CineMagaziNet! Reader
『シネマガジネット!』読本

CMN! に掲載された主要論文、エッセイ、インタヴューなどをテーマ別に配列しました。

京都映画史(Kyoto Cinema History)

板倉 史明「『伊藤話術』とはなにか──伊藤大輔論序説」

鴇 明浩「横田商会神泉苑現像所はどこにあったか──京都映画史研究序説」

加藤 幹郎、他「『第一回京都映画祭』国際シンポジウム--時代劇と世界映画(1997年)」

須川 まり「京都現代劇映画における都市表象 」

藤岡 篤弘「京都西陣地区映画館の変遷」

藤岡 篤弘「京都の映画館とその観客(戦中篇)」

Goto, Taro. "Mr. Goto Goes on Location of Nagisa Oshima's New Film: Gohatto."

Kato, Mikiro. "A History of Movie Theaters and Audiences in Postwar Kyoto."

Kato, Mikiro. "Mizoguchi Film of Rumor, Production Design and Emotional Register."

Toki, Akihiro and Mizuguchi Kaoru. "A History of Early Cinema in Kyoto (1896-1912)."

日本映画と他者(Japanese Cinema and Others)

板倉 史明「アメリカ日系移民と日本映画」

大澤 浄「岸松雄と1930年代映画批評の隘路──批判的な評伝」

大場 さやか「満州映画協会の役割とその影響」

須川 まり「映画から観光への移行期──1950-60年代の日本映画における観光表象」

中村 秀之「占領下米国教育映画についての覚書──『映画教室』誌にみるナトコとCIE映画の受容について」

フィオードロワ・アナスタシア「亀井文夫監督の被爆者ドキュメンタリ──『生きていてよかった』」

宮本 陽一郎「合衆国議会図書館および公文書館所蔵の接収日本映画に関する調査・同定研究」

Gerow, A. A. "Swarming Ants and Elusive Villains: Zigomar and the Problem of Cinema in 1910s Japan."

メロドラマとジェンダー(Melodrama and Gender)

川本 徹「サボテンの花というジェンダー論的両義性──西部劇映画『リバティ・バランスを射った男』」

斉藤 綾子「改訂版シャンタル・アケルマン試論──女性/映画/身体」

竹村 みさと「『カウチ・イン・ニューヨーク』におけるヒロインの身体表象 ― シャンタル・アケルマン論」

西岡 かれん「嵌め殺しの窓に閉じ込められて──ダグラス・サーク『天はすべてを許し給う』」のテクスト分析

吉澤 泰輝「メロドラマ映画と盲目性──『ステラ・ダラス』をめぐって」

Yamashina, Yumi. "John Cassavetes: Anti-Melodrama."

Watts, Craig. "All That Patriarchy Allows: Gay Figures and Female Desire in All That Heaven Allows."

Zhao, Wuming. "Cinderella in Eighties' Hollywood."

ジャンルの映画(Genre Films)

有森 由紀子「1990年代西部劇研究──『ラスト・オブ・モヒカン』におけるアメリカのアダム像」

有森 由紀子「フロンティアで踊る男──『ダンス・ウィズ・ウルブズ』におけるフロンティア・ヒーロー像」

伊藤 弘了<「本邦初の本格的西部劇映画論にして空前絶後の革新的アメリカ論──川本徹著『荒野のオデュッセイア 西部劇映画論』(みすず書房、2014年)を読む」

伊藤 弘了<「西部劇の後裔『オデッセイ』(リドリー・スコット、2015年)」

今井 隆介「映像テクストからみるカートゥーン・アニメーションの誕生」

今井 隆介「怪物と航海──『エイリアン』論」

桜井 哲夫 加藤幹郎著『映画ジャンル論──ハリウッド的快楽のスタイル』(平凡社、1996年;『朝日新聞』1996年9月8日掲載)

雑賀 広海 香港ノワールの考察──フィルム・ノワールの可能性

田代 真「ドキュメンタリー映画のプロパガンダ・レトリック──ヨリス・イヴェンス『スペインの大地』論」

堀江 亮二「メロドラマとホラーの擦れ違い──デヴィッド・リンチ監督『イレイザーヘッド』小論」

松田 奈穂子「シンデレラ像の変化に見るディズニー映画の課題と展望──長編アニメーション映画『シンデレラ』と実写版『シンデレラ』の比較分析を通して」

Arimori, Yukiko. "The Most Vociferous Screwball Comedies: The Miracle of Morgan’s Creek and Hail the Conquering Hero."

