CineMagaziNet! | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | [6] 風・土煙・水 | 7 | 8 | 9 | (6/9)

たとえばパリにおける最初のシネマトグラフ上映会の2日後に載った批評記事( つまり世界最初の映画批評) は、『赤ん坊の食事』( 図11を参照) を次のように紹介している。

 「そこには親密なシーンもある。家族が集まってテーブルを囲んでいるのだ。赤ん坊は、父親が食べさせようとするお粥を少し口からこぼしてしまっている。そのとき母親は微笑んでいる。遠くの方で木々が揺れている。赤ん坊の前掛けがそよ風に持ち上げられるのが見える。」(1895 年12月30日、La Post 紙、Toulet(2)[1988=1995:130] より引用)

 これは、この映画に対する紹介としてはいささか奇妙ではないだろうか。なぜならこの記事は、画面前面に大きく写っている家族の食事の光景について説明したあと、どういうわけか全く些細な、背景の樹木や赤ん坊の前掛けがちょっと風に揺らいだことに同等の価値を与えて記述しているからである。しかし私たちが見る限りどう考えても、この作品は家族が庭で食事をしているところを記録した映画にすぎない。樹木が風に揺れたり、赤ん坊の前掛けが風でめくりかえったりするのは、偶然カメラに写ってしまった「背景」の出来事にすぎないだろう。従って現代の観客であれば、恐らくほとんど気づくことさえないに違いない。しかしこの筆者は間違いなく、わざわざ記事の中で指摘するほど、こうした「風」の光景に強く刺激されている。しかも、それは決してこの記者の感性が特に変わっていたからではない。なぜなら最初の観客の一人であるメリエスもまた、後にこの作品のことを「背景で樹木が風にそよいでいる『スープを飲む赤ん坊』」(Sadoul(3)[1948=1993:85])と紹介しているのだから(12)。つまりこの作品は当時ごく一般的に、樹木が風にそよぐ映画として見られていたらしい。
従ってどうやら、ここらあたりに熱狂の秘密があると言ってよいのではないか。何でもない日常的光景の記録に対する熱狂を引き起こしたのは、私たち現代の観客には気づかない、こうした背景の「風」の作用に彼らが惹かれていたからではないだろうか。事実、他のリュミエール作品の画面内を吹く「風」に対しても、当時の観客は熱狂して拍手していたらしい。ある日本の観客の証言によれば、『港を離れる小舟』という作品で画面の右端奥に小さく写っているにすぎない「少女の衣服の裾が風に翻く有様には観客皆手を拍て歓喜」( 塚田(4)[1980:104]) したと言うのだ。
さらに彼らは、こうした「風」の作用と同様に、「煙」の動きに対しても熱狂していた。再びメリエスを出せば、彼は『塀の取り壊し』( 図12を参照) という作品のことを「もうもうたる砂塵の中に崩壊する『塀』」(Sadoul(4)[1948=1993:85])と紹介している。ここでも彼は、この映画が記録しようとした中心的主題としての塀の取り壊し作業など無視して、その作業の後に画面全体を一瞬覆ってしまう「砂塵」にのみ注目しているだろう。同様に先の京都での最初期の上映会でこの作品を見た日本人も、「壁を倒すや土煙朦朧として四片弁ぜず。既にして土煙鞘収まれば監督者は丁夫を指揮して奔走す。丁夫鍬を以て土塊を打つ毎に土煙立つこと真に迫る。拍手喝采喧騒を極む。」( 田中(2)[1975:43])というように、「土煙」を中心にしてこの作品を紹介し、しかも観客たちはこの「土煙」が立つたびに熱狂的に興奮していた様子を証言しているのだ。
そしてこの「土煙」は、「砲煙」である場合も「湯気」である場合もあった。エジソンのキネトスコープを最初に見た日本人たちは一様に、その作品の中に含まれていた『連発銃射撃の写真』に注目し、必ずその「砲煙」に興奮しているし、フランスのアンドレ・ゲイはリュミエールの『鍛冶屋』における「湯気」に注目している。

 「( 略) 第一図は軽装したる一洋人銃を把って或は伏し或は起ち体を前後左右に動して銃を上下し自在に曲打を演ず其の火蓋を切る毎に一朶の雲の如き砲煙溌として沸き立つなど人をして覚えず奇を叫ばしむ」(1897 年2 月2 日、毎日新聞、ここでは塚田(5)[1980:52] より引用)

「続いて、生身のごとく「鍛冶屋」が仕事に熱中した。鉄が火で赤く熱せられ、叩かれるにつれて長く伸びていき、水につけると湯気を発し、その湯気が空中にゆっくり昇っていくと、一陣の風によって突然追い散らされてしまうのが見られた。」(Sadoul(5)[1948=1993:95] より引用)

