bplist00�_WebMainResource� ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/hirai-article-2011-sample.htmlPO�G CineMagaziNet! no.17 久保豊 ホーム・ムーヴィー史における映画作家と観客の相互生成論

ホーム・ムーヴィー史における映画作家と観客の相互生成論
横山善太監督『幸せな時間』(2011年)のテクスト分析


久保 豊

 

I. はじめに
 横山善太監督(1982年~)の劇場初公開作品である『幸せな時間』(2011年)は、撮影者である武井彩乃が自身の祖父母を撮影し、被写体とは親族関係にない横山が客観的な視点から編集を加えて制作されたドキュメンタリー映画である。本作は、撮影者が自身の祖父母に密着して、祖父母の日常を撮影していることからホーム・ムーヴィーに分類される[1]。しかし、本作はホーム・ムーヴィーの本質を十分に表象しきれていないうえ、ホーム・ムーヴィーを公的空間で上映するために必要不可欠な要素が欠落しているという点で「遺憾」な作品である。
 人類学者リチャード・チャルフェン(Richard Chalfen)はSnapshot Versions of Life(1987)において、ホーム・ムーヴィーや家族アルバムを「ホーム・モード」(home mode)における生産物であると定義している(8)。ホーム・モードとは、「家族を中心とした小集団内における人間相互間のコミュニケーション」を表象するものである(Chalfen Snapshot Versions 8)。8ミリ、9.5ミリ、16ミリフィルム媒体で撮影されたホーム・ムーヴィー、及びヴィデオ媒体で撮影されたホーム・ヴィデオは、どちらも子供の成長記録、運動会、結婚式や葬式、休暇や旅行などを舞台に家族内でやりとりされるコミュニケーションを、家族の一員によって撮影されたものである。撮影中も、撮影者と被写体が常に互いに交流することによって、家族内の親密さがキャメラを通して表象されるのだ。しかし、本作は、武井と祖父母との間に心理的距離があるのではないかと窺える場面が散見され、ホーム・ムーヴィーの本質である撮影者と被写体との間の親密な人間精神関係を十分に表象しきれていないのだ。
 また、多様な撮影環境において制作されるホーム・ムーヴィー/ヴィデオは、一般的に被写体である家族、親戚、親しい友人、隣人らを主な観客とし、リビングルームなどの私的空間において上映される。上映時には、被写体、撮影された場所、日時などを知る家族によって説明が加えられることにより、上映中も観客同士でコミュニケーションがとられる。また、撮影者は入念な編集を心がけ、首尾一貫した内容を視聴覚的に構築することにより、撮影時の記憶の鮮明な彷彿を目指すだけでなく、観客を飽きさせないための工夫が施される[2]。このような私的空間での上映を目的としたホーム・ムーヴィー制作は、1920年代から裕福層やフィルム愛好家の間で制作された[3]。戦後には、コダック社からスーパー8、富士フイルム社からシングル8が発表され、1965年以降、ホーム・ムーヴィー制作は一般家庭に広く普及していった。そのようなホーム・ムーヴィーを公的空間において、被写体にとって親しい間柄である上述の参加者だけでなく、地域の人々とも共有すべく、2003年からアメリカのフィルムアーキビストらを中心に「ホームムービーの日」(Home Movie Day)[4]と称するイベントが始まった。「ホームムービーの日」では、自分とは面識のない人々が登場するホーム・ムーヴィーが上映されるのだが、ホーム・ムーヴィー上映および視聴体験が良い意味で受容され、年々参加国や開催地が増加している[5]。その理由は、①同じ地域で生活する人々のホーム・ムーヴィーには、撮影された時代を象徴する衣服、家具、商品、髪型やその地域特有の風景といった視覚的情報が含まれており、同じ地域で育った自分の経験と重ね合わせることができるからである。そして、②私的空間においてホーム・ムーヴィーが上映される場合と同じように、撮影に携わった者や被写体を知る家族などが上映中に随時内容等を言葉で説明することにより、説明者と観客同士の間に会話が生まれる。これにより、「ホームムービーの日」の参加者たちは、他者のホーム・ムーヴィーを見ても、映画内の被写体に対しての傍観者となることなく、まるでその家族の一員であるかのような親密感をもって映像を楽しむことができるのだ。このようにホーム・ムーヴィーを公的空間で上映する場合には、「ホームムービーの日」にみられるような観客を傍観者に陥らせないための工夫が必要不可欠である。しかし、本作では、このような工夫が不十分であり、観客は撮影者にも被写体にも完全な自己同一化をすることができず、観客はただ傍観者として映画スクリーンを眺めなければならない。
 本稿の趣旨は、「ホームムービーの日」にみられるように公的空間でホーム・ムーヴィーの上映が広がるなか、商業映画化されたホーム・ヴィデオである『幸せな時間』が提示する問題点について先行研究を通して検討することである。本稿ではまず、本作の構成を確認した上で、撮影者と被写体の間におけるコミュニケーションの欠落によって撮影者だけでなく、観客が感じる傍観者性について論じる。撮影者は自身の傍観者性を「なにもできない状態」(helplessness)として定義づけ、そこからの脱却を目指すことで、いかに観客が置き去りにされるかを論じる。撮影技法と編集によって、本作を通して撮影者と被写体、そして被写体らの間における人間精神関係が十分に表象されないことを確認した上で、いかにわたしたち観客がそれぞれの解釈を導きださなければならないかについて指摘することを目標とする。

