CineMagaziNet! | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | [8] 失認症的視覚と触覚的光景 | 9 | (8/9)

 ジョナサン・クレイリーによれば(Crary(1)[1994:32])、当時(19世紀末) こうした偏りなき「非= 文化的」視覚が問題とされたのは「映画」においてだけではなかったと言う。実はこの視覚は、人間自身の視覚としても問題にされていたのだ。つまりそれは、1870年代から80年代に、心理学の領域において浮上していた「失認症」(agnosia) の問題である。 (視覚的) 失認症とは、視覚的には対象を間違いなく把握しているにもかかわらず、それを「概念的にもしくはシンボリックにアイデンティファイすることができない」状態のことであり、「視覚的情報がある種の原初的な疎遠さ(strangeness) を伴って経験される状態」のことである。たとえば、そこに「顔」があることは知覚できていても、それが妻であることが分からなかったり、そこに「表面は切れめなく一様につづいていて、全体がすっぽりと袋のようになって」おり、「先が五つにわかれていて、そのひとつひとつがまた小さな袋」になっている物体があることは知覚できても、それが「手袋」であるとはどうしても認識できないような病理なのである(Sacks(1)[1985=1992:29-52])。 クレイリーは、この「失認症」と映画的視覚の出現を、西欧社会における「視覚」の認識枠組みの歴史的再編成のもとで起きた同じ問題として論じている(15)。なるほど、そこに「二人の男女が赤ん坊にスープを飲ませる光景」があることは知覚していても、それを「家族の温かい団欒」としてシンボリックにアイデンティファイすることもなく、「風」の気配ばかり感じ取っているカメラ的視線は、失認症的な視覚世界と言えるかもしれない。当時の人々は、全ての対象が「疎遠さ」においてしか認識されない世界、人間的な感情の感じられない世界に、映画を通して出会っていた。恐らくリュミエールの映画を、こうした冷たい失認症的世界として描写することに最も成功したのが、ロシアの作家マキシム・ゴーリキーである。彼の見事な描写を読んでみることにしよう。

「夕べ私は影の王国にいた。
 そこにいることがどれほど奇妙なことか、あなたが知ってさえいてくれたらと思う。
 それは音もなく色もない世界だ。そこにあるもの全て −大地も、樹木も、人々も、水も空気も− が単調な灰色の世界に飲み込まれてしまっている。灰色の空を横切る太陽の灰色の光線、灰色の顔の中の灰色の眼、そして木々の葉は灰色に色づいている。・・・( 中略) ・・・音もなく灰色の木の葉が風に揺らぎ、人々の灰色のシルエット、それはまるで永遠の沈黙を宣告され、全ての色を奪われるという罰を受けたかのようなのだが、彼らは灰色の地面の上を音もなく滑って行く。」(Leyda(2)[1983:407]より引用)

こうしてゴーリキーにとってのリュミエール映画は、観客にとって全く疎遠にしか見えない失認症的光景であり、さらに全ての人間的な温かみを奪われてしまった陰鬱な「死」の世界にさえなっている。音もなく色もない、冷たい「死」の世界。だがこれは、これまで私が取り上げてきた、様々なリュミエール映画の観客たちの見ていた視覚世界とは矛盾してしまうのではないか。思い出してみよう。リュミエール映画の観客たちは、そこに「土煙」を見れば、拍手喝采するほど興奮したのだったし、「水しぶき」を見れば、それがスクリーンから溢れ出て自分にかかるのではないかとさえ感じたのだった。これらの観客はとても、リュミエール映画を「死の世界」として見ていたとは言えないだろう。むしろ彼らは「水」や「風」が現実にそこにあるかのように、生き生きとした世界として映画を捉えている。だから彼らにとって、リュミエールは現実以上の「生の世界」として感じとられている。実際、当時の観客たちはしばしばリュミエール映画に対して、「まるで生きているみたいじゃないか! 」(Winter(3)[1982←1896])とか「それはすべて生きており、歩いたり走ったりして、それこそ正真正銘の生きたポートレイトなのである」(Sadoul(6)[1948=1993:101]より) といった感想を漏らしている。あるいは新聞記事はしばしば次のように、群衆たちの振る舞いを細かい所まで生き生きと描写している。

