ニコラス・レイの赤はゴダールの赤とは同じではない。
―ジル・ドゥルーズ
1
世界映画史上傑出したアメリカ人映画監督であるニコラス・レイの最後の映画『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』(1973-76年)が、2013年9月21日から10月4日までの約二週間にわたって、京都みなみ会館で回顧上映された。上映初日には京都大学大学院教授で映画学者=批評家の加藤幹郎氏による講演が行われ、「ニックス・ムーヴィー」[1]の卓越性が再確認された[2]。加藤氏は、『映画ジャンル論―ハリウッド的快楽のスタイル』(平凡社、1996年)[3]、『映画の論理―新しい映画史のために』(みすず書房、2005年)[4]および近著『列車映画史特別講義―芸術の条件』(岩波書店、2012年)[5]において、ニコラス・レイの映画を厳密に分析していることに加えて、ニックの長大な遺著『わたしは邪魔された―ニコラス・レイ映画講義録』(みすず書房、2001年)を共訳してもおり、日本で最もニックに精通している人物と言えるだろう。その意味でも、今回の回顧上映に際して、加藤氏の講演の機会が設けられたことは真に喜ばしい事態であった。じっさい今回の講演では加藤氏によって広汎なアスペクトからニック映画の意義が語られたわけだが、わけてもその射程の長さにおいて瞠目すべき分析は、ニコラス・レイ映画の周辺に頻繁に姿を見せる「赤色」をめぐるものである。本稿では、加藤氏の講演および著作でなされている分析を踏まえ、2013年10月4日に発売されたばかりの『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』のDVDを用いて、ニックがその赤色の緻密きわまる配色によって、いかに独創的な映像詩を作り上げたのかということを考えてみたい。
2
本作『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』をまず徴しづけているのは、複数の小スクリーンが万華鏡のように美しく明滅を繰り返すように設計された、特異なマルチ・スクリーンの使用である。後年、ニックの妻であるスーザン・レイが撮影したドキュメンタリー映画『あまり期待するな』(2011年)は、本作のメイキングと言うべき内容を含んでもいるが[6]、そこでは、一枚のスクリーン上に35mm、16mm、8mm、スーパー8のフィルムを同時に映写しながら、各々のフィルムが投影される位置を微調整するニックの姿が映し出されており、このような「実験的な」画面がどのように作り出されたのかということの一端をうかがい知ることができる。じっさい『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』は、開巻からわずか20秒足らずで、スクリーン内スクリーン[7]が4つに増殖し、それぞれ独立した映像を提示しはじめる(図1)。先ほどこうしたニックの演出を「実験的な」画面と呼んだが、ニックが特任教授に就任したニューヨーク州立大学では、当時実験映画が盛んに作られていたという背景がある。しかしながら、「実験的な」と括弧付きで呼んでいるように、ニックのそれは、凡百の実験映画作家が残念ながら陥っているような単に奇を衒っただけの思いつきの演出とは一線を画している。加藤氏に倣って、伝統を厳密に踏まえた上でそれらを軽やかに裏切って革新的境位に到達してみせる身振りを芸術家の条件とするならば、本作におけるニックの演出は正しくそういった種類のものであるということになるだろう。以下にその所以を詳述していく。
2-1
本作では、開巻から約2分半が経過してようやくタイトルがクレディットされるが、その提示の仕方は周到に計算されたものとなっている。まず画面の一番外枠には郊外の風景と思しき赤味がかった写真が設定されており、その内側にそれより一回り小さいサイズの黒一色に塗りつぶされた矩形が用意され、さらにその内側にあるその四分の一の大きさの小画面内にタイトルがクレディットされる(図2)。つまり、ここではスクリーン(一番外側の写真)内スクリーン(その内側の黒色の矩形)内スクリーン(タイトルがクレディットされる小画面)構造が形成されているのである。そもそも映画とは、我々の周囲に広がる360度の三次元空間を、二次元平面の矩形内に切り取ってみせるきわめて不自然なミディアムであったはずである。