11 マルーシュカ・デートメルス 感情移入する女

 一九八〇年代のもっとも重要な女優、それはマルーシュカ・デートメルスであろう。彼女は感情と行動の女。感情移入によって行動する女である。他者の魂の叫びを聴きとり、それに身体で応える女。それゆえ熱情に、たとえ不定形であっても、それにふさわしいかたちをあたえることのできる女である。
 八〇年代、多くの男たちは感情移入と行動突出のよりしろをまったくみうしなっていた。そのとき、ひとりマルーシュカ・デートメルスは古典的映画と革新的映画の橋渡しをする。古典映画で女は泣き、その泣き顔は泣く理由とともにクロースアップで強調される。いっぽう革新映画で女は行動するが、その行動の根拠が強調されることはない。しかるに『肉体の悪魔』(マルコ・ベロッキオ監督86年)のマルーシュカ・デートメルスはただただ感情移入によって行動する。彼女が命を賭けた恋をするのは、彼女が死と生への欲動を目撃するからである。
 いったいどんな理由から自殺をはかろうとしたのかはわからないが、屋根のうえから身を投げようとする異邦の女をみかけたマルーシュカは、泣き叫ぶ女の顔をみつめながらいっしょに涙をながす。宗教家の必死の説得にも耳をかさなかった狂乱の女が、じぶんとともに泣いてくれるマルーシュカを認めると、自殺をおもいとどまる。ひとひとりの命をすくうのに宗教も科学もいらない。ただいっしょに泣いてやることだけなのだ。裁判所の檻のなかの愛しあう男女に気づくのもまたマルーシュカだ。愛しあう若い非合法カップルをみつめながら、彼女はいつのまにかみしらぬ男の腕をとっている。マルーシュカは生(性)が賭けられた人生の特権的な瞬間を目撃する。そしてそれによってじぶんの人生を決定する。
 ようするに、彼女はじぶんが目にしたものに全身全霊で感情移入し、じぶんもまたそのように行動する。しかし、それではまるで映画の観客のようではないかと読者はおもわれるだろう。マルーシュカは、映画と現実をとりちがえる子供のような観客だと。事実そうかもしれない。しかし、もう一度よく考えてみていただきたい。われわれの現実のなかに映画のように心を動かし、映画のように行動する女がいったいどれだけいるだろうかと。
 八〇年代最高傑作のひとつ『肉体の悪魔』は、女の熱情にたしかなかたちをあたえる。マルーシュカは、まるで古典映画のヒロインのように泣きながら、革新映画のようにセックスする。行動の振幅は感情の振幅と同じように大きく、両者は同じいちまいの紙の両面となる。じっさいこの映画をみていると、どうして男は感情の命ずるままに行動できないのかと不思議な気になる。どうして男は他者に全身全霊で感情移入できないのか。他者とともに泣けない人間など、木偶の坊ではないか。
 マルーシュカ・デートメルスが感情=行動の女となる奇跡のようなフィルムがもう一本ある。『ラ・ピラート』(ジャック・ドワイヨン監督84年)である。ラ・ピラートとは女海賊といったほどの意味だが、この怒涛の映画は、マルーシュカに痩身年長のジェーン・バーキンをささえる肉感的な恋人を演じさせている。女どうしのカップルを中心に破滅的な結末にいたる人間たちの情熱の物語を、マルーシュカはそれこそ全身全霊で演じきっている。ほぼ同じことが『カルメンという名の女』(ジャン=リュック・ゴダール監督83年)でタイトルロールを演ずるマルーシュカにもあてはまる。『肉体の悪魔』や『ラ・ピラート』同様、彼女はそこでもただひたすら感情と行動を、熱情と運動を一致させ、人生をまたき無矛盾で駆けぬける。他者の人生とじぶんの人生をいっしょにする、これほど情熱的な女はこれまでの映画史には存在しなかった。
 八〇年代の世界映画史はひとりマルーシュカ・デートメルスによって後世にのこる十年となったのだ。

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12 ハッティ・マクダニエル 仮面の女優あるいは豊饒なる身体

 ハリウッドの若い才能の出世作『スクール・デイズ』(スパイク・リー監督88年)をみていたときのことである。アフリカン・アメリカンの女子大生たちが黒人女性のお面をつけて歌い踊っていた。まるまると太った黒人女性の笑顔のお面である。
 このお面の主はハッティ・マクダニエル。五〇年まえの映画『風と共に去りぬ』(ヴィクター・フレミング他監督39年)の女中役で名高い黒人女優である。未来の黒人文化をになう若い女子大生たちが、往年のアカデミー助演女優賞受賞者の写真を切り抜いてお面をつくって踊っていたのである。いかにもフィルム・スクールの出身者らしく、スパイク・リーはいつも自作を過去のハリウッド映画の新解釈として提出する(なにしろフィルム・スクールでは古典映画が必修だから)。とりわけ白人中心主義ハリウッドがかつて表象できなかったことに、この若い黒人監督はみずからのアイデンティティを賭けてきた。
 じっさい『スクール・デイズ』が準拠するものは、一九三〇年代から四〇年代にかけて流行したカレッジ・ミュージカルである。『スクール・デイズ』を見ていると、キャンパスでロードスターをのりまわし、実践恋愛学にかまける三〇年代の白人中産階級の頽廃が、黒人中産階級の台頭とともにようやく黒人学生のものとなったかのようにおもえる。
 それゆえこの八〇年代黒人カレッジ・ミュージカルが、三〇年代最大の黒人女優ハッティ・マクダニエルに言及をするのも偶然ではない。女中をやるか、週給七〇〇ドルで女中の役を演ずるしかほかになかったからだ」と。
 ハッティ・マクダニエルは女優でありつづけるかぎり、女中という仮面をとることを許されなかった。それゆえ「女中女優」マクダニエルのお面をつけた『スクール・デイズ』の黒人女子大生たちは、いわば仮面の仮面をかぶっていることになる。働こうとおもう黒人女性がかつてつけざるをえなかった女中という仮面。その仮面をつけた女優の仮面をつけて歌い踊る今日の黒人女子大生。彼女たちはそのハッティ・マクダニエルの笑顔の裏にどんな素顔を隠しているのだろうか。 
 一時間半の映画で一分半の出番しかない女優。生涯脇役にあまんじた女優。そして黒人女優として初めてアカデミーの栄誉にかがやいた女優。ハッティ・マクダニエルを形容するこうしたフレーズの虚しさは、彼女がその笑顔の仮面のしたに、どのような素顔を隠していたかをしろうとしない者の虚しさであろう。

