bplist00?_WebMainResource? ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/hirai-article-2011-sample.htmlPO?G CineMagaziNet! no.17 伊藤弘了 小津安二郎『秋刀魚の味』にみる父親の悲哀

小津安二郎『秋刀魚の味』にみる父親の悲哀
空のショットの説話的諸機能


伊藤 弘了

 

1. 序
 たとえば2013年が小津安二郎の生誕110年(および没後50年)に当たる年だという事実が、小津映画そのものにとってどれほど意味のあることなのかと問うてみたところで、両者の間にはいかなる連関も存在などしていないというのは改めて考えてみるまでもないことであろう。それでもなお、そこに何がしかの意味を見出そうとすれば、後は小津の映画が公開されてから過ぎ去った物理的時間の長さを問題にするしかない。映画学者=批評家の加藤幹郎は、70本以上の日本映画を精緻に分析してみせた『日本映画論 1933-2007 テクストとコンテクスト』という驚異的な書物の中で「おおかたの先行研究を概観してみるに、『東京物語』はいまだ見られていないも同然の状態におかれているのである」[1]と述べている。加藤はここで『東京物語』という世界映画史上傑出した芸術的テクストの真髄に触れえた先行研究の欠如を指摘しているのだが、この小津の代表作を「小津作品全般」と言い換えても、事態は同様である。つまり小津安二郎は、 相対的に見れば確かにそれなりの量の研究がなされている作家であるとは言え、第二章で先行研究を検討する際に詳述するように、その内実は決して十分なものではないということである。とは言え、小津映画が備えている芸術的革新性を前にした映画学者=批評家に許されているのは、せいぜいその映画作品の細部に対して目を凝らし、耳を澄ませ、未来に向けてその意義を地道に更新し続けていくことくらいだろう。だとすれば、我々にはひたすら愚直にそうした実践を積み重ねていく道しか残されてはいない。したがって、本稿の試みはこうした観点から、先行研究を大いに活用しつつ、さらにその考察を推し進め、小津映画のより豊かな読みの可能性を提示しようとするものだということになる。映画批評家の蓮實重彦はかつて「小津安二郎はいまなお未来の作家であることをやめていない」[2]と書いたことがあるが、本論文はまさにそのことを学術的に証明しようとするものでもある。
 本論文では、小津映画に見られる「空(から)のショット」と呼ばれる無人空間を捉えたショットの意義に絞って議論を進めていく。小津の空のショットが、映画内の他のショットと連繋することで、有意義な映画的細部として、充実した説話的機能を果たしている点を明らかにしていきたい。第二章では分析の前段階として、小津映画に見られる空のショットの批評史を素描する。小津の空のショットに注目して独自の小津論を展開したドナルド・リチーの議論を皮切りに、ポール・シュレイダー、ノエル・バーチ、蓮實重彦、クリスティン・トンプソンとデイヴィッド・ボードウェル、エドワード・ブラニガンらが小津の空のショットに対して示した反応を批判的に検討していく。第三章では、小津の遺作となった『秋刀魚の味』(1962年)を詳細に分析することで、小津の空のショットに、第二章で検討した批評家たちが見逃している重要な説話的機能があることを提示したい。小津の空のショットは、照明やカメラ・ポジションおよびアングル、反復を強調した構図やカットつなぎの編集などといった映画的な技法と有機的に絡み合って説話の進展に寄与している場合もあるのである。

2.空のショットの批評史
 
本章では、小津の空のショットをめぐってこれまでになされてきた主要な研究を精査し、その意義を再確認すると同時に問題点を指摘していきたい。空のショットは特に西欧の論者たちの強い関心を集めてきた。しかしそうした西欧の論者たちの分析はオリエンタリズムに陥りがちであったり、もっぱら古典的ハリウッド映画文法からの偏差のみを問題にしていたり、あるいはその反動から今度は逆に説話とのつながりを軽視したりといった具合で、両者の溝を埋める適切な研究は依然として乏しいというのが現状である。
 ドナルド・リチーは、小津映画に特徴的な無人のショット=空のショットにもっとも早い時期に注目した海外の論者である。リチーは空のショットを、説話の進展に寄与しない天気をめぐる会話や沈思黙考する登場人物たちを捉えたショットと同様の、小津映画における「欠落部分」と見なし、その機能について以下のように分析している。

しばしばこの欠落部分は、人物を入れないショットから成っている。彼の作品のさまざまな静物(そのよく知られたものに『晩春』の壺、『秋日和』の廊下・階段・部屋がある)は、それぞれの場所でかつて起きたことと、そこに住んでいた登場人物の両方を思い出させる。このようなショットは映画の冒頭にあることが多いが、その場合はそれが紹介のための素材として用いられているので、それほど人目をひくことがない。『晩春』は場所を設定する典型的な三つのショットで始まり、私たちがあとでよく知ることになる娘の茶会のショットが続く。その直後、人のいない風景の三つの"空"のショット―茶室の入口の石、草花、小さな堂―が続き、それから茶会に戻る。空のショットには記憶の手がかりとして役立つものがあるが、このように映画の初めのほうに出てくる空のショットは区切りの効果しかない。『晩春』では、これらのショットはストーリーの発端と主要な登場人物の紹介との区切りになっている[3]

リチーはこの引用箇所で主に空のショットの「導入」と「場所の提示」の機能について説明している。彼はこの他にも、空のショットには「転換」、「解説(コメント)」、「結末」といった機能があると述べている。転換については、ある場所から別の場所に移る際に空のショットが使われることがあるほか、次の場面に移るための時間経過を示すためにも空のショットが利用されていると述べる。解説については、例えば『早春』(1956年)の冒頭では、主人公の家の周囲の環境や電車、駅、会社の建物の空のショットなどを含む一連のショットによって、日々繰り返されるサラリーマン生活の「退屈さと無意味さ」[4]という主題を解説しているとする。また『東京物語』(1953年)の最後にあたる港の空のショットを含むシークェンスが、結末を提示すると同時に「家庭の崩壊、この世の無常、この人生の幻滅」[5]といったこの作品の主題を解説していると述べている[図1]。確かに、これらの空のショットからサラリーマン生活の退屈さ と無意味さ、あるいは家庭の崩壊を読み取ることは不可能ではないだろう。事実『早春』はそうした退屈な生活から逃れるようにして浮気に走る男の物語であり、また『東京物語』においては、明らかに一つの家族が解体していくさまが描かれていた。しかしながら、空のショットから人生の無常や幻滅を直接的に導いてしまう態度には、やはり大きな飛躍があると言わざるをえない。仮にそうした主題が導けるにせよ、それはより慎重に、その場面におけるショットの構図やカメラ・アングル、他のショットとのつながり、説話の流れといった諸々の関係を適切に踏まえた上でなされるべきものだと考える。
 ポール・シュレイダーは、リチーが小津映画を語るにあたって使用した「もののあわれ」の概念を引き継ぐ形で、「小津作品では禅におけるように、静止状態が"風流"の気分、とりわけ"もののあわれ"を引き起こす」[6]と述べた後、『晩春』(1949年)における名高い壺の空のショットをその最も見事な例に挙げて以下のように述べている[図2]。

父と娘(笠智衆、原節子)が宿屋の一部屋で、親子水入らずの最後の夜を過ごそうとしている。娘は近く結婚するのだ。二人は静かに、今日もたのしい日だったと淡々と話し合う。部屋が暗くなる。娘は父にあることを尋ねるが、父は返事をしない。眠っている父のショット、父を見つめる娘のショット、そして父の鼾の聞こえている床の間の壺のショットが続く。それから、少しほほえんでいる娘のショットがあり、次に再び壺のショットがあり、これが10秒続く。それから今度は泣きそうになっている娘のところにもどり、最後に壺に戻る。この壺が静止状態であり、それは深い、矛盾する感情を受け入れることができ、またその感情を、一体化された永続的な、超越的なものの表現へと変えることができるような形式なのである[7]

