加藤幹郎著『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』(筑摩書房2004)を読むための用語解説(入門篇2)

今井隆介

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象嵌法/ THX ディオラマ ディゾルヴ 智慧の神ミネルヴァ ロン・チャニー 提喩 当為 ドーナッツ化現象 ドイツ表現主義 エドガー・ドガ トポス ナイトレートアセテート ダシール・ハメット アルフレッド・ヒッチコック フル・ショット フラッシュ・バック ブロックバスター ポーン ハンフリー・ボガート イドウィアード・マイブリッジ エティエンヌ=ジュール・マレイ 『ユリシーズ』 ラティーノ(ラテン系アメリカ人)   

入門篇1→
象嵌法
 最も基本的な工芸装飾技法で、金属、木材、象牙といった材料の表面に模様やときに文字などを刻み込み、そこに貴金属や宝石、べっ甲のような他の材料(同種のこともある)をはめ込む技術をいう。素材・技法・完成時の見栄えなどによって様々に細分化されるが、はめ込む素材の形に合わせて土台となる材料をあらかじめ彫り下げたり切り抜いたりしておく点では一致している。磨いた貝の真珠質を漆器にはめ込む場合はとくに螺鈿(らでん)と呼ばれる。また印刷術において、鉛版などの修正したい部分を取り除き、そのあとに修正したものをはめ込む場合も象嵌法と呼ばれる。大英博物館の誇る「ウルのスタンダード」は象嵌法が施された最古の遺物のひとつで紀元前2750年頃のものとされるが、すでに高度な技術で見事に細工されており、象嵌法そのものが文字や車輪に匹敵する歴史をもつことをうかがわせる。
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THX
 『スターウォーズ』シリーズで有名なジョージ・ルーカスの経営する映画製作会社ルーカスフィルムが、1983年(『スターウォーズ ジェダイの復讐』公開の年)に提唱した映画全般に関する規格。「THX」とはルーカスの劇場長編映画デビュー作『THX-1138』からとったものである。「オリジナル」の忠実な上映(再生)をスローガンに、設備環境の全般について基準が設けられており、ルーカスフィルムはTHX規格に沿ったハードウェアの設営からソフトウェアの生産までをライセンス制にしているが、映画会社と電機メーカーが提携して映像メディア市場の末端(映画館や家庭用AV機器)を管理下におこうとする試みは、エジソンの特許会社以来珍しいことではない。かつて大手映画会社は独自の上映・音響システムを開発してしのぎを削ったが、現在のデジタル技術は規格の横断を容易にし、規格面での「垂直的統合」は事実上無効化しつつある。
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ディオラマ diorama
 銀板写真(ダゲレオタイプ)の発明者ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが1822年にパリで開館した娯楽施設。円筒形の大きな建物の内壁にスクリーンを張り巡らし、そこに画像を幻灯で投影するというもので、観客は気球を模した「展望台」から実物に似せて構築された鳥瞰風景(パノラマ)を眺める。戦場や大災害などニュース性の強い題材が選ばれ、照明効果で画像が早変わりする演出も行われたという。気球=乗り物を映像の世界に誘う入り口とする点で、鉄道旅行を疑似体験する「ファントム・ライド」や今日のライド式アトラクションを、時事的な話題に具体的なイメージをあたえるという点でニュース映画館を先取っているともいえ、視覚文化の歴史を知るうえで欠かせない存在である。なお、ダゲールは元々風景画家で、ジオラマの画像も実際の風景をカメラ・オブスキュラ(ピンホール・カメラ)で模写したものだったが、写像を化学反応によって定着させる研究を重ね、銀板写真を発明したのは1839年であった。
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ディゾルヴ dissolve
 編集技法のひとつ。あるショットから次のショットへの移行に際し、前のショットの終わりが漸次消えてゆくにしたがって、それに重なって次のショットのはじめが次第にあらわれるように重複させること、およびその部分をいう。ディゾルヴはシーンやシークエンスの転換をする際に時間の経過を示すため使われるほか、現在進行形の「映画内現在」から別の時制(過去の場合は語り手の「回想」、未来の場合は「夢想」あるいは「仮定」となる)へ移行したり逆に戻るときに、観客を混乱させないための明確な区切りとして用いられることが多い。撮影したフィルムを一旦巻き戻して再度撮影する多重露光(オーヴァーラップ)と違って、ディゾルヴはさらに徐々に暗くなるフェード・アウトと徐々に明るくなるフェード・インとを組み合わせなければならず、撮影カメラの絞りを開閉する機械法やネガ・フィルムを段階的に漂泊して多重プリントする化学法などが試みられていたが、現在ではオプティカル・プリンターで焼き付けネガを作成する光学的方法が一般的である。
