キーホール・フィルムへの鍵――UCLAフィルム・アーカイヴ報告(注1)
                                        

              森村麻紀

はじめに
 本稿では、keyholeキーホール(鍵穴)に関係する映画について考察を行いたい。2001年3月末、私は、アメリカのカリフォルニア大学ロスアンジェルス校(UCLA)のフィルム・アーカイヴにて数本の映画作品を見ることができた。私は、現在、窃視に関係する映画について調査しており、調査開始当時から見たいと思っていた映画に、『鍵穴を通して』Par le trou de serrure (1901年、パテ)、『証拠さがし』A Search for the Evidence (1903年、AM&B)があった。 渡米する前に、UCLAフィルム・アーカイヴのインターネット上のデータベースを検索したところ、それらの映画はビデオにおさめられてUCLAフィルム・アーカイヴに保存されていることが分かった。UCLAのデータベースは、キーワード検索が可能であったので、キーホールをキーワードにして検索すると、10件のヒットがあった。そのヒットの中に上記の2作品も含まれていた。10本の作品の中から一般に見ることができる作品は、上記の2作品に加えて『キャバレエの鍵穴』Broadway Thru a Keyhole(1933年、ローウェル・シャーマン監督)、The Keyhole (1933年、マイケル・カーティス監督)、Key-hole Varieties (1954年、ジョージ・ヴァイス プロデューサー)、The Keyhole (年代、製作者共に不詳)であり、それぞれ1900年代、1930年代、1950年代の3つの年代に分かれて存在していた。この検索結果に加えて、映画製作者、映画研究者であるノエル・バーチが、彼の著書、Life to Those Shadows(注2)の中で "through-the-keyhole" genreという言葉を用いていることからも、少なくとも、キーホールをキーワードにした映画が存在することが分かる。本稿では、キーホールを映像中にもつ映画作品、またはキーホールという言葉が映画のタイトルに含まれている作品を、キーホール・フィルムと名づけて考察していく。 
 キーホール・フィルムを考察する目的は、初期映画(注3)の時代から1950年代までのキーホール・フィルムにおけるキーホールの役割を探ることである。映画におけるキーホールの役割が、時代と共に変化していくのか否かの考察は、初期映画における表象の行方の考察でもある。つまり初期映画に見られる特徴は、後の古典的映画からは逸脱していくのか、またはトム・ガニングが言うように、その特徴はアメリカ前衛映画の中に見いだすことができるのか、あるいは古典的映画や現在の映画の中に初期映画の特徴を見つけることができるのかという問いを、1900年代、1930年代、1950年代のキーホール・フィルムの考察を通して探るのが本稿の大きな目的である。3つの年代のキーホール・フィルムから、初期映画の特徴が初期映画時代以降にどのように変化する/しないのかを本稿で考察したい。よってキーホール・フィルムを通して初期映画の特徴を再確認することは不可欠であると考え、本稿では特に1900年代のキーホール・フィルムの考察に重点をおきたい。
 
