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 ローズマン・ブリッジから自宅に戻ったフランチェスカは、キンケイドをお茶に誘う。これまでこの映画を画面に忠実にたどってきた者ならば、家族の留守宅に初対面の男を上げようとしている人妻の行動を、今さら訝りはしないはずだ。いつものように台所でいそがしく手を使いアイスティーを入れた彼女は、キンケイドと向かいあってテーブルにつき、ときには口以上の雄弁さでもって手に語らせ、他方イーストウッドはといえば、そんな女の様子をおだやかに見守りながら、内向きに生えそろった細かい歯並びを見せて微笑み、馴れた口調で会話を進める。だがここでもっとも感動的なのは、〈顔〉の人であったはずのイーストウッドが、〈手〉としての女に触発されたかのように、あごに手をやり、あるいは答えをためらう女を手で促し、不器用ながらも手になにごとかを語らせようとしている点である。〈顔〉としての男の存在が女を魅きつけたように、今度は〈手〉としての女の存在が、男にこれまで知らなかったなにごとかを教え、両者を新たな関係に引き入れようとしているのだ。

だから夕食の準備のために二人が並んでキッチンに立ち、ともにニンジンを削ぐのに精を出すことになったとしても驚くにはあたらない。夕食後の二人きりの歓談で、ゴリラと結婚(!)した話やらアフリカの話やらを大げさな身振り手振りで話して聞かせるイーストウッドの手の饒舌さときたらどうだろう!(ちなみに、ここでキンケイドの口から語られる逸話を聞くと、ここでの彼を、オランウータンの相棒が登場する『ダーティファイター』[ジェイムズ・ファーゴ監督、1978年]やアフリカを舞台にした『ホワイトハンター ブラックハート』[1990年]といった主演作をもつクリント・イーストウッド自身に、どうしても重ねあわさずにはいられない) 椅子に腰かけたフランチェスカは、大きくひらけた口に手をあててひっくり返って笑い転げ、そんな女にますます触発されたかのように、男は赤面して顔を覆い、また愛想のいい商売人のようにさかんに揉み手してみせるだろう。思えばローズマン・ブリッジで、二人して一本の対角線をもつ矩形の上を踏破した際に、男がそっと手折った野の花を微笑とともに女に贈ってみせた時点で、〈顔〉と〈手〉の相互触発はすでに決定的な局面へと入っていたに違いない。

 二人が結ばれるのは翌日のことだ。気まずい別れ方をしたそのあくる日、ホリウェル・ブリッジで再会した二人はまた一緒に夕食をとることにする。フランチェスカは、汗ばんだ身体を先に男が使ったのと同じ湯で洗い流し、昼間何年ぶりかで新調したドレスを身につけ、キンケイドの前に現れる。その姿を見た写真家の、男ならみな息が止まるという言葉の真偽はともかくとして、V字型に胸元が大きく開いたそのドレスでもっとも印象的なのは、ノースリーヴで両腕があらわになっている点であろう。ついに女は純粋な〈手〉として男の前に姿を現し、自身の手が、自分でもどこかわからぬ地平へと自分を導いてゆく予感にただ震えているのだ。息を呑んだ男がようやくわれに返って微笑で応えてみせたとき、突然電話のベルが鳴る。口さがない近所の女友だちが、どこか他所からやってきたいかがわしい写真家に関する噂を逐一報告して聞かせようというのだが、その電話に渋々応じながらフランチェスカが視線を落とす先には、当の噂の主である写真家がこちらに背を向け座っている――そのときである。空いているほうの手をもてあまし気味に立っていた彼女が、その手をふと男の首筋へ伸ばし、シャツに沿って襟首を愛撫しはじめるのだ。驚いたのは男だけではないだろう。自分の手がすることにいちばん驚いているのは彼女自身のはずだ。これまで家事労働の部品としての自分しか知らず、そこから逃れようとしても行き場を見つけ出すことができずに結局は自身の頬に向かって回路を閉ざし、倦怠の淵に沈み込むよりほかなかった女の手が、ついに着地すべき新たな地平を見いだしたかのように、男の首筋へ向かって伸びてゆく。この思いがけない手の冒険に、男は自身の手を重ねあわせるのがやっとだ。

二人は手をとりあってダンスをはじめ、おずおずと口づけを交わす。だが映画が、触れあう中年男女の唇よりも、男の背中にしがみつくようにしてまわされた女の手を追うことに集中するのは当然のことだ。頻繁なディゾルヴがつづくこのダンス・シーンで印象的なのは、男の背中に新たな地平を見いだした女の手の動きであり、その官能的な愛撫の軌跡に比較しうるのは、フリッツ・ラングの『クラッシュ・バイ・ナイト』1952年)の、あの裸電球に照らし出された陰翳豊かなモノクローム画面のなか、ロバート・ライアンの肌着に挿し入れた手で背中をまさぐる、バーバラ・スタンウィックのなまめかしい手の動きを措いてほかにない。

……だが、幸せな時は長くつづかない。明日は家族が帰ってくるという最後の夜、フランチェスカは男と一緒に家を出るためいったんは荷造りまでするのだが、結局はとどまることに決める。後に残される夫や子どものことを考えると、いたたまれないというのだ。女は、また頬杖をついたり掌を頬に押しあてたりといった仕種をくり返し、早くも諦念の淵に沈みはじめている。そんな彼女を説得しようと、テーブルから立ち上がった男は女の背後にまわり、彼女の肩のあたりに手を這わせる。いうまでもなく、二人が結ばれた夜の女の身振りを意識的に反復しているのだ。しかしそれに対する女の答えは、頑なに自身の両手をテーブルの下へ沈めてしまうことでしかなかった……。

男は去り、夜が明ける。夫と子どもたちを乗せた――青緑色ではなく――赤い小型トラックが公道からそれた私道をまっすぐに滑り込んでくる。それを出迎えるため、女はやがて車が停止する地点を目指し、ポーチに沿って歩を進めてゆくだろう。自分自身を励ますように、すぐにまた〈家〉の隷属的な部品として酷使することになるであろう自身の手を打ち鳴らしながら、彼女はかつて男の来訪を迎え入れたときの自身の運動を苦しげに模倣し、今自分の眼の前にいる男こそがその男にほかならないのだと、無理にも思い込もうとするのだ。

 

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