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智慧の神ミネルヴァ Minerva
 古代ローマ神話において、技術と工芸を司る女神。はじめは職人を中心に崇拝され、ローマにあった神殿は各業種の組合本部の役割ももっていたという。前146年にローマがギリシア本土を征服したのち、ギリシア文化がローマに流入して文化的に「逆征服」されると、ギリシア神話における知恵・学芸・工芸と戦争の女神アテナ(アテネ)と同一視されるようになり、ローマの領土拡張とともに「軍神」として広く信仰を集めた。アテナと同様に武装した姿で表現され、知恵を象徴するアテナの聖鳥フクロウを伴っていることもある。
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ロン・チャニー Lon Chaney (1883〜1930)
 アメリカの映画俳優。サイレント時代に特殊メイクで様々な怪人物に扮し、「千の顔を持つ男」と評された怪奇映画スター。コロラド州に生まれ、1913年からハリウッドでエキストラを始める。『ノートルダムの傴僂(せむし)男』(1923)で全身に特殊メイクを施しつつ感動的な名演技を披露し、続く『オペラ座の怪人』(1925)でも実力をいかんなく発揮、ユニヴァーサルのドル箱スターとなった。『魔人ドラキュラ』(1931)や『怪物團』(1932)で知られるトッド・ブラウニング監督とはエキストラ時代からの盟友で、『黒い鳥』(1926)など10作品でコンビを組んだが、喉頭ガンで急死したためにドラキュラ役を演じることはできなかった。なお、息子のロン・チャニー・ジュニアも俳優となり、父の遺志を継ぐようにして『狼男』(1941)や『フランケンシュタインの幽霊』(1942)などユニヴァーサルの怪奇映画に数多く出演している。
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提喩 synecdoche
 修辞法のひとつ。全体と部分の関係にもとづいて比喩を構成する方法。全体・総称的な語を提示して部分・特称的意義をあらわす場合と、逆に部分・特称的な語で全体・総称的意義をあらわす場合が考えられるが、どちらも提喩と呼ばれる。簡単な例を挙げると、前者は「花」=全体で「桜」=部分を示し、後者は「パン」=部分で「食物」=全体を示す。提喩は概念的な全体と部分の関係(類と種)にもとづいており、現実的な隣接・縁故関係にもとづくもの、たとえば「錨」で「船」をあらわす場合は換喩(metonymy)と呼ばれる。
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当為 Sollen
 ドイツ語で義務(〜するべきである)や予定(〜することになっている)、話し手の意思(〜しよう)という意味をもつ助動詞sollenの名詞型Sollenに対する和訳語。英語ではoughtness、フランス語ではdevoirを当てる。一般に、「あること」(存在)および「あらざるをえないこと」(自然必然性)に対して、「まさになすべきこと」「まさにあるべきこと」を意味する。カントは当為を「ある目的の手段として要求されるもの」と「それ自身を目的とするもの」の二種類に分別し、後者は端的に「汝為すべし」という無条件な命令であるから道徳法則に属し、必然を本質とする自然法則と対立すると考えた。新カント学派はこのように倫理的性格をもった当為を認識や美などの領域にまで拡大し、当為は存在の世界を越えた価値の世界を基礎づけるものとなる。
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ドーナッツ化現象
 都心人口の空洞化現象に対する俗称で、都市中心部の常住人口が減少し、自動車道路や鉄道の沿線を軸に通勤・通学圏内にある都市周辺に急速な人口増加が見られる場合、都市人口の分布がドーナッツ状になるためこのように形容される。ドーナッツ現象と省略されることもある。空洞化が進むと都市中心部は通勤者が大集中する半面、夜間には数十人程度の常住者しかいない状態となる。都心機能の集中と純化、騒音・大気汚染・渋滞の激化、地価の高騰、歴史の古い街区の老朽化・スラム化など今日的な問題が複合して都市中心部における居住環境の悪化を招き、都心居住人口の減少と郊外への流出がさらに拍車をかける。巨大都市は多かれ少なかれこうした悪循環をかかえており、大規模な再開発を計画するなどして対応に追われている。
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ドイツ表現主義 expressionismus