Hatori, Takafusa. "Period Films and Historicity on the Birth of a Nation."

Kato, Mikiro. "Genre and Gender."

Kato, Mikiro. "The Western: The Neutral Zone between Wilderness and Civilization."

Kubo, Yutaka. "The Function of the Semi-Private Sphere in Home Moviemaking and Exhibition."

Yanai, Tomoko. "Spectatorship, National Identity, and Memories in the Cinematic World."

作家の映画(Auteur Films)

石田 美紀「ロベルト・ロッセリーニの『白い船』──リアリズムとネオレアリズモのはざまで」

伊藤 弘了「赤色の映像詩──ニコラス・レイ『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』の重層解釈」

伊藤 弘了「小津安二郎『秋刀魚の味』にみる父親の悲哀──空のショットの説話的諸機能」

伊藤 弘了「小津安二郎と侯孝賢──その映画的感性の近しさをめぐる覚書」

イレネ・ゴンザレス(Irene Gonzalez)、植田 真由「女性の性的欲望の発露──田中絹代『乳房よ永遠なれ』」

植田 真由「河瀬直美における滲出する『私』」

植田 真由「フィクションとドキュメンタリーの融合 ― 『萌の朱雀』に見る越境」

大澤 浄「覚醒と転調──黒沢清『アカルイミライ』/藤井謙二郎『曖昧な未来、黒沢清』」

大澤 浄「身体技法の回復──フルーツ・チャン『ドリアン・ドリアン』」

大澤 浄「富=恋愛の対称交換のユートピア──万田邦敏『Unloved』」

大澤 浄「横顔の織りなす繊細さ──船橋淳『echoes』」

大澤 浄「ラディカルな視線による愛の獲得──中田秀夫『ラストシーン』」

大澤 浄「労働者の豊かさを探査し続けるメディア──ケン・ローチ『ブレッド&ローズ』/『ナビゲーター 』」

大澤 浄「Keep Looking for Things in Place Where There's Nothing」

大谷晋平「「シネマ57」が求めた実験精神を持つ映画──「作家の眼」の表現 」

押田 友太「ジャック・リヴェット『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974)再考 」

加藤 幹郎「映画的省察──台湾/日本/アメリカ」

加藤 幹郎「映画のライヴ上映=演奏──原將人『MI・TA・RI!』」

加藤 幹郎「青春群像──豊田利晃『青い春』」

加藤 幹郎「静謐な映画」──ピーター・フォンダ『さすらいのカウボーイ』」

加藤 幹郎「スピルバーグのジェットコースター映画──『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』」

加藤 幹郎「都会の孤独、世界の情愛──蔡明亮『ふたつの時、ふたりの時間』」

加藤 幹郎村上由見子著『イエロー・フェイス』(朝日新聞社、2001年;『時事英語研究』48巻3号掲載)

