bplist00�_WebMainResource� ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/hirai-article-2011-sample.htmlPO�G CineMagaziNet! no.16 加藤幹郎

スピルバーグのジェットコースター映画
『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』



加藤 幹郎

 スティーヴン・スピルバーグはアメリカ映画史上、特異な映画作家である。彼はハリウッド映画産業が衰退したのちの、1970年代後半、アメリカの映画産業が今日のコンピュータ産業同様、世界市場を席巻していた1920年-30年代の黄金期を復興させたかに見える「ブロックバスター映画」(高い製作費と宣伝費によって観客動員数を高めて膨大な収益をはかろうとする大衆娯楽映画)をハリウッド映画産業の新たな根幹とした最初の映画監督のひとりである。[1]しかもスピルバーグはアメリカン・ドリームを達成したたんなる裕福な娯楽映画作家にとどまらない。スピルバーグは、世界映画史上、重要な役割をはたしてきた古典的ハリウッド映画史(1917年頃から50年代末まで)にたいして、それなりに自覚的であるがゆえに、彼の各作品は、それなりに斬新な側面をもちうるのである。
 2011年末に一般公開されるスピルバーグの新作ブロックバスター映画タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』も、上述の観点から論じるに価するエポックメイキングな作品にしあがっている。[2]
この映画の第一の特徴は、観客をオープニングからエンディングまでの1時間43分ほどのあいだ、ジェットコースター(ローラー・コースター)に乗せっぱなしの映画であるという点にある。試写室で一回見ただけなので、正確なカウントはまだできていないのだが、映画『タンタンの冒険』のワン・ショットの平均持続時間はおそらく四秒ほどである。ということは本作はおよそ1600ショットの編集でなりたっていることになるようなので、このショットのあまりの短さと多さが観客に眩暈をあたえかねないほどの激烈な運動性を達成することになる(むろん実写映画ではショットの切り替えは基本的にキャメラのセットアップの変化をともなうことになるため、ショット数の多さは撮影日数の長さとほぼ比例することになるが、CGI[コンピュータ作成映像]映画では、いわゆるヴァーチュアル・キャメラの使用によって、ショット数に比例して製作時間が増大するということはない。それゆえCGI期に入って以来、ハリウッド映画はショット数が増大する傾向にある.)。じっさい本作は、おどろくべきことに10代なかばから20代なかばまでの若い(強靱な体力の持ち主の)観客にとってすら、疲労困憊しかねないほどの驚異的ジェットコースター映画になっている。それはたとえばCG(コンピュータ・グラフィックス)で作成された船上の主人公タンタンをとらえた短い遠景ショットが、次のショットでは猛スピードで走る車上のタンタンをとらえる短い中景ショットへと切り替わるという、空間的接合性よりも、編集の速度と主人公の運動の速度を正確に呼応させる手法によって可能になる。
 映画史初期(1897年-1910年頃)、映画という当時のニュー・ミディアムは列車という運動媒体を主たる被写体とすることで絶大な人気を博し、それはさらにファントム・ライドと呼ばれる一種のジャンル映画にまで拡大し、主に走行列車の前面から撮影された移動風景をスクリーンに提示し、固定席にすわっている映画の観客に、あたかも列車の乗客になっているかのような錯覚(運動感覚)をあたえた。そうした列車映画の流行は、遊園地などに設置されるヘイルズ・ツアーズと呼ばれる列車車輛を模した映画上映施設の流行にまで展開してゆく。[3] たとえばヘイルズ・ツアーズでも上映され、またアメリカ映画史上、最初の西部劇とみなされている映画の題名が『大列車強盗』(エドウィン・S・ポーター、1903年)であるというのも、のちにアメリカの主流ジャンル映画として1950年代末まで量産されつづけることになる西部劇映画が、当時はまだ列車映画と密接に結びつけられねば成立しえなかったということがわかる(むろんアメリカの西部開拓時代はまたアメリカ大陸横断鉄道時代でもあったわけではあるが)。列車(蒸気機関車)が当時、最大速度で運動する豪快な被写体であり、なおかつ乗客が車窓から愉しむものが当時、新奇であった動体風景であるということは、車窓同様のフレームたるスクリーン上に動画像を見る映画という表象媒体が列車と連携したのは当然のことであったことになる。アメリカでは映画は長年「モーション・ピクチュア」と呼ばれ、日本でも1920年代頃までもっぱら「活動写真」と呼ばれていたように、映画は観客にモーション(運動/活動)を実感させる視聴覚媒体として世界に浸透していったのである。
