ドキュメンタリー映画のプロパガンダ・レトリックーーヨリス・イヴェンス『スペインの大地』論

田代真

 ジャーナリストとして出発したヘミングウェイは、二〇世紀初頭以来のメディアの目覚しい発展に立ち会い、そのただなかで自らの詩学を形成した作家であるといえる。ヘミングウェイほど、そうしたメディアの力を知悉し操作することや、文学以外をも含む文化的テクストの創出に意識的であった作家はいないだろう。こうした面でのヘミングウェイの先駆的な役割についての認識は緒に就いたばかりである。

 前世紀末に誕生した映画<モーション・ピクチャー>というメディアは、人間の捉え方=表象を一変させたといってよいだろう。文字通り人間を運動<モーション>として外面から表象する映画は、近代的個人という内面性を放棄し、理性から遠い情動<エモーション>=脱個人性の欲望を露呈させた。それは、今世紀初頭の歴史的政治的現実の中ではファシズムやコミュニズムといった個の集団化や脱個人主義企ての台頭と軌を一にしている。(1)映画というメディアは。一九三〇年代には、そうした政治的な力が現実化するにあたって大きな効果を持つこととなった。この時代数多く作られたプロパガンダ映画には、本来表象不可能な、(つまり代表不可能な)直接性にほかならない「群衆」=多様性<マルチチュード>への欲望があふれているといっても過言ではない。(2)
 一九三七年にヘミングウェイが制作に加わった、スペイン人民戦線支援を目的としたプロパガンダ・ドキュメンタリー映画『スペインの大地』(一九三七年)は、このようなメディアの歴史的負荷を帯びた文化的テクスト創造の試みのひとつと考えることができる。この映画を監督した左翼のオランダ人ヨリス・イヴェンス(一八九八‐一九八九)による映画との出会いがヘミングウェイにもたらしたものは、まずこの集団性の契機であった。(3)本論文では、まずこの文化的テクストが、当時のいかなる文化(歴史)的コンテクストの交錯のなかにあったのかを概観し、次にこのテクストの表象構造と修辞性を分析する。そのうえで、その表象の臨界ともいえる群集=人民が、このフィルムの中でどのように立ちあらわれてくるのかを考察してみることにしたい。



1 文化的コンテクスト

 一九三七年七月のスペイン内戦勃発(終結は三九年一月)から四〇年の『誰がために鐘は鳴る』刊行にいたるまでの時期は、ヘミングウェイの人生の中で、最も政治的な活動が活発な時期であったとされる。同時にそれは、彼の関心が、従来追及してきた個人の生と死の実存ドラマから、社会的連帯の希求へ移行した時期でもあった。

 その背景となった一九三〇年代とはアメリカでは大恐慌の後のニューディール期にあたり、ヨーロッパではファシズムの台頭期に、ソヴィエト連邦ではスターリニズム確立期に当たっていた。いずれの体制においても、核心となる課題は正しく「群集」(「大衆」「民衆」「人民」など体制により特権化される言葉は異なっていたが)であったといえるだろう。この映画が製作されたアメリカの三〇年代には、「人民<ピープル>」という言葉は二〇年代の都市産業社会における大衆消費の急速な進展によって華開いた大衆文化を背景に、二九年の大恐慌以後、イデオロギー的には複雑に錯綜した多様な人民の現実を、肥大化した主体とみなす幻想として依然として働いており、それは三九年の「人民の祭典<ピープルズ・フェア>」といわれた、ニューヨーク万国博覧会で頂点に達する。一方では、個人の善意、隣人愛、平等を原理に人民全体の幸福増進をめざすという発想を持つ、支配的なアメリカの草の根的イデオロギーである「人民主義<ポピュリズム>」の伝統があり、他方知識人や文化産業の携わる人々にまで急速に浸透しつつあった「人民戦線<ポピュラー・フロント>」イデオロギーがそれと併存しており、「人民」という記号は、それをめぐる様々な力の交錯のなかに投げ込まれ緊張を孕みながら、同時にその緊張を曖昧に中和するものとしても機能していたといえる。(4)

 奥出直入によれば、二〇年代のコスモポリタニズムは、(ヘミングウェイを始めとするいわゆる国籍離脱的モダニズムにもみられるような)トランスナショナルな文化概念であり、同時にそれは、先行するブルジョア文化の批判という意味で政治的ラディカリズムと通底していた。三〇年代前半、ファシズム台頭の脅威の高まるなかで、知識人や文化人の多くは、脱ナショナリズムとしての共産主義に望みを託すが、周知のようにスターリニズムはナショナリズムとしての共産主義への傾斜を強めていった。三五年のコミンテルンにおいて、対ファシズム戦術として、ブルジョア民主主義との連携を決めた「人民戦線」綱領が採択されたことによって、アメリカにおいてもナショナリズム的共産主義への方向性が強まり、「アメリカニズム」としての社会主義が喧伝されるまでになる。(5)そうした状況のなかで形成された文化のなかには、コミンテルンのインターナショナリズムを通じてではあるが、必ずしも公式主義的な枠に収まりきれないと思われる様々な文化接触もみられたことは注目してもよいのではないか。

