CMN! no.1 (Autumn 1996)

改訂版 アケルマン試論 ----女性/映画/身体

斉藤綾子

 シャンタル・アケルマン的主体といえるものがあるとしたら、それは移動する主体であり、同時に停止する主体である。なんだか意味不明のことをもっともらしく書いているかのように思われるだろうが、でもその他になんと形容していいのか実を言って、はっきりよく判らないからだ。初めて彼女の作品に接したときからアケルマンが私を圧倒的な力で魅力して止まないのは、彼女の作品にある徹底的な具象性、あるいはセンチメンタリティ・心理主義が排除された生理的身体性とでもいったらいいのだろうか、つまりあくまでも形のあるものを追求していくうちに表れる抽象性というか、構造性のようなものが現れてくるところであり、それは一つには、躁と鬱の情動性によって捉えることが可能であり、また別には、映画の(あるいは)女性の身体と言語の関係で捉えることが可能な何かなのである。アケルマンとの出会いにより、それまで芸術にジェンダーは関係ないと愚かにも信じ切っていた私は、見るという行為そのものがジェンダーに深く関わってくる事実に余儀無く直面させられたのだ。その時に私は、映画の言語が身体を持った、もっと正確にいうと女性の身体を持った映画的言語がそこにあるという奇妙な感動を味わったのだ。私にとってアケルマンとはまさに映画的事件であり、映画言語というものと映画的官能としか言い表せないような、荒々しくそして繊細極まる二次元の、身体を持たないはずの映画の「身体性」が確かにあると思わざるをえないと納得させられた最初の映画的経験だった。
 そこで本稿で考察されるのは次の2点となる。まず、1970年代を中心にアケルマンの主な作品を「アケルマン的主体」という観点からそれぞれに位置付けしていくこと。そのなかで、映画における言語と身体を結び付ける情動について考えてみたいと思う。私がこの小論で試みるのは、作家としてのアケルマンを考察するのではなく(もちろん作家という視点が否定されているわけではないが)、彼女のある作品群を一つの大きなテクストとして捉え、テクストの内容と形式を繋げる運動としての情動性に注目するものである。私が「アケルマン的主体」と呼んだ移動し停止する主体というのは、ある種の身体性をもった主観性として考えられる。

I. 1950年6月6日生れのアケルマンは、テレビなどの短編を入れると今までに30程の作品を書き監督している。また2本の舞台作品と2,3年前にはサンフランシスコ等で、ビデオ・インストレーションも発表した(東京では最新作『カウチ・イン・ニューヨーク』がウィリアム・ハート、ジュリエット・ビノシュの主演で公開されたばかりだ)。「私はベルギー生れで、もともとはポーランド系ユダヤ人。1968年にゴダールの『気狂いピエロ』を見て映画を作りたいと思った」と語るアケルマンは、その後ブリュッセルの映画学校INSASに4か月通ったが、その経験は彼女の映画作りにはまったく影響力をもたなかったそうだ。1971年にニューヨークに移り、スタン・ブラケージ、マイケル・スノウ、ジョナス・メカス、アンディ・ウォーホール、イヴォンヌ・レイナー等ニューヨーク・アヴァンギャルドの作品に触れる。特にスノウの影響は強かった。
 しかし、1968年にブリュッセルで彼女が18才の時に製作した短編映画『街をぶっとばせ』(Saute ma ville)は、13分ほどの短い時間(でも35ミリ)だが、このアメリカ以前のアケルマンにすでに後のアケルマンで繰り返される要素がちりばめられている。たとえば『ジャンヌ・ディールマン コメルス海岸通り23  1080ブリュッセル』(1975)でも現れる「台所」という最も反ドラマ的、反性的、超日常的ともいえる空間を、所狭しとアケルマン自身が動き回り、パスタをがむしゃらに食べ、一気に水を撒きながら掃除をし(以前にユダヤ人の友人がユダヤ人はよく台所に直接水を撒いて掃除をすると私に語ってくれた)、靴を磨く一方で、躁的としか形容できないようなヴォイス・オーヴァのハミングがオフ・スクリーンから聞こえてくるうちに、観客はこの目の前に動き回っている主体が、死の準備をしていることに突然気付く。そして、ガスをつけてアパートの爆発と共に終わるが、このガス音で『ディールマン』が始まることに言及しておくべきであろう。
 この『街をぶっとばせ』はアケルマンの最初の映画製作というだけでなく、アケルマンのスタイル、アケルマン的主体がすでに雛形として顕かという理由からでも非常に重要だ。アケルマンの作品には大きく分けて躁と鬱とよべる2つの情動パターンが見られる。ここで情動パターンとは、映画における言語と表象を結び付ける構造が様式としてどのように表れるかを意味する。それは一つには映画を言語テクストから身体テクストへと変容させる目論見であるが、同時に映画の物語とスタイルの関係を考察する試みでもある。アケルマン的主体と私が呼んだ「移動し停止する」主体とは、この躁と鬱に深く関わるが、それはまずこの『街をぶっとばせ』において、常に動くアケルマン自身を追うカメラとほとんど意味不明のハミングする声との不均衡に顕著に現れる。まずカメラはパノラマ的にブリッセルの街を写すとRECITという文字が浮かぶ。そして高層アパルトマンがフラッシュのように写しだされ、そこに若い女性がアパルトマンに入って来て、メールをチェックしながらエレベーターのボタンを何度も押すが、すぐに気を変え階段を走りはじめる。カメラは上がっていくエレベーターと走る彼女を写すが、その間彼女の声(と思われるが、しかし発声のオリジンは不明)はハミングし続け次第に高まる。彼女は部屋に入り台所に立つと、湯を沸かしパスタを茹でる用意をする。が、すぐに台所のドアをテーピングし始める。一方、彼女のアクションが続いている間ハミングは消え、まったくの沈黙が流れる。パスタを食べ雑巾でフロアを掃除し、自分の足まで靴墨で磨き、また一人で恍惚と踊る彼女がふと新聞を読み、鏡に自分の姿を見ると、またハミングが戻る。
 この鏡に向かい合うところは、『ディールマン』でジャンヌが鏡の中で殺人するシーンに繋がっていくが、自己と他者の最初の出会いでありそこから攻撃性と欲望の誕生を読むラカン的な意味でも鏡は重要だが、『街』では映像と音の繋ぎと亀裂を合せ持つ場として、また主体の躁と鬱の変わり目として捉える必要がある。ガス台に花を持ちながら体を寄せるアケルマンがフリーズ・フレームになり、爆発で終わるこの作品が、『気狂いピエロ』のフェルナンドの自殺に対するアケルマンのオマージュであることと並んで『ディールマン』の隠画であることをここで指摘しておきたい。  『街』のあと短編を3本程撮ると、『ディールマン』また『アンナの出会い』(1978)あるいは『家からの手紙』(1976)の習作ともいえる『ホテル・モンタレー』を、バベット・モンゴルティ(マイケル・スノウ、イヴォンヌ・レイナーの作品のカメラでも知られている)のカメラで1972年に完成させる。明らかにスノウあるいはウォーホールへのオマージュと言える『ホテル・モンタレー』は、3つの空間で構成される。まずカメラはニューヨークの安ホテルのロビー前方に斜めから受け付けを見る形で据え置かれる。そしてエレベーターの前に移動する。次にエレベーターの内側に置かれ、扉が開いては閉まり、閉まっては開くという限り無く反復される動作を写していくなかで、行き来する人が差異となって現れる以外なにも起こらない。次に廊下の隅に置かれる。左端にエレベーターを見ながらカメラは廊下をじっと写し続ける。そして部屋のなかに入る。