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13 ハンナ・シグラ 思索と抱擁、孤立と連帯

 ハンナ・シグラはふしぎな女優である。妖艶さにかけて映画史十指にはいりながら(じっさい彼女は『十字路の夜』〔ジャン・ルノワール監督32年〕のファム・ファタールをおもわせる)、同時にこどもの無邪気さとおとなの分別とをあわせもっている。
 ハンナ・シグラは、その愛くるしさにおいて男や女を狂わせながら、そのいっぽうで冷静かつ妥当な人生設計家である。彼女はデルフィーヌ・セイリグのように理性に埋没することもなければ、マルーシュカ・デートメルスのように感性に流されることもない。ひとことでいえば、じつにバランスのとれた女である。それをドイツ的とよぼうとよぶまいと、このドイツそだちの女優はそのふしぎな魅力において幾多の映画を不朽のものにしてきた。
 代表作をかぞえあげればきりがないが、三八歳で逝った恋人R・W・ファスビンダーの手になる一連のメロドラマ『マリア・ブラウンの結婚』(78年)、『リリー・マルレーン』(80年)、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』(72年)などはハンナ・シグラの存在なしにはありえない傑作映画であるし、ゴダールの『パッション』(82年)やヴェンダースの初期の傑作ロードムーヴィ『まわり道』(74年)などもハンナ・シグラの静謐にして確固たる自己主張なしには不可能なフィルムだった。
 内に情熱をひめたハンナ・シグラは比較的ひかえめな女優である。それでも、その情熱はときに妖艶さとして溢れだし、ときに狂気としかいいようのない沙汰にいたるだろう。しかし彼女はいついかなるときでも、じぶんの行動原理の主である。彼女は抱擁と思索、情熱と打算、建設と破壊のなかで、つねに妥当にして主体的な選択をしてきた女である。心に屈託をかかえながらも、つねにまえむきに生きる女。ひとりでおもい悩みながら、ひとり行動突出する女。だれもがそうであるように、彼女もまた孤立と連帯のなかで危うい均衡を生きている。
 ドイツ支配下にあったポーランドに生まれ、戦後アメリカ占領下のドイツにそだったハンナ・シグラは、ヨーロッパ女優の哀愁をただよわせつつ、同時にアメリカ女的な気軽さをあわせもっている。彼女のふしぎなバランス感覚もそうした出自からきているようにおもわれる。じっさい彼女は流れおちる水銀粒のように重さと軽さにつらぬかれている。フランス女優のジュリエット・ビノシュならば、その身のこなしはポンヌフの欄干からころげおちる小鹿のようにいつも軽快だろうが(「存在の耐えられない軽さ」)、ハンナ・シグラには、どんな軽薄な役柄でもつねにある種の鈍重さがつきまとう。その重さはときに頽廃的なしどけなさとして顕在し、ときに献身的な破壊性として、みる者にのしかかってくる。
 それは兆候的な胸苦しさとともに人生を生きざるをえなかった女の重さなのかもしれない。
 ハンナ・シグラのフィルモグラフィはじっさい軽重のリズムに彩られている。『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』で自己中心的な女性ファッション・デザイナーにかこわれていたしたたかな彼女は、『リリー・マルレーン』では残酷な季節に生まれたじぶんの運命をまっとうし、そのいっぽうで『マリア・ブラウンの結婚』では、時代に翻弄されながらも時代を総括するふしぎな女を演じている。時代を総括する彼女の生きざまは『フォルベス夫人の夏』(88年)においては、いささか寓話的な教訓劇に還元されてしまうものの、ハンナ・シグラの確固たる生きざまは、ゴダールの『パッション』にも示されていたように、まったく迷いをしらない。
 じぶんの行動をみずからつかさどる者として、彼女はしばしば孤立状態におちいるが、抱擁と思索、建設と破壊のなかで、ハンナ・シグラはあくまでも主体的な選択をした女でありつづけた。