II. 被写体との会話の欠落と傍観者としての観客
 横山善太監督は、学生時代[6]から映画制作を行っており、その撮影を担当していたのが同じ学校に通っていた武井彩乃であった。『幸せな時間』の素材となったホーム・ヴィデオは、武井彩乃が撮影の練習のために、彼女の祖父母を5年間に渡り撮影したものである。祖父の死後、「自分では気持ちが強すぎて編集はできない」が「映画にできる素材」だと信じ、武井が横山に記録テープを託したのが制作のきっかけである(「幸せな時間」製作委員会『幸せな時間 パンフレット』 15)。5年分の記録テープは、72分の映画として横山により編集された。本稿では議論の都合により、本作を次の三部構成として考える。第一部では、撮影を始めたばかりの武井は、自宅での祖父母の様子と月に一度出かける温泉旅行に目を向ける。第二部では、第一部の温泉旅行から三年後となり、祖母は認知症、祖父は癌を患っている。看護師である武井の母親が二人の看病をする様子、そして入院によって離れ離れに生活するなかで、祖父母がどのように人間関係性を維持するかについて注目する。そして第三部では、祖父の葬式と、彼の死後における祖母の姿を武井は追う。本節では、第一部を通して欠落している撮影者と被写体との間におけるコミュニケーションについて注目し、この欠落がいかに撮影者と被写体の間、そして被写体らの間の人間関係の表象を不可能にしているかを指摘する。本節ではまず、1960年代に撮影されたホーム・ムーヴィー『我が家のひととき/雪の日、神社にて他』(スーパー8/サイレント/11分)の分析を通して、撮影者と被写体の親密さの表象において、被写体によるキャメラの存在の意識化の重要性について論じる。
 古典的ハリウッド映画文法において、俳優がキャメラをまっすぐ見つめ、観客を意識した演技は控えられてきた。古典的ハリウッド映画文法のリアリズム性の模倣を推奨するホーム・ムーヴィーを含む小型映画制作ハウツー本においても、キャメラを意識した演出は避け、被写体がキャメラの存在を意識せず自然に振る舞うことを勧めている(Czach, “Acting and Performance in Home Movies and Amateur Films,” 162)。しかし、実際のホーム・ムーヴィーを見れば、上述のハウツー本らが推奨している古典的ハリウッド映画文法を必ずしも模倣しているわけではない。なぜなら、ホーム・ムーヴィー/ヴィデオにおいて撮影者と被写体の間の親密性さがもっとも表象される瞬間のひとつが、被写体がキャメラを意識し、被写体に微笑みかけたり、おどけたりする時である。例えば、山崎松男の『我が家のひととき/雪の日、神社にて他』では、雪の降る路地を歩く被写体である家族が、おそらく父親である撮影者が操るキャメラに向かって笑いかける。そして、撮影者であった父親も被写体になる。彼はキャメラに向かって路地を前進しているかと思いきや、キャメラに急接近して変な顔をする。一家団欒で鍋を囲むシーンでは、父親が撮影する時は毎ショット平均5秒使って家族全体を手持ちキャメラで写す。父親がフレーム内にいるショットは、二人の娘のうちの一人がキャメラを操り、父親と他の家族のふれあいを写す。これらのショットにおいても、被写体はキャメラを常に意識し、微笑んでいる。山崎のホーム・ムーヴィーにおいて、もっとも家族内の親密さが表象されるのは、寝室の布団の上で子供たちがじゃれ合い、そして父親がキャメラの前でまたしても変な顔をしながら両腕を上下して踊るシーンである。家族がキャメラを意識したショットの連続と、サイレントであるにも関わらず家族の談笑が聞こえてきそうな印象を与える編集が施されている今作は、撮影者と被写体との間における親密さを観客に意識させる。
 『幸せな時間』の第一部を通して、観客は撮影者である武井彩乃と彼女の祖父母との間に親密さが構築される過程を窺うことができない。なぜなら、約15分40秒の第一部において、祖父母がキャメラを意識する回数は7回のみであり、そのいずれにしても、武井と彼女の祖父母との間に会話らしい会話が発生しないからである。第一部において武井の声が唯一明瞭に聞こえるのは、映画冒頭のシーンのみである。映画タイトルが示される前に、祖父母が武井のキャメラを意識して恥ずかしがるシーンがあり、武井はくすくすと笑う。タイトル後、次のショットのフェイドイン以降は、武井は一切言葉を発しない。茶の間に座る祖父母をバスト・ショットで捉えた構図で始まり、茶の間を分岐点として、祖父、そして祖母の日課を手持ちキャメラで映画フレームを不安定に揺らしながら追う。庭仕事と茶の間での昼寝を日課とする祖父、家事を終え、昼寝をする祖父のそばに座り、外の景色を眺める祖母といった、自宅での彼らの様子を撮る。これらのシーンにおいて、入れ歯を入れていないからキャメラに撮られるのは恥ずかしいといった、キャメラの存在に対する祖父母の反応があるにも関わらず、武井は会話のキャッチボールをしない。そんな武井に代わり、祖父母が連れ添って50年になるといった字幕を横山は編集で挿入し、観客に必要最低限の情報を与える。だが、無機質な感触をもつ字幕によってでしか祖父母について語れないという編集は、武井と祖父母の人間関係もまた淡泊で無機質なものとして表現している。