 第一次世界大戦直前のドイツでおこり、現実や自然を客観的に描写するのではなく、不安や怒りといった主観や感情を非自然主義的に誇張して表現する芸術運動。美術や文学、音楽を経て、デフォルメされた舞台装置や明暗を強調する照明法など、演劇における成果を応用した『カリガリ博士』(1919)が映画における表現主義の始まりとされる。贅沢なセットデザインや陰影を強調する照明電力の大使用は、国策映画会社UFA(Universum Film Aktien Gesellschaftの略。1917年設立)の資金力によるところが大きく、『メトロポリス』(1926)などはその好例である。表現主義映画は大戦間期ドイツの社会心理をあらわすとされ、ナチスの弾圧により運動としては終息するが、個人あるいは社会の心理を視覚化する洗練された空間設計および照明技法は、亡命映画人の手によってアメリカ映画に移植、継承されることになる。
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エドガー・ドガ Hilaire Germain Edgar Degas (1834〜1917)
 フランスの画家。身体運動に対する鋭い観察で知られ、19世紀後半のパリにおける日常を巧みなデッサンと斬新な構図で描き出した。当時長足の進歩をとげた写真技術に触発されている点で印象派のひとりに数えられることもあるが、アトリエでの制作を好み、即興よりも入念な計算を重んじた。左右非対称で誰も何もない空間のある画面構成や、運動し(『リハーサル』『ダンス教室』などバレエに取材した作品が多い)、ときには画面端から「はみ出して」いる人物像の配置など、日常の何気ない瞬間を偶然とらえたスナップ写真のような作品が多く、エドワード・マイブリッジの連続写真(1878年ごろ)が欧米の絵画界に与えた衝撃をしばしば先取ってさえいる。
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トポス topos
 ギリシア語で「場所」を意味し、古代修辞学において「議論に関係した事柄や話題を発見すべき場所(論点・観点)」をあらわす語として用いられる一方、古代記憶術では空間的な配置を含むものとして重視され、言葉やイメージの記憶に役立てられた。トポスの概念は現在、われわれにとって切実な問題となってきたものとして「存在根拠としての場所」「身体的なものとしての場所」「象徴的なものとしての場所」へと敷衍されている。これらはそれぞれ、意識的自我の存立根拠としての共同体、無意識、固有環境、活動する身体によって意味づけられ分節化された場所やテリトリー、濃密な意味とつよい方向性をもって成立している場所のことを指している。
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ナイトレート/アセテート nitrate/acetate
 ナイトレートとは硝酸セルロースを使用した映画フィルムで、映画誕生以来広く用いられていたが爆発的に燃焼するうえ劣化しやすいため、1951年以降、より安定性の高いアセテートにとってかわられた。アセテートは引火しにくくしかも難燃性で、上映する際に光源の高温にさらされる映画フィルムに相応しい素材であったが、保管環境が適切でないと酢酸を発生して劣化し、発生した酢酸がさらに周辺にあるフィルムを劣化させるという性質をもっている(この現象をヴィネガー・シンドロームという)。現在ではほとんどの場合さらに丈夫で保存の利くポリエステルが使用されており、アセテートよりはるかに薄く作れるため大量に保管する場合には省スペースも期待でき、映画フィルムを文化遺産として補修し保存する作業にも貢献している。しかしアセテートはポリエステルよりも編集時の切り張りが簡単なため、オリジナル・ネガやラッシュ(撮影結果を知るためにつくる速成のプリント)をつくる際に現在も使用されている。
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ダシール・ハメット Dashiell Hammett (1894〜1961)
 アメリカの探偵小説作家。メリーランド州に生まれ、働きながらアメリカ全土を放浪したのち小説家に転向。代表作に私立探偵サム・スペードが登場する『血の収穫』(1929)や『マルタの鷹』(1930)などがあり、レイモンド・チャンドラーとともにハードボイルド作家のさきがけとなった。ハメット作品の特徴は、自身の私立探偵経験が反映されたリアリズムと、従来なかった単刀直入で簡潔な人物描写や会話の文体にあり、プロットの意外な展開や人間社会に対するシニカルな眼差しでも注目された。ラジオドラマや映画に翻案された作品が多く、ハリウッドで映画の脚本を書いたこともある。1940年代後半から50年代はじめ、アメリカに「赤狩り」の嵐が吹き荒れたころには共産主義運動の支援者とみなされ、短期間ながら法廷侮辱罪で投獄されたこともある。
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アルフレッド・ヒッチコック Alfred Joseph Hitchcock (1899〜1980)
