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(1)『丹下左膳 第1篇』の評価 | (2)「伊藤話術」とは | |
第1期 堅固なコンティニュイティー、「フラッシュ」 | 第2期 類似物による場面展開 |
第三章 第2期「伊藤話術」――類似物による場面展開
伊藤大輔の1960年の作品『切られ与三郎』(大映京都)には、一瞬観客を戸惑わせるようなモンタージ
ュが行われる。それは異なる場所のショットを連結させる、場面転換の機能を持つショット繋ぎである。
お富(富士真奈美)が兄の与三郎(市川雷蔵)のことを案じつつ、つい毬を落としてしまうミディアム・
ショットがある。次にショットが替わり毬のクロース・アップ・ショットになるが、その毬を(まったく
異なる場所にいる)与三郎が拾ってしまう(ように見えてしまう)、一見奇妙なショット繋ぎである。し
かし、もうすこし詳細に各ショットを分析すれば、このショット繋ぎは特に不思議なものではないことが
わかるだろう。
ショット1――お富が与三郎のことを案じて立っているロング・ショット。お富が毬を落とす。
ショット2――道に落ちている毬のクロース・アップ・ショット(次第にキャメラがトラック・バックして
ゆき、与三郎がその毬を拾い、近くで遊んでいる子供に渡す)。
上記のショット解説を見ればわかるように、ここには古典的映画の話法に慣れてしまったわれわれを欺
くトリックが仕掛けられている。ショット1でお富が毬を落とす。当然ショット2の毬のクロース・アップ
はお富が落とした毬のクロース・アップであるべきである。しかし実はショット2は、ショット1とはまった
く別の場所にある毬なのだ。毬という共通した映像のショットで、異なる空間をつなげ場面を展開させ
る、このような「類似物による場面転換」とでもいうべき手法こそ、第2期「伊藤話術」の特徴なのである
(繰り返すが、あくまでこのふたつの時期の区別はそれぞれの特色を明らかにするために便宜的に設けた
ものであり、第2期になって第1期の技巧が消えたわけではない。またこの手法は決して伊藤大輔のみの手
法ではなく、他の作家も使用したことがあるのは確かである)。この「伊藤話術」の特徴とは、一見バラ
バラな物語のプロットを円滑に展開して行く方法、つまり場面転換のモンタージュであると言える。そし
てこの要素こそ、1930年代後半の批評家たちによって「形式主義者」と批判される要素である。
ところで、伊藤大輔自身は「伊藤話術」についてみずから定義したわけではない(批評家の言説によっ
て実体化されたものである)し、ほとんど言及したことさえない。しかし伊藤大輔はある座談会の席で、
「伊藤話術」について、質問者から促される形で自己解釈をおこなっている*42。それはトーキー第1回
監督作品『丹下左膳 第一篇』(1934)を撮った後の座談会であるが、伊藤大輔が同作品において「サイレン
トの手法を逆に〔トーキーに〕入れたところもある」と言った後の言葉は重要である。
「つまり、これまでは字幕でしつかけたやつをダイアローグでしつかけたのでせう。さうした画面の何といふかな相似形と言ったやうなものを音に持って行く。それを云うのかな――〔中略〕」*43
伊藤大輔自身が事後的に指摘する「伊藤話術」の特徴とは、異なるシーンを相似形の映像を媒介にする
ことで連関させる(場面転換をおこなう)ことらしい。その方法をトーキー作品に用いたとするならば、
それは類似音を使って場面転換をすることになるだろう。「伊藤大輔が『丹下左膳〔第一篇〕』に於い
て、サイレント時代の「形」の相似形による場面転換を、「音」のそれによるものによって代置して、音
画としての成功を収めたが〔略〕」*44と北川冬彦も書き記しているように、確かに『丹下左膳 第一篇』
では、相似形の映像だけではなく、相似音(類似音)によって異なるシーンを結び付けることに没頭して
いるように見えるほどにその使用が過剰であることが、現存するフィルムから伺える。例えば、風呂場で
将軍吉宗と、吉宗に按摩を施している愚楽(という老人)の会話シーンがある。愚楽が吉宗の肩を「パ
ン」と音を立てて叩くと同時にショットが替わり、まったく異なる時空間に属する宴会のシーンに連結さ
れる。その宴会シーンでは手拍子の音や太鼓の音など、宴会の賑やかな音が聞こえている。つまり肩を叩
いた「パン」という音と、宴会で人々が手を叩いているその「パン」という音の類似によって、異なる場
面を結び付けている。
このような「伊藤話術」の特徴はトーキー第1作『丹下左膳 第一篇』においてはじめて使用されたので
はなく、サイレント期から用いられていたことが、大内秀邦の指摘によって確認できる。サイレント期の
「伊藤話術」とは「いわゆる、字幕遊戯で、スポオクン・タイトルをサブ・タイトルに兼用しての場面転
換、である。この技巧は、相似の形象を持つ物体、又は、相関連して用ひられる小道具、を契機としての
場面転換、と同様に、これまでの脚色手法から行けば、当然、中断さるべき二つの場面を連絡づけて、ス