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14 ベティ・デイヴィス ねめつける女

 その名をしらぬ者はいないベティ・デイヴィス。悪女役で名高いこのハリウッド映画女優の名声は、十回にのぼるアカデミー主演女優賞候補歴と二回の受賞に要約される。晩年の鬼気せまる形相は、『イヴの総て』(ジョッセフ・L・マンキーウィッツ監督50年)や『何がジェーンに起こったか』(ロバート・アルドルッチ監督62年)の観客を心底おどろかせた。
 下瞼からはなれたその瞳が男たちを震えあがらせ、自由奔放な生きざまは男たちの命すらうばう女優。しかしベティ・デイヴィス最大の特徴は、その映画的身体にある。彼女はいつも映画のなかで身を横たえているのだ。
 じっさい不思議な符号というしかないのだが、Bette Davisという名前のなかには、あらかじめBeD(ベッド)という名詞が織りこまれている。じじつ彼女は熱病にうなされたり(『森の彼方に』キング・ヴィダー監督49年)、脳腫瘍におかされて(『愛の勝利』エドムンド・グールディング監督39年)、いつもベッドのうえに身を横たえている。
 しかし彼女が床につくのは、じつは病弱や脆弱のためというよりも、むしろそこからふいに身を起こして男たちの介護の手をふりはらうためである。ベティ・デイヴィスはベッドに身を横たえ、そしてそこからなかば身を起こす。彼女の映画的アクションはつねにこの水平状態からの半身隆起にある。いやベッドにかぎらず、彼女はビリヤード台のうえやカウチのうえ、そして湖にうかぶボートやカヌーのうえ、要するにあらゆる場所で身を横たえ、そしてふいに半身を起こすだろう。
 それは頽廃と誘惑の記号であり、権力と傲慢の指標である。ベッドのなかから男を誘惑しながら、ベッドのなかに男を迎えいれることを拒絶する女(『札つき女』ロイド・ベイコン監督37年)。自己実現のはてに病にたおれてもなお、男たちの介護の手をはねつける女。それが「悪女」ベティ・デイヴィスの真骨頂であり、身を灼くような欲望の追求のはてにあらわれる分裂症的な身体である。
 出世作『痴人の愛』(ジョン・クロムウェル監督34年)から『月光の女』(ウィリアム・ワイラー監督40年)、『偽りの花園』(ウィリアム・ワイラー監督41年)をへて、『台風の目』(ダニエル・タラダッシュ監督56年)や『誰が私を殺したか』(ポール・ヘンリード監督64年)にいたるまで、ベティ・デイヴィスはつねに男たちの災厄の中心にいる。彼女がそれを望むと望まざるとにかかわらず、男性中心社会は彼女の登場によって前代未聞の強震におそわれる。とはいえ、その揺れの力は、しかるべき回収装置によって最終的に封殺されるようになっている。
 しかし彼女の破壊力は映画のなかだけにとどまっていない。じっさい男性中心のハリウッド映画体制において、女優ベティ・デイヴィスがいかに自己主張をつづけていったかは、今日、南カリフォルニア大学に整理保存されているワーナー・ブラザーズ社の記録文書をみれば明らかである。彼女は男性プロデューサーの愚かしい決定事項にたいして、いちいち正当な異議を申したてている。
 映画の内と外でおこなわれたベティ・デイヴィスのこの反抗が、女性表象史において実をむすんだという証拠はないが、フィルム・ノワールとはまた別の文脈で男性の脆弱さを告発しつづけた彼女の功績は大きい。
 男たちの既得権をねめつけるベティ・デイヴィスの眼は、今日でもその眼力をうしなってはいないだろう。

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15 ジェーン・バーキン 突風にまう女

 一九七〇年、わたしは初めてジェーン・バーキンに魅かれた。四半世紀以上もまえのことだ。十三歳のわたしは、この情熱的な女優をみるために毎日のように映画館に足をはこび、スクリーンのうえの彼女のペルソナに突風にまう蝙蝠傘をみたような気がした。
 そのときの映画『ガラスの墓標』(ピエール・コラルニック監督70年)が今年(一九九六年)ふたたび公開される。すぐれた映画女優がつねにそうであるように、ジェーン・バーキンの魅力もまたつねに再発見される運命にある。ジェーン・バーキンはものおもいに沈んだかとおもうと不意に行動にうつる。猫のように静から動へと突如転身する。そして恋する男をうしなった彼女が天にもとどかんばかりの狂乱の叫びをあげるとき、彼女の痩躯は風にちぎれる旗のようだった。
 映画のなかで恋するセルジュ・ゲンスブールを亡くしたジェーン・バーキンが、現実に恋人セルジュ・ゲンスブールの死に直面したとき、どのような悲痛の声をあげたかは知らない。しかしゲンスブールとの別離ののち、彼女が、今日の仏映画界で一、二を争う俊英監督ジャック・ドワイヨンと公私をともにし、映画史にのこる傑作映画をものしたという事実は改めて強調しておかねばなるまい。ドワイヨンの狂気のメロドラマ、わけても『ラ・ピラート』(84年)は女優ジェーン・バーキンの名を不朽のものにした。二七歳のときに『ラ・ピラート』に出遭ったわたしは雷に打たれたように総毛立って、その年のベストワンにこの映画をえらんでいた。
 この狂気の映画『ラ・ピラート』はまた低気圧の映画でもある。小島を沈めんばかりの暴風雨のような映画だ。しかもそこにえがかれているのはたんなる嫉妬と情熱の嵐ではなく、あなたの眼前で狂ったように下がりつづける気圧計そのものである。つまりこの映画は大気を記述するのだ。
 ジェーン・バーキンは愛する女性と嫉妬深いと夫とのあいだで、みずからの欲望の命ずるままに行動する。しかも彼女の精神はあくまでも透徹で、同性を愛する彼女の心に一点の曇りもない。
 『ラ・ピラート』(84年)同様、垂れこめた鉛色の空が印象的な『ガラスの墓標』(70年)では、ジェーン・バーキンはまだ男の領分で行動する女だった。しかし『ラ・ピラート』の彼女にとって、男はもはやそのうえを通過するひとつの小島にすぎない。ジェーン・バーキンは気流であり、男たちはそのしたで波にあらわれる小島にすぎない。重力に縛られたものみなすべてをつつみこむ濃密な気流。地上の男たちの争いを眼下に、ジェーン気流は時速五〇〇キロで島々のうえを通過するだろう。
 同じことが初期の『ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ』(75年)と中期の『大地の愛(地に堕ちた愛)』(83年)のあいだにもいえる。『ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ』は地上の愛を描く。ジェーンは性的同一性が定まっていないがゆえに男たちに翻弄されるが、『大地の愛』ではその題名とはうらはらに、ジェーンはもはや地上のどこにも存在しない。彼女は床上五センチのところをすでに浮遊しはじめている。ジャック・リヴェット監督によるこの世紀の傑作ののちに、『ラ・ピラート』のジェーン気流がやってくる。ひとは彼女の怒涛の愛にのみこまれ、ただおし流されるだけである。
 その後、女性監督アニエス・ヴァルダと組んで二本の軽快な小気流映画(『カンフー・マスター!』と『アニエス・vによるジェーン・b』ともに87年)をつくり、ジェーン・バーキンはもはやこの世ならざる存在(空気の精)であることを世に知らしめた。
 ひとりの女優がかくも変容をかさねるのが映画史の不思議であるとすれば、ひとは生涯映画ファンたることから逃れられないだろう。

