加藤幹郎著『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』(筑摩書房2004)を読むための用語解説(入門篇1)

今井隆介

R指定
 1968年から施行されたレイティング・システムにおける区分のひとつ。Rは「16歳未満の観客は親または大人の同伴が必要」とされ、G=一般向け・M=成人向け・X=16歳未満入場禁止と区別される。1930年に策定された映画製作倫理規定(プロダクション・コード)は責任者の名前をとってヘイズ・コードとも呼ばれ、あらゆるハリウッド映画に適用されてきたが、1950年代後半から運用が破綻し1966年にはすでに大幅な改訂が行われていた。しかし1968年、最高裁においてわいせつ物に関する基準を各地域にゆだねるという裁定が下り、映画についても子供にみせてよいかどうかは州あるいは都市単位で判断してよいこととなった。一本の映画に対して格付けが複数できてしまうと配給興行の面で混乱をきたすため、映画業界は先手を打って新たな統一規定すなわちレイティング・システムを設けたのであった。(↑INDEX

アイマックス・シアター IMAX theater
 映画史上最大のフィルム(面積にして標準的な35mmフィルムの約十倍)を上映するために設計された映画館で、IMAXとはimage maximizationまたはmaximum imageを略したものである。実際スクリーンは8階建ての高さに相当するが、単に超大型の映画館というだけではなく、観客の視界を覆い尽くすようにスクリーンを設置してあるため、観客は映像の中に没入するかのような感覚を味わうことになる。特殊な装置と巨大な建物を要するため、1970年に登場して以来大規模なテーマパークや科学博物館等での運営に限られているが、最新のIMAX 3-Dシステムでは観客にそれぞれイヤホン付きゴーグル(両眼の液晶パネルが映像と同調して交互に開放と遮蔽を繰り返す)を配布して立体視の体験を提供しており、映画館のありうべき将来像を提示する実験場として重要である。(↑INDEX

『アンダルシアの犬』 Un Chien Andalou(1928)
 大西洋を股にかけて活躍した巨匠ルイス・ブニュエルの監督デビュー作にして、サルヴァトール・ダリが共同脚本を手がけたことでも有名なアヴァンギャルド映画の傑作。二人は映像による「自動記述」をもくろみ、パリのアヴァンギャルド映画専門館で上映されて「映画におけるシュルレアリスム宣言」と賞賛された。物語論的な整合性を否定する一方で、図像の一致(剃刀で切り裂かれる眼球と闇夜に浮かぶ月)や比喩の字義通りの映像化(掌を這い回る蟻の群れ=しびれの謂い)を試みており、ロバの死体をのせたピアノを引っ張る神父など、アンチ・カトリシズムを匂わせる箇所もある。1960年、還暦を迎えたブニュエルは自身の監修のもとに音楽を入れた本作のサウンド版を製作しており、現在流布しているものはほとんどがこのサウンド版である。(↑INDEX

イスタブリッシング・ショット establishing shot
 シーンのはじめかそれに近いところにあり、多くの場合、直前のショットと時空間的に連続しないことによって新たなシーンの開始を印象づける句読点的なショット。ロング(中景)・ショットから超ロング(遠景)・ショットが一般的。シーンの時刻(朝なのか夜なのか)や場所(都市だとすればそこはどこなのか)、その他出来事に関する基本的な情報を観客に与える役割を担う場合には、状況設定ショットと呼ぶこともある。パン(カメラを水平方向に首振りさせる撮影)や移動撮影によってショットの持続時間を長くとることもあれば、状況説明という目的を一貫させつつ断片的な短いショットをいくつか連ねてこれに代えることもある。(↑INDEX

『イワン雷帝 第一部』 Ivan Groznyi (1944)
 モンタージュ理論とともに映画史にそびえ立つセルゲイ・エイゼンシュテインの遺作。ロシア帝国の礎を固めた〈雷帝〉ことイワン4世の半生を描く三部作として企画され、ドイツと悪戦苦闘していた時期にふさわしく、第一部は主人公が内憂外患を退けて民衆の支持を得るまでを描いている。第二次大戦後完成した第二部(1946)は共産党中央委員会から厳しい批判を受けて改作を余儀なくされ、エイゼンシュテインの急死(1948年)によって第三部は未完のまま終わり、第二部が完成当初の形で公開されたのは「スターリン批判」以後の1958年であった。なお第二部は結尾にエイゼンシュテイン作品で唯一カラーフィルムが用いられており、その色彩設計の一部をかいま見ることができるが、これは第二部製作中にソ連がドイツのアグファカラー・フィルム現像所を接収した結果実現したといわれている。(↑INDEX