初期映画におけるジャンルとしての「キーホール・フィルム」 
 初期映画において、キーホールを映像やタイトルに持つキーホール・フィルムが存在する。前出のノエル・バーチの著書Life to Those Shadowsによれば、窃視者を扱った 「鍵穴を通す」ジャンル "through-the-keyhole" genreは1901年から1906年にわたってもっぱら存在し、1903年の『証拠さがし』 A Search for the Evidence(AM&B)の作品をもってピークとされる。バーチの言う 「鍵穴を通す」ジャンルは、鍵穴そのものが出現していなくても、「なにかを覗き見ている人物のショット」と「その見た目のショット」が編集されたシーンをもっている作品群を指す。たとえば、『おばあさんの虫眼鏡』The Grandma's Reading Glass(1900年、G. A. Smith)では、おばあさんと一緒にいる少年が、虫眼鏡でものを見たあと、そのもの(少年の見た目のショット、POVショット)が黒色で丸く縁取りされた画面の中に映しだされるが、この作品もバーチによれば、「鍵穴を通す」ジャンルである。 
 『おばあさんの虫眼鏡』の考察は、数々の初期映画研究書で言及されていることであるが、初期映画の特徴を確認するために、本節でもとりあげておきたい。『おばあさんの虫眼鏡』を考察する目的は、初期映画での丸い縁取りの中に映しだされるクローズアップ・ショットもしくは接写の役割を探ることにある。この丸い縁取りは、初期映画の中ではどのような役割を果たしていたのであろうか。虫眼鏡でものを見ようとする少年のショットのあとに、丸い縁取りの中に少年が見る、インコや猫、おばあさんの目のショットがうつしだされる。当時のワーウィック・トレイディング社のカタログに「[この作品の]構想は、ウィリー[虫眼鏡を覗く少年の名前]が虫眼鏡を通して様々な物を見ると、それらが拡大した形でスクリーンにうつしだされることである 。(注4)」とあるように、初期映画の観客にとって、丸く縁取りされたショットが少年のPOVショットであることは明らかである。
 丸い縁取りの中のクローズアップ・ショットあるいは接写の役割は、少年のPOVとしての役割以外にもまだある。クローズアップ・ショットや接写は、初期映画の観客を驚かせる効果を持っていたことも、このショットの役割のひとつである。初期映画におけるクローズアップ・ショットの役割のひとつを、トム・ガニングの主張に見ることができる。ガニングが、初期映画をアトラクション注意喚起の映画であると述べる際に、『大列車強盗』The Great Train Robbery (1903年、エドウィン・S・ポーター)のあるひとつのショットを例に挙げ、次のように説明している。無法者がカメラにむかって銃を発砲するクローズアップ・ショットは、直線的な物語機能を果たすのではなく、それ自体が独立したアトラクションとしての役割を果たすのである。『大列車強盗』におけるこの無法者のショットは、「エディソン社のカタログによれば、映画の冒頭でも、最後でも、どちらに置くことも可能だった(注5)」とあるように、このクローズアップ・ショットは、直線的な物語に影響を及ぼすようなアクションを起こす機能ではなく、観客を驚かせるアトラクションとしての機能を持っていたのである。このことから、『おばあさんの虫眼鏡』における丸く縁取られた少年のPOVクローズアップ・ショットも、大写しの画面を観客に見せることで、観客を驚かす注意喚起(アトラクション)としての機能も持っていたと考えることは可能である。
 しかし少年のPOVショットは、『大列車強盗』におけるクローズアップ・ショットのように観客を驚かすだけの目的で機能していたのではない。少年のPOVとしてクローズアップ・ショットを使用した点から、『おばあさんの虫眼鏡』におけるクローズアップ・ショットの使用には、『大列車強盗』にはないショットとショットのつながりがある。少年のPOVであるクローズアップ・ショットを丸い縁取りの中におさめたのは、クローズアップ・ショットを効果的に当時の観客に見せるためであった。観客に興味を持たせるようなクローズアップ・ショットを映画の中に挿入するためには、少年の虫眼鏡からのPOVとしてクローズアップ・ショットを丸い縁取りのなかにいれることが必要であった。
 『おばあさんの虫眼鏡』における、丸い縁取りショットは、少年のPOVとしてのショットであり、アトラクションとしてのクローズアップ・ショットである。また少年のPOVとしての丸い縁取りショットは、当時の観客とスクリーンを結びつける役割も果たしている。つまり丸い縁取りショットによって、初期映画の観客は、ウィリー少年のように、虫眼鏡に映ったもの(スクリーンに映ったもの)を見ていることを感じていたのである。物語映画ではない『おばあさんの虫眼鏡』において、初期映画の観客がウィリー少年に同一化すると考えるのは困難である。しかし丸い縁取りショットによって、少なくともウィリー少年が虫眼鏡を覗くことに好奇心を抱いたように、初期映画の観客もスクリーンに映ったもの(虫眼鏡に映ったもの)に好奇心を抱いて、スクリーンを見つめて(覗いて)いたと考えることは可能であろう。つまり丸い縁取りのショットは、観客の見たい、覗きたい欲望をかきたてる役割を持つと言える。丸い縁取りショットを映画に挿入することで、初期映画の観客に「自分たちは映画を見ているのだ。」と実感させると考えることも可能である。1900年代に、このような縁取りされたPOVとしてのクローズアップ・ショットやミディアム・ショットをもつ初期映画は『おばあさんの虫眼鏡』を筆頭に、数多く製作されるようになり、鍵穴の形に縁取られたショットをもつキーホール・フィルムもその流行にのって製作された。 
 『おばあさんの虫眼鏡』の翌年である1901年の作品、『鍵穴を通して』は、キーホール・フィルムのひとつである。この作品は、ある男がホテルの客室を鍵穴から覗くショットのあとに、その男の覗いた光景のショットが編集されている。この作品では、男のPOVは鍵穴の形に縁取られている。たとえば、彼がある鍵穴を覗いたあと、女装した男性がかつらや胸のパットを順番に取り去る光景が鍵穴に縁取られたショットの中に映しだされる。このように鍵穴を覗く男の客観的ショットとその男のPOVショットが交互に編集でつなげられている作品である。客観的ショットが、ロング・ショットであるのに対して、男のPOVショットはミディアム・ショットであり、前者より後者のほうが大写しである。この点から、『おばあさんの虫眼鏡』の丸い縁取りショットと同様に、鍵穴の縁取りのショットも、男のPOVとしての役割のほかに、観客をひきつけて驚かす役割をもち、観客とスクリーンを結びつける役割をもっている。『鍵穴を通して』の結末は、初期映画の特徴を示しているので、ここでその特徴を挙げておく。男が最後のドアを覗こうと腰をかがめると、そのドアが突然開き、客人が怒りながらドアから出て男を追いかけて映画は終了する。この場面はすべて客観的ショットで映されている。この頃の作品の特徴として、覗いていた者が、最後には追いかけられたり叩かれたりして哀れな目にあう結末が見られるように、『鍵穴を通して』もこのような特徴を持っている。この時期の作品には、ギャグやヴォードヴィルの出し物、あるいは、びっくりさせるような娯楽、好奇心を誘う出来事(死刑やその当時の出来事)に限定される傾向があった(注6) 。『鍵穴を通して』における覗いていた者が哀れな目にあう結末は物語というよりは、ガニングが述べているように、ギャグに近いと言える。
 しかし『鍵穴を通して』から2年後の1903年に製作された『証拠さがし』の結末を、まったくのギャグであるとは言えない。この作品は『鍵穴を通して』同様にホテルの部屋を覗く者を映した客観的ショットと、覗く者のPOVショットが交互に編集されている。『証拠さがし』のPOVショットもまた鍵穴の縁取りで映しだされる。この作品は、妻が夫の浮気の現場をおさえようとホテルの部屋を付添いの男ともに覗いてゆくものであり、最後の結末以外は、おおよそ『鍵穴を通して』と似た進み方である。最後の部屋を彼女が覗いたあと、彼女のPOVとして、夫と彼の浮気相手がいちゃついているのが鍵穴の縁取りで映しだされる。妻はその光景を見て憤慨し、付添い男は現場を確認しようと鍵穴を覗き(この時には付添い男のPOVは映しだされない)、その後すぐにドアをノックしドアを開けようとする。次に部屋の中の夫が、妻たちが部屋に入らないようにドアを押さえ、一緒にいる浮気女にカーテンに隠れるように指図する様子が鍵穴の縁取り・ ・ なしで映しだされる。そして今度はカメラが90度向きをかえて、直前のふたつのショットにおける出来事を、部屋のドアを中央にした角度でとらえている。つまりドアの右側には廊下にいる妻とその付添い男、ドアの左側には部屋にいる夫とその浮気相手が位置し、前者はドアを開けて部屋に入ろうとし、後者はドアを閉めて彼らを部屋に入らせまいとしている。このショットでの人物の動作は、そのショットの直前にうつしだされた、妻のいるドアの外側(廊下)のショットと夫のいるドアの内側(部屋)のショットで見られるそれぞれの動作と重複 (オーヴァーラッピング)している。結末は、妻が夫たちのいる部屋の中に無理やり入ることができ、4人そろったホテルの部屋で妻が泣き崩れるというものである。『証拠さがし』における鍵穴に縁取られたショットの役割は、『鍵穴を通して』と同じであるが、『証拠さがし』において、結末がまったくのギャグだけではなく、そしてショットとショットに重複した動作が見られることが『鍵穴を通して』との大きな違いである。 
 前述したようにノエル・バーチは、1903年に「鍵穴を通す」ジャンルがピークをむかえると指摘した。ここで、1901年の『鍵穴を通して』から1903年の『証拠さがし』の約3年間における初期映画の流れを考察していきたい(注7)。1900年から1902年にかけて、アメリカの初期映画観客は、映画のあまりにもありふれた題材に退屈しはじめていた。バイオグラフ社の作品に飽きてきた観客に対して、バイオグラフ社は興行者たちに自社の作品をこれまでより安い値段で提供しなければならなかった。またこの時期、アメリカにおいて映画はすべてのヴォードヴィル演目(注8)のなかでは、チェーサー的役割を担っていた。チェーサーとは、最後の幕演目を意味するが、初期映画の場合は一般的に、ウィスキーの後に飲むビールをチェーサーとして飲む場合と同類であった(注9) 。つまり楽しいヴォードヴィル劇(強いウィスキー)のあとに見る(飲む)のは、あまり楽しくない(軽い)初期映画(チェーサーとしてのビール)であったのである。1901年から1903年初頭にかけて、初期映画産業は低迷期を経験する。その低迷期を打破したのが、複数ショットで構成される物語を持ちはじめた映画である。1903年8月(注10)の『証拠さがし』は、低迷期を打破した作品のひとつである。
 『証拠さがし』の結末は、ヴォードヴィルの喜劇や漫画をベースとしたギャグとは異なる。 ドアをはさんで行われる妻とその付添い男、そして夫とその浮気相手との関係を、ドアを隔てて現すこと(複数のショットを作りだすこと)でギャグではない結末が生じる。またこのドアをはさむショットとその直前のショットに重複した動作がみられるのも『証拠さがし』、そして複数のショットを持ち始める作品に見られる特徴であると言えるであろう。ドア、あるいは窓の内側と外側を扱った映画に『アメリカ消防夫の生活』The Life of an American Fireman (1903年2月、エドウィン・S・ポーター) があるが、この映画に関してマッサーは当時上映されていた『アメリカ消防夫の生活』ヴァージョンを見つけ、それに関して以下のように記している。「『アメリカ消防夫の生活』には、初期映画に特徴的な不連続性が現れている。その不連続性はのちの観客や映画研究者にとってはなじみのあるものではなかったので、現代ふうに再編集された『アメリカ消防夫の生活』ヴァージョンが、オリジナルであり、複数のショットが『論理的』順序で構成されている作品として長い間考えられていた。実際には本来の『アメリカ消防夫の生活』は、アクションの重複や物語を繰り返す形で構成されていた(注11) 」とあるように、本来の初期映画作品では同じアクションが重複するシーンを見ることができる。このような重複は、主に1903年代のアメリカ映画に見られる。この重複について、ソールトは「映画以外のメディアにおける物語が[映画の物語に対して]指導的な役割をなにも示すことができなかったので、ドアを通して、ショットから次のショットへ継続することに困難を感じた映画製作者がいたことは驚くべきことではない」(注12) と述べている。映画以外のメディアには魔法幻燈や漫画などがある。それぞれの絵と絵の間には、直線的な連続性が存在しなくても、観客や読者は何らそれに疑問を感じることはない。また当時の魔法幻燈は、なじみのある歴史的瞬間や物語、宗教的題材を扱っており、それに加えて場面の説明者がいたこともあり観客は物語の筋を理解できないことはなかった。1903年ごろには、映画前史の見世物に慣れ親しんでいた初期映画の観客は、アクションの重複 やジャンプ・カットを、マッチしないショットとショットの関係であるとして大きな問題としたとは考えられない。つまり彼らにとって、不連続性はそうたいした問題ではなかった。『アメリカ消防夫の生活』や『証拠さがし』のように、映画が複数ショットで構成されるようになるにつれ、映画はこれまでのおなじみの題材をあつかった作品とは異なり、これまでの映画に飽きてきていた観客に興味をもたせるようになっていく。列車の内と外のショットを持ち、少なからずも物語性を孕んでいると言われることで有名な『大列車強盗』The Great Train Rubbery (1903年、エドウィン・S・ポーター)が、この作品と同じ年に作られたことからも分かるように、1903年には、ギャグだけはない物語を初期映画が持ち始めるといえるのではないだろうか。バーチが、「鍵穴を通す」ジャンルがピークをむかえると指摘した1903年は、映画が複数ショットで構成され、物語を持ちはじめる画期的な年である。映画が複数のショットを持つということは、映画が複数のPOVを持ちはじめるということである。1903年以前の映画は物語を持たず、縁取りされたショットは、観客にスクリーンに好奇心を抱かせるためのクローズアップ・ショットとしての役割を果たしていた。また1900年代初頭は映画における縁取りされたショットは目新しかったのでそれが様々な作品で形を変えて使用されたが、やはり頻繁に使用されると観客は飽きてしまったのであろう。1903年になるとおなじみのギャグではなく、物語を持った映画が作られるようになり、観客もそれらに関心をうつしていく。『証拠さがし』以降、物語を生じさせるようなアクションをもつには至らなかったキーホール・フィルムは、映画が物語を持ちはじめる1903年で衰退してゆくが、1901年の『鍵穴を通して』、1903年の『証拠さがし』では、キーホールは@POVを表現する。Aクローズアップ・ショットにより、観客を驚かせる効果として縁取りをして用いられ、そして観客に好奇心を抱かせる。Bギャグをつくりだすきっかけを与える。という点において重要な役割を果たしていた。ここで言えることは、初期映画作品において、「穴」をスクリーン上に示すことによって、観客に映画を見ることに没頭させ、またスクリーン上の出来事に興味を持たせたことである。 初期映画において、「穴」は、映画と観客を結びつける存在であったと言える。