トオリを展開せしめる効果を持っている」*45。そして大内は、このような小道具や字幕の相似形による
場面転換を「時間空間的自由性」を持つものとして評価している*46。
この「類似物による場面転換」を別の角度から分析した塚本靖は、伊藤大輔の話術は大衆文学の映画化
から派生したものだといい、その特徴は「エピソード堆積的話術」だという*47。つまり大衆文学において
は物語の筋の複雑さが重要であり、物語の内容やテーマはあまり重要視されないものだとして、複雑でバ
ラバラの筋をいかに繋げて行くか、そこに大衆文学の特徴があるという。そのような筋の複雑性を有する
大衆文学を映画化する時に、伊藤大輔の「話術」が生まれてくるのだというのである。つまり伊藤大輔の作
品ではエピソードとエピソードが比較的独立して取り扱われ、「エピソードは観客の時間空間の常識的推
理を超越した連結法によって結ばれ、其処に一種の省略法を行い、論理的な矛盾を感ぜしめない所に、彼
の話術の卓抜さが存在する」というのだ*48。これは蓮實重彦が指摘した「伊藤話術」の定義にも共通する部
分である。彼によると「伊藤話術」とは、「いろいろな文献や伊藤大輔自身の証言を辿っていきますと、
その話術というのは、空間的・時間的に離れて起こった事件を、いかにしてひとつのカッティングで繋げる
か、ということのように思われます。つまり、物語の時間の流れの中には素直に継起しえない事実を思い
がけないやり方でつなげてしまうということ」である*49。
ところで、これまで「伊藤話術」の特徴として考察してきた類似形・類似音によってシーン間を繋げる場
面連関技法は、「伊藤話術」の第1期には使用されていなかったようだ。なぜなら「伊藤話術」の第1期作
品(『長恨』から『斬人斬馬剣』まで)の批評文には、「類似の場面連関」に類する指摘が皆無だからで
ある。「類似の場面連関」は、第2期「伊藤話術」に特徴的な技巧であったことが、1932年の正月映画『御
誂次郎吉格子』(日活太秦)の批評文から伺われる*50。相川楠彦は、この作品を「歌舞伎に使用される意味
で」16の「場」に分ける。そしていかにそれぞれの「場」の連結方法が、「先行する『場』の最後のシチュエ
ーションから、必然的に「流れ出て」いるのかを分析している。この作品のフィルムはほぼ封切時のフィ
ルムが現存しているので、実際に確認することのできる場面連結の例を確認してみよう(以下の例は、相
川の言う「場」2から3への場面連結と対応するものである)。
ショット1――宿泊しているわらじ屋で次郎吉が伸びた髭を撫でる映像(場2)
ショット2――「お誂向きに髭も伸びてるし…」という会話字幕(場2)
ショット3――ショット1と同様、次郎吉が髭を撫でている映像(場2)
ショット4――ショット3からオーヴァー・ラップして、髪床で髭を剃られている次郎吉(場3)
ここでの場面連関は、上記のショット3とショット4に共通した類似映像――顎鬚に手を当てている次郎
吉の顔のクロース・アップ――がオーヴァー・ラップすることによって達成されている。「わらじ屋」と
「髪床」という、異なるふたつの時空間が、類似映像によって結ばれている。相川は以下のようにまとめ
る。
だから、「場」の連結に際しては、今迄の大輔の「話術」とは異なって、一つの説明字幕も使用され
ず、緩いフェードによる移行か、もしくは、エリオットの所謂「類似物の抽出」によるオーヴァー・ラッ
プの移行か、が行われているばかりである*51。
つまりこの批評家の言葉を信じるならば、『御誂次郎吉格子』以降の作品で、それ以前の説明字幕によ
る場面連結に変わって、類似した映像による場面連関がなされるようになったということだ。確かに『忠
次旅日記』三部作が公開された翌年の1928年のある批評において*52、伊藤大輔作品の特徴として「スピー
ド」、「テンポ」、「モノローグ」は挙げているが、場面転換についてや類似物による連結などはまったく
指摘されていない。また1929年の『斬人斬馬剣』(松竹京都)において指摘されるのは過剰なまでの「フラ
ッシュ」の技法であって、類似物による場面転換に対する指摘は見当たらない。もちろん「類似物による
場面転換」技法は伊藤大輔特有の技法ではない。このような技法は「マッチ・カット match-cut」(スタン
リー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』[1969]で、(1)原始時代の骨と、(2)21世紀の宇宙ステー
ション、という類似映像のモンタージュが有名であろう)と同様の効果を持つ技法であり、理論的には1920
年代のソビエト・モンタージュ派(エイゼンシュタインやプドフキンなど)によって構築されていたもの
であるだろう。
以上のように、第2期「伊藤話術」の一側面である類似・相似形の映像・音声による場面転換の詳細を
見てきたわけであるが、この技法は、いったん1930年代後半に批評家によって徹底的に否定された
後、1942年の『鞍馬天狗』(伊藤大輔監督、大映京都)における冒頭シーンや、小道具の効果的な使用と
