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1 自己の肯定 2 戦略的なマゾヒズム
3 不毛の家
 われわれは、成瀬映画のもつ非メロドラマ性という視点から、成瀬的な男女関係の力学
を検討してきた。むろん、成瀬がサブプロットにおいてメロドラマ的筋立てを活用するこ
とに秀でていたことは見逃されるべきではないし*15 、とりわけ晩年の作品において純然たる
メロドラマに回帰しているように見えるのも事実である。岡村忠親が『乱れる』(1964年)
と『乱れ雲』(1967年)の二作品のみを「真のメロドラマ」と呼び、ほかから区別している
のは正当な処置だと言えよう*16
 おそらくこれは、映画産業の斜陽化にともなう女性映画の興行的不振と関係がある。晩
年の成瀬作品に多くの脚本を提供している松山善三の資質によるとも推測されるのだが、
『乱れる』における義姉弟の禁じられた恋や『乱れ雲』における交通事故の被害者と加害
者との恋など、晩年の作品に特徴的な極端に誇張されたメロドラマ的設定が、マニエリス
ム的なもののあらわれであることはあまりに明白であろう。映画が独占してきたホームド
ラマは、この時期すでにテレビの領域へと移行したのである*17
 ここでわれわれが考察すべき最後の問いは、成瀬巳喜男の映画とはしょせん「日本的」
なものの文脈のなかに過不足なくおさまってしまうだけのものなのか、男たちの戦略的な
マゾヒズムを前に女性たちは勝利の空疎な幻想にただ酔いしれているだけなのか、である。
 実は、成瀬の映画を「ホームドラマ」と呼ぶことには若干の違和感がつきまとう。おそ
らくこの違和感の最大の原因は、成瀬の映画において親子の関係が濃密に描きだされたこ
とがほとんどないことにある。それを成瀬自身の不幸な幼年期に結びつけてとらえること
は伝記作家にまかせておこう。いわゆるホームドラマとは、そのすべてがなんらかのかた
ちで親子の関係をあつかうものである。必ずしも血のつながった関係である必要はないが、
親子間の情愛を称揚しないホームドラマは存在しないと言ってよい。ホームドラマは定義
上家族と家庭の問題をあつかうが、それらの存在を保証するのは再生産にほかならないか
らである。
 だが成瀬の場合には、『めし』にはじまる一連の作品が「夫婦もの」というサブジャンル
にくくられていることからもあきらかなように、親子の関係はあくまで後景にとどまって
いる。フィルモグラフィを見ればわかるとおり、『おかあさん』(1952年)のような作品は
むしろ例外なのである。
 このことは、戦前の松竹蒲田時代に撮られた作品と比較することでより明確になるだろ
う。「産みの親より育ての親」との深い情愛を謳いあげた新派悲劇=メロドラマ『生さぬ仲』
(1932年)や、生活能力を欠いた父親(斎藤達雄)が事故にあった息子の生命を救うべく
強盗に入る『夜ごとの夢』(1933年)など、いわゆる「蒲田調」の範疇で撮られた作品は、
皆なんらかのかたちで親子の絆を中心的主題としていたのである。それが東宝時代を通じ
て徐々に後景へと退いてゆき、『めし』以降の「夫婦もの」と呼ばれる一連の作品において
は、まるで夫婦を描くのに親子の関係は邪魔であるとでも言うかのように、親子のつなが
りは希薄化していく。むろんそれは、都会的で洗練された作風を持ち味としていた東宝に
とって、親子の情愛を正面から謳いあげることはあまりに「封建的」ととられたからかも
しれないし、なにより戦後の核家族化と密接な関係をもつものなのかもしれない。だが、
ホームドラマというジャンルは一般に思われているほど松竹によって独占されていたわけ
ではないし*18 、おもにワイドスクリーン化以降に撮られた『娘・妻・母』(1960年)などの
「大家族もの」(マニエリスム期に延命をはかったホームドラマの一サブジャンル)におい
ても、親子のつながりは、あまりに入りくんだ人物関係のなかに溶解してしまったかのよ
うである。
