報告
「吉田喜重 われわれを見返す映画」
イタリアにおける吉田喜重作品連続上映会

石田美紀

 2005年5月10日夜、北イタリアの大学町ボローニャのチネテカ・ディ・ボローニャは熱気に包まれていた。吉田喜重監督の最新作『鏡の女たち』(2002)の上映に人々がつめかけたのである。原爆を生き抜いた女の記憶を辿るこの作品は二時間を超える長尺の映画である。しかし満席の会場で席を見つけられなかった立ち見の観客も、最後まで瞳を凝らし、耳をそばだてて、スクリーンと対峙していた。画面全体がホワイト・アウトしてゆくラスト・ショットののちに明りが灯ったときには、心地良い緊張感が客席を満たしていた。そのときスタッフの一員として会場にいた筆者は、ボローニャの観客が『鏡の女たち』をきわめて好意的に受けとめたことを確信し、またこの記念すべき瞬間に立ち会えた喜びを噛みしめた。
 
4月26日のローマ日本文化会館における『秋津温泉』(1962)上映を皮切りに、6月21日までミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、トリノにて開催された吉田喜重監督作品連続上映会は、イタリアが吉田作品を知る貴重な機会となった。もちろん、それまで吉田作品はイタリアにおいてまったく知られていないわけではなかった。ペーザロ映画祭は1973年に『戒厳令』(1973)を、1984年には『秋津温泉』を上映している。また1990年にはトリノにおいて『ろくでなし』(1960)、『秋津温泉』、『日本脱出』(1964)、『エロス+虐殺』(1970)が上映されている。とはいえ今回の上映が1960年に監督第一作を発表して以来、一貫して映画とは何でありうるかと問うてきた吉田喜重の全容をイタリアに紹介する最初の機会となったことは間違いない。
 
「吉田喜重 われわれを見返す映画」がかつての吉田作品上映会とは異なる点は上映作品の選定にあった。『秋津温泉』、『嵐を呼ぶ十八人』(1963)、『日本脱出』、『水で書かれた物語』(1965)、『情炎』(1967)、『エロス+虐殺』、『戒厳令』、『人間の約束』(1986)、『鏡の女たち』が選ばれたが、そのいずれもが吉田の経歴にとってだけではなく、日本映画史にとってもメルクマールとなる作品群である。とりわけ『嵐を呼ぶ十八人』と『情炎』は昨年の特集上映「吉田喜重 変貌の倫理」開催まで日本においても長らく見ることが叶わなかった隠れた傑作であったことを考えれば、今回のイタリア人観客は幸運だったというほかない。
 
つぎに特筆すべき点は吉田監督と女優岡田茉莉子が観客と交流する機会が積極的に設けられていたことである。両氏は文字どおりイタリアを縦断し直接観客に語りかけた。とりわけボローニャにおける両氏のプレゼンスと発言は歴史的ともいえる意義をもった。世界最古の大学として知られるボローニャ大学は、1970年にイタリアで初めて芸術・音楽・演劇・映画学科(通称DAMS(Dicipline delle Arti, della Musica e dello Spettacolo))を設立した進取の気風を誇る大学でもある。それ以降、DAMSからは映画研究はもちろんのこと映画製作においても人材が多数輩出し、イタリア映画文化の一翼を担っている。たとえば『聖アントニオと盗人たち』(2000)などが日本で支持されている映画監督カルロ・マッツァクラーティも、同学科で学んだひとりである。ボローニャでの上映会場となったチネテカ・ディ・ボローニャはDAMSの学舎に隣接することもあり、観客の多くは映画を志す若い学生であった。10日夜、監督と岡田氏は『鏡の女たち』に込めた想いを若者たちに語った。監督は原爆への取り組みとは森羅万象が表象可能であると思い上がる現在の映画への挑戦であると語り、さらに1990年から1995年まで演出したプッチーニ作オペラ『マダム・バタフライ』にも触れて、原爆というカタストロフは、男性によって引き起こされた点で、また女性と子どもが犠牲となった点で、西洋人男性と日本人女性の破滅的な遭遇を描くこのイタリア・オペラ作品と通底していることを指摘した。いっぽう岡田氏は女優という職能をつねに自分の演技を客観的に把握することが求められる存在であると定義したうえで、原爆ドームを前にしての撮影中にいつのまにか自分を見失うという空前絶後の瞬間を経験したことを語り、そのとき原爆の犠牲者たちが氏の肉体を借りたのではないかと振り返った。観客は両氏の肉声を一言たりとも聞き逃すまいという姿勢でのぞみ、上映会終了後には多くの観客が両氏を取り囲み、思い思いに両氏に話しかけた。筆者は映画作品受容の理想形であるこうした交流が目前で展開されることに感慨をいっそう強くした。
 
