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家から抵抗へ――成瀬巳喜男の「女性映画」

              
              
藤井 仁子

  
1 自己の肯定
 
 周知のとおり、成瀬巳喜男は生前から「女性映画」の名匠と見なされてきた。この場合
「女性映画」とは、さしあたり女性を主人公とし、また女性を主たる観客層として想定し
た映画だと定義しておいてよいだろう。
 これは今日偉大な「作家」として成瀬巳喜男を見る者がしばしば忘れがちな事実である
が、成瀬巳喜男は終生変ることなく撮影所の監督であった。だから彼が「女性映画」を撮
ったのはしょせん撮影所の要請にこたえてのことであり、そのことが撮影所の利益となっ
たからにすぎない。まず「女性映画」は相対的に安あがりである。さらに成瀬の『秋立ち
ぬ』(1960年)が、黒澤明による「男性的」な『悪い奴ほどよく眠る』の添えものとして二
本立で公開されている事実からもあきらかなように、撮影所は、「女性映画」を男性向け映
画と併映することでより広い観客層を確保しようとさえしたのである*1。そもそも成瀬の代
名詞となっている林芙美子原作による一連の文芸映画にしたところで、どこまで成瀬が望
んで撮ったものだったかはわからない。林芙美子ものの第一作である『めし』(1951年)か
らして、急病で倒れた千葉泰樹の代役として監督をつとめたにすぎないし*2 、その興行的成
功がなければ一連の林芙美子ものもありえたかどうかは定かでないのである。
 1958年を頂点として以後日本の映画観客数が激減しはじめたとき、もっともそのあおり
を受けたのもこの「女性映画」と呼ばれるジャンルであった。そのために、この年以降の
成瀬巳喜男は主題の面でもいささかの迷いを見せはじめることになるのだが、ともあれこ
こでまず問題にしたいのは、誰もがなんのためらいもなく「女性映画」と呼んでいるもの
の具体的なありようである。
 欧米が成瀬を「発見」するうえでもっとも功績のあったオーディ・E・ボックは、成瀬に
おける女性の描かれ方を小津安二郎や溝口健二のそれと比較している*3 。ボックによれば、
小津的な女性は「与えられた役割において、どんな不公平なことも無視することによって」
かろうじて「人生における運」を達成しうるにすぎないし、他方で溝口的な女性は、「感傷
的なフェミニズム」の戦後時代への継続を通じて描きだされるものでしかない。すなわち
溝口は、「女性たちが悩み苦しむという聖なる状態にある時にのみ願望が達成されること
を知るように仕向けながら、女性たちは耐えなければならないという、非人間的な悪習を
くどくどと描き続けている」「擬似宗教的な態度」の持ち主なのであり、だから溝口の女た
ちは、「黙って耐え忍ぶマドンナのような性格」を負わされることになるのである。だが成
瀬の場合は、このどちらとも大きく異なっている。なぜなら、成瀬的な女性は「不平不満
をこぼす」からである。彼女たちこそ、外的なものも超越的なものの力もあてにすること
なく、ときには自己破壊にいたることすら辞さないまでに、あくまでも自己を貫き通そう
とする誇り高き存在なのだというのである。
 もちろんこのような比較にはいろいろと異論もあろう(とりわけ溝口に関して)。だがボ
ックの見解は決して的はずれなものではないし、むしろ貴重な指摘すらふくんでいる。蓮
實重彦も言うように、擬似宗教的かつロマン主義的な視線を女性に向けつづけた溝口に対
し、成瀬が女性に向ける視線は「より日常的な慎しさの域にとどまって」おり、「みずから
の罪の意識を正当化する目的での女性の聖化といったものは認められない」からである*4
成瀬は、溝口のように女性を「神聖なる他者として」讃美したのではなかった*5
 溝口の場合、とりわけ『西鶴一代女』(1952年)に顕著なように、社会秩序に翻弄されて
その犠牲となってゆくヒロインの追いつめ方があまりに徹底したものであるために、彼女
たちはついには男社会の「殉教者」へと仕立てあげられてしまう。そこで贖われる罪は、「作
者」たる溝口のみに帰属するものではない。彼女たちの「殉教」によって、結果的には男
たちが全員「救われて」しまうのである。彼女たちが男社会の罪を一身に背負い、犠牲の
羊として死んでいってくれることによって、男たちは皆深い同情の涙など流しながら、お
のれの罪がきれいに洗い浄められてゆく快感に恍惚と耽ることができてしまう。むろん男
たちの流した涙がかわいてしまえば、あとは以前にもまして安定した社会秩序が回帰して
くるであろう。徹底した受難の果てに、溝口的女性がその身に負わされた汚辱ともどもつ
いに超越的な次元へと移行するとき、男社会は一層の安定と均衡とを獲得し、男たちは皆
そろって救済される。溝口健二の映画にあって、女性とは、男たちが「みずからの罪の意
識を正当化する」ために搾取する資材でしかなく、そこに認められるのはフェミニズムを
偽装した裏返しのセクシズムにほかならないとすら言えるかもしれない。その大半が女性
を主人公としているにもかかわらず、溝口の作品を単純に「女性映画」と呼ぶことがどこ
