映画音響論の可能性
リック・アルトマンを中心に

今井隆介/碓井みちこ/大沢浄/森村麻紀

0 はじめに

 ここでは1980年代以降の映画学、わけても音響研究(もちろんこれに尽きるわけではないが)を主導してきたリック・アルトマンの代表的編著『音響理論/音響実践』[1]から5篇の論文と、音楽研究雑誌に掲載されたアルトマンのサイレント映画における音の問題を扱った論文を検討する。リック・アルトマンは、70年代的な映画技術のイデオロギー的読解を周到に回避しながら[2]、映画史の新たな掘り起こしや他メディアとの相互干渉を考察することにより、既存の映画研究を漸進的に修正していく。そこで目指されているのは、映画がさまざまなレヴェルにおいて胚胎している異質性(heterogeneity)の解明である。ともすると「多様性」の単調な顕揚や些細な事柄にこだわる修正主義に陥る危険を孕みながらも、アルトマンが主導する映画音響研究は確かな成果をもたらしてきた(それは『音響理論/音響実践』巻末に付けられた新しい術語の定義集を一瞥するだけで明らかだ)。少なくとも映画研究を志す者にとっては、彼らによる議論の蓄積を通過することなしに先に進むことはできないであろう。

(大沢浄)


1 リック・アルトマン「序論――イベントとしての映画」

Rick Altman, "General Introduction: Cinema as Event," in Sound Theory/ Sound Practice, pp. 1-14.

