京都文化博物館フィルムシアター「映画女優高峰秀子を再考する」報告



伊藤 弘了

  京都文化博物館フィルムシアターでは2013年8月12日(月)から9月29日(日)にかけて「映画女優高峰秀子を再考する」と題された特集上映が行われた。京都に長年暮らし、京都大学およびその大学院で映画学における第一線の研究と教育を続けている加藤幹郎によれば、京都文化博物館は、「独立採算性という不利な条件ながら、精力的な上映活動とともに、貴重な映画資料の復元・整理・保存にあたるフィルム・アーカイヴとしての機能を充実しつつある」[1]施設であり、映画都市京都の重要な一翼を担う存在であると言える。今回の特集上映では、約一ヶ月半にわたって合計21本もの古典映画が上映され、夏休み中の開催ということもあり、大いに活況を呈していた。筆者は会期中、実際に同博物館のフィルムシアターで全21本の上映作品のうち15本を鑑賞することができた[2]。DVDやVHS、あるいはYouTube等でも映画が見られるようになった昨今であるが、他の観客とともにフィルム上映の映画体験をすることの意義も含めて、以下にその模様を報告したい。
 ともあれまずは今回の特集上映の中心にいる高峰秀子という女優について、簡単に確認しておく必要があるだろう。1924年に北海道函館市に生を受けた高峰秀子(本名:平山秀子)は、幼少時に母親を亡くしたのち、親戚の幼女として引き取られ、東京に移り住むこととなる。4歳のとき、たまたま松竹蒲田撮影所を見学した折に開催されていた子役オーディションに飛び入りで参加したことが映画出演へのきっかけとなった。世界恐慌発生の年である1929年、5歳のときに『母』(野村芳亭監督)で銀幕デビューを果たして以来、1979年に映画女優を引退するまで、実に半世紀もの長きにわたって、五所平之助、島津保次郎、成瀬巳喜男、小津安二郎、木下惠介といった日本映画史に燦然とその名を輝かせている監督たちの映画に出演し続けた。したがって、必然的に高峰秀子の出演作の多くが同時に日本映画史上の古典ということにもなり、彼女の演技力の高さともあいまって、文字通り、彼女を日本映画史上最高の女優の一人たらしめているのである。女優業を引退したのちは、エッセイストとして活躍し、2010年の年の瀬に86歳で世を去った。
 上映プログラムは基本的に映画の公開年順に組まれており、8月中は高峰の出演作のうち1931年から1951年までの9本、9月に入ってからは1951年から1961年までの12本が上映された。上映された21本は次のとおりである。

1.『東京の合唱』(小津安二郎監督、1931年)
2.『花籠の歌』(五所平之助監督、1937年)
3.『綴方教室』(山本嘉次郎監督、1938年)
4.『樋口一葉』(並木鏡太郎監督、1939年)
5.『馬』(山本嘉次郎監督、1941年)
6.『昨日消えた男』(マキノ正博監督、1941年)
7.『宗方姉妹』(小津安二郎監督、1950年)
8.『細雪』(阿部豊監督、1950年)
9.『カルメン故郷に帰る』(木下惠介監督、カラー版、1951年)
10.『カルメン故郷に帰る』(木下惠介監督、モノクロ版、1951年)
11.『稲妻』(成瀬巳喜男監督、1952年)
12.『煙突の見える場所』(五所平之助監督、1953年)
13.『雁』(豊田四郎監督、1953年)
14.『二十四の瞳』(木下惠介監督、1954年)
15.『女の園』(木下惠介監督、1954年)
16.『この広い空のどこかに』(小林正樹監督、1954年)
17.『遠い雲』(木下惠介監督、1955年)
18.『喜びも悲しみも幾歳月』(木下惠介監督、1957年)
19.『張込み』(野村芳太郎監督、1958年)
20.『女が階段を上る時』(成瀬巳喜男監督、1960年)
21.『永遠の人』(木下惠介監督、1961年)