そしてその本来不自然なはずの存在態様は、例えば切り返しショットをはじめとする数々の古典的映画技法の発明とその洗練化によって、いつしか自然さを装うようになっていたのではなかったか。ニックのこの演出は、矩形内の映像がいかに不自然なものであったかという映画史原初の記憶を我々観客に思い出させようとする試みのように思えてならない。そうだとすれば、その際、一番外側に映画の先行ミディアムたる写真が使われていることの意味は大きいだろう。しかしそれならば、その写真の内側にもう一つだけ矩形を用意して、スクリーンを二重にするだけで十分だっただろうという向きもあるかもしれないが、むしろそこでもう一段階次元を繰り上げ、彼が多用しているマルチ・スクリーンのレヴェルと対応させているところにこそ、我々はニックのラディカリズムを看取するべきではないだろうか。
さて、「WE」、「CAN’T」、「GO」とそれぞれの単語ごとにカットを割られて順番に白抜きの文字で提示されていくタイトルは、「HOME」に至って突如として赤く染められることとなる(図3)。そしてそのまま「AGAIN」および「by US」に至るまで赤字で提示されたあと、画面(スクリーン内スクリーン内スクリーン)は一気に五つに増殖する(図4)。そして、先ほどまで赤字でタイトルの一部が提示されていた位置には、赤い服を着たニコラス・レイ本人が映し出されているのである。さらにその約10秒後には左隣の小画面にヴァイオリンを弾く赤系統の服を着た女性が提示され(図5)、数秒後には同じ位置に真っ赤なコートを着た男性があらわれる(図6)。その直後には最初に赤い服を着たニックが姿を見せたのと同じ位置に、赤い服を着た男子学生が映る(図7)。すると今度は左上の画面に、おそらくはコンピュータで赤く色付け加工された男性のバスト・ショットが映し出され(図8)、次に上段中央の歪な円形に切り取られた一番小さな画面に走行する赤い車が見え(同時にこのとき右下の画面には赤いスカートをはいた女性の姿も確認できる)(図9)、さらには右上の画面に赤い吊り下げベルトをつけた女性の背中が映し出される仕儀となる(図10)。こうして、赤い服を着たニックが右下の画面内に姿を見せてからわずか30秒の間に、増殖した5つの小画面すべてに赤色が映し出されることになるのだ。タイトルに使われていた赤色から、映し出される人物が身につけている赤色へとそのイメージを連繋させるという精確な編集を行うことによって、それ自体として見事な冒頭部分を作り上げるとともに、本作において赤色が重要な役割を担うようになることをここで予示してもいるのである。
2-2
冒頭以降にも、画面上では多くの赤色が生成消滅を繰り返すが、ここではとりわけ重要と思われるあるシーンに絞って分析を進めてみよう。それは、本作の中盤にあらわれる、ニックと教え子のトム・ファレルが会話をしながら歩いているシーンである(48:56~53:00)(図11)。このシーンでは例外的にマルチ・スクリーンが使われておらず(一番外枠の写真も取り払われている)、会話をする二人の姿がフル・スクリーンに映し出されているが、一旦マルチ・スクリーンの連打のうちに映画の持つ原初の不自然さに思い至った観客たちは、すでに50分近くの間マルチ・スクリーンの「自然さ」に晒され続けて目を慣らされつつあるため、ニックはここで一転従来の映画のようなスクリーンのあり方を提示することで、今度はその観客たちに「普通の」スクリーンを不自然なものに見えかねなくさせるというアクロバットをやってのけているのである。そして、そういった意味でもきわめて重要と思われるこの場面で二人はともに赤い上着を着ているのである[8]。この場面で二人が着ている赤い服は、既に加藤氏が『列車映画史特別講義―芸術の条件』の中で正しく注意を寄せて説得的な解釈を展開しており、また講演内でも改めてその意義を強調しているように、ニックの代表作の一つ『理由なき反抗』(1955年)、およびヴィム・ヴェンダースが監督しニコラス・レイも一部シーンに出演している『アメリカの友人』(1977年)、それからニックとヴェンダースが共同で監督した『ニックス・ムーヴィー/水上の稲妻』(1979-80年)との連関を示すものとなっている。つまり、加藤氏は、この三作には共通して象徴的に赤い服が登場しており、他の作品の内容および出演俳優と密接に関係を持っていることを明らかにしているのだが、その内容を紹介する前に、まずはその意義の理解にも資すると思われるニックの文章を引用しておこう。少し長くなるが、以下の引用は、前述の『わたしは邪魔された―ニコラス・レイ映画講義録』の「カラー」と題された節で、ニックが『理由なき反抗』および『暗黒街の女』(1958年)での赤色の使用について述べている部分である。
