bplist00�_WebMainResource� ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/hirai-article-2011-sample.htmlPO�G CineMagaziNet! no.16 佐藤健太郎『クローネンバーグ研究』

デイヴィッド・クローネンバーグ映画研究
エクスプロイテーションからの脱皮と、精神の視覚的形象化をめぐって


佐藤 健太郎

                                          

0.はじめに

  本論文は、カナダの映画作家デイヴィッド・クローネンバーグの作品について扱う。映画作家としてのクローネンバーグのキャリアを簡単に確認すれば、彼はまず、1970年代後半に、低予算なエクスプロイテーション(際物)映画に独自の人間精神世界を深化表象させようとする試みを行いながら、商業映画監督としてデビューした後、予算に恵まれてからは主に恐怖映画を連作し、80年代を代表する恐怖映画作家の一人として、映画界からの認知を獲得するに至る。映画作家として名声を得た80年代後半以降は、恐怖映画のジャンルから距離をおいて問題作を製作し続ける、カナダを代表する映画作家の一人である。
 クローネンバーグの作品に対する評価は大きく分けて二通りある。一つは、クローネンバーグの作品がしばしば「怪物化した女性」を登場させ、性交渉(的な隠喩)が社会に混乱を引き起こすという点を指摘し、それが作家自身の不安の投影であると解釈する。つまり、クローネンバーグの映画が、性の解放を悪とみなしているとして、そこに作家の性的嫌悪感、即ち女性の生殖能力に対する嫌悪が表われていると解釈するのである[1]。もう一つは、クローネンバーグの恐怖映画が「マッドサイエンティストもの」を復活させ、「暴走する科学」によって悲劇的な「怪物」が生み出される点を指摘し、それが同時代の政治的、文化的な不安を表象しているものであると解釈するのである[2]
 いずれの評価についても言えることは、そもそもクローネンバーグがエクスプロイテーション映画出身であるという視点をなおざりにしているということである。クローネンバーグはエクスプロイテーション映画や恐怖映画といったジャンル製作下に身を置き、映画監督としての地位を確立させてきたのであるから、彼がその要請に応じると同時に利用してきたジャンルの映画史の中にこそ、彼の作家性を印付けるものが眠っているに違いない。本論分は、主にエクスプロイテーション映画史を参照しながら、クローネンバーグ作品を分析することを通して、映画作家デイヴィッド・クローネンバーグの作家性を論じようと試みるものである。
 しかしながら、そもそもエクスプロイテーション映画とは何か。エクスプロイテーション映画とは定義上、低予算製作下の粗雑な内容を、センセーショナリズムやスキャンダリズムによって補完することで、高収益を図ろうとするものである。そのために、もっぱら同時代の社会的良識に脅威を与えると見なされるような主題に焦点を絞り、積極的にそれをスペクタクルとして観客に見せつける。即ち、エクスプロイテーション映画は、観客が「今まで見たことが無いもの」や「見ることが許されないもの」を惜しみなく提供し、観客の好奇心を利用=搾取して、その懐を暖めようと目論む、低予算な「見世物映画」であると言える。エクスプロイテーション映画は映画史初期から存在し、狭義的には、ハリウッドのスタジオ・システムが崩壊する1950年代に、共に消滅する。なぜなら、エクスプロイテーション映画は、メジャー・スタジオの支配下にあるハリウッドの隙間産業として存在し、同時代の自主検閲や法律との摩擦を巧みに回避しながら、メジャーの作品が扱わないようなきわどい主題に焦点を絞ることによって生き延びようとしてきたからである。しかしながら、観客の好奇心を利用=搾取するような商業主義的エクスプロイテーション映画の手法は、50年代までのアメリカだけに留まるものではない。その影響は、70年代にカナダで商業映画監督としてデビューするクローネンバーグの作品にも、カナダとアメリカの地理的、文化的近接性が故に、間違いなく及んでいるのである。

1.エクスプロイテーション映画から恐怖映画へ

1-1.初期エクスプロイテーション映画『シーバース』、『ラビッド』

1-1-1.セックスプロイテーション

 クローネンバーグの出世作であり商業デビュー作でもある『シーバース』Shivers(1976)及び次作『ラビッド』Rabid(1977)を製作したのは、モントリオールのシネピックス社という、小さな製作・配給会社であった。同社はカナダのフランス語圏向けに検閲にかからない程度のソフトコア・ポルノをヨーロッパから買い付けたり、あるいは自社製作したりしていた[3]。従って両作品は、セックスを映画の見世物に据える「セックスプロイテーション映画」(=エクスプロイテーション映画の性的ヴァージョン)であると言える。両作品とも、セックスを映画の主たる題材とし、ポルノ女優をキャスティングするなどして積極的に裸体を提示しているのである。本節では、初期エクスプロイテーション映画とされる『シーバース』、『ラビッド』について考察を行っていきたい。
まずは、『シーバース』と『ラビッド』の物語を簡単に確認しておこう。
 『シーバース』は人体に寄生する寄生虫が次々と人間に襲い掛かる物語である。ある生物学者によって開発された寄生虫は宿主に催淫効果をもたらし、性的交渉を通じて人々の間に蔓延する。また、次作『ラビッド』も『シーバース』と同様の物語構造を持つ。恋人と共に交通事故に遭った女性が未認可の皮膚移植手術を受けたところ、彼女の身体は血を求めるように変化する。彼女は吸血鬼のように人々を襲い、吸血された人間は狂犬病のような症状を発し、同様にして他の人間を襲い、感染は広まっていく。
 『シーバース』において、寄生虫の最初の犠牲者は、開発者である生物学者の実験台に利用された生物学者の娘であり、彼女は、さながら性病を感染させてゆくかのように、性交渉を通じて寄生虫をばらまいていく。また『ラビッド』の「狂犬病ウィルス」の感染経路は直接的な性交渉ではないが、「吸血鬼」と化した女性は、手術を受けたことで腋の下から生えてきた男根状の突起物を相手に突き刺すことで吸血を行い、ウィルスを感染させるので、その感染経路は性交渉の隠喩とも見てとれる。つまり、両作品とも性病の伝染するプロセスを利用しながら、裸体や性描写を映画の見世物に据えているのである。
 エリック・シェイファーによれば、この「性病」という主題は、実はエクスプロイテーション映画における原初的な題材であった[4]。エクスプロイテーション映画において、とりわけセックスをスペクタルに据える映画のことを、セックスプロイテーション映画と呼ぶが、アメリカにおいてセックスプロイテーション映画の起源は、「性病」の恐ろしさを啓蒙する性教育映画であった。19世紀末から1910年代半ばの革新主義の時代、アメリカへの大量の移民流入にともない、売春婦および性病も社会問題の一つとして浮上する。教育者や映画関係者たちは、映画には下層階級の移民観客まで平等に作用する民主主義的な教育効果があると捉え、その流れは売春婦・性病問題にも及んだ。1913年、性病を扱った演劇Damaged Goodsがニューヨークで上演され、翌年映画化・配給される。性病の恐ろしさを人々に啓蒙するDamaged Goods(リチャード・ベネット、トム・リケッツ、1914)は最初の性教育映画とされるが、映画の商業的な成功により、以降追随して性病の症状や出産を扱う性教育映画が次々に作られることとなる。検閲や、1934年以降に運用され始めるハリウッドの自主倫理規定(プロダクション・コード)の規制を緩めるため、性教育映画は性病の恐ろしさを人々に啓蒙する教育的映画という体裁をとったが、それは観客の性的歓心を刺激する映像を上映するための方便にすぎず、内実はセンセーショナリズムでその低予算性を補い高収益をはかるという商業的目的を持つ「セックスプロイテーション映画」となった(B級映画[5] の巨匠と呼ばれるエドガー・G・アルマーも、1933年に性教育映画『傷物の人生』Damaged Livesを撮っている)[6]。性教育映画の後、セックスプロイテーション映画は、30年代のヌーディスト映画(20年代後半に欧州からアメリカに輸入された「ヌーディズム」についてのドキュメンタリーという体裁を取る)の流行の後、ヌーディズムの口実無しに裸体を上映した初めての作品『インモラル・ミスター・ティーズ』The Immoral Mr. Teas(ラス・メイヤー、1959)の登場以降、ソフトコア・ポルノとしてハリウッドの主流映画が扱えないきわどい主題(暴力、拷問、殺人等)と結びつきながら発展していく。そして最終的には、実際のセックスをそのままスクリーンに映し出す「ハードコア・ポルノ」へと到達することになる。
 『シーバース』及び『ラビッド』の「性感染」のプロセスを利用して、観客の性的歓心を刺激するやり方は、映画史初期より量産された性教育映画のそれと共通しているといえる。『シーバース』において、寄生虫の「性感染」はまたたく間に広がり、異性同士のセックスのみならず、同性愛、近親相姦、グループ・セックス等が横行する。セックスプロイテーション映画が大衆の性的歓心や新奇さへの好奇心を利用=搾取するため、タブー(禁制)の主題を積極的に映画に盛り込んで発展してきたように、『シーバース』もアブノーマルな性の放縦を惜しみなく提示するのである。
 また、『ラビッド』について指摘しておくべき点の一つとしては、主役にポルノ女優のマリリン・チェンバースがキャスティングされていることがあるだろう。マリリン・チェンバースは、当時のソフトコア、ハードコア・ポルノ界におけるビッグネームの一人であった[7] 。柳下毅一郎によれば、セックスプロイテーション映画は、最終的にハードコア・ポルノに到達するが、ハードコアが真に認知されるのは『ディープ・スロート』Deep Throat(ジェラルド・ダミアーノ、1972)からであった[8]。『ディープ・スロート』以前、ハードコアは覗き部屋などで上映される非合法な短編映画(スタッグフィルム)として存在していた。しかし、ソフトコアが次第に過激さを増す状況の中、ストーリーのあるハードコア・ポルノが登場するのは時間の問題であり、遂に登場した『ディープ・スロート』は広く受け入れられ商業的成功を収める。『ディープ・スロート』は何度も猥褻罪で告訴されるが、最終的に言論の自由を勝ち取り、かくしてハードコア・ポルノは世間から公認されることとなる。
 この『ディープ・スロート』と『ラビッド』が有機的なつながりを持つことからも(『ディープ・スロート』で一躍有名になったポルノ女優リンダ・ラブレイスと『ラビッド』のマリリン・チェンバースは同一の夫兼マネージャーを持っていた)[9]、セックスプロイテーション映画としての『ラビッド』の商業的目的意識は明らかであろう。山崎圭司によれば、当時カナダ娯楽映画会には、映画監督兼プロデューサーとして重要な人物であるアイヴァン・ライトマンがいた。当時ライトマンはカナダにおいて、Cannibal Girls(1973)や『ミートボール』 Meatballs (1979)といったホラーやコメディ作品を監督するかたわら、暴力的なソフトコア・ポルノ『ウィークエンド』Death Weekend(ウィリアム・フリュエ、1976)や、いわゆる「ナチス残酷もの」である『シベリア女収容所/悪魔のリンチ集団』Ilsa the Tigress of Siberia(ジャン・ラフルール、1977)などといったエクスプロイテーション映画のプロデュースも行っていた。『ラビッド』の主演女優にマリリン・チェンバースを提案したのもこのライトマンだったのである[10]。つまりこのキャスティングの意味することは、『ラビッド』という映画を、ハードコア・ポルノが公認された時代において、ハードコアの市場に潜在する観客をも搾取する目論見を持って製作・配給された「セックスプロイテーション映画」とする見方ができるということである。即ち『シーバース』と『ラビッド』は、映画史初期のセックスプロイテーション映画の原理を再利用しながら、同時にその到達点たるハードコアをも利用=搾取する、70年代の「セックスプロイテーション映画」なのである。
 しかし、もちろん『シーバース』、『ラビッド』の卓越的作品は単なるセックスプロイテーション映画には終わらない。次節以降、その点について検討していく。