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16 ジョーン・フォンテイン 痕跡をのこさない女

 想像しよう。インターネットのなかを幻影のように駆けぬける女優を。いかなるサイトをひらいても、彼女がそこにいたという漠たる印象以外、なにも痕跡をのこさない女優。にげさる女優。まるで残り香のように、彼女は永遠にわたしたちの眼にふれることがない。それはにげさる恋。永遠に成就することのない恋愛に似ている。
 増殖しつづけるコンピュータネットのどこかに存在するはずの女優。彼女との出遭いを夢見て、今日もわたしたちは果てしないネットサーフィンにでかける。
 けだし女優とはそういうものであろう。いくら追いかけても、スクリーンの彼方に永遠に逃れさる女。そうした女優像を映画史上最初に決定づけたのは、おそらくジョーン・フォンテインである。一九四〇年代にヒッチコックにみいだされた彼女は、この怪物的な映画作家のもとでフィルムを文字通り蜃気楼にかえた。それが『レベッカ』(40年)や『断崖』(41年)といった古典的女性ゴシック映画が、今日なお多くの観客を獲得しつづける理由である。 ジョーン・フォンテイン、この美貌の女優はまた表情の女優でもある。すべてを理解しているつもりだった夫の異常な行状に震えおののく新妻。彼女は夫がじぶんを殺そうとしているのではないかという疑惑が頭からついて離れない。さしたる根拠もない疑惑だけが膨れあがり、ヒッチコック的サスペンスが限界ぎりぎりまで引き伸ばされる。
 じっさいジョーン・フォンテインの不安げな表情は特筆にあたいする。片側だけがもちあげられた眉、大きく見開いた眼。至福から恐怖まで、感情の絶対値を更新しつづける彼女の顔は、ヒッチコック的というしかない超クロースアップによって彫琢される。
 女性ゴシック映画(『レベッカ』や『断崖』)におけるジョーン・フォンテインは、じっさい奇妙な恋愛を経験する。彼女は田舎の素封家のひとり娘や身よりのない女として、環境がつちかった孤独と空想を生きている。それゆえ彼女が恋をするとき、それはいきおい、じぶんの孤独な空想世界からの恋となり、男がそこから彼女を外の世界へ、現実の世界へと引きだそうとするとき、彼女はそれに無意識に抵抗する。それが彼女が体験する恐怖、夫がじぶんを殺そうとしているのではないかという疑惑を醸成する。この恋愛は定義上、彼女のアイデンティティを否定するものだから、彼女はそれとしらずに恋愛そのものを否定しようとする。しかし恋愛というものは本来そういうものである。恋愛とは、ジョーン・フォンテインが体験したように、しばしばじぶんの世界から見た別の世界への憧憬である。ましてや、これは映画内恋愛である。それはあらかじめこちら側からむこう側の世界をみるように設定された恋愛世界である。
 だとすれば、映画のなかでふしぎな恋愛に翻弄されるジョーン・フォンテインは、映画館のなかの孤独な観客の似姿となる。わたしたちはスクリーンのむこうの永遠に手のとどかない対象とあえて恋におちようというのだから、まるで孤独癖と空想癖にみたされたジョーン・フォンテインそのものではないか。
 この美しくも、はかなげな女優の最大の特徴は、彼女が恋愛の主体であると同時に恋愛の対象でもあるという点にある。彼女の恋愛は、その孤独癖からしばしば大きな危機を経験するが、それは彼女の一挙手一投足、彼女の顔の表情決定素(眉や眼や口や顎の動き)ひとつひとつに注視するわたしたち観客の恋愛でもある。
 ジョーン・フォンテインは映画のなかで恋愛を象徴的に生き、まさにそのことによって、わたしたち観客の愛の対象となるのである。