 空っぽのベッド、バスタブにトイレ、無言のままじっと座り続ける老人。フェルメールさながらのドアとドアにフレームされた向こうに座る若い女性。再びカメラは部屋から出て、廊下に佇む。まったくの静けさと人気のなさですでに真夜中なのが判る(この夜の世界は1982年の「一晩中」でも再び取り上げられる)。そして、最後にスノウの『Wavelength』を思わせるように、カメラはゆっくりゆっくりと廊下の隅から窓のほうへと動いて行く。そして、ゆっくりゆっくりと元の位置へと戻っていく。何度かこの動きが繰り返されると、だんだんに夜が明けていく。カメラは明るい窓に近付くとそこから屋上に出て、パノラマでホテルの屋上から見える街並みを写し、ゆっくりと空のほうに向かい、最後は『ワン・プラス・ワン』のように何もない空に消えていく。この作品でアケルマンは彼女の映像を確立したといっても過言ではない。『街』で顕著な混沌と躁(=移動する主体)は、この作品では対照的に沈黙と鬱(=停止する主体)の構造が模索されたといえる。ここで全てのショットはロング・テイクで、切り返しは一切ない。
 『ホテル』を特徴づける反復と差異の構造は、『ディールマン』を頂点とする70年代のアケルマンの特徴となるが、同時にアケルマン特有の映像のエロティシズムとも呼べる官能のある様式がここに既に見られる。それは「見る」という行為自体に存在する官能であるが、対象の不在により(つまりここではエレベーターの開閉以外に視線の対象となるべき客体が存在しないという意味において)、通常映画理論で使われる物語の一機能としての「視線」とは別個に扱われるべきである。後でもう一度触れるが、このアケルマン的「見る」という官能は多分に自己愛的なものである。
 アケルマン最初のフィーチャーである『ジュ、テュ、イル、エル』(私、あなた、彼、彼女)は3つのセクションに分かれている。この3つのセクションを繋ぐのは、「私」と思われるフィクショナル(物語のレベルで)かつリアル(アケルマン自身が演じているというレベルで)な主人公である。「私」は映像には現れない「あなた」への手紙を綴り、「彼」と「彼女」へと移動していき「彼女」から去る。それは、まったく質の違うものの、アケルマンが映画を作りはじめるきっかけとなったゴダールの『気狂いピエロ』のフェルナンドとマリアンヌの逃避行さながらの移動である。しかし、この時期のアケルマンにゴダール的饒舌さはないし、すべてのアクションは緩慢に物憂げに、日常の退屈さを表わしている。また、『ピエロ』のカラーではなくシネマ・ヴェリテ的白黒画面が微妙に変化する影を作っている。3つのセクションはそれぞれ無関係の独立したエピソードを編成するが、その間を結ぶべく停止する主体としての「私」が移動して行く。
 この作品でも幾つかのアケルマン的主題がすでに窺われる。それはアケルマンの言葉では「死、愛、ポリティックス、セクシュアリティ、経済性、社会的なもの」ということになるが、別の言い方をすれば、様々な形での性愛的形式とも呼べるような私と他者との係わりと同時に、その不可能性と存在に係わる孤独とでもいえるだろうか。それは『ジュ、テュ、イル、エル』においては、まず自己愛(オート・エロティシィズム)、異性愛(ヘテロセクシュアリティ)、同性愛(ホモセクシュアリティ)という3つのセクシュアリティの形をとる。まず「私」はベッド以外何もない一人きりの部屋の中で砂糖をひたすら食べながら「あなた」への手紙を書こうとするが書けずにいる。映像と言語を繋げる漠然とした時間と季節が過ぎ去っていくなかで、時々聞こえるヴォイス・オーヴァ以外は、「私」は裸のままマットレスに横になり砂糖を食べていく。ここでの私は「私は待った」という言葉に表わされるように、なんらかの喪失を癒そうとしている鬱的主体である。しかし、不思議なことに「私」が待っているように観客自身も、ただ横になるアケルマンを見詰めるという行為の受動性において、能動的に見る主体から待つ主体へと変容する。停止する鬱的主体としての観客が享受するのはサディスティックな快楽ではなく、ナルシシスティックな官能である。このナルシシズムは『街』のサディスティックな要素のある躁的主体と対極をなす。
 突然吹っ切れたように部屋を出た私は、ヒッチハイクをしてトラックの運転手の「彼」と移動を共にする。「彼」と「私」は途中言葉も交わさずに食事をし、テレビを見、ラジオを聞きながら、ゆっとりと移動していく。そのうち「私」は「彼」とマスタベーション的な性的出会いをする。その後「彼」はゆっくりと自分のことを話し始めるが、「私」はオフ・スクリーンにいて見えない。やがて、私が着いたところは「彼女」の家で、「彼女」と「私」には何か過去の繋がりがあるようだ。二人の間にはわだかまりがあるか、もしくは別れた恋人であることがすぐにわかる。あなたに居てほしくないと言われた「私」は去ろうとするが、その前に「おなかが空いた」と呟く。「私」は「彼女」に食事をもらうと、その後「私」と「彼女」は激しく愛し会う。次の朝、「私」はブリュッセルのアパートを出たのと同じ様に、衣服を着込むと「彼女」の家を出ていく。「あなた」が誰なのかは最後までわからない。
 この作品には物語と呼べるものはない。カメラはほとんどがミディアム・ショットかフル・ショットであおりや俯瞰のアングルを取ることもない。「彼」が「私」の手で性的クライマックスを迎えた後で、自分のことを淡々と話すとき、カメラはオフ・スクリーンにいる「私」に重なるのではなく、カメラの後ろにいるモンゴルティの、そしてアケルマンに向かっている。またガソリン・スタンドのトイレで髪を梳かし、顔を洗っている「彼」を鏡の横でじっと見詰めているアケルマンは「私」であり、アケルマン本人でもある。同じく「彼」の首筋にキスしたくなったと「私」がいうとき、その視線はアケルマンの視線である。その視線は限り無く優しい。「彼女」と愛しあうシーンでは全体に白い画面に音は時々聞こえる吐息以外には一切なく、カメラはじっと横から(二人が口づけしあうところは頭の向こう側いわば縦から)距離を置いて二人を写しだす。レズビアンの愛というサブテクストにおいて、そして主人公が移動しながら様々な出会いをするという点で、また『ジュ、テュ、イル、エル』のクレジットに流れる歌声が、アンナの囁くような歌声となって帰ってくることで、『アンナの出会い』は『ジュ、テュ、イル、エル』は最も近いだろう。

II. 1975年には『ジャンヌ・ディールマン コメルス海岸通り23、1080ブリュッセル』が公開されるが、アケルマンはこの作品を彼女のそれまでの7年間を集大成したものと考えている。『ディールマン』は『ジュ、テュ、イル、エル』よりは『ホテル・モンタレー』に多くを負っているが、バベット・モンゴルティが『ホテル・モンタレー』と同じく撮影を担当している。『ジュ、テュ、イル、エル』がアケルマン本人の私小説的な作品と形容できるならば、『ディールマン』は明らかにもっと野心的なプロジェクトだ。『ジュ、テュ、イル、エル』の繊細なナルシシズムは『ディールマン』の強迫的コントロールに見事に取って変わる。3時間25分という作品の長さを挙げるまでもなく、そのうちのほとんどがコーヒーをいれたり、靴を磨いたり、じゃがいもを茹でたり、風呂桶を洗ったりという一人の主婦の日常を描いているという点からだけでも、アケルマンがある明確な意志をもって『ディールマン』を製作したことが判るだろう。