 ところで、本特集上映が始まる以前の7月2日からプログラム半ばの9月1日まで、京都文化博物館では「家族でお出かけ節電キャンペーン」なるものを実施しており、この期間中はフィルムシアターが無料開放されていた。「観客は映画館に映画を見ること以外の何かを求めていた」[3]と述べる加藤幹郎は、1950年以降の京都市において映画館が「冷暖房完備」を宣伝文句に謳い始めていたことを当時の新聞の綿密なリサーチによって明らかにしているが、それから半世紀以上が経過し、基本的には各家庭に冷暖房設備が完備されているはずの現代京都において、(3・11福島第一原子力発電所の事故以来、関西の原発も順次運転を停止した影響で節電が求められがために)再び冷房という映画館の設備が観客を呼び込むための宣伝に用いられることになったという興味深い事実に、ここで留意を促しておきたい[4]。以下では、具体的にいくつかの上映作品に触れながら、今回の特集の意義について考えていく。
 小津安二郎監督の『東京の合唱』(1931年)は、今回のプログラム中で唯一のサイレント映画である。当時6歳の高峰秀子は、岡田時彦と八雲恵美子扮する夫婦の長女役として出演している。高峰の小津映画への出演は二本のみであり、もう一本は1950年公開の『宗方姉妹』である(この作品も上映プログラムに含まれており、詳細については後述する)。したがって、本作『東京の合唱』は子役としての高峰の唯一の小津映画への出演作ということになる。プロットの中心は岡田の失業と再就職をめぐるものであり、高峰の登場シーンはそれほど多くはないが、兄役の菅原秀雄との掛け合いが小津的なギャグとして映画内で見事に機能している点、そして高峰が病気になることでストーリーが大きく動くという点では重要な役どころであると言えるだろう。また、本作はサイレント映画であるが、それは我々観客のおかれている環境が無音であるということを意味しない。シアター内は、周囲の観客たちのちょっとしたおしゃべりの声、呼吸音、身じろぎの際に発生する音、あるいは眠り込んだ観客の鼾の音など、実に多様な音に満たされた空間となっているである[5]
 五所平之助監督の『花籠の歌』(1937年)では、当時12歳の高峰が、田中絹代の妹役で出演しており、登場場面は少ないながらも、田中をはじめ、高峰三枝子や笠智衆、佐野周二らを相手にしての堂々たる演技を披露している。すでに女優として6年のキャリアを積み上げていることからくる彼女の自信と余裕がうかがえる作品である。
 山本嘉次郎監督の『綴方教室』(1938年)は、高峰の東宝移籍後初の出演作であり、主演作である。本作では山本嘉次郎の弟子であった黒澤明が製作主任としてクレジットされているが、同監督の『馬』(1941年)でも黒澤は同様に製作主任をつとめている。『馬』という作品自体は、加藤幹郎が指摘するように、ロケーション撮影の美しさは認められつつも、ヒロイン高峰秀子の顔の凡庸なクロースアップで映画を終わらせていることなどもあって、メロドラマとしても記録映画としても国策映画としても中途半端な仕上がりになっていると言わざるをえないものである[6]。したがって、場合によっては映画自体よりも、この映画の撮影時に起こった事故に端を発する高峰と黒澤の恋愛事件の方がより興味深いと言えるかもしれない。高峰秀子の自伝によれば、『馬』撮影時に高峰の乗った馬が暴走し、激しいショックを受けていた彼女を若き日の黒澤明が介抱したことがきっかけとなって、二人の仲が急速に縮まったのだという[7]。その後、結局は周囲によって引き離されてしまう二人ではあるが、映画における主要運動媒体の一つである馬の事故をきっかけとして、のちに日本映画史を代表する映画女優となる若き日の高峰秀子と、映画監督として国際的に盛名をはせることになる青年黒澤明が恋に落ちたのだとすれば、これほど映画的なエピソードもないだろう。
 小津安二郎が新東宝で撮った『宗方姉妹』(1950年)では、高峰秀子は田中絹代の妹役で出演しており、本特集上映を追っていた観客ならば、『花籠の歌』(五所平之助監督、1937年)から10年以上の時を経て二人の女優が再び姉妹役を演じているという事態を目の当たりにして、感慨もひとしおだったのではないだろうか(しかも『宗方姉妹』で二人の父親役を演じているのは、『花籠の歌』が出世作となった笠智衆である)。谷崎潤一郎の原作小説の映像化である阿部豊監督の『細雪』(1950年)では、高峰秀子は恋に生きる女である藤岡家の四女妙子役を好演した。