シュレイダーはここでこの映画の文脈をほとんど無視して「超越的なもの」といった抽象的な思弁に走ってしまっている。その点で、彼はリチーと同じ過ちを犯していると言えるだろう。リチーやシュレイダーのこうした見解は、すでに諸氏によって批判されており、たとえばデイヴィッド・ボードウェルは「これらはいずれも、文脈(小津の話法のシステム全体、特定の作品の直接的な文脈)を考慮に入れていないので、満足できるものではない」 [8]と指摘している。
 あるいは蓮實重彦は、『晩春』における壺の画面を説話的な持続から孤立させることの不自由さを指摘して、リチーやシュレイダーの分析を批判している。蓮實は「父親の寝顔と壺とが、ともに逆光で示されるという類似性と、父親の寝息が、壺の画面でことさら強調されているという点」[9]を挙げ、二つの画面をつぶさに検証していくことで「前景と後景の明暗の対比、不動のシュリエット、キャメラ・アングルの類似性といったいくつもの細部が、寝顔と壺との等価性を証拠立てている」[10]ことを明らかにした[図3]。壺の画面には超越性や普遍性を読み取るべきではなく、ここでは一連のショットの中で父親が壺と一体となることで物質化していることを正しく理解しなければならないと言うのだ。本稿では、蓮實のこの分析を引き継いで、この物質化した父親のショットを空のショットの一部と見なす。ここでいう人物の物質化とは、本来人間という生物として描かれるべき登場人物が、あたかも非生命的な物質であるかのように表象されている状態を指す。父親が物質化しているとすれば、その父親=非生命的な物質を捉えたショットを空のショットと呼ぶことは十分に可能なことだろう。父親が物質化することで生じたある種の空のショットが作品にどういった効果を及ぼすのかという点については、第三章で分析する。ここでは『秋刀魚の味』の最後のショットが、まさしくそういった意味での空のショットになっていることを予告的に述べるに留めておく。
 蓮實はまた、このシークェンスにおいて、壺の画面が二度挿入されていることに正しく注意を寄せている。蓮實は、壺の画面が二度挿入されることで「開かれたままの娘の瞳が悲しみで曇っていく時間的な経過をも的確に刻みつけている」 [11]と述べている[図4、5]。これはリチーが空のショットの転換の機能として挙げた時間経過を表現する方法の応用的な表れと見ることもできるだろう。しかし、ここでは、それよりも二度挿入される壺の画面が原節子の表情を間に挟んで存在していることにより多くの注意を払っておきたい。壺の画面は紛れもなく空のショットと呼びうるものであり、瞳を潤ませて表情を歪めている娘の表情を、ここで二つの空のショットがさながら「額縁」のように縁取っていることで、娘の悲しみを際立たせているのである。やはりこれと同様の空のショットの機能が『秋刀魚の味』に見られる。その点についても第三章で詳しく見ていこう。
 ノエル・バーチは、小津の空のショットに対してリチーやシュレイダーに比べてより慎重な立場をとっていると言える。彼は小津の空のショットに「枕ショット」という呼称を与えたことでも知られる。「枕ショット」とは、短歌や俳句における「枕詞」になぞらえて名付けられたショットで、シークェンスの始めや途中、あるいは最後に挿入される看板や屋根、洗濯物といった静物を捉えた無人ショットを指す。バーチは「枕ショット」は「説話的な流れを宙吊りにする点」[12]にその独自性があるとしている。すなわち無人の「枕ショット」が挿入されることで物語の流れは一旦停止し、そこに緊張感が生まれるというのである。これは空のショットを欠落部分と捉え、そこに意味の空白を見出したリチーの見解と重なるものだが、バーチの慎重さは、こうした「枕ショット」に意味の空白を見つつも、全ての空のショットがそれにあたるわけではなく、中にはあたかも「掛詞」のように、説話的な流れに沿ったものもあると留保をつけている点に表れている[13]
 また、バーチの研究で注目に値するのは、彼が提示した「半=枕ショット」という概念である。バーチは『東京の女』(1933年)のオープニング・シークェンスを分析するにあたって、化粧台の前に座って実に九秒間もの静止状態を保った姉(八雲恵美子)の機能について、以下のように述べている[図6]。

姉が最後の九秒間ほとんど静止しているために(彼女の外見的な静止=不動性は、彼女の姿(イメージ)の大きさと不鮮明さによって強められる)、このショットは〈半=枕ショット〉になる。この〈枕的(ピロー・)状態(ステータス)〉は、説話的世界の人間中心を焦点が不鮮明にしてしまうので、いっそう強められる(枕ショットにおけるソフト・フォーカスはこの種の非中心化のためにしばしば用いられる)[14]

これは『晩春』の壺のショットを含むシークェンスにおいて物質化していた父親の状態ときわめて近いものである。第三章の分析では、バーチの「半=枕ショット」の概念にならって「半=空のショット」なる概念の導入を試みる。
 しかしこうした鋭い分析を展開し、ごく常識的な判断を下しているバーチではあるが、彼が評価するのは戦前から戦中の作品に限られており、後期の小津作品に関しては「戦後作品の大部分での、動きのシステマティックな排除は結局のところ不毛のように思われるのである」[15]と述べて、一蹴してしまっている。次章では、空のショットに説話的な意味を同時に読み込もうとし、「半=枕ショット」という独創的な概念を提示したバーチの慎重な立場を継承しつつも、それは戦前や戦中の作品に限らず、遺作となった『秋刀魚の味』においてもやはり作品に強度を与えるものとして有効に機能しえているということを示していきたい。
 リチーやシュレイダーが小津の空のショットを「もののあわれ」や超越論的なものと結びつけようとしたのに対して、当初クリスティン・トンプソンやデイヴィッド・ボードウェルは、小津映画が古典的ハリウッド映画の規範から逸脱している点に注目し、主として小津映画のそのような独自の形態に強い関心を示した。空のショットに関しては、説話との断絶に注目して議論を展開している。彼らは、空のショットに見られるような小津映画の空間を構成する特徴は「説話の流れのなかのどんな機能とも分離している」[16]と言うのである。小津の空間が説話とは異なる次元である種の秩序的な世界を作り上げているという指摘は洞見には違いないが、前段落で見たように、『晩春』の壺の画面は確かに説話の持続の中に存在していたのである。「もののあわれ」や「超越性」といった映画作品の具体的細部から乖離した解釈を避けるためにあえて説話的な解釈から遠ざかることを試みたのであろうが、しかし過剰さを恐れるあまり、今度は逆に説話からも遠ざかりすぎてしまった嫌いがある。もちろん、一口に空のショットと言っても、それ自体、 実に多様なあり方をしているショットであるので、一律に論ずることができないのは言うまでもなく、確かに説話から遊離している空のショットの存在を指摘することはできるかもしれない。だが、トンプソンとボードウェルが、説話との連関を考える目に、その断絶を証明することにより熱心であるのは間違いなく、その点でバランスを失しているという印象は拭えないのである。
 しかし、ボードウェルはその後発表した、『小津安二郎―映画の詩学』という大部の小津論で自身の立場をいくぶんか修正しているように思われる。彼は「伝統的な批評家は、私が「内容」を忘れてしまっていると、声を大にして言うだろう」[17]がそれは断じて違うと主張し、「私がここで提案しようとしている歴史的詩学は、「内容よりも形式を上位に置く」ようなものではない」[18]と明言している。だが、そのように主張しながらも「我々は、小津の文体論よりもその題材、主題、物語構造の方に敏感になりがちである」[19]と従来の小津受容に不満を示し、小津を通して「もはやストーリー構築に従属しなくなったときの映画メディアの可能性」[20]を追究したいという自らの主要な関心を結局は隠そうともしなくなる。もちろん、ボードウェルの関心の所在はむしろ正当なものであるとも言え、題材、主題、物語構造といった面ばかりに目を向けてきた従来の研究(というより、これ らは具体的な画面や小津の編集戦略の綿密な分析を欠いている点で、もはや研究とも呼べない代物ではあろうが)を乗り越えようとする中で、多くの有意義な分析がなされたことは間違いない。本稿の考察もまたそうしたボードウェルの精緻な諸分析の上に成立しているものでもある。しかし、小津映画が「全体的構造と細部が同等の重みを持つ」と言いながら、やはりボードウェルの意識が説話的な全体像よりも細部により多く向かう傾向にあり、全体的構造と細部を再統合するための視座が欠如しているように思われるところに、その議論を補完する余地があると言えるだろう。
 ボードウェルの教えを受けたエドワード・ブラニガンの論文「『彼岸花』の空間」は、おそらくこれまでに書かれたもっとも高水準の小津論である。ブラニガンはボードウェルの厳密な分析手法を踏襲しつつ、古典的ハリウッド映画の諸規則から逸脱して独自の映像世界を作り上げた小津の芸術映画の本質的様式に触れている。彼は空のショット自体の分析というよりは、それをも含む形で存在している小津の「移行ショット」に精緻な分析を施している。移行ショットとは、小津映画において、あるシーンが移り変わる際に挿入される無人の空間を含む相似形や反復を伴ってあらわれるいくつかのショットのことを指す。加藤幹郎が正しく指摘するように、小津は、1920年代以降に古典的ハリウッド映画の標準形となり、現代に至るまで高い頻度で使用され続けているイスタブリッシング・ショット(状況設定ショット)を使用せず、いわばその代わりに移行ショットを用いている点で、世界映画史上特筆すべき映画作家たりえていると言える[21]。ブラニガンは、こうした移行ショットを含む小津の空間構築の戦略に関して「たんに私たちが説話的空間を認識するための手がかりを与えるように空間を規定するのではなく、空間どうしが作用を及ぼし合う可能性や新しい種類の空間を定義する可能性をも秘めている」 [22]と述べ、そこに具体的な考察を加えていくのである。ただし、ブラニガンも師のボードウェルと同様、そうした具体的な分析を小津映画の説話と結びつけて考えてみることはほとんどしておらず、次章ではブラニガンの卓越した研究成果を視野に入れつつ、その間隙を埋められるような分析と議論を展開していくつもりである。

