■書評
『映像という神秘と快楽――〈世界〉と触れ合うためのレッスン』
そして/あるいは長谷正人論

藤井 仁子 Jinshi FUJII

 すでに『悪循環の現象学――「行為の意図せざる結果」をめぐって』(ハーベスト社、1991年)という「社会学者」としての単著で、グルーチョ・マルクスのある台詞をエピグラフに引用してもいた長谷正人氏が、しかし「映画研究者」としてその存在を広く世間に認知せしめたのは、いうまでもなく、論文「検閲の誕生――大正期の警察と活動写真」(『映像学』53号[1994年]、124-138頁)によってであった。大正期における映画検閲制度の確立を、興行の場からライヴ・パフォーマンス性が駆逐されてゆく過程として鮮やかに描き出したこの論文は、奇しくも同時期に同様のテーマを取り上げたアーロン・ジェロー氏による弁士論(「弁士の新しい顔――大正期の日本映画を定義する」[若尾佳世乃訳]『映画学』9号[1995年]、55-73頁)とともに、当時のアカデミックな日本映画研究がとらわれていたある種の停滞感を打ち破るものとして、世の研究者を刮目させたといってよい。
 長谷氏は、その後も「社会学」と(狭義の)「映画研究」という両方の領域において、刺激的な論文を次々と発表してきたわけだが、氏にとっての第二の単著にあたり、映画を論じたものとしては初のまとまった著作となる新著『映像という神秘と快楽――〈世界〉と触れ合うためのレッスン』(以文社、2000年)は、にもかかわらず、かつて「検閲の誕生」に啓発された読者を困惑させるにちがいない、厄介な書物である。
 「検閲の誕生」であれば、人はああ、ここに映画にも関心をもつ「社会学者」がいるな、と安心して済ませることができる。しかし、広く映像全般の問題をあつかったエッセイ風の短文が、相互にゆるやかなつながりを見せつつも、毎回はじめから出発しなおすようにして反復される『映像という神秘と快楽』(以下、『神秘と快楽』と略す)の場合、読者は、一体これが「社会学」となんの関わりがあるのか、と問わずにはいられない。むろん「社会学者」だからといって、「社会学」の本しか書いてはならないという法はない。だがこの本は、映像を論じた書物としてはあまりに風変わりで独特に見えるものだから、読者はなぜこのような本を「社会学者」が書かなければならないのか、不思議に思わずにはいられないのだ。かつて「検閲の誕生」をものした長谷氏であればなおさらである。
 もっとも、この疑問は物理的な理由からある程度まで説明可能なものである。実は、本書に収められた一群の文章は、もともと「映像のオントロギー」として、インターネット上に毎月連載されたものなのである(『Internet Photo Magazine』[http://www.apn.co.jp/photo/index-j.html]、1996年8月〜2000年12月、全40回)。若干の中断を挟みながらも、断章風のエッセイが、そのときどきの社会の動きを反映したりしなかったりしながら、断続的にオンラインされるのをモニター越しに見守りつづけたあの楽しみは、残念ながら、それを体験しえなかった方々には伝えるべくもない。だがこのような形式が、単行本化されるにあたり、各章の順番が入れ換えられ、多少加筆されはしたものの、いたずらに体系化されることなく残されたことは、読者にとって歓迎されるべきことである(述べてゆくように、こうした物理的条件が、結果として、参照される文献の恣意的な読解、論理展開のあまりの性急さといった見逃しがたい短所をもたらした事実は否めないにしても)。
 これについては、長谷氏自身も少なからぬ自負を込めて次のように書いている。

要するにこの断続的形式のエッセイ風文章群は、ある時期の、私の思考生成のドキュメントがそのまま刻印されたものになっているのだ。そうした思考の肉体的体験を、読者にもそのまま追体験してもらうこと。それこそが、本書の主張する、映像の存在論的な体験を伝えるのに最も相応しい方法なのではないか。そう考えて私は、あえて元の断章的形式を崩さないで本書に纏めたのである。(10頁[『神秘と快楽』からの引用は、その頁数のみを括弧内に示す])

