第2章 満映の役割

 満映は、満州国の国策会社として、大手企業の中でも特殊な地位を占めた。その使命とは何だったのかについて、満映自身の説明がある。
  満洲映画協会は満洲国の国策会社である。日満一徳一心の道義に基づき、東亜平和を理想とする真の精神を本分とし、平時には満洲国の精神建国に重大なる責務を負う。日本及び支那等の国々に満洲国の実情を知らしめ、十分に認識せしめ、且またその他満洲国内の一般文化向上の資と供する。一旦有事に到れば、その責務や愈々拡大する。即ち日本と打って一丸となり、映画を借りて、内外の思想戦!宣伝戦!を戦わん。
以上記した意味をまとめれば、一、国民に対する満洲国建国精神の普及、徹底及び建国精神を骨幹と為す国民精神、国民思想の建設。二、外国に対する満洲国実情の紹介。三、日満一体の国策に基づく、日本文化の紹介、輸入。四、学術技芸等の向上に対する貢献。五、一旦有事になれば、映画を借り、内外の思想戦!宣伝戦!を戦い、以て国策に協力貢献する。
 文書は「映画を本分として、以上述べた各項の目的を貫徹する、これこそが協会の使命であり、協会の命である」(『満洲映画協会案内』康徳5〔1938〕年12月15日発行)と締めくくっている。したがって、満州国の国策映画の根本精神とは、平時においては民衆に植民地主義の思想と文化を宣伝し、戦時においては映画を思想戦、宣伝戦の有力な武器にすることだ、ということがわかる。
 また、国務院総務庁弘報処「満洲国電影政策及び其進化史」には、
  満洲国映画の指導精神とは、
  一、王道楽土の世界観を持つべく教育す。
  二、旧来の因習を打破し、且つ五族協和と新興国家建設に積極的に参加する心理を兼ね備えしむ。
  三、新国家建設に要する勇敢にして且つ豪気な精神を施す。
  この指導精神が満洲国映画国策の根本精神なりと信ず。(国務院総務庁弘報処「満洲国電影政策及び其進化史」 『弘宣』半月刊第31号康徳5年p16)
とあり、「王道楽土」「五族協和」の精神を教育するものとされている。
 満映理事長甘粕正彦によれば、
  満映の使命は、満人に見せる映画を作ることで、対象はどこまでも満人に置かれなければならぬ。(略)異民族に見せて喜ばれる映画はどんなものであるか、日本の映画業者は少しも研究してなかった。(略)満映は満人に喜ばれる映画を作ればいいので、日本人が珍しがるような映画をつくる必要は毫もない。(略)いま国家が要求してゐるのは、映画を通じて満人大衆に娯楽を與えることです。(略)満映は利益を追求せず、国家の要請に応える人に、叩き直して作り更へてゆかなければならないのです。その意味で、この会社は東洋で最初に生まれた国策会社です。(略)満映の映画は、満人が面白がって飛びつくようにならなければいけないのです。(略)とに角日本人の独りよがりを捨てなければ不可ない。(略)満洲の実情に沿った映画を作るように心掛けねば、此処では通用しない。(註1
と述べている。
 また、弘報処長武藤富男は、
  満洲国で、満人即ち漢民族に国家観念を培養させることは、刻下の大問題である。(略)何よりも「美」を、映画で見せて、彼等を喜ばせてやることが先決問題だ。満人に喜ばれる面白い映画が、どんどん作られて、「ああ満映は面白いものを見せてくれる」とこう彼等に思はせれば、目的を達したものと考えていい。(略)面白くてたのしい映画は、彼等にとって生活の糧であるのだ。フィルムの中に、直接国家観念が盛られてあることよりも、まづ面白いものを與えてくれることを、彼等は望んでゐる。そして彼等が、それを面白いとして、ついてくるようになれば、(略)彼等を国策に引っ張ってきてゐることになるのだ。(註2
と述べている。
 これについて、佐藤忠男は「甘粕も武藤も、満映の映画に性急に国策の宣伝を盛り込むことを要求はしなかった。(略)映画は植民地政策における飴と鞭の飴のほうでなければならないと考えていたからだった。(略)その飴は、それをなめつづけることによって漢民族が日本に従いてくるようなものでなければならないのだった。だから、満映が存在しなければならないのだった。」(註3)と考察している。
 もちろん、「企業と国策との調和の上に発展しなければならぬ満洲映画は、民衆に健康な慰安を與へ作ら満洲国の具体的な姿を「視覚的文化」作用によって理解さす使命を有つものである。」(註4)という露骨な論調は多かったが、一方で、次に挙げるような主張が数多く見られた。
