CineMagaziNet! Essays
映画は思考する
シネマ・コンプレックス
擬似人格/映像/「美少女」 

第十回

第十回
ノワールな街

加藤幹郎

 のサンフランシスコはノワールな街となる。二か月ものあいだ快晴がつづいた秋の日々が嘘のように、鉛色の海と空がひろがり、夜ともなると濃い霧が街を包み込む。海からの風が霧を流しているのが車のヘッドライトや街灯越しにわかる。
 
ンフランシスコはフィルム・ノワール(暗黒映画)と呼ばれる映画ジャンルを生み育てた街である。ネオンに照らし出され、漆黒の闇と白い霧に覆われた都会人の孤独と犯罪を描いたこのジャンルは、ナチス・ドイツの反ユダヤ人政策がアメリカへの多数のユダヤ人亡命者を産んだ三〇年代に胚胎され、一九四〇年代から五〇年代にかけて流行した。それから一九八〇年代から九〇年代の日米経済摩擦とバブル・エコノミーの崩壊、そして湾岸戦争とともにフィルム・ノワールは再流行の兆しを見せている。『ブレードランナー』や『LAコンフィデンシャル』といったロサンジェルスで撮られたSF映画や刑事映画もまた広義のフィルム・ノワールである。
 
の時期、サンフランシスコの映画館は自分たちの街で五〇年代に撮られたフィルム・ノワールをこぞって特集することになる。ゲイの地区として有名なカストロで営業をつづけるカストロ劇場もまたノワールな季節にノワールな映画の特集を組む映画館のひとつである。
 
ストロ劇場は一九二〇年代に建てられた映画宮殿(ムーヴィー・パレス)である。映画が娯楽の王様であった一九三〇年代、映画館は映画宮殿と呼ばれる五千名前後収容の豪華絢爛たる巨大劇場によって代表されていた。それはヨーロッパの王宮を模した真に豪勢な空間を大衆に提供した。壁面には重厚なウォルナット材が張られ、床には革張りのソファや猫足のテーブルといったフランス骨董家具が並べられ、大理石張りのトイレやレストランなど、ハリウッド映画の夢の世界を現実に転写する息のつまるようなスノッビシュな(自分が属する階級よりも上の階級の習慣を模倣する)空間が安価な入場料とひきかえに大衆に提供された。アメリカ各地では、現在、往時のそうした巨大映画館を文化財として現役保存する運動が定着している。
 
かしながら、すべてのものは時とともに変化する。そうした映画宮殿クラスの豪奢な劇場の保存運動からこぼれ落ちる映画館もまた多数ある。わたしが住むハイド通りから歩いてすぐのポーク通りに面した中規模サイズのアルハンブラ劇場もまたこぼれ落ちた映画館のひとつである。その名の通り、エキゾチックな尖塔をそなえたこの地元映画館は、人目を惹くその異国情緒豊かな外観をそのままに、内装だけを変えて現在はスポーツ・ジムとして地元のひとびとに愛されている。バブル経済期の東京や大阪のように無駄の多いスクラップ・アンド・ビルト形式は欧米では通用しない。実際、多くのアメリカの映画館が外観はそのままに書店やジムや教会へと生まれ変わっている。
 
日、映画館は十枚前後のスクリーンで複数の映画を並行上映するシネマ・コンプレックスが主流である。そうしたシネマ・コンプレックスに生まれ変わらないかぎり、従来の映画館が生き残る道は険しい。三百チャンネルを超えるケーブル・テレヴィが浸透したアメリカの家庭では、もはや近所の映画館はそのエキゾチックな外観を残したまま、内装を完全に変えて新しい用途の需要に応えるしかなそうである。

(『産経新聞』2003年1月29日号より転載)