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リュミエールのアルケオロジー 書評:『エジソン的回帰』
ロベルト・ロッセリーニの『白い船』
−リアリズムとネオレアリズモのはざまで−
石田 美紀

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ネオレアリズモの父として名高いロベルト・ロッセリーニの長篇第一作が海軍省の依頼で1941年に製作されたファシスト政権のプロパガンダ映画『白い船』であることは意外と知られていない。ネオレアリズモ以前のロッセリーニが撮った、微妙なバランスを保つこの不可思議な映画の分析に進むまえに、まずファシズムと映画の緊密な関係から話をはじめよう。20年代というイタリア映画の冬の時代を終わらせ、製作、配給、技術、映画人の育成といったすべてにおいて、イタリア映画を復興させたのは、ファシスト政権であるといっても過言ではないだろう。ネオレアリズモ期に活躍する監督や知識人の多くが、ファシズム期にすでになんらかのかたちで映画産業にかかわっていることからもそれは明らかである。ロベルト・ロッセリーニも例外ではない。また『白い船』の位置を措定するにあたり、もっとも重要なことは、若い映画人の間で信奉するイデオロギーにかかわらず、ある種のリアリズムの探求がおこなわれていたことである。30年代後半から40年代初頭にかけて、若き批評家および映画人は盛んにリアリズムを論じるが、かれらの批判の対象は30年代に主流であった商業劇映画である。ロッセリーニの『白い船』には、当時の複雑な文化状況が反映されている。まずファシスト政権のプロパガンダという要素、そして戦後のネオレアリズモの作品を観客に想起させるようなリアリズム的要素、これらふたつの要素が『白い船』において複雑に戯れている。この戯れを記述し、考察することが本論の目的である。わたしはネオレアリズモ以前のロッセリーニのプロパガンダ映画『白い船』の分析が、終戦後の『無防備都市』(1945)をはじめとする「新しいリアリズム」であるネオレアリズモの理解のうえにも有益であると考えている。なぜなら『白い船』とネオレアリズモの相違はネオレアリズモを明確に定義し、両者の類似は映画の形式とその内容について興味深い示唆を提示するからである。

CineMagaziNet! No. 2
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