 それゆえスピルバーグの『タンタンの冒険』は、極度に短いショットの速射砲的編集と各ショットにおける高度の(ただし重力感を欠いた)運動表象によって、映画史初期のファントム・ライドの延長線上に、比喩的な意味で新たにジェットコースター映画として成立することになる(かつて文字通りのジェットコースター映画も撮影されたことはあったが、本作はむろんそれとは視覚的密度において別格である)。それは、たとえば『倫敦から来た男』(タル・ベーラ、2007年)の、もっぱら主人公の後ろ姿をとらえながら、ステディキャム(手ぶれを生じさせない手持ちキャメラ装置)による非常になめらかな移動撮影によって広い空間を緩やかに提示してゆくロング・テイク(無編集の長いショット=シークェンス)の多用によって、観客をあたかも主人公と同じ空間にたたずんでいるかのような錯覚におちいらせる映画とは正反対のものである。
 むろん『タンタンの冒険』にも一回だけ、三分ほどの、100パーセント、CGI(コンピュータ・アニメーション)で構成されたロング・テイクがある。そのショット=シークェンスでは、ヴァーチュアル・キャメラは本物のキャメラでは操作不可能な文字通り(映像通り)縦横無尽な運動を展開し、驚異的なスピードで多様な空間を落下や跳躍で一気に突きぬける主人公タンタンをはじめ、彼の周囲の膨大な数量の仮想被写体もまた破天荒な流動性を提示し、その結果、キャメラも被写体もともに爆発的モーションをスクリーン上に表象することになり、このロング・テイクもまた本作のジェットコースター性を端的に具現化することになる。
 しかも1980年代以降、世界主要都市を中心に、ほぼ正方形の巨大スクリーン(たとえば縦、約30メートル、横、約35メートル)の映画館、アイマックス・シアターが増設されたが(2000年代に入ると閉館するところも増えたが)、もし世界のどこかでこの旧来の巨大アイマックス・シアターで『タンタンの冒険』3D版を見ることができるのなら、観客の視野は完璧にスクリーン内におさまるので、本作のジェットコースター性は世界映画史上、最頂点をきわめることになるだろう。
 『タンタンの冒険』の第二の特徴は、第一の特徴から必然的、かつスピルバーグ監督独自の理念から抽出される。すなわち本作は古典的ハリウッド映画の特質たるモーション(運動)とエモーション(情動)の一体化をほぼ完全に破棄するのである。[4] 実写映画であれアニメーション映画であれ、観客は物語世界内の主人公の身体運動に呼応する精神運動に同化し、主人公の内面世界へ視聴覚的になだれこむことで映画を愉しむのが古典的ハリウッド映画の特質であった。その古典的パターンをスピルバーグの『タンタンの冒険』は廃棄する。しかし、これは本作が長時間、猛スピードで急降下しつつ螺旋回転しつづける超モーション・ピクチュア(ジェットコースター映画)として観客に提示されるという理由からだけではない。
 従来、「モーション・キャプチャー」と呼ばれていたの技術(現実の俳優の身体運動を正確にコンピュータ・アニメーション化する技術)が、現在、顔の表情の変化をはじめとした人間身体の微妙な運動をより精緻にコンピュータ・アニメーション化する技術へと進展したために、それは新たに「パフォーマンス・キャプチャー」と呼ばれるようになっているが、その洗練された最新技術を本作は駆使しながらも、本作の原作が小説でも戯曲でもなく漫画であるがゆえに、おどろくべきことに、主人公タンタン(俳優ジェイミー・ベル)の顔は、瞳以外は、完璧にコンピュータ・アニメーション化され、まるで観客はエルジェの原作漫画のタンタンの顔を見ているかのように、主人公は静態的漫画的表情を維持しつづけるのである。これは実にエポックメイキングな事態である。