河原 大輔「饒舌な身体が生成する音──キム・ギドク『サマリア』(2004)」

河原 大輔「デイヴィッド・リンチ『ブルー・ベルベット』小論──ポスト古典期におけるマニエリスム映画の誕生」

川本 徹「海のように忘れる(ことのない)フィルム──寺山修司『消しゴム』の主題論的分析」

川本 徹「変転または葛藤する世界──アンソニー・マン『裸の拍車』の風景表象分析」

北浦 寛之「加藤泰研究序説 ──奥行きを利用した映画の演出について」

久保 豊「ホーム・ムーヴィー史における映画作家と観客の相互生成論──横山善太監督『幸せな時間』(2011年)のテクスト分析

雑賀 広海「アニメーションの「運動」再考──『たまこラブストーリー』の時間と性」

佐藤 健太郎「デイヴィッド・クローネンバーグ映画研究」

ジョナサン・ローゼンバウム/伊藤弘了(翻訳) 「小津映画は遅いか?」

羽鳥 隆英「運命《線》上に踊る男と女 ― マキノ雅弘『いれずみ半太郎』分析」

畑中 啓「テオ・アンゲロプロス映画研究──ロングテイクの「時間」による社会と個人の新しい表象方法分析」

平井 克尚「エドガー・G・ウルマー『日曜日の人々』(1929)──小さき人々の(ための)エチュード」

平井 克尚「PRC期エドガー・G・ウルマー『まわり道』(1945)」

藤田 修平「映画『寧静夏日』を台湾で撮る」

松坂 茉衣子「『映画 視線のポリティクス』とスパイク・リーに学ぶ黒人たちの戦争」

松田 英男「パラノイア/ゴシック/ヒロイン──ヒッチコック映画『レベッカ』における女性主人公のポジション」

Hidaka, Maho. "The Examination of Doubleness in Three Colors: Blue, White, Red."

Kato, Mikiro. "Hitchcock's PSYCHOANALYSIS."

Kato, Mikiro. "The Cinematic Signs in Fritz Lang's Films before and after His Exile."

Kawahara, Daisuke."Screening Race in the Age of Global Filmmaking : Olivier Assayas’ Irma Vep"

Nishioka, Karen."“I Don’t Speak Your Language”: An Analysis of Cinematic Language in Martin Scorsese’s The Age of Innocence in Comparison with the Novel"

Turnock, Julie. "Love's Layers: Oki Hiroyuki's Inside Heart."

映画理論(Film Theory)

碓井 みちこ「映画の『フレーム』──アルフレッド・ヒッチコック『めまい』を中心に」

ヒース、スティーヴン/加藤 幹郎(翻訳)「映画のセクシュアル・ポリティクス」

森村 麻紀「映画記号論再考 ― クリスチャン・メッツの大連辞とミッシェル・コラン『大連辞再考』の射程」

映画と芸術(Cinema and Art)

加藤 幹郎「映画の未来のために」

Lambert, Raphael. "From Page to Screen."

映画館(Movie Theater)

伊藤 弘了「パラマウント・シアター調査報告──映画館学の今日的意義」

加藤 幹郎「みんなで映画を見に行こう!──アメリカにおける映画館の文化史」

須川 まり「日本映画の活性化に向けての政策提言──独立系映画の製作・配給のための支援環境作り」

藤岡 篤弘「日本映画興行史──1930年代における技術革新および近代化とフィルム・プレゼンテーション」

藤岡 篤弘「野外上映映画の諸相──戦前日本の大都市圏における映画イヴェント」

Gonzalez, Irene. "Culturemes in Mononoke Hime: A Comparative Analysis of Subtitles."

無声映画(Silent Cinema)

梅本 和弘「新しいアメリカ『初期映画』研究の系譜と地平」

北田 理惠「サイレント時代の字幕──フランス語圏映画言説における無声芸術からトーキーへの変遷」

大傍 正規「日本映画伴奏の改善から前衛へ──無声映画期の音響実践におけるプログラム・選曲・伴奏」

インタヴュー(Interviews)