3.『秋刀魚の味』における空のショット
 
本章では具体的に、小津の遺作となった『秋刀魚の味』(1962年)に見られる空のショットを分析していくことで、先行研究が十分には検討していなかった空のショットの豊かな説話的機能について考察していく。本作は、中年に差しかかった男やもめの父親(笠智衆)が、娘(岩下志麻)を結婚させるために奔走する姿を中心的に描いている。しかし、いざ娘の結婚式が終わってみると、娘を嫁に出した寂しさが引き金となって、父親は自分の人生が下り坂に向かいつつあることを悟り、深い悲哀の感情を抱くことになるのである。
 具体的な分析に入る前に、本稿で頻繁に使用するいくつかの用語や概念について、あらかじめ若干の説明を加えておく必要があるだろう。まずは、「説話(diegesis)」というかなり広い意味で用いられる概念についてだが、本稿ではこの用語を「映画のストーリー進展に関わるもの」といった程度の意味で用いている。したがって、「空のショットの説話的機能」と言う場合、その意味するところは「映画のストーリーの流れの中にあって、それを補足強化する空のショットの機能」ということになる[23]。筆者が小津映画の説話的側面にこだわるのは、そもそも映画(モーション・ピクチャー)という芸術媒体が馬や列車といった運動媒体の諸運動(モーション)と人間の感情(エモーション)の表象をその旨としている以上、空のショットという「非」運動的なショットが映画内で登場人物の精神といかに対応関係を結んでいるかという分析は有意義なものであろうし、そうした関係が映画の観客に与える精神的影響も当然考慮に入れなければならないと考えるからである。また、本章では空のショットが『秋刀魚の味』の主題の一つである「父親の悲哀」を説話的に強調していくさまを見ていくわけだが、これは既存の批評で言われているように、単に『秋刀魚の味』が父親の悲哀を描いた作品であることを指摘しようとするものではない。そうではなくて、父親の悲哀といった、主題としてはむしろ紋切り型に属すものを、小津がいかに映画的に独自の方法で演出したかということを具体的な細部に照らして検討しようとするものである。
 以下では、三つの節における具体的な分析を通して、空のショットには説話と結びついて『秋刀魚の味』の主題である父親の悲哀を際立たせる機能があることを示していきたい。第一節では、反復される廊下の空のショットが、次第に暗くなっていく照明や前後のシークェンスの内容と結びついて、父親の悲哀という主題を強調する機能を果たしている点を確認する。第二節では、二つのバーのシークェンスの比較から、「軍艦マーチ」や葬式といった細部が空のショットと有機的に連関して、父親の悲哀の主題を浮かび上がらせているさまを分析していく。とりわけ、沈鬱な表情を浮かべる父親のショットを「額縁」のように挟んで存在している空のショットの機能に注目したい。第三節では、『秋刀魚の味』の終末部にあらわれる二十のショットを仔細に検討し、特に、最終末部を構成する五つの空のショットが父親の主観ショットのように演出されている点に注意を払い、それが他の映画的細部や空のショットと結びついて、父親の悲哀という主題を豊かに彩っている点を明らかにしていく。

3-1.父親の悲哀を説話論的に演出する廊下の空のショット
 
『秋刀魚の味』に頻出する無人の廊下を捉えたショットは、その画面の明暗と説話との組み合わせによって、父親の悲哀という主題を強調している。『秋刀魚の味』には主人公たる父親(笠智衆)の家の廊下を同じ構図で捉えたショットが全部で六つ存在している。これらのショットは無人のショットとして画面にあらわれた後、その同じ画面に帰宅してきた父親やそれを出迎える娘の姿を映し出すことがあるため、純粋な空のショットとは言えず、むしろ移行ショットと呼ぶべきものではある。しかし、この廊下のショットには、空のショットの機能としてリチーの挙げた「転換」、「場所の提示」、「解説」の効果が見られる。すなわち、帰宅してきた父親がその前に過ごしていた場面からの転換と時間的経過を示すと同時に、主人公の家である平山家という場所を提示するためのショットになっているのである。解説の機能についてはのちに詳細に検討することになるが、この廊下のショットは父親の悲哀という主題を解説していると言える。それはリチーが『東京物語』の最後のシークェンスを考察するにあたって持ち出した「この世の無常、この人生の幻滅」といった抽象的な主題ではなく、映画作品それ自体の分析に即して導き出せるものである。したがって、本稿ではこの廊下のショットを、無人状態の後に人物が映りこむからという理由で空のショットから排除するのではなく、空のショットの一形態と捉えて議論を進めていく。
 前述したように『秋刀魚の味』には同じ構図の廊下の空のショットが全部で六つ存在している。これらのショットはいずれも平山家の人間の帰宅に際して表れるのだが、その帰宅者は、一、二、三、六番目が父親で、四番目が次男(三上真一郎)、五番目が長男(佐田啓二) [24]という風になっている。ここではこれらの空のショットが父親の悲哀という主題をいかにして際立たせているかという点に着目するため、帰宅者が父親である四つのショットと、その前後にくるシークェンスとの関係に絞って考察していきたい。だが、ここでの他の二つの廊下の空のショットにも簡単に触れておくことにしたい。四番目の次男の帰宅に際してあらわれる空のショットは、三番目と同じ明るさに設定してある。この三番目と四番目のショットは同じシークェンス内にあらわれている。五番目は、娘が恋心を抱いている男性に別の婚約者がいることを報告するために長男が平山家に来ているシークェンスに見られるもので、その画面の明るさは三、四番目と同程度に保たれている。この三つの廊下の空のショットは、いずれも娘の結婚話がうまくいきそうにないという場面にあらわれている。その意味でこれらのショットは説話的な連続性を保って、相互にその意味を補完し合っていると言える。そのため、その説話的意味を明らかにするという本章での目的は、三番目の廊下の空のショットを詳細に検討することで十分に果たされると考えられるのである。
 廊下のショットの分析に入る前に父親の悲哀という主題について、先行研究がそれを軽視している点を確認しておこう。蓮實重彦は小津映画における「主題論的な体系」の豊かな広がりを指摘したが、彼が重視したのは「食べること」や「着換えること」、「晴れること」といった映画の表層的な部分での主題であり、父親の悲哀といった映画の内容に関するものは軽視する傾向にあったように思われる。蓮實は以下のように述べている。

小津安二郎の映画は、同時に共存しあう複数の物語がそのつど織りあげては解きほぐしてゆく説話論的な網状組織である。後期の作品で単調に反復されているかにみえる娘の結婚だの、父親の悲哀だの、家族の崩壊だのといった題材は、この説話論的な網状組織にさまざまな刺激を波及させるための一つの契機にすぎない[25]

つまり、蓮實にとっては父親の悲哀は主題ですらなく、「題材」や「契機」でしかないのである。もっとも彼は「単調に反復されるこうした題材は、主題論的な共鳴作用を導き出すためにはなくてはならぬ要素である」[26]と言い添えるだけの慎重さを持ち合わせてはいる。しかし彼はさらに以下のように続けることで、あくまで重要なのは表層的な主題である点を強調している。

問題は、娘の結婚と父親の悲哀といった題材が、一篇の映画的な虚構の枠を越えたかたちで誰にでも納得しうる物語をかたちづくっているのに対して、食べることの主題は、あくまでも小津的「作品」の内部でのみ物語たりうるものなのであり、その点で、小津の映画的な特質をより鮮明なかたちで示すものといいうるだろう[27]