 第一部の後半(7:50~15:40)は、祖父母が毎月一度出かける温泉旅行先での彼らの様子を描く。この旅行シークエンスではまず、温泉地にある滝と神社を祖父が訪れる過程を武井が追う。この過程では、滝の前と神社の前で一回ずつ祖父はキャメラを直視して、まるで静止キャメラにポーズするように直立する。これと似たショットが、佐藤寿一氏の『御岳登山/お葬式』(1971-1972年/ダブル/モノクロ+カラー/サイレント/10分)において差異を伴って登場する。母親らしき女性2人と子供たち4人が、景色のよい山並みを背景にキャメラに向かって横一列に並ぶ。一瞬、静止キャメラにポーズするかのように、笑顔を保ったままキャメラを直視するのだが、男の子と女の子の2人が笑いながらキャメラに向かって、両腕を上げ、はしゃいだ様子を見せる。また、旅行先を散策する家族を撮影するにあたり、武井と佐藤の撮影方法では決定的な違いがある。武井は常に祖父の背後から祖父の背中を映している一方、佐藤は常に家族より先回りして家族が歩く様子を正面から撮影している。佐藤の撮影方法は、家族が必然的にキャメラを意識して笑顔を見せる様子を捉えることができ、撮影者と被写体との間の親密さを表象できる。短いショットであっても、効率的に密度の濃いホーム・ムーヴィーを撮影する方法について佐藤が熟知していることを証している作品といえよう。“Homemade Travelogue: Autosonntag”において、アレクサンドラ・シュネイダー(Alexandra Schneider)は 被写体が撮影者のキャメラを意識する撮影方法を効果的に使うことで、撮影者も被写体と同じ空間に存在し、旅行先においても家族内の親密さが映画フレームを通じて表象されることに成功すると指摘している(160)。
 1970年代に撮影された上述の佐藤のホーム・ムーヴィーと比較することで、『幸せな時間』の第一部の旅行シークエンスにおいて、いかに武井の存在が不可視化されるかが強調される。祖父が滝と神社の散策から戻ってきた後、祖父母は軽食屋で地元のおばさんと出会う。彼らの会話シーンでは、一瞬祖母がキャメラを見るが、祖父母もおばさんもまるで武井に気づいていないかのように話を続ける。これにより、武井がただ祖父母を傍観しているように、武井と視線を共有する観客も傍観者でいるしかない。また、客室のベッドで休む祖母が昔の話をするロングテイクにおいても、武井は祖母の言葉には反応せず、ただひたすらと祖母のしわがよった頬や首筋にキャメラを向けるだけである。祖母が一方的に話をする様子は、まるで寝ぼけた祖母が実際には同じ空間にいない人物に向かい戯言を喋っている印象を与える。180度ラインを意識した構図[7]で客室の机に並んで座る祖父母をミディアム・ショットで捉えた場面においても、祖父母は武井に一切話しかけることをしない。ホーム・ムーヴィー/ヴィデオの視覚的特徴である手振れするキャメラワークによって、武井が祖父母と同じ客室という空間に同席していることは観客にとっても明瞭であるが、祖父母による徹底したキャメラの無意識化は武井の存在と視線を不可視化させてしまう。
 本作の第一部において、武井は祖父母に取りつく幽霊のような存在である。会話もしなければ、キャメラに写りこむこともしない(映画冒頭において窓ガラスに反射した彼女の姿を除けば)。次節において論じる第二部以降と比較すると、第一部では武井の撮影技術の未熟さが目立つ。手ぶれといったキャメラワークも散見されるが、それは子供の誕生に合わせてホーム・ムーヴィー撮影を開始する両親らのキャメラワークにもみられるホーム・ムーヴィーの視覚的特徴[8]でもある。手ブレのような撮影技術の未熟さを武井は恥じていたらしいが、第二部、第三部にかけて「未熟なカメラが成熟していく過程」を見せるために横山は編集過程において積極的に手ぶれする様子も使ったとインタビューで証言している(『パンフレット』16)。しかしながら、第一部が提起する根本的問題は、武井の技術的未熟さではなく、武井と横山がホーム・ムーヴィー/ヴィデオの本質を理解していないことにある。チャルフェンがホーム・モードにおいて重要なことは撮影者と被写体の間におけるコミュニケーションであると定義しているように、視線や会話を通しての被写体によるキャメラの意識化なくして、ホーム・ムーヴィー/ヴィデオは撮影者と被写体の間の人間関係を表象できないのである。山崎と佐藤のホーム・ムーヴィーが、サイレントでありながら、まるで撮影者と被写体の間の会話や笑い声が聞こえるかのように、両者の間の親密さが表象される演出を可能としている一方、武井の撮影と横山の編集は、音声を確実に同時録音できるホームヴィデオキャメラを用いているにも関わらず、武井と祖父母の人間関係性を表象できてない。また、これにより、撮影者の視線を共有している観客は、被写体である祖父母が50年間の結婚生活において構築したであろう人間精神関係を理解する糸口も与えられない状態で、ただ撮影者の見るものを傍観するという苦痛に耐えなければならない。