1933年のふたつのキーホール・フィルム
 1903年にピークをむかえた「ジャンル」としての「キーホール・フィルム」であったが、「キーホール」というタイトルを持った映画が、30年後の1933年に偶然にもふたつの、The Keyhole (マイケル・カーティス)、『キャバレエの鍵穴』The Broadway Thru a Keyhole(ローウェル・シャーマン)が存在している。前者の作品は残念ながら、最終リールが欠如していたために結末を確認することができなかったが、この作品は鍵穴の形に縁取りされたショットから始まる。それ以外には、鍵穴の縁取りのショットは現れなかった。後者の作品には、映画の始まりと終わりに同様の鍵穴の縁取りショットが見られる。部屋の外側のドアのショットで始まり、次にそのドアの鍵穴のクローズアップ・ショットがあり、鍵穴から部屋の中を覗いたショットが鍵穴の縁取りで映し出され、次に鍵穴の縁取りのされないその部屋の中のショットが続く。そして結末は、ベッドに横たわる主人公のミディアム・ショットが、ズーム・アウトされ、カメラはその部屋を鍵穴からぬけてゆく。その際に部屋の様子が鍵穴の縁取りショットで映しだされる。そして部屋の外側にあるドアの鍵穴のショットで映画は終了する。このような始めと終わりの鍵穴の縁取り以外にも、物語のキー・ポイントとなる新聞記事が、鍵穴の縁取りと共に画面に数回映しだされる。両者の作品には探偵が出現するが、彼らの秘密の世界を覗こうとする意図が鍵穴の縁取りから感じ取ることができる。
 1933年のふたつのキーホール・フィルムにおける鍵穴の縁取りは、これらの映画の登場人物の誰のPOVショットでもない。鍵穴の縁取りは、『鍵穴を通して』、『証拠さがし』に見られるような覗いている登場人物のPOVショットではなく、鍵穴に縁取られた客観的ショットである。そしてこの鍵穴の縁取りショットは、物語に直接作用するアクションをひきおこすというよりは、観客をスクリーンに注目させる役割を持っている。この点から、この作品における鍵穴の縁取りショットは、1903年までの初期映画における鍵穴の形に縁取りされたクローズアップ・ショットの観客に注目させる役割と似ていると言える。1933年のキーホール・フィルムにおける鍵穴の縁取りは、初期映画同様に映画観客を映画に没頭させるための仕掛けであると考えることができる。
 1903年から30年後の1933年におけるふたつのキーホール・フィルムは、初期映画のそれと同様に観客をひきつけて驚かす役割としてのキーホールを持つ。そしてそのキーホールは、タイトルとしても映像としても現れている。タイトルとしてのキーホールの役割と映像としてのキーホールの役割は、映画に対して好奇心を観客に抱かせるという同じものであり、縁取りのショットという、観客に興味を持たせる映像の形式が初期映画のそれと同じであることも指摘するのに値するであろう。 