シネマスコープを発明した男とワーナー・ブラザーズ〔映画製作会社〕との契約では、『理由なき反抗』〔一九五五年〕は全篇カラーで撮らねばならないことになっているということに気づいたのは、すでにこの映画をモノクロで五日間撮影したあとでのことだった。……ジミー〔ジェイムズ・ディーン〕が登場するシーンに赤に赤を重ねるように配色するというアイディアは、わたしが居間で得たインプロヴィゼーションを展開したものだった。うちの居間に赤いカウチがあったのだ。そこからわたしたちは『理由なき反抗』のために赤に赤を重ねる他のシーンすべてを作り上げていった。たとえばジムの赤いジャケット。この少年のくすんだ鳶色は赤色へと変わる。一五歳の家出少女ナタリー〔・ウッド〕が当初身につけていたコートと口紅の「ぎこちない赤」はやがて「やわらかいピンク」へと変わる(これは感傷的だろうが漸次変化していって、少女の人格の展開において大事な役目をはたす)。それからコーリー・アレン〔不良少年バズ役〕の山吹色。こうしたものすべてが意味を持つのだ。
後年、わたしは『暗黒街の女』〔一九五八年〕のシド・チャリシーのためにふたたびこの赤に赤を重ねる方法を試した。ジミーはカウチの上で赤に赤を重ねていた。それは抑えがたい感情の危機を意味していた。一方、赤いガウンを着たシド・チャリシーが赤いカウチに腰かけているシーンはまったくちがう意味を持っていた[9]。
この引用部分から、ニックがいかにカラー映画の配色、とりわけ赤色の使用に重要な意味を与えていたかということがわかるだろう。だからこそ、後年ヴェンダースのようにニックを意識して撮った他の作家の作品においても赤色が重要な機能を持つようにもなるのである。加藤氏はこの引用箇所を受ける形で、「ニックの赤はしばしばヴァルネラビルな(傷つきやすい)魂の所在を、あるいは傷口そのものをしめしている。配色や構図といった映画の視覚的要素を利用して、人間の心理の襞を描きだすことにニックの関心事のひとつがあることは明らかである」[10]と述べているが、以下に開陳される筆者の分析は、氏のこの記述の正しさを改めて裏付けるものともなるだろう。
以上の前提を踏まえた上で、加藤氏は、『理由なき反抗』でもっぱら赤い服を着ていたジェイムズ・ディーンが映画の国内公開一か月後に自動車事故で亡くなった事実に触れ(また、映画内でもジェイムズ・ディーンの悪友が自動車事故で亡くなるという設定になっていたことにも触れ)、「カラー映画『わたしたちは二度と故郷にもどれない』[11]のエンディングで赤い服を着たニックが自殺(の演技)をするのは、傑出した男優ジェイムズ・ディーンと仲の良かった監督ニックにとっての象徴的色彩(赤い血)の波をわたしたち観客の目にかぶせることになります」[12]と明快な解釈を与えている(本作のエンディングの意義については後述する)。また、『アメリカの友人』と『ニックス・ムーヴィー/水上の稲妻』に見られる赤色についても、以下のように精確に注意を留めている。
ヴェンダースとの共作映画『ニックス・ムーヴィー/水上の稲妻』の冒頭シークェンスにおいても数か月後に病死するニックは『理由なき反抗』のジェイムズ・ディーンを想起させるような演技をします(赤いシャツを着てベッドから起きあがるシーン)。また『アメリカの友人』でも、赤いソファに寝そべっている赤いシャツのジェイムズ・ディーンを想起させるような、デニス・ホッパーが真っ赤なシーツのベッドから起き上がるシーンがあります[13]。
このように、『理由なき反抗』のジェイムズ・ディーンの赤色は、ヴィム・ヴェンダースやデニス・ホッパーらを経由して、再び『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』でニコラス・レイ本人に戻ってくるという仕儀になるのだが、そこでニックは単に以前の自分の手法を踏襲しているだけではなく、遺作となった本作のエンディングにおいてさらなる刷新を試みているのである。最後にそのエンディング・シーンの意義を考察しておきたい。