 ブリュッセルに住む未亡人ジャンヌの3日間を描いたこの作品は、アケルマン自身も明言しているように「フェミニスト映画である」、なぜなら「私はこの作品で今まで絶対にこのようなかたちで描かれたことにないもの−例えば女性の日常の動作、など−に映画的空間(場所)を与えているからです。こういうものは映像のヒエラルキーからすると一番下に置かれています。キスとかカークラッシュはもっと高いところにありますが、私はそれが偶然だとは思いません。理由は女性のしぐさなどはほとんど重要と考えられていないからです。その点でまず、この作品はフェミニスト映画であると言えます」
 もう少しアケルマン自身の言葉に耳を傾けてみよう。
 「しかし」と彼女は続ける。「内容より、スタイルにおいてフェミニスト映画と考えるべきです。私が女性のしぐさを正確に見せたいと思うのは、そのしぐさを愛しいと思うからです。ある意味で、こうしたしぐさが常に否定され無視されてきたということが判っているのです。女性の映画づくりが困難な本当の理由は、たいてい内容とはあまり関係ないものだと思います。むしろ、ほとんどの女性が自分たちの気持ちを押し通していくだけの自分に対する自信がないからだと思います。逆に、内容というのはとてもシンプルで判りやすいものです。女性たちは内容に気をとられて自分たちが一体誰で、何を求め、どんなリズムを持ち、どのように物の見方をするのかなどを表現する仕方がどんなものかとを模索することを概して忘れてしまいがちです。多くの女性は自分の感情に対して無意識的に軽蔑を抱いています。でも私はそうでないと思います。自分を十分信頼しています。それもこの作品がフェミニスト映画である別の理由です。内容だけでなく何がどのように提示され、どのように提示されるかという問題なのです」
   「私は『ディールマン』のショット一つ一つに確信を持っていました。カメラをどこに置き、また、いつ、そしてなぜかということに関しても完全に理解していました。あれほど強くはっきりと感じたことはありません」
 「『ディールマン』では誰が何を見ているか、またどういう視点から撮られているかというのも常に明らかです。常に同じ視点からです。それでも、私は非常に細心の注意を払って見ていましたし、そのまなざしは距離を置いたものでもありません。中立のまなざしでもありません。だいたい、そんなものは存在しません。私はジャンヌに起こっていることを愛と尊敬のまなざしで見守っています。もしかしたら私の言わんとしていることはよく判ってもらえないかもしれませんが、実際、他に言い表しようがありません。私はフレームの中で彼女の思ったように生きてもらいました。私と彼女の間は近すぎるわけではなく、かといって遠すぎることもありません。彼女が自分の空間に居る姿をそのまま撮ったのです。もちろん演出の手が加えられていないわけではありません。ただ、普通の商業映画のようにカメラは覗き趣味(ヴォイヤリスティック)ではありません。というのは、観客は作り手としての私がどこにいるかをはっきり判っているからです。覗き穴からの視線ではありません」
 「私は俯瞰ショットを極力使いたくなかったので、カメラの位置の選択肢はとても限られたものになってしまいました。できるかぎり真っ直ぐのカメラ・アングルで行きたかったのです。デルフィーヌは『どうしてそんなにローアングルで撮るの』と訊きました。『だってそれが私の背の高さだから』と答えると、彼女は『もうちょっと高めのアングルのほうが良いと思う』と言ったのですが、私は『でもそうしたくない。だってそういう風に私は見ていないもの』と答えました」
 「女性のリズムが男性のそれとどう違うかを言い表すのはとても難しい問題です。なぜなら、男性だって同じような表現形式を使えるからです。私には女性が自分たちの言葉を持っているかは、またそういうものが一体存在するかは判りません。多分女性映画そのものについてまだよく判っていませんから。私自身については語れますが、もっと一般的な理論的なことになると話せません...。私たちは女性のリズムということを口にしますが、必ずしもすべての女性に共通したリズムがあるわけではありません。同様に、私にはハリウッド映画が男性のリズムを表現しているとも思えません。それはむしろ単に資本主義とファシズムのリズムです。男たちだって騙されているのです」
 「でも中には、女性の悦びの享受の仕方が男性と違うという人もいますね。性的な悦びのことですが。映画の中にまさにそれが表れているように思えます。今朝『ホテル・モンタレー』を見てきたのですが、すごくエロティックなフィルムだと思いました。つまり、「見ることの快楽」(ラ・ジュイサンス・デュ・ヴォワール) とでもいったらいいのでしょうか」
 『ディールマン』が映画史上最もユニークな作品の一つであり得るのは、3日間繰り返されるジャンヌの日常が、つまり女性の家庭の仕事(いわゆる主婦という名において総括される家庭内労働)が、稀にみる関心を持って見詰められたゆえであるが、しかしそれにもまして重要なのは、映像と物語の関係の経済性を極限にまで追求した点かもしれない。インタビューからも判るが、『ディールマン』でアケルマンが試みたのは、スノウ、ウォーホールに代表されるストラクチュアリスト・シネマあるいはミニマリスト・シネマがワン・ショット、ワン・シーン、長廻しなどで探索した知覚レベルでの映像性と、反復と差異を使って古典的物語性を極めながら同時に解体したヒッチコック(例えば『サイコ』)の実験性を、女性という視点からまったく別の角度で捉え直したことだ。その意味で『ディールマン』は、60年代のニューヨーク・アヴァンギャルドの流れを汲むものとして正確に位置付けられるべきと同時に、ハリウッド的古典映画の説話構造を零度にまで戻したと考えるべきだろう。従って『ディールマン』は一見してハリウッドから無縁のようでありながら、実はそうではない。(それは、80年代以降のアケルマンを見るとより明らかになるが)むしろ徹底的にハリウッドに対抗した映画として考えられるべきである(カール・T・ドライヤーが『吸血鬼』をハリウッド映画に対抗して作ったことと非常に似ている)。もし『ホテル・モンタレー』『ジュ、テュ、イル、エル』がニューヨーク・アヴァンギャルドに洗礼を受けたとしたら、『ディールマン』のアケルマンは「前衛」から一歩離れて、フェミニストがいう「別の映画製作」を実践したと理解するのが当然だろう。  『ディールマン』でアケルマンがとった戦略は、まず形式に注目することだった。ここでまず特筆すべきは、演出上の、そして付け加えるならば『街』や『ジュ、テュ、イル、エル』の方縦さとは対照的な、徹底的なコントロールだ。監督としてのコントロールが、彼女が望んでいる作品を作るのに絶対必要だったのはインタビューでもはっきりしているが、そのコントロールこそが、『ディールマン』の独特の形式を創りだしたといえる。実際アケルマンのディレクションは完璧主義に近く、撮影中には、アケルマンとジャンヌを演じたデルフィーヌ・セイリグは、毎朝ビデオで綿密なリハーサルをし、その後12時から7時まで撮影、そしてまたそのテープを見ながら、アケルマンはセイリグにどう動くかということから、動きの速さ、タイミングまでを指摘しながら作業を進めていったという。