隠喩 metaphor
 修辞法のひとつ。隠喩法の略、あるいは隠喩法による表現をさす。最も広く使われている修辞法で、行動や概念、物体を記述するために、喩えとして全く異なる他のものを意味する言葉を用いる。喩えられるものとその喩えに用いられているものとの比較によって成立するが、「たとえば」「あたかも」「さながら」「如し」「ようだ」などの語を用いて直接比較する直喩法(simile)とは異なり、比較は暗示的なものにとどまる。このように隠喩法と直喩法は相反関係にあり、直喩を明喩とも呼ぶのに対して隠喩は暗喩と呼ばれる。(↑INDEX

オーソン・ウェルズ Orson Welles (1915〜85)
商業主義に抗した「孤高の作家」として崇敬されるアメリカの俳優・プロデューサー・監督・脚本家。ウィスコンシン州に生まれ、大学を中退して世界旅行中に俳優生活を始める。帰国後劇団を結成する一方、1938年にH・G・ウェルズの『宇宙戦争』を迫真のラジオドラマに仕立て上げて脚光を浴び、26歳で手がけた自作自演のデビュー作『市民ケーン』はパン・フォーカスなど斬新な技法を巧みに取り入れて、今日なお映画史上の最高傑作と賞賛されることが多い。その後興行的失敗が相次いで事実上ハリウッドから追放され、後半生の大半をヨーロッパで過ごしたが、革新的な技法を駆使する映画作家として国際的に活動した。『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)、『上海から来た女』『マクべス』(ともに1948)、『オーソン・ウェルズのオセロ』(1952)、『黒い罠』(1958)、『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』(1966)など自作に出演することが多いが、俳優としてほかの監督作品にも多数出演しており、なかでも『ジェーン・エア』(1943)や『第三の男』(1949)が有名である。(↑INDEX

エディプス・コンプレックス Oedipus complex
 精神分析用語で、人が両親の双方に対して抱く愛情や憎悪など、無意識的な欲望のすべてをさす。エディプスとはスフィンクス退治の逸話で有名なオイディプスの英語名であり、ソフォクレスの悲劇2編によれば生後まもなく父王に捨てられ、長じてそれと気づかぬまま実父を殺害し実母を妃として王位を簒奪したが、のちに真相を知って自ら両目を潰し流浪の生涯を送ったという。精神分析学の祖フロイトは、神経症者の診察を通して幼児期における両親に対する無意識的な願望を発見し、これを伝説にちなんでエディプス・コンプレックスと名付け理論化した。フロイトによれば3〜5歳の男根期に激しくなり、男児は去勢不安(去勢コンプレックス)を経ることによって、女児は男根の獲得(ペニス願望)をあきらめて子供を得たいという望みに移行することによっていずれも無意識化され、同性の親への同一化が促進されることになる。(↑INDEX

マックス・エルンスト Max Ernst (1891〜1976)
 ダダおよびシュルレアリスムを代表する画家。ドイツに生まれ、のちパリに移住。1922年にはシュルレアリスム運動に参加し、互いに関係のないイメージを組み合わせるコラージュ(ゾーイトロープと横たわる少女を組み合わせた『カルメル会修道会に入ろうとしたある少女の夢』など。「夢」を作り出す光学装置に関する作品は他にも『百頭女』がある)や物体表面の質感を写し取るフロッタージュ(石墨による摩擦画)、キャンバスの下に凹凸のあるものをおいて絵の具をかき落とすグラッタージュ、絵の具のむらを「自動的に」作り出すデカルコマニーなど、様々な工夫を凝らした作品を制作した。第二次世界大戦勃発後、敵国人としてフランス当局に逮捕され一時収監されたが、1941年に渡米。1953年フランスに戻り、終生を同地で過ごした。代表作に『セレベスの象』、『雨後のヨーロッパ』などがある。(↑INDEX

エンタシス entasis
 建築・美術用語。円柱の柱身が中央部でややふくらんでいる様子のことで、古代建築、とくに古代ギリシアの神殿などに見られるものをさすことが多い。柱の自重を軽減しようとして上へ行くほど細くなるよう設計する場合、直線的に直径を小さくしたのでは柱の中央部がくぼんでいるように錯覚して安定感に乏しくなるのでこのような工夫が施されているという。また柱の重心を低くして力学的な安定性を増すためともいわれているが、曲線の優美さがもつ心理的な要素の方が大きいと思われる。日本語で胴張りと呼ぶこともあり、とくに法隆寺のものははるか西方の文化がシルクロードを伝わって日本まで伝播した証拠とされる。(↑INDEX