 当時映画は最も同時代的なメディアであり、それに携わる人々には新しいメディアに随伴する新しいイデオロギーとしてコミュニズムを受容する人も多かった。「赤いハリウッド」では左翼映画人グループが、またニューヨークではナイキノ(のちのフロンティア映画グループ)という左翼ドキュメンタリストたちの自主制作団体が活発に活動していた。この映画を監督した国際的なドキュメンタリー映画作家ヨリス・イヴェンスは、ソヴィエトでこうしたアメリカ左翼映画人たちが親しんでいたエイゼンシュテインや社会的リアリズム映画の洗礼を受けており、コミンテルンのシンパとして人民戦線組織新映画同盟の招きで訪米し、これらの映画人たちに圧倒的な影響を与えたのである。(6)彼は一八九八年オランダで写真器具販売会社の経営者を父として生まれ、写真から映画に興味を持ち、オランダ・フィリップスのコマーシャル・フィルムなどを作るうち、二九年にソヴィエトの映画監督プドフキンと出会い、ソ連で映画を学んだ。当時ソヴィエト映画は二〇年代に花咲いたアヴァンギャルドの美学が後退し、社会主義リアリズムがそれに取って代わりつつあった。二〇年代のアヴァンギャルディズムは、ストーリーの排除、構成主義の徹底(エイゼンシュテイン)、シナリオの排除、断片性、集団制作などの実験(ジガ・ヴェルトフ)など手法、制度、思想にわたる革新を追及したが、社会主義リアリズムはこれらの達成が形式主義と批判されるなかで大衆教化的な公式美学となった。イヴェンスのスタイルもこれらの技法の統一、折衷といってよいだろう。(7)

 スペインの内戦勃発後、イヴェンスの影響を受けたフロンティア映画グループは、医療援助の呼び掛けと国際旅団への参加募集を狙いとする『スペインの心』(一九三七年ハーバート・クライン監督)というプロパガンダ・ドキュメンタリー映画を制作する。トマス・ウォーによれば『スペインの大地』は、『スペインの心』とともに「ニューヨークの共産主義シンパのインテリおよびその近辺のグループという政治的文化的背景から生まれた」(一四)スペイン戦争ドキュメンタリー映画である。「ひとりぼっちじゃ、まるで勝ち目はない」(THHN 二二五)とは『持つと持たぬと』の主人公ハリーの最後の言葉だが、この映画こそ、ヘミングウェイによる連帯=共同作業の産物である。彼はこの映画撮影のために、リリアン・ヘルマンらブロードウェイの演劇人やジョン・ドス・パソスらの左翼的な作家たちを糾合し「現代史家協会」なる組織を設立し資金を集めるのみならず、実際に撮影のクルーに加わりコメントの執筆とナレーションを担当している。(8)本稿では集団制作である映画というテクストそのものの分析を目的としているので、以下、特別な場合を除いて、慣例によって監督ヨリス・イヴェンスを制作主体として表記するが、それはヘミングウェイを含む集団的主体を意味することにして論を進めることにする。