 そのコントロールは視線が雄弁に語る。前述したインタビューで答えているように、『ディールマン』において作り手であるアケルマンの視線は、常にカメラの後ろに意識的に佇んでいる。彼女自身が明言しているが、『ディールマン』の視線システムは「覗き」を基本構造としたものとはまったく異質だ。それはハリウッド映画におけるヴォイヤリズムだけでなく、例えばウォーホールに特徴的に見られる覗きの構造とも違う。ウォーホールの作品では一見したところカメラはハリウッド的な透明中立さを保ち、じっと対象物を観察する。まるでカメラを意識しないように、スクリーン上の出来事は淡々と起こっていく。ウォーホールの映像の官能は基本的には「覗き」に由来している。それは、映画が観客を得て制度となる前のマイブリッジにより初めて表象となった人間の動きを「覗き見た」倒錯的(催眠術的ともいえるだろうか)な官能により近い。付け加えるならば、アケルマンとは対照的にウォーホールは決してスクリーンに姿を見せることはない。このように、ウォーホールの映像の官能は基本的には「覗き」に由来する。キスをする人、マスタベーションをされている人、眠っている人は自分がカメラで撮られていることを意識はしないが、かといってカメラを無視するわけでもない。
 先に引用したのインタビューでアケルマンが語っている「見ることの官能」とも言える「ラ・ジュィッサンス・デュ・ヴォアール」は、このウォーホール的な「覗き」構造に多くを負う官能ではない。が、むしろローラ・マルヴィが指摘したサディスティックな視線を構造化したハリウッド的物語に対抗するものである。アケルマンはこう語る。「女性をショットでバラバラにしてしまうことやアクションを小間切りにしてしまうことを避けるために、また注意深く見守り、敬意を示すためには、私の選んだ撮影の仕方以外の方法はなかったと思います。フレームは、ジャンヌと彼女の居る空間、そしてその中で彼女の動作を最優先にして決められました」
 『ディールマン』ではあおりや俯瞰がほとんど無いために、観客の視点は常にジャンヌと平行している位置にある。唯一の例外はジャンヌがオルガズムを得るシーンで、カメラは高めに設定され俯瞰ショットとなるが、ドラマ性を考えた上での計算された選択だ。しかし、全体的には、ジャンヌがカメラをはっきり意識しているわけではない。また、60年代後半にブレヒトに近付いたゴダール作品の主人公たちのように、カメラを見て観客に語りかけるわけでもない。ジャンヌを撮る視点を意識しているとしても、そのために物語世界が壊れていないことも観客はもちろん知っている。また、ジャンヌの日常は、彼女が「見られる」こと、つまり視線の対象になることを前提としているわけでもない。むしろ、アケルマンのいう映像のヒエラルキー(即ち主流映画の世界)からすれば、質は違うものの、極論すれば女性の家事労働は、レズビアニズムやマスタベーションと同様ほとんど秘儀に近い世界だ。
 それでも『ジュ、テュ、イル、エル』でのレズビアニズムの捉え方と同様に、ジャンヌを見る観客の視線が倒錯的な「覗き」と違うなにかがあるとすれば、それはアケルマン自身のジャンヌに対する愛情と、ほとんどのスタッフが女性であるという共同体的意識が一因となっている。なるほど、アケルマンが愛と尊敬の視線と称したジャンヌに対する視線は、一見すると中立を装っていると見間違えられるかもしれないが、10分も経てば(そして誤解を招かなければ、家の仕事をしたことのある者ならば、それは多くが女性だが、そしてその仕事を自己同一化に取り入れたことのある者ならば)、アケルマンのジャンヌに対する視線が「覗き」がもたらす対象へのエロティックな欲望、あるいは「覗き」のように視線により主体と客体が乖離されるような質の視線ではなく、しぐさを媒介として、ある体験を共有する−例えばじゃがいもを茹でたり、靴を磨いたり、コーヒーをいれたり、カツレツ用に肉にパン粉をつけたり−ことから発生している喜びでもあるということを即座に理解するだろう。その意味で『ディールマン』には、長い間女性たちが従事してきた(上流階級の女性を除いて)家事労働というものが、それを知っている者以外には表現できないような正確さで描かれたことにより、ある種の隠語を話すような親しみにどこか共通するところがある。しかし同時に、観客がこの親しみに安住することをアケルマンは即座に拒む。なぜなら『ディールマン』は観客の心理的な同一化を極力避けようとしているからだ。このことは先程触れた「体験を共有するする喜び」に矛盾しているように聞こえるが、実はそうではない。では、『ディールマン』に内在するこの共有体験を誘いながら同一化を拒否するという一見したところの矛盾は一体どういうことか。
 第一の理由には、観客との同一化を拒否することが、ジャンヌの置かれた状況、つまり彼女の孤立、抑圧を表わすのに必要だったといえる。ジャンヌを演じるセイリグは、ほとんど表情らしき表情を見せず、話もあまりせず、手紙を読むにしても抑揚がない。もちろんこの排除は、ごく僅かな差異を際立たせるという点では甚大な効果を示すが、そのような演出上の計算を抜きにしても、アケルマンは、通常の商業映画制度、装置に組み込まれた情動操作を一切排除することによって、つまり観客をジャンヌの内面から締め出してしまうことにより、ジャンヌを理解する糸口を与えることを拒否してしまう。そこで観客は、緻密で正確な動きが反復される中から浮上してくる微妙な差異だけを頼りに、見るという行為に没頭していくことになる。エンディングで、鋏で客を殺した後にダイニング・テーブルで座り続けるジャンヌを写し続ける7分間のロングテイク・ショットにしてさえも、ジャンヌの表情はなにかを語ることはしない。雄弁なのは、座り続ける彼女の存在そのものであり、また、映画的にマクロに引き伸ばされた7分間という実際に過ぎ行く時間そのものでしかない(『ホテル・モンタレー』と同様『ディールマン』を映画史上最も退屈な映画と見なす観客は、明らかにアケルマンの提示する映像の新しい享受の仕方を身体で受け取ることが出来ないためだろうか)。
 アケルマンは、観客に心理学的説明をまったく与えない。代わりに、ジャンヌ自身の内面と外面の亀裂を、内からでなくあくまでも外から形を崩していくことにより、少しずつジャンヌが追い詰められていく過程のなかに表わしたのだ。セイリグの能面のような表情が一瞬崩れるのは、息子が帰ったときにうっすらと見せるほっとした表情を抜かしてはオルガズムを覚えるシーンだけだが、その時でもその表情は苦痛とも喜びとも形容しがたい。クライマックスのこの表情を除いて、ジャンヌの亀裂は3時間以上の間に瑣末なこと−茹で過ぎのじゃがいも、髪型の僅かな乱れ、ボタンの掛け忘れ、喫茶店のいつもの席がないこと−などにより少しずつ積み重ねられていくだけで、通常だったら当然使われるであろう顔の表情のクロース・アップなどは一切ない。こうして、細部をずらしていくことで、アケルマンはジャンヌの防衛機能が無意識の抵抗により少しずつおかしくなっているのを適確に押さえる。観客は、ジャンヌのルーティンのなにかが狂って「ずれ」が起こっているのに気づくことは気づくが、息子が亡くなった父親のことや自分の思春期的な性的関心を持ち出したこと、親戚からの手紙、小包などの一見して無関係の出来事以外には一体なにが起こっているのかはまったく判らない。最後に、彼女のコメルス(コメルス通り、商売、売春)の場である寝室の中にカメラが入ったとき、アケルマンは初めてカメラをジャンヌの顔に近付けていく。それまで控え目だったカメラが、ジャンヌの防衛が崩れるのを「覗いて」しまったこの時に、観客は胸騒ぎを覚え、なんとも居心地の悪い他者の見てはいけない秘密を見てしまったことを意識する。しかし、アケルマンは、鏡にジャンヌが客を鋏で一突きする姿を写した後も、7分間の間身動き一つしないジャンヌをロングテイクで撮り続け、それまでの3時間20分近くの間に捉えられたジャンヌの儀式の崩壊を、じっと側で見守るに過ぎない。