1-1-2.古典的恐怖映画とスプラッター映画

 シェイファーによれば、1910年代のDamaged Goods及びそれに追随する性教育映画には、中産階級の品行方正な男性が下層階級の売春婦によって性病をうつされるというお決まりのプロットがあった。これには当時の階級闘争的な要請があり、下層階級の女性に諸悪の根源的役割を担わすことで、社会的不安は下層階級の民衆から浮上してくるということを暗示しているのであった[11]。一方、クローネンバーグの『シーバース』、『ラビッド』においても、女性が「性病」(=寄生虫・狂犬病ウィルス)を振りまくという点では性教育映画と共通しているが、その恐怖の始動装置には、恐怖映画のジャンルにおいて伝統的な「マッドサイエンティストもの」のプロットが利用されている。そしてまた「性感染」は、同様に恐怖映画において伝統的な「吸血鬼もの」の性格も帯びてくることになる。
 「マッドサイエンティストもの」及び「吸血鬼もの」は1930-40年代の恐怖映画ブームにおいて盛んになる。1931年、ユニヴァーサル社製作の『フランケンシュタイン』Frankenstein(ジェイムズ・ホエイル)と『魔人ドラキュラ』Dracula(トッド・ブラウニング)は公開された後、それぞれシリーズ化され恐怖映画ブームをまきおこしたシリーズの第一号作品となる。50年代に入ると、恐怖映画は冷戦や原水爆に対する大衆の不安を利用するハリウッドSFホラーに移行し(1986年にクローネンバーグが『ザ・フライ』The Flyとしてリメイクする1958年の映画『蝿男の恐怖』The Fly(カート・ニューマン)もこの時期のSFホラー映画に当たる)、そして1960年の画期的な恐怖映画『サイコ』(アルフレッド・ヒッチコック)以降、恐怖映画における恐怖の対象ははっきりと人間そのものとなる[12]
 さて、『シーバース』に30-40年代の古典恐怖映画の「マッドサイエンティストもの」と「吸血鬼もの」が利用されていることは確認した通りだが、『シーバース』には、恐怖映画のサブジャンルである「スプラッター映画」の要素も見出せる。加藤幹郎によれば、「ポルノグラフィと恐怖映画、わけても「ハード・コア」と「スプラッター」(あるいは「スラッシャー」)と呼ばれる1960年代後半以降のサブジャンルでは、大量の体液流出がスペクタクルの山場であり、ジャンルの大事な指標となる」[13]。『シーバース』においても、寄生虫が人間を襲う過程で、(何故それ程出血するのか不可解な程にまで)画面内に大量の血糊が流出し、スペクタクルの山場を形成する。柳下によれば、恐怖映画における、スプラッター映画なるサブジャンルを生み出すきっかけとなったのは、プロデューサーのディヴィッド・フリードマンと監督ハーシェル・ゴードン・ルイスとの共同作業で手がけた『血の祝祭日』Blood Feast(1963)にはじまる「血の三部作」、『二〇〇〇人の狂人』Two Thousand Maniacs(1964)、『カラー・ミー・ブラッド・レッド』Color Me Blood Red(1965)である。それまで世間の潮流に従ってヌード映画[14]を作っていたフリードマンとルイスは、もはやそれが時代遅れになりつつあることを悟り、血糊を全面に押し出したホラー映画を作ろうと考えたのであった。以後、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』Night of the Living Dead(ジョージ・A・ロメロ、1968)、『ワイルドバンチ』The Wild Bunch(サム・ペキンパー、1969)、『悪魔のいけにえ』The Texas Chainsaw Massacre(トビー・フーパー、1974)などを通じてスプラッターというサブジャンルは生み出されるが、画面に溢れかえる血糊のセンセーショナルさを利用し、商業的な成功を収めた『血の祝祭日』は、社会的に隠蔽されるべきものを積極的に見せつけることでその低予算な内容を補い、収益を図ろうとするエクスプロイテーション映画的発想の元に生み出された映画なのである[15]
 前節で確認した通り『シーバース』、『ラビッド』は、外見上はセックスプロイテーション映画であるが、同時に30-40年代の恐怖映画との接合も見てとれる。「性病」の恐怖の始動装置は「マッドサイエンティストもの」となり、またセックスプロイテーション映画が利用した「性感染」は、恐怖映画における「吸血鬼もの」という側面も持つ。更に、『シーバース』においては、恐怖映画における60年代後半以降のエクスプロイテーション的サブジャンルたる、スプラッター映画の要素も溶け込んでいるのである。しかし一方、『ラビッド』においては、『シーバース』には無いもう一つの映画的要素(メロドラマ)が物語構造を支えることとなる。

1-1-3.セックスプロイテーション、恐怖、メロドラマの融合

 『シーバース』において、寄生虫に「感染」した人間は自らの意志を失い、次の寄生主を求めてさまようが、その描写は1968年のジョージ・A・ロメロ監督による『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』以降量産される「ゾンビもの」の域を出ていない。しかし、次作『ラビッド』においては、「怪物」になった女性の実存に焦点が絞られていくことになる。
 加藤は、クローネンバーグの恐怖映画は「メロドラマの不可能な現代においてあえて古典的メロドラマの枠組みを導入することでいっそう倒錯的な凄絶味をます」[16] と述べ、1940年の『哀愁』(マーヴィン・ルロイ)と『ラビッド』における同一な物語パターンを検討し、『ラビッド』におけるメロドラマの敗北主義的構図を指摘している[17] 。第一次世界大戦のために愛を成就させることができない男女がいて、男(ロバート・テイラー)が戦死したと思い込んだヴィヴィアン・リーは失意の中、売春婦へと身をやつす。後に二人は再会するが、もはや昔の彼女ではないリーは、男の愛を振り切って自殺する。
 『ラビッド』においても、交通事故とそのための手術によって男女は一時離別を余儀なくされ、映画のラストで再会を果たすことになる。手術の影響で「怪物」になってしまったチェンバースは、自身のポルノ女優たる魅惑を存分に使いながら次々と別の男(女もいないわけではないが)を誘惑し、身体を重ねて(吸血を行って)いく(同時にそれがセックスプロイテーション映画としてのスペクタクルにもなる)。感染が感染を引き起こし、モントリオールに戒厳令が敷かれる程までになった頃、男女は再会する。図1は二人の再会する瞬間である。このショットは、映画のこの瞬間における二重の意味合いを説明する。恋人と再会する直前まである女性に馬乗りになり、その女性の血を吸っていたヒロイン(チェンバース)は、突然部屋のドアを開けた恋人の視線に怯え、とっさに左腕で自分の顔を隠そうとする。しかしその動作は同時に、吸血に使用する左腋の下から生えた男根状の突起物を露にしてしまう。即ち「自分の正体を隠そうとするその身振りが、はからずも彼女のもうひとつの正体を暴露してしまう」[18]のである。そして、映画は恋人の愛を振りきってのヒロインの自殺をもって完結する。『ラビッド』は、単なる恐怖映画からメロドラマへと昇華されるのである。
 つまり、『ラビッド』は、外見上セックスプロイテーション映画でありながら、同時に恐怖映画でもあり、本格的にはメロドラマなのである。『シーバース』においては、古典的メロドラマの枠組みは導入されておらず、その代わりスプラッター映画的スペクタクルに力が注がれているが、その分物語構造は希薄である。その意味で『シーバース』の方がよりエクスプロイテーション映画的であると言えるであろう(『シーバース』の日本版ヴィデオ邦題が『シーバース/人食い生物の島』という、あからさまに際物映画としての商業的意図を持って付けられているのに対し、Rabbidがそのまま『ラビッド』であるのは偶然では無いかもしれない)。『シーバース』は低予算しか組めない弱小プロダクションのエクスプロイテーション映画の要請に応じ、古典的恐怖映画の枠組みを利用した「ポルノ映画兼恐怖映画」であった。しかし、次作『ラビッド』では、それに更に古典的メロドラマの枠組みを導入することで、エクスプロイテーション映画の要請を満たしながら、同時に広範な観客へとアピールする「メロドラマ兼恐怖映画」となった。そして同時に、クローネンバーグ自身も、エクスプロイテーション映画から脱却し始める。『シーバース』、『ラビッド』の商業的成功により、クローネンバーグは「手堅い」映画監督として認知され、また70年代後半から80年代前半にかけてのカナダの税金控除制度[19]の恩恵により、(極めて高予算とはいかないまでも)低予算の映画製作環境からも解放されることになる(実際『ラビッド』の次にクローネンバーグは、79年に、ポルノ映画でも恐怖映画でもないカーレース映画『ファイヤーボール』Fast Companyを他のプロダクションで監督することになる)。エクスプロイテーション映画が定義上、低予算製作下の内容をセンセーショナリズム等で補完する映画ならば、予算的にもクローネンバーグの映画はエクスプロイテーション映画ではなく「より一般的な映画」へと変化することになるのである。

1-1-4.セックスプロイテーション映画からの逸脱

 『シーバース』及び『ラビッド』の二作品は、外見上カナダの弱小スタジオが製作・配給したセックスプロイテーション映画ではあるが、その内部で恐怖映画やメロドラマのジャンルが融合していることは、これまで指摘した通りである。そのことが、二作品を単なる「セックスプロイテーション映画」たり得なくしている。では、クローネンバーグがセックスプロイテーション映画に対して試みた「逸脱」とは何であろうか。それは、「見えないもの」を「見えるように」するという、以後クローネンバーグが一貫ないしは発展させていくこととなる主題であった。
 『シーバース』では、人々に感染する(同時に人々を襲う)「性病ウィルス」は寄生虫として映像上に具体化される。外見上「性解放」を唱えるこの映画が単純にセックスプロイテーション映画の目的を満たそうとするものならば、性的描写をスペクタクルに据えることのみに注力すれば良いはずである。しかしこの映画では、本来肉眼では見えないはずの「性病ウィルス」を具体化し、スペクタクルの一つに据えることに心血を注いでいる。また、『ラビッド』においては、腋の下から生えた男根状の突起物を介しての吸血行為が、セックスの隠喩として具体化される。チェンバースは男性を誘惑するが(演じているのが有名なポルノ女優であるのだから、至極当然である)、その誘いに乗った男は逆に彼女の腋の下の突起物を体に突き刺されて血を吸われてしまう。しかしながら、そもそもソフト・コアポルノが一般的に男性観客を想定していることを考えれば、男性が女性に誘惑された後、逆に返り討ちに遭うという結末は、いささかポルノ映画のルールを逸脱していると言えはしまいか。この点について今井隆介は、『ラビッド』は「女性を男性化するという倒錯を実現し、哀れな女性が次々と人を襲う怪物、すなわち「男性的な」性の放縦者でもあるという矛盾(比喩的なもの)を経済的に(要求されるのはクローズアップ用のマペットのみ)視覚化する」と指摘する[20]。つまり、「性病ウィルス」、あるいはメロドラマ的ヒロインが同時に男性的な「怪物」でもあるという矛盾というような、本来目に「見えないもの」を具体的に「見えるように」するということがクローネンバーグをとらえる映画的問題であり、それはポルノ映画においては逸脱であるかもしれないが、観客の好奇心を刺激するものなら何でも利用するというエクスプロイテーション映画の範疇においては可能であったということである。
 映画史初期よりエクスプロイテーション映画は、メジャーの主流映画が扱えないような社会的良識に脅威を与えかねない主題や表現を積極的に採用することで生き延びてきた。1950年代なかばに黄金期をむかえるドライブ・イン・シアターの台頭や、ほぼ同時期のテレヴィ産業による映画産業の侵食の始まりなどによって一般映画館数は減少し、ハリウッド映画産業は下降線をたどるようになる[21]。そしてスタジオ・システムとプロダクション・コードの崩壊とともに、メジャーもエクスプロイテーションの分野に手を染めていき、それと同時に「低予算な見世物映画」たる「エクスプロイテーション映画」自体も解体されていくことになる。
 『シーバース』と『ラビッド』はカナダの弱小スタジオによって製作されたエクスプロイテーション映画である。二作品は、エクスプロイテーション映画の要請に応じて順当に製作、配給され、その商業的目的を満足した。しかしその一方で、映画の内部で恐怖映画やメロドラマとのジャンルの融合を達成して、「より一般的な映画」への足がかりを形成しただけでなく、作家独自の問題意識を表現する場ともなっているのである。
 では、次に検討されるべき問題は、「エクスプロイテーション映画出身」であるクローネンバーグが、その後如何に作風を一貫あるいは変化させながら、映画監督としての認知を獲得していったかということであろう。

