CMN! no.1 (Autumn 1996)

イントロダクション                     

加藤幹郎

なぜインターネットなのか
なぜ日本映画史なのか
なぜインタビューなのか
メドヴェドキン計画とはなにか


なぜインターネットなのか

 CMN! は本号からでインターネット上に電子出版されるが、その理由は明快である。第一に、インターネット出版は、従来の紙出版に比して格段の省力性と迅速性と流通性がのぞめる。
 第二に、本の角は踏めば痛いが、電子画面上ではその心配もない。
 第三に、誌面の活字が小さいと考えられる年配の読者諸賢には、いつでも好きなだけ大きなサイズに変換できる(電子画面が眼に悪いと考えられる読者には印刷出力のうえお読みいただければいい)。
 理由の第四は、インターネット上の電子出版は原理上およそいかなる国境も障壁ももたないからである。映画について語るべき言葉をもっているひとびとが、自由に意見を交換できる開かれた場、それがここにはある。小誌はオンライン・ジャーナルと称しているが、「ジャーナル」という言葉には二重の意味がある。文字通り「日誌」という意味と「定期刊行専門誌」という意味だ。小誌はこのふたつの意味をそのまま引き受けている。CineMagaziNet!はオンライン化することで、その情報を「日誌」のように日々刷新する。旧来の紙製出版では一度印刷された情報はそのまま活字のように固まってしまっていたが、電子出版ではなにものも固まらない。ひとつの映画的発見はインターネット上の広大な映画共同体のなかを驚くべき速度で流通し、その流通速度と流通圏域において、その映画的発見はつねに再解釈(更新)されつづける。それはいわば「閉じられることのない日誌(ジャーナル)」、つねに再発見されつづける日誌である。「日誌」の作者は、サミュエル・ベケットの戯曲の登場人物のように、じぶんの書いた過去の「日誌」を再読することによってはじめて現在の「日誌」を書きたしてゆく。本オンライン・ジャーナルもまた複数の作者によってたえず書き込みつづけられる「専門日誌」となるだろう。かつてじぶん以外にも似たような研究をしている者がいるということがわからなかった時代には、独創的な発見はただ不毛の荒野でその発見の意味が消尽されるのを待つしかなかった。しかしいまやオンライン・ジャーナルの登場によって、すべての映画研究者は瞬時にしてじぶんの研究文脈を他の研究者と共有することができるようになった。そしてそれこそが、小誌の「映画雑記」で中西悠一郎氏も言うように、きたるべき映画共同体の構築への近道であろう。
 理由の第五は、より本誌の内容に即したものである。すなわち映画の論文、批評、エッセイは従来引用ということがおよそ不可能だった。思えば、これは奇妙なことである。美術史の論文なら、ルネ・マグリットの写真複製を添付することもできよう。文芸批評家なら、中上健二の原文をそのまま引いてくることができる。ところが映画論だけは、そうした安逸な原典引用がこれまで事実上不可能だった。それが電子出版においてはじめて可能になる。映画にかんする文字テクストのかたわらに、そこで言及される映画の動画音をまがりなりにも挿入することができるようになったのだ(学術目的での引用と版権との衝突問題はこれから議論が重ねられねばならないだろう)。それゆえ電子メデイアの導入によって、映画論の文体は今後大きな変質をこうむるだろう。引用の問題、それは論文執筆者のみならず、世界を引用の織物と考えるすべての詩人と誠実なる生活者にとって切実な問題である。
 それゆえ本号からインターネット・オンラインをはじめる(とりあえず)最後の理由は引用でしめくくろう。海洋生物学者にして高名なアメリカの小説家JSはかつてこう言ったことがある。「ひとはいったんそれらしい解答をえると、そこに安住し、精神の狭窄におちいってしまう。もはや誠実な努力によって別の解答をみいだすことも、別の解答をぶつけて問題全体を新鮮な視点から見直すこともできなくなってしまう」。CMN! は日本最初の本格的な映画のオンライン・リサーチ・ジャーナルとして、この格率を胸にきざみ、全世界の多様な読者諸賢とともに精緻な議論を重ねたいと願っている。

なぜ日本映画史なのか

 さて本号の特集1は日本映画史の発見をめざしているが、その理由もまた明快である。日本映画史はいまだ不分明な点が多々のこされているのである。気おくれするほど広大な研究領域が未踏査のまま放置されている。コンピュータ・サーバーを京都におく小誌は、とりわけ京都映画史のリサーチに眼目をおく。のちに映画史の起源と目されることになるリュミエールのシネマトグラフが京都の人間によってはじめて日本にもちかえられたという事実は、映画と文化史の関係を象徴的にものがたっている。リヨンと京都がともに絹織物を地場産業としていることと、この二都市で映画が発達したということとはおおいに関係がある。このことは時代がくだって、京都で映画の大量生産がはじまったとき、西陣が地元映画産業の重要な顧客になったばかりか(千本通り映画街には西陣の織子が大量に押しよせた)、映画産業の根幹たる技術支援すらおこなったという事実(複雑な歯車機構を有するキャメラと織機の相同性)にもうかがえる。

なぜインタビューなのか

 本号には二本のインタビューが収められているが、映画史における口述史料の重要性はいやましている。ひとは屋久杉の生命時間を凌駕することはできないが、映画史の生きた百年間を生きることはできるだろう。インタビューに答えるひとは、みずからが生きた過去を未来の映画観客のために再現する。それは話し言葉の一過性をこえて、わたしたちに生き生きとした作家の仕事ぶりを伝えてくれる。作家はいかにしてスタジオと対立し、あるいはたまさかの和解ののちに、騒然たる映画の現場から傑作をものするのか、口述データを通じてわたしたちは横道にはいり、間道をすりぬけて、作家の真の想像力をうかがいしることができよう。

メドヴェドキン計画とはなにか

 メドヴェドキン計画とは列車が(なんらかの意味で)重要な役割をはたす映画を列挙するデータベース構築計画のことである。詳細は該当頁へ飛んでいただければいい。ここでは列車と書くことについて一言だけ述べよう。列車は作家に映画を撮る場所をあたえるが、それだけではない。列車は批評家に映画について書く場所も提供するだろう。かつてわたしの知り合いの映画批評家は故郷へと向かうブルートレイン(寝台夜行列車)車中で50枚の原稿を書き上げたことがある。飛行機のなかや浜辺ではこうはいくまい。パソコンは飛行機の計器と相性が悪いし、浜辺の太陽はパソコンの画面を焼きつけてしまうだろう。しかし列車では紙とペンで書こうが、パソコンを使おうが、あなたは CineMagaziNet!に寄稿すべき映画原稿を快適にしあげられることだろう。
(最新更新日 1997年 5月15日)