 アケルマンはジャンヌの無意識と意識の抑圧と葛藤についてこう語る。「儀式とルーティンがあったからこそ、ジャンヌはやってこられたのです。判りますか。最初は儀式が押し付けられます。でもその後は儀式のお陰でやって行けるのです。だから、オルガズムを感じてしまうことが最初の「うまくいかない出来損ないの行為」(actes manqu駸)となるのです。その後は「出来損ないの行為」が続いていきます。なぜなら、彼女は自分と無意識とのバリアーを守っていくほど強くなくなってしまったからです。息子にいつもより少し早く帰ってきてと頼むのはまた同じことが起こるのを恐れているからです。そうして、ジャンヌは原因を抹消することで結果も殺せると考えたのかも知れません。でも実際は、原因は彼女自身なのです。というのも、そのことが起こるのを彼女自身が許してしまったからです。もちろん意識的ではなく、そうなると判っていたわけでもありませんが」
 このジャンヌ自身の無意識的欲望に対するコントロールは、極めて映画的に構築される。ショット構成とフレーミングはジャンヌのしぐさを最優先にして決定されたが、それはジャンヌの動きを見守ると同時に、文字通り彼女を枠組みの中に入れ込むことになる。こうしてショット構成を決める枠組みが彼女の行動の儀式性を端的に具体化する。ジャンヌの日常に対する演出上のコントロールは徹底してカメラの動きをなくすことにより、言い換えればカメラにおける「移動」の部分をなくすことによりジャンヌの閉じられた世界そのものに対するコントロールとなって映画的に構築されている。アケルマンの卓見は、女性に対する社会的、文化的抑圧を外の世界に存在する抽象的な概念としてではなく、女性の時間、空間、リズムとして彼女の身体に刻みこまれていることを、映画形式のレベルで外から女性の身体に課されたコントロールをもって身体化した点にある。そして、ジャンヌのコントロールされた身体は、まさに私がアケルマン的主体と呼んだ運動の矛盾を内在する身体となる。つまり、ジャンヌの日常が常に儀式のような正確さ(そしてもちろんこの儀式の正確さは強迫神経症的なものだが)で進められていくという意味において、彼女は移動する主体である。だが同時に、その彼女の行動の反復性ゆえにその移動は停止しているかのごとく錯覚されるのだ。この錯覚の構造と移動と停止の関係は、強迫的防衛構造に深く係わる。アケルマンは、ジャンヌに課された状況を病理と紙一重に設定することで、ジャンヌの主観性を際立たせたといえる。
 以前に私は『ディールマン』をアンチ・メロドラマとして論じたことがあるが、ピーター・ブルックスがメロドラマを「口のきけないテクスト」として言及したように、メロドラマと「身体に書かれた言語」としてのヒステリーとの高い親和性はしばしば指摘されてきた。精神分析理論によると、ヒステリー患者は抑圧された概念(表象としての)と情動の分離によって記憶を無意識下に追いやってしまう。しかし概念としての言葉を失う代償としての完全に抑圧しきれなかった転置された情動が、無意識的なまったく別の連想により、形式上の痕跡として身体にその記憶が刻まれるため、ヒステリー症状は精神的な外傷が原因であるにもかかわらず、身体的な障害として症状化されたと考えられている。これがヒステリーの身体症状が「痕跡の演出」と称される所以だが、『ディールマン』の寡黙と誇張された身体性を、ビクトリア朝的なセクシュアリティに対する抑圧に対する女性の抵抗としてのヒステリー的抵抗(フロイトの有名な患者ドラのように)と考えることは正当な認識だろう。しかし、ヒステリー性の情動がテクストにおいて、しばしば過度の同一化と転置された過度の感情表現(例えばメロドラマにおける音楽効果でなされる感情表現や、あまり重要でないシーンの大袈裟な思わせぶりなど)として表われるのに対して、『ディールマン』に見られる徹底的な情動の排除はヒステリー的な構造というよりはむしろ、情動そのものを恐れるという点では一見するとパラノイア的な強迫防衛と見えるかもしれない(ここで私が意味するパラノイア的構造とは、ジャクリーン・ローズがヒッチコックの『鳥』を例に映画制度とパラノイアの関係について論じた議論に多くを負っているが、スペースの関係でここでは詳しく触れない。ローズの着眼がメッツの映画=想像的シニフィアンという命題を一歩進めて、音が外から聞こえてくる(幻聴)ための映像と音の基本的分離を埋めようとする物語の攻撃性と、映画的意味作用の「ラディカルな他者性」そのものにパラノイア的機構を読みとり、『鳥』がこの映画のパラノイア的機構を物語レベルで内面に取り入れ、自我形成における攻撃性が女性を対象として構造化されていることだけを言及しておきたい)。
 概してハリウッド映画が他者に対する攻撃を物語に内在させているという認識は、マルヴィの古典的フェミニスト的ハリウッド批判にすでに見られるが、私がここで特に主張したい点は、アケルマンがジャンヌの殺人をパラノイア的攻撃にしてしまわなかった選択したそのことに、アケルマンのジャンヌの理解が、ある情動構造によるものであることがより明らかになることだ。最後の7分間の自失があってこそ、私達はジャンヌが儀式を必要としたのは鬱状態(完全な停止)に陥らないための防衛であり、彼女の強迫的な几帳面さが森田正馬の言う執着気質に非常と親和性が高いと気がつく。このように、ジャンヌの悲劇は基本的にプチ・ブルジョワの悲劇だが、その倫理性はフロイトが「些細な義務の履行に関する良心的な態度や律義さ...節約と頑固さ」について指摘した通りだ(そしてドイツの精神病理学者テレンバッハの調査では、彼がメランコリー親和と称する患者の圧倒的多数は主婦だ)。アケルマンがフェミニスト批判の対象としたのは、ハリウッド的なパラノイア構造だとも考えられるだろう。このパラノイア機構(すなわち殺人)を最終的に鬱構造に変えた(7分間のロングテイク)ことにより、アケルマンは主流映画に対抗したと言える。もちろん、この鬱構造は政治的な判断だけでなく、今まで見てきたような他のテクストとの関係から、アケルマンの作家としての無意識構造に深く関わっていることは、ここで今更強調するまでもないだろうが。
 以上の考察でも、アケルマンが実験していたのは、ただ単に女性に力をつけるようなフェミニスト映画を作ることではなく、女性のリズム、あるいは身体性を表わす映画的言語の探索であったことが判る。それは動き、しぐさといったごく微妙なアクションに細心の注意を払いながら、次第に壊れゆく主体性を見守ったぎりぎりのところでの映画的表現に他ならない。(私に思い付くかぎりでは、同様の試みを驚くべき演出上のコントロールをもってしたのは、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの1970年度作品『何故R氏は発作的に人を殺したか』である。『ディールマン』と『R氏』のテクスト間の関連性、特にエンディングの決定的な相違−R氏は家族全員を惨殺し、自身も首吊り自殺をする−は、この2作の親近性にも拘らず、基本的な情動構造の違いが明確にする点で今後の課題としたい。)