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17 ミシェル・ファイファー 猫女

 いまいちばん華奢な女優をといわれれば、だれもがミシェル・ファイファーの名をあげるにきまっている。
 じっさいミシェル・ファイファーはハリウッド映画史上屈指のフェミニン娘。彼女があと半世紀早く生まれていたら、ハリウッド保守産業を根底からささえる女優に成長していたことだろう。
 線の細さと芯の強さにおいて、ミシェル・ファイファーはかつてのローレン・バコールをおもわせる。その幸の薄そうなところなどはまた四〇年代のヴェロニカ・レイクにも似ている。いずれにせよ彼女のブロンドの髪のむこうには、妖しく光る眼が見え隠れしていて、その光る眼がフィルム・ノワールの「悪女」の記号であることはまちがいない。だからミシェル・ファイファーには、『危険な関係』(88年)のような古風な恋愛ものよりも、『バットマン・リターンズ』(92年)のようなフィルム・ノワールの方が似合っている。なるほど彼女ほどの古典的美形には、不実な男にいいよられる古典的恋愛劇もよかろう。しかしジョーン・フォンテインですら気後れするような大時代の女を、今日ミシェル・ファイファーに演じさせるというのは、いかにも反動的な企みではなかろうか。
 その点、プロデューサーの見識の高さを示したのが、『バットマン・リターンズ』の猫娘役である。この暗黒映画は、ゴッサム市の構造的腐敗と大富豪蝙蝠男の心の闇を浮きぼりにするが、そこに会社から閉めだされた傷心のOLミシェル・ファイファーの復讐譚がかさなる。彼女は猫マスクをかぶり、黒革に身をつつみ、SMの女王然として、不正と欺瞞にみちた昼間の世界へと挑戦する。この黒猫への変身が、彼女の華奢な身体にふさわしい柔らかなルサンチマンをしるしづける。ミシェル・ファイファーのような古典的美女が、もし昼間の男性社会の枠組みのなかで、その社会の不当性に抗議しようとすれば、それは匿名と変身という手だてをおいてほかにないのだろう。
 じっさいミシェル・ファイファーは捨て猫のように、いつも傷つき倦み疲れている。『恋のためらい フランキーとジョニー』(91年)は、彼女のそうしたペルソナを代表する映画である。恋をすることに死ぬほど恐怖心を抱く女。それはたしかに古典的な恋愛葛藤劇(『危険な関係』)のなかで、不実な男に裏切られ、その結果、死を選んだ女にふさわしいキャラクターであろう。
 要するに、ミシェル・ファイファーは反マッチョ女。一九八〇年代を席捲したタフ・ガイ(『ターミネーター2』や『エイリアン2』における超人的な母親)たちへの大いなる反動として成長してきた女優である。たとえ男たちに裏切られようとも、ミシェル・ファイファーには、敢然と復讐に立ちあがるキャサリン・ターナーの技量と体力はない。せいぜい夜の闇を跳梁跋扈するキャット・ウーマンとして、動物と人間の中間形態という、かつて男たちの愛玩動物とみなされてきた女にふさわしい復讐形態しかとることができない。つまり彼女は世捨て人あるいは捨て猫としてしか我が身を社会に登録できない女である。
 彼女は『恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(89年)では流しの歌手に扮し、ロード・ムーヴィー『ラブ・フィールド』(ジョナサン・キャプラン監督92年)では黒人と恋におちるマリリン・モンローとでもいうべき役柄をこなしている。いずれにしても何かを置き去りにしてきた女、あるいは身の置き所のない女を彼女は演ずる。
 いまだにアイデンティティを信仰し、いまだにアイデンティティを模索する女、そうした現代女性のもっとも弱い部分を代表する女優として、ミシェル・ファイファーはその人気を確固たるものにしてきた。

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18 グロリア・グレアム 送り先のない視線

 グロリア・グレアム。典型的な五〇年代ハリウッド女優。性的な魅力にとみ、傷つきやすく、それゆえ男性とペアをくむことで真価を発揮する。それゆえまたフィルム・ノワール全盛期の一九五〇年代に、ついに一度も蜘蛛女を演ずることがなかった。彼女には、男を敵にまわして自己実現をはかるリタ・ヘイワースのまねなどできない。蓮っ葉な感じがする、あくまでも華奢な傍役である。
 出演者全員が神経症をわずらっているようなメロドラマ『蜘蛛の巣』で、グロリア・グレアムは精神分析家の妻を演じる。とらえられた蝶がもがき苦しむ振動が蜘蛛の巣ぜんたいに伝播してゆくように、登場人物全員が男も女もグロリア・グレアムの無意識の媚態に神経を昂ぶらせてゆく。患者よりも医者や病院経営者たちの方が途方にくれる。そこにこの映画のメロドラマ的転倒がある。
 ヴィンセント・ミネリが演出したメロドラマはつねにそうだが、緊張の糸がぴんと張りっぱなしのこの映画でも、グロリア・グレアムはハリウッドの淡島千景といった風情で、リリアン・ギッシュやローレン・バコールといった大女優をむこうに、ときに尊大に、ときに鷹揚に会話をすすめる。しかしその最大の特徴は、彼女が話相手とほとんど視線を交わさないところにある。運転席や鏡のまえで、電話ボックスやシャワー室のなかで、グロリア・グレアムは相手と視線を交わすことなく、話をつづけるだろう。
 『蜘蛛の巣』(55年)や『十字砲火』(47年)、あるいは『影なき男の歌』(47年)で婀娜っぽい演技を要請されたグロリア・グレアムも、厳格な映画作家ニコラス・レイのもとでは別人のように抑制した演技をみせる。それが『孤独な場所で』(50年)である。先頃、一般公開されたこのフィルム・ノワールの邦題は、本来なら「人気のない処で」とでもすべきものだが、それはともかくとして、この映画は、連続殺人事件の孤独な容疑者に赤狩りの寓話をかさね、そこにさらに不幸の前兆としてのグロリア・グレアムの送り先のない視線をかさねる。
 彼女はスクリーンライター(ハンフリー・ボガート)の愛と才能を信じて彼と同棲をはじめる。男が深夜の女殺しの容疑者であることなど、彼女の幸福な未来をさまたげるものではなかったはずなのだが、じょじょに彼女のなかで疑惑が頭をもたげてくる。いったい彼の性急なプロポーズはなにを意味するのか。ときおり嵐のように襲ってくる彼の怒りの発作はなにを意味するのか。そしてクロースアップでとらえられたグロリア・グレアムの送り先のない視線は内省といいしれぬ不安を示し、のちにふたりをおとなう愛の破局が避けがたいものであることを暗示する。視線の宙吊り、それは古典的ハリウッド映画においてもっとも不吉なものである。
 というのも普通ハリウッド映画では、その場にいる全員がたがいに視線を交換し、そのかぎりで映画のなかの安全な住人たりうる。そこには、この世界のどこにも居場所を見いだせない宙をさまよう孤独な視線など存在しない。視線はつねに、その明確な対象をもち、見るものと見られるものとの視線のネットワークを通じて、登場人物も観客も安全なコミュニケーションの住人たりうる。 ところが、そこが映画作家ニコラス・レイの天才であり、そのおりの妻君グロリア・グレアムの面目躍如たるところだが、『孤独な場所で』ではグロリア・グレアムの行き場のない孤独な視線がはっきりと提示される。
 二本のフリッツ・ラング作品『復讐は俺に任せろ』(52年)と『人間の欲望』(54年)の彼女の孤独な熱情ぶりも特筆に値する。 