2-3
本作のエンディングは、ニックの首吊り自殺(の演技)を中心に構成されている。この最後のシークェンスはさらに内容的に三つのパートに分けられる。その三つのうちの最初のパート(73:35~78:35)で、ニックは首吊り自殺をするためにロープを納屋に設置しようとしているが、このときもニックは赤い上着を着ているのである(図12)。講演内で加藤氏も示唆していたように、ここでの赤色は、赤い血との連想から死の象徴として読むことができるだろう。またここでは梁に縄をかけようとしているニックと、干し草の上で物思いに沈んでいるニックとを別々の小画面で同時に提示しており(図13)、文字通り(映像通り)スクリーン内において、スクリーンという映画における絶対的な外枠を軽々と超えて、赤色に赤色を重ねていることがわかる。しかもこのシーンでは、スクリーンの一番外枠に冒頭にあらわれていた赤味を帯びた写真が再び用いられているのである(外枠に使われている写真には他にいくつかのヴァリエーションが存在している)。この場面では、ニックは指導学生に「邪魔されて」自殺を行うことができないで終わってしまう。そこでニックに声をかけてくる男子学生もまた、赤い上着を着ている(図14)。
圧巻は二つ目のパート(78:35~82:21)である。この部分では、物語は基本的に画面(スクリーン内スクリーン)の右下に設定された小画面内で展開していくのだが、その左上に赤く歪められた映像が終始ちらついており、この赤色が時折右下の小画面を侵蝕するのである。右下の画面に赤い服を着た人物が映っているときにこの侵蝕が起こると、文字通り(映像通り)赤色に赤色が重ねられていることになる(図15)(図16)。さらには、左上の小画面から放射される歪んだ赤色が、右下の小画面に転移しているように見える瞬間さえある(図17)。ここではスクリーンの大前提であったはずの矩形という制約さえ取り払われ、スクリーンを超えて赤色を重ねてみせるという超絶技巧的な演出がなされているのである。映画というミディアムが暗黙裡に前提としてきた矩形のスクリーンという虚構をあっさりと破却せしめ、さらにその際、自らがかつて使用した赤色の意義をも踏まえた上での映画史の刷新に、最晩年に至ってなお挑んでみせるニックの身振りは、正しく芸術家のそれということになるだろう。
三つ目のパート(82:21~92:28)では、登場人物のことごとくが赤色の衣類を身につけている。ニックは、先ほどまでの真っ赤な上着こそ着替えているものの、やはり図柄の一部に赤色が含まれているセーターを着ているし、指導学生のトム・ファレルも赤いシャツを着ている(図18)。また、この場面で姿をみせている別の二人の男女の学生も、ともに赤い服を着ている(図19)。このパートでは、突然感情を爆発させて建物を飛び出していくトムをこの二人の男女の学生が追いかけていく一方、とり残されたニックが最初のパートで縄を設置した納屋へと一人赴くことになる。そして実はトムが駆け込んで身を潜めていたのが他ならぬその納屋であり、ニックが首を吊ろうとしているところに二人の男女の学生も入ってくるのである。このときニックは「わたしは(自殺を)ずっと邪魔され続けてきた(I have been interrupted.)」とつぶやくのだが、これはニックの自伝のタイトル『わたしは邪魔された(I was interrupted)』のもとになっている(図20)。さらにこれは加藤氏に指摘されてはじめて気がついたことなのだが、実はこのニックの遺著のカヴァーにも朱色があしらわれており、ここにもニコラス・レイの赤色の系譜を見出すことができるようになっているのである。本作のこの場面では、首吊り(の演技)をするニックと、それを見ている二人の赤い服を着た男女の学生が切り返しショットの形で編集されて提示されている(図21)。その後、必ずしも音源の定かではないニックの、基本的には仲間との友愛の重要性を説いているように思われる独白に従うかのように、眠り込んでしまったトムに、二人の学生が赤いジャケットをかけてやるところで(図22)、冒頭と同様に本作のテーマ音楽とも言うべき「ブレス・ザ・ファミリー(Bless the Family)」のメロディーが鳴り始める。