 その上、この映画的表現はまさに表現を拒むことにより成立している。というのは、追い詰められてゆく主体を、ヒッチコックのようにカメラでサディスティックに追い詰めるのではなく、アケルマンは綱渡り師を思わせるような忍耐と繊細をもって、ごくごく小さなジェスチュアのずれを最大の効果で示すのみで、説明を一切しないためだ。その結果、観客自身がコントロールする側とされる側を常に揺れ動くという事態が起きてしまうのだ。アケルマン自身がこの観客の一人、というか第一の観客であることは想像に難くない。

III. さて、アケルマンは『ディールマン』の後、続けて1976年に『家からの手紙』を完成させる。『ディールマン』の後にまた別の新しい何かを探していたというアケルマンは、1971年に彼女がニューヨークに来てからの母との手紙のやりとりについての映画として『家からの手紙』を考えていたようだ。また「ドキュメンタリーではなく、リズムと空間を模索する」作品にするつもりで「音楽のように作り上げたい」とも語っていた。撮影は『ホテル・モンタレー』『ディールマン』のバベット・モンゴルティが再び担当している。
 『家からの手紙』は、『ディールマン』の重苦しさ、閉ざされた空間を抜け出したかのようにゆったりとしたペースで進む。アケルマンは、どこを撮影したいかということ、また始まりと終わりがはっきり分かっていただけで、それ以外は漠然としたプロダクション・プランを持っていたが、『ディールマン』のようなシステマティックなものではなかったといっている。『家からの手紙』ではニューヨークの街のところどころを、それもグリーニッジ・ヴィレッジ、ソーホーなどの裏びれた人気のない細い路地から、地下鉄の駅、ミッド・タウン、タイムズ・スクエア、クィーンズまで、また時間帯も夜明けから黄昏時、夜などの様々な街の様相をカメラが捉える。その映像は驚くべきほど多彩で、ただ映像を見ているだけでもまるで視覚の晩餐会に招待されたかのようだ。ニューヨークの街の、人々の、動き、リズム。ヴェルトフのカメラを持った男はフィルムそのものにいたずらをしたけれど、カメラを持った女はひたすらカメラを廻す。
 道に据え置かれたカメラの前を移動する車、歩く人々、座る人をじっとカメラは見詰める。そうかと思えば、地下鉄のドアの前に正面に据え置かれたカメラから、ダウンタウンに向かう地下鉄の駅や乗客が写しだされる。カメラは再び道に戻って五番街を急ぐ人々の流れを写し、今度は地下鉄のプラットフォームに据え置かれ、反対ホームを行く人々の流れ、キスする恋人たちなどが写される。時には思いついたようにパンするカメラ、また360度の回転までしてしまうカメラ。次には、移動する車中に据え置かれたカメラが外景を側面から捉え、目に写る知覚そのもののように流れていく。移動、停車というリズミカルな動きを繰り返す移動する車に、また移動する地下鉄に据え置かれたカメラに捉えられた映像は、まったく脈絡のないままにただニューヨークという街を描写していく。アケルマンは文字通り「流れていく」映画を作り上げたと言える。地下鉄のドアが閉まり、開いていくリズムと人の流れは、『ホテル・モンタレー』の映像に非常に近く、まるで『ホテル』の最後に空に向かったカメラが再び降りてきて、ホテルの屋内から街を探索しだしたと思ってしまうほどだ(この意味で『ホテル・モンタレー』『家からの手紙』『ニューヨーク・ストーリーズ』はニューヨーク・トリロジーと名付けられるかもしれない。なぜなら『家からの手紙』の最後は船から自由の女神がだんだん近付きつつある映像だが、『ニューヨーク・ストーリーズ』はまさに同じショットで幕が上がり、閉じる)。
 アケルマンはそのリズミカルに移動していく映像に、まったく異質な取合わせを考えついた。ロケーション撮影の自然環境音に混じって時々挿入されるのは、抑揚のない、アクセントの強い非常に早口の英語で、ニューヨークに移った娘に宛てたブリュッセルの母からの手紙を淡々と読むヴォイス・オーヴァだ。それも手紙は一方通行で娘からの返事はない。手紙には細々した日常と家族の様子を知らせるほかは、家を出ていった娘(アケルマン自身20歳で密かに家出をした)をひたすら思う気持ちが表れている。だが、書かれた内容が意味表現する愛情(情動)表現にいたって逆らうかのように、手紙を読む声はまったく平坦で映像はなにを意味するわけでもなく、ただ流れ行くニューヨークの風景を写しだすだけだ。アケルマンは、知覚現象と感情表現の乖離を映画という身体テクストで表わしたといえる。このずれを、ブリュッセルからニューヨークに移ったアケルマンが経験した2つの異質の現実体験を表現したもの、また動く車や地下鉄からの視線は、文化的難民としてのアケルマンが彷徨えるユダヤ人にとっての神話としてのニューヨークとその現実を表わそうとしたと解釈するのも、あながち間違いではないだろう。
 しかし一方で、『家から』は、停止する主体が反復によって移動する主体としての錯覚を呼び起こす、という『ディールマン』で試みられた映像の運動性に対する実験が、今度は逆に、移動する物体の中に固定されたカメラが写しだす動く映像に、直接関連のない手紙を読む声を重ね合わせることにより、映画における映像と音声の関係を新たに捉えようとする試みとなっている。映像の編集を先にしたら音声にギャップが出てしまったために全部再編成しなければいけなかったという製作上の理由で、アケルマンは母からの手紙を音のギャップを埋め合わせる形で入れたたようだが、この選択は私たちにとってこの上なく興味深いどころか幸運なものとなった。なぜなら、カメラが写しだしたニューヨークの映像は、映像として官能的で完全に独立したなのだが、それにもかかわらず、手紙を読むアケルマンの声はその視覚的な快楽に影を落とすような、ほとんど映像のバランスを崩してしまうような感じを映像に加えてしまうからだ。別の言い方をすると、限り無く流れていく映像そのものは視覚的な官能に強く直接的に訴えかけてくるのに対抗するかのごとく、そこに捉えられたのはあくまで孤独な街であり、彷徨っている人々であるという感覚である。
 実際アケルマンは、『ディールマン』で強迫的で愛情表現をほとんどしない母親を描いた後に、今度は母からのラヴ・レターを娘が早口で(ほとんど強迫的な早さでといっていい)読んでいくという奇妙な選択をした。子供への強い執着を示すこの手紙の中の母は、ジャンヌの対極にあるといえる。あるインタビューでアケルマンはこう語っている。「私は『ディールマン』を母に捧げたいと思っていたことを思い出しました。最初は束の間でしたが、だんだん強く思い出していました。初めは『ディールマン』をネリーと呼ばれた私の母ナタリアに捧ぐ、としたかったのですが、すぐにこの考えを抑圧してしまったのです。謙虚さからか自己検閲からでしょうか。それに、もし母を知らなかったら、私は決してこの映画を作ることはなかったと自分にいっていたのです。もちろん、映画が母のポートレイトであるわけでは決してありませんが」  「私は自分の子供時代の記憶に鮮明に残っている母の姿から始めました。ガス台に立つ母、荷物を持っている母とかです。どうして美しい人を選んだかですか。それは男の人はいつも家にいる女性が醜いと思っているからです。私の母は美しい人です」  ここで、私が先ほど指摘した『ディールマン』を特徴づけるコントロールする側とされる側を揺れ動く両価的な同一化の機構が、より明らかになるのではないだろうか。一方でジャンヌの身体をコントロールしようとする欲望の根底には、決してコントロールできない彼女自身の母に対するコントロール願望があり、またもう一方で、この願望そのものを否定し抑圧しようとする自己検閲とがあり、その間を揺れ動くアケルマンの葛藤が、無意識的なレベルでテクストの両価的な情動構造を生んだとも考えられる。