池田 進一「マンガ・アート革新化をはかるべき世界最高の日本漫画史──加藤幹郎著『荒木飛呂彦論 マンガ・アート入門』(ちくま新書、2014年1月刊行)」

伊藤 弘了/井出 恵二「小津映画と「美術工芸品考撰」 ──井手恵治氏インタヴュー」

伊藤 弘了/松浦 莞二「父ありき──菅野公子氏インタヴュー」

大迫 優一「映画学と映画批評、その歴史的展望──加藤幹郎インタヴュー」

加藤 幹郎「順応主義者たちの反乱──楊徳昌監督インタヴュー」

加藤 幹郎「『みすず』読書アンケート回答の10数年(1999年―2013年)」

加藤 幹郎「大アンケート*わたしの理想の教科書」

川本 徹「加藤幹郎先生の御退官(京大名誉教授化)によせて」

顔 暁暉/中 伊万里「ドキュメンタリー映画と中国──賈樟柯監督インタヴュー」

鴇 明浩「優美なる死骸遊びに魅せられた作家、プログラム・ピクチュアの遺産──田中登監督インタヴュー」

山本 佳樹「加藤幹郎著『列車映画史特別講義──芸術の条件』(岩波書店、2012年12月)」

Watts, Craig. "Interview with a British Lesbian Filmmaker Fiona Cunningham Reid."

映画祭報告(Film Festival Reports)

石田 美紀「サイレント映画の見せる夢──第21回ポルデノーネ無声映画祭報告」

石田 美紀「香港国際映画祭小報告」

石田 美紀「吉田喜重、われわれを見返す映画──イタリアにおける吉田喜重作品連続上映会」

伊藤 弘了「京都文化博物館フィルムシアター「映画女優高峰秀子を再考する」報告」

今井 隆介「最果てへの探検旅行、あるいはアニメーション映画への遥かなる冒険」

今井 隆介/森村 麻紀「ヴィクトリア・ハーバーの風に吹かれて──第26回香港国際映画祭報告」

植田 真由「ベルリン映画祭(ジェネレーション部門)報告」

植田 真由「映画制作によるリテラシー育成──『金沢こども映画教室』報告」

植田 真由「リテラシー育成の場としての映画祭──第15回きょうと国際子ども映画祭報告」

顔 暁暉「侯孝賢回顧展と国際カンファレンス──第18回シンガポール国際映画祭報告」

北田 理惠「スイス・サイレント映画、スイス映画史への旅──第21回ポルデノーネ無声映画祭報告」

久保 豊「映画史におけるパーソナルフォーカスの貢献と発展 「Personal Focus 2009-2010 in Kyoto」報告」

中 伊万里「1970年代の格闘する作家たち──ノンフィクション映画の新しいまなざし」

韓 燕麗「キャセイ物語、あるいは日港合作映画に関する覚書──第26回香港国際映画祭報告」

韓 燕麗「タイ無声映画の尽きせぬ魅力──第22回ポルデノーネ無声映画祭報告」

須川 まり「学生映画における学生とは何か──第12回京都国際映画祭に参加して」

フィオードロワ・アナスタシア「加藤久仁生アニメーション映画監督、ロシアを初訪問」

森村 麻紀「サイレント映画に明け暮れて──第21回ポルデノーネ無声映画祭報告」

森村 麻紀「初期映画の多様な顔──第22回ポルデノーネ無声映画祭報告」

山本 一郎「第61回ヴェネツィア映画祭報告──開催期間のうち私が徘徊した2004年9月4日から12日まで」

Mitsuyo Wada-Marciano、 伊藤弘了、雑賀広海、久保豊、宮本裕子「アジアフォーカス・福岡国際映画祭2016共同報告 」

俳優論(Actors and Acting)

神戸 尚子「俳優の演技スキルと多次元共感性の関連性」

雑賀 広海「ジャッキー・チェンはなぜ落下するのか──『ヤングマスター』からキートンへ」

映画と音響論(Film and Sound)

藤原 征生「“東宝スコープ・ロゴ”と“20世紀フォックス・ファンファーレ” ──パナヴィジョンの導入がもたらした視覚的・聴覚的影響に関する検証と解釈」

藤原 征生「日本映画における立体音響の導入──東宝の業績を中心にみた技術史的試論」

藤原 征生「芥川也寸志の映像音楽における音楽語法の変遷──歴史劇を中心に」

松山のぞみ「『トレインスポッティング』における大衆音楽の効果──イギー・ポップとルー・リードを中心に 」

映画とソーシャルメディア(Film and Social Media)

山田 峰大「ソーシャルメディアが第四の権力となる可能性について──障害者手帳交付拒否問題を通じて」