確かに父親の悲哀といった紋切り型の概念それ自体は、わざわざ映画で表象する必要性の薄いものかもしれない。その点、蓮實の言うように「食べること」の主題を、これほど映画的に見事に描いてみせた小津は稀有な映画作家であると言えるだろう。しかし、そうは言っても父親の悲哀が『秋刀魚の味』という映画作品にとって最重要の主題をなしているのは間違いないのである。そして小津は、本作においてそうした既存の概念をいかに映画的に処理しうるかという点でも傑出した手際を見せている。こうした側面を軽視することは小津映画の豊かさを不当に損なうものとなりかねないだろう。本稿では父親の悲哀という、確かにそれ自体としてはすでに使い古された主題を、しかし単なる題材や契機として退けるのではなく、小津がいかに映画的に独自の方法で表象したのかという点にこだわって分析してみたい。
 本節で分析の対象とする四つの廊下の空のショットは、その明るさにおいて三つの段階に分類することができる。最初の二つが最も明るく、三つ目でやや暗くなり、四つ目はさらに暗くなっている。このように次第に暗くなっていく照明が、その時点で父親が抱くことになる孤独や悲しみの深さと同期している点を見逃してはならない。それぞれのショットがどのような状況で映し出されることになるのか、以下に詳しく見ていこう。
 前述したように、四つの廊下の空のショットのうち、最初の二つが最も明るい画面を形成している。縦の構図で捉えられた廊下の、最もカメラよりの地点、画面の中ほどの地点、そして構図の最奥の地点の三点に照明が当てられていることが見てとれる。最初の空のショットが映し出されるのは、父親が旧制高校時代の二人の友人と料亭でクラス会の打ち合わせをするシークェンスの直後である。ここでは料亭の座敷に座っている友人(中村伸郎)のミディアム・ショット[28]から、平山家の無人の廊下のショットにカットつなぎされることになる。無人の状態が約五秒間続いた後、玄関の引き戸が開いて、出迎えに出てきた娘(岩下志麻)と帰宅した父親(笠智衆)の姿が映し出される。この最初の廊下の空のショットは約二十秒間続く(13:15~35[29]、[図7])。その後、二人の全身を横から捉えたショットへと引き継がれる。ここでは、娘に「あら、またお酒臭い」と言われた父親が「今日はそう飲んどらん」と応じると、娘が「ホントかな」と返すというやりとりが、後の伏線になっていることを気に留めておく必要がある。そして娘は廊下にあるスイッチを切って玄関の灯りを落とし、二人は室内へと入っていく。
 二つ目は、父親がたまたま再会を果たした海軍時代の部下と連れ立ってバーを訪れるシークェンスの後にあらわれる。ここではバーの外の看板を捉えた空のショットから無人の廊下のショットへとカットつなぎされている。無人状態が約十秒間続いた後(44:43~53、[図8]、やはり同一ショット内に出迎える娘と父親の姿を映し出した後、二人の全身を横から捉えるショットにつないでいる。ここでも父と娘の間でお酒をめぐって「またお酒飲んでんのね」、「いやあ、そうは飲んどらん」、「飲んでる飲んでる」というやり取りが交わされる。
 この二つのシークェンスが設定されているのがともに映画の前半部分であり、この時点で父親は自らの人生に対してほとんど悲観的な感情を抱いてはいなかったという点が重要である。料亭のシークェンスでは、ひょうたんというあだ名で呼ばれていた高校時代の漢文教師と、友人の一人が最近娶った後妻についての冗談を交えた明るい会話が交わされていたのであり、そこにはいかなる暗さも見られない。バーのシークェンスでも事情は同様である。そこでは久しぶりの再会を果たした海軍時代の部下の坂本(加東大介)との会話に興じ、やがてバーのマダム(岸田今日子)に促されてかけられることになる「軍艦マーチ」の音楽に合わせてお互いに敬礼しあって戯れる、非常に楽しげな父親の姿を見ることができる。またそのバーのマダムは父親の亡くなった妻に似ており、彼はそのことで年甲斐もなく上機嫌になるのである。
 三つ目の廊下の空のショットは、父親が友人とひょうたんとの飲み会から家に帰ってきた場面に挿入されている。この飲み会は、クラス会の打ち合わせのために集まった前回の楽しげな会合とは違って、父親に少なからぬ衝撃を与えるものだった。酔いつぶれたひょうたんは「私は寂しいよ」、「寂しいんじゃ、悲しいよ」、「結局人生は一人じゃ、一人ぽっちですわ」と自らが抱えている孤独と悲哀の心情をこぼす。彼はその理由を、一人娘を嫁にやらなかったことに求めている。男やもめのひょうたんは娘を便利に使っているうちについに嫁にやりそびれてしまったがために、独身のまま中年を迎えて性格的にもきつくなってしまったその娘と二人で場末のラーメン屋を寂しく営むことになってしまった自らの境遇を嘆いているのである。これは同じく男やもめで、結婚適齢期に達しているにもかかわらず未婚のままの娘を便利に使ってしまっているこの父親を動揺させるのに十分なものであった。さらに同席していた友人からも、早く娘を嫁にやらないとお前もこうなるといって脅される。表情を曇らせつつ自分のお猪口に酒を注ぐ父親のミディアム・ショットから、無人の廊下のショットへとつながれる。
 この三つ目の空のショットでは、開けられる引き戸の動きは捉えられているものの、その後に帰宅してきた父親の姿が映し出されることはないため、完全な無人のショットになっている(69:28~37、[図9])。一番手前の照明が落とされたこの廊下のショットは、前に見た二つのショットに比べて、明らかに画面が暗くなっている。このシークェンスでは、娘はアイロンがけをしている途中であり、玄関まで出ていくことはなく、声だけで父親を出迎えるのだが、この点は前の二つの空のショットをめぐる状況との差異として際立っている。前に見た二つのシークェンスでは、娘は玄関まで父親を迎えに出てきていたからだ。
 やがて娘の前に姿を見せた父親は、彼女に向かって、嫁に行く気はないかと切り出す。この父親の唐突な発言に対して、娘は「お父さん酔ってんのね、また」と言って取り合おうとせず、アイロンがけを続ける。「ああ、少し飲んでるけどね、本気なんだよ」と言って話を続けようとする父親に「少しじゃないわよ」を言い放つ娘は、次第に憤りを露わにし始めている。そのような重要な話をいかにも酔った勢いで切り出す父親の無神経さに対する娘の憤りはきわめて正当なものであるし、またここで父親がアイロンがけの作業をしている娘に向かってこの話を持ち出している点も見過ごしてはならない。「でも、あたしが行ったら困りゃしない」と娘自身が言うように、娘が結婚して家を出ていけば、まさにそのアイロンがけの仕事を担う存在がいなくなるからである。玄関まで出迎えにくることもなくなり、父親の無神経さに対して憤りを示す娘と、自分と娘の将来への不安と焦燥から深酒をしている父親といった前二つのシークェンスとの差異が、より照明の暗くなった廊下の空のショットと結びつくことで、映画の最後で頂点を迎えることになる父親の悲哀を段階的に演出しているのである。その意味で、このシークェンスにおける廊下の空のショットは説話の流れの中にあるものだと言え、それは映画内のその他の描写とも相俟って、父親の悲哀という主題をきちんと準備しているのである。
 四つ目の廊下のショットは作品終盤の、娘の結婚式当日の夜にあらわれる。このショットでは、帰宅してきた父親の姿が映し出されないばかりか、引き戸が開く動きさえも見られないため、完全な空のショットになっている(106:42~49、[図10])。照明は廊下の縦の構図の最奥のものだけが残され、四つのショットのうちで最も暗い画面を形成している。この空のショットに続いて、室内で会話をしている長男夫婦と次男の姿を捉えたショットがくる。長男夫婦が父親の帰りがあまりにも遅いことを心配しているところに、玄関の引き戸が開く音が聞こえてきて、長男の妻(岡田茉莉子)が迎えに立つことになる。カメラは続いて玄関を横から捉えた構図で、出迎える長男の妻と父親の姿を映し出す。これは一つ目と二つ目の廊下の空のショットの後に続いていたショットと同じ構図をとっている。しかし、かつて父親を出迎えた娘はすでに嫁入りを果たしており、当然ここで父親を出迎えることはない。代わりに出迎えに立った長男の妻との間で「ずいぶんお酔いになって」、「ああ」という、かつて娘との間で交わされていたのと同様のやり取りが行われる。この場面では実際父親は千鳥足になるほど深く酔っている。ついに娘を嫁に出すことに成功した父親であるが、彼の心は深い孤独と悲哀に侵されているのだ。小津は、ここでこの父親の抱える悲哀を、泥酔している父親の姿と、もはや娘が彼を出迎えに立つことはないという事実を提示することで、強調している。そしてこれらに先行する形で挿入されている照明を落とした廊下の空のショットが、これらの説話的な演出と豊かに絡まり合うことで、父親の悲哀という主題を映画的に見事に浮かび上がらせているのである。

3-2.バーのシークェンス―ランプと看板の空のショットが持つ額縁的機能
 
『秋刀魚の味』にはバーを舞台にしたシークェンスが三つ存在するが、本節ではそのうち演出上の対比が際立っている一回目と三回目のシークェンスにおいて、空のショットが説話的に有効に機能しているさまを見ていく[30]。この二つのバーのシークェンスでは、空のショットが、娘の結婚と戦争体験の記憶という二つの主要なモティーフと有機的にからみ合って、老年にさしかかった父親の孤独を浮かび上がらせており、父親の悲哀という主題を見事に演出してみせている。特に、天井灯と看板の空のショットが、父親の悲哀という主題を体現するかのように沈鬱な表情を浮かべる父親のミディアム・ショットを挟んで挿入されており、さながら「額縁」のような機能を果たしている点に注目したい。
 一回目のバーのシークェンスは前節で見た二つ目の廊下の空のショットの直前に位置している。このシークェンスでは、父親は恩師の営む場末のラーメン屋で偶然再会した坂本(加東大介)という海軍時代の部下に伴われて、坂本の行きつけであるこのバーを訪れることになる。坂本は、日本が戦争に負けたせいで自分がいかに苦労してきたかということをこの父親に語る。このとき、店内には「軍艦マーチ」がBGMとして流れているのだが、坂本はそれが自分の苦労の元凶であるあの忌まわしい戦争を連想させるものだとでも感じたのか、店員に向かって「おい、レコード止めろ」と言って音楽を止めさせる。しかしその後、父親に「けど負けてよかったじゃないか」と諭されると、「そうかもしれねえな。バカな野郎が威張らなくなっただけでもね」と言って機嫌を良くし、風呂から帰ってきたバーのマダムに促されて、再び「軍艦マーチ」をかけさせる。ここで父親と坂本、そしてマダムはお互いに海軍式の敬礼を交わし、しばし戯れることになるのだが、これは『秋刀魚の味』全編中でも随一の、非常にユーモラスで楽しげなシーンである。やがて画面には店内にある天井灯の空のショット(44:30~36、[図11])が映し出され、続いて店外の看板の空のショット(44:36~42、[図12])へとカットつなぎされ、次のシークェンスの最初にあたる平山家の二つ目の廊下の空のショットへと引き継がれていく。この連続する三つの空のショットは、三回目のバーのシークェンスにおいても、微妙に形を変えて登場することになる。
 三回目のバーのシークェンスでは、父親は娘の結婚式の後、友人の家で酒を飲んでから、一人でバーを訪れることになる。友人宅から、娘のいなくなった自宅へ直接帰るに忍びなかった父親は、亡妻に似たバーのマダムにその寂しさを埋めてもらおうとしたのだと考えられる[31]。またこの父親には、一回目のバーのシークェンスにおいて経験した非常に愉快な記憶があるため、このバーに来れば寂しさや孤独を忘れることができると思ったのかもしれない。しかしながら、そうした彼の目論見は見事に外れることとなる。彼の孤独感や寂しさは薄れるどころかいっそう強まることになるのだ。モーニング姿の平山を見たマダムは「今日はどちらのお帰り? お葬式ですか?」という質問を口にするのだが、それに対して平山は特に否定するでもなく「まあ、そんなものだよ」と答える。この場面に関して、小津映画における「着換えること」の主題に注目した蓮實重彦は「衣裳を換えること、それは小津にあっては別れの儀式なのだ」[32]ということを正しく看破している。じっさい、葬式であれ結婚式であれ、それが家族成員の家庭からの旅立ちを見守るものであるという点では同一の機能を備えた儀式と言えよう。かくして父親は、娘の結婚がともすれば葬式と同一視されかねない事態であることに思い至ってしまうのである。
 さらに、一回目のシークェンスでは父親を愉快な気分にさせた「軍艦マーチ」がこの三回目のシークェンスにおいては、彼の悲哀を増幅させる装置として機能している。一回目のシークェンスにおいて坂本がそうであったように、このシークェンスにおける父親も、マダムに促されて「軍艦マーチ」をかけてもらうことにする。マーチが流れ始めると、父親の隣に座を占めていた二人の酔客たちが突然不思議なやり取りを始める。「大本営発表」と一人が言うと、その隣に座っていた別の客がそれに合わせて「帝国海軍は今暁五時三十分、南鳥島東方海上において」と続け、わずかの間が空いた後、最初の客が「負けました」と言う。それに対して、もう一人の客も「そうです、負けました」と応じ、二人で顔を見合わせて笑い合うのである。一回目のシークェンスでは、おそらくは部下の手前もあって、日本が戦争に負けたことを従容として受け入れていたかに見えた父親だが、この二人のやり取りを、悲しげな表情を浮かべながら横目で見やる彼には、もはやそのような余裕は残されていないかのようである。ここでは、戦時中および敗戦後の苦難の記憶 [33]と娘の結婚による寂しさとが二重に父親を襲うことになるのだ。
 戦争と葬式ということに関して、與那覇潤は『帝国の残影―兵士・小津安二郎の昭和史』の中の「『秋刀魚の味』の軍艦マーチが『日本人』を追悼する」との章題が付された箇所で、小津が火野葦平の死を日記に書き留めている事実に触れた上で以下のように述べている。