 しかし、私の目的はアケルマン本人を分析にかけることではない。重要なのは、ある意味で『ディールマン』を動かした無意識的な情動、それはアケルマンの場合、母との関係において一番強く働きかける、表象と言語を結び付ける運動であり、矛盾した方向性を持っているが、その運動によって、その後の『家からの手紙』そして『アンナの出会い』へと続いていく母を巡る三部作とも呼べるようなテクスト群を作り上げているのではないか、という仮説が成り立つことだ。
 アケルマンは『ディールマン』で愛する母を描きながら、その母を売春婦とし殺人者としてしまった。象徴界における母殺しである。それは復讐でもある。しかし、なによりも罪深かったのは、母の知ってはいけない、入ってはいけない内面に入ろうとした(つまりジャンヌの身体に対するコントロールでもって)ことであり、その違反に対する娘の無意識的な負い目(罪悪感)ではないだろうか。「手紙を書いて、早く会いたい、いなくて寂しい」と綴る家からの母の手紙には愛情が溢れているが、同時に、家を出ていった娘にとってはそれが母の非難の声として聞こえないわけではない。一度母を殺人者にすることによって象徴的に母を殺した娘は、母を必死に生き返らせなくてはならない。アケルマンはまず映像と音声の居心地悪い溝を埋めるべく、愛情深い「母」を言葉として生き返らせた。しかし当然、『家からの手紙』では言葉としてのみ蘇生した母が、『アンナの出会い』で初めて娘の前に姿を現わすことになる。

VI. 1978年に完成した『アンナの出会い』の脚本には『家との手紙』の後、比較的すぐにとりかかっていたようだ(『家』の撮影は1976年7月で、同年12月から『アンナ』の脚本を書き始めたという)。『アンナの出会い』は、『ディールマン』と『家からの手紙』を『ジュ、テュ、イル、エル』に結び付けたという点で、娘としてのアケルマンとアケルマン自身を統合したテクストとして重要だが、そのためか、この時点までの作品の中では一番バランスがとれている作品だろう。それまでのアケルマンを特徴づけていた実験性が少し薄れ、この作品以前に試みた映像と説話レベルの実験の全てを、ある一つの「物語らしきもの」に取り入れてみようとしたアケルマンの最初の試みであったと位置付けられる。とはいっても、そこはアケルマン、物語らしい物語はないといっていい。基本的構成は『ジュ、テュ、イル、エル』に似ている。自分の作品を上映するために、ドイツからブリュッセル、パリに向かって列車で移動している映画監督である主人公が、途中で見知らぬ人または旧い友人などに会う。妻に逃げられたドイツ人、別れたボーイフレンドの母親で強制収容所の生存者。そして自分の母親にも会い、女性に恋したかもしれないと母親に告白する。パリに戻って愛人と一晩を過ごすが彼は過労で具合が悪くなり、薬を用意して自分のアパルトマンに戻る。深夜、ベッドに座りながらじっと留守番電話を聞いている。恋した女性のイタリアからの電話。メッセージを送り続ける留守電の声。「アンナ、一体どこにいるの」。映画史のなかでも最も孤独で、静かな感動を呼ぶ一瞬だ。駅のプラットホーム、ホテルのロビー、フロント、電車の窓、場末のホテルのベッド、街を走る車など、アケルマン的映像が次々と、もちろんゆったりとしたペースでアンナ=私の移動に伴って流れていく。アンナはほとんど喋らないで出会う人々の話を聞く。その寡黙さはジャンヌを思い出すがジャンヌの強迫はアンナには感じられない。女性に対する恋愛感情という点では『ジュ、テュ、イル、エル』の「私」が、そしてアンナが列車の途中で会うパリに憧れて移ろうとしている青年が自分のことを話しているときの、「彼」の語りが思い出される。
 『家からの手紙』がニューヨークの孤独な彷徨う人々を捉えたとしたら、『アンナ』はヨーロッパの孤独であり放浪する人々だ。同じように孤独な「私」のオデュッセーでもあった『ジュ、テュ、イル、エル』と決定的に違うのは、『ジュ、テュ、イル、エル』は狭い限られた空間から出ることがなかった旅だが、『アンナ』はアケルマン自身の物語から始まりながら、同時に時代的なまた社会的な要素が、つまり「外」が「内」に入った旅になったという点だ。『アンナ』にでてくる人々はだれ一人として母国語を話さない。異国語で自分を表わし、自分の生まれたところとは別のずれた所に住んでいる。それまでの作品では決して語られなかった強制収容所の過去が触れられ、ブリュッセルの母がついにアンナと再会する。アンナはアケルマン的主体のもっとも明らかな運動性をもったキャラクターといえるかもしれない。動いているようで、止まっていて、停止しているようで動いている。ジャンヌと同じように、言葉ではなく身体で存在している。しかし、アンナの身体はジャンヌのような硬直したものではなく、コントロールされた身体でもない。ということは、彼女の情動はヒステリー的防衛にも躁的興奮にもパラノイア的排除にもされていない。アンナはアケルマンのキャラクターで初めて泣くことが赦されたキャラクターである。
 先程、私は母を殺してしまった罪悪感にかられた娘の前に母を生き返らせたと形容したが、その意味でアンナが母と会うシーンはテクストの秘密を解く鍵を与えてくれる。ブリュッセルで母とあったアンナは二人でコーヒーを飲む。『家からの手紙』の母のように、家のことを話す母。アンナはお母さんのようになりたかったわ、と母を見詰める。あなたが出ていって寂しかった、もう話し相手がいなくなったわ、という母にアンナは一言、「お母さんは決して私に話しかけてはくれなかった。決して」というと、母は「あなたがいたのは知っていたのよ」。そして父のこと、家族のことを話す。いかにいろいろ大変で商売は難しく健康もすぐれないで、アンナの父が年をとり元気がなく落ち込んでいるか、そして母を見ることもできないと。初めて父のことに触れるテクストは、そこに関係と関係を結び付ける情動の綾を映しだす。
 この出会いのシーンで、決して斜めからの角度をとった形ではないが、アケルマンは初めて切り返しに近いショット構成を使っている。母、アンナ、母、アンナというように話し手を正面に置かれたカメラが追う。ゴーモン社製作の作品として、以前の作品の実験性、政治性は影を潜め、アケルマンがよりとっつきやすい映画製作を考えていた結果だろうか、それとも物語的要素を取り入れたアケルマンが主流言語そのものを否定するのではなく、探索しようとし始めた結果だろうか。理由は分からないし全て憶測の域をでないが、アケルマンが『アンナ』のなかでもこのシーンのみで切り返し構成を組み込んだことで物語的な効果を狙ったことは別としても、母に「ママのようになりたかった」「決して話しかけてくれなかった」と、いわば母に初めて直面し母に語りかけている娘と、娘をほとんど見ることなしに独りごとのように呟く母を対称的に、しかし、決して観客を締め出さないように描かれている。この後、アンナが母とベッドに横になり自分のことを淡々と話しはじめるときカメラは正面から二人を写すが、そのタイトなフレーミングにより二人の人間の距離が接近した一瞬となる。
