ハワード・ヒューズ 非順応主義的冒険家
マーティン・スコセッシ『アビエイター』(2004)

加藤幹郎

 『アフター・アワーズ』や『グッドフェローズ』で、その才能をいかんなく発揮したマーティン・スコセッシの新作映画『アビエイター』が公開されている。これはアメリカン・ドリームの神話的英雄ハワード・ヒューズの物語である。ヒューズは石油産業の大立物の父親から一八歳で莫大な遺産を相続し、それを元手に航空機産業と映画産業に独自の足跡をのこした男である。石油産業、航空機産業、映画産業。この三つの巨大産業は二〇世紀の花形産業であり、アメリカを代表する産業である。その三大産業に一人で挑戦したハワード・ヒューズ(レオナルド・ディカプリオ)は、この映画では徹底した非順応主義者として描かれている。彼がひとりで大空を舞い、ひとりで試写室に閉じこもるのは、政治的後盾(うしろだて)なしには航空事業をおこせない競合会社にたいする嫌悪感と、偽善的な道徳観念に媚(こび)を売る映画産業にたいする侮蔑(ぶべつ)からきている。この映画のヒューズは党派性を蛇蠍(だかつ)のように嫌っている。
 ライト兄弟が世界初の動力飛行に成功するのが一九〇三年であり、エジソンが世界初の実用型映画の開発に成功するのは、その一〇年前のことである。アメリカは世界に先駆けて映画産業を軌道に乗せ、その後、航空機産業も先端化し、両産業において現在トップを独走する国である。『つばさ』という誤解の余地のない題名をもつ航空映画が第一回アカデミー賞作品賞を受賞するのは一九二九年のことであり、ハワード・ヒューズが『地獄の天使』という虚空の恐怖を描く傑作航空映画の製作と演出に着手し、みずから飛行機の操縦桿を握るのも一九二七年以降のことである(完璧主義者ヒューズがこの映画を完成させるのは二年以上先のことになる)。ヒューズが自分の航空会社をおこすのは一九三二年であり、世界一周飛行時間最短記録を打ち立てるのが一九三八年のことである。そしてハリウッド大手映画会社のひとつRKOを買収するのが一九四八年である。 映画『アビエイター』は大富豪ヒューズが『地獄の天使』の自主製作を開始する一九二七年からはじまり、RKO買収前年までの(二〇代前半から四〇代前半までの)二〇年間の伝記映画の体裁をとっている。これはヒューズの非順応主義が強迫神経症からはっきりと偏執狂(パラノイア)傾向を見せはじめるまでの時期である。彼は晩年の二〇年間を隠者のような生活を送っているが、『アビエイター』が描く二〇年間はヒューズが文字通り航空冒険家として華を咲かせた時期である。 アメリカの一般書店で最大の売り場面積を占(し)めているのは伝記コーナーである。この映画の監督スコセッシがシチリアからの新移民を祖父母にもっていたのと同じように、新大陸の新参国民たるアメリカ人は、もともと旧大陸の伝統文化から距離をおいて生活することを選んだ者たちである。旧大陸では不可能だった社会的上昇を夢見てアメリカに渡ってきた新移民たちは、アメリカン・ドリームのお手本として伝記、偉人伝の類を大量に消費する。
 金持ちであること、ただそれだけで英雄視されるアメリカでは、ハワード・ヒューズは、その富豪ぶり、独立起業家ぶり、冒険家ぶり、非順応主義者ぶりにおいて偉人伝中の偉人である。アメリカという自由の国で金と才能に恵まれながら一八歳で両親を亡くした孤独な男がどのような人生を送ったのか、それは世界全体がグローバリゼーションの名のもとにアメリカ化しつつある今日、すべての人間にとって興味のつきない問題となるだろう。

(本稿は2005年3月31日付け『朝日新聞』紙上に掲載されたものを改訂したものである。)