『秋刀魚の味』の軍艦マーチが、林や火野のように華々しく戦線の実見談を描いて名声を博すのとはあえて異なる道を歩みつづけた兵士・小津安二郎による、戦争の物語を一度は確かに共有したはずの人々への白鳥の歌になった[34]

引用文中の林というのは、成瀬巳喜男の映画に多くの原作を提供したことでも知られる小説家の林芙美子のことである。与那覇はいくぶん文学的な表現で『秋刀魚の味』の「軍艦マーチ」が太平洋戦争の前後ですっかり状況が一変してしまった日本人を送葬するものとなっていることを指摘しているわけだが、だとすれば、この観点からもやはりこのバーのシークェンスは葬式の機能を果たしていると言えるだろう。したがって、このバーのシークェンスは幾層もの次元で葬式という儀式の場となっていたということになる。たとえば、まさにその葬式という言葉を発したバーのマダムは、彼女に似ているという亡妻(の葬式)の記憶を父親によみがえらせたであろうから、父親はここで今一度自分が妻を失っていることを確認することになるであろう。あるいは、先ほど確認したように、このシークェンスは結婚して家から出ていった娘の象徴的な葬式の場ともなっている。またそのことによって孤独感と悲哀感を強めた父親は、このとき自分の人生が下り坂に差しかかっていることを痛感させられもしただろう。その意味で「軍艦マーチ」は、父親が娘とともに過ごすことのできた楽しかった時代への葬送歌と言うこともできる。このように、この三回目のバーのシークェンスで流れる「軍艦マーチ」は彼の悲哀をかき立てる重要なモティーフとなっているのである。
 この三回目のシークェンスの終わり際にあらわれる、空のショットを含む七つのショットは一回目のシークェンスとの差異を強調するものとなっている。まずは、隣の酔客のやり取りを一瞥した後、手に持っていたグラスの中の酒を飲み、グラスをおいて沈鬱な表情を浮かべる父親のショット(105:49~106:03)が映し出され、店内を歩いている女性店員の全身ショット(106:03~10)が続いた後、父親の寂しげな後ろ姿を捉えたショット(106:10~17)につながれる。次にカメラは再び父親の正面にまわり、依然として沈鬱な表情を浮かべている父親の姿を捉える(106:17~24)。これは三つ前のショットと同じ構図をとっており、酔いの回っている父親はわずかにふらついているものの、ほとんど静止していると言ってよく、先ほどと同じ姿勢を保っている。続いて、店内の天井灯の空のショット(106:24~29、[図13])が捉えられ、またもや沈鬱な表情を浮かべている平山のミディアム・ショット(106:29~36、[図14])が映し出された後、店外の看板の空のショット(106:36~42、[図15])につながれ、先ほど確認した廊下の四つ目の空のショットへと引き継がれる。このように、三回目のシークェンスでは、沈鬱な表情を浮かべた父親のミディアム・ショットが同じ構図で三度も繰り返されるのである。
 さらに特筆すべきなのは、天井灯と看板の空のショットに挟まれるようにして平山のミディアム・ショットが挿入されている点である。一回目のシークェンスにおいては、天井灯の空のショットは看板の空のショットへと直接つなげられていたのだから、この差異は特に際立っていると言える。これら三つのミディアム・ショットによって捉えられている平山の沈鬱な表情は、先ほど確認したように、娘を嫁に出したことや戦争、亡妻の記憶を刺激されたこと、および自らの人生が終りに向かいつつあることの自覚によってもたらされた孤独と悲哀とを如実に物語っており、それが二つの空のショットに挟まれることで、さらに強調されている。すなわち、前回のシーンとほぼ対称をなすように空のショットを配列しておきながら、そこに人物のショットを挟み込んであえてその対称性を崩し、差異を強調することで、そこに映し出されている人物の表情や心情(ここでは父親の沈鬱な表情から読み取れる彼の孤独と悲哀)を観客により強く印象づけることができると考えられるのである。空のショット一回目と三回目のシークェンスの終わり際をほとんど同じような空のショットでつなぐという反復的な演出をしつつも、三回目のシークェンスにおいては沈鬱な表情を浮かべる父親のミディアム・ショットを三度繰り返して挿入したことに加えて、三度目のミディアム・ショットを二つの空のショットに「額縁」のように縁取らせて見せることで、これまで確認してきたような要因から説得的に描かれている父親の沈鬱な表情をより一層強調し、父親の悲哀の主題をはっきりと浮かび上がらせているのである[35]
 またこの空のショットによる演出は、それぞれのシークェンスの後にくる、廊下の空のショットとの間に説話的な連続性を持たせてもいる。前述したように一回目のバーのシークェンスの後にくる廊下の空のショットと、三回目のバーのシークェンスの後にくる廊下の空のショットが、一回目は明るく、三回目は暗く設定されていることで、父親の楽観的な気分と孤独と悲哀に苛まれた気分との鮮やかな対照を表現している。このような空のショットの機能は、リチーが挙げたものには含まれていないし、シュレイダーの言うような「もののあわれ」や「超越性」といった抽象的な概念からも遠く離れている。また、トンプソンとボードウェルが言ったような説話の流れとの分離も当てはまらない。バーチが一蹴した最晩年の『秋刀魚の味』の空のショットには、蓮實が軽視した父親の悲哀の主題を説話の流れの中に描き込むという豊かな機能が付与されているのである。

3-3.終末部の分析―主観的な空のショットと物質化した父親の半=空のショット
 
本節では、『秋刀魚の味』の終末部のシークェンスにおいても、空のショットがやはり父親の悲哀という主題を説話の流れの中で強調する機能を果たしていることを見ていく。『秋刀魚の味』の終末部を構成する固定カメラによって捉えられた二十のショットを確認しながら、とりわけ最後の五つの空のショットと二つの父親のショットが相互にどのような関係を築き上げ、それがいかなる機能を果たしているのかという点を明らかにしていきたい。
 娘の結婚式の後、友人宅、バーを経由して帰宅した父親を居間で迎えた長男夫婦は、自分たちはそろそろ帰ると言って立ち上がり(長男夫婦は結婚を機に家を出て二人でアパート暮らしをしている)、それを見送るために次男も彼らの後に続く(108:32~49)。このショットでは、彼らが立ち上がって部屋を出ていった後、次のショットにカットされるまでに三秒間の無人状態が生じている(父親は襖の影になっていて見えない)。ここでは、居間の無人の空間が強調されることで、父親の孤独感が表現されていると言える。これに続いて、上着を脱ぐ父親のミディアム・ショット(108:50~109:00)が挿入された後、玄関前の廊下を横から捉えたショットへとつながれる(109:00~17)。この玄関前の廊下のショットでは、長男夫婦を見送った次男が、玄関の鍵を掛けるために八秒間画面から姿を消すことになるため、ここでも空のショットに近似した状況が現出する。再び姿を見せた次男は玄関の電灯のスイッチを切るのだが、一つ目の廊下の空のショットを分析する際に見たように、これはこの映画の中でかつて娘が行っていた行為であった。ここではそれを次男に行わせることで、改めて娘の不在が強調されているのである。
 その後、居間に戻ってきた次男は、構図の手前に映っている寝室へと引き上げ、酔った父親を尻目に一人で先に眠ってしまう。ここでは父親と次男を映したショットがほぼ交互に十あらわれるが、そのうち六つが次男を映したもので、残りの四つが父親を映したものとなっている。父親を映す四つのショットはいずれも同じミディアム・ショットの構図によるものである。父親はこの四つのショットのうち三つのショットで「軍艦マーチ」の歌詞を口ずさむが、とりわけ四つ目のショットで「軍艦マーチ」が果たしている役割は大きい。
 この四つ目のショット(110:41~111:07)は、父親を残して先に眠ってしまった次男のショットに続いてあらわれる。このときの次男は、奥に居間が見える縦の構図の手前に位置する寝室で眠っている姿が捉えられており、奥の居間のはっきりとした照明とは対照的に寝室は照明が落とされていることもあって、暗がりの中で静止したその姿はほとんど物質的な印象を与える。孤独と悲哀を抱える父親を残して先に眠ってしまったこの次男は、あたかも『晩春』において、必死に語りかけようとする娘の言葉の途中で眠ってしまった同じ俳優の演じた父親に対する、作品を超えた懲罰の役割を果たしているかのようでさえある。
 こうしてますます孤独感を強めた父親は、四つ目のショットにおいて「一人ぽっちか」とつぶやく。これはかつて飲み会の席でひょうたんが口にしていた言葉を正確に反復するものである。ここでは、人生の孤独を避けるために娘を結婚させた父親が、娘を結婚させることに失敗したひょうたんと結局は同様の孤独を抱くに至るという皮肉な事態が露呈するのだが、重要なのは、この言葉に続けて父親が「軍艦マーチ」の歌詞を口ずさむという点である。やはり父親にとって「軍艦マーチ」はその悲哀を象徴する重要なモティーフとなっているのである。そしてこの父親の歌詞のつぶやきを追いかけるようにして、「軍艦マーチ」のメロディーが映画音楽として鳴り始める。この映画音楽はこの後に四つの空のショットが映し出される際にも流れ続けており、これらの空のショットが父親の主観を反映したショットである可能性を示唆している。これらの空のショットの意義については次の段落で詳しく検討する。
 『秋刀魚の味』の最終末部は、五つの空のショットと二つの父親の姿を捉えたショットとの合計七つのショットから構成されている。ここにあらわれる五つの空のショットは以下のとおりである。