 『アンナ』では、母との出会い、一晩過ごすシーンが折り目のようにちょうど真ん中に起こるが、その点でテクストを支配しているといえる。それまでほとんど聞くだけの主体だったアンナは、母の前で初めて自分のことを言葉にする。その後パリに帰り、それまで無表情だったアンナの顔がうっすら微笑み、愛人に頼まれて囁くように歌を歌う。具合の悪くなった愛人に薬を買いに深夜のパリのタクシーに乗ったアンナの頬に一筋の涙が流れる。そこから最後の電話をじっと聞くに至るシーンは、母と一緒のベッドに横になるシーンと同じくらい、もしくはそれ以上に静かな感動を呼ぶシーンだが、「アンナ、どこにいるの」という声を聞きながら微動だにしないアンナはどこにもいない。アンナは、ここで移動するのをやめてしまった。この意味で、テクストはその情動的出発点に戻ったと言える。なぜならこのアンナの喪失はテクスト的帰結点である『ディールマン』の最後の7分間に共鳴しているからだ。『ディールマン』から始まったトリロジーがここで静かに回帰する。
 もちろん、アンナとジャンヌの自失はまったく異なる。ジャンヌは理解を拒むことで呆然自失となり、アンナは理解してしまったがために進めないのだ。しかし、もっと決定的なのは、アケルマンは観客がアンナに近付くことを許しただけでなく、アンナの琴線に触れることを許したのだ。ジャンヌの身体をコントロールしたアケルマンは、アンナの身体を異質のものとはしなかった。ひとつの大きな差異だ。
 一度泣いてしまったら、泣くのを止めるのは簡単なことではない。ブレンダ・ロングフェローが「母に対するラヴ・レター」とアケルマンの映画を呼んだが、『ジャンヌ・ディールマン』『家からの手紙』『アンナの出会い』という三部作を作ったアケルマンはその後、1982年の『一晩中』という夜を舞台にした次から次へと人が循環していく恋愛コメディ(といってもまた物語という形はとらないが)で戻ってくるまで沈黙する。それから80年代の作品はコメディ・タッチのものが多くなり(最新作『カウチ・イン・ニューヨーク』も一応コメディ仕立てだ)、86年の『ゴールデン・エイティーズ』でデルフィーヌ・セイリグがまた母として帰ってくるまで、70年代を特徴づけたアケルマン的主体は姿を潜める。
 いや、『アンナの出会い』以後、ある意味では二度とアケルマン的主体は戻ることはなかったともいえる。母がスクリーンで現われた時に、アケルマンの一つの映画的体験は区切りをつけたといえる。それまでの母に対する無意識的な葛藤の場であった映画に母が表象された時、表象されえない欲望への欲望が対象化され、表象された時に、表象と言語の関係は新たなものになる必要がある。『アンナ』以後は別のテクスト群として分析されねばならない。ここで、セイリグ扮する母が帰ってくる『ゴールデン・エイティーズ』が、アケルマン的な躁と鬱の対極という見地から考えたときに一つの軸となるのはごく当然のこととなる。しかし、その別のテクスト群には、アケルマン的主体が影を落としているが、そこに別の情動構成を考えなくてはならないだろう。
 私の出発点が、アケルマンと母の関係がアケルマンの映画に伝記的要素として表現されていると理解しているのではないことをもう一度強調しよう。それはある作品と別の作品を繋げる一つの鍵のようなものとして、もっと正確には、作品と作品、または形式と言語を直線として繋げるのではなく、一つの動きとして近寄せるものである。『街をぶっとばせ』、『ホテル・モンタレー』、『ジュ、テュ、イル、エル』をサブ・テクストとして構成されたアケルマンの70年代を、『ディールマン』から『アンナの出会い』に至る母へのトリロジーで幕を下ろすことになったのは、テクストの必然だった。行き所のない情動が言語化された時、形式が内容を支配することを止め、テクストの衝動(攻撃性)は弱まり、移動を休止しする。それは究極的なメランコリー体験となる。アンナの出会いは一つの別れだった。そして、それはアケルマン自身が一番よく判っていたことなのかもしれない

参考文献

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CAMERA OBSCURA 2, (Fall, 1977), 137-138
Brenda Longfellow, "Love Letter to the Mother: The Work of Chantal Akerman,"  CANADIAN JOURNAL OF POLITICAL AND SOCIAL THEORY, 13. 1-2, 1989, 73-90
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Claude-Marie Tremois, "Chantal Akerman: 'A partir de quelques images de mon enfance'," TELERAMA (January 14, 1976), 66-68
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Janet Bergstrom, "Chantal Akerman: Splitting," Unpublished manuscript.

 H.テレンバッハ 『メランコリー』 木村 敏訳、みすず書房, 1978
 斉藤綾子 「アンチ・メロドラマ」、『イメージ・フォーラム』vol.184, 1995, 122-128

英文レジュメ

Chantal Akerman's films manifest what I call Akermania subjectivity, which drives textual movement forward, forming a particular affective relationship among the texts. Here, affect is understood as textual movement in which a certain configuration of different tones, rhythms, moods is organized and in which representation and language converge creating a certain cinematic style. By tracing films from the director's debut, Saute ma vie (1968), to Les Rendez-vous D'Anna (1978), I attempt to argue that these films are one way or another about a contradictory relationship between movement and arrest. This contradiction is best understood in light of the director's unconscious desire for controlling the love object, who is the Mother, a recurring figure in Akerman's films. Three films, Jeanne Dielman, 23 Quai du Commerce, 1080 Bruxelles, News From Home, and Les Rendez-vous d但nna, are considered as a trilogy, a certain textual whole which centers around the problematic identification of the daughter with the Mother.