 今回の上映プログラムには木下惠介監督の作品が7本含まれており、9月中は多いときで木下映画が週に4日かかっているということさえあった。高峰秀子の木下映画への初出演作である『カルメン故郷に帰る』(カラー版、1951年)を筆者が見に行ったのは平日の昼過ぎの回だったのだが、上映開始時間直前にフィルムシアターに駆け込んだところ、すでに客席は満員で、立ち見客もかなりの数いるという状態だった。シネマ・コンプレックス時代の現代にあっては、映画館で満席の客席を拝むような機会もまずないのだが、その意味では、超満員の劇場の光景それ自体が一つのスペクタクルたりえていると言うことさえできるかもしれない。本作は、日本初の国産フィルムを使用した本格的な長篇カラー映画とされているが、これ以前にも短篇および長篇の一部カラー化の試みはいくつか存在しており、しばしば用いられるような「日本初のカラー映画」といった表現は、厳密には誤りであるということになる。木下惠介一流のいくぶん感傷的にすぎるようにも感じられる演出は、しかし一般的な映画観客の眼には大いに魅力的なものと映ったようで、本作『カルメン故郷に帰る』の上映後には、会場から自然と拍手が沸き起こっていた。本作には、一部シーンの追加されているモノクロ版が存在しており、そちらも盛況であった。
 また、おそらく会期中観客から最も多くの涙を搾り取ったと思われるのも、やはり木下監督の『二十四の瞳』(1954年)である。特に終盤、元生徒たちが高峰に自転車を贈る場面で、高峰の顔をいくぶん長めに映してその驚きと感激を強調したあとに、彼女の主観ショットとして自転車を映し出すという演出がなされている箇所で、シアター内で観客が鼻をすする音の大きさが最大値を記録していた。洋装に身を包んだ若き女教師役の高峰が自転車で颯爽と学校に通うモガとして映画に登場し、やがて貧困や戦争で多くの教え子および夫と娘をも失い、心身ともに擦り切れてボロボロになった和装の彼女が再び自転車で学校へと向かう一連のショットで映画が終わることからも、本作において自転車が重要な演出上の意味を有していることがわかる。今回この作品を再見して、全体に荒っぽい作りであるとの印象を受けたが、冒頭とエンディングでの自転車を用いた差異と反復の演出、あるいはラストの、自転車をこぐ高峰のロング・ショットは見事なものと言っていいだろう。『二十四の瞳』と同年公開の『女の園』(木下惠介監督、1954年)が、それぞれこの年のキネマ旬報ベストテンの1位2位を獲得したことからも同時代の木下人気の高さがうかがえる。この年の同ベストテンには、3位に黒澤明監督の『七人の侍』、5位と9位に溝口健二監督の『近松物語』と『山椒大夫』、6位と7位に成瀬巳喜男監督の『山の音』と『晩菊』が入っており、これらの作品を抑えての木下映画の1位2位獲得に対してはいささか過大評価がすぎるようにも思われるが、現代の観客もまた彼の作品に夢中になっている姿を目の当たりにして、改めて映画作品を評価することの難しさを考えさせられた。
 観客の感動がとりわけ強く伝わってきた作品としては他に『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)を挙げることができる。高峰秀子は灯台守(佐田啓二)の妻役で出演している。本作では『二十四の瞳』以上に監督が観客を泣かせにかかっている演出が随所に見られ、正直なところ、その際159分という決して短くはない上映時間はあるいは苦痛でさえあったが、最終盤の灯台の霧笛と船の汽笛という非人間的な道具を用いたあまりにも人間的な精神交感の表象と、本作最後の、霧の中に高峰と佐田が文字通り(映像通り)消えて見えなくなる超人間的なショットは圧巻だった。上映終了後、右隣に座っていた初老の女性が、席を立つ際に筆者に向かってごく自然に「いい映画でしたね」とささやきかけてきたのが印象に残っており(彼女は本編上映中、随所で涙ぐんでいた)、やはりそれだけの力のある作品だということは言えるのだろう。『遠い雲』(1955年)ではオープニング・クレディットでの、出演者の名前が文字通り(映像通り)背景の雲の彼方へと飛び去っていくという演出が興味深かった。この作品では、本編68分あたりに約15秒間の音声の欠落があり、そのいかにもフィルム的な欠如を、筆者としてはむしろ過剰に映画的な事態として肯定的に受け止めることができた。この映画では『カルメン故郷に帰る』と同様、序盤と終盤で列車の表象が反復されており、それは『二十四の瞳』における自転車の使い方をも想起させるのであった。