して十二分にその効果を発揮し、再び批評家によって評価されることとなるだろう。『鞍馬天狗』は、
「映画が新しい体制をとって以来、この作品くらい運動量を豊富に持ち、それに鮮やかなさばきをつけた
映画は絶えてなかった」と双葉十三郎に言わしめた作品であった。双葉が映画の物語内容(テーマ)より
も映画の「運動量」に目を付け、評価している点に注目したい。そして「この映画は、伊藤大輔が回復期
にあることを示している」*53と双葉書いたように、『鞍馬天狗』は1942年度の大映作品のなかで興行収入
が第一位という好成績を挙げたヒット作となった*54。このような1940年頃から終戦までの間の、批評家共
同体の規範の変化に関しては、「歴史映画」の推進運動とその失敗というファクターを通して論じるべきで
あるがそれには稿を改めて論じる必要があるだろう。
(本稿は平成10年度 京都大学大学院人間・環境学研究科に提出した修士論文の一部を改訂したものであ る。)
注
42 「伊藤大輔を囲んで時代劇トーキー座談会」(『キネマ旬報』第492号、1934年1月1日号、202頁)。
43 同上。
44 北川冬彦「とりとめのない感想」(『キネマ旬報』1934年1月21号、『監督 山中貞雄』[実業之日本社、1998]、204頁に再録)。
45 大内秀邦「伊藤大輔の脚色手法に就て――いはゆる話術とは?」(『映画評論』第16巻第4号、1934年4月号)、48−49頁。このような「伊藤話術」の特徴は、当時「引っ掛け式」とも呼ばれていた(渡辺敏彦「伊藤大輔の感傷」[『映画評論』第10巻第4号、1934年4月号]64-65頁)。
46 同上、49頁。
47 塚本、前掲「映画論に対する映画論」、8−15頁。彼は映画を芸術的 / 非芸術的なものに分け、「話術」を非芸術的なものとして批判する。なぜなら彼によれば、「話術」とは大衆文学的な「思い付き的な面白さとか、偶然的非現実的な筋――波瀾万丈的な興味をそそることにその目的を有して居る」だけであって、結局「この話術は非芸術的な物語りの展開にしか役立たないのだ」からである。彼の論は一面的であることは否めないが、伊藤話術の特徴を端的に表現した点、評価できる。
48 塚本、前掲「映画論に対する映画論」、12頁。
49 蓮實重彦「講演<新たなる発見>にむけて」(『三百人劇場映画講座Vol.4』財団法人現代演劇協会・三百人劇場、1987)、6頁。
50 相川楠彦「『御誂次郎吉格子』――伊藤大輔の一つの側面」(『キネマ旬報』1932年3月21日号、第430号、47−48頁)。
51 同上、47頁。
52 村上忠久「伊藤大輔小論」(『日本映画作家論』キネマ旬報社、1936、11−18頁)。収録されている本は1936年の出版だが、該当の文章は1928年に書かれたものである。
53 双葉十三郎「劇映画批評鞍馬天狗」(『映画旬報』1942年11月11日号、52-53頁。『時代劇映画の詩と真実』204−207頁に再録)。
54 大映企画審議会事務局編『新しき企画の為に 十七年度作品の批判を中心として』(伊藤大輔文庫BOX31)。
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主要参考文献(雑誌は注を参照)
磯田啓二『熱眼熱手の人 私説・映画監督伊藤大輔の青春』日本図書刊行会、1998
伊藤大輔著・加藤泰編『時代劇映画の詩と真実』キネマ旬報社、1976
伊藤大輔『伊藤大輔シナリオ集T−W』淡交社、1985
岩崎昶『映画の芸術』協和書院、1936
江戸川乱歩『群集の中のロビンソン』河出文庫、1994
梶田章『大河内傳次郎 人と作品・その魅力のすべて』朝日ソノラマ、1992
加藤泰著、山根貞男・安井喜雄編『加藤泰、映画を語る リュミエール叢書19』筑摩書房、1994
加藤泰『加藤泰 映画華』ワイズ出版、1995
岸松雄『現代日本映画人伝 上巻』池田書店、1955
―――『私の映画史』池田書店、1955
北川冬彦『現代映画論』三笠書房、1941
佐伯知紀編『映画読本 伊藤大輔』フィルムアート社、1996
竹中労『日本映画横断1〜3』白川書院、1974−1976
―――『鞍馬天狗のおじさんは』ちくま文庫、1992(原本 白川書院、1976)
田中純一郎『日本映画発達史T〜X』中公文庫、1975・1976(原本 中央公論社、T〜V[1957]、W[1968])
筒井清忠・加藤幹郎編『時代劇映画とはなにか ニュー・フィルム・スタディーズ』人文書院、1997
冨田美香編『映画読本 千恵プロ時代』フィルムアート社、1997
橋本治『完本チャンバラ時代劇講座』徳間書店、1986
冨士田元彦『日本映画現代史U昭和二十年代』花神社、1979
―――『日本映画の創出 増補改訂版』五柳書院、1990
村上忠久『日本映画作家論』キネマ旬報社、1936
『映画年鑑』時事通信社
『三百人劇場映画講座Vol.4』財団法人現代演劇協会、三百人劇場、1987
Japanese Movie Database(http://jmdb.club.or.jp)