ここで、本作『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』をともに作り上げてきたニックとその指導学生たちを一つの擬似家族とみなせるとすれば(三つ目のパートで彼らがみな赤い服を着ているのは、本来同じ血によって繋ぎ合わされている家族の暗喩のようにも思える)、この広義の家族を祝福するこの楽曲の歌詞の内容が、本作のエンディング内容と見事に一致することとなる。そして音楽が流れるなか、冒頭と同じように、再び「WE」、「CAN’T」、「GO」、「HOME」、「AGAIN」と一コマずつに割られてタイトルが表示される。もちろんここでも「HOME」と「AGAIN」は赤字で提示されており、ここに至ってようやくなぜ「HOME」が赤字=血の色で強調されねばならなかったかということがわかる。つまりこの「HOME」は、故郷であると同時に、文字通り「家庭」をも意味するものであり、それは物語の水準(ニックを中心とする学生たちとの擬似家族関係)と音楽の水準(「ブレス・ザ・ファミリー」の歌詞内容)と精巧に一致させられて提示されているのである。冒頭でタイトルが表示されてから、エンディングでもう一度同様にタイトルが表示されるまでの約90分の間に、すなわち、タイトルからタイトルに「再び戻ってくる」間に、物語は抜き差しならぬ一線を超えてしまっており、そこでひとたび経験されてしまった人間関係の変遷および彼らの精神的変質等によって、その共同体は二度と再び元あった通りの擬似家族的状態には戻れないわけであるから、本作のタイトル通り「わたしたちは二度と(同じ)故郷=家庭に戻れない」ということになる。しかも、ここで冒頭とのごく僅かな、しかしながら決定的な差異として見逃してはならないのは、冒頭では「AGAIN」のあとに表示されていた「by US」が、エンディングでは綺麗に省略されているという事実である。この省略が持つ意味とは何なのだろうか。ここからは映像的な裏付けを欠く筆者の仮説でしかないのだが、ここで「US=わたしたち」というのがこの映画を作ったニックおよびその指導学生たちを指すと考えれば、映画のラストでそれが省略されるのは、この映画の持つ意義の及ぶ範囲が作り手たちに限定されないということを暗示することになるのではないだろうか。すなわち、90分以上にわたってこの圧倒的な映画を鑑賞してきたすべての観客たちもまた、この作品を見る前の彼ら自身には決して戻れないのであって、その点で、象徴的な意味での「故郷=家庭」に戻ることができないのは、我々もまた同じだということになりはしないだろうか。もちろん、それは決して後ろ向きの意味で「戻れない」のではない。ニックが最晩年に至るまで常に映画というミディアムの刷新を志向していたように、我々もまた自らの人生を活性化させるために常に変化し続けていかなければならないのであるから、元の状態に戻れないというのは必ずしも否定的な事態ではなく、むしろ前向きに捉えなければならないものなのである。このことは、本作のエンディング・クレディットの最後にエズラ・パウンドの「刷新せよ(Make it new.)」という文言が引用されていることとも符合する。加藤氏が講演の最後に「人生における真理というのは一体どこにあるのか、ニコラス・レイの『ウィ・キャント・ゴー・ホーム』を見れば、それがわかる」といった旨の発言をしているが、筆者はそれを以上のように理解したのである。
3
後年ニックの最後の妻スーザン・レイが監督したドキュメンタリー映画『あまり期待するな』は、言わば『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』製作の舞台裏を描いたものとなっているが、本作には、赤色の使用に関してきわめて興味深い演出が見られる。映画のある箇所で、まずカメラを覗いている若き日のニックのモノクロ写真を表示し、その写真にズーム・アップしていく途中で、彼が上着の内側に着ている白い肌着を真っ赤に染めてしまうのである(図23)(図24)。わざわざこのような不思議な演出がなされている以上、スーザンはニックにとって赤色がきわめて重要な意義を持つ色であったことを完璧に理解していたということになるだろう。人生の最後を、自身のよき理解者たる妻=家族、および指導学生たち=擬似家族とともに過ごすことのできたニックに「祝福」の言葉を贈って、本小論の締めくくりとしたい。
Nick, God bless you and your family.
