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序章   第1章 第2章  結論
   第3章 非情な「使命」の恐怖

1.航海者のロマンと「使命」
 前章は、クリスティアン・ジャコブの論文に基づいた、未開の土地で「他者」に遭遇する恐怖についての検証であった。次は、『エイリアン』を論じるにあたって掲げたもう一つのテーマ、標本の収集を最優先させる非情な会社に対する恐怖について、「使命」をキーワードに検証してみよう。
 ハノニスらは「ゴリラ」の皮をはいでカルタゴに持ち帰っているが、これは見世物にして儲けようという意味もあるけれども、むしろ人間世界の果てまで行って来たという記念碑的な意味の方が大きい。そこには大航海時代のあからさまな利潤追求の意思は感じられないし、航海自体も(食糧不足が古代ギリシャ人の植民活動を促したとはいえ)自発的なものであるから、『エイリアン』がテーマとするものからは距離がある。『エイリアン』は、会社の利益のために未開の土地を探検させられ犠牲となった航海者の恐怖を描いた映画なのである。
 そういう意味では『キングコング』からも距離がある。コングで一儲けをたくらんだ男は、誰から命令されるでもなく己の野心から自発的に南海の孤島へ向かったのであり、ニューヨークに運んで見世物にしようと言い出したのも彼自身である。大航海時代の有名な航海者たちにしても、まず自分の冒険心やロマンがあり、みずから進んで未開の土地に挑んだのである。したがって、彼らに悲劇的な運命が待っていたとしても、それは自業自得というものであり、『エイリアン』における惨劇(乗組員に秘められた会社の陰謀)とは性格が異なっている。
 しかしだからといって、歴史的文献にあたる必要がなくなるわけではない。コロンブスら大航海時代を支えた航海者たちも、国家や資本家などのパトロンから資金を引き出す過程で、植民地の獲得・市場の拡大という「使命」を受けているからである。したがって、航海者たちのロマンと出資者の思惑が食い違った場合には、『エイリアン』で描かれた惨劇に近い事件が発生するのである。
 実例を挙げてみよう。世界一周を野望に抱いたマゼランの物語である*56。
 
マゼランは人類初の世界周航を志し、コロンブスが夢見て果たせなかった西回り航路の開拓をパトロンに説いて資金を引き出した。しかし資本家らは探検より交易を望んでいたので、マゼランの権限を縮小し、船団の重要なポストに自分たちの腹心を据えた*57。
 
マゼランの船団は、南米東海岸に沿って南下し、当時まだ伝説だったアジアへ通ずる海峡を探し求めた。低緯度地方の厳寒の中、探検の続行を主張するマゼランに対しついに反乱が勃発する。マゼランは鎮圧に成功したものの、反乱を企てた者たちはすべて資本家に任命された者たちだった*58。
 
飢えと壊血病で多数の死者を出しながら、マゼランは何とか太平洋を渡ってフィリピンにたどり着くことができた。マゼランは世界一周を達成したわけだが、フィリピンでの植民地活動にこだわるマゼランと、香辛料諸島での交易を求める船員たちとが対立。彼らは原住民との戦闘に破れ、敗走するマゼランを見殺しにしてしまった*59。
 
マゼランの運命から連想するのは、やはり『エイリアン』におけるロボット科学者のアッシュというキャラクターである。彼は会社の手先として宇宙船に乗り込み、会社の利益のために乗組員を見殺しにし、会社の利益を守るために人間を抹殺しようとする。彼は『2001年 宇宙の旅』の有名なコンピューター「HAL9000」とよく比較されるが、そのルーツはマゼランの物語の中にも見いだせるのである。

2.「使命」発生以前の航海
 大航海時代の航海者たちは、行く先々で原住民を脅したり、なだめすかしたり、あるいは捕虜にして旧世界に連れ帰っている。はじめは確かに『キングコング』的な見世物としての価値もあったろうが、時間の経過とともに珍しくなくなるのは自然の理である。それに、一般にインディオと呼ばれる人々はヨーロッパの気候風土になじめず、旧世界で奴隷として使役することは採算に合わなかった。
 そこで、ヨーロッパ人は彼らを現地で奴隷化し、鉱山やプランテーション農業に従事させることにした。これはすでに「捕獲」から「馴致」に移行したことを示している。「捕獲」が大々的に行われていたのは、言うまでもないことだが、アフリカ西海岸においてである。黒人そのものは(ヨーロッパ人にとって)早くから知られていたし、奴隷化も行われていたが、組織的に「捕獲」が行われ出したのは、新大陸の開発に伴って労働力の需要が増大してからのことである*60。
 