2『スペインの大地』の詩学

 では、こうした歴史的コンテクストを背負った『スペインの大地』の詩学とは、いかなるものだろうか。フィルムが描く対象として何を選択しているか、またそれをどのような映画的な表現のレトリックに組織しているのだろうか。主にこの二つの点に着目して、一見してフィルム全体を貫く「農村」と「都市」の二元性を軸に、フィルムの構成を分析してみることにしたい。
 アメリカの作曲家ヴァージル・トムソンがスペインの農村の民族舞踊音楽を編曲した映画音楽をバックに、クレジット・タイトルがスペインのロケ地の荒蕪地のロング・ショットの上に現れる。そしてこれと対照的に映画全体の展開を予示する、イメージ、共同生産のパンの配給の列と灌漑されつつある畑という豊かな農業生産の実りの場面が続く。二元性の一方の極「農村」がまず最初に、他方の極「都市」に先立ってフィルム上に現れることで、スペインにおける「農村」の根源性、優位性が強調されているのだ。
 映画における農本主義的イメージの優位は『スペインの大地』という題名からして明らかである。農家の女性たちが共同生産の配給のパンを列を作って買い求める様子から、共和制が達成した土地解放によって地主階級から解放された農民がスペインの新しい主人公であることが暗示される。それは、「村」がスペインの「大地」の記号として「生産性」を含意し、その「食料補給基地」にほかならないことを表している。そこでは人々は保護された生活を送り、新たな農業生産に向けて、協力して灌漑による農地開発を進めている。「農村」における「戦い」とは、「大地」に対する「戦い」にほかならず、すでに指摘した荒蕪地のショットからパンの配給の列と畑の灌漑という極めて陳腐な左翼的象徴性に満ちたイメージへのモンタージュは、「過去」から「未来」を孕んだ「現在」へ続くその戦いの時間的展開をも集約的に表現していたのである。そこに見られる「安全」「建設」「未来性」といったイメージの支配的な「農村」は、監督イヴェンスの信奉していた政治的イデオロギーに即して言えば、いわば「ソーシャリスト・エデン」として表象されているといえるだろう。またとくに、そのような社会主義イデオロギーの主人公たる労働者を具体的に表象する換喩として、神話的生産者である農民が選ばれていることは、後に登場してくる「都市」の人々と比べた場合、このフィルムにおける「人民」の特質を示している点で、注目に値する。
 フィルム表現上、実際には「都市」の表現との対比を待って気がつくことなのだが、ショットの特徴として、ワン・カットが長めであり、映画全体から見てもこの部分が時間的に長くゆったりと進行することが挙げられる。また、演出が強く感じられることも特徴的といえるだろう。さらに、この部分が「都市」における表現と際立った対比をなしていると感じる大きな理由のひとつは、すでに述べた映画音楽の効果による。編曲されたスペインの農村の民族舞踊音楽が「村」の人々の「大地」に根差す生活を撮った場面が映るあいだじゅう、背後に流れ続けるのだ。このバック・ミュージックのおかげで。主な観客として想定されたアメリカ人の眼には、スペインの民衆のイメージが、単に「農本的エキゾチシズム」(Waugh 一八)としてのみならずアルカイックなものとしても映ったであろうことは容易に想像できる。こうしてスペインの農民は民衆の原型として神話化されるのだ。
 この冒頭の「農村」の場面に続いて、マドリッド近郊の大学都市での最前線の戦闘が描かれる。そこの登場するもうひとつの「人民たち」=「国際旅団」については後でまとめて扱うことにして、ここではこの戦闘場面に続く、フィルムにおけるスペインのもう一方の極である「都市」に見られる民衆表象について触れておきたい。首都マドリッドを撮った場面からまず受ける印象は、情報の多さにほかならない。混乱、破壊、無秩序な悲惨さが次々に映しだされる。「戦場」として最初に登場してくるのが近接した大学都市であったことがすでに暗示しているように、マドリッドの都市性、都市の複雑さそのものが、ここでは「戦場」の表象である。フィルムでは、住民たちが食料配給に群れる場面が映しだされ、「都市」が「消費」に刻印された空間であることが示される。「都市」を特徴付けるものとは「消費」であり、巨大な「消費」そのものにほかならない戦争下における「都市」の「戦い」とは、「農村」のそれとは対照的に、「消費」の困難さ=困窮との「戦い」なのである。爆撃と困窮のもたらす混乱は、住民たちから生活の場を奪い、家財を車に積んだ人々は廃墟の町を当て所なく逃げまどう。ここでの「民衆」は定住する場所も移動すべき場所も失った「難民」なのである。
 しかし、興味深いのは、フィルムにはこれだけ多くの「都市」の住民のイメージが現れながらも、商工業労働者イメージが中心化されることがないということである。監督イヴェンスが親しんだソヴィエトの公式美学である社会主義リアリズムの映画の紋切り型からすればこれはかなり特異なことと思われる。それはこうした紋切り型が、今はなきソヴィエト連邦の国旗に見られるように、農業生産と工業生産の統一融和をもって完結するのが通例だからだ。商工業労働者イメージの不在の理由の一つと想像されるのは、首都マドリッドが、政治支配の中心地であることにかかわる。「戦い」として何よりもマドリッドの防衛が描かれなければならなかったのは、正しく首都の確保が共和国の実現を保証してくれるからである。スペインの工業的中心地帯は、マドリッドの北東のバルセロナを中心とする地域であり、伝統的なアナルコ・サンジカリズムの牙域であった。したがって、工業労働者にはアナーキストが多く、コミンテルン主導の人民戦線政府の勢力下で組織化されることはなかった。ウォー(一八)によるまでもなく、商工業労働者イメージの不在はこのような政治的歴史的現実そのものの拘束によるところが大きかったであろうことは間違いない。このことがこの映画を著しく農本主義的な色彩に染めあげる原因となっている。と同時に、そのことが、このフィルムに、その主たる消費者であるアメリカの観客がほぼ同時代に親しんだニューディール期のプロパガンダ映画やフランク・キャプラを初めとするハリウッドの人民喜劇<ポピュリスト・コメディー>に浸透していた農本主義的人民主義的雰囲気を与え、それを呼び水として当時まだ不干渉主義を維持していた合衆国にたいして、左翼的なこの映画の制作姿勢を受容しやすくする懐柔的なレトリックとして機能し得たとも考えられる。