註
[1]「ニック」とはニコラスの愛称である。また、ニコラス・レイとヴィム・ヴェンダースが共同で監督した映画に文字通り『ニックス・ムーヴィー/水上の稲妻』(1979-80年)があり、したがってここでの表現はそれらを踏まえた修辞的なものということになる。
[2]本講演の映像は、YouTubeにアップロードされており、我々はいつでも何度でも加藤氏の講演を再見することができる(撮影・編集は自身映画監督でもあり、現在京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程在籍中の藤井達也氏による)。インターネット時代の弊害は多々あれども、その技術によってこうした優れた講演を世界中に発信することが可能となったのは素直に言祝ぐべきことであろう。
加藤幹郎 「ニコラス・レイ映画講演 We Can't Go Home Again」 京都みなみ会館(2013/9/21)
[http://www.youtube.com/watch?v=R8kTPGclBtA]
[3]加藤氏は本書の「第一章 フィルム・ノワール 都会の憂鬱」の付論「ヤヌス神ハンフリー・ボガート」(53~69頁)で、ニコラス・レイの『孤独な場所で』(1950年)について、それがニックの傑出した演出手腕およびフィルム・ノワールを代表する俳優であるハンフリー・ボガートの「ヤヌス神」ぶりと結びつきつつ、同時代的な社会状況(そこには「当時の観客」という審級も当然含まれることになる)を反映して、いかに「特異な」映画テクストたりえているかということを、ジャンル論の観点から詳細に分析している。
[4]本書「第3章 ニコラス・レイ論の余白に 1950年代ハリウッドの男性メロドラマ」(57~122頁)において、加藤氏は、ニックの『危険な場所で』(1951年)や『理由なき反抗』(1955年)の卓越性を明らかにするのはもちろんのこと、それが、後年のハリウッド映画監督デイヴィッド・リンチが演出を手がけたテレヴィ番組『ツイン・ピークス』(1990-91年)に与えた影響の本質を看破しているほか、『黒の報酬』(1956年)におけるファミリー・メロドラマの「極北」ぶりを的確に指摘しつつ、厳密な映像分析を通してニックの監督第三作『暗黒への転落』(1949年)の持つジャンル映画史的な意義を明らかにしている。
[5]本書の「24 ヴェンダースの『アメリカの友人』における列車映画史と人生の意義」(66~79頁)の箇所において、ヴィム・ヴェンダース、デニス・ホッパー、ニコラス・レイの映画(史)的連関が、具体的な映画作品の具体的な細部の検証を通して明らかにされている。その内容については、本報告でも後述することになる。
[6]じっさい本作のタイトル『あまり期待するな(Don’t Expect Too Much)』は、『ウィ・キャント・ゴー・ホーム』内のニックのセリフから取られたものである。
[7]より厳密には「スクリーン内スクリーン内スクリーン」と言うべきところだが、その詳細については後述する。
[8]さらにこのシーンで発されるニックの「教師にあまり期待するな(Don’t expect too much from a teacher.)」という台詞は、後年スーザン・レイが監督したニックについてのドキュメンタリー映画『あまり期待するな』のタイトルに転用されている。
[9]レイ、ニコラス『わたしは邪魔された―ニコラス・レイ映画講義録』、スーザン・レイ編、加藤幹郎/藤井仁子訳、東京:みすず書房、2001年、108~109頁。
[10]加藤幹郎『映画の論理―新しい映画史のために』、東京:みすず書房、2005年、82頁。
[11]『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』はこのような形で邦題表記されることもある。
[12]加藤幹郎『列車映画史特別講義―芸術の条件』、東京:岩波書店、2012年、77~78頁。
参考文献リスト
・加藤幹郎『映画ジャンル論―ハリウッド的快楽のスタイル』、東京:平凡社、1996年。
・―――『映画の論理―新しい映画史のために』、東京:みすず書房、2005年。
・―――『列車映画史特別講義―芸術の条件』、東京:岩波書店、2012年。
・レイ、ニコラス『わたしは邪魔された―ニコラス・レイ映画講義録』、スーザン・レイ編、加藤幹郎/藤井仁子訳、東京:みすず書房、2001年。
・『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』、ニコラス・レイ監督、1973-2011年、DVD(ブロードウェイ、2013年)。
・『あまり期待するな』、スーザン・レイ監督、2011年、DVD(ブロードウェイ、2013年)。