珍奇な動物の捕獲という『エイリアン』のテーマからは離れることになるが、黒人に関する問題は、この映画に登場する黒人のパーカーというキャラクターについて考察することによって回収される。
 パーカーは機関士で、職場環境や給与待遇であからさまに差別されており、彼はそれに対して常に不平を漏らしているが、取り合ってもらえない。そして、意見を述べようとしても遮られたり無視されたりするし、何か行動を起こそうとしても、いつも否定される(例を挙げるときりがないほどである)。結局パーカーにできることは、せいぜい仲間のブレッド(彼は黒人に対する差別を和らげるような働きをしているようである)に愚痴をこぼし、仕事をさぼるぐらいである。
 立派な体格をしていながら、白人の上司に逆らうことができず、彼らになだめすかされながら働いているパーカーは、ステロタイプな黒人そのものである。しかしこれを、この映画をつくった人々の差別意識のあらわれだとみなすのは早計だろう。彼は、映画の中で発見され「捕獲」されたモンスター(=人間的動物)に対し、かつて「捕獲」され「馴致」された存在(=動物的人間)として対比できるように位置付け/性格付けがなされているのである。
 抑圧をキーワードに『エイリアン』を分析すれば、もっとも抑圧されているパーカーについて論じられてしかるべきだと思うが、依然として批評家からは無視(抑圧)されているようである。
 労働力とするために人間を「捕獲」した例はいくらもあるので、逆に『キングコング』のように博物学的・見世物的興味で人間を「捕獲」しようとした例を挙げてみよう。先ほど紹介したマゼランの伝記の中の一節である*61。
 
マゼランは南アメリカの南端部、現在パタゴニアと呼ばれている地域で、身の丈7フィート6インチという巨人族に遭遇している(パタゴニアとは「大足人の国」という意味である)。最初の出会いはきわめて友好的で、彼らはマゼラン一行が食料としてペンギン(それまでヨーロッパ人は見たことがなかった)やラクダの仲間のラマを捕まえる手助けをしてくれたほどだった。
 マゼランは巨人をスペインに連れていこうと思い、二人の若い巨人を船に誘って足かせをはめた。彼らは罠にかけられたことを悟って大いに暴れた。紆余曲折の末、結局そのときは捕獲に失敗し、混乱の中でマゼランは部下を一人失った。
 これによって巨人たちとの友好関係は収拾不可能になり、彼らはマゼランの行く先々で彼を悩ませることになったのだが、マゼランはあきらめなかった。一人の男の巨人を「説得して」船に乗せることに成功したのだ。しかし彼は太平洋で死んだ最初の人間となってしまった。
(人間を労働力としてではなく見世物として「捕獲」する話を描いた映画としては、すぐに『フリークス』や『エレファントマン』を連想するが、実は『キングコング』も同じ文脈にある。『キングコング』において、コングをニューヨークで見世物にしようと企てた映画プロデューサーは、それ以前にニューヨークの貧民街から女性をスカウトし、映画の撮影のためにコングのいる島へ連れて行く。つまり彼にとって、コングを連れ帰って見世物にするのと、貧民街の女性をスカウトして映画に出演させるのとは同じことなのである。)