 氏は、単行本には収録されなかった「映像のオントロギー」最終回(http://www.apn.co.jp/photo/ipmj/eizou/eizou67.html)において、結果の「サプライズ」と過程の「サスペンス」とを対置させ、そのうえで後者の優位を説いていた。「サプライズ」に満ちた終わり=目的ばかりを希求する「下品さ」に対し、そこへと至るプロセスのはらむ――ヒッチコック的な――不断の宙吊り状態(「サスペンス」)に耐えてみせることの反時代的な意義を説いていたわけだが、各章末尾に記載された初出時の日付もなまなましい本書は、いわばこの過程の「サスペンス」を自ら実践したものとして読まれることができるだろう。とりわけ10章から11章にかけて読まれるような、前章での主張を自ら修正しながら進んでいく記述のサスペンスフルなおもしろさは、いろいろと前後で矛盾をきたしてもいる危なっかしさを斟酌しても、本書のもつ比類ない魅力のひとつである。


・反復――長谷正人によるジグムント・フロイト


 だが、「検閲の誕生」の長谷氏がこのような書物を著したことを不審に思う読者は、上記のような事情を聞かされても、なお得心がいくまい。連載時の物理的条件が本書の形式を決定づけたとしても、そのことだけでは、この書物が一見したところ、まるで「社会学」とは無縁の書物に見えてしまうことの理由にはなりえないからである。氏自身、本書は「個人的」な著作であるとくり返し強調し、それゆえに本書が一般の読者にとってなんらかの意義をもちうるものなのかどうか気にかけてさえいるが、長谷氏個人と必ずしも利害を共有しない匿名の一読者としては、むしろこの「個人的」な著作が、長谷氏自身にとってどのような意義をもつのかと問うてみるべきだろう。
 当代きっての気鋭の映画研究者が居ならぶある座談会の席上で、開口一番、「わたしは映画に関して社会学的視点から考えてきました」と切り出してみせた長谷氏は(「映画学と映画批評の未来」CMN! no.4[http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/cmn4/sympo.files/symposium1.html#anchor124007])、やはり自身のことを、映画を研究する「社会学者」としてアイデンティファイしている――いやむしろ、自身の研究者としての価値を、そのような存在である点に見いだしているにちがいない。しかし――単なる「映画研究者」ではなく――映画を研究する「社会学者」たらんとするこの絶え間ない衝迫――ないし責任感?――が、映画をあつかった氏の一連の論考に、ほとんど「非社会学的」な傾きを与えている事実は見逃しえない。長谷氏が映画を研究する「社会学者」たらんとするときには、必ずといっていいほど、フロイトに由来する「心理学」の論理が援用されるのだ。
 長谷氏には、一貫して「臨床的なもの」への関心が認められる。「社会学者」としての最初の著作にあたる『悪循環の現象学』は、そもそも社会的なコミュニケーションの問題を臨床心理学の知見を援用しつつ論じた著作であったし、失認症への関心を一挙に前景化させた「リュミエールの考古学」(『映像学』55号[1995年]、86-101頁)とその姉妹篇「リュミエール兄弟のアルケオロジー」(CMN! No.2[http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/backIssue/NO2/articles/HASE/1.HTM])、さらにフロイトの刺激保護の理論(いうまでもなく、これは第一次世界大戦後の戦争神経症[シェル・ショック]から得られた臨床的知見と切り離しえない)を援用した「テクノロジーの経験としての映画――戦争、全体主義、そして生命のリズム」(『月蛙Getua』1号[1999年]、80-93頁)についても同様である。「臨床的なもの」とはほとんど無縁なままに映画を論じきった「検閲の誕生」は、長谷氏の「映画論」としては、むしろ例外に属しているのである。
 長谷氏の著作に一貫して認められるこの「臨床的なもの」への関心は、そのまま『神秘と快楽』においても引き継がれている。先行する論文においても取り上げられていた失認症の問題のみならず、『CURE』論(24章)に至っては強迫性障害に関する知見まで援用されており、読者は意表を突かれることになる。従来無関係なものと見なされてきたイメージ論と臨床的な知見とを関連づけてみせた点で、氏の論考はまったく独創的なものだといえよう。
 しかし、『神秘と快楽』に認められる「臨床的なもの」は、狭義の臨床心理学のみにとどまらない。本書においてそれは、映像という「狂気」に触れてある種の「外傷」を負わされた者に対する「臨床的」な診断というかたちさえとるのである。ここにおいて、実は「社会学者」としての長谷氏にとっての最大の問題であるところの「人生」が浮上し、「人生」に診断を下す者として、氏は「社会学者」としての矜持を保つことができるというわけだ。一見「非社会学的」とも思われる「臨床的なもの」が、「社会学者」としての長谷氏にとって欠かすことのできないものである理由はここにある。
 13章では、身体失認を専門に診察してきた医師オリヴァー・サックスが、皮肉にも自ら身体失認に陥ってしまう挿話が取り上げられているが、本書自体、いわば長谷氏という「臨床医」が、さまざまな写真や映画に触れて驚いたり涙したりしている自分自身を診断した「臨床カルテ」のようなものだといえなくもない。本書が記述する真の対象は、「臨床医」にしてかつ「患者」でもある、長谷正人という単独的な個体そのものなのである。