 マドリッド爆撃のシークエンスを通じて、バック・ミュージックには、銃声と爆発音そして沈黙が民族音楽に取って代わる。ショットは、農村の場面とは対照的にカット数が多く、そのぶんワン・カットは短い印象を受ける。とられた対象がそもそも迷路のような「都市」であることと相俟って、強度<アンタンシテ>が高い混沌と した映像となっているといえるだろう。
 戦争の恐怖と空しい死の悲惨さは、農村都市を問わず無差別に襲ってくる。農村のそれは、「映画上のゲルニカ」(Waugh一九)である。イタリア軍の急降下爆撃による無差別攻撃が犠牲者として選ぶのは、女、子供、老人といった非戦闘員であり、戦争は天災としてイメージ化される。この映画においては、タイトルにふさわしく支配的なカメラ・ポジションは「大地」に生きる人民の目の高さでありそれを離れることはほとんどない。この爆撃の場面では、砲弾を投下する爆撃機からショットがワン・カットだけ、その農民たちの視線に亀裂を走らせ、恐怖させる。一方、マドリッドでは、大学町での戦闘に象徴されるように銃撃戦や砲撃戦のイメージが支配的である。増幅された都市の日常性すなわち過剰な消費としての戦争の犠牲者となるのは、簿記係や銃弾の破片を集める少年たちである。戦争における空しい生と死の戯れこそヘミングウェイの得意とするテーマのはずである。実際本編中へヘミングウェイのナレーションが最も効果的に響く。「かつて雹を拾い集めようとしたように、少年たちは砲弾の破片を捜す。そして次の砲弾が彼らを捜し出す」(SE)。銃弾の破片を集めて遊ぶ少年のカットに続いて、ガラスの砕け散る音が響き、ふたりの少年の死体が並んだ屋内に軍人が自転車を押して入ってくる。いささか演出過剰だが、ニュース性は高く、強い現実性の主張が感じられる。それを支えるのは単純な血と死の象徴性とそのインパクトである。これと並んで、ヘミングウェイの刻印が強く感じられる場面は、兵士の出征の場面のナレーションである。
変わることない別れの言葉をふたりは言い交わす。何語であってもそれは同じように響く。待つわと彼女は言い、帰って来ると彼は言う。彼女が待ってくれることは、彼には分かっている。しかし、砲撃がどんなに激しいか誰が知ろう。彼が戻ってくるかどうか誰も知らないのだ。(SE)
 ほとんど通俗化した戦争メロドラマ作家としてのヘミングウェイのイメージに御誂えの出征を前にした男女の別れを場面のコメントが、『武器よさらば』の作家自身によって書かれる。さらに、クレジット・タイトルではナレーションは、オーソン・ウェルズが担当したことになっているが、実際にはヘミングウェイによるヴァージョンが広く流布していて、その事実はよく知られており、するとコメント執筆者自身によって語られていることになる。こうして、作品のイメージを自己模倣することで、作家の固有名詞がプロパガンダに二重に署名されるのである。ゲルニカと同様に、あざといと言うよりはむしろ単純と感じられるレトリックであり、それは、レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』(一九三五年)の、すべてを挙げてヒットラーという固有名詞へと収斂していく催眠的なフィルム・レトリックの圧倒ぶりと比べると、いささか迫力不足の感を免れない。
 このような「農村」と「都市」の二元性を軸に、前半と後半に戦闘場面が配置され、いわば山場を形作っている。その主人公である兵士たちについては、次の節で扱うこととして、これらの場面にみられる武器の特徴について触れておこう。そこで描かれているのは、現在からみれば旧式にみえるが、当時の最新鋭の武器のイメージといってよいだろう。最後のヴァレンシア・マドリッド線の防衛のために出撃していくのはフランス製のルノーの戦車であり、その戦闘場面では、ノモンハン事件で使われたソ連製のBTとおぼしき戦車がみられる。また爆撃の場面にあらわれる飛行機ユンカース爆撃機も当時最新鋭機であった。このように当時最新鋭の武器のイメージのデモンストレーションを通じて、生活を支配する大きなレヴェルでのイデオロギー闘争が形象化されているのである。
 同時代のプロパガンダ映画の例に漏れず、人民政府支援(具体的には救急車の寄付)を目的とするこの映画は、そのフィルム・レトリックも、表象の現実性を利用する単純なものである。そして、このフィルムで最も印象的な「武器」は、このプロパガンダそのものである。移動式の巨大スピーカーが、戦場に到着し民俗音楽を流し、続いて、共和政府の臨時首都であるヴァレンシアでの共和派の指導者ホー・ネイヴァの演説を流す。それは投降=支援の呼びかけである。トラックに積まれた長方形の巨大なスピーカーは、このプロパガンダ映画自体の換喩にほかならない。その長方形の形状は、明らかに映画のスクリーンを想起させる、メディアのフレームの自己言及的なイメージなのだ。
 以上みてきたように、この映画を構成する詩学にあっては、題名からも明らかなように農本主義的なイメージが支配的であり、土地開放によって解放された農業労働者(神話的生産者)の「大地に対する戦い」(荒蕪地の灌漑)と、政府的支配の中心である首都マドリッドの攻防(国際旅団による「軍事的な戦い」とマドリッド市民たちの「困窮との戦い」)が並行して描かれる。そして、銃とカメラの類縁性はしばしば言われるということや、すでに見たプロパガンダ映画の「戦い」の記号性を考えるんらば、全体を締め括る、銃を「撃つ<シュート>」兵士のクローズ・アップ・ショットもメディアの自己言及性の隠喩として読むことができるのではないか。これでこの映画のプロパガンダ映画としての特徴の分析は、充分だろう。プロパガンダという映画の性質上制作者の意図もかなり明白に読み取れたと考える。だが、既に述べたように現在このフィルムをみる機会を得た我々にある種の圧倒的な存在感を感じさせた、「人民=民衆」の、「群衆」のイメージに着目すると、こうした単純な詩学に支えられたフィルムも、制作当時の単純な意図を超えて別の様相を呈し始めるのではないか。次にその様相を探ってみることにしたい。