III.「なにもできない状態」と疎外感
 本作の第一部では、武井と祖父母との間に会話が発展せず、ホーム・モードにおける生産物の機能の一つである、世代から世代への過去の記憶や思い出、日本文化の伝統や慣習の共有を通しての両者間の人間精神関係の表象が十分に行われなかった(Moran, There’s No Place Like Home Video 60)。一方、武井の撮影技術が改善された第二部(15:40~48:30)では、彼女は祖父母と会話を通して積極的にコミュニケーションを図る。だが、病を患う祖父母に対して看病という役割を主に担うことができないため、武井がじっと彼らを撮影しながら見守るシーンも多い。そうすることで、看病に関して「なにもできない状態」から脱却しようとする。第一部では、観客が傍観者に陥らざるを得なかったが、第二部における彼女のこの行為が観客にどのような影響を与えるのかを明らかにすることが本節の目標である。本節ではまず、横山の編集によって第一部から第二部にかけて変化する映画内時間により生じる問題から触れる。
 第二部は、第一部の温泉旅行シークエンスから三年後へと映画内時間が移動した、ある夕方の一片から始まる。茶の間のこたつに足をいれて昼寝をする祖父の様子からは、三年という歳月が何の変化ももたらしていないように見える。だが、三年前より少し痩せた印象を与える祖母の身体の表面的変化が時間の流れを確実に物語る。キャメラが祖母を正面からウエスト・ショットで捉える時に見える祖母の手首に巻かれた入院患者用名前バンドによって、観客は祖母が入院していると察することができる。第二部の冒頭においても、第一部と同じく被写体に語りかけない武井に代わり、横山は祖母が認知症を患い始めたことを字幕によって観客に知らせる。また、祖父が癌を患っていることも癌の所在を示す医師の手書きの絵に合わせて横山が字幕を挿入して説明する。第一部と比べて、彼女が被写体に話しかける頻度は徐々に増えていく。しかし、祖父母の病に対する彼女の「なにもできない状態」が観客の傍観者性を強調する。
 祖父母の病に対して「なにもできない状態」である武井に代わり、看護師である武井の母親が看病の役目を担う。武井とは対照的に、母親は常に喋り、祖父母とコミュニケーションを取る。例えば、外泊で自宅に戻った祖父に栄養摂取用の点滴を施すシーンでは、母親は冗談を言うことで、痛みに不安を抱く祖父の気分を和らげようとする。祖父の右胸鎖骨付近の皮膚の下に埋め込まれたIVHポート[9]に、母親が点滴の針を刺し込む瞬間、祖父は顔をしかめて低いうなり声をあげる。けれども、「うまいよ、おまえ、いつもより痛くない」という祖父の言葉には、彼女に対する感謝と彼女の看護師としての腕前に対する信頼感が示唆されている。看護師である母親が看病の役割を担い、そして映画学科撮影コースで学んでいた武井が祖父の闘病生活を撮影して記録映像として残すという役割の分担は、適材適所の判断のように思える。しかし、「親だから遠慮してしまう」ため点滴の針を思い切り刺せないという母親の言葉は、親族が痛みに苦しむ様子をキャメラで撮影することが残酷なのではないかという問題を提起する。撮影者が被写体と本当に親しい間柄を築けていたならば、親族が苦しむ様子を撮影することは躊躇されるはずではないかという見解である。だが、これは性急な批判に聞こえる。武井が横山に編集を依頼した理由は、彼女では「気持ちが強すぎて編集はできない」ためだったことを思い出そう。
 自身の死後の準備を行ってから最期の時を迎えるという「終活」に奮闘する癌を患った父親(砂田知昭)を撮影した砂田麻美[10]の『エンディング・ノート』(2011年)は、『幸せな時間』と同じくホーム・ヴィデオを素材に製作されたセルフ・ドキュメンタリーである。武井が痛みに苦しむ祖父を撮影したように、砂田は自身の父親が癌による痛みに苦しみ、声を失うほど衰弱する過程を撮影している。死に向かう自分の残りの人生を映像記録として娘が撮影することを許した砂田の父親が示すように、撮影者と被写体の間に何らかのレヴェルの信頼と親密さがなければ、こうした姿を撮影することは難しいことを明らかにしている。もっとも、撮影だけでなく、編集作業も行い、興行収入1億円を達成した砂田の作品と『幸せな時間』の制作方法には差がある。だが、武井も砂田も看病に関しては無力であったため、被写体を撮影し続けることしかできない点については共通している。
 老化と病により衰弱していく祖父母の看病に対して「なにもできない状態」である武井は、過ぎゆく時間に対しても「なにもできない状態」に陥る。上述の点滴シーンの後、祖母は自宅へ戻ってきて、第一部と同じように茶の間で祖父と一緒に時間を過ごす(28:38~30:35)。撮影のための演出の可能性は否めないが、武井の母親による橋渡しによって、久しぶりに対面する祖父母は握手を交わす。入院によって別々に生活をする祖父母にとって、この握手は二人にとって久しぶりに肉体的なつながりを確認する瞬間である。加えて、50年間連れ添う夫婦にとってかけがえのない空間であろう茶の間において交わされるこの握手は、これまでにおいてもっとも祖父母間のつながりを表象している。また、祖父に対して祖母が繰り返し発する「これがずうっと続くといいけどね」という言葉と、それに同意する祖父の言葉は、第一部において描かれることのなかった被写体同士のコミュニケーション、そして彼らの強い精神的結びつきを表象する。看病に関して「なにもできない状態」であるからこそ、祖父母の間をパニングで交互に撮影することで祖父母を見守ることを選ぶ武井だが、映画キャメラが写すもの全てが過去の一瞬一瞬の繋ぎ合わせであるように、彼女が捉える祖父母の時間は決して止まるものではない。時間は過ぎ去り、全て過去になる。茶の間で過ごす時間が永遠に続くことを願う祖父母の願いを叶えることができないという意味において、武井の「なにもできない状態」は解消されることがない。武井がこの状態から解放されるためには、やはり祖父母の看病を手助けすることが必要なのである。
 一時帰宅する祖父が玄関先で立ち上がることができなくなるシーン(37:41~39:45)において、武井は祖父を物理的に手助けし、「なにもできない状態」からの脱却を図る。武井の母親の肩を借りて屋内に入った後、祖父は玄関口の床で少し休んでから立ち上がろうとする。武井は、自力でうまく立ち上がることができない祖父をレンズ越しに見て、彼を気遣って言葉をかけるが、決して手を貸さず、祖父を見守り撮影を続ける。階段の手すりを支えに必死に立ち上がろうとするが、第一部の温泉旅行先で彼が見せた足腰の強さは影もない。もはや自力で立ち上がることができない祖父を見兼ねた武井は、祖父に近づき、「ちょ、待って」と言い、その途端画面は黒くなり「カメラを止めて支えました 一人ではもう歩けなくなっていました」とインタータイトルが表示される。ここで一つの問題を提起しなければならない。なぜ武井はキャメラを止めたのか。武井は、キャメラで撮影を続けたまま、祖父を助けた可能性もある。横山が編集を全て担当している事実を考慮すれば、彼の判断によって削除されたことも否定できない。いずれにせよ、一つ明確なことは、インタータイトルの挿入によって、武井と観客の間にこれまで継続されていた視線の同一化が遮断されたことである。観客は、武井が「なにもできない状態」から脱却する過程を目撃し、それを追体験することで、武井と同時に「なにもできない状態」から脱却できたはずである。しかし、武井の視線との同一化が遮断されることで、観客は「なにもできない状態」、つまり傍観者のステータスを維持せざるを得ないのである。
 インタータイトルによる視線の遮断によって、「理想的な観客」[11]は「感情移入の化け物」になることを阻まれるのだ(加藤『映画とは何か』23)。本作における観客は、常に不安定なポジションで映画を観なければならず、傍観者でいなければならない。また、第一部から第二部に映画内時間が3年経過するにも関わらず、その3年間の空白は決して補完されることはない。小説や漫画の読者と異なり、映画の観客は自由に映画内の時空間を移動することはできないため、その3年間における、撮影者と被写体、そして被写体間の精神的なつながりの発展の経過を知ることもできないのだ(加藤『映画とは何か』21)。これにより、武井のキャメラで語られる祖父母の物語という列車が目前を過ぎ去る様子を、観客はただ傍観するしかないのだ。