 導入部「序論――イベントとしての映画」においてアルトマンは、映画には多様な側面があるにもかかわらず、その多面性がいまだ映画学の射程に入れられていないことを指摘する。続けて映画の音響研究は、映画の多面性を浮かび上がらせる手段のひとつであると主張し、その立証のために映画と音響の関係を複数取り上げ、映画学の新たな方法論を提示しながら映画とは何かを問い直してゆく。
 著者は、自身が編纂した12年前(1980年)の映画音響論文集『映画/音響』[3]ではいまだ映画の多面性の解明が不十分であり、1992年現在ではそれらの論文に限界があること(たとえばサイレント映画の音響や非物語、非長編、非西洋映画に注目してないことに加え、音響をその言語や音楽が理想的に伝達する情報としてのみ扱っていることなど)を述べる。そしてその根本的な理由は、『映画/音響』が映画を自己充足したテクストとして扱う(1980年当時の映画学に共有されていた)テクスト優位時代の特徴を帯びているからだと指摘する。テクスト優位の映画学とは、映画のテクストを中心にして、映画に関連する事柄(たとえば製作、受容、文化)が個別に軌道にのった惑星のように回転し、各々の映画が自己充足したテクスト一点集中構造になっていることを導き出すことを主軸とする研究傾向のことである。しかしその方法では、映画の多様な側面が見えてこないため、著者は映画をイベントとして見なすことを提案する。
 イベントとしての映画は新しいタイプの幾何学に従っており、著者はその幾何学世界を無重力状態の宇宙と想定している。そこでは数々の映画のイベントは、無重力空間にあるドーナツ形をした宇宙船のように四方八方に浮かんでおり、その宇宙船(=イベントとしての映画)には上、下、内、外などのはっきりした区別がない。そしてその無重力空間では映画テクストに中心的役割はもはや与えられず、代わりにテクストはいわば砂時計のガラス器の中央にあるくびれた小孔の位置を占める。砂時計のガラス器の上下いずれかの器は映画の製作過程を、そして他方の器は映画の受容過程をあらわし、砂時計の周囲全体には文化が存在する。映画製作の過程が種々のアイディア、脚本、セット、書き直し等の工程を伴って最終的にひとつの製品になるように、砂時計の器(=映画製作の過程)は徐々に、小孔(=テクスト)の大きさにまでその幅を狭める。そして小孔通過後にたどり着く受容過程の器は、再びその幅を広げ、最終的には砂時計の周りにある文化と区別がつかない地点まで広がってゆく。イベントとしての映画が位置する無重力空間では、この砂時計システムは上下逆にも作用し、製作がテクストを通過して受容へと流れるように、受容が製作に影響を与えることも可能である。
 著者はテクストとしての映画と、イベントとしての映画をいずれも宇宙になぞらえて図式化しているが、前者が製作、受容、文化等がテクストを中心にしてそれぞれ独立して存在するとみなしているのに対して、後者は製作―テクスト―受容(あるいは受容―テクスト―製作)がそれぞれ砂時計の両端の器を行き来する砂のように相互交換し、かつ製作―テクスト―受容と文化も相互に融合するもの(文化―製作―テクスト―受容―文化―製作―テクスト―受容・・・、あるいは文化―受容―テクスト―製作―文化―受容―テクスト―製作・・・がメビウスの輪のように連なり、それぞれが単純に区別できないほどに融合しあう)とみなしている。著者は、このように映画をイベントとしてみることにより映画の多面性が明らかにされると主張する。この提案は何も新しいことではなく、方法論の枠組みの重層化を図る1980年代以降の思想の流れを汲んだ提案であり、また近年の映画学はテクスト中心ではない方法論によって映画の多面性を示してもいる[4]。それでも21世紀を迎えた現在において、本書がなおも検討に値すると言えるのは、音響を切り口に映画を考察することによって映画の多層構造を明らかにし、そのことによってわれわれが、映画学がまだ十分に解明していなかった/していない領域やその方法論について考える機会を得るからだ。逆に言えば、映画の多面性が音響研究のみを切り口にして導き出されること自体が、映画の多面性を証明しており、音響研究がいかなる映画の側面を露呈するのか、あるいは露呈しないのかを確認することによって映画学の可能性について考察できるだろう。
 著者は音響研究が明らかにする映画の多面性を示す具体例として、映画の音響が映画以外のメディアの影響を受ける例として、19世紀のコンサートホールがサイレント映画の伴奏音楽や効果音を奏でるモデルを提供していたことや、1920年代はラジオが映画音響のモデルであったこと、そしてミュージカル映画が、ブロードウェイのオリジナル・キャストが歌うLP盤レコードと競合しながら製作されていたことなどを挙げ、映画音響が映画の外でそのモデルを探していることを指摘する[5]。また音響に焦点をあてることによってみえてくる映画の多様な言説性=散漫性(discursivity)の例として、著者は1930年代のアメリカやヨーロッパの映画が、当時新たに広まったラジオで話される流暢なアクセントと、不良言葉や下層階級の話し言葉とを融合していたことを挙げる。つまり不特定多数の観客を映画館に呼び寄せるために、不特定のアクセントや言葉使いを採用する映画産業の戦略が音響研究から明らかにされている。そして映画とは何かを理解することは、上述の例にも見られるような映画産業の戦略や観客が映画館へ足を運ぶ(あるいは映画館を去る)動機を知るのと同様に、映画によって生じる活動を知ることにも左右される。たとえば映画のテーマ曲の流行の理由を探るにはテクスト分析だけでは不十分であり、少なくとも(1)ハリウッド・スタジオによる音楽会社の買収(2)ラジオの番組編成と流行歌の関係(3)1920年代の観客が映画で流れる曲の楽譜(シート・ミュージック)を、そして1950年代の観客が映画で流れた曲のレコードを購入して、各々が特定の映画体験を永続させること、の三つの領域を考察する必要があると説く。これは製作、テクスト、受容、文化が互いに双方向に関連するイベントとしての映画の幾何学を浮かび上がらせる一例である。さらに著者は、映画音楽が家庭の居間やショッピング・センターにあふれ、政治関係のライターが映画の脚本から書き方を学び、そしてテレビや映画が、政治家のスピーチやインタビューの抜粋(サウンドバイト)を模倣しながら会話の編集を行う事例を挙げて、音響が映画と文化全体との相互交換に重要な役割を果たすことを主張し、イベントとしての映画(=映画の多面性)が音響研究によって明らかになることを繰り返し主張して本導入部を締めくくる。

(森村麻紀)

2 リック・アルトマン「録音の物質的異質性」

Rick Altman, "The Material Heterogeneity of Recorded Sound," in Sound Theory/ Sound Practice, pp. 15-31.