1-2.恐怖映画『ザ・ブルード』、『スキャナーズ』

1-2-1.『ザ・ブルード』のアメリカでの受容

 カナダの税金控除制度の恩恵もあり、『シーバース』、『ラビッド』と異なるプロダクションでカーレース映画『ファイヤーボール』を撮った後、クローネンバーグは再び二作の恐怖映画『ザ・ブルード』The Brood(1979)と『スキャナーズ』Scanners(1981)を撮った。ショッキングな特殊効果を積極的に取り入れたこの二作品は、70-80年代のホラーブームに推進力を得たこともあり、カルト的人気を得て、商業的にも成功を収める。そしてこの二作でクローネンバーグは恐怖映画監督としての地位を確立することとなる。
 再び「マッドサイエンティストもの」を採用する『ザ・ブルード』では、患者の怒りを身体に(発疹のように)表出させるという画期的な治療法を実施する精神科医が登場する。この治療法をある女性患者に施したところ、彼女の身体には体外子宮が発生し、そこから彼女の「怒り」=「子供」が次々と「出産」されていく。そしてこの「子供たち」は彼女の怒りの対象を次々と抹殺していく。
 『ザ・ブルード』では、患者の母親の精神(「怒り」)は「子供」として実体化され、その怪物的な「子供たち」が物理的に殺人を遂行していく。ここでは『シーバース』、『ラビッド』においてクローネンバーグが試みた「見えないもの」を映像上に具体化するという主題は、本来目に見えない人間の精神面にある「怒り」の具体化として再び試みられることとなる。また、クライマックスまで「殺人犯」の真実が明かされない映画の語り口はサスペンスを提供し、特殊効果によるグロテスクさが強調されるラストは映画を恐怖映画への水準へと押し上げる。即ち『ザ・ブルード』は、それまでよりも豊富な予算環境の中で、クローネンバーグの映画的問題意識を盛り込むと同時に、際物作品としてではなく、より「一般的な観客」に向けた恐怖映画として製作された作品であったのである。しかしながら、クローネンバーグがエクスプロイテーション映画作家から恐怖映画作家へと転身する上で、アメリカにおいてはもう一度エクスプロイテーション映画の手法を利用しなければならなかった点は確認しておくべきことであろう。『ザ・ブルード』がアメリカではロジャー・コーマンのニュー・ワールド・ピクチャーズによって配給されたという点である。
 アメリカにおいて、一般映画館の数が減少する一方でドライブ・イン・シアターはその数を増し、1950年代に黄金期を迎えることは先に確認した通りだが、そういった状況にハリウッド映画産業が頭を悩ます一方で、ドライブ・イン・シアターの急増にいち早く対応したのが、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)であった。AIPはドライブ・イン・シアターの観客の多くが10代後半の若者だということを踏まえ、若者が好みそうなティーン映画(恐怖映画、ビーチ・パーティ映画、LSD映画など)を低予算で量産し、ドライブ・イン・シアターに投入するという戦略をとることによっていち早く市場を独占する。このAIPの草創期を支えた映画監督がロジャー・コーマンであった。柳下によれば、コーマンの最大の長所は徹底した商品(=映画)の品質管理であった。即ち、映画に余計な思い入れを持たず、決して与えられた予算を超過しない早撮り作法で超低予算映画を量産したのである。そういった低予算映画を、奇抜なタイトルや派手なポスターなど同時代のテレヴィでは放映されないような(若者が喜びそうな)扇情的な宣伝方法を利用しながら配給し、収益を上げるというのがAIPの手法であった[22]。即ち、AIPの映画はエクスプロイテーション映画だったのである。後にコーマンは自ら映画会社ニュー・ワールド・ピクチャーズを設立し、この手法を踏襲する。
 1979年に公開された『ザ・ブルード』もアメリカにおいてニュー・ワールド・ピクチャーズによる配給を受けたことにより、お定まりのドライブ・イン・シアター市場をターゲットにしたエクスプロイテーション映画の一つとなった。そして結果的に、映画は商業的大成功を収める。 アメリカにおいて、『ザ・ブルード』がドライブ・イン市場から足がかりを得て、更に広範な観客を獲得できた理由としては、1970年代の「カルトホラー」ブームが指摘できるであろう。「カルト映画」とは、「とりわけ熱心な信奉者を獲得している映画」[23] のことを指すが、70年代には恐怖映画がカルト的人気を得てブームとなる。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)や『ロッキー・ホラー・ショー』The Rocky Horror Picture Show(ジム・シャーマン、1975)といった作品はミッドナイト・ムービーを通じてカルト的人気を獲得する。また『エクソシスト』The Exorcist(ウィリアム・フリードキン、1973)、『キャリー』Carrie(ブライアン・デ・パルマ、1976)、『オーメン』The Omen(リチャード・ドナー、1976)といったメジャー系のヒット作や、『悪魔のいけにえ』(1974)、『サランドラ』The Hills Have Eyes(ウェス・クレイブン、1976)、『ハロウィン』Halloween(ジョン・カーペンター、1978)のような独立プロダクション系のヒット作も数多く生み出されている。アーネスト・マテイスによれば、1979年のトロント国際映画祭における恐怖映画のセクションにおいて、ジョージ・A・ロメロ、ウェス・クレイブン、ジョン・カーペンター、ブライアン・デ・パルマなどといった同時代的な恐怖映画のヒット作を手がけた映画監督が多数招待されたが、その中にクローネンバーグもその名を連ねていた[24]。即ち、この時点でクローネンバーグは恐怖映画作家として一定の認知を獲得していたということである。

1-2-2.スプラッター・ホラー『スキャナーズ』

 『スキャナーズ』は、『ザ・ブルード』の成功を受けて更に高額な予算を組んで製作された作品である。他人の思考を読み取ったり、操ったりできる能力を持つ「スキャナー」と呼ばれる超能力者たちの闘いを描くこの映画は、恐怖映画というよりはむしろSFアクション映画としての趣が強い。よりメジャーな配給会社と手を組んで配給された『スキャナーズ』は[25]、結果的に『ザ・ブルード』以上の大成功を収め、同時にクローネンバーグの名を幅広い観客層に知らしめることとなった。その理由としては、銃撃戦や車の衝突など強調されるアクションがより広範な観客に働きかけた側面も有るが、一重に冒頭の「頭部破裂ショット」が大きく寄与していると言える。
 その「頭部破裂ショット」とは次のようなものである。二人のスキャナーがステージ上のテーブルに向かい合い、お互いに相手を「スキャンニング」し始める。その場所はあるスキャナーが自らの超能力を人々に披露しているホールのような場所で、多数の観客がそれを見ている。二人の「スキャンニング」の様子は、相手を見つめる顔のクローズアップショットの切り返し編集によって提示される。そして、この「スキャン勝負」の結末は、一方のスキャナーがもう一方のスキャナーの頭を派手に破裂させることによって終了する(図2、図3)。特殊効果のプロフェッショナルたちによって実に精工に作られたこの頭部破裂の特殊効果は、同時代の観客の好奇心を刺激するに十分なショッキング・シーンとなった。『スキャナーズ』の公開された1980年には、既に『悪魔のいけにえ』(1974)や『ハロウィン』(1978)などのヒット作をはじめとする、スプラッター映画の潮流が存在していた。マテイスによれば、『スキャナーズ』の宣伝展開もこのスプラッター映画ブームを利用すべく、もっぱらショッキングな頭部破裂のシーンを中心に行われ、映画は結果的に商業的成功を収めた。しかし、そこには観客の新奇さへの好奇心を刺激することで収益を図るエクスプロイテーション的手法が存在していたと言える[26]。「頭部破裂ショット」はスキャナーが超能力を観客に披露するシークェンスの中で、突然に字義通り(映像通り)炸裂するが、この「頭部破裂」は映画内の観客にとっての「見世物」であると同時に、映画を見ている現実の観客にとっても壮観な「見世物」となるのだ。問題の「頭部破裂」が起こった後、映画内の観客たちは恐怖におののき、叫びながらホールから逃げ出すが、それは現実の観客がそれほど(およそ同時代のテレヴィでは放映されないような)スキャンダラスな映像を求めているということを逆説的に示すのである。
 ところで、『スキャナーズ』の「頭部破裂ショット」が、単なる観客の好奇心を刺激する見世物でしかないかというと勿論そんなことはない。スキャナー同士の「スキャンニング」は、精神集中する二人それぞれの顔を捉えたショットの切り返し編集によって提示されるが、一方の人間が次第に発汗し、苦しみもだえ始めた末、その頭部の破裂をもってその過程は終了する。つまり、圧倒的な能力を有する一方のスキャナーがもう一方のスキャナーの頭部を破裂させたのであり、スキャナーの頭部は「頭が割れる程の痛み」によって字義通り(映像通り)破裂するのである。この比喩の具体的な映像化は、「見えないもの」を「見えるようにする」というクローネンバーグの一貫した問題性とつながる。即ちこの「頭部破裂ショット」は、観客の好奇心を利用=搾取するエクスプロイテーションでありながら、作家の一貫した映画的問題とも一致していると言える。カメラによって撮影(Shoot)された頭部は、字義通り(映像通り)破裂するのである。
 以上見てきたように、『ザ・ブルード』、『スキャナーズ』を通じ、エクスプロイテーション映画の手法や恐怖映画のジャンルの要請を巧みに利用しながら、クローネンバーグは映画監督としての認知を獲得してきた。実際、『スキャナーズ』の成功はハリウッドのメジャー系スタジオの関心を惹きつけるに至る。しかし、初めてメジャー・スタジオの配給を受けた次作『ヴィデオドローム』はクローネンバーグにとって問題の多い作品になってしまった。次章、『ヴィデオドローム』について検討する。

