Richard Fumerton and Diane Jeske (eds.)
Introducing Philosophy through Film: Key Texts, Discussion, and Film Selections


川本 徹


  イギリス映画の古典『第三の男』のスチールを装丁に利用した本書は、しかし映画の研究書でもなければ映画の伝記本でもない。これはアメリカの大学で教鞭をとるふたりの哲学者によって編まれた、初学者のための哲学――広い意味での分析哲学――のアンソロジーである。ではなぜ哲学のアンソロジーの装丁に映画のスチールが起用されているのか。理由は単純である。映画を媒介として読者を哲学の世界に誘うこと、それこそが本書の企図だからである。
 むろん非日常的なものとして敬遠されがちな哲学の思考実験を、息もつかせぬ娯楽映画でもって身近なところに引き寄せるという試み自体は、本書にのみ認められるものではない。実際、その手の哲学入門書はとりわけ英語圏ではすでに数多く上梓されており、なかには邦訳が存在するものさえある。しかるに本書はあくまで哲学のアンソロジーという体裁にこだわることによって、それら類書とは一線を画すことに成功している。すなわち、類書がしばしば哲学の思考実験を簡明化することに終始しているのに対して、本書は読者が哲学のテクストと直接的に対話することこそを重視しているのである。そして映画は、あくまでその対話を活性化するための触媒として本書に呼び寄せられている。分かりやすさを謳った哲学入門書が量産される一方で、学生たちが哲学の原典に真摯に向きあう機会が減っているという昨今のアイロニカルな状況下において、この差は大きいと言ってさしつかえないであろう。
では本書の構成を具体的に見てゆこう。本書は全部で七つの部分から成り立っており、導入部たる第一部以降、それぞれ以下のような主題があつかわれている。すなわち認識論(第二部)、心の哲学(第三部)、倫理学(第四部)、時間論(第五部)、自由意志(第六部)、宗教哲学(第七部)である。そしてこれらの主題に沿って哲学テクストが分類収録されているのだが、その陣容は質量ともに堂々たるものである。なにしろデカルト、ヒューム、カントといった近代哲学の大家から、パトナム、ネーゲル、フレーゲといった20世紀を代表する英語圏の研究者にいたるまで、錚々たる哲学者のテクストが約50篇収録されているのである。そのなかでも――恐らくこれは編者たちの専門ゆえであろうが――倫理学のテクストはとりわけて充実しており、現に倫理学のセクションには、J・S・ミル、W・D・ロス、B・ウィリアムズらの重要なテクストが所狭しと言わんばかりに多数集成されている。そればかりではない。読者が思考の幅をさらに広げることができるように、本書には哲学論文以外のテクスト――たとえば一九世紀のイギリス社会を揺るがせたミニョネット号食人事件の判決文、あるいは心神喪失者の刑事責任についての判断基準であるマクノートン・ルール――までもが例外的に収められている。もっともそれだけに、本書は一瞥したかぎりでは初学者の手にあまるものと映るかもしれない。本書はしかし、その問題を英語圏の新旧の娯楽映画によって解決している。つまり各部の冒頭と末尾に、映画を実例とした哲学的主題の概説と、やはり映画を素材としたディスカッションのための練習問題を添えることによって、読者が無理なく哲学テクストに没入できるよう配慮しているのである。本書の読者はかくして、『マトリックス』や『トータル・リコール』に導かれて認識論のテクストに入り込み、『カサブランカ』や『真昼の決闘』や『イングリッシュ・ペイシェント』に誘われて倫理学のテクストに身を委ねることになる。
ところで編者たちは、本書の序文のなかでつぎのような体験を語っている。哲学の初級クラスのなかで映画をディスカッションの素材として上映したところ、学生たちの議論がこれまでになく活発になったというのである。管見によれば、それはたんに学生たちが常日頃から映画に親しんでいることだけが理由ではない。ここでは映画というミディアムに本源的にそのような力が秘められていることを確認しておきたい。というのは第一に、これは言うまでもないことながら、映画は一枚のスクリーン上の映像を多数の人間に同時に共有させる装置であり、その同時共有性がディスカッションのための共通の素地を学生全員にすみやかに行き渡らせるからである。そしてまた第二に、映画は汲めども尽きぬ圧倒的な量の情報を、しかも必ずしもひとつに溶け合うことのない多声的な情報を画面内に包含しており、その気になって真剣に画面に向きあいさえすれば、そこから際限のない意味作用を読み取り、またそれを利用してみずからの思考を予期せぬ方向に開くことができるからである。実のところ本書の編者たちは、どちらかと言えば映画の映像的側面よりも物語的側面に重点を置いているようであるが、映画と哲学がさらに幸福な関係を取り結ぶためにも、映画にそのような思考活性力が存していることはあらためて銘記しておかねばならない。ともあれ本書がユニークかつ良心的な分析哲学の入門書であることは、衆目の一致するところに違いない。

小論は『學鐙』(2009年秋号)に掲載された拙稿の改訂版である。