 列車が目立つ作品と言えば、プログラムのなかには他に野村芳太郎監督の『張込み』(1958年)がある。本作は二人の刑事(大木実と宮口精二)が佐賀へ向かうべく乗り込んだ列車の場面から始まり、犯人(田村高広)を逮捕した刑事たちが東京へ帰るために佐賀駅のホームで列車を待っているところで終わることになる。発着する列車が、リュミエール兄弟以来、映画の開始と終了のトポスとなっているということが改めてよくわかる演出である。さらにおもしろいのは、エンディング・クレディットのあと、刑事および犯人を乗せた列車が静かにホームから滑り出すところを捉えて映画が終わる点である。佐賀を行き止まりの場所として描くのではなく、ここで新たな出発を提示してみせることで、恋人との関係で悩んでいた刑事(大木実)と犯人(田村高広)がここから新たな人生を歩み始める可能性を観客に明確に予感させている[8]。他に乗り物の使い方が印象的だった作品には、豊田四郎監督の『雁』(1953年)があるが、本作の終盤で、ヒロイン高峰秀子の想い人である芥川比呂志が霧の中を馬車に乗って去っていくシーンを見て、筆者はマックス・オフュルスの傑作メロドラマ映画『忘れじの面影』(1948年)のエンディングを想起した。筆者のそうした連想を可能にしたのは、単に男を乗せて闇夜のなかを行く馬車という道具立てが両作の間で共通しているからというだけではない。『忘れじの面影』がジョーン・フォンテインの顔の演技によって支えられていたのと同様に、本作『雁』を傑出した映画テクストたらしめているのも高峰の顔にほかならないのである。去りゆく芥川を見送る彼女の顔の強度も然ることながら、本作は水面から飛び立つ雁(ここでは自由に飛びまわることのできるこの鳥に、海外=大いなる希望へと向かわんとしている芥川の姿が明らかに重ねられており、一介の金貸しの妾にすぎない高峰自身の不自由な立場が対照的に浮き彫りにされている)の群れを見つめる高峰の顔を強調するショットで閉じられており、このショットによって文字通り(映像通り)『雁』というタイトルの意味が明らかにされ、映画が終わるのである。
 今回の特集プログラムでは、成瀬巳喜男監督の作品は『稲妻』(1952年)と『女が階段を上る時』(1960年)の2作品が上映された。成瀬と高峰のコンビによる映画作品の数の多さおよび質の高さを考え合わせると、2作品のみの上映というのはもの足りないようにも感じられるが、今回見送られた作品については、今後の上映に期待することとしたい。(幸か不幸か)一般に成瀬の代名詞となっている『浮雲』(1955年)のほか、『流れる』(1956年)や『乱れる』(1964年)といった傑作はもちろん、筆者個人としては、(信じがたいことに)いまだDVD化されていない『おかあさん』(1952年)や『杏っ子』(1958年)などの作品を是非ともスクリーンで堪能したいところである。
 以上のように、この報告文では、京都文化博物館の意義に簡単に触れたあと、高峰秀子という女優の卓越性および彼女が出演している個々の優れた映画テクストの傑出した細部等について、確認してきた。同博物館では現在(2013年10月)、「京都、きもの、映画 映画に見るきもの文化」と題する特集上映を行っており、プログラムには『人生のお荷物』(五所平之助監督、1935年)、『女人哀愁』(成瀬巳喜男監督、1937年)、『お遊さま』(溝口健二監督、1951年)、『東京物語』(小津安二郎監督、1953年)、『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順監督、1980年)といったそうそうたる傑作群が名を連ねている。同博物館のフィルムシアターでは、残念ながら会期中若い観客の姿をほとんど見かけることはなかったのだが、優れた古典的映画の持つ底知れないエネルギーを見ず知らずの他の観客と共有するという感動的な経験を、むしろ現代の若い人にこそ、味わって欲しいと筆者は切に願っている。映画館がフィルム上映の設備を次々と手放していくなか(それどころか映画館自体の数が減少の一途をたどっているなか)、これだけ充実した上映環境、上映プログラムを維持し続けている京都文化博物館からは、今後も目が離せない。