2.『ヴィデオドローム』とエクスプロイテーション映画からの脱却

2-1.「ヴィデオドローム」とモンド映画、「スナッフ・フィルム」

 『ヴィデオドローム』はカナダの税金控除政策のもとでの最後の作品であり、ユニヴァーサル社によって配給された。予算も過去最大で、メジャー系スタジオの有する強力な配給網の恩恵の下、製作・公開されたが、劇場での興行は大失敗に終わった。それだけ一般の観客にとって「難解な」映画となってしまった本作は、クローネンバーグの作品群においてとりわけ重要な作品でもある。後述の議論のためにも、まずは『ヴィデオドローム』の物語を確認しておこう。
 『ヴィデオドローム』は、セックスと暴力を売りにするケーブルTV会社社長である主人公が、より刺激的な番組を探す中で、たまたま傍受したSM番組「ヴィデオドローム(ヴィデオ闘技場)」を観たことによって、幻覚を見るようになり、徐々に現実と幻覚との境を失っていくという、文字通り、視覚を通じての精神的倒錯を描く映画である。実は「ヴィデオドローム」とは例によってある科学者が開発した特殊信号で、視聴者に幻覚を起こさせ、心をコントロールする脳腫瘍を誘発するメディア兵器であった。「ヴィデオドローム」によって現実と幻覚の区別を失った主人公は、特定のプログラムが組み込まれたヴィデオカセットによって操られる「ヴィデオ人間」となってしまう。
 そのままタイトルにもなっている「ヴィデオドローム」とは何か。「ヴィデオドローム」は中南米のどこからか発信されている謎のテレヴィ番組であり、その中では実際の暴行、拷問、殺人が繰り広げられている。性や暴力を売りにする自分のケーブルTV会社のために、常に刺激的な映像を求めている主人公は、すぐさま「ヴィデオドローム」に関心を奪われるというわけだ。マテイスは、この「ヴィデオドローム」と『世界残酷物語』Mondo Cane(グアルティエロ・ヤコペッティ、1962)や『食人族』Cannibal Holocaust(ルッジェロ・デオダード、1981)などに代表されるような「モンド映画」、そして実際の殺人を記録撮影した映画としてセンセーショナルを巻き起こした『スナッフ』Snuff(マイケル・フィンドレイ、ロバータ・フィンドレイ、1976)との関係を指摘している[27]。それらはエキゾチズムを売りにするエクスプロイテーション映画の一形態であり、クローネンバーグの映画はまたしても外見上エクスプロイテーション映画と関係性を持つのである。
 映画史において、エキゾチズムは観客を惹きつける題材として何度も利用されてきた。映画史上、最初の充実したドキュメンタリー映画作家としてみなされることの多い、ロバート・J・フラハティは、1922年に、エスキモーたちの生活を記録したヒット作『極北の怪異(ナヌーク)』Nanook of the Northを撮る。これに触発されたメリアン・C・クーパーとアーネスト・B・シュードサックのコンビは、『地上』Grass(1925)、『チャング』Chang(1927)などといった異境冒険ドキュメンタリーを連作する[28]。これらの作品はドキュメンタリーの体裁を取ってはいるものの、豹、虎、象といった「猛獣」と人間との戦いは演出され、それを映画のスペクタクルに据えた。観客たちは未だ知らない異境の地での風俗や慣習に好奇心をくすぐられ、また見たこともない「猛獣」との闘いに興奮したのである。後に、クーパーとシュードサックのアイディアは特殊効果(ストップモーション・アニメ)と結びつき、ハリウッド映画史上特筆すべき『キング・コング』King Kong(1933)へと結実する。離島のジャングルで捕獲され、ニューヨークへと連れてこられた後、劇場で見世物にされるキング・コングが拘束器具を壊して逃亡を図ると、それを見ていた観客も(『スキャナーズ』の中で頭部破裂を目にした観客が逃げ出すように)驚愕して逃げ出すのである。キング・コング(=今だかつて見たことない「猛獣」)は、映画内観客にとってのスペクタクルであると同時に、現実の観客にとってのスペクタクルでもあったのである。
 このように、エキゾチズムのかもし出す異質さは、観客の好奇心を大いに刺激する。クーパーとシュードサックに影響を受けて、もっぱらその異質さを強調するいかがわしい擬似ドキュメンタリーの潮流が生まれることとなる。それらの映画では、未開の地の奇怪な風習や蛮族の生活をでっちあげて、ドキュメンタリーの体裁を取り繕った。例えば、アフリカ奥地を探検する二人の探検家の冒険譚である『インガギ』Ingagi(ウィリアム・キャンベル、1930)では、探検家たちは様々な野生動物に遭遇し(空を飛ぶ毒トカゲも登場する)、最後にはゴリラと親しくする原住民と出会う。シェイファーによれば、映画の多くの部分は1914年に製作されたドキュメンタリー映画から拝借してきたものであり、毒トカゲは亀に羽根と尻尾を糊付けしたもので、ゴリラは着ぐるみで、原住民はロサンゼルスに住む有色人が変装したもので、映画の重要なシーンのほとんどはロサンゼルスの動物園で撮影されたものであった。しかしそれでも、『インガギ』は商業的成功を収めた[29]
 そしてこの手のエキゾチズムを利用する擬似ドキュメンタリーは、週刊誌のゴシップ記者出身であるイタリア人グアルティエロ・ヤコペッティ監督による1962年のヒット作『世界残酷物語』によってはっきりとエクスプロイテーションの対象となり、以降これに追随して作られた作品群も含めてモンド映画(原題Mondo Caneに由来)なるサブジャンルを生み出すに到る。『世界残酷物語』は世界中の残虐・珍奇な風俗を紹介していく形式を取る。紹介されるのは野蛮な未開人の風習だけでなく、それに文明人の営みを対比することで文明の退廃を批判する(一応の)格好をもつ(例えば、ショッキングなグルカ兵たちの牛殺しシーンにはポルトガルの牛追い祭りがかぶせられる)。柳下によれば、ヤコペッティがエキゾチズム・ドキュメンタリーにもたらした発明は二つある。一つは短いショック映像をナレーションによってつなげるオムニバス方式、もう一つは紹介すべき対象を大きく広げたことである[30]。形式自体はヤコペッティが発明したものではないが、これにより面倒な前振りなしに次々とショッキングな映像を提供できるようになり、また人間のあらゆる営為が観客の好奇心を刺激する映像の「材料」となり得た。残虐行為だけでなく、珍奇なこと、人の知らないことをつなぎ合わせるだけで一本の映画が出来上がる。映像の「材料」は至る所にあり、もし無ければ作ればいいだけのことである。『世界残酷物語』とその模倣作を含める「モンド映画」は、いかにも「現実」を紹介するという体裁をとりながら、その内実は現実の再演ないしは「やらせ」で満たされたスキャンダルなエクスプロイテーション映画であり、それを「真実」だと思い込む観客の好奇心を大いに利用=搾取するものであった。そしてそのような「モンド映画」を作るために、人食い人種の住む秘境に出向いた製作者たちが遺したフィルムをめぐる「ドキュメンタリー」という自己言及的な手法で作られた1982年のヒット作『食人族』は、エキゾチズムとタブーの要素(=人肉食)が、現実と虚構の間でいかがわしさを漂わせながらも、観客を惹きつけてやまないということを改めて証明するのである。
 さて、そのような擬似ドキュメンタリーの地平線上に1976年のヒット作『スナッフ』は存在する。『スナッフ』はもともと人件費節約のためにアルゼンチンで製作された低予算のホラー映画であった。あまりの粗製乱雑さにお蔵入りとなりかけたが、配給会社のプロデューサーの機転により、映画のラストにヒロインを演じた女優が映画撮影中のセットで殺される五分程のシーンが付け加えられて完成された後、1976年にニューヨークにて公開された。結果的に『スナッフ』は大ヒットを飛ばすが、特筆すべきはその「宣伝」方法である。公開にあたり、プロデューサーは南米から殺人映画が上陸したとの噂をマスコミに流し、また「殺人映画」に反対するデモ隊をサクラとして劇場前に投入した。次第に『スナッフ』は「実際の殺人を撮影した映画」として話題に上り、フェミニスト団体による実際の抗議活動まで行われるに至った。そのような反対運動までも全て社会的な話題性となり、『スナッフ』の「宣伝」として寄与したのである[31]。更に、そもそも低予算ホラーであった『スナッフ』の粗雑さも有利に働いた。『スナッフ』は南米からやってきた謎のフィルムという振れこみだが、それほど安っぽいプロダクションならば本当に殺人を犯すこともあり得るのではないかと観客も信じることができたのである。ラスト五分間の「実際の殺人シーン」は陳腐というより他ないが、それは当時の観客にとっては「現実」となったのだ。
 『スナッフ』は社会問題を巻き起こし、かくして「スナッフ・フィルム(殺人フィルム)」の神話は確立された。そして1982年、『ヴィデオドローム』の主人公は、「中南米」から発信された謎の拷問・殺人番組を傍受する。主人公の傍受した特殊信号「ヴィデオドローム」は、これまで見てきたようなエキゾチズムと「やらせ」を利用しながらその歴史を刻んできたエクスプロイテーション的背景を持つ「スナッフ・フィルム」であったのである。

2-2.『ヴィデオドローム』の「幻想」と観客にとっての「現実」

 テレヴィ番組「ヴィデオドローム」を見た者の頭には脳腫瘍が発生し、それによって幻覚が引き起こされる。かくして主人公は幻覚に苛まれるようになる。映画の中で主人公の幻覚はもっぱら一人称カメラによって提示されるので、脳腫瘍が見せる幻覚であってもそれは主人公にとっての「現実」となり、映画を観ている観客の「現実」ともなる。即ち、最初の幻覚が始まると、もう観客も主人公もどこまでが幻覚でどこからが現実なのかわからなくなってしまうのである。「ヴィデオドローム」を見た主人公(及び観客)は、何故かくも現実と幻覚を混同するに至ってしまうのであろうか。
 「ヴィデオドローム」が「スナッフ・フィルム」であることは前節で述べたが、では『スナッフ』の観客たちはどうだっただろうか。『スナッフ』は「殺人」を虚構して、あたかも「現実」であるかのように見せかけた。しかし、「実際の殺人シーン」に好奇心を刺激され、『スナッフ』を観るために劇場へ足を運んだ大多数の観客にとって、その「虚構」は「現実」となった。つまり『スナッフ』の大ヒットが示すのは、映画ではフレーム内の出来事のみが観客にとっての「現実」なのであり、例えその映像自体が「やらせ」であったとしても、それを信じるか信じないかは映画を知覚する個人の認識に委ねられるということである。その原理を巧みに利用して、モンド映画や『スナッフ』はいかがわしい「幻想」を「現実」に変えることで、観客の好奇心を利用=搾取してきたのだ。
 『スナッフ』に搾取される観客と同様に、『ヴィデオドローム』の主人公もより刺激的な映像を求めている。そして『スナッフ』の「殺人シーン」が観客にとって「現実」となったように、「殺人シーン」(=「ヴィデオドローム」)が見せる幻覚は、主人公、映画、観客にとっての「現実」となる。即ち、『ヴィデオドローム』は、「スナッフ・フィルム」を引用しながら、エクスプロイテーション映画(=モンド映画や『スナッフ』)と観客との関係性を自己言及的に描く映画なのである。では、このような手法を行ったクローネンバーグの意図とは一体何だったのであろうか。

2-3.エクスプロイテーション映画と検閲

 『ヴィデオドローム』では「実際検閲の人間が起こり得ると終始警戒している危険な状態が、現実に起こったらどうなるのか見てみたかった」[32]とクローネンバーグは語る。そもそもエクスプロイテーション映画の歴史において検閲は避けては通れない問題であった。エクスプロイテーション映画が定義上、低予算な内容を補完するために、積極的に社会的な良識を害するような主題を盛り込む以上、それが検閲と摩擦を起すのは当然のことである。そしてそのためにエクスプロイテーション映画は、如何に検閲の監視の目をくぐり抜けるかに苦心してきた。映画史初期のセックスプロイテーション映画たる性教育映画が「教育=啓蒙映画」という体裁を取り繕い、また30年代アメリカでブームになる「ヌーディスト映画」がヌーディストについてのドキュメンタリーという体裁を取り繕ったことはその例である。
 1934年よりハリウッド映画を倫理的・政治的観点から強力に規制するプロダクション・コード(映画製作倫理規定)の運用が始まると、エクスプロイテーション映画は監視の目を逃れる工夫をすると同時に、これを逆手に取りメジャー系の主流映画に対抗した。即ち、主流映画が扱えないような主題を積極的に盛り込むことで収益を図り、同時にメジャー・スタジオができない表現を推し進めた。1950年代以降テレヴィ産業の台頭などによって、メジャー・スタジオの経営が傾きはじめると、エクスプロイテーション映画はテレヴィでは放映されないような表現を映画の中で実現し、収益を上げていった。1950年代後半からプロダクション・コードは運用破綻をきたし始め、1966年の抜本的改訂、そして遂に1968年に廃棄され、ハリウッド作品はレイティング・システムへと移行することとなる[33]。即ちこれによってこれまで規制されていた社会的良識を害するような表現を含む映画の存在が公認されたことになる。そして1967年に20世紀フォックスは、それまでエクスプロイテーション映画で着実に収益を上げていたロジャー・コーマンに『マシンガンシティー』The St. Valentine’s Day Massacreを撮らせ、70年にはラス・メイヤーに『ワイルドパーティ』Beyond the Valley of the Dollsを作らせるに至るのである。
 つまり何が言いたいかというと、映画において、倫理的に何が「善」で何が「悪」か、という問題は実に曖昧であるということである。始め「教育=啓蒙映画」として誕生したはずの性教育映画がいつの間にか検閲の規制を受けるような「不道徳な映画」に変身してしまったこと、また「ハリウッド映画」において相応しくない主題を言明し、それを禁止したプロダクション・コードが1950年代に徐々に崩壊していき、最終的にメジャー・スタジオもエクスプロイテーションの分野に乗り出すに至ったという事実がそれを物語っている。即ち、映画が社会的影響力の強い表象媒体である以上、映画に社会的良識に脅威を与えるような主題を含めることを危険視する検閲の考え方がある一方で、そのような主題に好奇心を示す観客が常に存在することもまた事実なのである。そこには、観客にとって良くないものとして「暴力的なシーン」を検閲がカットする一方で、モンド映画や『スナッフ』のヒットが示すように、逆にその「暴力的なシーン」(=殺人)を見てみたいという観客も常に存在してきたという矛盾がある。検閲に対して強い問題意識を抱いていたクローネンバーグは[34]、『ヴィデオドローム』において「スナッフ・フィルム」の「幻想」が観客にとっての「現実」となる様を「映像で語る」方法を通して、自己言及的にこのような矛盾を描いているのである。即ち、モンド映画や『スナッフ』が人の眼を欺いて高収益を上げたのと同じ位に、検閲という制度も欺瞞に満ちたものであるということを語るのである。従って彼にとってラディカルな野心作となった『ヴィデオドローム』は、その意味で単なる恐怖映画とは一線を画す作品と言えるのである。

2-4.全ては映像上へ具体化される

 『ヴィデオドローム』の主人公は実に精力的な男性である。自分のケーブルTV会社のための「商品」としてより性的・暴力的映像を探し求め、またゲストとして出演したテレヴィ番組にパーソナリティとして同席した女性を早速デートに誘うなど、仕事に対してもプライベートに対してもその自信のほどを伺わせる。しかし、その状況は、「ヴィデオドローム」を見たことによって一変する。まず、脳腫瘍が見せる幻覚(=主人公にとっては「現実」)の中で、主人公の腹には亀裂ができる(図4)。あからさまに女性器を想起させるこの亀裂は、やがて一定の命令がプログラミングされたヴィデオカセットの挿入口となる。以降、彼は世界支配を企むある政治組織によって操られる「ヴィデオ人間」となってしまうのだ。彼は組織からある女(「ヴィデオドローム」を開発した科学者の娘)の暗殺を命令される(=カセットを挿入される)が、逆に今度はその女から別のカセットを挿入されてしまう。
 加藤は、映画の前半で積極的に「男性」の指標を担う主人公が、周囲に振り回される「ヴィデオ人間」になる様を、メロドラマにおける男性の「女性」的弱者への変貌と分析して、腹にできた亀裂=女性器はその比喩的なことの具体化であると指摘している[35]。かつて『ラビッド』でメロドラマのヒロインが言わば男性器を獲得して「男性化」したのと対照的に、『ヴィデオドローム』では、行動的な男性がメロドラマのヒロインとなり、男性が「女性化」するという矛盾は、腹の亀裂=女性器として映像上に具体化されるのである。
 ところで、『ヴィデオドローム』が「スナッフ・フィルム」に対して自己言及的な作品であるということは既に確認した通りだが、資本主義社会において行動的な男性主人公が、現実世界と精神世界の境界喪失によって女性的弱者へと変化する構造は、実は『スナッフ』の観客にも対応している。『スナッフ』の観客は、その「殺人シーン」がもしかしたら本物かも知れないと信じて、劇場まで足を運んだ。その時観客は、それが自ら選択した主体的行為であると、自分では認識しているに違いない。しかし、「本物の殺人シーン」自体が『スナッフ』の扇情的な「宣伝」によってでっちあげられた「幻想」であり、お金を払って観たい映画を見に行くことが自分の主体的行為だと認識しているはずの観客は、実際はエクスプロイテーション映画製作者の懐を潤すために、『スナッフ』によって利用=搾取される弱者的存在なのである。即ち、そこには視覚を通じての精神的倒錯がある。主人公の腹にできた亀裂=女性器は、「観たい映画」を観に出かける行動的な観客が、実はエクスプロイテーション映画に搾取される弱者であるという矛盾の具体化でもあったのである。
 『ヴィデオドローム』では、映画や観客や検閲の間に存在する矛盾を映像の中に具体化してしまうことによって、字義通り(映像通り)映像が「ものを言う」。「結局はフレーム内の出来事のみが、映画においてはリアルとなる」[36] というのはクローネンバーグの言葉だが、彼の映画では本来目に見えないものまでも観客にとっての「リアル」となる。加藤が指摘するように、クローネンバーグの映画では、「見えないもの」を「見えるようにする」ことによってあらゆる対立項(比喩的なものと字義通りのもの、幻想と現実、無生物と生物、身体と精神、彼岸と此岸、男と女)が相互に融解し、「映像一元論的地平へとなだれこむ」[37]。即ちクローネンバーグは、映像一元論者なのである。クローネンバーグはその作家性を、常にエクスプロイテーション映画や恐怖映画のジャンルを利用しながら構築してきた。そしてそれまでの経験の中で抱いた映画作家としての自分の問題意識を表現するために、『ヴィデオドローム』ではあえて自身が仕事を行ってきたエクスプロイテーションを主たる題材とした。その意味で、『ヴィデオドローム』をもってクローネンバーグははっきりとエクスプロイテーション映画からの脱却を果たすのである。