カタルシス catharsis
 原義は古代ギリシア語で「清浄な(カタロン)ものにすること、浄化」の意。祭儀の場で罪やけがれを除くお祓いや、医術において体内の不純物を排泄させる手だてをいったが、さらに音楽や哲学などの諸分野において広く「純化」を意味した。しかしアリストテレスが『詩学』第六章で「悲劇の目的は観客に憐憫と恐怖をひきおこしてこの種の感情のカタルシスを得ることにある」と定義して以来、観客の感情を揺さぶって心理的に鬱積していたものを発散させ、心を重圧から解放する作用を指してカタルシスと呼ぶようになった。芸術の営みを広く感情の表出とみなすならば、カタルシスは演劇に限らず芸術一般に該当する概念ともなる。また、精神医学はカタルシスを理論化して精神療法の重要なメカニズムのひとつとしており、無意識中の精神的外傷(トラウマ)や抑圧(repress)されていた感情・欲望・思考などを言語行為、または情動として表現(express)することによって消散させようとする。(↑INDEX

グーテンベルク Johannes Gutenberg (1400?〜68)
 ドイツの印刷業者・活版印刷の開拓者。ヨーロッパで最初に金属鋳造の活字による手組印刷をおこなったとされるが、生涯や業績についての詳しい記録はほとんど残されていない。通説にしたがえば、1445年ごろ合金をつかった活字を製作、さらにブドウ絞りの機械からヒントを得た活版印刷機を発明したという。この発明の重要性は、従来必要に応じて木版を製作していた印刷技術を刷新したことばかりではなく、書物を大量に複製可能な消費物とし、勃興しつつある市民階層にとって不可欠な商品へと押し上げたことである。活版印刷は活字メディア時代の到来を準備し、宗教改革や、のちには新聞の形で市民革命に大きく貢献したとされており、そのため火薬、羅針盤とともにルネサンスの三大発明に数えられている。(↑INDEX

クレジット・タイトル credit titles
 映画の製作にたずさわったスタッフのうち、各部門の責任者をその役職とともにリストアップしたもので、主役級の役柄を演じる役者はもちろん、監督、プロデューサー、撮影監督、美術監督、原作者や脚本家、作曲家、衣装デザイナーなど多岐にわたる。横書きの場合画面下から上、縦書きなら右から左へスクロールすることが多いため、「タイトル・ロール」あるいは「クレジット・ロール」とも呼ばれる。普通は映画の冒頭や導入シーンまたはシークエンスのあとに置かれるが、省略されることも少なくない(フランソワ・トリュフォーは『華氏451度』(1966)において題名からスタッフ、キャストをすべて音声でアナウンスし、文字による表示を拒否した)。クレジット・タイトルは当初、本の表紙や目次のように静止画でそっけないものが普通だったが、映画の「顔」として内容に相応しい第一印象を観客に与えるべく様々な工夫が凝らされるようになり、ソール・バスやモーリス・ビンダーら「タイトル・デザイナー」と呼ばれる専門家が登場して腕を競い合うようになった。(↑INDEX

クロース・アップ close up
 被写体にカメラを近づけ、対象物を全体から切り離して大きく撮影した画面をいう。人物でいえばバスト・ショット(人物の上半身をとらえたショットで、フル・ショットのほぼ2倍の大きさ)より大きくとらえた画面サイズで、頭部から肩の一部が収まるのが普通である。クロース・アップは人物の表情を間近でとらえ、その感情や心理状態を拡大して提示するため、観客と人物との間に親密な連帯感を構築することができる。映画が演劇から離れて独自の表現手法を獲得したのもこうしたクロース・アップ機能の発見によるところが大きく、その洗練と公式化はおおむねD・W・グリフィスの功績とされている。またクロース・アップは事物で画面を満たすため、観客の視線を否応なしにその対象に向けさせることができ、特定の小道具を強調して印象づけたり、象徴的な意味合いを含めたりする際にも用いられる。なお、対象となる事物をさらに大きくとらえたものは超クローズ・アップと呼んで区別される。(↑INDEX

ジャン=リュック・ゴダール Jean-Luc Godard (1930〜 )
 フランス(のちスイス国籍を取得)の映画監督。映画史上最も政治的かつ過激な映画作家のひとり。パリに生まれ、アンドレ・バザンの主催する映画研究誌『カイエ・デュ・シネマ』において批評家として活動を始めたのち、『勝手にしやがれ』(1959)を発表。以来、政治的にも技法的にも革命的な作品を連発して同世代のフランスの映画監督らとともにヌーヴェル・ヴァーグの一翼を担い、今日もなお映画史を更新し続ける存在として耳目を集めている。音の処理・編集・カメラワークなど即興性を重んじた演出は、既存の定式化された映画文法を解体し映画の概念に再考を促すものであり、「映画史は〈ゴダール以前〉と〈ゴダール以後〉に区分される」と評されることもある。作品に『カラビニエ』『軽蔑』(ともに1963)、『アルファビル』(1965)、『メイド・イン・USA』(1966)、『中国女』『ウィークエンド』(ともに1967)、『万事快調』(1972)、『ゴダールのマリア』(1984)、『新ドイツ零年』(1991)などがある。(↑INDEX