3「群衆」=多様性<マルチチュード>の誘惑

 このフィルムにみられる二元性を構成する「農村」と「都市」における「人民=民衆」の位相については前節でも見た。制作者たちの政治的イデオロギーに即して「ソーシャリスト・エデン」として表象された「農村」においては、このフィルム全体を支配する農本主義的イメージの優位によって、その主人公、農民こそ「人民」の原型として神話化されている。一方、消費と政治レヴェルで空しく巨大な消費ともいうべき戦争によって廃墟と化した「都市」では、「民衆」は定住する場所を失った逃げ惑う「難民」である。だが、このフィルムに登場する「人民」はそれだけにとどまらない。ここでは第三のカテゴリーとして(複数の)「人民たち」=「国際旅団」のフィルム表象について考えてみたい。
 国際旅団の活躍は、マドリッド近郊の大学都市の最前線とヴァレンシア・マドリッド線の防衛の戦闘場面で描かれている。またその間には戦闘の合間にくつろぐ兵士の日常が挟みこまれている。まず印象的なのは、登場する構成員たちが身に付けている軍服の多様性である。それを見るには軍服の記号論とでもいうべきものが有効であろう。やはり指導的なのは、国家を挙げた支援体制を採るソヴィエト兵たちであろう。彼らはドイツ兵のそれよりも浅い切れ込みのヘルメットか毛糸編みの帽子を着用している。フランス兵を見分けるには頭上に小さな盛り上がりのあるヘルメットをかぶっていることが指標となる。大学都市の場面でヘミングウェイのナレーションが紹介する戦死した将校や後に触れる農民出身のスペイン兵フリアンを見れば分かるように、スペイン軍は前後に垂れ下がる飾り紐のついた帽子を、イギリス兵は色の濃い黒服を着用していることで、見分けることができる。ここでは軍服はもはや帰属すべき国家の表象としては機能していない。その異種混淆ぶりから立ち上がってくるのは国際的な「人民」像である。出身は多様ではあるが「戦争」で結ばれた「人民たち」は、フィルム上では定住の場を持たない「都市難民」の延長上にある非定住者のイメージを持った「戦争機械」なのである。(9)実際、後にここに映っている人々のほとんどは、文字通り「難民」化し、あるいは「亡命」の憂き目にあうことになる。ここでの本人達は知らないことだが、戦場で指導的な役割を果たしたソヴィエト兵の帰国後の末路は哀れである。資本主義社会の人々との接触ゆえに、様々な理由で、将校以上は粛正、兵士は配置転換、帰国できないために亡命をこころみる人々もいた。その有様な近年の研究の進展で明らかにされてきたが、惨澹たるものである。また共和国政府に積極的にかかわったそれ以外の外国人、スペイン人も人民政府崩壊後、亡命を余儀なくされることになる。(10)
 さて、こうした「非定住者」たちの映像表象の特質はいかなるものだろうか。二つの戦争場面に挟まれた兵士の日常の場面にそれを見てみよう。そこでは散髪や髭剃りといった休日とおぼしき兵士たちの日常が淡々と撮られているだけなのだが、特徴的なのは二〜四人ほどの小集団が場面に切れ目無しに連なり、中景<ミディアム>ショットでほぼ目の高さで撮られているということである。「人民たち」に向けられた時にみられる支配的なショット構造こそ、このフィルムを貫く特徴的な映像エクリチュールといえるのではないか。この点についてはトマス・ウォーも同様の指摘をしているが、実際フィルムを見るとかなり明示的に見て取れる特質である。ウォーは、これを、リーフェンシュタールの『意志の勝利』における群衆像と比較しつつ、「ジークフリート・クラカウアーによる群衆像の有名なイデオロギー的な定式化、すなわちファシスト美学が大衆を対称的な装飾と捉えたのに対して、古典的ソ連映画で例証されるように社会主義美学にとって大衆とは生々しい生気にうち震えるものなのだ、とする認識を支持するものだ」としている(二一)。筆者としては、このようなウォーの見解は、『意志の勝利』との比較に示唆的な指摘がみられるものの、基本的に旧左翼的な「大衆」概念を脱し得ていないと考える。それは、既に指摘したようなこのフィルムにおける国際旅団のイメージに見られる異種混淆性を看過していることと、以下で指摘するように、「群衆=人民」をフィルムの表象構造のなかで位置づける視点を欠いていることに起因すると考えるからである。
 『意志の勝利』との比較において、ウォーの指摘で示唆的なのは、このフィルムを特徴づける「日常性」への着眼である。戦闘場面のヘミングウェイの存在論的な(つまり非日常的な)コメントと、どちらかというと兵士の日常に重きをおくイヴェンスの演出にはズレがみられる。このフィルムでは農民兵が銃の構造と操作法を専門家から学んでいる場面があるが、そこにみられるのは日常と戦いの連続性である。これに対して『意志の勝利』に、少年のように無邪気に戯れる兵士の日常と訓練の成果たる軍事的マス・ゲームの非日常性との鋭い対比、断絶をみる彼の指摘は、実際両者を見比べても説得力がある(二〇−二一)。