 導入部に続く章において、著者は映画の多面性のひとつである音響の物質的異質性をとりあげる。音響の物質的異質性とは、同源の音であっても、聞く空間や時間、録音状況などによって聞こえ方が異なる音の性質であり、音の受容が単一ではないことを示す。録音工程は、実際の音を一つの聞こえ方に固定し(たとえば初期のトーキー映画では登場人物の言葉が明瞭に聞き取れることが非常に重要であり、実際の会話での言葉の聞き取り難さは無視されていた)、録音された音は音の一つの側面だけを提示する。しかし録音を聞く状況によって音の聞こえ方は異なり、著者は音の生成、受容の複雑さを指摘し、音を聞く時空間、録音工程、生の音と録音の相違に注意を払う必要性を説く。音の物質的異質性を示しながら著者は、音響研究によって映画を見る=聞く体験がいかに多様になりうるかを再度主張する。しかしながら本章では物質的異質性の音/録音の受容がどのように映画製作に関わり、また文化一般に関わるかというイベントとしての映画の幾何学の具体例が挙げられていないため、導入部に比べるとイベントとしての映画の幾何学が不鮮明である印象を受ける。その理由は、著者が本章の終わりに、音響研究はまだ端緒についたばかりであると述べるように、音響研究の実践が、映画の多面性、つまり映画とは何かを明らかにする研究の途上にあるからだろう。しかし、われわれにとって本書の導入部と本章が、映画の多面性がいかなるものかを理解し、従来の映画学の前提条件を問い直し、音響研究を含めた未来の映画学の可能性を探り、映画とは何かを考える契機となることは間違いない。

(森村麻紀)

3 リック・アルトマン「序――映画に関する四つと半分の誤謬」

Rick Altman, "Introduction: Four and a Half Film Fallacies," in Sound Theory/ Sound Practice, pp. 35-45.

 映画における音響の役割を再検討することは、必然的にこれまでの映画理論の諸前提を問い直すことになる。しかるに著者は四種類(と半分)の論理的誤謬を指摘してみせる。まず音響は映画史において後知恵的に付け加えられた副次的要素にすぎないとする歴史的誤謬。ついで映像なき音響は映画と認められないが、音響なき映像は映画たりうる、と要素間に序列関係を措定してしまう存在論的誤謬。そして映像が記録の前後でその性質を変える(三次元から二次元へ)のに対し、音響はその性質を変えないと思いこんでしまう複製的誤謬と、その逆に、空間や技術の条件によって原理上無数に存在する「音」を単一の分析対象として扱うことはできないと退けてしまう唯名論的誤謬である。最後に著者は、映画理論をコンピュータ時代にふさわしく修正すべく、映画の(パース言うところの)指標(インデックス)性、すなわち映画を現実の痕跡を引きずった記号として把握する傾向に疑問を投げかける。アニメーションや色彩技術がそうであるように、指標的な映像(のみ)の時代は終わりつつある。この点において音響は、すでに電子音楽機器やディジタル処理の発展により非指標的性格が支配的になっているのであり、音響の考察は新しい時代の映画理論を牽引する役割を担うであろうと結ばれる。個々の指摘はそれだけで十分に示唆的だが、同時に、著者の柔軟で厳密な思考が、単なる論理的整合性ではなく、理論が本来持つ自由さと豊穣さに向けられていることを見落としてはならないだろう。

(大沢浄)

4 リック・アルトマン「音の空間」

Rick Altman, "Sound Space," in Sound Theory/ Sound Practice, pp.46-64.

