須川 まり
1-2. 京都現代劇映画とは何か 1-3. 映画都市としての京都 2. 京都現代劇映画が描く京都の象徴について 4. 2000年代以降の京都現代劇映画の変化 4-2. 『パッチギ!』以降の主題の変化 4-3. 『パッチギ!』以降の「学園もの」と方言 5. 水と暮らす人々を描いた『マザーウォーター』 6. まとめ —現在の京都映画の都市表象— (本稿は京都大学大学院人間・環境学究科に2010年度提出された修士論文の一部を改稿したものである。) 註
[1]戦後の時代劇映画製作制限の詳細については、加藤厚子の『総動員体制と映画』、(新曜社、2003年)を参照されたい。 [2]両者の定義は、日本映画の作品情報を1年ごとにまとめた『日本劇映画作品目録』や、あいうえお順に作品情報をまとめた『日本映画作品辞典 戦前篇』、『日本映画作品辞典 戦後篇』で用いられている。 [3]1970年代から1980年代にかけて、優れた京都現代劇映画には、ATG作品(独立プロ作品)が多い。特に、京都出身の高林陽一は、『西陣心中』(1977年)や『金閣寺』(1979年)など京都を舞台に狂気的な人間を描いている。他に、クロード・ガニオンの『Keiko』(1979年)、大森一樹の『ヒポクラテスたち』(1980年)などが挙げられる。 [4]『お引越し』の家族像については、高橋洋の「失われた家族イメージをめぐる映画なのか ― 相米慎二『お引越し』を批判する」(『月刊イメージフォーラム』1993年8月号50-51頁)を参考にされたい。また、相米独特の「長回し」や編集によって生まれた『お引越し』における虚構空間については、佐々木敦の「相米的「映画=世界」の「移動」の欲望」(『キネマ旬報』1993年3月号70-71頁)で指摘されている。 [5]実際には、北に折れている。 [6]フィルム・ノワールについては、加藤幹郎の『映画ジャンル論 ― ハリウッド的快楽のスタイル』(17-69)を参考されたい。 [7]1949年の京都撮影所の製作本数を見てみると、東京を含めた会社全体の製作本数に対して、松竹が45本中19本、大映が38本中15本である。京都撮影所での時代劇製作本数の内訳は、松竹の京都作品19本中4本、大映は京都作品15本中9本 である。この数値は、「日本映画データベース」と「キネマ旬報映画データベース」の統計データから算出した。 時代劇映画の黄金期だった1935年には、京都の撮影所で製作された現代劇映画の本数は、第一映画は10本中9本、松竹は31本中0本、日活は35本中1本、新興キネマは46本中8本 で、第一映画以外は時代劇映画を重視していた。戦前と戦後で比較してみると一目瞭然だが、戦後以降圧倒的に京都現代劇映画の製作本数が増えている。ちなみに、1935年の数値は、飯島正(編)『映画年鑑 1936年版』のデータから算出した。 引用文献リスト
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