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映画は思考する
ピーター・フォンダ『さすらいのカウボーイ』
映画的空間の厚み 

第六回

第六回
ドライヴ・イン・シアターと地域共同体

加藤幹郎

 ルブライト財団の助成を受けて、いまアメリカに映画研究に来ている。これまで本欄では新作映画の批評をおこなってきたが、これからしばらくアメリカの新旧の映画事情を紹介してゆきたい。
 
がなければ郵便局にもゆけない広大なアメリカは、同時に駐車場がなければ何も始まらない国である。そこでごく自然に駐車場と映画館を合体させるアイディアが生まれる。夜間、車から降りることなく映画を見ることのできる屋外施設ドライヴ・イン・シアターが初めて誕生したのは一九三三年、アメリカはニュージャージー州でのことであった。この世界初のドライヴ・イン・シアターの構造は、巨大スクリーンを中心に敷地をすり鉢状に整地し、さらにそれを雛壇状に区切って各段に駐車スペースを設けたものであった。映写室は最前部中央に位置し、スクリーン脇に指向性スピーカーがおかれ、そこから最後部の観客のために大音量の音が流された。
 
ライヴ・イン・シアターがアメリカで本格的な流行を見るには第二次大戦後を待たなければならない。終戦直後、全米で百軒ほどしかなかったドライヴ・イン・シアターが、大衆車文化の到来とベイビー・ブームと住宅地の郊外化の波にのって一九五〇年代初頭にはその三〇倍に急増する。ドライヴ・イン・シアターはベイビー・シッターを雇う余裕のない若い両親に、たとえ上映中に赤ん坊が泣いても周囲に迷惑をかける心配のない、もっとも安価な娯楽として広く受容された。
 
ライヴ・イン・シアターが五〇年代半ばに黄金期をむかえるのは象徴的なことであろう。それはテレヴィ産業が映画産業を蚕食する時期と正確に重なる。ドライヴ・イン・シアターは大衆の映像音響体験がちょうど映画からテレヴィへと移行する時期にピークをむかえる。ドライヴ・イン・シアターは、家族を中心に構成された車内という閉域のなかで享受されるという点で、家庭でテレヴィ放送を楽しむのに似ている。映画館でコメディを見れば、ひとりひとりの笑いがやがて館内全体を包み込む巨大な笑いへと反響するが、ドライヴ・イン・シアターの観客の笑いは広大な敷地のなかの小さな車内だけのものである。映画館という公共圏のなかに私的空間をむりやり挿し入れたもの、それがドライヴ・イン・シアターである。そこでは映画を通して、ほかの大勢の観客と連帯感をもつことは難しい。
 
方、映画を上映できない昼間のドライヴ・イン・シアターの利用法も案出された。五〇年代半ばのアメリカのドライヴ・イン・シアターのじつに九割が小型遊園地をそなえ、暗くなる前から各種イヴェントが開催され、週末には生伴奏でダンスもでき、地域住民(隣人/親子/恋人)に相互交流の場を提供した。昼間はまた地元教会に屋外説教地として無料開放された。神父は映写室の上からスピーカーを通して、車で乗りつけてきた信者たちに神の恩寵と地獄の恐怖を説き、会衆には地元企業から無料でコーヒーとドーナツがふるまわれた。こうしたイヴェントを通じてドライヴ・イン・シアターが地域の共同体形成に貢献したことは想像にかたくない。それは娯楽や信仰を通じて地元住民が交流する場所でもあったのである。

(『産経新聞』2002年9月25日号より転載)