 1937年12月上旬に中国北部の日本映画市場視察を終えた矢間晃は、
  純然たる日本映画では、支那大衆に受け入れられない事は、誰でも肯定出来ることである。(略)北支に於いて要望される映画は、支那演員による映画の製作である。(略)日本映画界の北支進出は先づ中華民国の実情を理解することからはじめなければなるまい。(註5)
と語っている。同様に、
  映画を観る者は全満洲国国民である。(略)何より最も注意を要することは、日本人が、どんなに喜んだり楽しんだり悲しんだりして見ても、満洲人には全く何ともないやうなものは作っては駄目であることである。(註6
といった意見もある。
 1938年の政府役人と満映社員たちとの座談会で、満映企画室主事山梨稔は「満映は文化工作の一翼を引き受けて、或る程度までは娯楽を中心としたものを作ってゆかなければ民衆が可哀相です。兎に角出来るだけ多くの人々を楽しませる映画を作らなくてはいけないと思ひます。」と述べ、国務院弘報処仲賢礼はこれに賛同し、「民衆に映画を見せるくせをつける事、そして又面白いものを作って民衆を喜ばせる事が必要です。」(註7)と言っている。
 また、
  我満映はどういう劇映画を作るべきかといふ事だが、如何に国策といっても余り国策臭くてはこれはどうかと思ふ。(略)朗らかに、希望に輝く、痛快な、面白い無条件に楽しめるものでなければならぬと思ふ。そして此の内に種々国策的な文物施設が織込まれる事は勿論である。(註8
と言う人があり、さらにこう言う人もいる。
  私は満人映画が彼等の真実の生活が描き出されることを希望したい。私が満人映画は満人に委せろと云ふのは私の希望がそこにあるからなのである。満洲人の悠久な民族性、残忍な理由観念、根の少しも張ってゐない形式的な道徳律−こうしたものに浸透して彼等の生活を自由に捉へることが出来るのは今の所満人以外にはないのだ。(註9
 以上見てきたように、いずれも共通して、国策を前面に掲げたものよりも、まず中国人が楽しめる映画を作るべきだ、そしてそれには中国人の生活を理解し、実情を把握しなければならず、また中国人の手でそれを作るべきであるといった主張である。
 満映の使命、役割とは、日本側からすれば、満州国の国策宣伝が目的には違いないが、あくまでも中国人のためのものである以上、中国の実情を考慮し、喜ばれ、好まれる映画を作ることにあったと思われる。しかし、喜ばれるようにというのは、あくまでも宣伝工作のためにまず映画に馴染ませよう、という意図からであったこと、そして中国人に満州国の正当性を理解させ、従わせるという目的に向かう第一歩であったことは、否定できないであろう。
 中国側の満映に対する見方は、映画を通じて民衆に娯楽を与えようとするのではなく、映画という大衆に受け入れられやすいメディアを利用して、民衆に植民地主義の思想と文化を注入しようとし、つまり、映画を芸術の一つとはみなさず、宣伝の道具として利用し、統治強化の手段として育成した、というものである。(註10

註1 甘粕正彦「満人のために映画を作る」『映画旬報』1942年8月1日号グラフ
註2 武藤富男「満洲は世界一の映画国になる!」『映画旬報』1942年8月1日グラフ
註3 佐藤忠男『キネマと砲声』リブロポ−ト1985年9月 p82−83
註4 槙一郎「満洲映画の現段階−製作を中心として−」『満洲映画』日文版康徳5(1938)年6・7月号 p13
註5 矢間晃「北支の映画界を観る」『満洲映画』日文版康徳5年2月号 p9
註6 赤川孝一「新しき満洲映画に求むるもの」『満洲映画』日文版康徳5年4月号p14〜16
註7 「明日の満洲映画を語る」『満洲映画』日文版康徳5年6・7月号p14〜19
註8 伊東弘「日本映画と満洲映画」『満洲映画』日文版康徳5年6・7月号p50〜51
註9 佐藤孜郎「「新しき満洲映画に求むるもの」『満洲映画』日文版康徳5年4月号p21〜22
註10 胡昶・古泉『満映 国策映画の諸相』パンドラ 1999年9月 p38参照

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