かためらわれるのは、こうした事実と無縁ではないだろう。
 念のためにことわっておくが、このような指摘をおこなうことによって、溝口健二が偉
大な映画作家であるという事実を否定しようなどという意図は本稿には毛頭ない。ただ、
こと溝口が女性へと投げかけている視線に着目する限り、そこに詐術にも似た男たちの卑
劣なやり口が認められはしないかと指摘してみたまでで、だから単純に女性を描くことに
長けた巨匠としてのみ溝口を称賛する見方は皮相にすぎるのではないかと述べたいだけの
ことである。言うまでもなく、こうした裏返しのセクシズムが溝口だけに限った話ではな
いからこそ、以上のような指摘が意味をもつと考えるのである。
 こうして見てきたとき、なるほど成瀬には、溝口に見られるような裏返しのセクシズム
は認められないように思われる。たしかに成瀬的な女性は、男たちにさんざん苦しめられ
たり翻弄されたりしたあげく、男社会に対して異議申立てをおこなう。だがその過程にお
いて、彼女たちが犠牲者としての聖性をおびるようなことはない。成瀬の映画においては、
男のみならず、女たちもまた適度に罪ぶかい存在だからである。たとえば、『浮雲』(1955
年)に登場する淪落の女・ゆき子(高峰秀子)を、腐れ縁の愛人・富岡(森雅之)にくら
べてより清らかだなどと言うことができるだろうか。『妻』(1953年)の美種子(高峰三枝
子)など夫(上原謙)以上に魅力に欠ける存在としてしか描かれていないし、一見清らか
そうな顔つきの『山の音』(1954年)の菊子(原節子)ですら義父(山村聡)へのかなわぬ
恋情に身を焦がしており、愛人をかこっている夫(上原謙)に対して身の完全な潔白を主
張できるわけでは必ずしもない。だから成瀬的な女性とは、無垢なる殉教者といったイメ
ージからはほど遠い適度に汚れた存在なのであり、またそれゆえに、男たちによって一方
的に汚されるだけの立場にあまんじることもないのである。
 では男たちはどうか。成瀬的な男性は、あからさまに女性を虐げる強権的な家父長とし
てではなく、いかにも頼りなくだらしのない駄目な亭主として描かれることが常である。
とりわけ『めし』に代表される、上原謙によって演じられた一連の亭主像を想起すればい
いだろう。蓮實重彦は、成瀬の絶頂期と目される50年代の諸作において、男性の存在が、
「ヒロインたちの内面の葛藤をきわだたせるための鏡のような消極的な役割に還元されて
いる」と指摘している*6 。上原謙は、まさに原節子や杉村春子らを最良の姿でうつしとるべ
く磨きをかけられた「鏡」であったし、『浮雲』で高峰秀子を前にした森雅之も、またその
ような「鏡」であっただろう。
 だから成瀬的な女性たちは、そのような「鏡」を前にして適度に汚れてもいる自分の姿
をうつしだし、そうした汚れをもかかえたものとして自己をありのままに肯定しながら、
自分だけを頼りにおのれの生き方を貫徹しようとする。それによって、彼女たちは「鏡」
でしかない男たちにまがりなりにも勝利をおさめることになるのだろう。永年忘れること
のできなかったかつての恋人(上原謙)がしょせんは「鏡」、つまりイメージ=写真でしか
なかったという事実を知ることで、あこぎな高利貸しをいとなむ元芸者としての自己をあ
りのままにひきうける『晩菊』(1954年)のきん(杉村春子)のように。
 だがそれは本当だろうか。成瀬的な女性たちは、本当に男性に対して優位に立ちえたと
言えるのだろうか。そこにはまたなにかしら男たちの巧妙な詐術が存在しているのではな
いだろうか。
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*1 Audie E. Bock, "El Naruse basico/ The essential Naruse," in Shiguehiko Hasumi and
Sadao Yamane, Mikio Naruse (San Sebastian-Madrid: Festival Internacional de Cine de
San Sebastian-Filmoteca Espanola, 1998), p.105.

*2 成瀬巳喜男「映画作家のペース」『キネマ旬報増刊 日本映画監督特集』(1960年)、62
頁。

*3 Audie E. Bock, Mikio Naruse: Un maitre du cinema japonais (Locarno: Edition du
Festival international du film de Locarno, 1983), pp.28-33. (岡島尚志訳「成瀬巳喜男論」
『FC55 成瀬巳喜男監督特集』[東京国立近代美術館、1979年]、5-7頁[ただし、邦訳は
冒頭部が異なっている])

*4 蓮實重彦「香港国際映画祭の成瀬巳喜男」『リュミエール』第11号(1988年春号)、41
頁。

*5 四方田犬彦「女を描くということ」『三百人劇場映画講座VOL.1 成瀬巳喜男・特集』(三
百人劇場、1986年)、24頁。

*6 蓮實、前掲、41頁。
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