CGIはこれまで基本的にアニメーション映画のリアリズム化(擬似実写化)をはかるために使用されてきた(たとえばメリアン・C・クーパーとアーネスト・B・シュードサックの傑作映画『キング・コング』[1933年]と、そのCGI版 [『タンタンの冒険』のプロデューサーをつとめるピーター・ジャクソン演出による2005年のリメイク映画]とを比較すると、巨猿の現実感に大きな変化が見られることがわかる。ただし1933年版のほうが圧倒的にすぐれた映画であることに変わりはないが)。しかるにスピルバーグは本作で、タンタンを演ずる俳優の顔のクロースアップ・ショットを古典的様式にしたがって何度も使用しながら、タンタンの顔の表情がリアリスティックに見えることを回避するのである。それはリアリスティックな運動表象媒体たらんとしてきたCGI映画において、観客に、あえて静止画たる原作漫画のタンタンの魅惑的な顔を彷彿させんがための演出である。そしてそれゆえに観客は主人公タンタンにいっさい感情移入することはない。[5]
 エルジェの漫画(バンド・デシネ)『タンタンの冒険旅行』は、その卓越した画力ゆえに大変魅力的ではある(筆者の同僚、大木充教授は1970年代から20年近く、ほとんど毎日のように少しずつ全巻をくりかえし読んでいたし、筆者の友人、国際日本文化研究センター教授の細川周平氏も夏場はよくタンタンのTシャツを着ている)が、スピルバーグ演出の映画版同様、読者は別にエルジェの漫画の主人公タンタンに感情移入することはない。一般に、欧米の漫画作家たちは人間の心身的実存描写に力を傾注することはないからである。いっぽう高山寺(文字通り、盆地宇宙たる京都市のほぼ北西端の山のうえにある寺院)にのこされていた『鳥獣人物戯画』(12-13世紀の作品と言われている)や、西洋画とも日本画とも異質な日本独自の大衆画(多色刷り木版画)たる浮世絵(たとえば歌川広重の『東海道五三次』)や『北斎漫画』(19世紀)の伝統のうえに、20世紀後半の手塚治虫(『鉄腕アトム』)や石森章太郎(『サイボーグ009』)やちばてつや(『のたり松太郎』)や21世紀初頭の荒木飛呂彦(『ジョジョの奇妙な冒険』)にいたる日本漫画は、アメリカン・コミックやベルギー、フランスのバンド・デシネ、その他、欧米先進諸国の漫画にくらべると格段にレヴェルが高い。それゆえまた日本のアニメーション映画も瀬尾光世や宮崎駿や新海誠に代表されるように、世界映画史上、突出している。[6]
 しかしスピルバーグの『タンタンの冒険』(2011年)がエポックメイキングたりうるのは、人間(タンタン)の心情(エモーション)の表象に力点をおかないエルジェの原作漫画(バンド・デシネ)の核心を忠実になぞりながら、そのいっぽうで漫画(静止画像ではあるものの齣割り配列によって運動の錯覚を読者にあたえうる視覚表象媒体)のささやかな運動(モーション)性を、世界映画史上、もっとも強調拡大するという点にある。つまり古典的ハリウッドのジャンル映画史の伝統上に、それなりの創意工夫を重ねながら、これまで種々の映画を演出してきたスピルバーグは、本作において古典的ハリウッド映画の伝統の埒外に積極的にのりだすのである。21世紀のハリウッド映画において、エモーションをほぼ全面廃棄するいっぽうで、モーションを最大限拡張する、それがスピルバーグの『タンタンの冒険』の革新性である。
 そもそも漫画を読むということは、完全に読者の自由時間である。漫画の一齣にどれだけ視線をそそぎつづけるのか、いつ次の頁をめくるのか、そうしたことは完全に読者の手にゆだねられている。したがって同じ一冊の漫画でも、それを享受する時間はひとによってまったく異なる。しかるにスピルバーグは漫画媒体のそうした長短自由な緩やかな運動性を、威圧的ともいえるほどの圧倒的運動性能のジェットコースター映画へと改変するのである。