3.『戦慄の絆』

3-1.『戦慄の絆』まで

 本章では1988年の作品『戦慄の絆』Dead Ringersについて扱いたい。『ヴィデオドローム』の後、クローネンバーグは『デッドゾーン』Dead Zone(1983)と、『ザ・フライ』The Fly(1986)を撮る。『ヴィデオドローム』は批評的には高く評価されたものの、映画興行面では大失敗に終わり、更にこの時点でカナダの税金控除政策も終了する。そんな苦しい状況ではあったが、当時いくつか映画化されていたスティーブン・キングの原作もの[38]の一つとして『デッドゾーン』はクローネンバーグの元に舞い込んできた作品だった。また、『ザ・フライ』は1950年代のハリウッドSFホラーブームに位置づけられる『蝿男の恐怖』The Fly(カート・ニューマン監督、1958年)のリメイクである。50年代のSFホラーが、同時代的な冷戦や原水爆に対する大衆の不安を利用=搾取して流行していることを考えれば、(20世紀フォックスによる製作とはいえ)『ハエ男の恐怖』も広義の「エクスプロイテーション映画」と言えるだろう。そのようなエクスプロイテーション的SFホラーを題材に借りながら、『ザ・フライ』においてはそのメロドラマ性が一層強く推し進められた。その結果、「恐怖」と「ラブストーリー」の融合によって、恐怖映画としての凄絶味を増した『ザ・フライ』は、クローネンバーグ作品においても屈指の大ヒット作となった。しかし、指摘しておきたいのは、『デッドゾーン』も『ザ・フライ』も外見上は恐怖映画の範疇に留まる作品であるということである。『デッドゾーン』は恐怖小説家として著名なスティーブン・キングの原作ものが、「恐怖映画監督」たるクローネンバーグのもとに舞い込んで来たという経緯があるし、人間が「蝿男」へと変態する様をグロテスクな特殊メイクによって提示する『ザ・フライ』は、メロドラマの構造があるとはいえ、観客にとっては基本的には「恐怖映画」なのである。つまりこの二作において、一般的なクローネンバーグの認知は未だ「恐怖映画作家」なのだ。クローネンバーグが恐怖映画の範疇からも超越を試みるのは、次作『戦慄の絆』からである。

3-2.『暗い鏡』(1946)との比較

 『戦慄の絆』は一卵性双生児の兄弟を題材にした映画である。互いに対照的な性格を持つ兄弟の精神的均衡が、ある女性と関係を持ったことをきっかけに崩れていくという物語である。1975年の一卵性双生児である産婦人科医の死体が発見された事件[39]にインスピレーションを受けていたクローネンバーグは、はじめ、プロデューサーから同じく一卵性双生児を題材にしたハリウッド映画史上評価の高い『暗い鏡』The Dark Mirror(ロバート・シオドマク、1946)のリメイクを勧められるが、これを断り、新たな脚本を求めた。しかし、『戦慄の絆』が明らかに『暗い鏡』の映画史的延長線上にあることは間違いない。本節ではまず、この『暗い鏡』との比較検討を行い、『戦慄の絆』の分析につなげたい。
 『暗い鏡』はロバート・シオドマク監督による、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演の1946年の作品である。『戦慄の絆』との大きな共通点は二つある。一つは、一卵性双生児を映画の主たる題材にしていること。もう一つは、一卵性双生児の外見的な同一性を特殊効果によって表現していることである。まずは『暗い鏡』の方を検討してみよう。
 映画『暗い鏡』は殺人事件の発生と共に始まる。容疑者として浮かび上がった女(デ・ハヴィランド)には、一卵性双生児のそっくりの双子がいて、刑事は姉妹のどちらが犯人か特定できない。結局、視覚的に判断するのは不可能ということになり、刑事は精神科医に姉妹の心理テストを頼む。
 『暗い鏡』は、序盤において双子の一方が殺人犯で、一方が潔白だということが判明するので、「双子を区別する」という目的に沿って、物語は進行する。映画の序盤では、特殊効果(=二重露光)の利用により、演じるのは一人の俳優でありながら、外見上全く見分けのつかない「双子」が、同一フレーム内に登場する。「双子」は同じ服装をし、同じような台詞を話す。「双子」はその同一性を利用することで、刑事や目撃者による犯人の特定を妨げ、同時に映画を観ている観客の目をも欺こうとするのである(図5)。従って前半では、もっぱら双子の身体的かつ精神的な同一性が強調され、真犯人の隠匿はサスペンスを提供する。しかしながら、映画中盤で姉の方が精神異常者であり、殺人犯であるという事実が明らかになると、徐々に双子は二項対立的に描かれるように変化していく。即ち、精神異常で殺人犯の姉は「悪」の指標を担い、正常で素直な心を持った妹は「善」の指標を担わされるようになる。結局、物語の真実は、姉妹で同じ男性(=被害者)に好意を持ち、男性が素直な心を持った妹の方を選んだことに激怒した姉が、男性を殺害したということなのであった。最終的に刑事たちは(同様に映画も)双子の区別に成功し、姉の逮捕をもって映画は終了する。
 一方、『戦慄の絆』は『暗い鏡』とは正反対の方向性をたどる。即ち、追及されるのは「双子を区別すること」ではなく、「双子が区別できないこと」である。当然それに伴い、演出方法も異なってくることになる。以下、『戦慄の絆』の物語を確認しながら、その点について考察していこう。
 『戦慄の絆』における、一卵性双生児の兄弟(ジェレミー・アイアンズが演じる)は二人で産婦人科を営んでいる。『暗い鏡』と同様に、『戦慄の絆』でも特殊効果(=動作制御カメラによる二重撮影)による「双子」のショットは登場する。しかし、『暗い鏡』がその序盤で双子の同一性を強調するのに対し、『戦慄の絆』では、そうならない。図6は、特殊効果を利用した映画序盤の「双子」のショットだが、「双子」はその服装によって明確に区別されている。即ち、対人関係が得意で、主に対外的な仕事を担当する兄(右)はスーツを着装し、内気で、主に医師としての研究の仕事を担当する弟(左)は手術着を着装している。二人は対照的な互いの性格を補い合うことでバランスを取りながら、医師として成功の道を歩んでいるというわけである。「僕らは何でも二人で分け合ってきた」というのは、弟の台詞だが、仕事もプライベートも「分け合う」ことでバランスを保ってきた二人は、まさに「二人で一人」の存在なのである。
 しかしある日、兄弟がある患者の女性と関係を持った(「一人」の人物の振りをしてお互いが女性と寝る)ことをきっかけに状況は変化する。兄弟は「二人で一人」であるから、いつも通り女性も「分け合った」訳であるが、今回はこの均衡に亀裂が入った。弟の方が女性に本気で恋をしてしまうのである。この女性に関する二人の反応を通しても、兄弟の性格は対照的となる。図7と図8は、兄弟が「一人」の振りをして女性と関係していたことが、彼女に発覚するシーンにおける二コマである。このシーンでは特殊効果は用いられず、左右対称なアングルのショット構成によって「双子」の対照性が演出される。また、「双子」を演じる俳優によって性格も的確に演じ分けられる。即ち、激怒した女性に「二人」はコップの水をかけられるのだが、強気な性格の兄(図8)にとっては、それは何と言うことは無いのに対し、弱気な性格で、彼女に本気で恋をしていた弟(図7)は、心に深く傷を負うのである。
 このように『戦慄の絆』と『暗い鏡』は、一人二役の俳優を用い、特殊効果等を利用して一卵性双生児を描く点で共通しているが、少なくとも演出上、序盤において、『暗い鏡』が双子を区別できなかったのに対し、『戦慄の絆』はしっかりと双子を区別する点で相違しているのである。そしてこの相違点が何を生み出すかというと、『戦慄の絆』は二人を対照的に描く演出方法を取ることによって、「二人で一人」という双子の比喩的な側面を語るのである。従って中盤以降、両者は正反対の運動をたどることになる。つまり、『暗い鏡』が双子を「区別していく」のに対し、『戦慄の絆』は益々「区別ができなくなっていく」のである。そして、『暗い鏡』でほぼ冒頭に用意された全く見分けがつかない「双子」のショットは、『戦慄の絆』では映画のラストまでとって置かれることとなる。
 『戦慄の絆』の話に戻ろう。女性への愛と、兄からの自立の間で苦しむことで、弟は薬物へと堕ちていき、次第に正常さを失っていく。弟の異常は次第に兄にも伝染していき(兄も薬物を服用し始める)、二人の精神的バランスは崩れていくこととなる。その狂気の行き着く果てが、映画のラストに用意されたショットである(図9)。ここで初めて、特殊効果を利用した「全く見分けがつかない双子」が同一フレーム上に登場する。それまで対照的な性格を互いに補い合い、「二人で一人」として成功を重ねてきた「二人」は、字義通り(映像通り)「二人で一人」の存在になるのだ。『戦慄の絆』は、『暗い鏡』とは正反対の運動を行うことによって、二項対立的な「双子」の区別を取り払い、その精神的な(かつ身体的な)境界は、映像上に消失していくのである。