 では、そうした誤謬に陥ることなしに、音響の再考察を梃子とした映画研究はいかに「映画」に迫りうるのか。著者による具体的な分析を見てみよう。著者が問題にするのは、他でもない、ハリウッドのサウンド化過程において何が起ったかということである。
 本章全体は三部に分かれている。映像と音響の間にいかなる関係を打ちたてるか、同時代の音響技術者たちを中心にして議論された理想、そして、にもかかわらず実際の映画テクストで実践された現実、そしてこの対比から浮かび上がる新しい表象システムの生起の考察である。
 著者によれば、1927年以降、映画が音響を組みこんでいく過程は三段階に整理することができる。まず映画館における音響同期の試行の段階(1927−1931年)。そして映画製作時に(マイクの選択や配置、編集時の音量調節などにより)同期音響を生み出し、映画館のスピーカーはスクリーン後方の位置に固定されていく段階(1929−現在)。最後にマルチ・チャンネル技術の発達とそれに伴う立体音響の可能性が模索されていく段階(1930−現在)。互いに重なり合うこの三つの時期区分を見るだけでも、著者がいかにサウンド映画[6]初期における映画音響の変化を決定的なものとみなしているかがわかるだろう。とりわけ重要なのは二番目の段階である。最初の段階において興行者や音響技術者たちの間で問題になっていたのは、「映画館におけるスピーカーの配置」、つまり上映時に音楽スピーカーと人声スピーカーとをどのような空間的配置で切り替えるべきかということだった。これに対し二番目の段階では、「画面内における音の空間的位置」、すなわち製作段階でどのような性質の音響を作り出し、それを映像とどのように組み合わせて作品を完成させるべきかということが問題になる。この移行は、言説のレヴェルにおいては「演劇的、サイレント映画的モデル」から「自然モデル」への転換として現れる。「自然モデル」とは、現実の人間身体の「自然な」目と耳の連関に基盤を置き、映画も観客に対して「自然な」比率の映像/音響を提供しなくてはならないとする言説である。例えば1930年にRCAの音響技術者ジョン・L・キャスが主張したのは次のようなことだった。今日ハリウッドのスタジオでは、会話を聞き取りやすくするために複数のマイクを使用し、その中から最適なテイクを選択することが多くなっている。しかし、これらのテイクを寄せ集めた音の総体は、言ってみれば五つか六つのとても長い耳をもった人間によって聞き取られた音のようなものだ。一方、映像はと言うと、あるショットから別のショットへと編集され、これまた観客にある空間から別の空間への(想像的)移動を強いている。これら映像と音響の組み合わせは、目の前の現実(の錯覚)を維持するために目と耳の間に一定の関係を保とうとする人間の習性に反している……。換言するとキャスは、当時の映像と音響の実践が、怪物的な知覚能力を持った(ありもしない)観客主体を構築してしまっていると批判したのである。このような言説は、明らかに観客の年齢層や文化的背景の違い、学習能力等を無視しているが、当時の音響技術者たちにとっては支配的なものだった。そして彼らの中でとりわけ大きな影響力を持ち、また開拓者的な役割を果たしたのが、エレクトリック・リサーチ・プロダクツ・インコーポレイティド(ERPI)[7]の技術主任J・P・マックスフィールドであった。マックスフィールドは、キャスの提起した問題を解決するためには、キャメラの視野ラインの近くに一本だけマイクを置いて録音すればよいと結論づけ、キャメラ距離とマイク距離との「適切な」比率を関数グラフとして発表した。音の量や反響特性(音の遠近感に関わる値)は、ロング、ミディアム、クロースアップと目まぐるしく変化する映像のスケールに対応して、個別のショット毎に注意深く選択されなければならないというわけである。以上が、当時の音響技術者たちによって育まれた「夢」である。
