CineMagaziNet!Talk: Book Review
書評:『エジソン的回帰』 香港国際映画祭小報告
『INTERVIEW 映画の青春』(京都府京都文化博物館編、キネマ旬報社、1998年)
藤井 仁子

 インタヴューという体験は、言うまでもなく、それ自体がかけがえのない邂逅である。実際、おもに戦前の日本映画界を華麗にいろどった映画人への聞き書きからなる本書において、インタヴューを受けた人々の大半がすでに鬼籍に入っていることを思えば、その事実は痛感されよう。滝沢一氏をはじめとする聞き手についても事情は変わらない。1970年代前半という、映画産業の斜陽化がすでに隠れもなく露見していた時期に、なお存命であった偉大なる先人との一期一会の邂逅を、その語り口までもそのままに記録した本書は、まさにそのかけがえのなさのなまなましいドキュメントとして、自らもまたかけがえのない輝きをはなっている。

 同様の試みとしては、すでに岩本憲児・佐伯知紀編著『聞書き キネマの青春』(リブロポート、1988年)があるが、後者が日本映画における現代劇の成立と発展に焦点をあて、したがって関東の撮影所での動向が話題の中心であったのに対し、本書は主として、京都で撮影されてきた時代劇映画についての証言からなっている。時代劇映画というものが、ながらく興行の中心として観客の圧倒的な支持をえてきたにもかかわらず、まさにそれゆえにいっときの娯楽として忘れられ、多くの傑作がすでに失われてしまっていることを考えるなら、この点でも本書の価値はいや増すこととなろう。

 インタヴューされる映画人はあわせて11人。金森万象、仁科熊彦にはじまって、市川右太衛門、嵐寛寿郎、稲垣浩、牛原虚彦、五所平之助、田中絹代、衣笠貞之助、宮川一夫とつづき、最後にまさに「満を持して」といったおもむきで伊藤大輔が登場することになる。仁科熊彦へのインタヴューには、叔父である山中貞雄について話を聞くべく加藤泰も途中参加する。いずれもこの時期の京都映画界を語るうえで欠かすことのできない人物ばかりであるが、なかでも作家主義的な立場からは言及されることすらない、金森万象や仁科熊彦といったすぐれた職人監督へのインタヴューは、それ自体きわめて意義ぶかいものだと言えよう。

 話題とされる時期を、あえて大正から昭和前期にしぼったことも成功した。日本におけるフィルムの残存率は、世界的に見てもきわめて低いことが知られているが、この時期を同時代として知る者も日々減りゆく今日の読者にとって、失われたフィルムについての貴重な証言を読むことができるのは、その埋めあわせにはならないまでも、ささやかな慰めにはなるだろう。初期のトーキーやカラーについてはもちろん、撮影所の経営管理、さまざまな独立プロの実態についての証言が豊富なのも貴重である。

 実のところ、インタヴューの聞き手と受け手とが世代的にさほど隔たっていないために、いきとどいた質問がなされる一方で、両者のあいだでの共通の了解事項がいささか多すぎ、楽屋話に流れてしまって読者だけがとりのこされ興醒めするといった瞬間がなくもないのだが、詳細な注が理解をおぎなってくれる。多くの固有名詞にルビが付されているのもありがたく、巻末のフィルモグラフィーも労作であるが、欲を言えば索引もつけてほしかった。