3-3.『戦慄の絆』とエクスプロイテーション映画

3-3-1.『戦慄の絆』と「麻薬映画」

 本節では、『戦慄の絆』とエクスプロイテーション映画史との関係性について考察する。『戦慄の絆』では、スタイルとしてこれまでの作品で顕著であったようなグロテスクな特殊効果や流血は殆んど見られない。しかし、クローネンバーグは、『戦慄の絆』においてもエクスプロイテーション映画を参照することを忘れない。まず、その一つとして指摘できるのは「麻薬」である。前節において、『戦慄の絆』が、双子の精神的均衡が崩されて狂気に蝕まれていく過程を描くということは確認した通りであるが、そのプロセスには「薬物」の主題が導入されている。不安に駆られた弟が摂取するのは、医師として所有している薬物であるが、それが兄ともども狂気の渦にのめり込んでいく結果を招く以上、彼らの摂取するのは明らかに「麻薬」である。
 アメリカ映画史上初期のセックスプロイテーション映画である性教育映画では、品行方正な青年が「過ち」を犯す要因として「飲酒」が好んで用いられた。主人公はアルコールによって判断力を鈍らせ、一夜の「過ち」を犯してしまうのである(『ザ・フライ』で、主人公が自らを人体実験にかけてしまう発端を生むのも、「飲酒」である)。人を「過ち」へと転落させるために、アルコールが利用されるのだとしたら、より害悪性が強い(と見なされる)「麻薬」がエクスプロイテーション映画の主題に利用されるのは必然的なことであろう。
 シェイファーによれば、「麻薬」もエクスプロイテーション映画における原初的な題材であった[40]。1910年代、アメリカにはメキシコから大量の移民労働者が流入し、同時に彼らの大麻を吸う習慣も持ち込まれることになった。1914年に制定された麻薬類の規制を定めるハリソン法を受ける形で、麻薬の害悪を啓蒙する映画は10年代から存在していた。それは例えば、The Cocaine Traffic(ルービン社、1914)、The Drug Traffic(エクレール社、1914)、The Derelict(カレム社、1914)、The Secret Sin(フェイマス・プレイヤーズ社、1915)などであり、それらの映画は、ちょうど性教育映画が性病の恐怖を啓蒙するように、麻薬の恐怖を中産階級や中産階級の上位層に対する脅威として描くものであった。20年代には、1923年にハリウッド俳優であるウォーレス・リードのモルヒネ中毒死というスキャンダラスな事件が起こり、すぐさまその事件を当て込んだ映画が数本作られた。しかし、本格的にアメリカで「麻薬映画」が流行し始めるのは、30年代以降である。
 30年代までに、既にアメリカではマリファナは労働者階級の間で嗜まれるようになっており、麻薬がアメリカの若者を害するのではないかという大衆的な不安は次第に高まりつつあった。そこで行われたのが、ハリー・アンスリンガーを長官とする連邦麻薬捜査局(FBN)による、熱烈な反麻薬キャンペーンである。アンスリンガーは、麻薬がメキシコ人労働者、黒人ミュージシャン、ボヘミアンなどの間で蔓延し、白人中産階級の若者を蝕もうとしているという、非常に人種差別的なキャンペーンを行った。更に、麻薬に関する医学的見地をほぼ無視して、麻薬の害悪を荒唐無稽なまでに誇張した。これによって、30年代中頃のアメリカでは、麻薬に耽溺した若者が性的に堕落したり、頭がおかしくなって家族を斧で殺害したりした、などというエピソードが、さしたる裏づけもなくばら撒かれることとなった。このような状況下で、エクスプロイテーション映画がそれ程のスキャンダラスなネタを利用しないはずは無かったのである。
 当時、性教育映画などを手がけるエクスプロイテーション映画専門のプロデューサーであったドウェイン・エスパーは、彼の妻と共に、即座に「麻薬映画」Narcotic(ドゥエイン・エスパー、ヴィヴァル・ソダート、1933)とMarihuana(ドウェイン・エスパー、1936)を製作した。エスパーは、いろんな種類の麻薬や、その密輸経路をでっちあげたディスプレイを劇場の前に設置するなど、観客の好奇心を惹きつける工夫をしながら、映画の巡回興行を行った。エスパーに追随して、麻薬映画はReefer Madness(ルイス・ガスニエ、1936)、Assassin of Youth(エルマー・クリフトン、1937)などが続いた。これらの麻薬映画は、10年代に作られた麻薬映画と同様に、麻薬の害悪を啓蒙する体裁を取るものであったが、その焦点はもっぱら若者に絞られた(最初に登場したNarcoticは、例外的に大人の麻薬中毒を扱っている)。例えばReefer Madnessは、ある博士が、具体的なエピソードを交えながら、父母や教師にむけて麻薬の害悪を語るという枠物語を採用する。映画では、大麻の栽培や、マリファナの製造工程などが紹介された後、マリファナを嗜むようになった高校生グループの物語が紹介される。彼らは麻薬に耽溺することによって、強姦、発狂、殺人、自殺等を引き起こし、破滅への道筋を辿る。彼らがマリファナを吸うと大声で笑い出し、性的に淫らになる描写は、まさに当時の社会で飛び交っていたような、麻薬の害悪が誇張された噂話の「再現」である(そしてまさにそれが映画のスペクタクルとなる)。このように、30年代の麻薬映画の被害者がもっぱら若者に設定された理由は、麻薬映画の製作者たちが、アンスリンガーのキャンペーンによって生まれたスキャンダリズムの利用を目論み、麻薬がとりわけ白人中産階級の若者に対しての脅威であるという認識を強化しようとしたためであった。即ち、これらの麻薬映画は、アンスリンガーが作り上げた神話を、映画の中で実現してみせたと言える。麻薬映画は、麻薬の害悪を人々に啓蒙する体裁をとりながら、内実は麻薬の害悪を積極的に披露することで観客の好奇心を利用=搾取する、エクスプロイテーション映画となるのである。以後、「麻薬が若者を蝕む」というプロットは、麻薬映画におけるステレオタイプとなり、それはエクスプロイテーション映画が解体していき、主流映画も「麻薬」を題材に扱うようになってからも同様となった。
 さて、『戦慄の絆』における、麻薬によって正常な人間が狂気に蝕まれていくプロットは、30年代に勃興した麻薬映画のそれと共通していると言える。「麻薬」は、エクスプロイテーション映画が利用しやすいタブーとして格好の主題の一つだったのである。また、『戦慄の絆』において薬物を摂取するのは、若者ではなく産婦人科医だが、医師を主人公とする点では30年代に最初に登場した麻薬映画とされるNarcoticと共通していると言える。他の麻薬映画と違って、Narcoticは大人の麻薬中毒を扱っており、しかもその主人公は外科医なのである。
 さらに『戦慄の絆』との共通点という見地からNarcoticが興味深いのは、この映画にも手術シーンが存在する点である。Narcoticでは、映画の序盤で交通事故が発生し、事故に遭った妊婦を帝王切開して腹の中から胎児を取り出すという手術シーンが差し挟まれ、それは観客にとって唐突なスペクタクルとなる。この映画が、単に「麻薬の害悪を啓蒙する映画」であるとすれば、そのようなグロテスクなシーンを入れる必然性は一切無いはずである。つまり、主人公が外科医であるという設定を口実に、半ば強引に手術シーンが挿入されているのである。そもそも「手術」も、映像化するには実にきわどい主題である。しかし、だとすればそれは単純に、エクスプロイテーション映画では利用するのに相応しい主題ということになるのだ。Narcoticにおけるこの手術シーンは、観客の好奇心を惹きつけるものであれば何でも利用するというエクスプロイテーション映画の精神が発揮されているシーンだと言えるであろう。
 つまり、Narcoticの例が示すように、『戦慄の絆』における「医師の麻薬中毒」という題材は、麻薬映画が勃興する最初期から利用されており、さらにエクスプロイテーション映画的発想でいけば、そこに「手術」が付加されるのも自然なことなのである。その意味で、『戦慄の絆』はエクスプロイテーション映画的発想に忠実な作品であると言えるのである。しかしながら、『戦慄の絆』において、クローネンバーグがエクスプロイテーション映画史の中に参照しているのは麻薬映画のみではない。『戦慄の絆』の背景には、さらにもう一つのエクスプロイテーション映画的主題が採用されているのである。

3-3-2.『戦慄の絆』と「シャム双生児」

 『戦慄の絆』では、最終的に弟が兄を殺害する。弟は「シャム双生児の分離手術」と称して、兄の胸を切開する。その後、愛する女性のもとへ向おうとするも失敗し、兄の身体の上に重なり合う形で、弟も死亡する。映画の中で、兄弟はシャム双生児の「チャンとエン」について言及し、「分離手術」のシーンでは、二人ははっきりと自らを「チャンとエン」であると宣言する。一卵性双生児として、身体は分離しているはずの二人は、不可解にも最終的に、身体が接合する「シャム双生児」を名乗るのである。
 チャンとエンは1811年に「シャム」(タイ国の旧称)で生まれた結合双生児である。29年にアメリカに渡り、サーカスの見世物として人気を博した。「シャム双生児」という呼称は、彼らの興行名に由来している[41]。また、同時代的に見世物として人気を博した結合双生児としては、例えば他にヴァイオレットとデイジーのヒルトン姉妹がいる。チャンとエンやヒルトン姉妹のような結合双生児だけでなく、自らを見世物にする奇形者のショーマンはかつてたくさん存在した。そしてそれらが、「見世物」としての性格も持つ映画へと場を移すことは必然的なことであった。その集大成と言えるものが、ヒルトン姉妹も出演する『フリークス』Freaks(トッド・ブラウニング、1932)である。
 サーカス出身のトッド・ブラウニングは、1910年代前半にD・W・グリフィスの推薦で映画界入りした後、俳優のロン・チャニイと組み、20年代後半まで優れた作品を連作する。トーキー時代には最大のヒット作『魔人ドラキュラ』Dracula(1931)をベラ・ルゴシ主演で撮り、観客を誘うエキゾチックかつ神秘的な幻想世界を演出した。ヒットメーカーたるブラウニングは、元見世物稼業に従事していた経験から、劇場で観客の欲するものが何たるかを心得ていたといえる。そして『魔人ドラキュラ』の翌年、その見世物の集大成として製作したのが、『フリークス』である。
 『フリークス』は、サーカスを舞台にした復讐譚である。美しい女芸人が、小人芸人の蓄えた財産を狙って誘惑し、毒を盛って彼を殺そうと画策する。その企みに気づいた奇形者の芸人たちは女を襲い、不具者にされた女は見世物小屋の見世物となる。そのような物語構造はあるが、映画の主たる目的はユーモアを交えて登場する奇形者たちの紹介にある。『フリークス』を作るにあたり、ブラウニングは全米にスカウトを派遣して有名な奇形芸人を集めたというが、観客が今まで見たこともないような、奇形者の姿や運動が、映画『フリークス』のスペクタクルとなるのだ。例えばそれは、下半身の無い人間が両手を駆使して思いがけない速さで走る運動であったり、両腕両足の無い人間が器用に口だけを使ってタバコを擦る運動であったりする。このような、スクリーン上に奇形者を「展示」するやり方が深く差別的であると評価されるのは致し方ないことであっただろう。各地で上映禁止処分を受けた『フリークス』は、悪名高き最大の見世物映画となる。
 しかし、レスリー・フィードラーが指摘するように、奇形に対して「わたしたちは目をそらしたい、よく見てみたいというふたつの欲求を同時に感じる」[42]という側面も存在するのは確かである。それこそがサーカスや巡業カーニヴァルや見世物小屋での奇形者のショーを成立させている。それが不謹慎で差別的なことと承知しながらも、観客は好奇心を刺激されてしまうのだ。そこにタブーを積極的に利用するエクスプロイテーションの動きが加わるのも当然のことであった。柳下によれば、『フリークス』を製作したMGMは、1947年に、先述したエクスプロイテーション映画専門のプロデューサーであるドゥエイン・エスパーに『フリークス』の配給権を譲り渡してしまう。それまで性教育映画や麻薬映画などを低予算で自主製作し、巡回興行を行っていたエスパーは、『フリークス』の配給権を25年リースで手に入れると、映画の冒頭に教育的な前口上の字幕を付け加え(教育的な体裁を取り繕った)、巡回興行にかけた。もちろん『フリークス』は「エクスプロイテーション映画」の一言で片付けられるような単純な映画ではない。ただ、一つ言えるのは、興行のために観客の好奇心を刺激する目的で、奇形者が利用されてきたという文化的な事実はあり、『フリークス』において、ブラウニングはそれを見世物として効果的に見せるための演出を心得ていたということである。そしてそれはエスパーによって、観客の好奇心を利用=搾取するエクスプロイテーション映画として改めて利用されたのだ。
 話をシャム双生児に戻そう。『フリークス』において、ヴァイオレットとデイジーのヒルトン姉妹は、もっぱら二人が接合していることをネタにしたギャグを提供する。他人がデイジーの身体に触れ、目をつぶったヴァイオレットの方が、身体のどこの部位を触られたか当てるという具合である。中でも最も印象的なのが、ヴァイオレットが恋人からキスを受けるシーンである。男性がヴァイオレットにキスをすると、顔の見えないヴァイオレットの代わりに、デイジーの方が官能的な笑みを浮かべるのだ(図10)。フィードラーも指摘するように、癒着した双子というのはどうしても、その「性的プライヴァシーの不可能性」を観客に想起させてしまう。『フリークス』の宣伝ポスター上の「シャム双生児は愛の交わりを行うのか?」という言葉もそれを物語っている[43]。身体が接合していることによって、彼(彼女)らの性的な部分が観客の好奇心の的となってしまうのだ。
 『戦慄の絆』に戻ろう。『戦慄の絆』では、それが作家自身の性的な嫌悪感、女性嫌悪の投影であるという批判が再び浮上することになった[44]。即ち、兄弟間のバランスに「揺らぎ」を生じさせるのは女性であり、やはり『戦慄の絆』も「女性」を起点に混乱が引き起こされている点を指摘するのである。実際『戦慄の絆』には、直接的な性描写が存在するし、また、弟が見る夢の中で、「シャム双生児」である二人の結合部に女性が噛み付いてそれを食い破るようなシーンも存在する。しかしながら、ヒルトン姉妹からも確認できるように、シャム双生児に関する「愛の交わり」という問題は、常に観客の好奇心の的であった訳であるし、更に言えばそれは何もシャム双生児に限った話のことではない。フィードラーも指摘するように、一卵性双生児はすべて、「われわれの体ではなく意識の単一性」に挑戦をかけてくるのである。即ち、一卵性双生児が(少なくとも外見上)身体的に同一であるが故に、もしかしたらその精神までも同一なのではないかと、我々(一卵性双生児以外の人間)は疑いを抱き、興味を惹かれるのである。そしてその興味は、当然性愛にも及ぶ。もし考え方や嗜好まで同じであるならば、同じ対象に好意を持ってしまうのではないか、と考えるのである。『暗い鏡』もその想像力が生み出した作品であることは間違いない。『暗い鏡』の殺人事件は、一卵性双生児の姉妹が同じ男性に好意を持った結果、破綻した側の姉の嫉妬心が引き起こしたものであったのだ。そして、そのような一卵性双生児の性愛に関する我々の想像力は、身体が結合しているシャム双生児の場合になると一挙に具体性を帯びる。つまり、「シャム双生児は愛の交わりを行うのか?」に至るのであるが、このレベルになると、それは「目をそらすべき」主題となり、即ちそれが『フリークス』なのだ。
 この辺りで、一卵性双生児を描くにあたって、『戦慄の絆』が『暗い鏡』とは違ったアプローチを取らなければならなかった理由が明らかになってくる。『暗い鏡』は一卵性双生児の「二人で一人」(=「身体も精神も同一」)という問題に触れながら、途中から善悪二元論的構図を当てはめることによって、結局「二人は別々」という結論を取った。しかしこれは、敢えて問題の追及をしなかった(する必要もなかった)という見方もできるであろう。「一卵性双生児」に関する「二人で一人」という問題は、突き詰めれば字義通り肉体的にも「二人で一人」の「シャム双生児」へと至る。しかし映画でそれを描こうとすると、それは「奇形者の性交渉」という隠蔽されるべきタブーの領域へと侵入してしまう可能性がある。1946年のハリウッド映画たる『暗い鏡』がその領域に抵触することなど到底許されるものではないのである。
 一方、『戦慄の絆』は、クローネンバーグなりに「一卵性双生児」の本質を描き切るという目的をもって、「二人で一人」という比喩的なさまを字義通り映像上に具体化するという試みを行ったと言える。かつて『フリークス』において、左右対称なフレーム構成の中心に、現実に身体が融合するヒルトン姉妹がたたずんでいたように(図11)、『戦慄の絆』の「兄弟」も映像上で融合を果たすのである(図9)。
 例え批判に晒されようとも、『戦慄の絆』においてクローネンバーグは、きわどい主題(=シャム双生児の結合部、兄弟の性交渉)を惜しみなく見せた。しかし、クローネンバーグにとって、それは造作も無いことだ。なぜなら彼は、隠蔽されるべき主題を敢えて積極的に採用するエクスプロイテーション映画の原理を知り尽くしているからである。『戦慄の絆』の中には、「産婦人科医の治療」、「麻薬」、「手術」など、およそ60年代前半までは映画で扱うにはタブーとみなされるような主題が数多く散りばめられている。クローネンバーグはそういった主題が、人から反感を買う反面、人を惹きつけもするということを心得ているのだ。
 これまでクローネンバーグの映画は、恐怖映画の範疇にメロドラマの構図を導入することにより、「マッドサイエンティスト」により生み出された「怪物」(=男性器を獲得した女吸血鬼、超能力者、ヴィデオ人間、蝿男)の実存を問題にしてきた。「怪物」は決まって社会から阻害された孤独な存在となり、最終的に社会から(自主的に)抹殺される運命をたどった。つまりその「怪物」性とは、弱肉強食の動物世界の頂点を極める人間社会における個人の精神の視覚化に他ならない。そしてそれは、『戦慄の絆』においても同様である。映像上で融合し、「シャム双生児」となった二人は、分離を試みようとする。ヒルトン姉妹の『フリークス』以外の代表作である、「一生鎖につながれている=結びついている」Chained for Life(ハリー・L・フレイザー、1951)という題の映画も示すように、「分離」はシャム双生児にとっての永遠の命題である。『戦慄の絆』の弟は、兄との「接合部」(我々=観客の目には見えないが、彼らの精神の中には確かに存在している)を切断しようとするが、それによって兄は死に、弟も兄の後を追う運命に身を委ねるのである。かくして、一卵性双生児の実存に焦点を当てた『戦慄の絆』は、恐ろしいまでの双子の不可分性を語るのである。しかし、その「恐ろしさ」は恐怖映画のそれではない。いわゆる恐怖映画における「恐怖」は観客にとっての現実ではないという「前提」があるからである。