 長谷氏におけるこの「臨床的なもの」への関心を、氏自身が幾度も引用するフロイトという固有名でひとまず代表させることが許されるとすれば、しかしその主張は、フロイト自身の記述に照らしてみて、若干の問題を喚起せずにはおかない。私は、この「臨床カルテ」が頗る付きでおもしろいということを認めるにやぶさかではないが、それでも書評者の務めとして、看過しえない問題点は率直に指摘しておく必要があるだろう。
 本書第3部では、単調な機械的反復こそが映画における快楽の源泉だとする大胆な主張が展開される。たとえば黒澤明の『どですかでん』を取り上げた19章においては、フロイトの「性理論三編(性欲論三篇)」を援用しながら、鉄道に乗っている際に感じるような機械的振動の単調な反復が、人間にとってはむしろ快楽であると主張されているのだが、これにつづく論理の展開は、決して見やすいものではない。23章で小津映画の「単調な反復」が指摘されることはわかるとしても、その「単調さ」が、同じように「単調」なものである「生」そのものの「豊かさ」へといきなり飛躍するにおよんでは、さすがに当惑させられるほかないし、これが先述した『CURE』論を経て、北野武の『ソナチネ』における「死の快楽」へとシフトしてゆく論理の展開は(25章)、不透明なままに終わってしまっている。

[『ソナチネ』の]この砂浜の場面で無為な「反復」を受容したとき、たけしは確かに「生」への執着や焦燥感からすっかり解放されてしまったかのように上機嫌だった。それまでの映画のように苛立ったりすることもなく、ただ自分の身体の内側に脈打っている「単調な反復」のリズムに心地良さそうに身を任せていた。しかしそれこそが、まさに「死」の世界だったのだ。何も能動的に為されない、無為で単調な繰り返しの世界……。(186頁)

 小津においては「生の豊かさ」であった「単調な反復」が、なにゆえ北野武においては「死の快楽」へと変貌を遂げてしまうのか、長谷氏は明快には説明してくれない。単に物語の次元での差異にすぎないのではないかという疑問が湧いたとしても、不思議ではないところである。
 そもそもフロイトにおいて、反復は外傷の帰結としてあったはずだ(「快感原則の彼岸」参照)。もしもフロイトを援用するのであれば、単純に心地よいものとしてばかり反復を語ることはできないのではないだろうか(くり返しの心地よさをいうだけであれば、フロイトを引くまでもなく経験的に自明のことである)。
 だがそのぶん、リュミエールのシネマトグラフに共通して認められる「出来事」の「律動」(静止→運動→静止)を看破したうえで、それをフロイトが懐疑的に述べた「死の欲動」と関連させつつ考察してみせた21章は、実証的な裏づけがさらに必要ではあるものの、第3部でもっとも印象ぶかいページを構成している。