そして『鏡の女たち』の興奮さめやらぬ翌11日に、引き続きチネテカ・ディ・ボローニャにて岡田氏出演の小津安二郎監督『秋日和』(1960)の上映と両氏のトークショーがDAMSのジャコモ・マンゾリ教授を司会に迎えて行われたことも忘れてはならない。もちろんイタリアにおいても小津安二郎は広く知られ、日本映画の代名詞として流通している。しかしながら小津研究のめぼしい成果といえば、日本大学に留学していた映画学者ダリオ・トマージによるモノグラフ『小津安二郎』(1992)と『小津安二郎−−東京旅行』(1997)があるのみで、小津研究はその端緒についたばかりといったところである。小津についていまだに「禅的」や「神秘的」などという手垢にまみれた形容辞が軽々しく弄され、その作品は無邪気な好奇心と表面的な賞讃の対象となっているというのが実情である。それゆえ本トークショーにおいて小津の最良の批判者であり理解者である吉田監督が鮮やかに抽出してみせた「反復とずれ」という小津のシステムと、親子二代にわたって小津作品に出演した岡田氏が証言した厳格な小津の演出とそれに抗おうとする俳優の水面下の駆け引きは、イタリアにおける今後の小津研究のはずみとなるはずである。2005年5月、イタリアにおける小津研究は新たな段階へと進んだわけである。
 
最後に、筆者がボローニャでの上映会で実感したことを述べて、この短い報告の結びとしたい。筆者はつねづね日本文化への関心がイタリアにおいて高まり日本文化輸入が積極的に行われていることに喜びを感じつつも、いっぽうで「遠くにある謎の国」というステレオタイプがあいかわらず量産され続けていることに居心地の悪さも感じていた。しかし『鏡の女たち』の上映終了後、ボローニャ市内のとあるレストランにて次のような会話を耳にしたとき、イタリアから日本へとそそがれる視線に新たな次元が切り開かれてゆく希望を得た思いがした。ある老婦人が孫と思われる少年に語っていた。「昨晩見た日本映画はすばらしかった。ただすばらしかっただけではなくて、戦争のことを思い出して本当に身が引きちぎられるような気持ちになったのよ」。本上映会の成功を機に、あらたな果実がイタリアで、そして日本で実ることはそう遠い先のことではないだろう。

付記
 
吉田喜重監督作品連続上映会「吉田喜重 われわれを見返す映画」は、吉田喜重監督、岡田茉莉子氏からの全面協力をいただくことにより実現しました。一か月にわたるイタリア滞在を快諾してくださり、精力的に観客と交流してくださった両氏にこの場を借りて心より厚く御礼申し上げます。また類い稀なる行動力と決断力で日伊交流史に残る上映会を実現してくださった東京大学フィレンツェ教育研究センター助手土肥秀行氏、すばらしいイタリア語字幕をつけてくださった字幕翻訳チームNeo(n)eigaの皆様、そしてボローニャでもっともふさわしい上映会場を提供してくださったチネテカ・ディ・ボローニャ館長アンドレア・モリーニ氏、小津について刺激的なトークを展開してくださったボローニャ大学DAMSジャコモ・マンゾリ教授、文化イヴェント「ニッポニカ2005」にて本上映会を支援してくださったassociazione Culturale Symballeinの代表マッテオ・カザーリ氏はじめ、御協力くださったすべての皆様に御礼申しあげます。