提言
映画保存法の制定を望む

西川進太郎

■映画は文化の源泉
 映画は書物同様、文化の源泉であり、未来に継承すべき国家的財産である。アメリカはこの基本方針に基づき一九九二年「自国映画保存法」を制定。ワシントンDCの議会図書館を中心に国家的規模で本格的な映画保存にのりだした。一九〇〇年代の映画搖籃期に、すでに多くの映画が著作権保護の目的で議会図書館に納付され、エジソンらの製作した何百本というフィルムがいまでも保存されている。九〇年後の今日、それら初期映画は今世紀初頭のアメリカを記録する歴史的資料となり、また映画の発展のプロセスをたどる貴重な研究資料となっている。議会図書館映画放送記録音声部門では、これら第一級の史料にいつでも簡単にアクセスすることができる。

 ひるがえって我が国の国会図書館の活動状況はどうであろうか。戦後「国会図書館法」によって「法定納本制度」が始動し、基本的に日本で出版されたあらゆる書籍が半自動的に国会図書館に納付収蔵されるようになった。しかし本来この法律は書籍ばかりでなく、映画を含むすべての録音録画物に適用されるはずであった。それがなぜかしら今日にいたるまで適正に運用されていない。日本はアメリカ、インドとともにトップ・スリーにはいる世界的映画生産国である。にもかかわらず、映画を文化的・経済的利用のために(衛星放送やインターネット上での二次利用という目先の利益にとらわれず)、国会図書館で網羅的に保存し、組織的に上映しようという努力がはらわれていない。

 国会図書館に収蔵された膨大な量の書物が未来の日本の文化的・経済的創造力の源泉であることは疑いをいれない。それゆえ本来そこに含まれるはずであった映画(動画音声記録物)がその収蔵品目から抜け落ちたまま長らく放置されているという事態はゆゆしき問題である。これ以上手遅れにならないうちに、しかるべき「映画保存法」を制定し、すべての映画製作者が自作フィルムを国会図書館(あるいは東京国立近代美術館フィルムセンター)に納付し、そのすべての複製ポジを京都文化博物館映像資料室等が分散保管するような、未来のマルチメディア世代に日本の映像遺産を確実に譲り渡すシステムを構築しなければらない。

■驚くべき自壊作用
 実際のところ今年に生誕百十年をむかえた映画の歴史において、すでに保存運動は遅きに失した感をまぬがれない。映画はのちに重要な文化的、芸術的、経済的意味をもつようになったが、もとはごく短期間の公開を意図した脆弱な物質にすぎない。すでにサイレント時代のアメリカ映画の七五パーセントはこの世に存在しないし、日本映画の場合、この残存率はさらに悲惨なものとなる。映画は、その歴史的意味を理解しない世代によって粗末に扱われたために驚くほど短命であったが、映画を残そうとする努力はさらに「ヴィネガー・シンドローム」と呼ばれる現象によって脅威にさらされる。フィルムは密閉環境下で自壊作用をおこすからである。原則として空調設備の整った低温少湿の倉庫に保存しないかぎり、アセテート・フィルムは自己触媒による化学反応をおこし、酢酸(お酢)を発生させる。発生した「お酢」はフィルムの自己劣化に拍車をかけ、近くにある別のフィルムまで汚染する。フィルム缶の蓋をあけて、お酢独特の酸っぱい匂いが鼻をつくのはけっして例外的な事態ではないのである。

 これを防ぐためにも、すべての映画製作者がポジかネガ・フィルムをすみやかに国会図書館なり東京国立近代美術館フィルムセンターに寄託し、万全の保存体制に委ねるという文化法制度が必要であろう。