・肯定――長谷正人による蓮實重彦


 「社会学者」としての長谷氏にとって、さしあたりフロイトという固有名によって代表される「心理学的」な知見が重要であったとすれば、「社会学者」である以前に端的に「映画好き」である長谷氏にとって、最大の存在が蓮實重彦であったことは明白である。本書16章は、まさに蓮實重彦その人を論じた文章になっているほどだが、先述した座談会でも、氏は――議論の流れ上、いささか偽悪的になされた発言であるとはいえ――自分は「骨の髄まで全て蓮實的な問題体系の中でしか映画を考えたことがないし、映画を見たこともないです」とまで発言していたのだった(http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/cmn4/sympo.files/symposium2.html#anchor7210)。
 1959年生まれの長谷氏にとって、学生時代に蓮實の映画批評と出会ったことがどれほど決定的な事件であったか、想像するに難くないが、むろん氏は、蓮實の――むしろ「蓮實的」な――映画批評のもたらした功罪両面についても充分すぎるほどに自覚的であり、だからこそ、蓮實の可能性を最良のかたちで継承しつつも、そこからいかにして自らを切断するかが、映画を研究する「社会学者」としての長谷氏にとっての最大の問題となる。仮に蓮實を回避するなら、氏は道楽で映画に寄り道をしたただの「社会学者」でしかなくなってしまうであろうし、また「蓮實的なもの」を無批判になぞってみせただけでは、氏はただの「映画好き」にまで成り下がってしまうからである。この意味で、蓮實的な映画の見方、語り方を批判的に総括しつつ、それらに最終的に別れを告げた論考「視姦された映画とマゾヒズムのまなざし――バルト/ドゥルーズの映画鑑賞」(『imago』3巻12号[1992年]、188-196頁)は、長谷氏の仕事を理解するうえできわめて重要な位置を占めているといえるだろう。この論考は、公刊されたものとしては、氏のはじめての本格的「映画論」にあたる。映画を研究する「社会学者」としての長谷氏は、ここからスタートを切ったのである。94年に発表された「検閲の誕生」は、この「告別」ののちにしか書かれえないものであった。「検閲の誕生」における例外的ともいうべき過度の「禁欲」ないし「自律」は、こうした事情が生じせしめたものにほかならなかったのである。
 とはいえ、まだこの時点では、「継承」よりは「切断」のほうをいささか性急な身ぶりで演じることしかなしえなかった長谷氏が、真に蓮實を「読みなおす」ことができるようになったのは、ダイ・ヴォーンのエッセイ「光(リュミエール)あれ」(Dai Vaughan, "Let There Be Lumiere," in Thomas Elsaesser (ed.), Early Cinema: Space, Frame, Narrative [London: British Film Institute, 1990], pp. 63-67.)を通してのことではなかったか。「リュミエールの考古学」「リュミエール兄弟のアルケオロジー」という氏の双子の論考において重要な役割を演じているこのエッセイは、直接にはヴォーン自身が愛してやまないという『海岸を離れる小舟』を取り上げながら、リュミエール作品にとりわけ顕著な「意味」に回収しえない「過剰さ」を「自生性(spontaneity)」として概念化してみせたものである。長谷氏にとってこのエッセイとの出会いが決定的であったと推測する所以は、このような「過剰さ」こそ、「蓮實的」な批評がせっかく誰よりも鋭敏に感受しておきながら、結局はただ手放しで「美しい」というにとどまり、それをいわば「科学的」に概念化して分析=記述することを、むしろ積極的に拒みつづけたものにほかならないからだ。この意味で、ヴォーンのいう「自生性」という概念は、長谷氏が「蓮實的」な批評の最良の可能性を継承しつつ、同時にそこから自らを切断するうえで、最大の武器になりえたのである(ただし、ドキュメンタリーの編集を本業とするヴォーンのエッセイそのものは、過去をロマンティックに理想化しているところがあるうえに、スタジオのセットで撮られた映画に対してロケーション撮影を単純に持ち上げているようなきらいもあり、その主張のすべてにうなずき返すことはできない。注目に値するのは、あくまでもヴォーンのエッセイからその最良の可能性を引き出してみせた長谷氏の読解のほうである)。
 それとともに、ベルクソンのイメージ論を大胆に敷衍したドゥルーズの『シネマ』に触発されるかたちで、丹生谷貴志氏(『ドゥルーズ・映画・フーコー』[青土社、1996年]など)や前田英樹氏(『小津安二郎の家――持続と浸透』[書肆山田、1993年]、『映画=イマージュの秘蹟』[青土社、1996年])らの仕事がひととおり出揃っていたことも、長谷氏にとっては決定的な刺激となったにちがいない。なにものも否定することのないカメラ的知覚のありようを、有用性にもとづく取捨選択を不可避的にともなう人間の中枢的知覚と鋭く対立させる彼らの主張を通じて、長谷氏はヴォーンが「自生性」として概念化してみせた映像の「意味」に回収しえない「過剰さ」を、非中枢的なカメラ的知覚のみが捉えうる世界の表情として、あくまでも「非美学的」に分析=記述することが可能になったからである(本書でいえば、たとえば14章におけるイディオ・サバン的な「具体の視線」についての記述を見よ)。
 こうして、氏の一貫した「臨床的なもの」への関心と、非中枢的なカメラ的知覚をめぐる原理的考察とが、われわれは世界をいかにして捉えうるかという「人生」の問いの上で交錯する。長谷氏による『映像という神秘と快楽』は、これら二つの問題系に貫かれながら、まさにこの「人生」の問いを真正面から引き受けようとした試みにほかならないのである。