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19 マリア・シュナイダー そこにいない女

 虚ろな眼をして、風の鳴る方向をみつめ、マリア・シュナイダーの心はいつもすでにどこかよそへ飛んでいる。キャメラなど眼中にないかのように、彼女は画面の奥でひとり物想いに沈み、まるで自分が女優であることなど、はなからわすれてしまっているかのようだ。
 幻想小品『ヴィオランタ』(ダニエル・シュミット監督77年)や『さすらいの二人』(ミケランジェロ・アントニオーニ監督75年)、あるいは『危険なめぐり逢い』(ルネ・クレマン75年)、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(ベルナルト・ベルトルッチ監督73年)といった七〇年代屈指の韜晦映画のなかで、マリア・シュナイダーがみせた演技とはそういうものだった。
 彼女は世捨人のような静かな横顔をして、熱い演技を棄て、映画のなかにいながら映画とは別の世界へ沈潜する。彼女は演ずる者としてそこにいるのではなく、自分自身として映画のなかにいる。マリア・シュナイダーの面差しは、みる者にそうした奇跡を感じさせた。しかしじぶん自身である以上、彼女は映画の全体的流れからはみだして、ひとり絶対的な孤独を経験する。
 彼女の孤独はまた他者の孤独でもあった。彼女がベッドをともにしたゆきずりの男たちは、しばしばみずからの死体を彼女の眼前にさらけだすことになる。男たちの死は永遠の謎である。なぜ彼らは死ななければならなかったのか、映画は黙して語らない。男たちの存在理由はあくまでも稀薄である。しかし、そもそもマリア・シュナイダーの身体じたい、映画にとって稀薄である。偶然キャメラに写った通行人ででもあるかのように、彼女は主演女優としての自己主張を決定的に欠いている。
 要するに、マリア・シュナイダーは少女のように世界の理に無関心である。たまたま自分がそこにいるということ以外、世界にたいしてなんの期待も抱いていない。だからマリア・シュナイダーが男と恋に落ちるとき、それは彼女の方ではなく男たちの方が彼女を必要としている。予測不可能であったはずの死の直前に、男たちはまるで彼女に看とってもらうためかのように、マリア・シュナイダーと恋におちるのだ。
 彼女の身体、その胴長の体躯は、しかし、母親のように豊饒である。そのうつむき加減のおとがいと虚ろな眼差しにもかかわらず、彼女の身体は全体として正の方向をむいており、そのことが彼女の直面する人生の不条理に一層ぶきみな軋みをあたえた。
 二〇歳台の彼女は、そうした死と豊饒のすれちがいを、みずからの身体レベルで引き受けていた。しかし中年期とよぶにふさわしいいま、彼女は死にゆく者に啓示をあたえる神秘的な女となる。『野性の夜に』(シリル・コラール監督92年)にカメオ出演するマリア・シュナイダーは、エイズに冒された若者にのこされた人生の教訓をあたえる。かつて身体をかさねた中年男たちの死を看とっていた彼女が、いま未来のない若者に人生の指針をあたえる。だとすれば、未来の彼女がこどもたちに人生の意味をおしえる女神にならないとだれがいえようか。
 女優は年をとることを許されない存在だが、アリダ・ヴァッリとリリアン・ギッシュは、そのかずすくない例外である。可憐な少女から老獪な老嬢まで、このふたりの大女優は映画史に人生の足跡をきざみつける。七〇年代を代表する女優マリア・シュナイダーが、じぶん自身でありつづけることによって、映画史の三人目の例外とならないとだれが断言できようか。
 