1950年代のB級キーホール・フィルム
 1933年以降、映画のタイトルにキーホールを持つ映画は、1954年のKey-hole Varietiesと、公開年、監督、プロデューサー共に不詳のThe Keyholeという共にエロティカと呼ばれるB級映画以外には見つけられない。1903年にピークをむかえた初期映画のキーホール・フィルムは、1933年にもう一度、古典的映画となって再生するが、それ以降、キーホールをタイトルに持つ作品はB級映画でしか見ることができない。キーホールを映画のタイトルと映像に示すことで、映画観客のためにスクリーン上に「穴」を用意してやり、映画に没頭させ、映画と観客を結びつけていたのが、1933年であった。古典的映画時代といえども、そこには初期映画の流れを見ることができる。1933年のキーホール・フィルムには、「穴」が必要であり、それは映像で示す「穴」でもあり、そして文字でタイトルに示す「穴」でもある。鍵穴の「穴」は観客のために映像とタイトルの中に用意されていたのである。
 1933年のキーホール・フィルムに対して、The Key-hole Varieties、The Keyhole (注13)の両作品には、映像としてのキーホールは出現しない。両作品とも、タイトルのみにキーホールをもつだけである。The Keyhole Varietiesは、4人の女性のストリップ・ショーで構成されている。4人の女性のうち3人は白人であり、もう1人はキューバ人である。彼女たちの舞台での個別のストリップ・ショーがそれぞれのタイトルごとに順番にうつしだされる。台詞はなく、音楽だけが流れておりそれにあわせてショーが行われる。たとえば "Valda Exotic Version"のタイトルの後に、ヴァルダValdaと言う名であろう白人女性が服を次々に脱ぎながら踊っており、その右背後には3人で構成される音楽バンドが映っているシーンがある。そのシーンを含む "Valda Exotic Version"では、カメラは一箇所に固定されたままでほとんど動かない。また映画内でバンドマンたちが演奏している動作と実際に映画のサウンドとして流れているジャズの音楽が一致しているようには感じられない。ヴァルダがトップレスになるまでの数分間このような状態の映像で構成されている。この作品のカメラワークや音楽などから、私はこの作品がただ女性のストリップ・ショーを見せることだけに固執しているように感じた。この作品は監督名も分からず不明な点が多く、推測に頼っての考察になるが、1950年代のハリウッド映画にもヘイズ・コードと呼ばれる映画製作倫理規定が存在していたことから判断して、この作品は特定の観客に対してのみ公開されていたのであろう。ある特定の観客は、まさにこのキーホールというタイトルがエロティカ・ジャンルであることを示しているとし、そのタイトルに惹かれてこの映画を鑑賞したのであろう。そしてこの映画の製作者側は、もちろんこのタイトルが暗に意味していることを理解し、それがある特定の客を呼ぶのに効果的であることを理解していたであろう。この作品においても、初期映画や1933年のキーホール・フィルム同様に、キーホールは観客に好奇心を抱かせる仕掛けである。