3.「使命」の発生
 未開の土地から動物や植物を持ち帰ることは、二通りの方法で経済的利益を発生させる。ひとつは農業的利益を生むもの。動物なら飼育、植物なら栽培して数を増やし、次々と利益を得ることができる。もうひとつは商業的利益を生むもの。珍奇で手に入りにくいものほど価値があり、たいてい高額で取り引きされるが、飼育/栽培して増やすことができない(だからこそ価値がある)。
 大航海時代、旧世界の外で「捕獲」された動物(黒人やインディオなどの人間は除く)が、飼育されて農業的利益を生むことは少なかった。旧世界ではニワトリ・牛・馬・豚・羊などの牧畜が確立されていて、外部から新たな動物を導入する必要がなかったのである。ペットとしてあるいは毛皮をとるために飼育されたものもいるが、動物の「捕獲」は概して商業的利益のためであった。
 一方、植物は各地で大々的に栽培され、莫大な農業的利益を生んだ。また、商業的価値がある珍奇で美しい観用植物も温室などで栽培され、同様に農業的利益を生んだ。ひとつひとつの利潤は珍しい動物や香辛料などの商業的利益を生むものに遠く及ばないが、農業的利益を生む植物は大量生産が可能で、商業的利益を遙かに上回る利潤をヨーロッパ世界にもたらした。
 珍しい動物や香辛料は高額の報酬を得ることができるが換金してしまえばそれまでである。したがって、一攫千金をねらう個人レベルでの「捕獲」は動物の方が盛んだった(『キングコング』の映画プロデューサーがいい例だろう)。しかし長期に渡って利益を生み続けるのは植物の方であり、長期的な利潤を追い求める企業/国家レベルでの「捕獲」は当然植物が中心だった。
 事実、植物の採集・研究・栽培は国家的プロジェクトだった。有用な植物を発見採集し、効率的に収穫できる場所や方法を調べ、実際にそこへ運んで栽培させるということは、ヨーロッパ諸国の植民地経営の根幹をなすものだった。各国は自国の植民地はもちろん、他国の領土やヨーロッパ人未踏の地へ、植物を採集する専門家を組織的に派遣した。遠征・探検航海を企画・出資した各国の当局や企業家たちは、船に必ず植物学の専門家を乗り込ませ、上陸したところで手当たり次第に植物を収集させたのである。
 このような官民一体の植物採集が行われた結果、特定の地域にしかなかった有用植物が各国の植民地において大々的に栽培されるようになった。天然ゴム・コーヒー・綿花・茶・サトウキビ・バナナ・パイナップルなどのプランテーション作物は、物珍しさから個人が無計画に採集したものではなく、植民地経営という大儀のために計画的かつ組織的に採集されたものである。
 植民地におけるプランテーションが確立した後でも、園芸が流行して珍しさそれ自体が利益を生むようになり、また、南太平洋などヨーロッパ人未踏の地域がまだまだあって、新種発見の可能性はつきることがなかった。現在においてもなお、植物採集は植物学・生物工学・薬学的関心のために世界中で行われており、植物学者が新種を求めて各地を探検している*62(『エイリアン』は宇宙時代においても行われるであろうことを描いた映画ということになる)。
 大航海時代末期、イギリスの覇権が確立した頃に企画された国家レベルの大航海は、交易や植民地獲得の意味もあったが、新種の有用な植物を発見するという目的もそれに劣らず重要になっていた。フランスのブーガンヴィル(ブーゲンビリアにその名をとどめている)、イギリスのクック、プロイセンのフンボルトらによる大航海は、18世紀から19世紀にかけて行われた探検航海の代表的なものだが、いずれも植物学者が各国の当局から命じられて参加していた*63。意外なところでは、日本に開国を迫ったペリー提督のアメリカ艦隊にも植物学者が乗り込んでいた*64。
 (こうした大航海に参加した学者で、最も有名なのはおそらくダーウィンだろう。彼はのちに、進化論を発表してヨーロッパ世界の人間の定義【白人>有色人種>類人猿>獣】を揺るがしたが*65、ビーグル号に乗り込んで世界周航の探検航海に参加したときは、弱冠22歳の新米博物学者だった。)

4.史実における「使命」のある航海
 さて、企業の命を受けた学者が、有用であるか否かに関わらず、標本を採集して持ち帰るという話は『エイリアン』の基本プロットそのものであるわけだが、標本の採集に関して『エイリアン』のような惨劇は実際にはおこらなかった。有益かどうかまだわからない標本には、博物学的な価値しかなかったし、乗組員を犠牲にしてまでも標本の採集を優先させるような権限は、学者にも船長にもなかったからである*66。
 
乗組員を犠牲にしてでも任務を優先させるような事態は、標本採集の段階においてではなく、より経済的な観点から言って、有用な植物の植民地への移植段階においてこそおこるべきものであった。『エイリアン』のような悲劇的結果となった事件について述べる前に、有用な植物の移植に関する具体例を挙げておこう。
 例えば天然ゴムである。ゴムノキはアマゾン原産だったが、19世紀に需要が急速に伸び、乱獲されて底をついてしまった。イギリスは天然ゴムの価格高騰と将来の安定供給を考え、自力でゴムノキを栽培しようと計画した。1876年、アマゾンからゴムノキの種子がいったんイギリスに運ばれ、温室で発芽・生長させてから当時イギリス領だったセイロンに運ばれた*67。現在でも天然ゴムの生産は東南アジアが中心である。
 イギリスはまた、植民地のインドでマラリアに手を焼き、特効薬のキニーネを安く大量に生産しようと計画した。植物学者と運搬専用の船をペルーに派遣して原料であるキナノキの種子と苗木を手に入れ、インドに運んで増殖に成功した*68。
 