「男たちや女たちは互いに押し合い、笑っている。自転車がちょっとした隙間を見つけて素早く走り去る。大きな猟犬が穏やかに満足したように前庭を横切る。ここでは解放されて幸福な群衆たちの、絶え間なく変化する表情を見ることができる。歩く速度の様々な違いも注目される。人間たちの振る舞いのどんな小さな記号も見逃されることはない。」(Winter(4)[1982←1896] 、『工場の出口』について記述)

 これはまさに、カメラ的な偏りのない視線によりつつも、それを「死の世界」としてでななく、様々な「生命」( 男、女、自転車、犬) が交感しあう「生の世界」として描き出しているのだと言えよう。つまりほとんどの観客たちは、リュミエール映画のなかに「生命」ばかり見ている。これではゴーリキーとは全く矛盾してしまう。どうしてだろうか。この矛盾はどう説明されるべきなのだろうか。
 恐らくゴーリキーにとって、カメラ的視覚の世界は、彼がいつも慣れ親しんでいた絵画や文学などの表象芸術の「認識枠組み」を破壊してしまうものだった。芸術家たちが、宗教的な認識枠組みを通して寓意的に再現した世界、あるいはその芸術家独特の色合いを持って再現された世界、それらがゴーリキーにとっての人間的な「生の世界」だった。ところがカメラは、いかなる人間の認識枠組みも通さないで、世界をそのまま観客に対して投げ出すだけである。こうした、人間にとって何の「意味」もない世界など、人間が作りだす芸術を大事にする作家にとっては、貧しい「死」の世界にすぎないだろう。だから先のウインターという知的な批評家もまた、様々な他の芸術を引き合いに出しつつ、個性的・人称的に世界を捉えていないカメラ的視覚は芸術ではないと断じ、リュミエール映画を批判しているのである。言わば知識人としての彼らは、知的・芸術的認識枠組みを奪われてパニックに陥り、映画の世界に恐怖してそこに「死」を見てしまった。
 しかし、どうだろうか。私たち人間は、通常の知的な認識枠組みを奪われたとき、そこに陰鬱な「死の世界」を見るしかないのだろうか。そんなことはあるまい。これまでの説明で分かるように、ゴーリキーのような豊かな教養を持たない普通の観客たちはリュミエール映画を見るとき、むしろ通常の習慣的な知覚から解放されることで、逆にいつもよりも生き生きと具体的に世界の表情に接することができていただろう。たとえば日常生活のなかで眺めても「海」として認識するだけだった光景を、映画の中に見いだすと彼らはそれに触覚的に反応し、水しぶきを浴びるかのようにさえ感じてしまったのだから。先の新聞記事の表現を使うならば、彼らは自然や人間たちの「絶え間なく変化する表情」を、映像から触覚的になまなましく感じ取っている。
だからむしろ、ゴーリキーたちが求めている抽象的で知的な認識枠組みこそが、人間が世界を具体的に生き生きと認識することを妨げてしまうと言うべきだろう。たとえば私たち現代の映画観客の場合がそうだ。私たちは、まさにゴーリキーのように、たとえば『赤ん坊の食事』を「家庭の団欒」という文化的枠組みを通してしか見ない。だからこそ、それが19世紀のブルジョア家庭の食事風景を写しただけの退屈な映画としか思えないのだ。従って当然、そこで樹木や前掛けを揺らしている「風」を感じ取ることもできない。そうした自然の生命の息吹を具体的に感じ取ることができたのは、そのような認識的枠組み抜きに『赤ん坊の食事』に直接的に出会った最初の観客たちの方である。だから彼らは、赤ん坊がお粥を口からこぼすという些細な出来事にまで敏感に反応し、この映画に興奮することができたのだ。
こうして私たちは、初めて映画を見ることを経験した人々が、どのように映画に出会ったかを明らかにしたわけである。彼らはカメラの偏りなき視覚を通して初めて世界を眺めた。それは日常的な認識枠組み抜きに、直接的に世界の光景に触れるようなものだった。だから彼らは、そこに写し出されている「風」や「土煙」や「波」がスクリーンという枠組みを溢れ出て来るかのようになまなましく感じたのだ。言わば世界最初の映画観客たちは、「野性」としての自然の運動に触覚的に遭遇していたのである。これが、彼らの興奮と熱狂を生み出したわけである。

CineMagaziNet! No. 2
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