キーホール・フィルムの行方
 1933年以降、キーホールをタイトルに持つ映画は、衰退するかB級映画にその流れを持つようになると述べたが、1933年以降の古典的映画には、タイトルにこそキーホールは持たないが、窃視者をテーマにした映画は、アルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』Rear Window (1954年) を代表的な例として、現在に至っても窃視者を扱ったテーマの映画は多数存在する。「穴」から覗く作品に限ってここで思いつきで例を挙げてみても、『サイコ』Psycho (1960年、アルフレッド・ヒッチコック)、『ワンダーウォール』Wonderwall(1968年、ジョー・マソット)、『ブルー・ベルベット』Blue Velvet (1986年、デイヴィッド・リンチ)などをあげることができる。このような覗く者と覗かれる者を結びつける「穴」は、監視カメラを取り扱った映画において「監視カメラ」や「衛星」に変化する。たとえば『トルーマン・ショー』The Truman Show (1998年、ピーター・ワイアー)では、主人公であるトルーマンを覗く(監視する)のは監視カメラであり、監視カメラがとらえたトルーマンの映像には、ぼんやりと黒い縁取りがほどこされている。この縁取りによって、そのショットが監視カメラから撮られたのだと分かる。「穴」や「監視カメラ」を示す縁取りによって、観客の「映画を見たい欲望」がかきたてられ、そして観客は自らが映画を見ていることを再確認する。細かく分類すれば、初期映画のキーホール・フィルムにおける鍵穴の縁取りショットと、『サイコ』『ワンダーウォール』『ブルー・ベルベット』の作品における穴からのショットは、登場人物のPOVである。そして1933年のふたつのキーホール・フィルムの鍵穴縁取りショットと、監視カメラを取り扱った映画における縁取りのついたショットは、登場人物のPOVではなく、カメラの遍在性を表している。そして「穴」や「監視カメラ」をもつ本稿で記したすべての映画に共通しているのは、それらの映画の映像やタイトルにおける「穴」や「監視カメラ」が観客に興味をもたせる役割、つまり観客とスクリーンを結びつける役割を持っていることである。