『サイコ』 Psycho (1960)
 アルフレッド・ヒッチコック監督作品。ウィスコンシン州の猟奇事件に取材したロバート・ブロックの同名小説が原作で、母親を殺害しておきながら、その事実を否認するために母親を自作自演する息子を描いたファミリー・メロドラマ・恐怖映画の古典。映画化に際してヒッチコックはテレビ番組『ヒッチコック劇場』のスタッフと設備を使い、破格の低予算(80万ドル)で完成させた。有名なシャワー・シーンは実質一分程度しかないが、70以上の短いショットで構成されており、四週間あった撮影期間のうち一週間を費やして撮影された。徹底的な秘密主義のもとで製作され、また観客の途中入場を認めないという異例のキャンペーンを行ったが、これは観客の旺盛な感情移入力を逆手にとって観客を二度戦慄させるプロット(感情移入していたヒロインが殺害され、のちに異常者の青年にさえ感情移入していたことが判明する)を十全に機能させるためでもあった。なお、惨劇の舞台となるモーテルとベイツ邸は現在ロサンゼルスのユニバーサル・スタジオで見ることができる。(↑INDEX

サウンド・トラック sound track
 映画フィルムにおいて、音声を記録するために設けられた録音帯のこと。最初の長編トーキー映画『ジャズ・シンガー』(1927)等で用いられたディスク式のヴァイタフォンとは異なり、フィルム上に音声情報を書き込むため映像との同調が容易で、1930年ごろから急速に普及した。磁気式と光量を電気信号に変換する光学式があり、後者はさらに濃淡型と面積型に二分され、写真と同じ要領で現像と焼き回しを行う。磁気式は光学式より幅が狭くできるため、今日では35mmフィルムでも光学式2本と磁気式4本で計6本のサウンド・トラックをもち、セリフ、効果音、音楽等を個別に録音・再生することができる。なお、この語を映画音楽の代名詞とする用法は、1970年以降音楽用サウンド・トラックをレコードのかたちで市販する「サントラ盤」の普及とともに広がったと考えられる。(↑INDEX

サブライム(崇高美) sublime
 カントの『判断力批判』(1790)によると、「崇高なものとは、それと比較すると、ほかのすべてのものが小さいものとなるもののことである」とされ、崇高なものはこれに相対する者に自らの無力さを痛感させて人間存在の有限性を証明する一方、それが崇高なものであることを理解する感情は人間の知性のうちにあるとして、自然に対する人間の一定の優位性を証明できるとする。すなわち、自然に向かい合ったときに自らを無能だと感じる不快感は、崇高を判断する絶対的な尺度としての理性が自らのなかに存在するという喜びの感覚によって相殺されるのである。カントによる崇高の分析は倫理学の一環として文化の本質と目的についての説明と関連することになり、最近ではポストモダニズムを解明する手段として新たに取り上げられている。(↑INDEX

『サンセット大通り』 Sunset Boulevard (1950)
 ビリー・ワイルダー監督作品。ハリウッドを舞台とする自己言及的なハリウッド映画は数多く存在するが、なかでも最も辛辣で残酷な作品のひとつ。語り部たる主人公=売れない脚本家が、死体となってハリウッドの象徴たるプライベート・プールに浮かんでいるという冒頭からしてすでに絶望的であるが、映画監督だったかつての夫を執事に使い、時代錯誤的な企画で復帰を夢見る無声映画時代の大女優の鬼気迫る自己陶酔には、豪邸の陰鬱さと相まってゴシック・ホラーの趣さえある。配役も、実際に凋落していたグロリア・スワンソンとサイレント映画の巨匠エーリッヒ・フォン・シュトロハイムをそれぞれ本人そのものの役柄に抜擢しており、シュトロハイム監督、スワンソン主演の未完作『ケリー女王』(1928)の断片を劇中で上映するという念の入れようである。(↑INDEX