 しかし1920年代後半から第二次大戦期までのハリウッド映画において現実に実践された映画音響の規範は、こうした「夢」とは全く異なるものであった。例えば初期トーキー映画の成功作として名高いルーベン・マムーリアンの『喝采』(1929)においてすら、(冒頭の舞台場面などにおいて)映像がさまざまなスケールのショットによって編集されているのに対し、音響の音量や反響特性は一定であり、マックスフィールドが描いたような映像と音響の理想的な比率はいささかも目指されていない。それどころか、この時期は製作段階において複数キャメラによる撮影と一本のマイクによる録音という組み合わせを採用し、切れ目のないサウンドトラックを基準として、そこに複数の映像を重ね合わせていくという映像/音響編集に進みつつあった[8]。1930年代に現実に進行したこのような撮影録音の実践は、スタジオに経済的利点を担保するとともに、映画音響の性質そのものを(すでに構成された音の単なる記録からサウンド・トラックの「構築」へと)根本的に変更したのである。
 このような理想と現実の併存を、抽象的な理念(「自然モデル」の言説)が具体的な技術実践に取って代わられていく過渡的な現象と理解するだけでは不十分だろう。「現実的なもの(現実界)は決して表象しえず、表象のみが表象されうる」とする著者にとって、技術史とは、常にある表象システムから別の表象システムへの転換の歴史だからである。ここにおいて、一見、人間身体の生理を根拠としているかに見えた「自然モデル」の音響言説も、実際には当時のラジオの(音の遠近に関わる)技術から多くを密輸入していたことが指摘される。それだけではない。サイレント映画からはスピーカー配置を、公共空間(教会、宮殿、コンサート・ホール等)からは反響音の持続をというように、(あらゆる新規メディアがそうであるように)初期サウンド映画は既存の複数の音響表象システムからその要素を借用していたのである。したがって真に問題となるのは理想と現実のギャップではなく、新しい映画音響システムの存在理由たるその「新しさ」とは何か、ということである。
 新しい音響システムにおいては、上述したように、反響が小さく音量が一定で切れ目のないサウンド・トラックが音響の基軸となる。たいしたことが何も起こらないというまさにその音の性質こそが、映像との役割分担において重要なのだと著者は指摘する。観客はそうした音響を自身の「快適な家」と仮想するからこそ、安心して「視点」の分裂した映像連鎖を消費することができる。さらに反響の小さい音とは経験上「私に向かって」話される音のことであり、映像においては通常キャメラ目線――観客の覗き見への自己言及――が禁じられているのに対して、音響は観客の立ち聞きを正当化しているとする。このように映像と音響は、非対称的な役割分担によって観客の映画への没入を促進しているのである。無論、必要な時には、音響は前面に出て観客の耳目を集めることになる。その一つが「聴取点音(point-of-audition sound)」である。「聴取点音」とは、物語世界内のある地点(たいていは人物)から聞かれた音のことであり、われわれ観客を音の発生地点ではなくそれを聞く地点に誘う音のことである。例えばハワード・ホークスの『コンドル』(1939)でノア・ビアリー演ずる飛行士が死地に赴く場面において、飛行機をとらえたショットが次々と変わるにもかかわらず、エンジン音を示す音響は一定であるが、唯一ケーリー・グラントとジーン・アーサーが飛行機を見送るショットの時にだけエンジン音が小さくなる。すなわち観客は去っていく飛行機の音を(われわれに代わって)聞いているであろうケーリー・グラントとジーン・アーサーに同一化するよう求められている。このように聴取点音は、去って行く者と見送る者という二つの空間を観客が物語的に統御=同一化するという(映像だけでは不可能な)ことを可能にする。こうした映像と音響の役割分担、そして音響における基本的音響と例外的音響という使い分けが可能にするものは、観客の(ハリウッド的)物語世界への効率的な同一化なのである。「古典ハリウッド映画の透明な話法」と「トーキー映画のメディア化」という、よく知られた二つの仮説に先取られているであろうこの結論は、いささかも目新しいものではない。むしろ本章で重要なのは、サウンド映画を音響面から具体的にとらえ直すことにより、その「透明性」システムの複雑な作動ぶりを説得力豊かに提示しえていることにある。見ること/聞くことの分裂において新たな(観客)主体が誕生したと著者が述べるとき、われわれは映画史を再考し、テクストを再検討したその分析過程を忘れてはならないし、その地点において各自の考察を出発させなくてはならないだろう。