 イギリス・アメリカの映画監督。映画史における巨人のひとりで、ハリウッド映画スタジオの精華を体現するとともに、その定式を内破する実験を数多く試みるなど、のちの映画製作に多大な影響をあたえた。ロンドンに生まれ、字幕タイトルのデザイナーとして映画界に入る。1925年に最初の作品『快楽の園』を監督。イギリスでの代表作に『下宿人』(1926)、『暗殺者の家』(1934)、『三十九夜』(1935)、『バルカン超特急』(1938)などがある。1939年にアメリカへ渡り、『レベッカ』(1940)、『断崖』(1941)、『ロープ』(1948)、『裏窓』(1954)、『知りすぎていた男』(1956)、『めまい』(1958)、『北北西に進路を取れ』(1959)、『サイコ』(1960)、『鳥』(1963)などほぼ年1本のペースで製作をつづけ、傑作の名に値するものは枚挙にいとまがない。『ファミリー・プロット』(1976)まで53本の劇場長編映画を残したが、プロデューサーとしてテレビシリーズ『ヒッチコック劇場』(1955〜62)や『ヒッチコック・サスペンス』(1962〜65)も手がけている。映画製作倫理規定(プロダクション・コード)撤廃以降の恐怖映画に及ぼした直接的影響はよく知られているが、ハリウッドの遺産に依拠するだけの者からはもちろん、批判的超克を試みる者からも崇拝されている点で、やはり巨大な存在であったといえる。
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フル・ショット full shot
 主要対象物をとらえた画面サイズをいう用語のひとつで、被写体となる人物の全身をそっくり収め、その上下に若干スペースがあるように撮影されたショット。ショットは被写体の大小に応じて超クローズアップから超ロングショットまで等級付けられているが、その区別は曖昧で相対的かつ便宜的なものである。編集技法による物語空間の創出や感情移入のしくみが公式化される以前、映画はフル・ショットによるワンショット・ワンシークエンスが原則だったが、1910年代以降、映画を構成するショットが多様化・複数化するにしたがい、それぞれを区別する必要から各等級の名称が生じたと考えられている。
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フラッシュ・バック flash back
 @映画の物語において「現在」のシーンに挿入される「過去」のシーンあるいはシークエンスをさし、ときには「回想」(すなわち「物語」)の開始を告げる導入と終了を告げる結尾以外、つまり映画のほとんど大部分がこれにあたることもある。これとは逆に、「現在」のシーンに挿入される「未来」のショットやシーンは「フラッシュ・フォワード」flash forwardと呼ばれる。A編集技法のひとつで、複数の事件や現象を交互に断片的な短いショットで接続すること。フラッシュ=閃光のたとえ通り、数コマ程度の瞬間的なショットが連続的に接続されたものをさし、各ショットの持続時間が1秒を超える場合はフラッシュ・バックとは呼ばない。アベル・ガンス監督作品の『鉄路の白薔薇』(1923)において、車輪やピストンなど機関車の律動する部分の短いクロース・アップを積み重ねものが、映画史上最初のフラッシュ・バックとされる。
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ブロックバスター blockbuster
 巨額の資金を費やして製作された大作映画の俗称。予算の大小とはかかわりなく、商業的に大成功を収めた映画一般をさす言葉でもある一方、生半可な興行的成功では利益をあげるどころか製作費の回収すらままならない作品に対し、そのリスクの大きさを揶揄する際にも用いられる。劇場収益に依存していたころ、ハリウッドの大手映画会社はブロックブッキング(抱き合わせ配給のこと。1948年に独占禁止法違反判決を受ける)の術策で収入の安定化を図っていたが、80年代に家庭用VTRが普及し始めて以来、テレビゲーム化も含めた映画作品の2次・3次利用による収益が増大し、これが現在のハリウッド映画をいっそう大作化させる要因のひとつとなっている。
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ポーン pawn
 チェスにおいてもっとも数が多い駒(32個中16個)の名称。将棋の歩にあたり、相手側の後陣に達するとキング以外のいずれかに「成る」ことができる点も同じである。「歩行者」を意味する古アングロ=サクソン語pesonが転じたもので、「質に入れる」「質ぐさ」を意味するpawnは古フランス語(「枠」「パネル」の意)を語源とする同音異義語である。
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ハンフリー・ボガート Humphrey DeForest Bogart (1899〜1957)
 アメリカの映画俳優。「ボギー」の愛称で知られ、ハード・ボイルド・ヒーローを数多く演じたフィルム・ノワールの「顔」。ニューヨークに生まれ、ブロードウェイでの舞台出演をきっかけに俳優生活をはじめる。40才近くまで鳴かず飛ばずの状態が続いたが、『デッド・エンド』(1937)、『彼奴は顔役だ!』(1939)を経てジョン・ヒューストン脚本、ラオール・ウォルシュ監督の『ハイ・シェラ』(1941)、さらにヒューストンの初監督作品『マルタの鷹』 (1941)で「ボギー」のスター・ペルソナを確立、人気を不動のものとした。出演作品は他にも『カサブランカ』(1942)、『脱出』(1944)、『三つ数えろ』(1946)、『暗黒への転落』(1949)、『孤独な場所で』(1950)、『アフリカの女王』(1951) など50本を越えるが、興味深いことは悪漢と正義漢という相反する役柄をほぼ交互にこなしたことである。自分以外に従うべきルールを持たない孤独なタフガイ=「ボギー」を貫き通しつつ、物語の要請に応じて善人と悪人をこなした点で、やはり希有なペルソナをそなえた不世出のスターであったといえる。
