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ケン・ローチ『ブレッド&ローズ』(2000年、110分)

労働者の豊かさを探査し続けるメディア

――ケン・ローチ『ブレッド&ローズ』『ナビゲーター ある鉄道員の物語』

 

大沢浄

 

うまでもないことであるが、ケン・ローチは、一つのメディアである。筋金入りの社会主義者によるその映画は、われわれ――とりわけ「小ブル」――と彼らプロレタリアートとを媒介する。たとえば『ブレッド&ローズ』を見る者は、ロサンゼルスのジャニター(ビル清掃員)達による新しい労働組合運動の実践のカリカチュアを、『ナビゲーター』を見る者は、英国国営鉄道の民営化によって鉄道員たちの暮らしが押しつぶされていく具体的な過程を知らされることになる。この世界は人間を疎外する仕組みであふれている――とある鉱山の町に暮らす少年は周囲の無理解と管理によってほとんど窒息させられてしまうし(『ケス』)、出所したばかりの青年が働くのはいつ死者が出てもおかしくない危険な工事現場であるし(『リフ・ラフ』)、都会にすむ娘(『家庭生活』)や子供達を愛するシングル・マザー(『レディバード・レディバード』)は劣悪な環境と自らの無知との悪循環の牢獄に囚われることだろう。権力によって発声することを妨げられ断念させられている存在に代わって声を上げてやること、これがローチの一貫した姿勢であり、このあくなき啓蒙の実践によって、見る者はこの世界の不可視の部分に絶えず向き直される。


際、単に落ち着きのない二流映画に過ぎないスティーヴン・ソダーバーグの――彼自身はローチを敬愛しているわけだが――『トラフィック』によって犯罪組織の「グローバル化」を納得してみせるよりは、『ブレッド&ローズ』に挿入された清掃員たちの歴史的なデモ映像を眺めることのほうが、アメリカとメキシコの間で起こっていることについてはるかに役に立つことを知らせてくれる1。そしてフィクションの形式を積極的に選択し、「批評家たちは筆遣いを吟味するだろうが、画法の内容に立ち入って見ることはしない。」2と言ってのけるローチは、もちろんこの啓蒙の役割に自覚的である。


かし、完全に透明なメディアなどかつて一度たりとも存在しなかったように、ローチの映画もその語る吐息を、描写する筆遣いを雄弁に示してしまうだろう。たとえば『ケス』や『マイ・ネーム・イズ・ジョー』におけるサッカーのシーンの積極的な停滞感、傑作『レディバード・レディバード』におけるマギー(クリシー・ロック)の慟哭と怒りに震える身体、『レイニング・ストーンズ』におけるボブ(ブルース・ジョーンズ)の頭を覆う黒い毛糸の帽子のえもいわれぬ可笑しさ等々。ここにあるのは労働者たち=人間の細部についての豊かな表象の氾濫ぶりであり、それこそが真に政治的なものである。ローチ映画がヒューマニズム(人間中心主義)に基礎を置くとすれば、この細部の文脈においてである。


『ナビゲーター』の冒頭は、新鉄道会社発足とそれに伴う鉄道員たちの身分変動を主任が説明するシーンである。中間管理職であるこの男は真っ当に、しかもかなりの善意を持ってその責務を果たそうとするのであるが、無知と不信と断念とによってその言葉をまぜっ返し、悪態を突く鉄道員たちの方は、まさにそうすることでしか人生を享受できないのであり、逆に言えばそこにこそ人生の豊さや意外さといったものを見出しているのである。『リフ・ラフ』や『マイ・ネーム・イズ・ジョー』といった、イギリスの地方に生きる男どもの友情(と別れ)を描いた映画の系譜に連なる『ナビゲーター』は、ローチの戦う果てしない局地戦の新たな輝かしい成果である。


れに比べると、ローチがハリウッドで初めて撮った映画『ブレッド&ローズ』は(あえて)細部を取り逃がしているように見える。映画が始まってから90分位は、まるで30年代のできの悪いハリウッド映画のようなのだ。不法入国/就労の若きメキシコ人女性と労働組合の若きリーダーである白人男性とのロマンスが、定められていたかのように屈託なく進行していく。主人公女性に思いを寄せながらも大学進学の夢のため組合活動を断念する男性は、最後まで三角関係を構成することはないし、次々と解雇されゆくマイノリティ系女性清掃員たちも、あくまで二人のロマンスの後景に留まっている。見る者は、映画の終盤になって、それまで口を閉ざし画面の中心を占めることのなかった主人公女性の姉が、妹に向かって己の感情を爆発させる段になってはじめてこの物語に納得することができるだろう。それまでのすべては、姉妹が対峙するこのシーンを準備するためにあったのだと。しかしそれにしても、プロットがあまりに単純化されすぎているのではないかとの戸惑いは残る。  『11′09″01/セプテンバー11』において、チリの軍事クーデターへの内政干渉の記憶を呼び起こすことによって「アメリカ」に痛烈な一撃を放ったローチだが、表象の王国たる「ハリウッド」に対してはまだ十分に対抗する術を見つけていないのかもしれない。しかし、アメリカの多くのメディアの賞賛を勝ち取った『ブレッド&ローズ』について、今はその戦略の是非を判断する十分なゆとりはない。いずれにしても、ローチ映画における労働者=人間の豊かさに遭遇するためにわれわれは『ブレッド&ローズ』を見に行かなければならないし、スコットランドを舞台に久方ぶりに少年を主人公に据えたというその新作『Sweet Sixteen』も刮目して待ちつづけなくてはならないだろう。

 

 

※『ナビゲーター ある鉄道員の物語』と『ブレッド&ローズ』は、12月7日より大阪・梅田ガーデンシネマにて公開予定。



1 ついでに言うならば、ソダーバーグはルーベン・マムーリアンの『歌へ陽気に』(1936)の出鱈目さ(オペラ歌手と新婚夫婦とギャングが入り乱れる)に真剣に驚くべきである。

2 グレアム・フラー編『映画作家が自身を語る ケン・ローチLoach on Loach』村山匡一郎+越後谷文博訳、フィルムアート社、2000年、147頁。