(大沢浄)

5 スコット・カーティス「初期ワーナー・カトゥーンの音響」

Scott Curtis, "The Sound of Early Warner Bros. Cartoons," in Sound Theory/ Sound Practice, pp. 191-203.

 カーティスの論文「初期ワーナー・カトゥーンの音響」は、映画研究において周縁的に位置づけられてきた音響に対し、さらに周縁的とされてきたカトゥーン・アニメーション(以下カトゥーン)からアプローチすることによって、長編実写物語映画の偏重と映画における音響についての仮定を再考にふすという二重に野心的な試みとなっている。著者によれば、映画の音響に対する既存の語彙や術語は三つの共通図式、すなわち映像と音響の階層的関係、サウンドトラックを会話/音楽/効果音に分けること、そして物語世界内(diegetic)/物語世界外の区別のうえに成立しているが、それらの図式はカトゥーンにはふさわしくないという。そこで著者はこれらに代わる切り口として、経済性とテクノロジーそして芸術の相関関係を精査することを提起し、その実例として1930年代におけるワーナー・ブラザーズのカトゥーンを一次資料も駆使して分析を進める。
 著者が最初に再考にふすのは、ワーナーのカトゥーン・シリーズが映像優先のLooney Tunesと音楽優先のMerrie Melodiesに大別されるという通説である。周知の通り、ワーナーは他に先駆けて映画のトーキー化に邁進し、その成功によって一躍大手の仲間入りを果たした映画会社であるが、1929年頃から将来を見据えてレコード会社を次々と買収する一方、1930年には映画的振り付け師バスビー・バークレーを招聘して舞台の丸撮りではない映画的なミュージカル映画の量産体制に入っている。ワーナーがカトゥーン部門を設立したのも同時期であり、1930年から公開された作品群はそれ自体、同社が使用権を有する楽曲の二次利用に他ならなかったのである。著者によると、製作の実際において映像と音楽に優先順位があるわけではなく、音楽が動画に翻訳されることもあれば、その逆のケースも同程度にあった。それゆえ映画における音響は映像に動機づけられており、それゆえ映像を補足するものであるという従来の仮定は通用せず、映像と音響の主従関係は常に楽曲をより効率的に再利用する計算式によって決定されていたのである。
 著者はまた当時の録音のあり方から出発して、技術的制約がカトゥーンの視聴覚的スタイルを決定する契機となっており、サウンドトラックを会話/音楽/効果音に区別する困難を主張する。ワーナーが当初用いていたヴァイタフォン方式は音質的損失なしに複数の音響をミキシングすることができず、著者によれば、会話や効果音が入る箇所に間をあけたり、効果音を楽曲の一部として盛り込む作曲法がとられた。こうした創意工夫が練り上げた慣習は、1933年以降、ヴァイタフォン方式が光学式サウンドトラックに取って代わられたのちも受け継がれ、「映像と音楽の結婚」において音楽が映像に先行する場合、ミュージカル映画と同様に音楽のテンポや旋律は物語上の要請を越えて映像に翻訳された。その顕著な例が反復のモチーフである。音楽と同調した映像の反復は動画枚数を減らす工夫でもあるが、時空間を自在に伸張させる演出は旋律を反復する音楽のあり方そのものの視覚化に等しく、このとき映像と音響の階層的関係はもちろん、物語世界内/物語世界外の区別もまた不適合なものとなる。
 そこで著者はカトゥーンにおける音響と映像の関係について、新たに音響の同型的(isomorphic)/類似的(iconic)使用の区別を提唱する。同型的とはまばたきとその軽快な効果音のように、音響と映像の間に同じリズムに基づいた不可分かつ同質的な関係が認められるものであり、類似的とはパース記号論からの援用で、ぶつかった瞬間にシンバルが鳴るときのように音響と映像との関係が類推によって成立しているものである。著者によると、両術語の利点は音響の多様性を互いに包括的な概念下において記述できるところにあり、カトゥーンに限らず映画一般に応用可能であるという。著者は具体的に試行していないが、この提案にしたがえば、たとえば実写映画において撮影時に同時録音されるのは普通会話音声だけであり、映像と同調した音響の多くがポストプロダクションの段階で経験的な類推から付加された効果音であることについて、新たな見地に立つことができるに違いない。
 以上のように、本論文はコンパクトながらも社内メモのような一次資料から視聴覚テクストまで調査対象を幅広くとり、先行研究の批判から作品が生成される過程の実際的な分析、新たな術語の提起にいたる理論的な論考がバランスよく配置された一読に値する論文である。映画研究のオルタナティブとしてカトゥーンを取り上げる研究者は少なくないが、本論文が優れているのは、経済的・技術的制約が視聴覚的スタイルを規定するという通念をカトゥーンにおいて再確認するだけにとどまらず、初期ワーナー・カトゥーンが映像と音響の連携を模索する実験場としてトーキー移行期にはとくに重要な位置を占めていたことを実証している点である。著者の野心的な企ては、過渡期的な装置として短命に終わった(1926年から1933年頃まで)ヴァイタフォンに着目した時点で半ば達せられたといっても過言ではないだろう。

