴァッジョの《キリストの埋葬》が使用されているのか考察してみよう。カラヴァッジョの絵画的特徴を岡田は美術史家ロベルト・ロンギの批評を参考にして次のように述べる。「…カラヴァッジョは、自然や現実をそっくりと写し取ろうとしているのでなく、「自然を厳しく見つめる固有の方法」によって、その「もっとも効果的な瞬間」を把握しようとしている。」そのような「批判的リアリズム」は例えば「フォトグラム」即ち、「白いカンヴァスの上にその光と影の痕跡を残していったかのような」インデックス性を実践することにより、神を理想像ではなく「批判的なリアリズム」として描くことで顕現する。つまり、「断固とした〈反神話〉的態度」を取るのがカラヴァッジョの絵画的特徴なのである。(岡田温司「カラヴァッジョ復活」『カラヴァッジョ鑑』人文書院、2001年、21、27、35頁。)このような特徴をもつカラヴァッジョの絵画を使用することによって黒木は神に対する懐疑的な態度を暗に示しだそうとする。黒木はこの絵画に戦時中の人々の心情を反映させ、天皇を神として崇める人々の姿を不安定な信念を安定させるための神がかり的なものへの傾倒という本作に一貫するテーマをよりいっそう強調していたと考えられる。
[34]黒木はシンポジウムで以下のように語っている。「戦時下の少年時代に吸っていた空気と今の空気はあまり変わらないように思います。」(黒木 小森陽一「私にとって戦争とは」『映画人九条の会3・3映画と憲法対談集会』映画人九条の会、2005年、7頁。)
[35]その例として挙げるならば、ゴダールは『カラビニエ』Les Carabiniers(1963)にてブレヒト劇を模したようにスペクタクルを拒否し、同一化を拒否するという点から黒木の先駆と言えるだろう。また、『ベトナムから遠く離れて』Loin du Vietnam(クリス・マルケル製作 1967)の一編『カメラアイ』Caméra Œilでゴダールは主体的に語ることができないベトナム戦争というものを自身の姿形をキャメラに収めることで自省し、今後ベトナムを自身の作品で繰り返し語ることで戦争反対を記憶に留めようとする。それは『二十四時間の情事』Hiroshima,mon amour(アラン・レネ 1959)において両者の戦争の経験を他人に伝えることの困難さを記憶という形で描いた作品にも言いえることができるだろう。実際、黒木はゴダールとレネに影響を受けていることから(黒木 『私の戦争』78頁。実際、『二十四時間の情事』に出演している岡田英次が『原子力戦争』に出演している)、これらの作品を検討することも今後必要とされる。

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