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20 アンナ・マニャーニ  堂々たる迷妄

 女の熱情といえばアンナ・マニャーニである。大地の愛と台所の愛。狂乱の愛と凡庸な愛。そして地母神から洗濯女まで、男たちは彼女に好き勝手なイメージをあたえる。しかしアンナ・マニャーニの本質は、男たちのそうした伝統的女性観をうけいれつつ、それを凌駕するところにある。
 彼女はイタリア人の母とエジプト人の父とのあいだに婚外子として生まれ、身体をなげだし、大声をはりあげて、およそ自然の命ずるがままにふるまう。その肉感的な言動は洗練美から無縁であるのに、その容貌はときに黒光りする刃物をおもわせる。
 アンナ・マニャーニがフェリーニ映画の常連にならなかったのは、そうしたアムビヴァレンスがジュリエッタ・マッシーナのような女優の資質とは本質的に異なるからだろう。 しかしアンナ・マニャーニがフェリーニをはじめ、パゾリーニ、ロッセリーニ、ヴィスコンティ、ルノワール、そしてキューカー、ディターレといった名だたる監督たちの霊感の源泉であったことは、あらためて確認しておきたい。なかでもジョージ・キューカーの『野生の息吹き』(57年)は映画史の奇蹟である。前年、アカデミー主演女優賞をえたアンナ・マニャーニは、このフィルムでふたたびオスカー候補となる。
 かつて堂々たる迷妄を演じることで、『アモーレ(奇蹟)』(ロベルト・ロッセリーニ監督48年)や『ベリッシマ』(ルキノ・ヴィスコンティ監督51年)といった映画を傑出させていた彼女は、『野生の息吹き』では迷妄に躊躇をくわえることで、深みのある人間造形に成功する。しかも日常のささいな擦れちがいのうちに人生の重みを凝縮させるマニャーニの演技は、深刻さからも頽廃からも無縁の生の歓びに横溢している。そもそもマニャーニの映画史への登場はネオレアリズモの幕開けでもあった。『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ監督45年)が世界に新しい写実主義の可能性を宣言したとき、そこにその名にふさわしい生の息吹きをあたえたのが女優アンナ・マニャーニであった。
 そして迷妄なる至上の愛を追求した『アモーレ(奇蹟)』(48年)の翌年から、監督ロッセリーニが新しい恋人イングリッド・バーグマンと六年間におよぶ映画的蜜月をすごそうとも、マニャーニとロッセリーニの友情は終生かわらなかった。
 マニャーニの特性は、『噴火山の女』(ウィリアム・ディターレ監督53年)、『われら女性』(ヴィスコンティの挿話53年)、『マンマ・ローマ』(ピエロ・P・パゾリーニ監督62年)といった映画題名を一瞥しただけでも明らかである。彼女はしばしば「噴火山のような女」を演じてきたのであり、烏のような黒髪をふりみだし、大地の情熱を具現化してきた。
 『黄金の馬車』(52年)で彼女と仕事をともにした監督ジャン・ルノワールは、女優マニャーニを評してこう言っている。「彼女は非のうちどころのない動物だ。舞台と銀幕のために創造された動物だ」と。大地に横たわるマニャーニは、依るべきところを大地いがいにもたない女である。しかし、まさにそれゆえにこそ彼女は絶滅収容所以降の孤独と頽廃の罠から逃れている。大地での彼女の咆哮と笑顔は、陽光のもとでのアメリカ女のマッチョイズムとはまた別のかたちで、明るい未来をむいてはいないだろうか。
 「舞台と銀幕のために創造された動物」、それは極貧のなかに生まれ、ポリオの息子をかかえ、またみずから悪性腫瘍との長い戦いを演じねばならなかったこの女優のけっして長くはない生涯を要約するのにふさわしいことばかもしれない。

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21 フェイ・ダナウェイ ポットラック・パーティにまぎれこんだ女

 十八か月間住んだアメリカで、こんな女に出遭ったことがある。足を組ませれば、無造作だが伸びやか。化粧をおとさせれば、まるでフランシス・ベイコンの絵のようだ(つまり、すばらしく歪んだ顔になる)。『バーフライ』(87年)のフェイ・ダナウェイを見ているうちに、そんなことを思いだした。実人生と映画をとりちがえさせる女優。それが最近のフェイ・ダナウェイだ。彼女をみていると、まるでドキュメンタリー映画をみているような気にさせられる。物語映画をみていて、こんな感覚におそわれる女優は、『バーフライ』のフェイ・ダナウェイをのぞけば、『ポンヌフの恋人』(91年)のジュリエット・ビノシュくらいのものだろう。
 一九六〇年代のおわりにニューシネマのスター(『俺たちに明日はない』67年)として一世を風靡し、二〇年前には、三五歳の若さでアカデミー賞主演女優賞(『ネットワーク』シドニー・ルメット監督76年)にかがやいたフェイ・ダナウェイが、『バーフライ』ではまるでドキュメンタリー映画の登場人物のように無欲で飾りけのない女となる。
 女優はつねに自分を主張し、演技過剰になる。それはイングリッド・バーグマンからウィノナ・ライダーまで変わらない。女優はいつも自分自身たろうとするから、自分の殻から永遠に逃れられない。ところが最近のフェイ・ダナウェイはみずからのペルソナを破壊し、かつての不良娘がなるべくしてなったアル中中年女を、「アル中女」という紋切型の埒外で演ずる。それは自己抑制というよりも、あるがのままの姿をキャメラのまえにさらしているかのようにみえる。共演者のミッキー・ロークがキャメラのために演技しているとしたら、フェイ・ダナウェイの灰色の目にはもはやキャメラなど存在しない。じっさい、それが自己抑制でないとしたら、それをいったい何とよべばよいのだろうか。フェイ・ダナウェイの演技は、気のなさと気散じの中間地帯にある。退屈しのぎに映画に出ているわけでもあるまいが、よりよい演技を披露しようなどとは断じておもってはいないだろう。
 さて『バーフライ』の監督は、欧州とアフリカでさんざん好き勝手なフィルムを撮ってきた怪物的な作家バーベット・シュローダーである。彼がハリウッドにわたったのちの最大の成果がこれだ。清楚なビュル・オジエにかつてSMの女王を演じさせた彼は、女優の可能性を最大限ひきだすことができる男だ。『バーフライ』はアルコールにふける中年男女(やがて作家となるだろう男とその恋人)の日常をえがく。口を糊するためというよりも、作家になるためにだけ作家となる最近の流行作家の生活とはまったく異質な人生模様が、そこにはえがかれている。ふたりの酒びたりの生活には何の野心もない。自堕落な生活にふたりは何の負い目も不安も感じることなく、臆することなく怯えることなく、日常の律動のなかから湧きあがる静かな変化を享受するだけである。中年のカップルがカリフォルニアで無目的な生活をおくる。それがこの映画の主題だ。
 屁をひるミッキー・ローク。そしてその尻をけりあげるフェイ・ダナウェイ。男がマーロン・ブランドを気どる 猿だとすれば、女はポットラック・パーティにまぎれこんだ名もない女にすぎない。
 オーヴァーアクション、ヒステリー、静かな狂気、そうしたものからかぎりなく遠いところにいるフェイ・ダナウェイ。ニッチにおさまった古家具のように、自己主張を欠くがゆえに存在感をはなつ女優。ジェーン・バーキンのように痩せたその中年の身体は、若さや勤勉さ以外にも人生にはいくらでも可能性があることをおしえてくれるだろう。