シークエンス sequence
 物語映画において、挿話としてある程度まとまりをもった部分。区別は曖昧だが、一般に主語述語のように関連づけられたショットが集まってシーンをつくり、物語上の一貫性をもったシーンが集まってシークエンスをつくる。シークエンスはひとつのまとまりとして認識される必要があり、前後との区切れを明確にするために多くの場合イスタブリッシング・ショットや暗転、ディゾルヴ、フェードイン・フェードアウトなどが用いられる。物語の中にあってはじめと終わりをもち、その間にひとつの挿話が終始するという点で、映画のシークエンスは書物における「章」にたとえられる。(↑INDEX

シーン scene
 物語映画におけるひとつの完結した単位。比較的曖昧な用語で、一般に映画の一場面をさすのに使われる。イスタブリッシング・ショットではじまることが多く、単一の場所や時間を扱ったいくつかのショットの連なり(あるいは単一のショット)からなるのが普通だが、アクションが複数の場所や時間にまたがる場合はこの限りではない。(↑INDEX

写真銃
 1882年にフランスの生理学者エティエンヌ=ジュール・マレイが開発・発表した携帯型連続撮影カメラ。長身の望遠レンズと引き金型シャッターレバー、銃床のような握りを持つ姿はまさに銃そのもので、飛び回る野鳥にねらいを定めるために猟銃から着想を得たと考えられる(実際マレイが撮影したのは飛翔するカモメであった)。最大の特徴は回転弾倉式連発拳銃、いわゆるリボルバーを下敷きにしたガラス乾板で、間欠的に回転することによって円周部分が順次感光するしくみになっている(一周12コマ)。写真銃の写像は小さく観察に適さなかったため、マレイはすぐに据え置き型撮影装置(クロノフォトグラフ)の開発に転向。のちにガラス乾板よりはるかに薄く可動性の高いロール状の印画紙やセルロイド製フィルムを積極的に採用したが、写真銃に戻ってこれを改良しようとはしなかった。(↑INDEX

ジャンル genre
 ラテン語の「種属」genusに由来するフランス語で、種類や部類を指す語として生物学など様々な分野で用いられるが、芸術に関する場合、たとえば文学というくくりの下に戯曲や小説があるように、ある形式に属し、類型的な統一性を共有する作品群を語る概念として用いられるのが普通である。ジャンルの概念は共通の特徴から一定の規範を紡ぎだし、それによって該当する作品群の本質をより明確に把握しようとするものであり、したがって、ジャンル確立の原理や歴史的発展の道程を究明することは、芸術研究の主要課題のひとつであるといえ、こうした生産的な循環が成立するならば、ジャンルはいくらでも細分化可能である。(↑INDEX

ショット shot
 ひとつのカメラで撮影された映像の断片をいう。持続時間の長短にかかわらず、連続的に撮影されたフィルムの切断面から切断面までをさす。また、カメラと対象物の構図的関係をも含めた意味で用いられることもある。一編の映画は通常500から多くて1000以上のショットから成り立っており、1920年代に映画の統語論的研究が開始されて以来、映画を構成する最小単位とされているが、1ショットを長く使用して、その1画面がシーン全体を、あるいはシークエンスを構成する場合もあり、これをとくにワンショット・ワンシークエンスという。(↑INDEX

ジェイムズ・ジョイス James Augustine Aloysius Joyce (1882〜1941)
 アイルランドの小説家・詩人。『ユリシーズ』(1922)に代表される心理的洞察と斬新な文学手法によって、20世紀文学で最も重要な位置を占めている。ダブリンに生まれ、イエズス会の教育を受けたが文学を志して妻子とともにヨーロッパを転々。その間何度も眼病を患ってほとんど失明状態となったが、英語教師で生活をたてながら著作に励んだ。1920年以降はパリに落ち着いたが、ドイツのフランス占領とともに1940年スイスへ移り、翌1941年1月チューリッヒで客死した。短編集にダブリン市民の夢と挫折を描いた『ダブリン市民』(1914)があり、長編では有名な『ユリシーズ』の他に、内的独白の手法を多用した自伝的作品『若き芸術家の肖像』(1916)や、英語を様々な言語の単語の各部を組み合わせた合成言語にして用いる大作『フィネガンズ・ウェーク』(1939)などがある。(↑INDEX

ストーリー・ボード story board
 映画の制作において、撮影前に各ショットの画面設計を行ったり、映画の進行を事前に把握するため制作されるスケッチのこと。イメージ・ボードと呼ばれることもある。セリフや効果音、音楽、カメラや被写体の動き、合成する映像素材などに関する情報が書き加えられる点で「絵コンテ」に近いが、映像を形成する作業の達成度をはかる目安(目標)としての役目もあたえられており、その意味で「設計図」というより「完成予想図」とみなすべきものであるといえる。(↑INDEX