 こうした特徴ゆえに、主題論的に見て興味ぶかい事実が成瀬の作品に認められることに
なる。それは妊娠・出産の不在、あるいはその執拗なまでの忌避である。一貫して家庭内
での夫婦のいとなみを注視しておきながら、なぜか妊娠や出産だけはまさに「穢れ」でで
もあるかのように忌み嫌われつづけているのである。『めし』をはじめとする一連の「夫婦
もの」では、子どものないことが夫婦の倦怠を強めているし、妻の立場を後ろめたいもの
にもしているのだが、いずれにせよ、成瀬の映画において家庭が積極的に再生産の場とし
て描きだされることは、ある時期から完全になくなってしまう。成瀬的な家庭とは、あた
たかな団欒の場といったイメージからはほど遠い、不毛な空間なのである。
 互いの親から切り離された核家庭をいとなみながら、なおかつ二人のあいだにも子がな
いことによって、成瀬的な夫と妻はもっぱら他者として向きあうことになる。このとき成
瀬巳喜男にとっての「夫婦もの」は、他者とともに生きる技術をめぐる、ほとんど倫理的
な省察としての様相を呈することになるだろう。それゆえ今日にいたるまで一貫して低い
評価にあまんじてきた『杏っ子』(1958年)は、成瀬による「夫婦もの」の極北に位置する
作品としてきわめて重要である。木村功の夫が抱く劣等感と自虐とを見つめる成瀬の描写
はほとんど常軌を逸するほどの執拗さをおびており、彼は香川京子の妻にとってもなんら
理解のおよばぬ存在となっている。別れようと思えばいつでも別れられるにもかかわらず、
父親(山村聡)のすすめをふりきってまでも夫と共同生活をいとなんでいくことをやめよ
うとしない彼女は、すでに夫に従属する弱い妻の立場を超えていると言うべきであろう。
それはあくまで他者とともに生きていこうとする者の倫理的な選択なのである。言葉を交
わさずとも目と目ですべてがわかりあえるといった関係ほど非成瀬的なものはないだろう。
 だから成瀬巳喜男にとっての家庭とは、他者同士が共同生活を試みるひとつの実験的な
場にほかならない。四方田犬彦は、『流れる』(1956年)や『稲妻』(1952年)の舞台とな
る「家」を、異質な者同士が一時的に寄りつどい、共有する空間として記述している*19 。事
実、子どもが四人いてその父親が皆ちがうという『稲妻』の異常な設定など、ただ彼らを
他者として向きあわせるためだけに、互いを結びつける血をひたすら薄めるべく導入され
たかのようである。先に言及した「大家族もの」においても、成瀬の関心はあくまでも一
家の他人である嫁の立場にある。
 「家」がそのようなものでしかない以上、女たちは『あらくれ』(1957年)のお島(高峰
秀子)のように、そこからいつでも逃走できる。たとえ逃走した先が新たな「家」でしか
ないとしても、彼女たちはその気になればいつでも移動を開始するだろうし、むろん『杏
っ子』で香川京子が演じた杏子のように、あくまでそこにとどまろうとするのも自由であ
る。成瀬的な「家」の不毛さは、まさにその不毛さゆえに、自由をも保証してくれている
のである。
 したがって、そのような成瀬的空間において他者と他者とのコミュニケーションを可能
にするのは、もっぱら「金銭の循環」でしかないだろう*20 。『妻として女として』(1961年)
を見ればあきらかなように、おのれの腹を痛めて産んだ子どもなど、愛人との手切金と代
替可能な取引きの材料でしかない。
 そのような家庭においてもしも妻が妊娠してしまったときにはどうなるか。すぐさま中
絶がほどこされるのである。「夫婦もの」以外でも『浮雲』や『あにいもうと』『あらくれ』
など、成瀬映画の少なからぬ箇所で中絶や流産がおこなわれている。もっとも『夫婦』(1953
年)においては、なるほど土壇場で中絶手術は思いとどまられる。だが、そこまで描けば
もう興味はないとでも言わんばかりに、成瀬はそこで映画を終わらせてしまうのである。
わけても注目に値するのは、『山の音』で原節子によって演じられた菊子の場合であろう。