(今井隆介)

6 リック・アルトマン「サイレント映画のサイレンス」

Rick Altman, "The Silence of the Silents," The Musical Quarterly, vol.80, no.4 (Winter 1996), pp.648-718.

 サイレント映画の上映・興行形態を研究する人々によって、その音響に対する説明はこれまで次のような形でなされてきた。すなわち、「サイレント映画がサイレンス(無音)であったことは決してなかった」、つまり、大衆演劇など映画に先行するジャンルのピアノ演奏やオーケストラ演奏などが参照され、それらが上映中の伴奏音楽という形で早くから取り入れられていたというのである。
 しかしながら、1996年に発表されたアルトマンの論文では、この上映中の伴奏音楽の存在を自明のものとしてきた(1930年代以降の)これまでの証言者や研究者の先入観が問題とされる。アルトマンにとっては、ある映画に対して、その内容やショットの変化・持続にあわせて伴奏音楽が付けられることそれ自体が、まさに映画が映画として他の先行ジャンルとは異なったものとして社会的な合意が成り立つ重要な要素の一つである。逆にいうならば、サイレント映画の上演・興行が大衆演劇など先行ジャンルの上演形態と強く結びつき、映画としてのアイデンティティがまだ固まっていない時期は、その音響も参照されたジャンルのそれに強く依存しており、映画上映のためだけの特別な音楽、つまり、映画の初めから終わりまで常に流れ続けかつ物語上重要な効果音としても機能するような伴奏音楽は、まだそれほど強く求められていなかったのではないのか。そこでアルトマンは、当時の定期刊行物、とりわけ1910−11年を境目として、それ以前の時期に注目し、そこで言及されている「音楽」の内実を再検討するとともに、これまでの証言者や研究者のさまざまな先入観に対するアンチテーゼとしての「サイレント映画におけるサイレンス」の可能性についても考察するのである。主なポイントは次のとおりである。

1、 1910年代以前の「音楽」という言葉は、しばしば、上映された映画に対する伴奏ではない音楽、すなわち、劇場への客寄せのための街頭音楽、上映の合間に行われるピアノ演奏やイラストレイティド・ソング[9](illustrated song)などを含む。
2、 音楽伴奏が珍しい出来事であるからニュースとして価値があるのであり、そのような視点から資料を読み直す必要がある。1907年ごろから、上映中の音楽伴奏を勧める記事が出始めるが、このような記事からはまだ上映中の音楽伴奏が標準的ではなかった可能性が読み取れる。さらに、テーマに合わない伴奏を聴くくらいならば映像のみの上映を好む観客の存在を紹介する1909年の記事も、当時「音楽付き」と「映像のみ」の二つの選択肢があったことを示唆しているように思われる。
3、 キュー・ミュージック、陰台詞など、上映中の断続的な音響は初期映画期から存在した。それゆえ1910−11年の時期以前に使用された音楽も、同様の断続的な演奏が許容されていたのではないか。上映中に友人と雑談するピアノ演奏者のイラスト入りの記事などは、当時の観客が(雑談に対してはともかく)上映中に音楽が途切れることそれ自体を特に疑問視してはいなかったのではないかということを伝えている。