 述べたように、本書に収められた一群のエッセイは、初出時においては「映像のオントロギー」と題されていた。実際、「人間世界への(あるいは意味的世界への)絶対的無関心」を宿し、「ほとんど私たちを狂気に陥れかねないもの」(5頁)ですらあるカメラ的映像の本性に迫る長谷氏の考察は、確かに「存在論的(オントロジカル)」な地点から出発してはいる。だが氏の関心は、論を重ねるにしたがって、そこからどんどんずれていくかのようなのだ。

だが本当は、そうした[人間世界あるいは意味的世界への絶対的無関心を宿した]映像を見ているときの私たちは、そうした(抑圧したはずの)非人間的世界に知らないうちにどこかで浸されてしまっているのではないか。そして、そのことによって何らかの影響を受けているのではないか。私にはそう思えてならない。そこで、こうした映像の無意識的な作用を、受容者としての自分自身の身体感覚や意識の隅っこから何とか引っ張りだし、文章として顕在化させようと試みたのが、本書ということになる。(5-6頁)

 もしも本当に「映像のオントロギー(存在論)」というのであれば(改題された本書においても、「存在論」という語は頻出している)、カメラの非中枢的=非人間的な視線が捉えた映像のありようを、それ自体において論じれば済む話であり、それを見た人間がどう思おうと、そんなことはどうでもいいことのはずである。しかし長谷氏にとっては、「存在論」という語の多用とは裏腹に、あくまでも人間がそうしたカメラ的映像とどのようにつきあっていくかのほうが重要な問題としてあるようだ。まさしく「臨床的」に、映像の「狂気」に対処してゆく方策が探られているのである。

本書が主題としているのは、人間がテクノロジーによって作りだされたイメージ(カメラ的視覚)を受容したとき、どのように豊かな経験の可能性をもちえたかということ、ほとんどそれのみである。(213頁)

 こうして、われわれがカメラ的な映像に触れることは「野生の視線のための訓練」(60頁)として定義づけられ、ここでも写真や映画を見ることは、いかにして世界を捉えうるかというあの「人生」の問いへと引き寄せられることになる。前節でふれた反復の快楽についても、氏の関心はいつしかそれ自体の「存在論的」考察を離れ、テクノロジーの生み出す「機械的な反復のリズム」と人間の「生命のリズム」とが共振して新たな関係に入るという「臨床的」な位相へとスライドしていく。端的にいって、そこにはわれわれ人間が学ぶべきなにものかが存在するというのである。

こうした映画的反復運動を身体的に触知することは、私たちが「物語」のような人間的な想像世界を理解し、安心することなど越えて、「世界」という現実をなまなましく「存在論」的に体験しなおすためのレッスンとなるはずだ。(8頁)