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イドウィアード・マイブリッジ Eadweard James Muybridge (1830〜1904)
(本名はMuggeridgeといい、当初ファーストネームをEdwardと称していた)
 連続撮影技術を考案し、運動を一連の静止画像に分解する方法を実演した写真家。映画を準備した人物のひとりとして映画史では常にエティエンヌ=ジュール・マレイとともに紹介される。イギリスに生まれ、1852年ごろ渡米しニューヨークで写真を学ぶ。カリフォルニア州知事だったスタンフォードの依頼を受けて、77年に疾走する馬を12台のカメラで連続撮影し、馬の脚が全て地面を離れる瞬間があることを立証した。晩年には8つの小型カメラを集合させた連続撮影機を制作して動物や様々な日常的動作を行う男女や子供を撮影し、『運動する動物』(1899)『運動する人間の姿態』(1901)にまとめている。複数のカメラを用いる連続撮影方式は長く忘れられていたが、近年『マトリックス』(ウォシャウスキー兄弟、1999年)の特殊撮影に用いられて以来、復活を遂げている。
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エティエンヌ=ジュール・マレイ Etienne-Jules Marey (1830〜1904)
 フランスの生理学者。動物の運動を図表化する方法を研究していたが、マイブリッジの成功を知って以来、写真技術を用いた解析法にとりくみ、1882年には写真銃を考案した。次にマレイは固定乾板に複数の写像を重ねて定着させるクロノフォトグラフ(時間撮影機)を創案し、さらにフィルム(1888年から紙、1890年以降はセルロイド)一コマにつき一つの写像を感光させる連続撮影機へと発展させた。これはスプロケットホイール(フィルムに空けられた穴=パーフォレーションと噛み合ってフィルムを走行させる部品)がないことを除けばほぼ映画カメラといってよい装置だったが、しかしマレイの関心は生物の運動を等時間隔に分割・記録することにあり、連続写真から運動を「再現」し、スクリーンに投影する可能性については主著『運動』(1894)において示唆するにとどまった。なお、マレイは初期のクロノフォトグラフを用いて頭と手足の白い印以外全身黒ずくめの人物を撮影し、身体運動を幾何学的な形象へ還元させたが、これは現在のコンピューターによるモーション・キャプチャー法を先取りしたものともいえる。
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『ユリシーズ』 Ulysses (1922)
アイルランドの詩人・小説家ジェイムズ・ジョイスの代表作であり、20世紀文学にうち立てられた金字塔のひとつ。ホメロスの『オデュッセイア』を下敷きに、ダブリンに住むユダヤ系アイルランド人レオポルド・ブルームとその妻モリー、青年詩人スティーブン・ディーダラスのとある一日(1904年6月16日)が叙事詩的に描かれ、レオポルドとスティーブンの出会いで物語はクライマックスをむかえる。3部18章からなり、ジョイスはその各章が『オデュッセイア』の挿話に対応するよう配慮する一方、人物の言葉になる前の心の状態、非論理的な連想を章ごとに異なる実験的な手法で書き留め、語り口の物真似や文体のパロディと組み合わせて、ひとつの全体的な文学的手法をつくりあげた。執筆当時ジョイスはアイルランドを離れていたが、舞台となるダブリンを地図や資料を駆使して緻密に描き出しており、20世紀初頭の都市そのものに対する省察ともなっている。
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ラティーノ(ラテン系アメリカ人) Latino
 アメリカ合衆国において、メキシコやキューバ以南の中南米(いわゆるラテン・アメリカ)に起源をもつ人口の総称。アングロ=サクソン系植民者の到来以前からアメリカ南西部に居住していたグループと中南米諸国からの新規移民者を含むが、一般にスペイン語を話し、カトリックの信仰と旧宗主国(スペイン・ポルトガル)の文化を共有する集団をさす。アメリカ合衆国ではスペイン語を話す人々を習慣的に「ヒスパニック(Hispanic)」と呼び慣わしてきたが、これは多数派に押しつけられた呼称であり、差別的なニュアンスを含むとの意識が1960年代以来該当グループ内で高まり、1990年代に入ってその代替として用いられ始めたのが「ラティーノ」である。
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