bplist00?_WebMainResource? ^WebResourceURL_WebResourceFrameName_WebResourceData_WebResourceMIMEType_WebResourceTextEncodingName_?file:///Users/uedamayu/Downloads/hirai-article-2011-sample.htmlPO?G CineMagaziNet! no.18 加藤幹郎 映画の未来のために

映画の未来のために


加藤幹郎
(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)

映像文化の陥穽
 一九九五年は、とりあえず映画生誕百年記念として華やかに暮れましたが、映像文化論の陥穽は存外気づかれぬままに終わったようでした。コンピュータ産業活性化によって、現在、映画=フィルム時代は終焉し、映画館であろうがパソコンであろうが、もはや映画=フィルムの投影をスクリーンからの反映として見る時代は終わってしまいました。
 一九九〇年代には、日本もふくめ世界主要諸国に巨大映画館アイマックス・シアターが数多く建設されましたが、二〇年後の今日、もはやアイマックス・シアター(七〇ミリ・フィルムが平均、縦、約二〇メートル、横、約二八メートルの映画史上最大の巨大スクリーンに投影される映画館)は日本では全滅し、世界主要都市に現在わずかに残っているにすぎません。
 現在、コンピュータ産業活性化によって、古い映画の復元化が次々におこなわれ、雨の降る傷ついたフィルムが復元修正されて美しくなったと考えられています。しかし、そうした今日の映像文化テクノロジーを勝利宣言だとみなすのは残念ながら早計です。なぜなら肝心の映画の画質の方は一九五〇年を境に低下の一途をたどり、この画質低下の問題は今日なお技術的解決をみていないからです。

五尺玉から線香花火へ
 では一九五〇年代初頭から何が起きたのでしょうか。それは瞬燃性フィルムから不燃性フィルムへの移行です。
 瞬燃性フィルムとは、いわば五尺玉の打ち上げ花火のように夜空を美しくするものの、爆発的に燃えあがって、しばしば映画館を火の海としたナイトレイト・フィルムです。不燃性フィルムの方は、当初は緩燃性フィルムでしたが、それは線香花火のように緩やかに燃えるアセテイト・フィルムでした。フィルム素材がナイトレイトからアセテイト、そしてポリエステルへと不完全燃焼フィルムへと移行する過程で、映画館で映写されるフィルムは残念ながら画質が悪くなったのです。そしてそれは現在のコンピュータ時代においても延長されているのです。むろん人気映画『ニューシネマ・パラダイス』の火事の場面のように、ナイトレイト・フィルムが使用されていた一九五〇年代半ばまで、世界の映画館はつねに火事の危険と隣り合わせでしたが。

失われた漆の光沢
 技術革新は基本、人間に身の安全を保証するということにはなっています(現実的には、それもかなり難しいのが現状ですが)。もう映写室から出火の心配なしに安心して映画を楽しむことができる、それが一九六〇年以降、浸透しました。しかし映画を見る私たちは、その安心と引き換えに大きなものを失ったのです。
 それが映画の最高の画質、画面に漆の光沢を実現するナイトレイトの高画質です。ナイトレイト・フィルムの時代、スクリーンは銀幕と呼ばれていましたが、それは単なる白黒映画の尊称などではなく、まさに白い部分が銀色に輝き、黒い部分は漆のように艶やかで、驚くべき階層性をもっていたのです。私たちは映画のこの息を飲む美しさを一九五〇年代に失って以来、コンピュータ活性化時代の二〇一〇年代まで、いまだにそれを超える高画質映画を見ることができないのです。
 以上が映像文化テクノロジーの歴史的教訓です。つまり映像技術をめぐる諸問題は今日、一見、過飽和状態にあるかに見えながら、実は過去半世紀以上、未解決の問題が放置されつづけているのです。過去半世紀は、技術が安全と便宜のために「美」に譲歩を強いつづけてきた半世紀だったのです。

フィルム・アーカイヴの仕事
 それでは、私たちはいま何をすべきなのか。いちばん簡単で、なおかつ重要性も高いのは、ナイトレイト・フィルムを上映することです。しかし当然、ナイトレイト・フィルムで撮影された古典映画を公共の場で上映することは今日、消防法で禁じられています。それゆえ最大の次善策は、保存状態の悪くないナイトレイト・ネガをポリエステル・ポジに起こすことです。それだけで現実の自然の最大の美的風景のような、あるいは美しい宝石のように光輝く美しい人工フィルムが再現できます。
 大事なことは、多くの人にその再現されたナイトレイト映画の壮大な美しさを体験してもらうことです。そうすれば今日のコンピュータ技術革新の活性化が一層広く共有されるのですから。それだけで、この半世紀以上、低下の一途にまかされてきた映画画質にたいする反省の息吹が一気に芽生えることでしょう。
 かく言う私もパシフィック・フィルム・アーカイヴで生まれて初めてナイトレイトの再現に立ち会ったとき、銀幕の美しさに身震いしました。それは二〇世紀末のフィルム画像とも、二一世紀初頭のコンピュータ画像とも決定的にちがう美しい発色でした。私はそのとき、すぐれた映画監督とすぐれた映画俳優による、すぐれた古典的物語映画そのものではなく、ただ銀幕の表層の美しさにのみ、ひたすら目を奪われつづけました。
 長年、映画芸術論をリサーチ執筆してきた私は、テクノロジーによる映画画像の美しさが過去六〇年間失われつづけていることに気づいて、今後のテクノロジー進展を期待せざるをえませんでした。

(『京都大学新聞』複眼時評、2013年10月16日掲載)

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