 それにしても、一読して羨望をおぼえずにいられないのは、映画を(いやむしろ「カツドウ」と書くべきだろうか)見ることと撮ること、さらにそれについて語ることとがすべて未分化のままだったかに思われる、この時代のもつ幼年期的な甘美さである。本書では、誰もがどんなに映画が好きだったかを情熱的に語り、同僚だけでなく、多くの評論家や文学者たちとどんなに深い交流をもってきたかをなつかしく語っている。それだけではない。カツドウ好きが昂じていつのまにか撮影所に出入りするようになった金森万象は、ただそのようなものを外国映画で見たことがあるというだけで、撮影中の牧野省三にむかってその言葉も知らないままに「クロースアップ」を提案してしまう。たまたま見たハリウッド映画を「盗作」して時代劇に翻案してしまうなど、当時は日常茶飯である。『争闘』(1924年、金森万象監督)に主演した高木新平は、野次馬が息をつめて見まもるなか、エイヤとばかりにビルとビルのあいだを本当に跳んで群衆の歓呼を受け、「鳥人」としてもてはやされることになるし、牛原虚彦はチャップリンにあこがれるあまり、彼のもとで映画を学ぶべくいとも簡単に渡米してしまう。毎日下駄を袂に入れ、加茂川を歩いてわたって下加茂撮影所に通っていた田中絹代は、その経験を後年『夜の女たち』(1948年、溝口健二監督)での演技において活かすことになるだろう。野球の助っ人として日活入りをはたしてしまった宮川一夫が言うように、「教科書といったらシャシンしかなかった」時代である。映画がいかがわしい見世物として軽蔑され、多くの映画人が身内から勘当されるのとひきかえに映画界に身を投じた、そんな時代のほうが見ることと撮ること、そしてそれを語ることははるかに幸福な共存と調和を生きているかに思われる。教育や研究の環境整備がすすむ今日のわれわれのほうが、映画を見るという体験のもつ具体的ななまなましさからずっと遠ざかってしまっているのではないだろうか。ある決定的な喪失感のなかで、ふとそんな思いがしないでもない。ここに記録されているのは、そうした幼年期的な甘美さの、おそらく最後の残照である。

 もっとも、すべてが失われてしまったわけではない。本書には、このインタヴューがおこなわれた当時よりも、今日のわれわれのほうがより豊かに読むことができるであろう箇所も、まぎれもなく存在しているのである。たとえば、ここでは永久に失われてしまったものとして無念そうに語られている『忠次旅日記』(1927年、伊藤大輔監督)を、われわれは不完全な修復版とはいえごく最近見ているし、その気になればまた見ることもできる。アブラーム・ロームの『大事業計画』(1930年)について、モスクワ滞在中に見た衣笠貞之助がいきいきと語るのを興奮とともに読むことも、今日のわれわれだけに許される特権だと言えるだろう(いったい、インタヴュアーはアブラーム・ロームを知っていただろうか)。結局のところ、われわれは四半世紀もまえに回顧されたフィルムを、今日「新作」として見ることすらまったく不可能というわけではないのであり、映画にあっては昔も今もないのである。実際、そうでなければこのような本が、現在になって出版される意義などどこにあるというのか。

 同じように、ここに収録されているのがたまたま「日本映画」についての証言であるからといって、そのこと自体にもさしたる意味はない。それが帰属すべき国籍がどこであろうとすぐれた映画はすぐれた映画なのであって、逆に言えば、帰属すべき国籍によりかかることでしかおのれの価値を主張しえない映画など、どのみち大した映画ではないのである。昨年末開催された第1回京都映画祭も、まさに「京都映画」のもつ普遍的価値を、世界にむけて知らしめるための試みではなかったか。昨今「日本映画」をめぐっていろいろとかまびすしいが、本書がもしもそうした言説に貢献するような読まれ方しかされないとすれば、それこそもっとも不幸なことだと言えよう。

 本書に収録されたインタヴューはすべて京都府によっておこなわれたものであるが、京都府は同時期にフィルムの収集と保存も開始しており、本書を編んだ京都府京都文化博物館がその任にあたっている。同博物館では収蔵作品の上映も定期的におこなっているが、現在本書出版にあわせた特集上映が続行中である。映画は実際に見られてこそはじめてその生を生きる。読みかけの本書をいったん閉じて、ごく廉価な入館料とひきかえにその現場に立ち会ってみることこそが肝要であろう。

 なるほど、この書物はあるかけがえのなさの貴重なドキュメントたりえている。だが本書が真に夢みているのは、あなた自身の体験のかけがえのなさのはずである。

 より豊かでかけがえのない邂逅にむけて、やがて閉じるために本書を開くこと。

 その際に、あなたの国籍だの年齢だの性別だのが問われることは、むろんない。

CineMagaziNet! No. 2
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