IV. 葬式と経験の解釈
 リチャード・チャルフェンは、ホーム・ムーヴィーで撮影されない事象として身体の痛みや衰退、人生の終焉を挙げる。彼は、これらの事象を撮影せずに回避することを「パターン化された削除」(patterned elimination)と定義する(93-99)。だが、ホーム・ムーヴィーにおいてこれらの事象が撮影されてこなかったわけではない。例えば、第一章で言及した佐藤寿一氏の『御岳登山/お葬式』では、1970年代に福島県で行われていた土葬の風習が描かれている。また『幸せな時間』の第三部(48:31~71:23)では、死装束に飾られた祖父の遺体が写り、彼の葬式が描かれている。人の死を扱うことによって、ホーム・ムーヴィーは世代から世代へという生物としての人間の本質的なライフサイクルを表象することができる。
 第三部は、祖父の死を知らぬ祖母が病院から自宅に戻るところから始まる。自宅に戻った祖母が、縁側に置かれたこたつで休む姿を映画フレームの左上に捉え、フレームの対角線上には死装束に包まれた遺体と焼香、ロウソクを備えた台が見える[12]。観客は、その死装束には祖父が包まれていることを察する。遺体のそばにある遺影を見て、祖母は初めて祖父の死を知る。祖母の声からは、祖父の死に驚いていることが伝わってくるが、「大丈夫」「平気だよ」と祖母は気丈に振る舞う。祖母は、キャメラに写らない祖父の冷たくなった顔を触り、それにより祖父の死を実感し、彼の死という事実を受け止める。このシーンにおいて、武井は一言も喋らない。武井は、祖母が祖父の死を受容する過程を見守ることに徹するのだ。
 横山は、武井の撮影技術が上達する様子を伝えるために、第一部において意図的に武井の撮影技術の未熟さを強調した。第三部にみられる祖父の葬式シーンでは、武井の撮影技術が格段に上達したことが窺える。祖父の遺影を写す時を除いて、武井はキャメラのピントをずらしているため全体的に焦点が合っていない。一見すると、葬式の参列者の顔をぼやけさせて匿名性を与えることで、参列者の肖像権を保護しているように思える。しかし、焦点が合わずぼやけた視界は、5年間という歳月を祖父母と共にすることで、キャメラ自身が祖父母への愛情を抱き、祖父の死を悔やみ、まるで涙を流しているかのようにみえる。このような撮影効果は、第一部に比べて武井の撮影技術が格段に向上していることを示している。
 この葬式シーンにおいて、もう一つ特筆すべき点は、祖父の葬式シーンに合わせて、武井によるナレーションが本作で初めて挿入されることである。編集過程において挿入されたものと推測されるこのナレーションからは、武井の祖父母に対する想いや祖父母の夫婦としての人間関係性に対する解釈が窺える。まず、武井は、最期まで長生きすることを望んだ祖父に対し強い人であったと敬意を示す。そして、祖母が認知症を患った理由は最愛の人である祖父の死期を悟ったからではないかと推測する。
 このナレーションと葬式のシーンの組み合わせは、観客の涙を誘う感傷的な印象を与える。実際、第二回座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルで本作が上映された際、多くの観客が涙した。だが、このナレーションに対しての批判的な意見もあるようだ。横山に対するインタビューにおいて、第三部の葬式シーンまで待ってからのナレーションの挿入は、「作品のまとまりとしては、はみ出して(い)る」という指摘がなされている(『パンフレット』16)。このような批判に対して、横山は、監督と同年代で、自身の祖父の死を看取れなかった女性観客から「ずっと胸にしまっていた祖父に対する気持ちを、代弁してもらったようだった」という意見を引用し、このナレーションの挿入を肯定的に捉えている(『パンフレット』16)。しかし、彼のこの見解については、慎重に捉えなければならない。武井のナレーションは、祖父の葬式を終えたあと、編集する段階で挿入されたものである。つまり、武井は、祖父の葬式を回顧しながらナレーションを行っているのであって、祖父が亡くなった時点の率直な感想とは異なるものである。祖父への想いや祖父が亡くなることに対する悲しみをありのまま表現しようとするのであれば、祖父が危篤に陥った時、祖父が亡くなった直後、祖父の葬式が行われている時の武井の言葉を伝える方が説得的かつ迫真的といえる。それにもかかわらず、事後的にナレーションを加えるにとどまる手法をとった横山の編集は、武井と祖父の間にどのような密度の人間関係が構築されていたのか、武井がどのような思いで祖父の死と向き合ったのかを観客が理解することのできない点で不十分なものといえる。
 このような横山の編集の問題点は、祖父の死後、四十九日を控え、自宅に帰る車中で武井と祖母が交わす会話の内容からも窺える。