 だが、『意志の勝利』をもう少し詳細に見ていくと、ウォーの指摘するマス・ゲームや、民衆を捉える俯瞰のロング・ショットは、常にヒトラーを頂点とするナチ幹部の仰角気味のバスト・ショット(あるいは全身ショット)と交錯することで意味を持っており、さらには、冒頭、ヴァーグナーの音楽に乗って、ヒトラーを乗せた飛行機が雲間から現れ、ニュルンベルクの町に、まさしく神のごとく降臨する神話的な場面から始まるその表象構造全体のなかではじめてこのように戦慄的なものたり得ていることに気づく。既にキッチュにすぎないギリシャの神話的な完結した人体の美をもって始まる『民族の祭典』の冒頭を引き合いに出すまでもなく、ヒトラーの形姿の唯一性が、本来不定形なはずの群衆に輪郭を与え、フレーム内で形として存立することを可能にし、表象可能なものとしているのだ。実際、式典の行われたスタジアムに取り付けられた昇降カメラによるロング・ショットとクロース・アップの支配的なこのフィルムではすでに述べたような中景ショットは後退気味である。
 ファシズムにおける群衆の美学化を支える表象構造については、取りあえず以上の指摘で充分だろう。だが、中景ショットが捉える日常的民衆像のみをもって、『スペインの大地』の「人民たち」を「生々しい生気にうち震える」社会主義的大衆と考えることはできまい。あらためて、このフィルムの表象構造に立ち戻ってみよう。そこで浮き上がってくるのが、帰休兵フリアンのエピソードである。彼が初めて登場する大学都市での戦闘の場面では、戦闘と交錯して、両親に宛てた故郷の村への彼の帰還を告げる手紙が現れる。のちにフリアンの村への帰還の場面が登場するが、そこでは家族や灌漑に従事する村人と再会を喜び、村の少年達に軍事訓練をする姿が映し出される。その直後に一般兵の行進と突撃隊(闘牛士たち)のカットが続くことからして、この場面の意味は明らかであろう。家族を核とする村という共同体こそ大地の根源性と結びついたものであり、守らなければならないものであると同時にスペイン共和国の兵士補給基地でもある。共同体の定住性は、国際旅団あるいは都市住民の非定住性と対照的だが、彼のような「農民兵」こそ、「兵士」と「農民」、「農村」と「都市」、「スペイン」と「国際旅団」をつなぐスペイン民衆の表象=代表者として意味づけられているのである。しかしフリアンはこの場面を最後にフィルムから消えてしまい、エピソードとしては、尻切れトンボの感を免れない。興味深いことに、イヴェンスの回想録によれば、当初、彼は、フリアンによってコンティニュイティを作ろうと考え、「映画を塹壕の中のフリアンの姿で終わらせよう」としていたが、連絡不如意になってしまったという(一四四、人名表記変更)。
 ウォーの指摘によれば、これは、「ドキュメンタリーに性格的登場人物を導入」して劇的にする「個人化」の手法だという。彼は、それが編集等の努力にもかかわらず、「はかばかしい効果を得られていない」と評価している(一七)。たしかに主人公の失踪という偶発事は、映画の表象構造に欠落をもたらしている。しかし、逆説的に言えば、主人公の失踪、この「人民」の代表者の消失こそが、この映画が群衆の表象可能性−ファシズムにせよ社会主義にせよ自明の前提としていた−を結果として問い直すことを可能にしているのではないか。王制の崩壊という伝統的代表者の失墜と、フランコのファシズムの狭間で、「人民」の表象は自らの表象性を放棄することで、自らの表象不可能性を通じてその存在を開示する。トラックに積まれた長方形の巨大なスピーカーが映画のスクリーンというメディアのフレームを想起させたのも偶然ではない。問われているのは、表象作用自体なのだから。「風を撮るなんて馬鹿げている。だが撮らなければならない。撮れないものを撮るのが最高のことなのだ。私は生涯風をとらえようとしてきた。」とは、イヴェンスの遺作、目に見えない風を撮影しようと風を待ち続ける自分自身を主人公にした自伝的ドキュメンタリー映画『風の物語』(一九八八年)での彼の言葉だが、すでに、『スペインの大地』でも彼は描き得ぬ偶然の風に触れているのだ。そして偶発時のもたらすフィルムの裂け目から、国際旅団(非定住者)の帰属すべきものを持たぬ棄民の異種混淆的な集団が瞬時浮かび上がることになる。それは『意志の勝利』にみられる圧倒的なナチズムの映像表現によってその可能性を絶たれ、四〇年代以降急速に後退していくことになる。この映画が創造したのは、まさしく表象の臨界としての群衆の未生の一瞬の輝きなのだ。(補注1)