[1]加藤幹郎『夢の分け前―映画とマルチメディア』、東京:ジャストシステム、1995年、16〜17頁。

[2]京都文化博物館のフィルムシアターで鑑賞することのできなった作品については、DVD・VHS等で補完した。

[3]加藤幹郎『映画館と観客の文化史』、東京:中公新書、2006年、256頁。

[4]冷暖房をはじめとする映画館の設備と観客の関係およびその歴史的推移については、戦後京都の場合に即して具体的かつ詳細に述べられている加藤の前掲書『映画館と観客の文化史』の第2部第2章「映画都市の誕生―戦後京都の場合」(255〜278頁)を参照されたい。

[5]映画館内の静粛性の歴史については、やはり前掲の加藤幹郎『映画館と観客の文化史』に詳しい。とりわけ第1部第2章第1節「館内の静粛性」(81〜87頁)、第1部第2章第3節「揺らぐ館内静粛性」(114〜116頁)の箇所は必読である。また1930年代後半の日本の映画館における静粛性については第2部第1章第6節「二種類の観客層」(249〜251頁)に詳しい。加藤は、映画鑑賞中に眠りに落ちる観客(あるいはその観客のたてる鼾の音)に関連して、ある試写室で経験したエピソードを紹介しながら「わたし自身、薄暗い映画館のなかで映画を見ながら眠ることは、ドライヴ・イン・シアターにかぎらず、どのような種類の映画館であっても幸福な体験であると信じている」(同書、283頁)と述べて肯定的に捉えているが、この主張には筆者自身も大いに賛同するものである。

[6]加藤幹郎『日本映画論 テクストとコンテクスト 1933―2007』、東京:岩波書店、2011年、85〜88頁。

[7]高峰秀子と黒澤明との関係については、高峰秀子『わたしの渡世日記(上)』(東京:新潮文庫、2012年)の270〜328頁(「ふたりの私」、「馬」、「青年・黒澤明」、「恋ごころ」)に詳しい。

[8]列車と映画の切っても切れない関係をより深く理解するためには、加藤幹郎『映画とは何か』(東京:みすず書房、2001年)第2部第W章「列車の映画あるいは映画の列車―モーション・ピクチュアの文化史」(115〜171頁)および加藤幹郎『列車映画史特別講義―芸術の条件』(東京:岩波書店、2012年)が必読である。

参考文献
・加藤幹郎『夢の分け前―映画とマルチメディア』、東京:ジャストシステム、1995年。
・―――『映画とは何か』東京:みすず書房、2001年。
・―――『映画館と観客の文化史』、東京:中公新書、2006年。
・―――『日本映画論 テクストとコンテクスト 1933―2007』、東京:岩波書店、2011年。
・―――『列車映画史特別講義―芸術の条件』東京:岩波書店、2012年。
・高峰秀子『わたしの渡世日記(上)(下)』、東京:新潮文庫、2012年。
・京都文化博物館フィルムシアター プログラム2013年8月号、9月号。