武井「(祖父は)幸せだったと思うよ」
武井「かわいそうじゃないよ。幸せだったよ」
祖母「そう。最期は」
武井「最期だけじゃなくて、ずっと」
祖母「よかった、じゃぁ」
武井「おばあちゃんと一緒にいれたんだから、幸せだったでしょ」

武井は、祖父の祖母に対する想いを代弁するが、なぜ祖父がそのような想いをもっていたのか、本当に祖父がそのように思っていたのか、観客としては疑問を抱かざるを得ない。72分間の中で、武井と祖父の会話はほとんど無く、祖父が祖母に対してどのような想いを抱いていたのかを窺うことのできるようなシーンは無かった。そもそも、武井と祖父がお互いの本心を曝け出すことのできるような密度の濃い人間関係を構築できていたのかですら、観客としては窺い知ることができない。このように、祖父の想いや、武井と祖父の関係性を知るための情報が与えられていない状況下で、観客は祖父の想いを汲み取ることができるはずもなく、ただ武井と祖母が会話する様子を傍観するしかないのだ。
 もっとも、横山の編集手法で、ホーム・ムーヴィーの本質を捉えることに成功しているシーンもある。葬式シーンのあと、武井のナレーションが続く中で、画質が劣化したホーム・ヴィデオが挿入される。映像の中には、少し若く見える武井の祖父と、つたない歩幅で歩く一才前後の幼児が映っている。その幼児は、撮影しているキャメラに向かって前進し、オフスクリーンからは「あーちゃん」という呼び声と笑い声が聞こえてくる。本作の中で武井の母親が武井のことを「あーちゃん」と祖母に向かって説明していたことを思い出せば、この幼児が武井であることは明白である。武井は、ナレーションで祖父に感謝の意を込め、天国からずっと見守ってくださいと祖父に伝える。葬式シーンの後にこのホーム・ヴィデオを挿入する編集は、本作において一番有効な編集手法となっている。なぜなら、祖父の死を表象した後に、幼い武井の姿を挿入することによって、世代から世代へのライフサイクルが表象されるからである。この点において、挿入されたホーム・ヴィデオは、ホーム・モードが目指す機能を果たすことができている。
 本作の第三部において、祖父母の人間精神関係とそれに関する武井と横山の解釈について、観客それぞれは自身の解釈を導きださなければならない。マーシャル・マクルーハンは『メディア論——人間の拡張の諸相』[13]において「熱いメディア」と「冷たいメディア」を定義し、映画を「熱いメディア」として選んでいることに対して、加藤は映画を「観客の能動的な『参与』(積極的な読解行為)なしにおよそ意味をなさない『涼やかなミディア』のひとつ」として定義している(『日本映画論1933-2007—テクストとコンテクスト』28)。本稿で論じてきたように、武井の撮影技法や横山の編集技術によって得られる視聴覚的情報からだけでは、50年間連れ添ってきた祖父母が本当に「幸せだった」という本作の解釈を心の底から信じることは困難である。しかし、わたしたちは能動的な参与を行う理想的な観客として、それぞれの解釈を行うことによって、傍観者というステータスから自ら脱却しなければならない。