他にイギリスが移植に成功した植物には中国原産の茶などがあるが、こうした移植計画が成功したのは、植物を苗木の状態で運ぶことができる「ウォードの箱」という携帯可能な小型温室が発明されてからだった。それまでは種子や球根、あるいは鉢植えの状態で運んでいたが、種子や球根は発芽させ生育させるのがきわめて難しく、単純な鉢植えでは長い船旅に耐えられなかったのである*69。
 
宇宙時代における異生物の捕獲と移送を描いた『エイリアン』において、「ウォードの箱」は巨大な宇宙船それ自体として登場する。密閉され、重力をも管理されている船内は人間ばかりかモンスターにとっても快適な空間であり(事実モンスターは驚くべきスピードで成長し、与えられた環境に適応する)、しかも生存と増殖に不可欠な要素、すなわち餌となる人間も乗り組んでいる(積み込まれているというべきか)のである。
 『エイリアン』のような惨劇が実際におきたのは、「ウォードの箱」が発明される以前のことだった。植物の苗木を枯らさないようにするため、航海は時期の選択と速度が要求されたし、国家的プロジェクトという重圧が常に植物学者や船長らにのしかかっていたのである。自然、乗組員の健康よりも植物の状態を気にかけ、彼らを犠牲にしてでも植物を持ち帰ろうとする者があらわれることになる。

5.「使命」のある航海−バウンティ号の反乱
 植物を植民地へ運ぶ任務を帯びた植物学者や船長が、植物への偏執狂的執着ゆえに乗組員に犠牲を強いた実例は、有名な「バウンティ号の反乱」について述べれば十分だろう。傲慢な艦長に対し、副船長以下が反乱を起こして船を乗っ取ったというこの話は『エイリアン』によく似た点が多く、詳述に値する(というより『エイリアン』はSF版「バウンティ号の反乱」と言うべきかも知れない)。
 ことの発端は、イギリス政府がポリネシア原産のパンノキを西インド諸島へ移植し、そこで使役している黒人奴隷の食料として供給できないかと考えたことだった。パンノキはその名の通りパンのような味覚で栄養価も高く、熱帯地方で栽培し供給するにはうってつけの植物だった。英国学士院や海軍省、食料会社などが企画して、バウンティ号をパンノキの自生するタヒチへ遠征させることにした。船には植物学者と庭師が一名ずつ乗り込んで、パンノキの採集と苗木の生育、航海中の管理をする予定になっていた。
 名高い反乱事件がおきたのは、タヒチでパンノキの苗を積み込み、そこを出発してから数週間航海した後だった。副艦長が船を乗っ取り、艦長や植物学者らをボートに乗せて、置き去りにしたのである(庭師は反乱側についた)。反乱者たちはパンノキを海に投げ込み、「地上の楽園」タヒチへ船首をめぐらせた。
 艦長らを乗せたボートは、7週間に及ぶ漂流の末にオランダ領チモールに漂着。艦長らは生きてイギリスに戻ることができた(植物学者は熱病によりチモールで死んだ)。反乱者たちはタヒチ近くのピトケアン島に隠れ住み、その子孫は今でも同島で暮らしているという。なお、パンノキの移植はイギリスに帰還した艦長を責任者として再び企画され、今度はうまく成功した。パンノキは現在、ジャマイカをはじめ広く西インド諸島に普及している*70。
 「バウンティ号の反乱」は、多くの小説のテーマとなり、過去三回、映画化もされている(1935年『南海征服 戦艦バウンティ号の叛乱』、1962年『戦艦バウンティ』、1984年『バウンティ 愛と反乱の航海』)。18世紀という時代やタヒチという場所が、アングロ・サクソン系の人々のロマンをかきたてるのだろうが、本章での興味は他にある。バウンティ号事件には、海洋国家イギリスの植民地経営戦略、重要天然資源である植物のコントロールといった要素が絡んでいるのである。
 反乱の原因は間違いなくパンノキだった。苗木が枯れる前に西インド諸島へ運ばねばならないから、艦長は乗組員に無理を強いたであろうし、また、乗組員には厳しく制限されている飲料水が、パンノキには惜しげもなく与えられるのが彼らの反感を買ったとも言われている*71。
 