おわりに
 1900年代、1930年代、1950年代のキーホール・フィルムについて考察してきたが、初期映画の中で誕生した映画と観客を結びつけるキーホールは、1930年代の古典的映画の時代になってもその役割を果たしており、B級映画においては1950年代においてもその役割を果たしていることが分かる。その後もキーホールは穴や監視カメラに姿を変えて、映画の中でキーホールと同様の役割を果たしている。このように初期映画の流れは消滅してしまったのではなくどこかに見つけることができる。観客をスクリーンに引き寄せる仕掛けは、初期映画から同様の役割を担い続けていると考えるより、むしろ映画自身が観客の興味をひきつけるものであり、そしてその好奇心を満足させるものであるという映画の本質的な性質のためにそのような仕掛けが100年にわたって存在しているのだと考えることができる。観客の覗きたい欲望をかきたて、そして満たしてくれるのは映画だけではなく映画前史の見世物もそうである。映画前史の見世物や初期映画は、観客の「覗きたい」欲望をかきたて、その欲望を満たすことによって、彼らに見世物や映画を見る快楽を与える。初期映画のキーホールの特徴が、現在でも形をかえて映画の中に存在するのは、その特徴が観客の欲望を満たしてくれるからである。このことからも初期映画が古典的映画に向けて進化していったと考えるのは誤りである。もちろん技術的進歩はしたであろうが、それに伴って芸術的に進歩したと考えるのは誤りである。映画前史の見世物や初期映画の特徴は、他の古典的映画やこれからの映画にも見られるのではないかと考え、これからもそのことを踏まえて、窃視文化と映画の関係について考察していきたい。