 以上のようなアルトマンの見解は、膨大な刊行資料の引用とともに、実に手際よく紹介されている。資料の解釈に若干違和感を覚えるところもあるものの(特に、上映中に友人と雑談するピアノ演奏者のイラストに対する解釈など)、音楽伴奏のニュースとしての価値を踏まえて、その背後に潜む時代の様相を、その都度再解釈しながら自らの論証に織り込むその方法は、現在の実証的な映画研究の中でも極めて水準の高いものであるといえよう。また掲載誌が音楽研究誌であることもあって、とりわけ先行研究批判の章は、映画研究者以外の読者がこの分野の先行研究を理解する手引きとしても充分利用できるものである。

(碓井みちこ)

[1] Rick Altman, ed., Sound Theory/ Sound Practice (Routledge, 1992).

[2] 映画研究史における音響研究の位置に関しては、さしあたって斉藤綾子氏による概観「視覚と聴覚」(岩本憲児・武田潔・斉藤綾子編『新映画理論集成2 知覚/表象/読解』フィルムアート社、1999年、304−311頁)を参照されたい。

[3] Rick Altman, ed., Cinema/Sound (New Heaven: Yale University Press, 1980) .

[4] たとえばアメリカの初期映画を考察したCharles Musser, History of American Cinema: The Emergence of Cinema: The American Screen to 1907 (Berkeley: University of California Press, 1990) では、映画と隣接する他のメディアと映画生成の関係や興行と映画の関係を通じて文化と融合する映画の多面性を明らかにしている。またBarry Salt, Film Style and Technology: History and Analysis, 2nd ed. (London: Starword, 1992)では、映画の映像におけるスタイル考察に重点を置いてはいるが、初期映画のスタイルが当時の映画興行と相互に関連して生成される可能性を示している。

[5] 著者は本導入部以外でも、映画音響と映画以外のメディアの密接な関係を数々の例を挙げながら指摘する。たとえば1911年の映画産業は、上流階級の観客を映画に呼び込むために有名なオペラを撮影し、その映画を小さなオーケストラやピアノの伴奏つきで上映していたことや、1900年代後半から1910年代における蔭台詞から発想を得て、1922年には無線電話(radiophone)を用いた放送局で俳優が、映画上映にあわせて台詞を数々の劇場へ向けて放送したというラジオによる映像と音響の同期の試みなどを挙げている。

[6] 音が映像と同期させられている映画のことであり、日本で言うところの「サウンド版」と「トーキー(発声映画)」を両方含む概念。

[7] ウエスタン・エレクトリック社の西海岸における販売組織。

[8] この組み合わせは、1930年代初頭の小型軽量の可動式マイク・ブームの導入によって、ますます申し分のないものになっていく。新しいマイク・ブームは、(複数の)キャメラのフレーミングを邪魔することなく話者に十分接近することができるため、それまでの複数キャメラ撮影における経済的問題を解決しやすくする。また、マイクが話者から常に一定の距離を保つことにより、異なる音同士における音量や反響特性、周波特性の調整といったそれまでの厄介な問題を全て無効にする、一続きの均質な音を獲得することができる。

[9] 初期映画期の映画館においてプログラムの冒頭や、次のプログラムへの合間の時間に行われた、映像(主に手彩色されたスライド)の投影を伴った音楽ショウ。多くはピアノ伴奏やレコード会社から派遣された歌手を伴い、観客は映像に歌の情景を想像しながら当時の流行歌を斉唱して楽しんだ。