バウンティ号事件を映画化した『戦艦バウンティ』(1962年MGM製作、マーロン・ブランド主演)はそのあたりのいきさつを映像化してくれているので、『エイリアン』と比較しながら紹介する価値はあるだろう。
 バウンティ号の艦長、ウィリアム・ブライは「使命」のためならどんな犠牲もいとわない冷酷な男として描かれている。功をあせる彼は無理な航海を乗組員に強制し、遅れを彼らの怠慢のせいにする。彼の判断ミスから死人が出てもいっこうに気にしない。徹底的な恐怖政治で乗組員を従わせようとする冷血漢である。
 ブライは科学者ではないが、植物の採集を命じられた責任者として、『エイリアン』のロボット科学者アッシュに相当する。アッシュが宇宙船のコンピュータの一部だと考えれば、アッシュは実際に船を動かしていた船長だったともいえる。
 ブライはパンノキが枯れるのを恐れ、苗木に水をやるために乗組員への水の配分を厳しく制限する。そのために病人が出、死者が出ても、彼は反抗する者に厳しいペナルティを課すばかりである。ついに我慢しきれなくなった副艦長(マーロン・ブランド)はブライを殴り倒し、乗組員らに反乱を呼びかける。ブライは賛同者とともにボートで追放される。
 『エイリアン』のアッシュは常にモンスターを擁護する。隔離の原則を破ってモンスターを船内に入れるし、航海士の腹を食い破ってあらわれたときもパーカーに手出しさせない。船長を見殺しにしても平然としている。さらに彼は、会社の秘密指令を知ったリプリーを抹殺しようとさえする。そして、それまで頭ごなしに命令し、その自発的な行動を抑制してきたパーカーや、女性ナビゲーター・ランバートによって破壊されるのである。
(『エイリアン』の巧妙なところは、アッシュをロボット=非人間とすることで、抑圧されていた黒人が抑圧者の白人を殴りつけることの含意を巧みに隠蔽していることである。)
 バウンティ号を乗っ取った乗組員たちは、パンノキを次々と海に投げ捨てる。これは『エイリアン』のラストにおいて、リプリーがモンスターをシャトルから排出したことに対応するだろう。植物を生きたまま運ぼうとすれば、当然その分の水が余計に費やされることになる。当時、飲料水が乗組員の命の綱だったことを考えると、パンノキは『エイリアン』のモンスターのように動き回って人を襲うわけではないけれども、生きているだけで水=乗組員の命を吸い取る「モンスター」だったのである。
 ロビン・ウッドは、「『エイリアン』は一見すると、『ハロウィン』に少し足して外宇宙に持っていっただけのように思える」*72と述べ、ありきたりなジェンダー論的分析を試みているが、『エイリアン』はむしろ、SF版「バウンティ号の反乱」とみなすべきだろう。パンノキがモンスターに、ブライ艦長がアッシュに、反乱をおこした水兵たちが女性二人と黒人に、イギリス政府の任務が会社の秘密指令に、タヒチが未開の星に、といった具合に各要素やプロットが数多く一致しているのである。