まず最初の記事によって私たちは、日本の観客たちが、銃を撃つというアクション( 中心的主題) を捉えた映画の中における、本当に些細なものとしか見えない「砲煙」の映像に着目し、思わず奇声を発するほどの衝撃を受けていたことが確認できるだろう。次のフランスの新聞記事でも、彼が鍛冶屋の仕事ぶりなどよりも、「湯気」の微細な動きに対して実に繊細な観察が行われていることが分かる。
こうして私たちは、世界最初の映画観客たちが、「風」とか「土煙」とか「湯気」といった「空気」の微細な動きに関する自然現象に対して熱狂的に反応していたことを確認してきた。だが彼らが興奮したのは、「空気」に対してだけではない、「水」に対する熱狂的反応もまたたくさん記録されている。たとえばリュミエールのシネマトグラフの日本への紹介者として知られる稲畑勝太郎は、日本での最初の上映会を、まるで「水」ばかり映し出されたかのように記憶している( 田中(3)[1985:54])。

「当時最モ喝采ヲ博セシハ庭園ニ於テホースニテ水ヲ注ギ児童ニ飛沫カカリ驚キテ逃グル画ナリシト記憶ス。其他或ハ水泳、或ハ海岸に波打ツトコロ、水沫ノ飛ブ所ナド写セルモノアリキ。」 

しかもこうしてみると、ただ「水」であるというよりも、波打っていたり飛沫であったりといったように運動している状態の「水」に彼は刺激されたといって良いだろう。徳川夢声[1934:22] の記述においても、散布されて飛び散る「水」が主役である。彼の祖母は消火活動を記録した映画を見た後、あれほどホースから飛び出ていた「水」が舞台に一滴もこぼれていないことをどうしても納得できなくて、しきりに舞台上を調べていたというのだ。これと同じような反応は、イギリスでも報告されている。ロンドンでの最初の上映会において、『港を離れる小舟』( 図13)  −画面一杯に空と海が広がった光景が映し出されると、そこに一層の小舟が画面中央右下から現れて沖に向かってゆっくりと漕ぎだされて行くという作品− を見た観客( 紳士) の一人が、上映会の終了後スクリーンに近づいて行ってそれをステッキで突っ付いたというのだ(Vaughan(1)[1981]) 。彼はスクリーンがガラスで出来ており、水タンクになっているのではないかと疑ったらしい。つまり彼は、波打つ「波」の映像に刺激されて、その「水」がそこに存在しているかのように錯覚してしまったのだ。
同様にアメリカの新聞で報告されているのは、ロバート・ポールの『ドーヴァーの荒海』の「波」に対する観客の反応である。

「その波をまだ見たことのない者は是非見るべきだ。それがあまりにスリリングでリアリスティックなので、前の席の観客たちは、濡れてしまうのではないかと恐れて知らずして席から立ち上がってしまうほどなのだ。」(San Francisco Chronicle紙、1896年 6月21日、ここでは Musser(6)[1991a:79] より引用。)

 夢声の祖母にせよ、ロンドンの紳士にせよ、アメリカの観客にせよ、映像のなかで運動する「水」に刺激されて、それがスクリーンからこぼれ落ちたり、現実にそこに存在しているかのように錯覚してしまっている。つまりスクリーンを飛び出して来るのは、ここではもはや先の突進する「列車」ではなく、ただの「水」なのである。「波」や「水しぶき」がスクリーンをはみ出して、すぐそこに存在しているかのように感じてしまうことに観客たちはいたく熱狂したらしい。従って恐らく、「風」や「土煙」や「砲煙」に対しても観客たちは全く同じような感覚を持ったに違いない。赤ん坊の前掛けを揺らした「風」はスクリーンを飛び出してそのまま観客の方まで吹き、もうもうと立ち込める「土煙」を自分も浴びているような気分に襲われたからこそ、彼らは熱狂したのだろう。
こうして私たちは、世界最初の映画観客たちは、リュミエール兄弟の日常的光景を記録した何でもない作品のなかに、「風」や「土煙」や「波」や「水しぶき」といった微細な自然の運動を発見し、それを見て熱狂したことを明らかにしてきた。実はだからこそ、同じ時代に映写式機械を発明し上映会も行っていたエジソンは、リュミエール兄弟ほどの人気を獲得できなかったのである。エジソンの最初期の映画は、ブラック・マライアというスタジオ内で撮影されていたために、背景は真っ黒に塗りつぶされており、従ってリュミエール映画のような「風」や「波」といった自然現象は捉えられていなかった。そのためにリュミエールのシネマトグラフがアメリカで公開される否や(1896 年 6月29日) 、当時公開中だったエジソンのヴァイタスコープはたちまち人気を失ってしまった。いやそもそも、それ以前のヴァイタスコープ初上映会 ( 4月23日にニューヨークのコスター &バイアル劇場で) において既に、エジソンがスタジオで撮影したどの作品よりも、たった一本混じっていたイギリス製の野外撮影作品『ドーヴァーの荒海』の「波」と「水しぶき」の迫力の方が圧倒的に大きな評判を呼んでしまったのである(Musser(7)[1991a:60-63,77-79]) 。つまりここでも観客は間違いなく、スタジオで撮影されたどんな興味深い題材 (例えば女性のダンス) よりも「水」の迫力の方を選択したと言えよう(13)。従って私たちは、起源の観客たちの映画体験を考えるには、どうしてもこの「自然現象」への熱狂を中心に考えなくてはなるまい。

CineMagaziNet! No. 2
back back to top next