感覚記憶と集団抗争時代劇
ーー第4回京都映画祭報告

田代 真

 京都映画祭といえば、1997年の記念すべき第1回に参加するために、京都を訪れて以来である。そのときは都合で日程もあわただしく東京に舞いもどらねばならなかった。その後も、なかなかタイミングがあわず、参加する機会がなかったのだが、今回やっと勤務先から1年のサバティカル(研究休暇)をもらって、映画都市京都に居を移したうえで、街にも慣れてきた時期に、いわばハイライトとして、ゆっくりこの映画祭を堪能する機会を得たのはまったく僥倖というしかない。
 この映画祭の京都には暑いという印象がなかったのは、第1回京都映画祭が12月に開かれていたからなのだといまさらながら気がついたのは、京都の猛烈な残暑を体感しながら会場間を移動していたときのことである。しかしその暑さの中を街のお年寄りが会場に集まって映画を楽しんでいる様子を見ると、映画がこの街では暑さ凌ぎとして身近ものなのだ、というか元来映画がそういうものであったことが思い出された。ビデオで映画を見る習慣や映画館の減少によって忘却していた映画館をハシゴする感覚記憶を回復できるのもコンパクトな京都という空間を舞台するこの映画祭ならではというところである。そうした感覚記憶は、新しいマルチプレックスの映画館で聴く、反射音のまったくない、ヘッドフォンで聴くような直接音の世界から、弥生座や祇園会館(両翼の張り出しに装備された1970年代以前のアルテックを思わせるスピーカーに風格を感じるのは私だけだろうか----復元された『青空天使』での美空ひばりの歌声は別の新しい音響装置から流れてきたようだったのは残念だったけれども)や京都文化博物館ホール(サイレント映画の伴奏にはふさわしい響きだと思う----50年代のトーキー映画にはエコーのせいで台詞の聴き取りにくいものもあったけれども)で聴くシアター・サウンドの世界にもどったときに想起されるものでもあった。
 前置きが長くなった。今回の映画祭上映プログラムは、「京都から世界へ チャンバラ映画」というテーマにそって目配り良く選ばれており、シンポジウムや座談会、トークイベントなどと合わせて、京都が世界に誇るチャンバラ時代劇を立体的に通観するのにふさわしい構成であった。そのなかから印象に残ったものについて手短に述べておこう。『特急三百里』(28)は、残念ながらオープニング・イベントの京都駅での上映は、都合で見られなかったものの、京都文化博物館での上映を見ることができた。後の大監督たちの俳優時代の演技や貴重な蒸気機関車などの姿を見ることができる(これを見た鉄道マニアの友人の話からするとやはり垂涎ものらしい)ということもさることながら、フィルムの状態の良さには驚いた。復元の企画と努力には敬意を表したい。このフィルムと比較的状態の良い1926年の『長恨』(残存する最終巻のみでも史上最高の殺陣映画といえるのではないだろうか)から、貴重ではあるが状態のよくない『武士道』(26)、『勝鬨』(26)、『からくり蝶』(29)、『斬人斬馬剣』(29)といった作品の本来のフィルムがいかなるものであったかが窺がえるように思われる点でも貴重といえるのではないか。
 今回の映画祭での大きな収穫は、山内鉄也監督、近衛十四郎主演による名作『忍者狩り』(64)に出遭えたことだった。1960年代、東映時代劇の末期のいわゆる「集団抗争時代劇」とよばれる作品群中の傑作のひとつと知られている作品だが、当時のモノクロ・シネスコープの引き締まった画面が上質のニュープリントで楽しむことができたのはうれしかった。時代劇映画におけるこの二人の仕事に光を当てたのは今回の映画祭の功績のひとつだと思う。公式カタログ所載の山根貞夫氏による山内監督へのインタヴューは後で述べるように興味深いものであるし、24日の祇園会館における『忍者狩り』上映前の山内監督と近衛十四郎のご子息目黒祐樹氏のゲストトークでは、当時の東映京都のスタジオの雰囲気や、時代劇最高の殺陣の名人とうたわれた近衛の姿が彷彿とさせられた。
 全編を喪と空虚と解体が支配する『忍者狩り』(64)は、幕府の取り潰しにあった小藩の城跡の空虚な石垣の上にたたずむ浪人=近衛のシーンから始まる。時代劇映画が前提としてきたトポス=城がもはや存在しないのだ。今回の上映プログラムでいえば、たとえば松田定次監督、阪妻主演の『丹下左膳』(59)が城の客観ショットで始まり騒動の挙句に秩序を回復した城の客観ショットで終わることを考えれば、この空虚の衝撃は大きい。天守閣の張り出し台は崩落し、幼君を守ろうとした家臣ともども中庭の白砂の上に無残な姿をさらす。君主の葬儀のさなか、密室となった歴代君主墓所での死闘の場面で殺陣の名人近衛に課されるのは、闇と閉塞の不自由さである。確かにエンディングには守られた城の姿が映し出されるのだが、それは、ともに闘って命を落とした同志の浪人たちの墓標越しの、近衛の主観ショットを通じてのことにすぎない。さらに上述の公式カタログ所載の山根貞夫氏による山内監督へのインタヴューによれば、この場面には、この藩がやはり数年後に取り潰しにあったことを告げるタイトルが入れられたが、撮影所長によって削除されたとのことである。
 今回の上映プログラムのなかには、このほかにも倉田準二監督+近衛十四郎の『十兵衛暗殺剣』(64)、工藤栄一監督の『十三人の刺客』、加藤泰監督+大川橋蔵の『幕末残酷物語』など、「集団抗争時代劇」およびその先駆となる重要な傑作が配されていて、このサブジャンルについて考えさせられるものがあり、ビデオで見直したり、同じくビデオで今回は上映されなかった関連作品を見るようにいざなわれた。近衛十四郎主演の『柳生武芸帳』シリーズ(61〜63)や「集団抗争時代劇」の嚆矢となる長谷川安人監督の『十七人の忍者』(63)、工藤栄一監督の『大殺陣』(64)、同『11人の侍』(66)といった作品群である。これらの作品を見ると、テレビの普及による映画産業(さらには時代劇ジャンル)の衰退という危機の時期に登場した、山内監督ら時代劇王国東映の若いスタッフたちが、設定やプロット、配役から製作にいたるまで、ジャンルがそれまでのコンヴェンションとして積み重ねてきたものを、マニエリスティックなまでに活用展開し、新機軸を生み出そうと試行錯誤していたことが窺われて興味深かった。
 こうした「後を引く」楽しみも「時代劇映画」というジャンル映画をプログラムの中心にすえた京都映画祭ならではといえるだろう。

(第4回京都映画祭は2004年9月18日から26日まで開催された。)