6.悲惨な「使命」の歴史−黒人奴隷貿易
 以上は植物の採集と移植に関する歴史の検証だったが、これはアフリカ西海岸における黒人の捕獲と新大陸への移送に関する歴史にそのまま適用することができる。黒人の捕獲も当初は探検・採集が目的であり、のちに植民地の経営戦略に基づく計画的・組織的捕獲・移送へと発展したからである。
 アメリカにおける黒人奴隷の歴史を研究している本田創造によると、黒人の捕獲が行われたのは1441年、ポルトガルの二人の船長がアフリカ探検の戦利品として持ち帰ったのが最初であるという*73。コロンブスの新大陸発見以降、新世界での労働力の需要が急増し、1672年にはイギリスで貴族・資本家ら官民一体の奴隷貿易独占会社が設立され*74、植物と同様に、国家的プロジェクトとしての「使命」を帯びた奴隷船団がアフリカからアメリカへの黒人の「移植」を行った。
 植物の採集あるいは移植を目的とした航海と異なるのは、科学者が介在していないということである。最初に黒人を捕獲したポルトガル人も、マゼランのパタゴニア人の捕獲と同様、将来の利用価値からではなく物珍しさからだったし、移送にたずさわった奴隷商人も、黒人の健康を気遣って医者を同船させたりなどしなかった*75。いまひとつの違いは、植物の移植ほどに「使命」が重大ではなかったことである。黒人はアフリカのどこででも捕獲できたが、植物は特定の場所でしか採集することができず、また気候・土壌などの条件から移植先も限定されていた。さらに黒人移送の悲惨なことは、終わりがないということであった。植物は、いったん移植に成功すれば、二度三度と繰り返し航海する必要がない。しかし黒人奴隷は増大する需要に応えるため、止めどもなく繰り返す必要があったのである。新大陸に移送された黒人奴隷の数は、過去四百年間で最終的におよそ一千万から一千四百万人にのぼったという*76
 『エイリアン』のモンスターは大航海時代の黒人奴隷に相当するが、場所が特定されていて代替ができないこと、何が何でも持ち帰らねばならない「使命」があること、反復不可能であることから、この映画と奴隷貿易の歴史とは少し距離がある。
 『エイリアン』は、以前にも述べたが、真っ黒なモンスターと黒人のパーカーを対比させている。前者は宇宙時代に未知の星から地球へと移送されるようとしている存在、後者は大航海時代にアフリカから新大陸へかつて移送された存在である。前者は白人という枷(=肉体)を早々と蹴破る(食い破る)が、後者は宇宙時代においても白人に抑圧されている。(白人にとって有用な新旧の「黒い生き物」は映画の終わりの方で対決し、あっけなく前者が勝つ。これは、黒人に相当する存在が白人だけを襲うことに対して嫌悪感を抱く人々に対する配慮の結果かもしれない。)
序章   第1章 第2章  結論
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*56カメロン著、前掲書。
*57
前掲書、58頁。
*58
前掲書、91-92頁。
*59
前掲書、150-158頁。
*60
アフリカの黒人や新大陸のインディオらを奴隷として使役した歴史に関する研究・著作は夥しい数にのぼり、参考とすべき書物の列挙にはいとまがない。本文では本田創造著、『アメリカ黒人の歴史』(岩波書店、1991年)とチャールズ・ダーウィン著、島地威雄訳『ビーグル号航海記(上・中・下)』(岩波書店、1959・60・61年)を主な参考書とした。
*61カメロン著、前掲書、100-103、132頁。
*62ヨーロッパ人による植物の採集の歴史と、それにたずさわった植物学者の活動については、白幡洋三郎著、『プラントハンター ヨーロッパの植物熱と日本』(講談社、1994年)が詳しい。本文における、ヨーロッパ諸国の計画的・組織的植物採集の歴史についての概説は、白幡の著書に依るところが大きい。
*63
白幡洋三郎著、前掲書、86-95頁。
*64
前掲書、114頁。
*65クリスティアン・ジャコブ著、『恐怖のトポグラフィー』、今村仁司監修『トラヴェルス4 恐怖』(リブロポート、1989年)によると、古代ギリシャ時代に「進化」という概念はなかったが、未開の世界における人間の野性的行動や未開人・類人猿に対する「退行」という概念はあったという。
*66
アリステア・マクリーン著、越智道雄訳『キャプテン・クックの航海』(早川書房、1982年)、チャールズ・ダーウィン著、島地威雄訳『ビーグル号航海記(上・中・下)』(岩波書店、1959・60・61年)、白幡洋三郎著、『プラントハンター ヨーロッパの植物熱と日本』(講談社、1994年)など。
*67
白幡洋三郎著、『プラントハンター ヨーロッパの植物熱と日本』(講談社、1994年)、100-102頁。
*68前掲書、102-105頁。
*69
前掲書、96-99頁。
*70前掲書、29-32頁。
*71
前掲書、32頁。
*72ウッド著、「アメリカのホラー映画 序説」、74頁。
*73
本田創造著、『アメリカ黒人の歴史』(岩波書店、1991年)、24-25頁。
*74
前掲書、27頁。
*75
前掲書、28頁によると、ひとりの黒人を新大陸にもたらすまでに、五人の黒人が途中で死んだという説もあるという。
*76
前掲書、28-29頁。掲載した数字は、新大陸にたどり着くことができた人々の数である。船を軽くするために海に投げ捨てられたり、食料費を節約するために死なない程度の食事しか与えられなかったり、船倉に押し込められて病気になったりして、五人に四人までもが新大陸にたどり着けなかった、とも言われている。
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