(1)四方田犬彦は「二〇世紀が生み出し得た三つの文化生産物が映画産業、精神分析、ファシズムであるとは、よくいわれることである」と述べている(九七)。
(2)いわゆるポストモダニズム以降の表象批判の立場からする集団性についての重要な理論的概念として、ハートがネグリのスピノザ解釈における「大衆」概念をドゥルーズの「多様性」の議論と関連づけつつ提出した「群衆」=多様性がある。従来のへーゲル的な「個」と「多」を媒介しつつ「統一」へいたる弁証法的な集団概念に対して、多様な「力」の直接的な存在論的構成による「多様性」は、本質的に媒介=表象不可能なものと規定される。その理論的射程についてはハート「スピノザの民主主義 社会的集合=組み合わせの感情」同『ドゥルーズの哲学』参照のこと。(補注2)
(3)ヨリス・イヴェンスの経歴および『スペインの大地』についての彼自身の証言としては自伝『カメラと私 ある記録映画作家の自伝』が重要。またジョルジュ・ポンピドュー・センターでの回顧展(一九七九年)のカタログ、パセク監修『ヨリス・イヴェンス 映画の五〇年』は貴重な写真、フィルモグラフィー、インタヴューを含む。
(4)一九三〇年代の「人民」と三九年のニューヨーク万国博覧会についてはサスマン『歴史としての文化 二〇世紀におけるアメリカ社会の変貌』一一章を参照。
(5)トランスナショナルな動きと人民戦線については奥出(三〇〇−二)を参照。また社会主義とアメリカニズムについてはサスマン『歴史としての文化 二〇世紀におけるアメリカ社会の変貌』五章を参照。
(6)ドキュメンタリー映画史全体における左翼映画人の活躍及びイヴェンスとこの映画の位置づけについてはバルナウ『ドキュメンタリー』参照。ナイキノとフロンティア映画グループ及び『スペインの心』の制作に関しては、キャンベル『シネマの逆襲』が詳細を極めている。
(7)本論文も負うところの多いトマス・ウォーの論文はアメリカの人民戦線との関係からこの映画を論じているが、イヴェンスをソ連のみならず欧米の人民戦線映画という広範な人脈に位置づけている(一六)。
(8)『スペインの大地』にはもうひとつオーソン・ウェルズがナレーションを担当したヴァージョンが存在する。イヴェンスによれば、ウェルズの「豊かでまろやかな・・・声は、ヘミングウェイの”むきだし”の文章にうまく適応できそうになかった」ため、リリアン・ヘルマンらのすすめでヘミングウェイが録音したという(一四九)。
(9)「戦争機械」についてはドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』一二章参照。「戦争機械」は戦士をモデルとする存在様態である。国家装置の外部で移動し、非定住的な遊牧民的な存在であり、戦略や武器などの技術を生み出す集団として規定されている。
(10)ソヴィエト連邦の将校や文官たちの粛正についてはポロッテン(三一八−三二)を参照。このフィルムに華やかに登場するヴァレンシア共和政府の指導的人物たちのなかにもそのような運命を辿る者もいる。ボロッテン所収の渡利三郎「訳者解説」によれば、例えば、象徴的女闘士ラ・パッショナリアことドロレス・イバルリはソ連に亡命し、七七年に帰国し共産党議長に就任する(八九年没)が、画面では彼女と肩を並べていた当時の党書記長ホセ・ディアスはやはりソ連に亡命するが、四二年当のイバルリとの党内抗争が原因といわれる謎の墜落死を遂げている(六二五)。また画面ではドイツ語で演説しているドイツの左翼作家グスタフ・レーグラーは共和政府崩壊後フランスに亡命するが、収容所に送られてしまい、ヘミングウェイの尽力で救出される(フエンテス 一七一)。後にソヴィエト連邦及び党と絶縁し、メキシコに亡命している(Boutang 三五四)。