V.おわりに
 これまで、『幸せな時間』が有する問題点として、撮影者と被写体との間の親密な人間精神関係を十分に表象しきれていないこと、観客を傍観者に陥らせないための工夫が十分に施されていないことをとりあげて論じてきた。映画は、観客の自己同一化なくして成り立たないものであり、いかにして観客の受容を得るかが課題とされる。自分以外の家族をとりあげてホーム・ムーヴィーとして上映する場合には、その課題が一層浮き彫りになる。そのため、監督は、観客に対して撮影者と被写体の関係性を分かりやすく説明すると同時に、家族内の事象について観客が傍観者に陥らないように十分な情報を提供することが求められる。その方法としては、「ホームムービーの日」にみられるように撮影に携わった者や被写体を知る家族などが上映中に随時内容等を言葉で説明することが考えられる。商業映画を上映する際には、上映中の談笑が禁止されるという制約があるため、「ホームムービーの日」のように上映中に説明者と観客が会話したり、観客同士が会話したりすることは困難かもしれない。もっとも、ナレーションや字幕、映像等の挿入によって適宜観客に情報を提供することが可能なはずである。映画の製作や上映がデジタル化し、iPhoneや小型軽量化されたデジタルキャメラが広く普及する今日、ホーム・ムーヴィー/ヴィデオが公的空間で上映される機会は今後ますます増えるであろう。今後、商業映画としてのホーム・ムーヴィーが、観客の自己同一化を十分に可能ならしめ、更なる発展を遂げることに期待しつつ本稿の結びとしたい。

附記
 本稿で筆者が展開したホーム・ムーヴィー論の原型は、京都大学大学院の映画学講義「文化社会論演習2」(2013年度)での研究発表を通じてまとめられたものである。講義を担当された加藤幹郎教授にこの場をお借りして御礼申し上げる。




[1]家族の日常を撮影する作品に加え、家族がある役柄を演じる作品、物語性をもつ作品も存在するなど、ホーム・ムーヴィーは多彩な側面をもつ。本稿で扱う『幸せな時間』は本来ホーム・ムーヴィーであった。本作はその映像素材が横山の編集を経てドキュメンタリーとなった映画作品である。本稿では、ホーム・ムーヴィーが表象すべき撮影者と被写体の間における親密性といった人間精神関係がいかに『幸せな時間』で扱われているか否かを議論するため、本作品をホーム・ムーヴィーとして捉えている。
ここでは、ドキュメンタリーとホーム・ムーヴィーの定義における類縁性と差異性について述べたい。
主に家族を被写体に個人が制作する小型映画ホーム・ムーヴィーに対して、1970年代から80年代にかけて小川伸介(1935年-1992年)や土本典昭(1928年-2008年)が政治や社会問題に目を向けた集団制作によるドキュメンタリーを率いた。90年代以降は、河瀬直美(1969年-)や松江哲明(1977年-)らによる家族(河瀬『につつまれて』1992年)や民族性(松江『あんにょんキムチ』1999年)に焦点をあてた、ドキュメンタリー映画のサブジャンルであるセルフ・ドキュメンタリーが流行する。これらのセルフ・ドキュメンタリーは、家族という被写体の面だけでなく、個人制作という面において、ホーム・ムーヴィーと類縁関係にある。
だが、集団制作のドキュメンタリー映画と個人制作のセルフ・ドキュメンタリーともに、ホーム・ムーヴィーが一般的に提示しない「暴露性」を有している。土本の『水俣—患者さんとその世界』(1971年)は、水俣病という環境汚染の産物によって苦しめられる人々を描くことで、産業発展の裏にあった社会的問題を視聴覚的に提示した。河瀬の『につつまれて』は、河瀬が生後まもなく生き別れた父親を探す過程を通して、観客(他者)が表面的には知り得ない河瀬の出生について問うた。一方、ホーム・ムーヴィーの多くは、誕生日会や旅行での撮影を通して家族の幸せな様子を描く。そのため、土本や河瀬が見せたある種の負の暴露性を提示するホーム・ムーヴィーは少ない。
ドキュメンタリー映画とホーム・ムーヴィーの間におけるもう一つの差異は、非商用小型映画であるホーム・ムーヴィーには興行的収入は期待されていないことだ。河瀬や松江が家族を被写体に撮影した時、彼らにとってその映像はホーム・ムーヴィー的意味や要素を持っていたかもしれない。しかしながら、彼らがセルフ・ドキュメンタリーを制作する目的でその映像を編集、映画化した後、劇場公開などを通して興行的収入が発生した時点で、ホーム・ムーヴィーとはみなせないのではないか、と筆者は考える。
また、筆者がアメリカ在住のフィルムアーキビストAudrey Youngと電子メールを通してホーム・ムーヴィーとセルフ・ドキュメンタリーの差異について意見を交わした際(“Home Movies in Japan”)、映画祭への出品についても考慮すべきだという結論に至った。『につつまれて』と『あんにょんキムチ』はともに山形国際ドキュメンタリー映画際に出品され、受賞している。ホーム・ムーヴィーは商用的価値を有さず、私的空間で上映されることを前提に制作されているため、経済的利益や映画祭出品を目的とした商用映画としてのドキュメンタリー映画とは本質が異なる。
ここまで述べたドキュメンタリーとホーム・ムーヴィーにおける類縁性と差異性は、今後のホーム・ムーヴィー研究において常に問われ、刷新されていかなければならない課題である。
ドキュメンタリーの定義については、佐藤に詳しい。

[2]小型映画、特に8ミリ映画の特殊撮影技法や編集方法については、土山に詳しい。

[3]裕福層やフィルム愛好家たちが盛んに彼らの作品を出品した小型映画コンテストについては、宇野に詳しい。

[4]「ホームムービーの日」の開催に関わる代表的な団体として、アメリカではCenter for Home Movies (http://www.centerforhomemovies.org/)、日本ではNPO法人映画保存協会(http://www.filmpres.org/)が挙げられる。(最終アクセス日:2013年4月27日)