3-4.カルトホラーを越えて

 ロビン・ウッドは、恐怖映画が求める「恐怖」の対象として、人間の内部で抑圧されたものが投影された「他者」を指摘している。「他者」とは、抑圧されたものが「憎むべき他者」として投影される外的な姿であり、それは、異性、異階級、異文化、異民族、両性愛と同性愛、子供など、際限なく広がっている[45]。だとすれば、観客にとっての「恐怖」は、あくまでも観客の現実を脅かすことない「他者」なのだ。なぜなら恐怖映画は、「観客を怖がらせるという見世物的特質を全面に押し出す映画群なのだから」[46]である。恐怖映画における「恐怖」は映画内の被害者にとっては現実であろうが、スクリーンで隔たれた「現実」に身を置く観客にとってはあくまでも映画の虚構内世界での出来事なのである。恐怖映画の心理的に面白い側面として、ウッドも指摘しているように、「よくホラー映画を観に行く観客の多くがその映画を馬鹿にすることに熱心で、見に行くのは笑うためだということ」[47]は、それが顕著に現れた例であろう。映画内の「恐怖」が、同時に観客にとっての「現実の恐怖」になってしまっては、もはや笑ってなどいられないはずだからだ。
 しかしながら、この「前提」に揺さぶりをかけてくるのが、クローネンバーグの映画なのだ。彼の映画が常に「心身」を題材に取る理由はここにある。彼は自身のインタビュー中で次のように語っている。

 現実との接点のひとつは、我々の肉体だ。しかし、肉体は、あまりにもはかなく、一時的すぎる。だから我々がどんなに現実を理解したとしても、また現実を肉体の中心に据えてみたところで、結局は肉体のはかなさでしか現実感を捉らえることはないのだ[48]

 つまり、クローネンバーグの恐怖映画は、現実との接点である「身体」を、恐怖映画における「他者」に当てはめてきたと言える。身体が思いがけなく変容する時、当然現実も安全ではなくなるのである。しばしば、クローネンバーグ作品の登場人物は、その身体を変容させられてきたが(=寄生虫の宿主、男根を獲得した女吸血鬼、「怒り」の身体への表出、頭部の破裂、蝿男)、彼(彼女)らにとっての「現実」(=映画内現実)と、観客にとっての「現実」(=映画外現実)との境界線は保たれてきた。『ヴィデオドローム』では、その境界線が消失した結果、観客にとっての「現実」の安全性も脅かされることとなったが、「グロテスクなもの」を現実とはかけ離れた「恐怖=他者」に設定することによって、観客はかろうじて自分の現実世界に踏みとどまることができた(『ヴィデオドローム』が、公開当時の観客層には完全に拒絶されるも、後に恐怖映画信奉者たちによって、レンタルヴィデオ時代隆盛期に文字通り熱烈に歓迎された理由はここにあるのだろう)。しかし、スタイルとして、流血シーンも「グロテスクなもの」もほぼ消滅した『戦慄の絆』では、恐怖映画としての視聴覚的拠り所が存在しないにもかかわらず、観客は映画に「恐ろしさ」を感じる。それは、紛れも無く『戦慄の絆』も心身を題材にしており、身体に関係する「目をそらしたい」(同時に「よく見てみたい」)主題(=セックス、麻薬、手術、奇形)を、観客は『戦慄の絆』の映像上から、視線を通じて自分の身体の中に取り込むからなのである[49]。この観客にとっての「現実」に揺さぶりがかけられたときに感じる「恐ろしさ」を言葉で表すとすれば、それは「戦慄」Shiversだろう(それは既にクローネンバーグの商業デビュー作のタイトルであったのである)。現実が揺さぶられれば、その現実を知覚する身体も揺さぶられずにはおかないのだ。その時観客は、字義通り「身震い」するのである。『戦慄の絆』は、虚構された「恐怖」ではなく、実存的な「恐怖」を提供している点で、恐怖映画とは一線を画する作品なのである。

4.おわりに

 ここまで論じてきたように、クローネンバーグの恐怖映画は、「マッドサイエンティスト」によって生み出され、「怪物」となって社会に放り出された個人の実存を常に問題にしてきた。つまるところ、クローネンバーグの作品は、人間社会における「個人」の精神世界を映画に深化表象させようと試みるものなのである。その試みに対して、クローネンバーグは独自のアプローチの仕方を取る。即ち、映画を作る上で、常にアメリカ映画史上のエクスプロイテーション映画史を参照することを忘れず、また常に「心身」を映画の主題に選択する。なぜならクローネンバーグは、エクスプロイテーション映画が、人間の本能的な精神(=好奇心)に働きかけることによって、その存在意義を見出してきたという映画史的事実や原理を熟知しているからである。
 繰り返しになるが、エクスプロイテーション映画とは定義上、低予算製作下の粗雑な内容を、センセーショナリズムやスキャンダリズムによって補完することで、高収益を図ろうとするものである。そのために、もっぱら同時代の社会的に隠蔽されるべきとみなされる主題に焦点を絞り、積極的にそれを見せる。直接的な目的は、観客の財布から入場料を搾取(エクスプロイト)することであるから、その(映画内での)良識の欠如には際限が無い。どんなにいかがわしいと罵られようが問題にせず、平気で「嘘」も「真実」にしてしまう。即ち、観客の足を劇場へ向かせる(=観客の好奇心を刺激する)ことに、ひたすら心血を注ぐのである。しかし、だからこそエクスプロイテーション映画は、徹底して観客のために作られている映画であるとも言える。だとすれば、そこに映画の一つの本質が存在すると考えてもおかしくはなかろう。観客無くして映画は成り立たないのである。
 クローネンバーグは、その本質を探ろうとする画期的映画作家である。彼が常に「心身」を映画の主題に据える理由もここにある。考えてみれば、セックス、性病、暴力、出血、麻薬、奇形など、エクスプロイテーション映画が題材にする主題は、全て直接的に身体に影響する主題なのである(エキゾチズムが、今まで見たことも無い新しい「現実」を観客に提供すると考えれば、エキゾチズムも、現実を知覚する身体と無関係ではないだろう)。映画には、それが現実の再演、あるいは虚構であるという前提があり、その前提を認識した上で、観客は映画内の「現実」に没頭できる。その前提があるからこそ、おぞましい恐怖映画も観に行くことができる。しかし、実際のところ、現実とは身体の知覚に依存するものであり、身体がはかなく、脆いのと同様に、現実もはかなく、脆いのだ。クローネンバーグの映画は、身体を攻撃することによって、まさにその現実の脆さに攻撃をしかけてくる映画なのだ。現実を脅かされた観客は、しばしばその不安の原因を、何かしら自分自身とは距離が離れた「他者」へと帰そうとする。即ち、それは監督(=クローネンバーグ)自身の不安、あるいは同時代の政治的、文化的な脅威に対する不安となる。例えば、『ザ・フライ』を観た多くの批評家は、その直接的なセックスと病気(=蝿男への変異)の描写から、映画の背景にエイズに対する不安を指摘する誘惑に駆られた[50]。しかしそれは、クローネンバーグにとっては、「何処吹く風」であろう。クローネンバーグの映画が、エクスプロイテーション映画を参照している以上、それがスキャンダリズムを喚起するのは当然のことだからである。かつては梅毒や淋病といった性病も、スキャンダラスなセックスプロイテーション映画たる性教育映画に利用されたのだ。従って、このような評価は、クローネンバーグの映画の表面的な部分(エクスプロイテーション的な部分)をなぞるに過ぎないだけでなく、映画の「宣伝」に寄与する話題性を高めて、内心クローネンバーグがほくそ笑む結果を生むだけである。そもそも、もっぱら同時代の社会的良識に脅威を与えかねない主題を採用するエクスプロイテーション映画が、下品や、醜悪や、時には差別さえも売り物にして、その存在価値を見出してきた以上、エクスプロイテーション映画を参照するクローネンバーグの作品が、発表されるごとに物議を醸すのは当然のことだと言えるのだ。マテイスは、より近年の作品になっても、クローネンバーグの作品が、同時代の政治的、文化的観点から受容される対象であり続けることを指摘している[51]。確かにその通りだろうが、クローネンバーグ自身、世界の社会的な変遷に無感覚ではないであろうし、そもそも社会的(映画的)変遷に常に敏感にアンテナを張り巡らせ、即座に行動に移す表象媒体こそ、エクスプロイテーション(際物)映画だったのである。
 従って、クローネンバーグの映画が描く「個人」の精神世界は、しばしば下品で、醜悪で、差別すら伴うものであるが、振り払っても纏わりついてくるように、その世界は観客の精神へと浸入してくる。その時観客は、えも言われぬ「気味悪さ」を感じるだろう。その理由は、かつてハリウッド映画が「見せるべきではない」と隠蔽する代わりに、エクスプロイテーション映画がまざまざと見せ付けてきた主題が、随所に散りばめられているからである。そういった主題は、現実社会の良識を害する危険性があるとみなされたが故に、かつてハリウッド映画によって「禁止」された。しかしその一方で、エクスプロイテーション映画は、それが現実の観客を惹きつけもするという事実を証明した。かつて映画界において、メジャー・スタジオの支配の隙間から、いかがわしい魅力を放ちながら、我々観客に手招きした存在。ひとたびその「存在」を体内に取り込むと、侵犯された我々の身体と現実は「身震い」し、えも言われぬ「気味悪さ」を感じるが、不思議なことにその「気味悪さ」は、粘りつくように我々に再びそれを「摂取」することを誘惑してくる。即ち、その「気味の悪い世界」に再び酔い痴れたくなるのである。そう考えると、この構造は麻薬に似ている。「麻薬」も人を惹きつけて止まない主題だが、麻薬を身体内に摂取すれば、摂取者の身体は害され、同時に摂取者の現実も崩壊させる危険性をはらんでいるからである。しかし、麻薬が人間を身体的かつ精神的に害し、暴力や殺人などの犯罪を引き起こすのと同程度に、映画も危険であると考えるのはいささか乱暴だと言えるだろう。映画の身体に対する働きかけ方は、麻薬のそれとは根本的に違うからである。つまるところ、『ヴィデオドローム』でクローネンバーグが主張したかったのは、そういうことだったのかもしれない。言うなれば、クローネンバーグの映画は「映像麻薬」である。しかし、その摂取のされ方は、直接物理的な身体への注入ではない。だとすれば、それが注入されるのは、我々の身体と表裏一体をなす、精神なのだ。クローネンバーグは、映画にエクスプロイテーション映画的味付けを施しながらも、それを単なる見世物のレベルから、人間の精神に作用する「麻薬」のレベルへと昇華させてしまうのである。そのような独自の手法で人間の精神世界の深化表象を試みるクローネンバーグは、映画史上特筆すべき映画作家であると言えるのである。