 1.奥に台所の見える廊下を縦の構図で捉えた空のショット(111:07~14、[図16])
 2.階段の空のショット(111:14~19、[図17])
 3.二階の娘の部屋の空のショット(111:19~27、[図18])
 4.姿見の空のショット(111:27~34、[図19])
 5.娘の部屋から階段側を捉えた空のショット(111:34~41、[図20])
ここではこれらの空のショットが映し出される順番に注目したい。これらの空のショットはあたかも父親が目にしていったものを順になぞるかのようにあらわれているのである。これらの空のショットの直前にあるのは居間に座って「一人ぽっちか」とつぶやき、「軍艦マーチ」の歌詞を口ずさむ父親のミディアム・ショットである。居間に座っていたこの父親が廊下に出て玄関とは反対側を向けば、その視界には縦の構図で台所が収まるはずである[図16]。そして台所の手前の階段を上がり[図17]、娘の部屋へと至る[図18]。三つ目のショットではすでに画面の奥に姿見が見えているのだが、四つ目のショットでその姿見はよりカメラに近い位置から捉えられることになる[図19]。これは二階の娘の部屋に足を踏み入れた父親が、もはや娘の姿を映し出すことはないその姿見の近くまで移動したかのような印象を与えるものである。その後、娘の部屋から離れるべく後ろを振り返れば、五つ目の空のショットのように娘の部屋からわずかに階段が覗いて見える画面が得られるだろう[図20]。そしてその次にくるのは一階の廊下から階段を見つめている父親を横から捉えたミディアム・ショットである[図21]。階段を下りた父親が、その日の朝まで娘が暮らしていた場所を再び見上げて、孤独感と悲哀とを新たにしている様子がその沈鬱な表情からうかがえる。つまり、これらの一連の空のショットは父親の主観ショットであるかのようにも見えるのである。
 さらにここで映画音楽として流れている「軍艦マーチ」が、これらの空のショットの主観性を強調している[36]。これらの五つの空のショットに先行するショットで父親が歌詞を口ずさんでいた「軍艦マーチ」を引き継ぐかたちで、そのメロディーをなぞる映画音楽が流れ始め、それが三つ目の空のショットの終わり際まで続く。そこから『秋刀魚の味』のテーマ音楽へとゆるやかに引き継がれ、エンド・マークに向けて次第に音楽が盛り上がっていくのである。この父親の孤独と悲哀の象徴である「軍艦マーチ」からのテーマ音楽への連続的な移り変わりは、父親の個人的な悲哀が同時に作品全体の主題であったことをも告げていると言えるだろう。
 もちろん、これらの空のショットが完全に父親の主観ショットであると断定することはできない。父親は階段など上がっていないということも十分考えられる。映画はそれ以上の情報を描いてはおらず、事態はあくまで曖昧性のうちに留められているのである。しかし、こうした空のショットの並び順と映画音楽との有機的な連関によって、観客にあたかも父親の視点を通してこれらの空のショットを見ているような印象を与えるのは間違いない。つまり、これらの空のショットは、単に観客に娘の不在を印象づけるだけでなく、その不在を噛み締めているのがまさに父親自身であることを知らしめ、父親の悲哀という主題を際立たせるべく存在していると言えるのである。ボードウェルはこの場面について、「ラスト・シーンでは、平山は一階でかすかに体を揺らせながら座っているが、一連のショットで玄関が示され、次に二階が現れ、誰もいない部屋が示されたあと、今度は階段の下のところに立っている平山が再び映される。あたかも彼が「作者による」注釈的描写にやっと追いついたかのように」[37]と述べているが、この解釈には疑問が残る。本文で述べたように、ここでは五つの空のショットがあたかも主観ショットであるかのような順番であらわれており、確かにその意味で階段を見つめる平山を遅れてきた視点と言うことはできようが、それを単に「作者による注釈的描写」として済ませるわけにはいかない。この場面に関するボードウェルの解釈上の不備は、おそらくここでの空のショットの説話的意義と映画音楽を分けて考えてしまったことから生じたものである。すなわち、ボードウェルはこの場面で流れる「軍艦マーチ」について、「威勢のよい軍艦マーチが説話と無関係に演奏されたあと、路子の部屋が現れ、娘の不在を、平山の戦争中の生活の記憶、バーのホステスへの思い、妻の思い出に結びつける。それは、平山が共有することのできない、皮肉な「外部」からの洞察である」[38]と述べて、あくまで映画音楽を「説話と無関係」であり、「外部からの洞察」に当たるものと考えようとするのだが、ここでの「軍艦マーチ」は、悲哀を抱えた平山が口ずさむメロディーを引き継ぐ形で流れ始めたのであり、決して「説話と無関係」なものではない。むしろここでは、主観的な映画音楽と連動して説話の流れの中にあらわれる空のショットがまず観客に娘の不在を印象付け、その後に平山のショットを提示し、注意深い観客に対して、一連の空のショットが父親の主観ショットであった可能性を事後的に示唆することで衝撃を与え、この父親が抱えている悲哀の大きさを強調しようとしていると考えるのが妥当であろう。
 空のショットがこのように主観的な機能と深く結びついて作品の主題を支えていることに言及している論者はこれまでにいなかった。たとえば蓮實重彦は、空のショットについて以下のような見解を示し、その非人称性を強調している。

小津は初期から後期へと向けて、原因という説話論的な配慮と、瞳という風景の起源とを徐々にその画面から追放していったといえる。西欧の論者たちがしばしば「空」のショットと呼んで注目することになる画面は、こうした一連の過程で生まれ落ちたものといってよい[39]

もちろん、空のショットは多くの場面で非人称的なあらわれ方をしている。リチーが分類してみせたように、確かに映画の冒頭に導入される空のショットや、あるシークェンスの始まりを示したり、場所を提示したりするための移行ショット内に見られる空のショットは誰が見ているのか判然としない非人称的なショットであることが多い。しかしながら、『秋刀魚の味』の終末部に見られる空のショットのように、空のショットがあたかも主観ショットであるかのように用いられることもまたあるのである。空のショットが持つこの豊かさを、見逃してはなるまい。
 これらの五つの空のショットに続く『秋刀魚の味』の最後の二つのショットはともにその画面内に父親の姿を収めている。そのため通常であればこれらのショットを空のショットと呼ぶことはできないだろう。しかし、本稿では、最後のショットにおいて途中から父親が物質化してしまうことでそこには人がいなくなったと見なし、第一章で触れた蓮實重彦やノエル・バーチの先行研究を踏まえて、これを「半=空のショット」と呼ぶべきものとして捉え直してみたいと思う。
 『秋刀魚の味』の最後から二つ目にあるのは階段を見つめる父親のミディアム・ショットだが、このときの父親の表情は、彼がバーで見せたのと同様に沈鬱なものである(111:41~49、[図21])。照明は抑えられ、父親の顔は影になっている。その後、次のショットへとカットされ、父親は台所へ向かって歩いて行く。台所へ到達した父親は、立ったままやかんの水をコップに注ぐと、それを一息で飲み干し、コップをテーブルの上におき、その場にあった椅子に腰を下ろして、頭を垂れる。数秒間その状態が持続した後、画面にはエンド・マークがあらわれることになる。
 父親の一連の動作を収めたこのショットは四十秒以上続き、この最終末部で最も長い持続時間をほこるショットとなっている[40](111:49~112:33、[図22])。縦の構図の一番奥に位置する台所の椅子に腰を下ろした父親はロング・ショットで捉えられていることになり、また照明もかなり抑えられているため、身体の大部分が影になっており、もはやその表情をうかがうこともほとんどできない。こうした父親の姿は、蓮實が指摘したような『晩春』の京都の夜に物質化した父親の姿に重なり、バーチが「半=枕ショット」と呼んだ状況をも思い起こさせる。つまり、このショットにおいて、父親は生身の人間からほとんど物質的なものへと変貌を遂げているのである。
 しかし「半=空のショット」と定義することで、わざわざ通常の空のショットの差異を強調したように、これを空のショットそのものと見ることはできない。いくら父親が物質化しているとは言え、そこに人がいることを認めないわけにはいかない(しかもこの「人」は映画の本筋に関係ない通行人などではなく、紛れもなく本作の主人公たる人物なのである)。また、泥酔しているこの父親が完全な静止状態には至れず、わずかにではあるが揺れ動いている点を無視するわけにもいかないだろう。だとすればこのショットはやはり空のショットとそうでないショットのあわいに存在する半=空のショットとして捉えるべきものということになる。また、そうであるからこそ、このショットには意義があると言える。この最後の半=空のショットは、その直前にあらわれた最終末部を構成する一つ目の台所の縦の構図の空のショット[図16]と同じ構図をとっている。この一つ目の空のショットと最後の半=空のショットは、間にわずかに五つのショットを挟んだだけの、映画内においてごく近しい位置に存在しているため、注意深い観客ならその対比を見逃すことはないだろう。すなわち、最後の半=空のショットにおいて、一つ目の台所の空のショットで空白になっていた空間に、孤独感と悲哀感に押しつぶされそうになってほとんど物質化している父親の姿を描きこむことで、その空の空間に収められるべき父親の姿こそが、この映画の最後を飾るのにふさわしいということを強調しているのである。そしてこの父親の姿が象徴しているものこそ、まさしく父親の悲哀という主題にほかならないのである。