[5]昨年行われた第10回「ホームムービーの日」では、17カ国が参加した。日本は19カ所で開催され、参加国の中で一番多くの開催地数であった。他国に比べ、日本におけるフィルム保存活動は人材や機関の不足のため遅れているが、開催地の多さは日本におけるホーム・ムーヴィーやアマチュア映画に対する関心が高まっていることを示唆しているのではないだろうか。

[6]横山と武井はともに日本大学藝術学部映画学科を卒業している。横山は監督コース、武井は撮影コースで学んだ。

[7]客室シーンだけでなく、自宅の居間における構図においても、小津安二郎『東京物語』(1953年)における老夫婦を捉えた構図を意識しているように見える。撮影コースで学んでいた武井にとって、自身の祖父母を笠智衆や東山千栄子に重ね合わせて構図を意識した可能性がある。また、『東京物語』における葬式後の原節子との会話の後、笠智衆が外を眺めるショットがある。これは、『幸せな時間』のラストシーンにおいて、祖父の死後、祖母が外の景色を眺める様子をロング・テイクで撮る手法は、『東京物語』から影響を受けていることを示唆する。

[8]ホーム・ムーヴィーやホーム・ヴィデオにおける手ぶれ撮影を意図的に用いた作品として、ダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスによる『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(The Blair Witch Project1999年)が挙げられる。

[9]Intravenous Hyperalimentation(中心静脈栄養法)の略称である。

[10]慶応義塾大学総合政策学部を卒業後、フリーの監督助手として働く。岩井俊二、河瀬直美、是枝裕和といった現代の代表的な日本映画作家らの制作に関わっている。

[11]『映画とは何か』において、加藤は理想的な観客を「初見でありながら、一本のフィルムのすべてのショット、すべてのシーンの視覚的、聴覚的相関関係に高度に自覚的な実践家」と定義づけている(加藤幹郎『映画とは何か』、みすず書房、2001年、18頁)。また、理想的な観客は「必要とあらば、物語映画の主人公にほぼ無条件で感情移入する者のことである」としている(23頁)。

[12]現代日本における葬式の在り方については、ひろに詳しい。ホーム・ムーヴィーの先行研究において、葬式など人生における通過儀礼に大きな注目を当てている。現代日本において薄れゆく/すでに失われた文化か慣習について、ホーム・ムーヴィー/ヴィデオは貴重な視聴覚媒体となる。日本でのホーム・ムーヴィー研究を発展させることにより、文化人類学や社会学、歴史学の研究発展に貢献できる可能性がある。ホーム・ムーヴィーに関する本格的な研究書として、ジマーマン(Zimmerman)を参照されたい。

[13]マクルーハンの定義によると、観客/受容者による参与の度合いが低い媒体を「熱いメディア」、そして観客/受容者による参与が逆に高い媒体を「冷たいメディア」と呼んでいる。

引用文献・DVDリスト
・宇野眞佐男『小型映画の世界 8ミリ・サウンド・16ミリの撮り方』(金園社、1976年)
・加藤幹郎『映画とは何か』(みすず書房、2001年)
・———.『日本映画論1933-2007—テクストとコンテクスト』(岩波書店、2011年)
・「幸せな時間」製作委員会『「幸せな時間」映画パンフレット』(2011年)
・佐藤真『ドキュメンタリーの修辞学』(みすず書房、2006年)
・土山忠滋『最新8ミリ映画入門』(梧桐書院、1978年)
・ひろさちや『お葬式をどうするか 日本人の宗教と習俗』(PHP研究所、2000年)
・マーシャル・マクルーハン『メディア論——人間の拡張の諸相』栗原裕・河本仲聖訳(みすず書房、1987年)23項。
・Chalfen, Richard. Snapshot Versions of Life. Ohio: Bowling Green State University Popular Press, 1987.
・Czach, Liz. “Acting and Performance in Home Movies and Amateur Films.” Theorizing Film Acting. Ed. Aaron Taylor. Abingdon: Routledge, 2012. 152-166.
・Moran, James M. There’s No Place Like Home Video. Minneapolis: University of Minnesota Press, 2002.
・Schneider, Alexandra. “Homemade Travelogue: Autosonntag.” Virtual Voyages: Cinema and Travel. Ed. Jeffrey Ruoff. Duke University Press, 2006. 157-173.
・Strangelove, Michael. Watching YouTube: Extraordinary Videos by Ordinary People. Toronto: University of Toronto Press, 2010.
・Young, Audrey. “Home Movies in Japan.” E-mail to Yutaka Kubo. 25 March, 2013.
・Zimmerman, Patricia R., and Karen L. Ishizuka, eds. Mining the Home Movie: Excavations in Histories and Memories. Berkeley: University of California Press, 2008.
・『幸せな時間』、横山善太監督、2011年(DVD、TOブックス、2013年、ASIN: B00A39QOVM)
・『御岳登山/お葬式』、佐藤寿一氏、1971-1972年、『今年の一本DVD2011年』収蔵 (NPO法人映画保存協会、2011年)
・『我が家のひととき/雪の日、神社にて他』、山崎松男氏、1960年代、『今年の一本DVD2010年』収蔵 (NPO法人映画保存協会、2010年)

 

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