 むろん本作の基本編集方針はあくまでも古典的ハリウッド映画の約束事にしたがっている。たとえば主人公タンタンがドアを開けて、家の外や内に出入りするとき、かならずショットが切り替わるとか(もちろん主人公がドアの開閉とともに別空間に移動するときに、ヴァーチュアル・カメラも主人公といっしょにドアを通過するというポスト古典的手法も例外的に一度だけ使用されるが、それはヒッチコックの偉大なハリウッド映画作品『サイコ』[1960年]以来、フランスのヌーヴェル・ヴァーグへと継承され、さらに1980年代以降、ステディキャムの導入によって世界的に浸透していった、それなりに長い歴史をもつ撮影手法である以上、なんら問題はない)、あるいは会話シーンでは、ふたりの人物(タンタンと友人のアドック元船長)のそれぞれの顔の肩越しの反復的切り返しショットおよびマスター・ショット(会話するふたりの人物を同一画面におさめたショット)編集がおこなわれるなど、スピルバーグは古典的ハリウッド映画の伝統様式も遵守する。しかし前述のように、各ショットが高い運動表象性を保ちつつ、同時に各ショットの平均持続時間が古典的ハリウッド映画(とりわけトーキー映画が定着した1930年代以降)よりも格段に短いので、ショットの切り替えが本作のジェットコースター性を高めるためには、古典的ハリウッド映画には必須であったイスタブリッシング・ショット(新しいシークェンスがはじまるとき、主要登場人物がいまどのあたりにいるのかを示すための遠景ショット)を本作はほぼ完全に廃棄せざるをえないことになる。
 また前述したように、スピルバーグはハリウッド映画のブロックバスター期の確立者のひとりであり、同世代の映画作家ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』(一九七七年)をブロックバスター映画として成功させたのと軌を一にする。『スター・ウォーズ』は当時、最先端の映像技術を駆使したSF映画でありながら、同時に古典的ハリウッド・ジャンル映画たるスワッシュバックラー(剣戟)映画でもある。しかもSF映画における宇宙船の運動表象を刷新したジョージ・ルーカスは、スワッシュバックラー映画のサブジャンルたる勇躍する「海賊もの」(ともにマイケル・カーティス監督の『海賊ブラッド』[1935年]や『シー・ホーク』[1940年]など)の伝統をふまえて、『スター・ウォーズ』の主人公のひとり(ハリソン・フォード)を、いわば一匹狼の海賊船(ないしは私掠船)船長のようにあつかい、さらに「スター・ウォーズ」シリーズ第三作の『ジェダイの復讐』(1983年)では空飛ぶ帆船を砂漠のうえに浮かべたりもする。[7]それは1980年頃にはルーカスと共同で映画製作をするようになるスピルバーグにとっては、当然のように『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』(2011年)において流用され、帆船ユニコーン号が砂漠のうえを「航海」しているかに見えるとき、突如、海流が砂漠におしよせて砂漠はまたたくまに大洋と化すのである。そもそも原作漫画『ユニコーン号の秘密(なぞのユニコーン号)』の執筆刊行じたい、ハリウッドの第二次スワッシュバックラー映画流行終結後の、そしてナチス・ドイツの占領によってヨーロッパにもはやハリウッド映画が輸入されなくなっていた1943年のことなのである。
 あるいは本作が「ユニコーン号」という船名をサブタイトルにおいている以上、1915年来、世界映画史上、10本ほどのヴァージョンが製作された「タイタニック号」映画の系譜のなかで、当時、最先端のCGI技術を駆使して巨船タイタニック号の全容(船首から船尾まで)を、なめらかに空中移動しながら俯瞰撮影したかのような短めのロング・テイクが印象的な『タイタニック』(ジェイムズ・キャメロン、1997年)とまったく同様のCGIショットもまたスピルバーグは本作で当然、一回だけ利用することになる。
 さらにエルジェの原作漫画にしたがって、映画『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』は、タンタンが骨董市場で偶然、精密な帆船模型に魅了されて、それを入手するシークェンスからはじまるのだが、タンタンの友人(アル中のアドック元船長)は、この帆船模型を目にしたのち、やがて本物の帆船(ユニコーン号)に乗っている気分になる。映画版では帆船模型も「本物の帆船」も原作漫画よりリアリスティックに描写されるが、「本物の帆船」がCGIで構成されている以上、模型と「本物」、複製品とオリジナル品との差異は最初から廃棄されている。このことは映画という視聴覚的再現=表象媒体がそもそも「現実」の複写であると同時に、「現実」の創造でもあるという両面性を象徴することになる。
 以上の観点から、ブロックバスター映画が実写版からCGI版へと移行する現在のハリウッド映画において、本作は大いなるメルクマールとなるだろう。