4.結
 
 
本論文では小津映画の特徴の一つである空のショットに着目し、小津の空のショットには、これまで批評家や研究者たちが見落としてきた重要な機能が付与されていることを明らかにしようと試みてきた。
 第二章ではこれまで小津の空のショットをめぐってなされてきた先行研究を整理し、批判的に検討した。小津の空のショットに正しく注目を寄せ、その後の小津研究の進展に重要な先鞭をつけたドナルド・リチーの洞察の深さと分析の鋭さを認めつつも、彼の思考が「もののあわれ」や「禅」といった紋切り型の日本的概念に収斂してしまっていたことを指摘した。ポール・シュレイダーについても事態は同様である。シュレイダーもまた、小津の作品が有している映画的な卓越性を感知することはできたものの、それを映画作品自体に即して分析することを半ば放棄して、「超越性」といった抽象的な概念に逃げてしまったように思われる。これらの論者に対して蓮實重彦は、双方の立場の問題点を精査し、主題と説話の両面から空のショットを捉えるというバランス感覚を示しはした。しかし蓮實は、おそらくはそうした先行研究からしかるべく距離を置こうとしたためであろうが、父親の悲哀といった映画作品の根幹をなすような重要な主題を軽視しすぎた嫌いがある。ノエル・バーチは空のショットをめぐって慎重さを示した研究者の一人であり、かつ彼には「枕ショット」という重要な概念を提示した功績があるが、彼一流の審美感から小津の後期の作品を評価しようとはしなかった。クリスティン・トンプソンやデイヴィッド・ボードウェル、エドワード・ブラニガンは、リチーやシュレイダーと同じ轍を踏むことを避けようとして、空のショットを分析する際に古典的ハリウッド映画における諸技法との偏差に着目し、小津独自の演出技法を精緻に分析して数々の有意義な研究成果をあげてはいるものの、それらの分析と説話との連関を考察するという点では不十分なものであった。
 第三章では、具体的に、小津の遺作となった『秋刀魚の味』に見られる空のショットを分析していくことで、先行研究が見落としていた空のショットの機能について考察し、その不備を補完しようと試みた。より具体的には、三つの節における分析を通して、空のショットには説話と結びついて『秋刀魚の味』の主題である父親の悲哀を際立たせる機能があることを示した。第一節では、反復される廊下の空のショットに注目し、その照明が次第に暗くなっていく過程と、父親が抱える孤独や悲哀が深まっていく過程とが同期している点を指摘し、それらのショットが説話の流れの中にあって父親の悲哀という主題を強調する機能を果たしていることを明らかにした。第二節では、二つのバーのシークェンスの分析を通して、「軍艦マーチ」や葬式といった細部が空のショットと有機的に連関して父親の悲哀の主題を浮かび上がらせているさまを確認した。とりわけ、沈鬱な表情を浮かべる父親のショットを額縁のように挟んで存在している空のショットの画期的な機能は注目に値するものである。第三節では、『秋刀魚の味』の終末部にあらわれる二十のショットを詳細に検討し、やはりここでも父親の悲哀という主題が強調されていたことを確かめた。特に、最終末部を構成する五つの空のショットが父親の主観ショットのように表象されている点に注意を払い、それが「軍艦マーチ」や物質化した父親を捉えた、この映画の最後のショットにあたる半=空のショットと連繋して、父親の悲哀という主題を豊かに彩っているさまを確認し、改めて小津の卓越した演出手腕に驚いたのだった。
 オーヴァー・ラップやディゾルヴといった技術を放棄した小津は、晩年に至ってはついに画面からドリーやパン、ティルトといったカメラの動きをも追放しており、映画技法的により不自由な状況を志向し続けたように見える。実際、遺作となった『秋刀魚の味』の本編は、固定カメラによるショットをカットつなぎでつなぐことによってのみ構築されている。しかし、これまでに見てきたように、小津があえて引き受けた映画技法的な不自由は、その作品が映画的に不自由であることを意味しなかった。カメラが動かないからこそ、そしてすべてのショットがカットつなぎによって接合されているからこそ、反復されてあらわれてくる同一構図の廊下の空のショットが、その差異を際立たせ、父親の悲哀という主題を強調することができたのだった。あるいは二つのバーのシークェンスにおける、三度繰り返される父親のミディアム・ショットや、額縁的機能を持った空のショットも、それが固定カメラによる同一構図のショットであるからこそ可能となるものであった。作品の最終末部を構成している五つの空のショットについても、それを父親との切り返しを欠いた曖昧な主観ショットの地位に留まらせることで、空間が空であることそれ自体によって得られる効果と、孤独と悲哀に沈む父親の主観を同時に表象してみせ、より豊かな可能性を引き出していたのだった。
 おそらく我々は依然として、小津映画が蔵している途方もない豊かさのほんの一部しか知らないのだろう。しかし、それは革新的な芸術作品のほとんど定義と言ってもよい事態であり、幸運にもそうした作品を持ちえた我々には、その画面に向けて瞳を凝らし、耳を澄ませ続けることで、そこに潜むまだ見ぬ無尽蔵の豊かさを明らかにするという愉楽が許されているのである。その贅沢を味わわない手はないだろう。

 


[1]加藤幹郎『日本映画論 1933-2007 テクストとコンテクスト』、東京:岩波書店、2011年、154頁。

[2]蓮實重彦「『とんでもない』原節子―小津安二郎はいまなお未来の作家であることをやめてはいない」、『UP』、東京大学出版会、2004年1月号、1頁。

[3]リチー、ドナルド『小津安二郎の美学』、山本喜久男訳、東京:フィルムアート社、1978年、125~126頁。

[4]同書、236頁。

[5]同書、238頁。

[6]シュレイダー、ポール『聖なる映画―小津・ブレッソン・ドライヤー』、東京:フィルムアート社、1981年、86~91頁。

[7]同書、91頁。

[8]ボードウェル、デヴィッド『小津安二郎 映画の詩学』、杉山昭夫訳、東京:青土社、2003年、187頁。

[9]蓮實重彦『監督 小津安二郎』、東京:ちくま学芸文庫、1992年、253頁。

[10]同書、253頁。

[11]同書、253頁。

[12]バーチ、ノエル「小津安二郎論―戦前作品にみるそのシステムとコード」、西嶋憲生、杉山昭夫訳、『ユリイカ』、青土社、1981年6月号、83頁。

[13]ただし、空のショットと、いかにも日本的な修辞法である枕詞との結びつけは安易にすぎるとの批判も存在している。たとえばボードウェルはバーチの言う枕ショットが枕詞としての機能の他に序詞や(バーチ自身も述べているように)掛詞のようにも機能している点を指摘し、その名付けの安直さを批判している。

[14]同書、88~89頁。

[15]同書、93頁。

[16]トンプソン、クリスティン/ボードウェル、デイヴィッド「小津作品における空間と説話(中)」、出口丈人訳、『ユリイカ』、青土社、1981年8月号180頁。

[17]ボードウェル 前掲書、257頁。

[18]同書、60頁。

[19]同書、317頁。

[20]同書、257頁。

[21]加藤 前掲書、147~148頁。

[22]Edwrd Branigan, "The Space of Equinox Flower", in Peter Lehmen, ed., Close Viewings: An Anthology of New Film Criticism (Florida State University Press, 1990), pp. 99、拙訳。

[23]ただし、ここで注意しておかねばならないのは、これは蓮實重彦が『監督 小津安二郎』の中で頻繁に用いていた「説話論的な構造」という術語とは決定的に異なるものだということである。蓮實はこの術語について「対立が融合へと向かう運動、それが真の意味での小津の物語だ。この物語を、個々の作品の画面の連鎖を支える物語と混同しないために、説話論的な構造と呼ぶことにしよう(蓮實 前掲書、40頁。)」と定義して、かなり限定的な意味で用いている。そのヴァリエーションには「説話論的な機能」、「説話論的な持続」といったものもある。

[24]厳密にいえば、長男はこのショットが映し出された時点ですでに室内にいる。しかしこの直前にあるのは長男が妹の好意を寄せている同僚にそれを切り出すとんかつ屋のシークェンスになっており、実質的には時間的経過と長男の帰宅を示す機能を果たしていると言える。