 

[1]例えば、ロビン・ウッド「アメリカのホラー映画 序説」藤原敏史訳、岩本憲児・武田潔・斉藤綾子編『新映画理論集成1』、フィルムアート社、1998年、71-72頁。ウッドは同論文で、クローネンバーグの映画は、「恐怖の源を女性とその性へ投影しており、究極の不安は父権的イデオロギーが男性に割り当てている行動的で攻撃的な役割を女性が奪うことである」とし、従ってクローネンバーグ作品を「反動的恐怖映画」として分類している。

[2]例えば、Ernest Mathijs, The Cinema of DAVID CRONENBERG: from Baron of Blood to Cultural Hero(Wallflower Press, 2008)。マテイスは同書で、先行研究を丁寧にまとめつつ、如何に映画が同時代の文化的不安を反映(もしくは予期)しているかという視点からクローネンバーグ作品について論じている。他には、Lianne McLarty,“Beyond The Veil of the Fresh: Cronenberg and the Disembodiment of Horror,”in The Dread of Difference: Gender and the Horror Film(Austin: University of Texas Press, 1996), pp. 234-235.

[3]クリス・ロドリー編『クローネンバーグ オン クローネンバーグ』菊池淳子訳、フィルムアート社、1993年、68-72頁。

[4]Eric Schaefer, Bold! Daring! Shocking! True! : A History of Exploitation films, 1919-1959(Duke University Press, 1999), pp. 16-41.

[5]今日、「エクスプロイテーション映画」と「B級映画」という言葉は、しばしば混同されて使用されがちである。そもそも「B級映画」とは、不況に対抗して1930年代~50年代にアメリカで行われた、観客に割安感を与える二本立て興行(A級/B級)において高予算「A級映画」に対して区別させるために当てられた言葉である。B級映画は、主にメジャー系のB班、または「貧窮通りスタジオ」(グランドナショナル、リパブリック、モノグラム、PRCなど)による低予算・早撮り映画で、上映時間は通常65分から70分程度であった。しかし必ずしも完成度と質において、B級映画がA級映画に劣っているとは限らない。蓮實重彦『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』筑摩書房、1993年を参照。

[6]加藤幹郎『表象と批評-映画・アニメーション・漫画』岩波書店、2010年、61-64頁。

[7]ロドリー、前掲書、94頁。

[8]柳下毅一郎『興行師たちの映画史―エクスプロイテーション・フィルム全史』青土社、2003年、202頁。

[9]同書、205頁。

[10]山崎圭司「切株描写から辿る世界映画史」、高橋ヨシキ+DEVILPRESS MURDER TEAM編『別冊映画秘宝 ショック!残酷!切株映画の世界』洋泉社、2008年、45頁。『地獄の逃避行』Badlands(テレンス・マリック、1973)のシシー・スペイセクの演技に感銘を受けていたクローネンバーグは、はじめ『ラビッド』の主演にスペイセクの起用を考えていたが、プロデューサーによって却下された。そこにライトマンがチェンバースの起用を提案してきた形となった。

[11]Schaefer, op.cit., pp. 23-24.

[12]加藤幹郎『映画ジャンル論:ハリウッド的快楽のスタイル』平凡社、1996年、240頁。

[13]同書、227頁。

[14]Schaefer, op.cit., pp. 291-299.シェイファーによれば、19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州で勃興したヌーディズムは1929年頃にアメリカに輸入され、ヌーディストについてのドキュメンタリーという体裁をスクリーンに裸体を上映する口実とする「ヌーディスト映画」がセックスプロイテーション映画のサブジャンルとして30年代以降ブームになった。1959年、ヌーディズムの口実無しに裸体を上映した初めての作品『インモラル・ミスター・ティーズ』The Immoral Mr. Teasがラス・メイヤー監督によって撮られた以降は、「ヌーディ・キューティ」(ヌードを売りにするエロチックな小品)が大衆的となっていった。

[15]柳下、前掲書、292-296頁。

[16]加藤(1996年)、前掲書、240-241頁。

[17]加藤幹郎「映像一元論者デイヴィッド・クローネンバーグ」『映画のメロドラマ的想像力』フィルムアート社、1988年、173-174頁。

[18]同書、172頁。

[19]ロドリー、前掲書、18頁。70年代後半から80年代前半にかけて、カナダでは国内の映画産業に対する投資を奨励する意味で、映画投資による税金控除の制度が導入されていた。投資家は映画製作に投資することで、その投資額の何倍もの税金を帳消しにすることができた。

[20]今井隆介、「身体変容の映画作家 デイヴィッド・クローネンバーグ」『映像学2001』日本映像学会、2001年、93頁。

[21]加藤幹郎『映画館と観客の文化史』中公新書、2006年、132-135頁。

[22]柳下、前掲書、298-301頁。

[23]スティーヴ・ブランドフォード、バリー・キース・グラント、ジム・ヒリアー著『フィルム・スタディーズ事典―映画・映像用語のすべて』杉野健太郎、中村裕英訳、フィルムアート社、2004年、71頁。

[24]Mathijs, op.cit., p. 84.

[25]ロドリー、前掲書、144頁。『スキャナーズ』はアブコ・エンパシー社によって配給された。同社は既に、ジョン・カーペンターをより幅広い観客層に知らしめたという実績があった。

[26]Mathijs, op.cit., pp. 91-93.

[27]Ibid., pp. 110-111.

[28]Schaefer, op.cit., p. 266.

[29]Ibid., pp. 266-267.

[30]柳下、前掲書、44-45頁。

[31]同書、197-198頁。

[32]ロドリー、前掲書、150頁。

[33]加藤幹郎『映画視線のポリティクス 古典的ハリウッド映画の戦い』筑摩書房、1996年、157-158頁。

[34]ロドリー、前掲書、163-169頁。『ザ・ブルード』が検閲によってシーンをカットされた際、クローネンバーグはトロント検閲局と意見を闘わせた経験があった。

[35]加藤(1988年)、前掲書、176頁。

[36]ロドリー、前掲書、82頁。

[37]加藤(1988年)、前掲書、177頁。

[38]例えば、『キャリー』Carrie(ブライアン・デ・パルマ、1976)、『シャイニング』The Shining(スタンリー・キューブリック、1980)、『クリスティーン』Christine(ジョン・カーペンター、1983)、『クジョー』Cujo(ルイス・ティーグ、1983)などがある。

[39]1975年7月、産婦人科医であり一卵性双生児のマルカス兄弟の腐乱死体がマンハッタンのアパートで発見された事件。死因は薬物過飲による中毒死で、更に死体はほぼ全裸状態であった。『銀星倶楽部16 特集クローネンバーグ』ぺヨトル工房、1992年、26頁を参照。

[40]Schaefer, op.cit., pp. 217-252.

[41]レスリー・フィードラー『フリークス 秘められた自己の神話とイメージ』伊藤俊治、旦敬介、大場正明訳、青土社、1986年、261-262頁。

[42]同書、22頁。

[43]同書、248-250頁。

[44]Mathijs, op.cit., p. 138. 

[45]ウッド、前掲論文、44-76頁。

[46]岩本憲児、ウッド「アメリカのホラー映画」解題、76頁。

[47]ウッド、前掲論文、53頁。

[48]ロドリー、前掲書、223頁。

[49]Carol J. Clover, “The Eye of Horror,”in Viewing Positions: Ways of Seeing Film (Linda Williams: Rutgers University Press, 1999), pp. 184-217.クローバーは同論文で、恐怖映画において「攻撃的(assaultive)まなざし」と「反応的(reactive)まなざし」という二つのまなざしの形態の分類を試みている。クローバーによれば、「攻撃的なまなざし」は、観客に「殺人者」の視線との同化を促すものであり、「反応的まなざし」は、視線を介して観客に内的に影響を及ぼすものである。論文内で、『ヴィデオドローム』における主人公と観客の場合は、「反応的まなざし」の方に分類されている。

[50]Mathijs, op.cit., p. 138.

[51]Ibid., p. 227.

 

参考文献リスト

今井隆介「身体変容の映画作家 デイヴィッド・クローネンバーグ」『映像学2001』日本映像学会、2001年
梅本和弘「アメリカ初期映画におけるアメリカニゼーションをめぐって」加藤幹郎監修、杉野健太郎編『映画学叢書 映画とネイション』ミネルヴァ書房、2010年
加藤幹郎『映画のメロドラマ的想像力』フィルムアート社、1988年
―――『鏡の迷路 映画分類学序説』みすず書房、1993年
―――『映画ジャンル論:ハリウッド的快楽のスタイル』平凡社、1996年
―――『映画視線のポリティクス 古典的ハリウッド映画の戦い』筑摩書房、1996年
―――『映画館と観客の文化史』中公新書、2006年
―――『表象と批評-映画・アニメーション・漫画』岩波書店、2010年
『銀星倶楽部16 特集クローネンバーグ』ぺヨトル工房、1992年
クリスチャン・メッツ『映画と精神分析:想像的シニフィアン』鹿島茂訳、白水社、1981年
クリス・ロドリー編『クローネンバーグ オン クローネンバーグ』菊池淳子訳、フィルムアート社、1993年
スティーヴ・ブランドフォード、バリー・キース・グラント、ジム・ヒリアー著『フィルム・スタディーズ事典―映画・映像用語のすべて』杉野健太郎、中村裕英訳、フィルムアート社
蓮實重彦『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』筑摩書房、1993年
柳下毅一郎『興行師たちの映画史―エクスプロイテーション・フィルム全史』青土社、2003年
山崎圭司「切株描写から辿る世界映画史」、高橋ヨシキ+DEVILPRESS MURDER TEAM編『別冊映画秘宝 ショック!残酷!切株映画の世界』洋泉社、2008年
レスリー・フィードラー『フリークス 秘められた自己の神話とイメージ』伊藤俊治、旦敬介、大場正明訳、青土社、1986年
ロビン・ウッド「アメリカのホラー映画 序説」藤原敏史訳、岩本憲児・武田潔・斉藤綾子編『新映画理論集成1』、フィルムアート社、1998年
ローラ・マルヴィ「視覚的快楽と物語映画」斉藤綾子訳、『imago』1992年11月号
Carol J. Clover,“The Eye of Horror,”in Viewing Positions: Ways of Seeing Film (Linda Williams: Rutgers University Press, 1999)
Eric Schaefer, Bold! Daring! Shocking! True! : A History of Exploitation films, 1919-1959 (Duke University Press, 1999)
Ernest Mathijs,The Cinema of DAVID CRONENBERG: from Baron of Blood to Cultural Hero (Wallflower Press, 2008)
Lianne McLarty,“Beyond The Veil of the Fresh: Cronenberg and the Disembodiment of Horror,”in The Dread of Difference: Gender and the Horror Film(Austin: University of Texas Press, 1996)

 

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