7 CineMagaziNet! no.15 植田 真由「金沢こども映画教室レポート」

映画制作によるリテラシー育成
「金沢こども映画教室」報告

植田 真由


 金沢コミュニティシネマ主催のもと金沢で行われる「こども映画教室」は、2004年から続いているこどものための映画教室である。毎回プロの映画監督をゲストに迎え、こどもたちが映画制作を経験し、その過程を通して映画の楽しさを知ってもらおうという考えのもと開催されているのが、この教室だ。これまでゲストとして迎えているのは、『ホテル・ハイビスカス』などの中江裕司監督、『DISTANCE』や『誰も知らない』の是枝裕和監督、『神童』の萩生田宏治監督、『2/デュオ』や『ユキとニナ』の諏訪敦彦監督など、こどもを描いた作品を制作したことのある監督たちである。2010年度のゲストに招かれたのは『非・バランス』や『あの空をおぼえている』でこどもを描いた冨樫森監督であった。
 それでは、この教室のプログラムを詳細に見ていこう。この「こども映画教室」は、三日間を通して行われる。初日に、まず小学生のこどもたちがランダムに四つのグループに分けられる(今年は試験的に卒業生である中学生にも声がかけられ、中学生だけのグループが作られた)。ひとつのグループにつき4人の大人が配され、そのうちひとりは撮影技術を持つ人が入る。グループが決まった後にゲスト監督の作品上映が行われ、午後からグループごとに分かれての活動が始まる。初日の主な作業は脚本作りである。本教室のモットーのひとつに、大人は口出しをしないことが挙げられるため、大人はこどもたちを誘導しないよう気を配りながら、こどもたち同士で話し合いを進めるよう促す。今回こどもたちに与えられたのは、「誰かが、誰か(何か)に出会って・・・」というテーマで、これに沿ってこどもたちだけでストーリーを創出していく。こどもたちの活動時間は夕方までと限られているため、初日に脚本作りが終わることはほとんどなく、二日目の午前中まで続けられる。脚本がしっかりできているグループもあれば、枠組みだけで詳細は決まっていないグループ、話がまとまらないグループなどもあり、グループによって進み方はまちまちであるが、タイムリミットは三日目の昼過ぎまでと時間が残されていないため、二日目の午後にはどのグループも実際に撮影に入ることになる。
 撮影にあたってこどもたちがすべきことは、監督、カメラマン、音声、俳優の四つの役割である。これらの役割の割り振りに関してもこどもたち自身の決定に委ねられ、グループによってはシーンごとに役割を入れ替えることもあれば、それぞれが固定した役割を全うするグループなど、様々であった。撮影場所となったのは、主に会場である金沢21世紀美術館とそのすぐ近くの四高記念館の二カ所であるが、その他の場所でのロケーションが必要な場合は、こどもたち自身でアポイントメントを取るのが本教室のルールとなっている。
 カメラはなんとか子どもが持てる重さのビデオカメラを使用するものの、カメラを担いだままの撮影は彼らには大変な重労働で、最初は三脚にセットした固定カメラでの撮影となることが多い。もちろん子どもたちにはパンやティルトを使用する発想も技術もないため、一点だけを捉えた動きのないショットになりがちになる。しかし、撮影を進めていくうちに彼らの撮影技術は進化していくこととなる。締め切りの時間に追われるこどもたちは、固定ショットだけでは動きが出ないだけでなく、ショット数が多くなり時間がなくなっていってしまうことに徐々に気づいていくのである。そこで彼らは、動く被写体をカメラで追うことを覚えていく。さらに、三脚をセットし、三脚ごとカメラを動かすことに少なくない時間と労力を割かれることを実感したこどもたちは三脚を使わなくなり、手持ちでの撮影を開始する。そうすることで、こどもには重いカメラでも、固定ショットでの撮影よりはるかに自由に被写体を追えるようになるのだ。さらに、全員が均等に画面に入るようにと多用されていたロングショットから、ストーリー展開上必要になってくる説明的場面において、自らクロースアップを使用するようになっていく。こうして子どもたちは、わずか数時間のあいだにめまぐるしい進化を遂げる。それはまるで、映画史を早送りで見ているような感覚である。