 しかし、カメラの非中枢的な視線を指して氏が「この世界をすべてありのままに受け入れようとする慈悲深い視線」「聖母のように絶対的な受容の視線」(6頁)と呼び、また「写真文化はどこか狂気の世界であり、宗教の世界にさえ似ていると言えるだろう」(15頁)などと述べたうえで、アンドレ・バザンのあの広く知られた「聖遺物」の比喩(3章)まで持ち出してくるにおよんでは、さすがに新たな問題が浮上してこざるをえない。これは本書の表題に含まれている「神秘」という語の使用にも関連するのだが、そのまったき肯定性をいうためにカメラの非中枢的知覚を問題にしておきながら、バルト(「それはかつてあった」)やバザン(「人間の不在」)に足をすくわれるかたちで、いつの間にか不在や否定を介してイメージを語るという、あのお馴染みの袋小路に陥ってしまっているのではないかと思われるのである(とりわけ写真を論じた部分において)。写真を見た人間が喪失感を感じようが感じまいが、そんなことは氏が本来目論んでいたはずの写真映像の「存在論的」考察からすれば関係なかったはずなのだが、これはカメラ的映像の非人間性を強調しすぎた反動であろうか。
 反動といえば、本書の特に前半において、カメラ的知覚との対比のうえで、人間をいささか否定的に描きすぎているきらいもないではない(「人間などという卑小な存在」[34頁]、「カメラのように情動的に世界を認識する才能もない、人間という貧しい存在」[111頁]など)。これらの反動的な筆のすべりは、世界を偏りなく肯定したいという氏の真摯な願望を裏切って、木洩れ日がつくりだすような斑模様の否定の影を、ところどころに落とす結果を招き寄せてはいないだろうか。もっともこうした氏の「人間観」は、人間の身体がもつ本来的な「弱さ」や「惨めさ」を積極的に肯定しようとした18章の神代辰巳論において、氏ならではの独創的な切り口を生むことにもつながっており、「存在の情けなさ」を肯定しようとする氏の身ぶりに一片のアイロニーすら感じられないことは、強調されてしかるべきであろう。


・同一――長谷正人によるホルクハイマー=アドルノ


 哲学者アドルノとホルクハイマーの名は、本書においてはわずかに26章で登場するにすぎない。しかし、今ごく簡略にメロドラマ的図式を描くとすれば、『啓蒙の弁証法』(徳永恂訳、岩波書店、1990年)を著したこの二人組こそ、長谷氏にとっての生涯の「敵」にほかならないといえるだろう。長谷氏にとっての最重要課題は「古典的ハリウッド映画」を全力で肯定することにあるが(「こうして私は、リュミエール映画にせよハリウッドの古典的映画にせよ、現代ではもはや作ることの困難な、ナイーブな古い映画によって[世界への]信仰の力を与えられるわけだ」[211頁])、まさにこの二人は、ハリウッドに代表される「文化産業」にもっとも仮借ない批判をあびせかけた張本人だからである。それだけに、この「敵」と長谷氏がどう戦い、どう戦いそこねているかは、われわれが注意ぶかく追うに足る重要な問題である。
 だがその前に、氏の仕事に一貫して認められる「隠れた主題」について見ておかなければならないだろう。むろん人は、すべての主題を問題にする義務など負っていないし、積極的に問題化することを故意に遠ざけているような主題がある人に見受けられたとしても、そのこと自体はなんら責められるべき事柄ではない。しかし、そのような主題がある人の著作の随所に顔をのぞかせ、しかも常にあいまいなまま深追いすることが回避されているとすれば、そこに徴候的な意味を読み込んだとしても、思いすごしとばかりはいいきれまい。そして長谷氏の場合、そのような「隠れた主題」として、資本主義の問題を指摘することが確かに可能なのである。本書でいえば、たとえば『モダン・タイムス』におけるチャップリンを論じた22章は、オートメイション化されたコンベア・ラインに組み込まれた工場労働者を問題にしておきながら、議論はいつしか人が単純作業にはまってしまったときの身体的快楽へとずらされていってしまうだろう。
 氏の近年の著作では、ファシズムないし全体主義が問題化される機会が増えている。英文で発表された『ジゴマ』論("Cinemaphobia in Taisho Japan: Zigomar, Delinquent Boys, and Somnambulism," in Iconics vol. 4 [1998], pp. 87-101.)は、「ごっこ遊び」をする子どもの伸びやかな身体に全体主義下における規律訓練化への抵抗を見るものであったし、論文「テクノロジーの経験としての映画」は、テクノロジーの脅威に対する反動的な「鎧」として鍛え上げられるファシズム的身体へのオルタナティヴとして、テクノロジーと戯れてしまうような身体の可能性を提示する試みであった。また、後者とほぼ同時に発表された映画評論家津村秀夫論(「日本映画と全体主義――津村秀夫の映画批評をめぐって」『映像学』63号[1999年]、5-19頁)においては、テクノロジーと同調して――ほとんどディコンストラクティヴに――戯れてしまうマキノ正博的な「不純な主体」の力が積極的に肯定されていた。このように、ある意味ではきわめて「社会学的」な主題が取り上げられているわけだが、しかし氏の場合、全体主義の問題を原理的に考察しようとする意志は皆無といってよく、ここでも全体主義という「狂気」に対し、「臨床的」に対症療法が施されているだけなのである。
 これを氏の仕事に共通して見られる欠陥というべきか、それとも映画を研究する「社会学者」としての氏のつつましい自己限定というべきかは、にわかには判定しがたい問題である。しかしこうした傾きが、氏の仕事――とりわけ本書――を、明快だが他者を欠くモノローグへと近づけてしまっている点は、やはり見逃されてはならないだろう。むろん氏は、映像を自己の鏡像に仕立て上げ、そこに都合のいい意味を読み込んで自足したことなど一度もない。それどころか、前節で検討したように、長谷氏ほどカメラ的映像を非人間的なものとして――自己と完全に異なる強烈な「他なるもの」として――受けとめた者はないのである。だが、氏の仕事に認められるのは、そうした「他なるもの」としての映像と「この私」との一対一の関係ばかりであって、そこには「国家」もなければ「資本」もなく、またときに「私」と利害が衝突したり一致したり、はたまた多くの場合は単に無関心なだけであったりする「彼」や「彼女」も存在しないかのようなのだ。つまり「社会」が欠けているのだといえば、高名な「社会学者」に対する言としてはあまりに礼を失しているだろうか(この意味で、映画に関して単純に「趣味」のいいはずの長谷氏が、私の知る限り、ジャン・ルノワールについて論じようとしないのは徴候的である。いうまでもなく、ルノワールほど複数的な作家はほかにないのだから)。
 このように「社会」を欠落させたまま氏が世界への「肯定」をいうとき、それは単なる「現状肯定」でしかないのではないかと疑われても仕方あるまい。「社会」への原理的考察を抜きに「肯定」をいうことは、現実には最悪の順応主義(コンフォーミズム)を正当化することにしかならないのではないか。
 常に与えられた状況から出発して「対症療法」を講じる長谷氏にとって、「状況」はいつしか――小林秀雄的な――「宿命」へと転じてしまっている(たとえば8章における、ニューギニアで地獄を見た日本兵の挿話に対する氏の分析を見よ)。だが、間違っているのが「状況」そのものだとしたら――?


