加藤幹郎先生の御退官(京大名誉教授化)によせて



川本徹(日本学術振興会特別研究員PD)

 2012年、私が大学院在籍中に受講した最後の御講義で、加藤先生がヴィム・ヴェンダースの『まわり道』を取り上げたさい、ふいに胸の高鳴りを覚えた。その5年前、大学院に進学した直後に受講した御講義で、製作国は違えどやはり「旅」を主題とする清水宏の傑作映画『有りがたうさん』を先生が論じたときの記憶と感銘が甦ったからである。この初日の講義以来、いつしか映画における旅は私自身の重要な研究テーマとなり、先生の多大な啓発を受けながら、修士論文、博士論文のリサーチが進められていった。だが、いまあらためて感じているのは、旅がわれわれの認識の飛翔をうながす行為だとすれば、加藤先生の御講義、御指導そのものが私にとって人生最良の旅だったのではないかということである。学部時代に先生の代表的御著作、『映画とは何か』と出会い、京都に移住した私を待っていたのは、まさに新たな認識が立ち上がる瞬間の数々だった。何度もくりかえし観たはずのテクストが、先生の巧緻なる分析によってまったく新たな姿に変貌する。そうした瞬間に立ち会うなかで、私は自分の眼と精神が更新される歓びを知った。つまりは学問の根源的な歓びを知った。当時のノートを読み返すと、そこには新たな認識の地平を目撃した興奮を何とか書き留めようとする自分の姿がある。そして私自身が研究の道で迷ったときには、つねに先生の親身としか言いようのない導きがあった。ゼミの教室で、あるいは研究室で、何度目の覚めるような御助言をいただいただろう。何度拙い原稿に目を通していただき、正しい方向へと導いていただいただろう。むろん私だけではない。日本の国立大学で初めて映画学という学問を本格導入された先生のもとに、日本各地、さらには世界各国から学生が押し寄せ、この研究室から数多くの映画学者が生まれた。そして現在、日本の映画学をリードしている。映画学にのみ踏査可能な世界の神秘があると教えてくださったこと、いやそのこと以上に、これまでに存在しなかった学問の道を切り拓き、その先頭に凛然と立つことの意義と尊さを教えてくださったことに、指導院生のひとりとして深い敬意と感謝を捧げたい。加藤先生の存在なくして、映画学とともに生きる私たちの人生はなかった。限りない学恩を噛みしめながら、この素晴らしき旅路を歩んでゆく決意を、いま新たにしている。