[25]蓮實 前掲書、67頁。

[26]同書、67頁。

[27]同書、68頁。

[28]本稿では、登場人物の胸あたりよりも上を切り取ったショットを、ミディアム・ショットとして扱うこととする。

[29]『秋刀魚の味』の分析にあたっては『小津安二郎名作映画集10+10―第7巻 秋刀魚の味+出来ごころ』(小学館、2011年)付属のDVDを用いた。以下で使用する再生時間はすべてこのDVDをWindows Media Playerで再生した場合のものである。

[30]このバーを舞台に展開される三つのシークェンスに見られる空のショットの極めて論理的な変奏については、ボードウェルによる、本稿とは異なる観点からの精緻な分析がある。詳細は、デヴィッド・ボードウェル『小津安二郎 映画の詩学』、杉山昭夫訳、東京:青土社、2003年、231~232頁を参照されたい。

[31]小津のもとで助監督を務めた経験のある高橋治は「この岸田の役は笠の亡妻に似ているという設定が用意されている。それは男と女の関係には発展しないのだが、一方的に笠がある救いのようなものを求めて岸田の店に来ることは観客に伝わっている」と述べている。(高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』、東京:岩波現代文庫、219頁。)

[32]蓮實 前掲書、90頁。

[33]1回目のバーのシークェンスで、戦後の苦労を語った坂本が「そこへいくと艦長なんか、何にもご苦労なかったでしょうけどね」と言うと、父親は「いやいや、私も苦労しましたよ」と応じている。また、内田樹はこの父親の妻が戦災でなくなった可能性を指摘しているが(内田樹『うほほいシネクラブ』、東京:文春新書、191~192頁。)、そうだとすれば戦争の記憶と亡妻の喪失という2つのモティーフは、より強力に結び付けられていると言えるだろう。

[34]與那覇潤『帝国の残影―兵士・小津安二郎の昭和史』、NTT出版、2011年、153頁。

[35]小津の画面はしばしば絵画的であると評されるが、固定カメラによって捉えられたそのような厳密な構図の中で、ほとんど動きを止めた人物の姿は「活人画」のそれを思わせる。しかも活人画には「額縁ショー」と呼ばれる、文字通り額縁の中で人物がポーズを決める形態のショーがあり、ここでの空のショットの額縁的機能と動きを止めた父親の姿を嫌でも連想させる。活人画の歴史と概略については、ジョージ・R・カーノードル『ルネサンス劇場の誕生―演劇の図像学』、佐藤正紀訳(晶文社、1990年、84~160頁)に詳しい。小津映画、あるいは映画一般と活人画の関係については、別の機会に詳しく論じてみたい。

[36]「小津安二郎―音の世界」(『キネマ旬報 臨時増刊号 小津と語る』、キネマ旬報社、1994年7月7日号、65~76頁)と題された論考を発表している片山素秀は、小津映画の音に注目した数少ない論者のひとりである。ここには小津の映画音楽を担当した黛敏郎と斎藤高順へのインタヴューも収められており、これは一読の価値があるが、小津映画を「反劇的な映画」、「去勢された映画」と仮定して、もっぱらストーリーと映画音楽の乖離をのみ考察している点で全体として不十分な論考であると言わざるをえない。

[37]ボードウェル 前掲書、595頁。

[38]同書、591頁。

[39]蓮實 前掲書、152~153頁。

[40]ボードウェルの調査によれば、『秋刀魚の味』のショット一つあたりの平均的長さは7秒となっている。したがって、この数量的事実からも最後のショットの41秒という持続時間がいかに長いものであるかということがうかがえるだろう。(ボードウェル 前掲書、597頁。)

参考文献
【日本語文献】
―映像資料―
・映画『東京の女』(小津安二郎監督、日本、1933年)。
・映画『晩春』(小津安二郎監督、日本、1949年)。
・映画『東京物語』(小津安二郎監督、日本、1953年)。
・映画『早春』(小津安二郎監督、日本、1956年)。
・映画『秋日和』(小津安二郎監督、日本、1960年)。
・映画『秋刀魚の味』(小津安二郎監督、日本、1962年)。
(『秋刀魚の味』の再生時間は、『小津安二郎名作映画集10+10―第7巻 秋刀魚の味+出来ごころ』(東京:小学館、2011年)付属のDVDに拠った。
―単行本―
・井上和男編『小津安二郎―人と仕事』、東京:蛮友社、1972年。
・内田樹『うほほいシネクラブ―街場の映画論』、東京:文春新書、2011年。
・加藤幹郎『日本映画論 1933-2007 テクストとコンテクスト』、東京:岩波書店、2011年。
・貴田庄『小津安二郎のまなざし』、東京:晶文社、1999年。
・佐藤忠男『完本 小津安二郎の芸術』、東京:朝日文庫、2000年。
・松竹編『小津安二郎新発見』、東京:講談社、1993年。
・高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』、東京:岩波現代文庫、2010年。
・中野翠『小津ごのみ』、東京:ちくま文庫、2011年。
・蓮實重彦『監督 小津安二郎〈増補決定版〉』、東京:筑摩書房、2003年。
・蓮實重彦『監督 小津安二郎』、東京:ちくま学芸文庫、1992年。
・浜野保樹『小津安二郎』、東京:岩波新書、1993年。
・笠智衆『小津安二郎先生の思い出』、東京:朝日文庫、2007年。
・吉田喜重『小津安二郎の反映画』、東京:岩波現代文庫、2011年。
・與那覇潤『帝国の残影―兵士・小津安二郎の昭和史』、東京:NTT出版、2011年。
・カーノードル、ジョージ・R『ルネサンス劇場の誕生―演劇の図像学』、佐藤正紀訳、晶文社、1990年。
・シュレイダー、ポール『聖なる映画―小津・ブレッソン・ドライヤー』、山本喜久男訳、東京:フィルムアート社、1981年。
・ボードウェル、デヴィッド『小津安二郎 映画の詩学』、杉山昭夫訳、東京:青土社、2003年。
・ボードウェル、デイヴィッド/トンプソン、クリスティン『フィルムアート 映画芸術入門』、藤木秀朗監訳、名古屋:名古屋大学出版会、2007年。
・リチー、ドナルド『小津安二郎の美学―映画のなかの日本』、山本喜久男訳、東京:フィルムアート社、1978年。
―雑誌記事・学術論文―
・小津安二郎、里見弴、東山魁夷、飯田心美「映画と文学と絵画―小津安二郎『秋日和』をめぐって」、『文藝新潮』、1960年12月号、242~247頁。
・岡島尚志「小津安二郎―まなざしの過剰と身体の確認」、『ユリイカ』、青土社、1981年6月号、121~127頁。
・宇田川幸洋「ウィンザーと真似」、『ユリイカ』、青土社、1981年6月号、128~131頁。
・片山素秀「小津安二郎―音の世界」、『キネマ旬報 臨時増刊号 小津と語る』、キネマ旬報社、1994年7月7日号、65~76頁。
・蓮實重彦「連鎖と偏心―小津安二郎論(1)」、『ユリイカ』、青土社、1981年、6月号、48~55頁。
・蓮實重彦「小津安二郎論(2)―眼差しと歩み」、『ユリイカ』、青土社、1981年7月号、142~145頁。
・蓮實重彦「小津安二郎論(完結)―不可視の壁の彼方に」、『ユリイカ』、青土社、1981年8月号、164~171頁。
・蓮實重彦「小津安二郎の影のもとに―厚田雄春とヴィム・ヴェンダース」、『海』、中央公論社、1983年7月号、218~223頁。
・蓮實重彦「『とんでもない』原節子―小津安二郎はいまなお未来の作家であることをやめてはいない」、『UP』、東京大学出版会、2004年1月号、1~5頁。
・蓮實重彦、山根貞男、吉田喜重「小津安二郎生誕100年記念国際シンポジウム―生きている小津」、『論座』、2004年2月号、53~67頁。
・前田晃一「生誕100年いま、小津安二郎を発見する―ニューヨーク映画祭での取材から」、『世界』、2004年1月号、岩波書店、206~213頁。
・茂木健一郎「日常が底光りする理由―小津安二郎私論」、『文學界』、文藝春秋、2004年1月号、240~251頁。
・四方田犬彦「死者たちの招喚」、『ユリイカ』、青土社、1981年6月号、105~113頁。
・トンプソン、クリスティン/ボードウェル、デイヴィッド「小津作品における空間と説話(上)」、出口丈人訳、『ユリイカ』、青土社、1981年6月号、140~153頁。
・トンプソン、クリスティン/ボードウェル、デイヴィッド「小津作品における空間と説話(中)」、出口丈人訳、『ユリイカ』、青土社、1981年8月号、172~182頁。
・トンプソン、クリスティン/ボードウェル、デイヴィッド「小津作品における空間と説話(下)」、出口丈人訳、『ユリイカ』、青土社、1981年9月号、158~163頁。
・バーチ、ノエル「小津安二郎論―戦前作品にみるそのシステムとコード」、西嶋憲生、杉山昭夫訳、『ユリイカ』、青土社、1981年6月号、77~103頁。
・パンゲ、モーリス「小津安二郎―透明性と深さ」、鹿島茂訳、『ユリイカ』、青土社、1981年6月号、114~120頁。
・『キネマ旬報 二月増刊 小津安二郎・人と芸術』、キネマ旬報社、1964年2月号。
【英語文献】
・Ozu's Tokyo Story. Ed. David Desser. Cambridge: Cambridge UP, 1997.
・Edwrd Branigan, "The Space of Equinox Flower", in Peter Lehmen, ed., Close Viewings: An Anthology of New Film Criticism (Florida State UP, 1990), pp. 73-108.


 

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