 筆者と筆者の指導院生のためにスピルバーグの新作『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』の試写会を開いていただいた東宝東和株式会社関西営業所長と宣伝担当チーフに、この場を借りて篤く御礼申しあげたい。


[1]スピルバーグの最初の「ブロックバスター映画」ともいうべき商業映画第三作の『ジョーズ』(1975年)については、スティーヴン・ヒース(山田博志訳)「『ジョーズ』、イデオロギー、そして映画理論」(『シネアスト』第五号[青土社、一九八六年])を参照されたい。

[2]みずからがユダヤ人であるスピルバーグがナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺を描いたホロコースト映画(アカデミー賞監督賞/作品賞両賞を受賞した)『シンドラーのリスト』(1993年)は、アメリカをふくめた諸外国の映画史に無知無自覚な映画作家や社会学者等から痛烈な批判を浴びたが、絶滅収容所内での殺害シーンにおいて映画史上、斬新な演出をふくんでいるがゆえにホロコーストの「本質」の一端を表象しえている可能性は評価すべきである。この問題の詳細については、拙著『映画とは何か』(みすず書房、2001年)、第3章を参照されたい。またスピルバーグの戦争映画(アカデミー賞監督賞を再度受賞した)『プライベート・ライアン』(1998年)がハリウッドの戦争映画史の延長線上にいかなる斬新さをもたらしたかについては、拙著『表象と批評 映画・アニメーション・漫画』(岩波書店、2010年)、第一章を参照されたい。

[3]ファントム・ライドやヘイルズ・ツアーズ等については、拙著『映画館と観客の文化史』(中公新書、2006年)を参照されたい。

[4]古典的ハリウッド映画の特質たるモーション(運動)とエモーション(情動)の関係については、たとえばヴィム・ヴェンダース(松浦寿輝訳)『エモーション・ピクチャーズ』(河出書房新社、1992年)を参照されたい。

[5]主人公の顔のクロースアップが、本来、映画の観客にいかに人間の心情の深さのはかりがたさを表象しうるかについては、拙著『日本映画論 1933-2007 テクストとコンテクスト』(岩波書店、2011年)、206-219頁を参照されたい。

[6]新海誠のアニメーション映画や日本漫画の特性については、前掲書『表象と批評』第4章から第7章までを参照されたい。

[7]スワッシュバックラー映画と「スター・ウォーズ」シリーズ第3作までの関連性については、拙著『映画ジャンル論 ハリウッド的快楽のスタイル』(平凡社、1996年)、第3章を参照されたい。なお当時、『ジェダイの復讐』という邦題で日本公開された「スター・ウォーズ」シリーズ第3作は、現在、『スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』と改題されている。

(『ユリイカ』[青土社]2011年12月号より)

 

 

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