彼女は夫とのさめきった夫婦生活と、義父へのかなわぬ思いとの両方にさいなまれながら、
そんな日常へと向けたひとつの抵抗の手段として、みずから中絶手術を選びとるからであ
る。菊子は晴れわたる空のもと、「家」から逃れ去っていくだろう。彼女の中絶を「一種の
自殺」としてしか認識できなかった義父は、郷里の信州にひきこもって「家」とともに朽
ちはてていくほかない。成瀬的な女性たちは、互いに異質だからこそ対等な他者として男
性と向きあうため、あらゆる再生産を拒絶するのである。
 加藤幹郎によれば、ハリウッド的なファミリー・メロドラマは、世代交替というかたち
で家庭のさらなる活性化と存続を保証する*21 。だとすれば、今や成瀬巳喜男の非メロドラマ
性はいよいよ明白ではなかろうか。それは日本的なホームドラマとも截然と区別されるべ
きである。どんなに非メロドラマ的に見えたとしても、ホームドラマは親子の情愛を謳い
あげることで再生産に貢献してしまう点ではハリウッド的ファミリー・メロドラマと変ら
ないからである。最終的には男性の戦略的なマゾヒズムによってかわされてしまうにせよ、
再生産からあたう限り無縁であることで、成瀬的な女性たちは男性社会の秩序への抵抗を
試み、男性に対してあくまでも対等な他者として向きあおうとする。このとき成瀬的な女
性たちは、恋愛メロドラマのもの言わぬヒロインたちよりも、スクリューボール・コメデ
ィの饒舌なヒロインたちにはるかに似はじめることになるだろう。
 男たちは、あえて「鏡」の表面に身をひそめることでみずからの保身をはかる。その「鏡」
が砕け散ることはないだろうが、すでにその表面にはひびが入れられている。「鏡」がおの
れとそっくり同じ像を再生産することは、もはやないのである。
*       *       *
 従来「女性映画」の範疇へと粗雑にまとめあげられてきた成瀬巳喜男の作品は、実際に
は以上のような特異性をおびている。成瀬巳喜男という一監督が、撮影所の要請にこたえ
てそのシステムの枠内で仕事したにすぎないことを認めても、なおその作品はこれほどま
でに特異な輝きを放つわけである。
 成瀬の作品は、その抵抗の過程において単純なジェンダー概念にゆさぶりをかけるほど
のものであるが、四方田犬彦によってさずけられた「男性による女流」という称号は、そ
んな成瀬にふさわしいものだと言えよう*22 。成瀬巳喜男が、1968年というひとつの画期を
なす年以前にすべての作品を撮り終えていたことを思えば、これは驚嘆に値する事実では
なかろうか。
 だがさらに驚くべきなのは、こうしたあらゆる抵抗が、ふと目を伏せたり顔を曇らせた
りといったごく日常的な身ぶりのみで構成されていることである。日本映画史の隆盛から
衰頽までをそっくり覆う成瀬巳喜男の歩みとは、そのような抵抗の記録でもあったのだ*23
1 自己の肯定 2 戦略的なマゾヒズム
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*15 岡村忠親による分析を参照されたい。「成瀬巳喜男論T 窓際の感情力学」『FB』7号
(1996年)、151-186頁。

*16 同前。

*17 佐藤忠男『日本映画史3』(岩波書店、1995年)、18頁。

*18 坂本、前掲、204頁。

*19 四方田、前掲、26頁。

*20 Hubert Niogret, "Mikio Naruse et l'agencement des emotions," in Positif (no.275,
1984), p.17.

*21 加藤、『映画ジャンル論』、第5章。

*22 四方田、前掲、26頁(強調原文)。

*23 筆者は、本稿と同時に執筆した成瀬論において、まったく異なる視点から成瀬作品の画
面がもつ具体的な表情の分析を試みている。本稿に欠けているものは、そこである程度ま
でおぎなわれるだろう。
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