 撮影が終わると、こどもに編集の流れを仰ぎながら、大人が編集作業をする。そして、編集された映像にこどもたちが用意した音楽をつける作業が行われる。そうして完成したグループごとの作品を、保護者や地元の人を呼んでの上映会で上映することで、彼らの映画制作は終わりを見る。以上が映画教室の流れである。
 ここで、この教室が子どもたちに何をもたらすのかを考えてみたい。制作から得られるものとして考えられるもののひとつに、こどもたちのコミュニケーション能力の向上、そして地域のひとたちの交流などが挙げられるが、この教室特有の利点は、自然な流れでこどもに映画リテラシーの向上をもたらすことであろう。すでに筆者が『CineMagaziNet!』No.13で報告をした「きょうと国際子ども映画祭」のレポートでも述べているが、こどもの映画鑑賞能力は、大人の予想を上回るものがある。大人が目にも留めていないディテールを観察していたり、思いもよらない感想を抱いていたりするのだ。そのようなこどもたちが映画制作を経験すると一体どうなるのか。自分たちでストーリーを考え撮影を行った彼らは、よりストーリーテリングや撮影方法に目を向けることになる。作品がどういう語り方をしているのか、どのように撮影されたかなど、映画制作以前には着目しなかった点に気を配るようになるのだ。
 こどものディテールへの観察力は先ほど述べたとおり大人にも劣らない部分もあると言えるのだが、複雑な物語構成までは理解できないし、たとえディテールに気づくことができてもそれがどのような意味を持つのかまでは考えは及ばない。また、映画音楽にまで気を配ることもできないだろう。しかし、このような教室で映画制作に携わることで、こどもたちは映画を見ているときとは比べものにならないほど映画について考えることになる。ストーリーを複雑にすることをはじめ、小道具に様々な意味を持たせることに思い至りもするだろう。さらに、編集された映像を見て音楽がなければ盛り上がらないことを実感し、どのような音楽を付随させればその場面がより引き立つのかを思い描かずにはいられない、といった具合に様々な事に関心を示すようになるのだ。
 そうして、彼らの関心は作品を制作することから鑑賞することにもつながっていく。実際、何度かこども映画教室に参加しているこどもたちは、日常生活において映画をただ何となしに観るのではなく、そのストーリー性やショットの構図を深く観察しているように感じられた。そういうこどもたちの頭のなかには、自分の撮りたいストーリーや構図が絵コンテとして出来上がっているのだろう。
 このように、こどもたちは映画制作を体験することで自ずとリテラシーを身につけていく。映画教室で映画制作を経験することは、こどもたちのコミュニケーション能力を向上させ、撮影技術を学ぶことを通して映画の楽しさを知るだけでなく、映画の鑑賞方法をも自然に身につけさせることに繋がると言える。「きょうと国際子ども映画祭」の子ども審査員のように、短期間で何度も同じ作品を鑑賞することはリテラシーを鍛えるために非常に有効なことである。しかしそれと同様に、「こども映画教室」のような場もこどもが映画リテラシーを学んでいく上できわめて重要な環境となることは間違いないと思われる。
 映画を文化として成熟させるためには、かつてのように映画をこどもの教育のツールとして用いるのではなく、映画リテラシーを育成する意味での幼少期からの映画教育がなくてはならない。しかし、こどものための映画教育の実践が徐々に広まっている一方で、こどもを主題とした映画研究はまだまだ未開拓な分野である。こうした実践の基盤を作るには理論や歴史の研究は不可欠なものであるため、この分野はより一層研究される必要があると筆者は考える。