 本書26章でのホルクハイマー=アドルノ批判には、氏の抱える上記のような問題点がもっとも顕著にあらわれてしまっている。「文化産業」の権化たるハリウッドの「画一的」なジャンル映画を完膚なきまでに批判した『啓蒙の弁証法』に対し再批判を試みる長谷氏の論拠は、人間は結局みな「同じ」だというものである。しょせんは似たりよったりな存在である人間が、「文化産業」が生産する「画一的」な商業映画を「反復」して見るとき、彼らは「人間の『生』の根源にある『同一性』と『反復』を肯定する快楽」(195頁)を感じていたにちがいないというのである。
 いかにも長谷氏らしく、映像と観客との一対一の関係だけに照準しているわけだが、しかし『啓蒙の弁証法』における「文化産業」の章が問題にしていた「同一」とは、資本主義の発展につれて差異が搾取されていった果ての「無差異」ではなかったか。

あらゆる大衆文化は独占態勢の下では同一であり、その結果、つまり独占によって大量生産された概念的骨格が、正体を現し始める。もはや指導者たちは、その正体を隠すことに腐心したりすることはまったくない。容赦なく力をむき出しにすればするほど、その力は強化される。映画やラジオはもはや芸術であると自称する必要はない。それらが金儲け以外の何ものでもないという真理は、逆に金儲け目当てにつくられたガラクタを美化するイデオロギーとして利用される。(『啓蒙の弁証法』、邦訳186頁)