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22 アリダ・ヴァッリ 人生の知恵

 アリダ・ヴァッリ。歳をとることの重要さ、七〇になることの大事さをおしえてくれる女。年ふりて人生のなんたるかを学ぶことの美しさ。人生の節目節目にそれなりの情熱を維持し、それゆえ自己同一性を捜しもとめるすべての若者の陸標となる女。そこに戻りさえすれば、いつでもあたたかく迎えてくれる女。年をとることの美しさと人生の収穫のよろこび。アリダ・ヴァッリとはそういう女優だ。
 十五の歳に映画デヴューし、二六歳でヒッチコックの知られざる傑作『パラダイン夫人の恋』(47年)に主演し、三三歳で映画史上最大のメロドラマ『夏の嵐』(ルキノ・ヴィスコンティ監督54年)で世界を震撼させた女。四九歳で『暗殺のオペラ』(70年)、五八歳で『ルナ』(79年)。この二本のベルトルッチ作品では、アリダ・ヴァッリはまるで美神の彫像のように静かにことのなりゆきをみまもっていた。そして六四歳で『女テロリストの秘密』(85年)に出たあと、つい先ごろ公開されたのは七四歳での出演作『湖畔のひと月』(95年)である。じつに六〇年ものあいだ現役でありつづけた大女優アリダ・ヴァッリ。宇宙全体がその年ふることの美を祝福している。彼女は海のように月と太陽の影響をうけつつ、大気を醸成し、日々生成変化しながら、変わることのない波の美しさを体現する。海には秩序と混沌といった二元論はない。海は同時にそのすべてであり、どこまでも愚かしい人間中心主義のすべての諸科学と感傷主義から無縁の存在である。
 そしてアリダ・ヴァッリの偉大さは、彼女を怒涛の海、静謐なる入江に譬えうるという意味で、逆説的に歳をとらないというところにある。彼女は美しく齢をかさねたが、一度たりとも老役など演じたことはない。彼女はその実年齢をスクリーンにきざみはするが、それは脚本が老女役を必要としていたからではなく、そこに彼女の実人生の輝きを必要としていたからである。
 アリダ・ヴァッリの代表作『夏の嵐』は、「官能」という原題がしめすように、いわば熱情のたぎりを記録する気象映画である。年下の美貌の男にふりまわされ、女の歓びと苦悩はその絶対値を記録する。不実のかぎりをつくすおとこに翻弄される女。そんな大時代的メロドラマをヴィスコンティ監督は余人にまねのできない筆致で映画史上屈指の傑作たらしめる。じっさい白の映えるテクニカラーにおいて、アリダ・ヴァッリの目は異様な輝きをはなっている。その薄い鳶色のまなこはアイライトをあてられると白色に反射して、まるでそれじたいがひとつの発光体のように輝きだして、奥ふかく秘められた熱情のたぎりを垣間みせる。
 その目は海のように人生のすべてをみてきた目だ。彼女の目は波の輝き。あるときは暗く沈み、あるときは照り輝く陽光のように燃えるだろう。そして夏の嵐の訪れににわかに掻き曇る大気のなか、不安げにゆれ動く眼球が、その白と黒の交響詩が『夏の嵐』をその名に値する光彩と形態のエモーション劇とするだろう。
 アリダ・ヴァッリ。ヴァッリ。ヴァッリ。その名を三度くりかえせば、彼女の熱いおもいのたぎりが伝わってくる。男の手に身も世もなく翻弄される彼女の身体運動には一点の無駄もない。白い眉間にきざまれた嫉妬の黒い影。重すぎるように崩れおちるその頭が、彼女の苦悩を画面にしるしづけ、ヴェネツィアの水面のゆれ動く影や風になぶられるカーテンが彼女の動揺を包み隠さぬものにする。
 アリダ・ヴァッリ。映画とともに実人生を生きてきた類稀なるこの女優は、いまもスクリーンにその官能と情熱と人生の知恵をしるしづけている。

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後記

 以上の小論はかつて月刊誌『マリ・クレール』(中央公論社)に2年間(1995年1月号から96年12月号)連載されたものである。御世話になった担当編集者で批評家の笠井雅弘(矢代梓)さんは1999年わたしがミシガン大学にいっているあいだに鬼籍にはいられた。東京から原稿の督促電話をいただくたびに、原稿とはまったく関係のない話に花が咲いた。彼の声はいつも快活で、京都で鬱屈した生活をおくっていたわたしにとって原稿を督促されるのは楽しみのひとつとなっていた。ここに遅ればせながら笠井さんの生前の御厚情に感謝するとともに御冥福を祈りたい。