補注
(補注1)本論文の考察の趣旨は、フィルムの表象構造における「人民」の代表者=表象にして媒介者であるものの欠落が、逆説的に国際旅団の表象を通じて、本来表象不可能なノマド的な多様性=群衆という存在を逆照射するという構図であった。「群衆」の映像自体表象に過ぎない。すでに1で述べたとおりこのフィルムの制作された時代には、さまざまなイデオロギーの闘争の産物としての擬餌にほかならない。「群衆」の映像は、以後映画史において、その前景から消え、歴史劇や戦争映画の安全な書割に堕していくことになろう。第二次戦後、表象をめぐる問題は、映画においては、「多」の側からではなく「個」を突き詰めるかたちで展開するのが大きな流れとなっていく。例えば、ハリウッドからは、50年代にニコラス・レイがハリウッドの核心ともいえる「メロドラマ」ジャンルを精妙に脱構築し、今度はそれをニュー・ジャーマン・シネマのファスビンダーらが大胆に畸形化していく。それは過剰な情動によっていわば脱底してしまった「個」の姿に他ならない(加藤幹郎氏による映画のメロドラマ的想像力に関する仕事(『映画のメロドラマ的想像力』から『映画とは何か』に至る著作、特にニコラス・レイについては「新作家主義―ニコラス・レイ論の余白に 上・中・下」[『みすず』、みすず書房、二〇〇二年八、九、十月号]が必読である)はそうしたメロドラマのポテンシャルを描きつくしてやむところがない)。しかし、ゴダールを別にしても、「多」を問題にする映画作家、批評家がいないわけではない。以下、未生に終わった表象不可能な「多」の夢は映画にどのように回帰してくるのだろうか?その問題を、本論文の扱った監督からすればイデオロギー的に「敵」である存在について、映画の中で、脱構築的に批判するかたちで行った試みを概観することで、補注としたい。その試みとは、本論文が依拠するハートとネグリの「多様性」=「群衆」、<マルチチュード>の議論が前提とする「多様性」<マルチプリシティ>などの概念を提出した、哲学者ジル・ドゥルーズが、その独創的な映画論『映画第2巻 時間=映像』で取り上げた、ハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの『ヒトラー、ドイツからの映画』である。ジーバーベルクは、ワーグナーの楽劇の「権力と世界変革」こそドイツの夢であり、ヒトラーは「実際にドイツ国民を彼の夢の中に送り込」み、彼らは、そのような夢王に従って、そうした夢を、想像しうる最悪のしかたで実現しなければならなかったのだ」というSyberberg三○)。「ヒトラーは、史上最も偉大な映画作家たりえた。彼は映画監督が映画を作るように、第三帝国を作ったのだ」と主張するジーバーベルクはこの7時間にも及ぶこの作品を、フロント・スクリーン・プロジェクションという古い技法を「映画の中心」にして組み立てていく。それは、単に技法にとどまらず、国民から「映画の全歴史の中心」たる「ヒトラーへ、そしてヒトラーから国民へという投影構造」という「精神的投影」という意味も持っているのだ(Syberberg三二)。この投影の技法を用いて、ジーバーベルクは、キッチュ極まりない装いのもとに、齟齬をきたす音と映像の断片で、壮大な神話を構築するとみせて、実は膨大なアレゴリー(ベンヤミン的な意味での)の集積物を作り出してしまう。それらは解釈上、統一的な意味へ向かう神話的方向性をもたず多義的で、多価的な分裂の方向性を持つものなのである。ドゥルーズによれば、彼の古典的映画の規定に他ならない、「運動=映像と主人の地位についた大衆<マス>の芸術の革命的婚約」(ハリウッドや社会主義リアリズム映画を思わせる)は破綻し、「運動=映像の到達点すなわちレニ・リーフェンシュタール」に席を譲る(Deleuz三四五)。ヒトラーの映画作家レニを批判するためには、「運動=映像」を超えた映画が必要となるだろう。ドゥルーズはそうした映画概念を「映像=時間」と呼ぶが、ジーバーベルクのフロント・スクリーン・プロジェクションを「運動=映像を時間=映像に置き換える技法」と捉えている(Deleuz三四五−六)。ヒトラーと大衆の相互投影構造自体を、ヒトラーの映画史的達成としてのリーフェンシュタールのフィルムの前提とする運動=映像の枠組みを超えた概念を導き出す方法に転じる。本論文で論じたイヴェンスの作品も言うまでもなく「運動=映像」に属するものだ。欠落のうちに垣間見られたに過ぎぬ「多様性」の概念は、ジーバーベルクの方法論に次元を変えて転置したといえるのだとすれば、興味深いといえるかもしれない。

(補注2)ハートとネグリの「多様性」=「群衆」<マルチチュード>の概念は、その後、彼らの成功作『帝国』で、グローバリゼーションに対抗する抵抗のあり方として、注目を浴びるにいたっている。特に「国民国家」<ネーション・ステート>との関係でこの概念と「人民」「国民」との区別が強調されるようになっている。本論文の1.においては、当時の、左翼的な「人民戦線」と「人民主義」<ポピュリズム>という保守的な運動が、共通して持つ「人民」という記号の意味作用の振幅、揺れを問題としたため、グローバリゼーション以後の問題意識とは必ずしもかみ合っていない。本論文で取り上げた「国際旅団」については、本文中で論じたように、コミンテルンの中心であったソビエト連邦をのぞけば、「ナショナリズム性」は希薄で、軍服の記号論で示した区別は、相互的には、ナショナリズムではなく、「戦いを共にする者」のしるしであり、それぞれの国の一般「国民」との区別のほうが大きいであろう事は容易に理解できよう。そのハイブリッド性が問題であり、カルチュラル・スタディーズでいう「ディアスポラ」(Clifford二四四−七七)に最も近い存在ではないか。文中で指摘したように、ソ連兵は戦後文字通りの「ディアスポラ」となるのだから。


引用文献
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ボロッテン、バーネット『スペイン革命 全歴史』渡利三郎訳(晶文社、一九九一年)。
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本論文の初出は、「『スペインの大地』の詩学―人民=大衆の誘惑」として、日本ヘミングウェイ協会編『ヘミングウェイを横断する―テクストの変貌』(本の友社、1999年刊)に掲載された。再録に当たって、改題し、若干の加筆を行った。