1.本稿は、2001年度末に京都大学大学院、人間・環境学研究科に提出予定の修士論文の一部であるが、提出予定の修士論文の原稿の脚注を、本稿では大幅に割愛したことを断っておきたい。また京都大学大学院での映像表象文化論(2001年5月27日)における筆者の「UCLAフィルム・アーカイヴ報告」の発表の際に、加藤幹郎助教授をはじめとする方々に貴重な意見や指導を賜り、本稿執筆の原動力となっている。記して意見や指導を賜った方々に感謝申し上げたい。


2.Noël Burch, Life to Those Shadows (Berkeley: U of California P, 1990).


3.エディソンのキネトスコープの商品化、リュミエール兄弟によるシネマトグラフ発明の1894~95年の映画誕生から現在でも用いられるような映画(古典的映画)の文法が定着するまでの1910年半ばまでにつくられた映画。


4.Barry Salt, Film Style and Technology: History and Analysis. 2nd ed. (London: Starword, 1992), p. 49.  [ ] は引用者によるものである(以下同様)。


5.ジョルジュ・サドゥール著『世界映画史4――映画の先駆者たち――パテの時代1903−1909』村山匡一郎、出口丈人、小松弘訳(国書刊行会、1995年)、273頁。


6.Tom Gunning, "The Cinema of Attractions: Early Film, Its Spectator and the Avant-Garde," in Thomas Elsaesser ed., Early Cinema: Space - Frame - Narrative (London: BFI Publishing, 1992), p. 58. 


7.註1に記したように、2001年5月の映像表象文化論にて筆者が「UCLAフィルム・アーカイヴ調査報告」を行った際に、このバーチの指摘を引用した。その際に、加藤幹郎助教授に「なぜ1903年にピークをむかえるのか」を考察するようにご指導を賜った。このご指摘により、本節で1901年から1903年までの短い期間を考察するに至ったことを記して感謝しておきたい。


8.この当時の映画は、ヴォードヴィル劇場やミュージックホールで、劇やショーなどと一緒に上映されていた。


9.Charles Musser, History of the American Cinema Vol. 1: The Emergence of Cinema: The American Screen to 1907 (Berkley: U of California P, 1990), p. 298.


10.Burch, p. 301. (この著作のフィルモグラフィーには、それぞれの映画が著作権を得た年月が記されている。)


11.Musser, p. 327.

12.Salt, p. 58.


13.The Keyholeはビデオテープで鑑賞したが、女性たちの性行為で主に構成されている作品であった。 


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