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映画は思考する
西部劇映画学会国際大会
ノワールな街

第九回

第九回
シネマ・コンプレックス

加藤幹郎

 つて常設映画館は多くの場合、商店の立ち並ぶ繁華街に立地していた。今日(一九八〇年代以降)、主流映画館の多くは劇的変貌を経験し、シネマ・コンプレックス(複合映画館)という新形態を採っている。もっぱら公共交通機関網(ハイウェイをふくむ)の発達した都市近郊のショッピング・モール内にコンパクトに展開し、その点では過去の映画館が商店街やデパートのなかに位置したことと著しい共通点を示している。映画を見ることとショッピングは、永遠に所有しえないものを永遠に欲望するという点でよく似ている。映像(スクリーンの向こう側にあるもの)は観客にとって永遠に所有不可能であるし、商店で扱われる商品もまたつねに新製品(流行品)に取って代わられつづけることによって永遠に所有不可能な次元にとどまる。
 
ネマ・コンプレックスは一箇所で複数の(およそ一〇本以上の)映画作品を並行上映する施設であり、複数の映画館がボックス・オフィスや映写室、売店など映画館に必須の諸設備を共有できる点で経営者に有利な統合施設である。では観客の立場からすればシネマ・コンプレックスの利点は何だろうか。おそらくそれは自分が見る映画をそこに行ってから選べるという点にある。つまりあらかじめ見るべき映画作品を選定したうえで、しかるべき時間にしかるべき映画館に行くという従来の習慣が稀薄になったのである。
 
ネマ・コンプレックスに映画を見に行くということは、ショッピング・モールやデパートに買い物にsくことと同様、かならずしもあらかじめ何を買うかをはっきり決めてから行動に移る必要のない、大量多種商品の展示販売による消費者の自由と気まぐれを保証する。服を買う、あるいは映画を見るという最低限のことさえ決めていれば、あとは行った先でなんとかなるということである。
 
ネマ・コンプレックスの登場にともなうこの新しい映画習慣の浸透は、それがショッピング・モール内に位置するという立地条件ともかなっている。上映開始時間を待つあいだにショッピングをしてもいいし、映画を見た後に、先程スクリーンのなかの俳優が身につけていた/使っていた/飲んだり食べたりしていたのと同じものを映画館を出て買い求めることもできる。スクリーンの向こう側の世界で垣間見たあのきらびやかな事物は、いまここに商品として並んでおり、代価と引き換えに確実にあなたのものにすることができる(商品は購入されたとたん、先ほどスクリーンのなかで放っていたはずの光輝を失い、蒼白した表情を帯びることになるだろうが、それでも触知不可能な映像からいつでも自由に手に取ることのできる所有物となった商品はあなたに束の間の喜びをあたえてくれることだろう)。
 
なたはスクリーンの向こう側に住む俳優/登場人物たちに自己同一化することで映画を楽しんだのだから、映画館を出た後も、彼らが消費していたものと同じものを手に入れることによって、スクリーンのこちら側でもひきつづき幻想を見ることができる。こうして映画は観客にショッピングをうながし、ショッピングは映画と同様の幻想を購買者にあたえることになる。

(『産経新聞』2002年12月25日号より転載)