 同書は、周知のように、カリフォルニアの地で苦しい亡命生活を強いられた二人のドイツ人哲学者の手によって、第二次世界大戦中に書き継がれた書物であるが、今ここで取り上げられている「文化産業――大衆欺瞞としての啓蒙」の章において、「反復」という語は――さしあたり哲学史の文脈を除くならば――およそ三つの意味が明確に区別されることなくもちいられているといってよい。その三つとは、第一にベンヤミンとも通底する複製技術の文脈、第二に紋切型とそのプロパガンダ的効果、そして第三に資本主義的再生産である。これらの議論がローズヴェルト時代になされているという事実(同書で「社会福祉的」とされている映画はキャプラの作品かもしれず、はっきりと『或る夜の出来事』を想起させる記述すら含んでいる)、さらに映画産業に限っていうなら、トーキー化による業界の再編=トラスト化が完全に定着した時期になされているという事実は重要であるが、ホルクハイマーとアドルノにとって、最大の攻撃目標が三番目に掲げた資本主義的再生産であることは確かなように思われる。

とにかく現状を続けるということ、つまり体制そのものが甲羅を経てくると、それを支えている人々の生をかんたんに捨てさるのではなく、むしろ再生産するということ、それは体制にとってもまだまだ意味があり、プラスに記帳されることなのだ。存続させ、進行を続けさせること一般が、体制をやみくもに存続させるための、否、その変革不可能性のための正当化になる。健康なのは、繰り返されるもの、自然と産業における循環である。雑誌からは、同じカワイコちゃんが永遠にニッコリ笑い、ジャズマシンは永遠にドンチャカ響く。表現技術や規則や特殊技能がいくら進歩し、企業がいくらジタバタしたとしても、文化産業が人間をまかなうパンは、しょせんステレオタイプの石にすぎない。文化産業は循環で生きている。つまり、何があろうと母親たちはいつまでも子供を生み続け、車輪はいつまでも静止することはない、そういう事実への――もちろんいわれなくはない――驚歎によって生きている。(『啓蒙の弁証法』、邦訳227頁)

 このように見てきたとき、しょせん人間はみな「同じ」なのだとする長谷氏の主張は、はたしてホルクハイマー=アドルノへの反論の言葉たりえているのだろうか。「古典的ハリウッド映画」を真に「肯定」しようとする者にとって、この二人のドイツ人が書き遺した一冊の陰鬱な書物は、いまだに越えなければならないハードルとして、眼前に高くそびえたままなのである。

     *

 長谷氏自身が強調しているように、本書は「個人的」な著作である。それは、述べたように「社会」が欠けているという意味においてそうであるし、より単純に、これらのエッセイを執筆することが氏自身の精神衛生上、きわめて好ましいものだったという意味においてもそうである(本書の後日談とでもいうべき講演の記録「カメラの存在論」[http://www.apn.co.jp/photo/ipmj/special/s74/index.html]を読むと、このことは氏自身がいちばんよく理解しているようだ)。
 本書は、やはり第一義的には、長谷氏という「臨床医」が自分自身を診察して書き留めた「臨床カルテ」なのであり、他人のカルテを後生大事に抱えていても仕方がないように、読者はまちがっても本書を本気で「参照」だの「引用」だのしないほうがいいのかもしれない。にもかかわらず、本書は、映像について思考しようとするすべての者が一読すべき著作でありつづけるだろう。本書を回避することは、結局、今映像について思考することの困難を回避することにほかならないからである。私はその理由を、書評者としての分限をいささか超えているかもしれないこれまでの記述によって、充分あきらかにしたつもりである。
 『映像という神秘と快楽』は、その小ぶりな外観にもかかわらず、映画を研究する「社会学者」としての長谷氏の最初の十年を締めくくる記念すべき著作である。本書を上梓した長谷氏は、上述の講演で、今は夢からさめたような心地がするといっているが、氏は今や、晴れて「退院」を遂げた身なのである。長谷氏の仕事から多大な刺激を受けてきた者のひとりとして、私は氏に本稿を「快気祝い」として捧げ、「社会復帰」後の氏がこれから見せてくれるであろう新たな展開を、息をつめて見守りつづけたいと思う。

【後記】
本稿は、本年1月6日に社会解釈学研究会で行なった発表をもとに加筆したものです。無名の一学生をコメンテイターとして招聘してくださった遠藤知巳・中村秀之の両氏と以文社の勝股光政氏、ならびに当日の参加者の方々、そしてなにより、生意気な若僧からの批判に辛抱強く耳を傾けてくださった長谷正人氏の寛容に深く感謝いたします。


Top Page